雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

東尋坊徒然 6

2018-06-02 03:04:23 | 不思議...パワスポ寺社
 
 
そんな本多氏を巡る勉強の最中。予想通り!とは言え、僕さん。
やはり幾つかのモノモノを引きずって帰って来てしまっていた様で。
東尋坊から戻って以降は少し体調を崩してしまいました。
写真の「IWABA CAFE」さんの「神の席」では心地良く過ごせていたのですが......
その時にチョット心配になったのが......ヒミコさんのこと。
 
「もしかして彼女も体調悪くなってないか!?」
 
と、連絡をしてみると......
 
「いや、こんなこと言うのあれなんですが、
今朝からちょっと怠くて早退しようかと思ってました......」 
 
やはり、と言いますか。なんと言いますか。
ヒミコさんも同様だった様で。
そして、もう一つ。
忠勝さんのことを調べている時に思い当たったヒミコさんの家柄について、
僕は確認の質問をしてみました。
 
 
 
「ちょっと聞きたいんだけど、、、忙しいところごめんなさい。
ヒミコの家って、前田利家、もしくは、加賀藩との繋がりが深い家柄?
もしかして?
そんな感じのことを言っていた様な記憶があるんだけど、
その話はちゃんとしていなかったから記憶が曖昧で、、縁は無い家柄?」
 
「うちは父方が尾張から前田藩と共に金沢に来て鍛冶屋(刀)だったみたいで、
その後、大聖寺藩に配属されたそうです。
だから前田藩との繋がりはあると思います。
剣術士の先祖っぽい人も大聖寺藩史に出て来ます。
何かありましたか?」
 
 
 
はい。何かあります。
 
 
 
なるほど。そういうことなのか......
 
 
 
まとめると、ヒミコさんの家の伝承は、そのまま三河本多氏の流れで。
きっと、加賀、前田氏に仕える為に動いて来た、恐らくは......本多政重さんの一派。
その武士団や武将達の武器担当の職人さんだった方がヒミコさんのご先祖様で。
そして、その政重さんと共に加賀、前田氏に使え来る以前には、
本多氏のお膝元である現在の名古屋一帯の氏族皆の為に武器を作っていた
職人さんであった可能性も。
特に政重さん一派に入る以前には、
もしかしたら本多忠勝さんとの繋がりが深かった方でもあり、
ヒミコさん家の伝承では大まかに「尾張」となっているようですが、
動いて来た大元の地は忠勝さんの直轄地「桑名」であった可能性も。
 
 
 
「......そうか。あの人だ。
彼女に憑いて、必死に何かを伝えようとしていた、あの、
彼女のご先祖様......あのお爺さんだ......」
 
 
 
数年前にスイスで起きた出来事と、
つい最近起きた東尋坊での出来事が僕の中で一本の線となりました。
 
 
 
それを繋げたのは......本多氏。本多忠勝さん。
 
 
 
そして、
 
 
 
本多政重さんに使えて一緒に加賀に移り来たのであろうヒミコさんのご先祖様。
 
 
 
ヒミコさんを東尋坊に誘ってしまった偶然の必然。
 
 
 
長い歴史の時空の中、東尋坊で起こって来た由無し事の中には、
 
 
 
もしかしたら加賀本多家に関わる出来事も幾つか?あったのかもしれません。
 
 
 
そんな因縁達を一掃するべく。
 
 
 
氏族の中で最も力のあるものが責務を果たすべく。
 
 
 
本多家イチの武将で、
 
 
 
宗主とも目される本多忠勝さんが動いていたのでは無いか......と。
 
 
 
見る角度を少し変えれば、
 
 
 
宗主、忠勝さんのお願いでもあったが故に、
 
 
 
本多家や忠勝さんをもよく知るヒミコさんのご先祖様が、
 
 
 
巫女力溢れる彼女を通して少々のお力添えをしてくれたのでは無いのか?と。
 
 
 
僕は今回の出来事をそんな風に理解しました。
 
 
 
面白いものです。
 
 
 
スッキリもしました。
 
 
 
後日、僕はこんな話をヒミコさんともして。
そして、やはり少しだけ、
二人して持ち帰ってしまったらしいモノモノもあったようで。
僕らの心身はかなり気怠くキツクなってもいたのですが、
そんなモノモノとアーダコーダと少しばかりの格闘もして。
そんなコトゴトも数日でちゃんと落ち着けることも出来て。
そんな話を、
神々の言葉を正確に降ろしてくれたプリリンねーさんの方にも伝えつつ、
今はまた、
僕は北陸の地に新たな印象と風景とを見出していたりもするワケなのです。
 
 
 
僕はヒミコさんにこう言いました。
 
 
 
「スゲー忙しくなるよ。君。これから」
 
 
 
すると......やっぱり!?
 
 
 
そーなっているようです( ̄ー+ ̄)ニヤリ
 
 
 
こんな感じの「東尋坊の裏物語!?」的な今回のお話しの最後には、
旅の間に間に降り来ていた神々の言葉の幾つかを記し残しておこうかと思います。
勿論、プリリンねーさんの監修も頂いて。
そして、こんな徒然記事の最終章をイソイソと記している僕の眼前には、今、
美しきギリシャの風景が広がっていたりもするのですが、
その美麗さの中にはどこか、本多忠勝さんの心意気と、
神々の思い遣りに似ている心地良さみたいなものもあって。
この記事の「仕舞い」を記すには
ピッタリの場所の様に思えてもいるのです(^^)かしこ。
 
 
 
 
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東尋坊に行ってください。
雪でしょうか。
今なら、人がいないのでいいのですが。
岩の一番突端で、祝詞お願いします。
持って行くのは、「かりんとう」がいいです。
辣腕な神がいるのですが、甘い物が好きなのです。
伝えてください。
 
 
 
「かりんとう」は、黒いのがいいと言っていますよ。話してみてください。
東尋坊にいるのは、「釣り師」も関係している神です。
武将のほーーんーーだーーたーーだーーかーーつーーの神です。
 
 
 
<本多忠勝>
本多忠勝です。
本当に、話が出来るのですね。
だーーーーれーーーーもーーーー、私が東尋坊にいることは、知りませんでした。
桑名にいました。
私は、死んでから沢山の人を殺めたことが辛かったので、東尋坊に来たのです。
東尋坊に死にに来る人の説得をしていました。
それで、やっと神になれたのです。
ただ、ここから動けなくなってしまったので、祝詞をお願いしました。
「かりんとう」が好きなので、あったら嬉しいです。
 
 
 
<ツネノネ>
和倉温泉の娘がいただろう。
せーーーーかーーーーいーーーーと、戦うことになるだろう。
白山の仕事があるからな。
加賀百万石の家臣の先祖を持っているので、罪穢れを背負っていたよ。
アワが沢山ついていたから、東尋坊に行ったら大変だったと思う。
プリリンねーさんに来ていたのは、東尋坊で死んだ人達の寒さだったからな。
江ノ島(江の島)で、酒を撒いただろう。
その後に、東尋坊に撒いたから繋がったのだよ。
繋がりがまた、出来たということだな。
東尋坊と真脇遺跡が繋がったよ。
三鷹、熱海、東尋坊、真脇になったのだ。
次は四国か......
 
 
 
昨日、UZMETはまたやり遂げていたな。
とーーーーちーーーー(土地)の浄化ができるようになったよ。
ツネノネが言った通りだ。
プリリンねーさんが江ノ島にいて、寒くなったのは、魂がすがって来たのだ。
アワが沢山ついている魂だから、神達も祓っていたが、祓いきれなかったのだよ。
東尋坊のところで、UZMETが私に酒をくれた時に、外れたのだよ。
江ノ島と東尋坊が繋がった瞬間だったな。
 
 
 
<本多忠勝>
スゴい人だったな。
私がわかったよ。
私は馬に乗って見ていたからな。
スサノオノミコトが一緒にいたよ。
三鷹熱海、東尋坊、真脇富士になったな。
鳥達は、島に運んでくれたよ。
鳥の背中に沢山乗っていたからな。
ありがとうと伝えてくれ。
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コメント (4)
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