物部氏とは一体、何なのでしょうか?
「物部=ものべ=もののべ」
モノを延べる、伸ばす、そんな氏族です。
ではその「モノ」とは何か?
勿論、古代から現代に至るまで重要かつ力のある「モノ」とは何か。
「もののけ」の語源とも何か関わりがあるのではないか?
次回は、やっとこさ、そんな物部氏の話になるのでしょうか。
このブログでは3年越し!?となる様な話。
そんなことを次回は少し記してみようかと思います。
「鳥海山で遊んできまちた!ヾ= ̄∇ ̄)ノ ♪」
というお話からこんなトコロまで来てしまいましたが......
日本の古代史や神道、時にパワースポット好き!?
な方々からも様々なところで、様々なことを、
様々な角度から語られ、
探られもしてきた氏族というのが物部氏になります。
ソコにはあまりに多くの解釈や考え方があるので、
中でもココでは最大公約数的で、
故にきっと事実でもあったであろう部分だけをシンプルに
書き記しておこうと思います。
その意味において、
物部氏とは、
今でいう「軍産複合体」のことだと思います。
以上!
終わり!
レレッ!?Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
.......って、まぁ、でも、
それだけでも十分な理解ではないかと僕は思います。
これ以上に掘り下げたい方には、
今や「その道」用の様々な本や研究書も出てまくってますし。
ちなみに辞書では「軍産複合体」のことはこう記されています。
「Military-industrial complexのこと。
軍需産業を中心とした私企業と軍隊、
および政府機関が形成する政治的、経済的、
軍事的な勢力の連合体を指す概念である」
完璧!( ´ ▽ ` )ノ
やぱーりこのまんま!物部氏!
だと思います。(^^)
現在の日本政府で言えば防衛省と文部科学省、
それに宮内庁迄もが一緒になった組織、氏族といったところでしょうか。
なので、政府高官や武将がお出かけするところ、
国が何らかの目的を持って軍を派遣するところの全てに
物部氏というのは付き添っていたハズです。
その地位は当然、高官や武将を支える最右翼。
部隊をコントロールする軍師的地位でもあったハズです。
物部とは物を伸べる、延ばす......などと冒頭に書き記しましたが、
古代、戦いにおける最大、最強の武器とは剣(つるぎ)であり
時代的にはその素材も青銅から鉄へ移行していった時代。
この頃大陸では既に使われていたであろう先進の鉄製武器の数々。
その製造技術。
物部氏には大陸から渡ってきた技術者の集団が含まれていたことは
誰でも容易に想像できます。
その先端の知識や技術で戦で必要な剣や槍、
その他様々な武器や武具をトンテンカンテン......と、
製鉄から鍛冶職人さんの職務範囲までカバーし、
武器製造工場的なプラットフォームも有していたのが
物部氏なのだと思われます。
この武器を創出し、
原料の鉱脈等をも保持していた氏族が日本国の創成期で
とてつも無い力を持っていたということも簡単に想像できます。
して、以前、同じような話を記したことがありました......
そうです。
僕がカラスに襲われた話......ではなく、
「ヤマトタケルの秘密」の話です。
物部氏というのは、
その「ヤマトタケル」の系譜にも位置するわけです。
王族の武神に従う軍部筆頭。エリートの系譜。
当然、一人ではありません。
〇〇方面司令部に対して1部隊、1隊長が必ずいたハズですし、
付いていたハズです。
その中には
「諏訪方面」に追いやられた武将について行った物部もいたでしょう。
東北地区、日本海側の
「鳥海山近く」
に遠征に行った王につき添った司令官たる物部もいたでしょう。
原初日本国の軍事的拠点があったと思われる所の全てに、
何らかの物部の痕跡があるというのはこういうことです。
こんな物部氏が受け継いだ「力の系譜」をザッと記せば、
この国を最初に統合していった偉大なる大王=スサノオと、
その直系の御子達である「八王子=ニギハヤヒ、イソタケル......他」
に伴随した軍のトップが起源と思われます。
スサノオ(素戔嗚)亡き後、王位は大和や中部、
関東から東北まで治めていたニギハヤヒが継承。
その後、そのニギハヤヒの系譜で王位は続くものの、それも途絶えます。
年代的には西暦140年から180年あたりにかけてでしょうか。
この時、中国の多くの書に「倭国大乱」と残されているように、
初代大和の王ニギハヤヒの王朝の後継問題に揺れた日本は大乱に陥ります。
海外の書物によれば、この大乱を治めたのは「女王」。
おそらく、九州におけるスサノオの系譜。
スサノオが九州を併合する際に政略的に結婚した九州での妻
「卑弥呼」の一派。
後継者争いは建国の祖、
大王スサノオに関わる系譜でなければ治まらなかったのでしょう。
原初物部氏もここで改めて新女王を立て、
武や物品を司る裏方として新たな国づくりを進めていったことが想像できます。
これが第二期大和王朝。
大乱を治めた九州勢は自らの系譜を
最初に国を作った神の系譜から塗り替えるべく、
最初の日本国の歴史改ざんをしたのかもしれません。
神は九州から大和に、東へと渡ってきたのだ......と。
そして初代天皇「神武=ジンム」は、
実はスサノオの九州国の妻との間に生まれた子供の子孫。
しかし、前ニギハヤヒ王朝の痕跡を消すには、
その父スサノオの事もまた一部打ち消さないといけない。
神武は卑弥呼であり天照大神の直系の血筋としたい。
天から地上に降りた神の系譜なのだ......と。
この国は我より始まるのだ......と。
そうしたい。
歴史はそんな事情によってこの時に書き換えられたように感じます。
この時も原初物部氏は軍部として、
また「まじない」の集団として新王家に追随していたと思います。
しかしこの時、
既に日本各地にしっかりと刻まれていた建国の歴史と
建国の神々の名を新政権の足跡へ塗り替えるために、
新政権の軍は「ヤマトタケル」と命名され、
ニギハヤヒやイソタケル、
スサノオらを祀る全国の神社や祭神名を塗り替えんがために
アチコチへと行脚していくこととなります。
その時の「新政権軍=ヤマトタケル軍総司令本部」そのものも、
また、原初の物部氏であったと思われます。
それ以降の大和朝廷に関しては、
大体が教科書にあるような歩みであったと思いますが、
物部氏の始祖神がニギハヤヒ(饒速日)とされ、
初代はその御子である
「ウマシマジノミコト=宇摩志麻遅命」
とされているような部分にも、
上記したようなことが現れていると思います。
そして当時、
剣といえば祭祀で使われる重要な器具でもありました。
天地の理(ことわり)を神々から受けるアンテナのようなもの。
尊き神の印。裁きの印。
物部氏の氏神とされる奈良県、天理市の「石上神宮」に収められる宝剣
「七支刀=しちしとう」も、
その姿から武器としての剣では無いことは一目瞭然です。
それが物部氏の宝だったわけで。
当時の物理や天文、科学を総括していた
「呪い=マジナイ」ごとに関しても彼らが中心にいたことがわかります。
全てがモノを伸べる力......
鉄や青銅で剣や武器を作り出す先進の技術や力を持っていた故の
権力なのだと思います。
ウマシマジノミコトのウマシマジとは、
それら器具を使った
「上手い呪い(まじない)のできる人」
でもあります。
それは、
軍産複合の上に文部科学も合わされた強力な権力です。
「朝廷そのものの力」と言っても間違いはありません。
後年......それは、教科書的には聖徳太子の時代。
物部氏の絶大なる力は、
「仏教」を武器とした蘇我氏が民衆の心と共に
奪い取っていくことになったのです。
そういう意味では、
蘇我氏も藤原氏も葛城氏も加茂氏も、全て辿れば、
実は物部氏の系譜であるということも言えるかと思います。
それぞれ、様々な血が微妙に入り混じり、
違う氏族へと枝分かれしていきますが、
皆、この国を最初に治めていった「軍産呪複合体」の「部」に
遡っていけるのです。
さて、こちらのブログさんには、最近、
不思議なチカラやカンを持っていて......それも、
テレビになどには決して出ない、
本職でもって日々を懸命に駆け抜けている皆さんが不思議と
集まってくれていたりもします。
お金やエゴなどで汚れていない、
本物の透明なる力を持つ方々も多く集まってくれている気がします。
なので、ここで終わるとチョット物足りないでしょうから......
物部氏を語る最後は.......
「鉄」の話となるのでしょうか。
テツ。
物部氏の話の最後は、
次回、その「鉄」の話でまとめたく思います(^^)
出雲の先。
世界遺産「石見銀山」にほど近い所にある、
その名もズバリ!物部神社。
石見国(いわみこく)の一宮です。
異様な凄味がある龍さんから水が出る、
この神社の手水社は巨大な一枚岩。
しかも、「モノ」の神様らしく、なんと!
砂金入りの大岩!
「含金石」と言うそうです。
神社界屈指の!?手水社だと僕は思いますです。はい。
すごいパワーです。
5つの曲玉も彫り込まれていて。
それぞれ「浄の曲玉」「勝の曲玉」
「財の曲玉」「健の曲玉」「徳の曲玉」と呼ばれています。
水は境内にある御神井(井戸)から湧き出る御神水が引いてあって、
まぁ、この手水社だけで、この神社がハンパ無く特別だということが
誰にでも感じられると思います。
神紋も特別。超クール。
真っ赤な太陽を背負う鶴、通称「ひおい紋」。
渡り鳥ですから......
海を渡ってきた一族であるという意も込められているのでしょうか。
境内のあちこちにもツルさんがいます。
拝殿後ろの山は、
物部氏初代「ウマシマジノミコト」の墓陵とも伝わっています。
ここはちょっと入るだけで鳥肌がたってしまいます。
まさに異世界。
空間が捻じ曲がっているような感覚さえ受けます。
神社の裏手に隠されるように空いている、
わずかな隙間から山に入ることが出来るのですが、
この山ほど「結界」が強かった場所を僕は他に知りません。
ココに比べれば京都の晴明神社の結界などとても弱く感じます。
体全体が何メートルも遠くに飛ばされるほどの押し戻し感。異様な圧力。
流石に元祖!「うまいマジナイ師」の神社。
山中にあった祭壇はとてもじゃありませんが!
写真を載せられる様な感じではありません。
本来、父の築いた都、
奈良は大和の中心にあるべき墓陵がなぜこの地にあるのか?
ウマシマジの兄弟神とされる「天香山命=アメノカグヤマノミコト」も
新潟の彌彦神社(やひこじんじゃ)に祭られています。
アメノカグヤマノミコトという「大和三山」の名前にまでなっている神です。
そんな神が何故?新潟に?
おそらく、「倭国大乱」の後、
九州勢に王位を奪われたニギハヤヒ直系の子孫は
左遷的な扱いを受けたのでしょう。
それぞれ鉱物資源や農産物等の要害地の管理へと、
中央から回されたように思います。
こんなことも、
いつの時代も人は変わらない様なことをやっているのだな......
とも思いますが。
しかし彼らは、それぞれ移り住んだ地で偉大な痕跡を残します。
地元の人々に先進の知識や技術を伝え、その地を栄えさせました。
今もって栄える其々の神社を目にすれば、
それは手に取るようにわかります。
流石!ニギハヤヒの息子さんたちです。(^^)
流石!スサノオさんの系譜。
やはり凄いな......と。
僕はいつもそんなことを感じさせられるわけでございます。
天皇家が宮中で今も執り行っている「鎮魂祭」という儀式は、
実は全国でもこの上記二社に加え、
物部氏の氏神である石上神宮の三社だけで執り行われています。
何故?
どうして?
天皇家は数千年にわたってその儀を粛々と行い続けているのでしょうか......
鎮魂とは?
王位を奪う形となってしまった初代大和国王の魂に捧げるため?
なのでしょうか......
その辺りにも隠された秘密や、
少々興味深いモノがある様に思います。(^^)
「物部=ものべ=もののべ」
モノを延べる、伸ばす、そんな氏族です。
ではその「モノ」とは何か?
勿論、古代から現代に至るまで重要かつ力のある「モノ」とは何か。
「もののけ」の語源とも何か関わりがあるのではないか?
次回は、やっとこさ、そんな物部氏の話になるのでしょうか。
このブログでは3年越し!?となる様な話。
そんなことを次回は少し記してみようかと思います。
「鳥海山で遊んできまちた!ヾ= ̄∇ ̄)ノ ♪」
というお話からこんなトコロまで来てしまいましたが......
日本の古代史や神道、時にパワースポット好き!?
な方々からも様々なところで、様々なことを、
様々な角度から語られ、
探られもしてきた氏族というのが物部氏になります。
ソコにはあまりに多くの解釈や考え方があるので、
中でもココでは最大公約数的で、
故にきっと事実でもあったであろう部分だけをシンプルに
書き記しておこうと思います。
その意味において、
物部氏とは、
今でいう「軍産複合体」のことだと思います。
以上!
終わり!
レレッ!?Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
.......って、まぁ、でも、
それだけでも十分な理解ではないかと僕は思います。
これ以上に掘り下げたい方には、
今や「その道」用の様々な本や研究書も出てまくってますし。
ちなみに辞書では「軍産複合体」のことはこう記されています。
「Military-industrial complexのこと。
軍需産業を中心とした私企業と軍隊、
および政府機関が形成する政治的、経済的、
軍事的な勢力の連合体を指す概念である」
完璧!( ´ ▽ ` )ノ
やぱーりこのまんま!物部氏!
だと思います。(^^)
現在の日本政府で言えば防衛省と文部科学省、
それに宮内庁迄もが一緒になった組織、氏族といったところでしょうか。
なので、政府高官や武将がお出かけするところ、
国が何らかの目的を持って軍を派遣するところの全てに
物部氏というのは付き添っていたハズです。
その地位は当然、高官や武将を支える最右翼。
部隊をコントロールする軍師的地位でもあったハズです。
物部とは物を伸べる、延ばす......などと冒頭に書き記しましたが、
古代、戦いにおける最大、最強の武器とは剣(つるぎ)であり
時代的にはその素材も青銅から鉄へ移行していった時代。
この頃大陸では既に使われていたであろう先進の鉄製武器の数々。
その製造技術。
物部氏には大陸から渡ってきた技術者の集団が含まれていたことは
誰でも容易に想像できます。
その先端の知識や技術で戦で必要な剣や槍、
その他様々な武器や武具をトンテンカンテン......と、
製鉄から鍛冶職人さんの職務範囲までカバーし、
武器製造工場的なプラットフォームも有していたのが
物部氏なのだと思われます。
この武器を創出し、
原料の鉱脈等をも保持していた氏族が日本国の創成期で
とてつも無い力を持っていたということも簡単に想像できます。
して、以前、同じような話を記したことがありました......
そうです。
僕がカラスに襲われた話......ではなく、
「ヤマトタケルの秘密」の話です。
物部氏というのは、
その「ヤマトタケル」の系譜にも位置するわけです。
王族の武神に従う軍部筆頭。エリートの系譜。
当然、一人ではありません。
〇〇方面司令部に対して1部隊、1隊長が必ずいたハズですし、
付いていたハズです。
その中には
「諏訪方面」に追いやられた武将について行った物部もいたでしょう。
東北地区、日本海側の
「鳥海山近く」
に遠征に行った王につき添った司令官たる物部もいたでしょう。
原初日本国の軍事的拠点があったと思われる所の全てに、
何らかの物部の痕跡があるというのはこういうことです。
こんな物部氏が受け継いだ「力の系譜」をザッと記せば、
この国を最初に統合していった偉大なる大王=スサノオと、
その直系の御子達である「八王子=ニギハヤヒ、イソタケル......他」
に伴随した軍のトップが起源と思われます。
スサノオ(素戔嗚)亡き後、王位は大和や中部、
関東から東北まで治めていたニギハヤヒが継承。
その後、そのニギハヤヒの系譜で王位は続くものの、それも途絶えます。
年代的には西暦140年から180年あたりにかけてでしょうか。
この時、中国の多くの書に「倭国大乱」と残されているように、
初代大和の王ニギハヤヒの王朝の後継問題に揺れた日本は大乱に陥ります。
海外の書物によれば、この大乱を治めたのは「女王」。
おそらく、九州におけるスサノオの系譜。
スサノオが九州を併合する際に政略的に結婚した九州での妻
「卑弥呼」の一派。
後継者争いは建国の祖、
大王スサノオに関わる系譜でなければ治まらなかったのでしょう。
原初物部氏もここで改めて新女王を立て、
武や物品を司る裏方として新たな国づくりを進めていったことが想像できます。
これが第二期大和王朝。
大乱を治めた九州勢は自らの系譜を
最初に国を作った神の系譜から塗り替えるべく、
最初の日本国の歴史改ざんをしたのかもしれません。
神は九州から大和に、東へと渡ってきたのだ......と。
そして初代天皇「神武=ジンム」は、
実はスサノオの九州国の妻との間に生まれた子供の子孫。
しかし、前ニギハヤヒ王朝の痕跡を消すには、
その父スサノオの事もまた一部打ち消さないといけない。
神武は卑弥呼であり天照大神の直系の血筋としたい。
天から地上に降りた神の系譜なのだ......と。
この国は我より始まるのだ......と。
そうしたい。
歴史はそんな事情によってこの時に書き換えられたように感じます。
この時も原初物部氏は軍部として、
また「まじない」の集団として新王家に追随していたと思います。
しかしこの時、
既に日本各地にしっかりと刻まれていた建国の歴史と
建国の神々の名を新政権の足跡へ塗り替えるために、
新政権の軍は「ヤマトタケル」と命名され、
ニギハヤヒやイソタケル、
スサノオらを祀る全国の神社や祭神名を塗り替えんがために
アチコチへと行脚していくこととなります。
その時の「新政権軍=ヤマトタケル軍総司令本部」そのものも、
また、原初の物部氏であったと思われます。
それ以降の大和朝廷に関しては、
大体が教科書にあるような歩みであったと思いますが、
物部氏の始祖神がニギハヤヒ(饒速日)とされ、
初代はその御子である
「ウマシマジノミコト=宇摩志麻遅命」
とされているような部分にも、
上記したようなことが現れていると思います。
そして当時、
剣といえば祭祀で使われる重要な器具でもありました。
天地の理(ことわり)を神々から受けるアンテナのようなもの。
尊き神の印。裁きの印。
物部氏の氏神とされる奈良県、天理市の「石上神宮」に収められる宝剣
「七支刀=しちしとう」も、
その姿から武器としての剣では無いことは一目瞭然です。
それが物部氏の宝だったわけで。
当時の物理や天文、科学を総括していた
「呪い=マジナイ」ごとに関しても彼らが中心にいたことがわかります。
全てがモノを伸べる力......
鉄や青銅で剣や武器を作り出す先進の技術や力を持っていた故の
権力なのだと思います。
ウマシマジノミコトのウマシマジとは、
それら器具を使った
「上手い呪い(まじない)のできる人」
でもあります。
それは、
軍産複合の上に文部科学も合わされた強力な権力です。
「朝廷そのものの力」と言っても間違いはありません。
後年......それは、教科書的には聖徳太子の時代。
物部氏の絶大なる力は、
「仏教」を武器とした蘇我氏が民衆の心と共に
奪い取っていくことになったのです。
そういう意味では、
蘇我氏も藤原氏も葛城氏も加茂氏も、全て辿れば、
実は物部氏の系譜であるということも言えるかと思います。
それぞれ、様々な血が微妙に入り混じり、
違う氏族へと枝分かれしていきますが、
皆、この国を最初に治めていった「軍産呪複合体」の「部」に
遡っていけるのです。
さて、こちらのブログさんには、最近、
不思議なチカラやカンを持っていて......それも、
テレビになどには決して出ない、
本職でもって日々を懸命に駆け抜けている皆さんが不思議と
集まってくれていたりもします。
お金やエゴなどで汚れていない、
本物の透明なる力を持つ方々も多く集まってくれている気がします。
なので、ここで終わるとチョット物足りないでしょうから......
物部氏を語る最後は.......
「鉄」の話となるのでしょうか。
テツ。
物部氏の話の最後は、
次回、その「鉄」の話でまとめたく思います(^^)
出雲の先。
世界遺産「石見銀山」にほど近い所にある、
その名もズバリ!物部神社。
石見国(いわみこく)の一宮です。
異様な凄味がある龍さんから水が出る、
この神社の手水社は巨大な一枚岩。
しかも、「モノ」の神様らしく、なんと!
砂金入りの大岩!
「含金石」と言うそうです。
神社界屈指の!?手水社だと僕は思いますです。はい。
すごいパワーです。
5つの曲玉も彫り込まれていて。
それぞれ「浄の曲玉」「勝の曲玉」
「財の曲玉」「健の曲玉」「徳の曲玉」と呼ばれています。
水は境内にある御神井(井戸)から湧き出る御神水が引いてあって、
まぁ、この手水社だけで、この神社がハンパ無く特別だということが
誰にでも感じられると思います。
神紋も特別。超クール。
真っ赤な太陽を背負う鶴、通称「ひおい紋」。
渡り鳥ですから......
海を渡ってきた一族であるという意も込められているのでしょうか。
境内のあちこちにもツルさんがいます。
拝殿後ろの山は、
物部氏初代「ウマシマジノミコト」の墓陵とも伝わっています。
ここはちょっと入るだけで鳥肌がたってしまいます。
まさに異世界。
空間が捻じ曲がっているような感覚さえ受けます。
神社の裏手に隠されるように空いている、
わずかな隙間から山に入ることが出来るのですが、
この山ほど「結界」が強かった場所を僕は他に知りません。
ココに比べれば京都の晴明神社の結界などとても弱く感じます。
体全体が何メートルも遠くに飛ばされるほどの押し戻し感。異様な圧力。
流石に元祖!「うまいマジナイ師」の神社。
山中にあった祭壇はとてもじゃありませんが!
写真を載せられる様な感じではありません。
本来、父の築いた都、
奈良は大和の中心にあるべき墓陵がなぜこの地にあるのか?
ウマシマジの兄弟神とされる「天香山命=アメノカグヤマノミコト」も
新潟の彌彦神社(やひこじんじゃ)に祭られています。
アメノカグヤマノミコトという「大和三山」の名前にまでなっている神です。
そんな神が何故?新潟に?
おそらく、「倭国大乱」の後、
九州勢に王位を奪われたニギハヤヒ直系の子孫は
左遷的な扱いを受けたのでしょう。
それぞれ鉱物資源や農産物等の要害地の管理へと、
中央から回されたように思います。
こんなことも、
いつの時代も人は変わらない様なことをやっているのだな......
とも思いますが。
しかし彼らは、それぞれ移り住んだ地で偉大な痕跡を残します。
地元の人々に先進の知識や技術を伝え、その地を栄えさせました。
今もって栄える其々の神社を目にすれば、
それは手に取るようにわかります。
流石!ニギハヤヒの息子さんたちです。(^^)
流石!スサノオさんの系譜。
やはり凄いな......と。
僕はいつもそんなことを感じさせられるわけでございます。
天皇家が宮中で今も執り行っている「鎮魂祭」という儀式は、
実は全国でもこの上記二社に加え、
物部氏の氏神である石上神宮の三社だけで執り行われています。
何故?
どうして?
天皇家は数千年にわたってその儀を粛々と行い続けているのでしょうか......
鎮魂とは?
王位を奪う形となってしまった初代大和国王の魂に捧げるため?
なのでしょうか......
その辺りにも隠された秘密や、
少々興味深いモノがある様に思います。(^^)
ニギハヤヒ様が存在したのは、思ったより現代に近い時代だったのですね(◎-◎)
時間は、有って無いようなものなのかもしれませんが。
“マジナイ”の話は興味深いです。
祝詞なども関係してくるのかなぁと、想像したりしています。
少し前に、とある意味のある旋律を聴く機会がありました。
そこでの集まりで、突然、スサノオ様、クシナダヒメ様、ニギハヤヒ様のお話が出てきてビックリΣ(゜Д゜)
その旋律に関係があるようでした。
そのような情報を知らずに行ったので、またまたご縁を感じましたが。
祝詞とは違うものでしたが、旋律が~という部分では、似ている感じがしました。
やはり、周波数や波動などでしょうね。波動療法のようなものが、どんどん広まる世界になるといいのですが(*^^*)
その時に、お三方のゆかりのある奈良の神社の名前もいくつか出てきました。
日本は、興味深い土地だらけですね。
次回の鉄のお話も、楽しみにしています(^-^)
このデータを元にすると古代では少なくとも100年で8〜10人の天皇が変わっている可能性があります。記紀が書かれた西暦700年代以前から紀元までの間を単純計算しても70人程度の天皇がいる可能性もあるということです。
上記データや歴史書を元に同大学研究室が推定する初代天皇「神武」の在位年数は西暦280年から300年の間ぐらい。
仮に事実がこの推定年に近いとして、神武以前、ニギハヤヒが王として君臨していた思われる紀元20年前後辺りまでは約300年、少なくとも30人程度の王がいた可能性が高くあります。
神武からニギハヤヒ迄遡ったとしても十分過ぎる!?年数だとも思います(^^)記紀と照らし合わせても十分以上。
「神話」という形で表現され見聞きしてしまうと年代の印象やイメージはソレナリに影響を受けてしまうかもしれません。
勿論、記紀はそこ迄もちゃんと考えられて書かれてるとも思いますが。。タチの悪いことに。。
誰かが何かの意図を持って仕組む演出には「何事にも」いつも注意が必要だと思います(^^)
ありがとうございます(^-^)
そうですね。見極めは、とても難しい(>_
そうですね。見極めは、とても難しい(>_
オハズカシイ…。。
とにかく、今回も、ありがとうございました(*^^*)
ありがとうございます。おやすみなさい!
セーマン ドーマンで###
はじめまして。
nonahouseのM子さんと何度かやりとりをしていて、Iさんの物部氏の記事を教えて頂きました。
私は過去世に機織の少女の記憶があり、坂上田村麻呂に助けてもらったということがM子さんを通じてわかりました。
その時はとても驚きました!
その時、タタラの物部という子に保護されていたようで(これは私の記憶なのだとおもいますが)いつもそばに物部氏がいたのは、ニギハヤヒだから、と確信しました。
物部氏の軍事力と、機織の記憶と重なる部分が多いと思いながら読ませて頂きました。
戦車と機織は、大陸からもたらされたものらしいですが、いろいろな世界が紐解かれて、いまもエミシの地で楽しんでいます。
骨寺村の話は参考になりました。
M子さんから、Iさんが坂上田村麻呂の記憶があると話していて、ニギハヤヒの分霊など、また、私がM子さんの妹だったことなど、ぐるぐると巡っているようで、この場をお借りして、坂上田村麻呂だったIさんに、御礼をしたく、コメントさせて頂きました。(^_^;)
マロと呼んでマロいじりしてますが、これからも楽しく東北行脚を続けていきます。
これからも、興味深いお話を聞かせて下さい。
ありがとうございました。
またの名を仁義野速飛と申しまちゅ。吉本興業所属でちゅ。
この記事に記している「年代」に関してはもう少し複雑で、
書き方も含め、もう一度、正確に記し直さないといけないかなぁ、、、
と考え直しているところではあります。
日々、神々から新しい、色々なことを教わっていたりもするもので、
そこは何卒、お許しください。
またどこかで記してみようかと思います。ども。ども。