「贅沢」という前回記事に関して、
敬愛する先輩の「dajyu」さんから
こんなメールをいただきました。
============================
沢木耕太郎の「バーボン・ストリート」に
「角ずれの音が聞こえる」というエッセイがあります。
そこで語られた〝贅沢〟を思い出しました。
引っ張り出して、もう一度読んで〜
贅沢についての「角ずれの音が聞こえる」だけでも。
今日のuzmetのブログで、おもろい話ができたわ。
「バーボン・ストリート」アタマから読み直そ。
============================
僕さんの持っている単行本。
何十年とたっていてボロボロっすけど......
紙も色も茶色く変色してしまい、
水分も飛んでパリパリ感もハンパなく......
流石の名著作なので、
今や文庫にもなっているようでして。
で、dajyu さんにも言われましたし、
大学生の時以来、何十年ぶり!
にもう一度読み直してみたのですが......
いやーーーーー、、、、
すげーーーーーっす。
感心、感服、尊敬、感激、感動、感謝。
文章の粋(いき)さも素晴らしく、
今、この年齢で読んだ方が心身に滲み入ることばかり。
二十歳そこそこで分かる本じゃなかったんだな、と、
今更ながらそんなことを思わされました。
当然、登場人物や語られるメディア構造などからは
昭和という時代を強く感じさせられもしましたが、
不良性というものがある程度社会で受容されていて、
アメリカへの憧憬度が異様に強く、
盲目的であったような時代性なども
改めて考察することもできました。
dajyuさんとはLINEなどでも色々と語り合ったりもしましたが、
以下にはエッセイの一部分を、
備忘録的に置いておこうかと思います。(^^)
============================
ワシ、である。
鷲。ワシタカ科の猛禽(もうきん)。
大型でつばさが広く、せなかは濃い茶色で、腹は白い。
くちばし、つめは鋭くてまがり、
鳥獣を捕らえて食う。
と、辞書にはそのようなことが記されている。
(中略)
一人称の代名詞としては、
他にワタシもあればボクやオレもあるのだが、
なぜかスポーツ新聞の記者たちはワシを使いたがる。
当人がワシと言っている場合には問題はないが、
オレ、ボクを使っている場合にも、
勝手にワシと変えてしまうのだ。
(中略)
今日もまた、あの奇妙なワシたちは、
スポーツ新聞と共に、
窮屈な通勤電車の中を飛びかっているに違いない。
============================
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紋切型の表現を恥ずかし気もなく頻出させることにかけては、
新聞や雑誌などのいわゆる活字ジャーナリズムも
決してひけをとらない。
(中略)
「抜けるような白い肌」
「顔をそむけた」
「嬉しい悲鳴」
「大腸菌がウヨウヨ」
「冬が駆け足でやってくる」
「ポンと百万円」......
雪景色といえば「銀世界」
春といえば「ポカポカ」で、
かっこいい足はみんな「小鹿のよう」で、
涙は必ず「ポロポロ」流す。
(中略)
ピッチャーの豪速球は「唸るよう」であり、
痛烈なゴロの打球は「地を這うよう」であり、
外野からの返球は「矢のよう」であり、
ライナー性のホームランは必ずスタンドに「突き刺さる」のだ。
ボクシングやプロレスリングといった格闘技には
血はつきものだが、
少しでも出血すると「血みどろ」になり、
「流血の死闘」になってしまう。
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たとえ一瞬のうちに了解し会えるような男と巡り合わなくとも、
自分が死んだ時には、
「死んじまって嬉しいぜ、この馬鹿野郎が!」
といってくれる友人を、1人くらい持ちたいものだと思う。
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このエイプリル・フールが
日本で下火になって来た理由のひとつは、
それが商業上の利益と直接的に結びついていないからという点に
求められるかもしれない。
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「あの......雨ニモマケズ、風ニモマケズ......
っていう詩があるでしょ」
「宮沢賢治の、あの有名な?」
「そう」
「その詩がどうかしたの」
「あれ、どういう詩だっけ」
「どういう詩って言われても......」
私が少し口ごもると、
陽水がもっとわかりやすい質問の仕方をしてくれた。
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人はいつ青年になるのか。
それは恐らく、
年齢でもなく結婚でもなく、
彼が生命保険に加入した時なのではあるまいか。
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何かに向かって懸命に走っていた人が、
ある日、
不意に周囲の風景に眼がいくようになり、
見る見るスピードが鈍ってくる。
私もそのようなスポーツマンや芸人を何人となく見て来た。
鈍るだけでなく、
ついには立ち止まってしまう人もいた。
確かにスピードをゆるめると、
周囲のすべてが美しく、なつかしく見えることがある。
耳元を通り過ぎる風の音が聞こえ、
色までが見えてくる。
しかし、その色をみることは走ることにとっても
決して無駄ではないはずなのだ。
問題は、
ひとたび風を見た人が、
どうしたら再び走れるようになるかということなのだ。
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競馬はまったくやらないが、
一度だけ自ら馬券を買ったことがある。
(中略)
「勝った!」
(中略)
自分では覚えていないのだが、
その時、私ままずこんなことを言ったという。
「どうだい、俺の馬は強いだろう」
東京に帰ると、友人達から盛んに冷やかされた。
「まったく強かったな。俺の馬は」
(中略)
既に私の気持ちの中では彼は「俺の馬」だったのだ。
それ以来、まったく馬券を買ったことがない。
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私はシンデレラの物語をきちんと読んだことがない。
そのせいだろうか、
あれがハッピー・エンドのオハナシだとは
どうしても信じられないのだ。
(中略)
一方、シンデレラ・ボーイという言葉には、
一種独特の危うさが感じられる。
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するとその場にいた親友も調子を合わせて監督を皮肉るのだ。
「あなたに会うまえは、その映画が気に入ったかいらないか、
いつも自分でわかっていたのよ。
ところがどうでしょう。
いまじゃ気にいっていいものかどうか
考えなくちゃならないのよ!」
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先日、女優の薬師丸ひろ子と話す機会があった。
(中略)
よほど私の顔に変な力が入っていたらしく、
カメラマンがいった。
「少し硬いですね、自然に、もっと自然に」
私は急におかしくなり、
彼女に小声で囁(ささや)いた。
「カメラに向かって一番自然なのは、
僕みたいに硬くなることなんですよね。
自然らしいのは最も不自然だと思いますけどね。
らしく粧(よそお)ってるんですから」
すると、
彼女も微(かす)かに笑いながらこういった。
「本当ですね。
でも、私もカメラを向けられると、
それらしく粧(よそお)うようになってしまいました。
少し寂しいですけど......」
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「暖炉の火って、いいなぁ」
と《彼》が言った。
「いいですね」
と私も言った。
(中略)
その炎に眼をやったまま、
《彼》がひとりごとのように言った。
「火っていいもんですね。
こんなに人間が和むものってないんじゃないかな」
「吸い寄せられそうな気がしますね」
「火に惹かれるというのは人間の本能じなんじゃないですかね」
「少なくとも、体や心の奥の方のものに繋がっていますね」
と、私が言うと、
《彼》は熱い口調で喋りはじめた。
(中略)
「暖炉の火って、いいいなぁ」
と高倉健はまた言った。
「いいですね」
と私もまた言った。
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かりに誰かからお前を二十歳の頃にもどしてあげると言われても、
おそらく私は遠慮させてもらうだろうが、
あの頃の黒光りするような退屈の中で
もう一度だけ身を焦がしてみたいものだと思うことはある。
私が友人にそう言うと、
彼はつまならそうに呟いた。
「それは、退屈がおまえさんの趣味だっていうだけのことさ」
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しかし山田洋次がえんえんと作りつづけている
「男はつらいよ」は、
まさによく役に立つ湯呑み茶碗と同じような意味を持つ
映画なのではあるまいか、
と今の私には思えてならない。
誰の手にもよく馴染み、呑みやすく、
しかも割れたからといって大騒ぎせずにすむ茶碗。
そうだとすれば、
これほど「役に立つ」ものを作りつづけている職人に対して、
作るのをやめろなどというのは、
はなはだしい思い違いだったということになる。
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人は死に、本が残された。
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バーボンと決めるまで、
私の飲む酒は一定していなかった。
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敬愛する先輩の「dajyu」さんから
こんなメールをいただきました。
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沢木耕太郎の「バーボン・ストリート」に
「角ずれの音が聞こえる」というエッセイがあります。
そこで語られた〝贅沢〟を思い出しました。
引っ張り出して、もう一度読んで〜
贅沢についての「角ずれの音が聞こえる」だけでも。
今日のuzmetのブログで、おもろい話ができたわ。
「バーボン・ストリート」アタマから読み直そ。
============================
僕さんの持っている単行本。
何十年とたっていてボロボロっすけど......
紙も色も茶色く変色してしまい、
水分も飛んでパリパリ感もハンパなく......
流石の名著作なので、
今や文庫にもなっているようでして。
で、dajyu さんにも言われましたし、
大学生の時以来、何十年ぶり!
にもう一度読み直してみたのですが......
いやーーーーー、、、、
すげーーーーーっす。
感心、感服、尊敬、感激、感動、感謝。
文章の粋(いき)さも素晴らしく、
今、この年齢で読んだ方が心身に滲み入ることばかり。
二十歳そこそこで分かる本じゃなかったんだな、と、
今更ながらそんなことを思わされました。
当然、登場人物や語られるメディア構造などからは
昭和という時代を強く感じさせられもしましたが、
不良性というものがある程度社会で受容されていて、
アメリカへの憧憬度が異様に強く、
盲目的であったような時代性なども
改めて考察することもできました。
dajyuさんとはLINEなどでも色々と語り合ったりもしましたが、
以下にはエッセイの一部分を、
備忘録的に置いておこうかと思います。(^^)
============================
ワシ、である。
鷲。ワシタカ科の猛禽(もうきん)。
大型でつばさが広く、せなかは濃い茶色で、腹は白い。
くちばし、つめは鋭くてまがり、
鳥獣を捕らえて食う。
と、辞書にはそのようなことが記されている。
(中略)
一人称の代名詞としては、
他にワタシもあればボクやオレもあるのだが、
なぜかスポーツ新聞の記者たちはワシを使いたがる。
当人がワシと言っている場合には問題はないが、
オレ、ボクを使っている場合にも、
勝手にワシと変えてしまうのだ。
(中略)
今日もまた、あの奇妙なワシたちは、
スポーツ新聞と共に、
窮屈な通勤電車の中を飛びかっているに違いない。
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紋切型の表現を恥ずかし気もなく頻出させることにかけては、
新聞や雑誌などのいわゆる活字ジャーナリズムも
決してひけをとらない。
(中略)
「抜けるような白い肌」
「顔をそむけた」
「嬉しい悲鳴」
「大腸菌がウヨウヨ」
「冬が駆け足でやってくる」
「ポンと百万円」......
雪景色といえば「銀世界」
春といえば「ポカポカ」で、
かっこいい足はみんな「小鹿のよう」で、
涙は必ず「ポロポロ」流す。
(中略)
ピッチャーの豪速球は「唸るよう」であり、
痛烈なゴロの打球は「地を這うよう」であり、
外野からの返球は「矢のよう」であり、
ライナー性のホームランは必ずスタンドに「突き刺さる」のだ。
ボクシングやプロレスリングといった格闘技には
血はつきものだが、
少しでも出血すると「血みどろ」になり、
「流血の死闘」になってしまう。
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たとえ一瞬のうちに了解し会えるような男と巡り合わなくとも、
自分が死んだ時には、
「死んじまって嬉しいぜ、この馬鹿野郎が!」
といってくれる友人を、1人くらい持ちたいものだと思う。
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このエイプリル・フールが
日本で下火になって来た理由のひとつは、
それが商業上の利益と直接的に結びついていないからという点に
求められるかもしれない。
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「あの......雨ニモマケズ、風ニモマケズ......
っていう詩があるでしょ」
「宮沢賢治の、あの有名な?」
「そう」
「その詩がどうかしたの」
「あれ、どういう詩だっけ」
「どういう詩って言われても......」
私が少し口ごもると、
陽水がもっとわかりやすい質問の仕方をしてくれた。
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人はいつ青年になるのか。
それは恐らく、
年齢でもなく結婚でもなく、
彼が生命保険に加入した時なのではあるまいか。
============================
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何かに向かって懸命に走っていた人が、
ある日、
不意に周囲の風景に眼がいくようになり、
見る見るスピードが鈍ってくる。
私もそのようなスポーツマンや芸人を何人となく見て来た。
鈍るだけでなく、
ついには立ち止まってしまう人もいた。
確かにスピードをゆるめると、
周囲のすべてが美しく、なつかしく見えることがある。
耳元を通り過ぎる風の音が聞こえ、
色までが見えてくる。
しかし、その色をみることは走ることにとっても
決して無駄ではないはずなのだ。
問題は、
ひとたび風を見た人が、
どうしたら再び走れるようになるかということなのだ。
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競馬はまったくやらないが、
一度だけ自ら馬券を買ったことがある。
(中略)
「勝った!」
(中略)
自分では覚えていないのだが、
その時、私ままずこんなことを言ったという。
「どうだい、俺の馬は強いだろう」
東京に帰ると、友人達から盛んに冷やかされた。
「まったく強かったな。俺の馬は」
(中略)
既に私の気持ちの中では彼は「俺の馬」だったのだ。
それ以来、まったく馬券を買ったことがない。
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私はシンデレラの物語をきちんと読んだことがない。
そのせいだろうか、
あれがハッピー・エンドのオハナシだとは
どうしても信じられないのだ。
(中略)
一方、シンデレラ・ボーイという言葉には、
一種独特の危うさが感じられる。
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するとその場にいた親友も調子を合わせて監督を皮肉るのだ。
「あなたに会うまえは、その映画が気に入ったかいらないか、
いつも自分でわかっていたのよ。
ところがどうでしょう。
いまじゃ気にいっていいものかどうか
考えなくちゃならないのよ!」
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先日、女優の薬師丸ひろ子と話す機会があった。
(中略)
よほど私の顔に変な力が入っていたらしく、
カメラマンがいった。
「少し硬いですね、自然に、もっと自然に」
私は急におかしくなり、
彼女に小声で囁(ささや)いた。
「カメラに向かって一番自然なのは、
僕みたいに硬くなることなんですよね。
自然らしいのは最も不自然だと思いますけどね。
らしく粧(よそお)ってるんですから」
すると、
彼女も微(かす)かに笑いながらこういった。
「本当ですね。
でも、私もカメラを向けられると、
それらしく粧(よそお)うようになってしまいました。
少し寂しいですけど......」
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「暖炉の火って、いいなぁ」
と《彼》が言った。
「いいですね」
と私も言った。
(中略)
その炎に眼をやったまま、
《彼》がひとりごとのように言った。
「火っていいもんですね。
こんなに人間が和むものってないんじゃないかな」
「吸い寄せられそうな気がしますね」
「火に惹かれるというのは人間の本能じなんじゃないですかね」
「少なくとも、体や心の奥の方のものに繋がっていますね」
と、私が言うと、
《彼》は熱い口調で喋りはじめた。
(中略)
「暖炉の火って、いいいなぁ」
と高倉健はまた言った。
「いいですね」
と私もまた言った。
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かりに誰かからお前を二十歳の頃にもどしてあげると言われても、
おそらく私は遠慮させてもらうだろうが、
あの頃の黒光りするような退屈の中で
もう一度だけ身を焦がしてみたいものだと思うことはある。
私が友人にそう言うと、
彼はつまならそうに呟いた。
「それは、退屈がおまえさんの趣味だっていうだけのことさ」
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しかし山田洋次がえんえんと作りつづけている
「男はつらいよ」は、
まさによく役に立つ湯呑み茶碗と同じような意味を持つ
映画なのではあるまいか、
と今の私には思えてならない。
誰の手にもよく馴染み、呑みやすく、
しかも割れたからといって大騒ぎせずにすむ茶碗。
そうだとすれば、
これほど「役に立つ」ものを作りつづけている職人に対して、
作るのをやめろなどというのは、
はなはだしい思い違いだったということになる。
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人は死に、本が残された。
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バーボンと決めるまで、
私の飲む酒は一定していなかった。
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