よーやく、最近、
このブログでも胸を張って言えるようになったことに
「立つ」
ということがあるのです。
実は僕さん、この「立つ」ということを
めっぽう研鑽していた時期というのがありまして。
その時期はそれまで一度も考えたことの無かった
「正しく立つとはどういうことか」
ということを日々研究し、試行錯誤し、
トレーニングや確認を自己満足的にし続けていたのです。
この間、何が正しいのか?
ひどくこんがらがっていた僕さんの妙な話に
付き合ってもらった友達も数知れず。
このブログを見てくれている方々にも
相当数いらっしゃるかと思いまする。
ええ。ええ。
かなり申し訳なし。ごめんなさひ。
そんなバカげた!?ことをやり始めたキッカケとなると
「ガラスの靴の物語」
という過去記事に記している通りなのですが。
その記事にある出来事がきっかけで
「つま先で歩く」ということをしだしたら、
その時から
「そもそも、
僕さんはちゃんと立てていないのではないか?」
なんてことに感覚や思いが及んでいき。
そこから今日に至るまで長々と
研究を重ねて来ていたというわけなのです。
アホでつ(*´ω`*)ポ♡
で、自分自身で納得出来る形が見えてきたのは、
まだつい最近のことでして。
「ようやく立つというコトがわかったかな、、」
と、そう思いながら暮らせるようになったのでやんす。
しかも、そーなると不思議なもので。
「正しく歩くというのはこういうことなのね!」
なんていう境地にも入ることが出来るようでして。
そりわもう、それ以前とは雲泥の差で
「歩き方」も身についてくるのでございます。
そして、そんなことがわかると、
それまでの自分はなんて無知だったのか、とか。
浅はかだったのか、とか。
ノリだけで歩き立っていたのか、とか。
少々の自己嫌悪に陥ることもあったりしたのですが。
とにかくそんなことを長く続けていたら、
最近は体が生まれ変わったかのように軽々しく。
ウエストが妙に細くなって。
「立つ」や「歩く」ということが如何に基本的なことで、
大切なことであり、
形を間違えがちなことでもあるということを
強く再認識もしているわけなのです。
そんなふうに学んだことのニュアンスを少しだけ記すと、
立ち方で大切なことは足裏のバランスでして。
特に両足の親指を安定して上方に大きく上げたり、
自在に動かすことができるバランス感が肝要であるかと。
歩き方で大切に思うのは足裏の母指球と小指球。
先ずはそのポイントを意識し、理解をすること。
そして、その上で、地面に足裏のどこからつくのか。
踵(かかと)でないことは明白。
単につま先からでもないということも明白。
母指球でも無く、
限りなく小指球に近い位置から着くのですが、
小指球ということでもなく。
歩く時に腰骨が円を描くように正しく回りながら動くと、
小指球の外側後方から「横アーチ」と言われる部分全体にかけて
着地するようになり。
カカトはほとんど下に着くことも無く、
腰への衝撃などは微塵も無くなります。
ぴょこぴょこと歩くような感じ。
しかも、
歩くたびに腸腰筋(ちょうようきん)と呼ばれる筋肉を
しっかり使う形にもなるので、そのあたりの筋肉も、
ヒザ周りや太モモや腰や腹筋周りの筋肉も「自然と」使われ、
整っていきます。
インナーマッスルも同様で、
その辺が強く鍛えられていく感覚が歩くたびに
自分自身で明瞭に感じ取ることが出来ます。
面白いもので、
そんなふうに正しく歩けるようになると、
それ以前のカカトから地面に着くような、
衝撃が腰に直で響くような歩き方は完全にオプションへと追いやられ。
デフォルトが変わり。
カカトは乗り物で言えばブレーキとして使えるようにもなります。
当然、靴裏の擦り減る場所も変化して、
カカトやつま先部分が減るようなことも全く無く。
そんな諸々の線上に浮き出てくるのは、
歩く時に使う筋肉が、
走る際に使う足や全身の筋肉とも完全一致してくるという事実と感覚。
歩くことと、
走ることの差が無くなっていくのです。
どこの筋肉が重要で、鍛えておくと良いのか、とか。
モモ裏のハムストリングの柔軟性はどこからきているのか、とか。
そういった微細な筋繊維の感覚も自らよく解るようになって、
トレーニングも効果的に出来るようになります。
今更ですけど、すごいんすの。
そんな立ち方や歩き方をマスターをしていく過程で
個人的に一番参考になったのは、
いわゆる「新体操競技」における「平均台」の上での
選手の身のこなしや歩き方でして。
アレほど細く、高く、不安定でバランスもとりにくい、
歩きにくくもある状況で選手達はどのように安定的に歩いているのか。
動いているのか。
それこそが悩める僕さんに最大のインスピレーションを
与えてくれたものでした。
そして、正しい歩き方や立ち方が出来てくると、
何より変わるのは呼吸であったりしまして。
体の中の息の通り方も変わりますし、
そんな息が通るということを感じ取る感覚も磨かれます。
そこから顔や顎の筋肉の硬さや、
身体の気になる部分も明確化してきて、
その部位が自然と変革努力を要求してきたりもします。
同じように首や肩、肩甲骨や股関節などにおいても
必要な柔軟性やズレている筋繊維などが明確化してきて、
自らにほぐしや柔軟性を求めてきます。
立ち方がわかり、歩き方が正しくなると、
左右前後の筋力や柔軟性のバランスも取りやすくもなります。
先ずは「正しく立つ」ということ。
次に「正しく歩く」ということ。
それが基本だということ。
ソレをイイトシこいてようやく体で理解した!
という今日この頃。
冬も深まってきまして。
最近は雪のたよりもチラホラと......
おもむろにスキー板を持ち出して、
ワックスを掛けだす能天気な僕さん。
ふふふ......
今年の僕さんのフィジカルわひと味違うぜ☆
待ってろ!
白銀世界!( ̄+ー ̄)キラー―ン
このブログでも胸を張って言えるようになったことに
「立つ」
ということがあるのです。
実は僕さん、この「立つ」ということを
めっぽう研鑽していた時期というのがありまして。
その時期はそれまで一度も考えたことの無かった
「正しく立つとはどういうことか」
ということを日々研究し、試行錯誤し、
トレーニングや確認を自己満足的にし続けていたのです。
この間、何が正しいのか?
ひどくこんがらがっていた僕さんの妙な話に
付き合ってもらった友達も数知れず。
このブログを見てくれている方々にも
相当数いらっしゃるかと思いまする。
ええ。ええ。
かなり申し訳なし。ごめんなさひ。
そんなバカげた!?ことをやり始めたキッカケとなると
「ガラスの靴の物語」
という過去記事に記している通りなのですが。
その記事にある出来事がきっかけで
「つま先で歩く」ということをしだしたら、
その時から
「そもそも、
僕さんはちゃんと立てていないのではないか?」
なんてことに感覚や思いが及んでいき。
そこから今日に至るまで長々と
研究を重ねて来ていたというわけなのです。
アホでつ(*´ω`*)ポ♡
で、自分自身で納得出来る形が見えてきたのは、
まだつい最近のことでして。
「ようやく立つというコトがわかったかな、、」
と、そう思いながら暮らせるようになったのでやんす。
しかも、そーなると不思議なもので。
「正しく歩くというのはこういうことなのね!」
なんていう境地にも入ることが出来るようでして。
そりわもう、それ以前とは雲泥の差で
「歩き方」も身についてくるのでございます。
そして、そんなことがわかると、
それまでの自分はなんて無知だったのか、とか。
浅はかだったのか、とか。
ノリだけで歩き立っていたのか、とか。
少々の自己嫌悪に陥ることもあったりしたのですが。
とにかくそんなことを長く続けていたら、
最近は体が生まれ変わったかのように軽々しく。
ウエストが妙に細くなって。
「立つ」や「歩く」ということが如何に基本的なことで、
大切なことであり、
形を間違えがちなことでもあるということを
強く再認識もしているわけなのです。
そんなふうに学んだことのニュアンスを少しだけ記すと、
立ち方で大切なことは足裏のバランスでして。
特に両足の親指を安定して上方に大きく上げたり、
自在に動かすことができるバランス感が肝要であるかと。
歩き方で大切に思うのは足裏の母指球と小指球。
先ずはそのポイントを意識し、理解をすること。
そして、その上で、地面に足裏のどこからつくのか。
踵(かかと)でないことは明白。
単につま先からでもないということも明白。
母指球でも無く、
限りなく小指球に近い位置から着くのですが、
小指球ということでもなく。
歩く時に腰骨が円を描くように正しく回りながら動くと、
小指球の外側後方から「横アーチ」と言われる部分全体にかけて
着地するようになり。
カカトはほとんど下に着くことも無く、
腰への衝撃などは微塵も無くなります。
ぴょこぴょこと歩くような感じ。
しかも、
歩くたびに腸腰筋(ちょうようきん)と呼ばれる筋肉を
しっかり使う形にもなるので、そのあたりの筋肉も、
ヒザ周りや太モモや腰や腹筋周りの筋肉も「自然と」使われ、
整っていきます。
インナーマッスルも同様で、
その辺が強く鍛えられていく感覚が歩くたびに
自分自身で明瞭に感じ取ることが出来ます。
面白いもので、
そんなふうに正しく歩けるようになると、
それ以前のカカトから地面に着くような、
衝撃が腰に直で響くような歩き方は完全にオプションへと追いやられ。
デフォルトが変わり。
カカトは乗り物で言えばブレーキとして使えるようにもなります。
当然、靴裏の擦り減る場所も変化して、
カカトやつま先部分が減るようなことも全く無く。
そんな諸々の線上に浮き出てくるのは、
歩く時に使う筋肉が、
走る際に使う足や全身の筋肉とも完全一致してくるという事実と感覚。
歩くことと、
走ることの差が無くなっていくのです。
どこの筋肉が重要で、鍛えておくと良いのか、とか。
モモ裏のハムストリングの柔軟性はどこからきているのか、とか。
そういった微細な筋繊維の感覚も自らよく解るようになって、
トレーニングも効果的に出来るようになります。
今更ですけど、すごいんすの。
そんな立ち方や歩き方をマスターをしていく過程で
個人的に一番参考になったのは、
いわゆる「新体操競技」における「平均台」の上での
選手の身のこなしや歩き方でして。
アレほど細く、高く、不安定でバランスもとりにくい、
歩きにくくもある状況で選手達はどのように安定的に歩いているのか。
動いているのか。
それこそが悩める僕さんに最大のインスピレーションを
与えてくれたものでした。
そして、正しい歩き方や立ち方が出来てくると、
何より変わるのは呼吸であったりしまして。
体の中の息の通り方も変わりますし、
そんな息が通るということを感じ取る感覚も磨かれます。
そこから顔や顎の筋肉の硬さや、
身体の気になる部分も明確化してきて、
その部位が自然と変革努力を要求してきたりもします。
同じように首や肩、肩甲骨や股関節などにおいても
必要な柔軟性やズレている筋繊維などが明確化してきて、
自らにほぐしや柔軟性を求めてきます。
立ち方がわかり、歩き方が正しくなると、
左右前後の筋力や柔軟性のバランスも取りやすくもなります。
先ずは「正しく立つ」ということ。
次に「正しく歩く」ということ。
それが基本だということ。
ソレをイイトシこいてようやく体で理解した!
という今日この頃。
冬も深まってきまして。
最近は雪のたよりもチラホラと......
おもむろにスキー板を持ち出して、
ワックスを掛けだす能天気な僕さん。
ふふふ......
今年の僕さんのフィジカルわひと味違うぜ☆
待ってろ!
白銀世界!( ̄+ー ̄)キラー―ン