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雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

進化論の絵図

2012-08-12 00:47:07 | 不思議
木というのは僕にはなんだか不思議なものに思えます。
ただソコにジッと立っているのに、
何かとても存在感があって、雰囲気がある。
「モノによっては」気になる。
大木になったりすると、
いつも何か「気」みたいなものを放っていて。
何か言いたげだけど、何も言わない。



あたりまえか。。。(‘・_・`)



木から気って......



でも「気」の語源としては少し絡んでいると思われます。



木=気......



お盆です。
実家に帰ったり、お墓参りをしたり、旅行にいったり。
きっと色々な時間を過ごしている方々がいるのでしょう。
お盆は精霊となったご先祖様を家にお迎えする習慣だと思いますが、
ご先祖様が好きだったものを捧げたり、食べたり......
そういうことも、
あちら世界の方々は凄く喜んでくれるように思います。
晴明水で仏壇などのお掃除をするのも喜ばれるかもしれません。



実は、このご先祖様という存在と「木」という存在が、
僕の中ではいつも強く結びついて感じられているのです。



よく「御神木」ということで、
寺社などで大きな木や特別な木が大切に祀られている所が多くあります。
僕には、それらは、その木のある寺社に縁のある方々や、
先祖や過人の方々の「気」のようなものを
強く宿している存在でもある様に感じられたりする事があるのです。
別段「不思議ちゃん」な話しをしているわけではないのですが......
例えば、こういう風に考えます......



何でも良いので自分がイメージ出来る「大きな」木を想像してみます。
御神木の様なものでなくても、
印象に残る好きな木でも、
近所のモノでも、何でも。
その大きな木の、
トアル枝の先端でヒラヒラと風にソヨいでいる一枚の緑の葉っぱが自分。
その自分がついている枝には他にも沢山の葉っぱがついています。
ソレは家族。
その自分や家族がついている枝の根元の方にも沢山の葉っぱがついています。
ソレがご先祖様。
そうなるとその枝葉全体は自分の家系を表していることになります。
その枝もよく見ると、
もう少し太い枝から枝分かれしていることに気付きます。
自分の枝とは違う方に枝分かれした枝葉は、
もしかしたら親戚の家系かも知れません。
その先にはさらに太い枝も......
また違う方に分かれた枝葉達も沢山見えます。
それは遠い親戚。
遠い遠い親戚も。
それは最早他人ということかも知れません。
自分の葉っぱの隣にある、別の枝に茂る沢山の葉は友達や知人。
近所の人。
そんな枝葉が沢山あって、
元を辿る毎に太くなっていく枝々は村であり、街であり、県であり......
幹につく一番太い枝とその全体は......「国」かもしれません。
その大きな太い「幹」からは他にも沢山の太い枝々が......
国々が伸びて広がっています。
そうすると、全ての枝葉が繋がっているソノ大きな大きな太い幹は
「人類」という名の幹かもしれません。



全ての人や命は繋がっているということかもしれません。



その幹は地球という大きな星......地面に繋がっていて。
その地球の地面の下深くには、
表からは決して見えない根が大きく広く張り巡らされています。
それは多くの場合、
地上に出ている姿と同じ様な大きさと広がりとがあります。



見える世界と見えない世界。



陰と陽の世界。



何も言わない木々というのは、
それすら暗黙に体現しているように僕には見えて来るのです。
そんなマザートゥリーの先端にある一枚の葉っぱ......



僕は......

いずれ枯れて、散って......

地面にひらりと落ちて、

地中に、地球に、溶けて......

そのマザートゥリーを育てていく養分となるのでしょう。



こんな話が、多分、
多くの寺社で特別な木が神とされる「御神木」の所以だと思います。
木の「在り方」というのは、
生命そのものの在り方や形態、進化の模倣図的で。
それはとても神的な在り方の様に思えます。
その枝葉の流れは
ダーウィンの生命進化論の絵図にも似ているところがあります。
そして、それが、
僕が大きな木々に自らの祖先と繋がるような雰囲気を感じてしまう......
という理由でもあります。
お盆の時期に漂う空気というのは、
いつも僕にそんなことを思わせるのです。



写真は長野県、戸隠神社「奥社」に向かう参道の巨大な杉並木。
奥には有名な山門が見えます。
コレだけの巨木です。
地中から吸い上げている水の量は途轍も無い量でしょう。
それは......言い換えれば長々と続く天にそびえる「圧倒的」な水の壁。
巨木の繁る場所や道の心地よさの正体や原因というのは
ココにあるように思います。
巨大な水のカーテンをくぐって歩く道。
木は水。
人も水。
水は......
またいつかの機会に。(^^)


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バウンド

2012-08-11 06:15:53 | 凄い...映画/音楽/珈琲
五輪サッカーは女子も男子も悔しすぎて触れる気にならない夜。
ネットを見ていたら、大好きな映画監督の一人(組)、
ウォシャウスキー兄弟の新作
「クラウド・アトラス」のプロモーション映像が公開されてました。
アメリカでの劇場公開は10月予定。
日本では2013年以降の公開になるとのこと。
まだかなーり先の話になるようです。



ウォシャウスキー兄弟のデビュー作である
「BOUND(バウンド)」
は、僕が彼らの才能と初めて出会えた作品で。
今に至るまで、長い間
「心のベストテン」に入っているぐらいのお気に入りです。
後に大ヒットする彼らの代表作「マトリックス」より、
個人的なチャートでは上位に入っております。ハイ(^_^)

マトリックスにおける特殊効果以外の素晴らしさは
BOUNDの時には既にもう出来上がっていて。
一つ一つのカットセンスや画面構成の緻密さ、
色彩の美しさなどもかなり完成していたように思います。
とても印象深く、面白い作品です。
勿論、かかっているお金も、
エンターテイメントとしての完成度やターゲットの広さも、
間違いなくマトリックスが上ですが、
BOUNDには新人監督の映画に対する強力な初期衝動と愛、
創ることの喜び、
そして「映画的な美しさ」が沢山詰め込まれているように思います。

最近の情報では、
どうやらお兄さんの方が性転換!?をしてしまったらしく、
今では「兄弟」とは言えない!?ようなのですが......
そう言われてみると、
バウンドに流れている美的感覚はとても中性的で、
女性的な美意識も強いように感じられ。
性転換の話しというのも、
この頃からの彼らのファンからすると
「ああ、やっぱり......」
と感じられなくはありません。
画面からは、そんな倒錯した世界観や雰囲気も感じられ、
そして何より「カットの美」を強く感じられる作品ではないかと思います。
マトリックスが好きだった方には、
そのルーツ作としても楽しめるかもしれません。(^^)



そして、今度公開される「クラウド・アトラス」は、
予告編だけでちょっと圧倒されました。



何より、僕が今回の作品にやたら反応してしまったのは、
上記したウォシャウスキー兄弟のデビュー作
「BOUND」における美的テイストやカットが、
マトリックスで花開いた彼らのエンターテイメント性と
高い次元で見事に混じり。
二要素が統合された様な絵づくりと世界観だったということです。

さらに期待してしまうのは、
マトリックスのオープニングにおける映画「甲殻機動隊」のイメージや、
「マッハGoGoGo」のリメイクである「スピード・レーサー」
を手がけたことなどからもわかる、
日本アニメーションが大好きなウォシャウスキー兄弟の
アニメ的映像表現も相変わらず上手く織り込まれているな......
ということも予感もできたことです。



......あ、まとめなきゃ......
あたふた......σ(^_^;)......



☆中性的美意識世界とカット。
☆最高レベルの特殊効果、エンターテイメント性。
☆日本アニメーション的映像表現。



そんなウォシャウスキー姉弟!?監督の「魅力3点」が初めて!
全て混じり合う!
という、現時点での彼らの集大成的な作品の匂いがするということです。
ホンの数分の予告映像でここまで言うのは間違いかもしれませんが......
とにかく!
ハズシタ時は、ドーカ!
悪しからずです (;^_^A

そんなこんなで、
何やら素晴らしい作品の予感がヒシヒシとしていますが......
ああ、早く見たーーい!!



写真はウォシャウスキーがまだ兄弟だった頃!
の監督デビュー作「BOUND」のDVD。
完璧さを感じる映画です。
素晴らしいっす(^_^)


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日傘をさす女性と宮崎駿

2012-08-10 00:12:16 | 感動
モネを見ていると、
僕はいつも大好きな宮崎駿さんの
一連のアニメ作品を思い出してしまいます。

例えば、
ポニョの家のモデルでは?
と言われている「ヴァランジュヴィルの崖の漁師小屋」や、
どことなくトトロの田舎の世界観を持つ
「ヴェトゥイユのモネの庭」など。
どれも「印象派」独特の光の捉え方。描き方。タッチ。
写実主義とは違う意味での繊細さ。緻密さ。
それらのコダワリの結実として立ち表れ、
伝わってもくる「ふんわり」とした優しい明るさ。
そんな印象や世界観が
宮崎さんの作品と共通している様な感覚を受けてしまうのです。

そんなモネの絵の中でも、
僕はこの「散歩、日傘をさす女性」が大好きで。
「ウルトラマリンブルー」という記事でも書いている、
もう一つの大好きな絵であるフェルメールさんと一緒に
部屋の片隅にいつもちょこんと貼られています。
僕はこの絵を見ているとなんだかとても幸せで、
穏やかな気持ちになってしまいます。
それは、
モネが自らの愛する妻と息子を描いたからなのかもしれませんが......

そして、
さらに感服してしまうのはこの絵の持つ美しすぎる構図。
この構図も宮崎アニメに良く出てくる
「印象的な構図」
と似ている様に感じています。

さらにさらに......
この絵は......
よーーく、よーーく見ると......

人物の周りにうっすらと光が描かれています。

それは「オーラ」と言った方が伝わるのでしょうか......

あまりこんなおバカな見方をしている人はいないと思いますが......

よく見ると確実に描かれています。

僕にはこれがこの絵を特別にしている
大切な隠し味の一つのように思えています。
「光」という超微妙、且つ、
繊細なものを捉える天才だったモネにとって、
体やモノの周りにある、反射しているような光を描き込むことは
とても簡単なことだったのかもしれません。
僕はいつもこの絵を見る度に、
このオーラの描き方に感激してしまいます。
少し前にこの絵が来日した時は
この絵の前に数十分立ちすくんで見ていました。
しかも、
展覧会の開催中に4回も見に行ってしまいました......(*´ω`*)
付き合って頂いたあの方、この方、申し訳ありませんでした。

宮崎さんは自らの作品に関して、
表立った場所やメディアなどで深く語るようなことは
あまりしない印象が僕にはありますが、
森羅万象万物広くに途方も無い量の見識を持つ(であろう!)宮崎さんです。
「もし」モネのことが好きだったとしたら、
一度その「宮崎流モネ話」なんてものを伺ってみたい気もします。
宮崎さんの様な方の目を通して見るモネとは?
それはどんなモネなんだろうか......
なんだかとーーっても興味が湧きます。

「散歩、日傘をさす女性」を初めて見た時、
僕はそれまで見たどの絵よりも美しいと思いました。
息を飲み、立ちすくむ美しさ......という感じ。
それは宮崎駿さんの作品にも同様に感じていることであって。
どちらも自分が美しいと感じたものを自分なりの方法で表現し、
伝えることが出来るということが僕には余りに羨ましく、
偉大なことだと思えるのです。


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ソーダ水の物語 2

2012-08-09 00:10:35 | 感動
そんなこんなで高校3年生の秋、
取りたてのホヤホヤ免許で行く4輪ドライブは、
一路、憧れの横浜ドルフィンを目指すことになりました......

つづくぅ。。




当時はカーナビもスマホもないので、
昭文社の「全国ロードマップ!」を片手に向かいます。
そして、何度か遊びに行っていた横浜までは難なく辿り着いたのですが、
案の定、その後道に迷い。
結局、その時はドルフィンに辿り着くことは出来ませんでした。
やはり......若輩埼玉県人(T . T)ぶぇ。
「関東ロードマップ」にすれば良かった......



それから冬が過ぎ。春が来て。晴れて高校を卒業。
大学に行くことになった僕は少しの春休みに入ります。
春の柔らかな日差しの中、
僕はU2やユーミンの「卒業写真」なんぞを聞きながら、

「ふふふふふーーーん♪」

と、「憧れのドルフィン探訪」にしつこく再チャレンジをしました。
人々に笑顔で迎えてもらえないオーラを放つ当時の愛車
黒いクラウン」で、
僕は一人「港の見える丘公園」辺りをグルグルグルグル回り、
そして......

やっと!!

見つけました!

ドルフィンでございます......

車を店下の駐車場に停めて、階段を上り。
そして、ちょっと緊張しながら念願だったドルフィンに入ります。
ワガママを言って窓際の席をお願いしたりなんかして......
しかし、ちょうど空いていて......
そこに坐ります......



ハァ(゜・゜*)、、、、、、ここかぁ。。。。。



そして、



憧れだった「ソーダ水」を頼みます。。



。。。。しばし。。。ぼーーーーっつ。。。と。。。



時間。。止まる。。。。



。。感激。。。



窓際の席は歌のとおり小高い丘から港を見渡せて、
色々な船がせわしなく行ったり来たりしてました。
ソーダ水の中を貨物船は通らなかったけど、
なんだかじわーーーっと、嬉しい気持ち......



————————「MISSLIM」は傑作ですよ。ユーミンさん。。
キャロルキングの「つづれおり」と並ぶアルバムは、
コレしか無いと思ってます。僕は—————————



何度かグラスを上に掲げて、
「無理やり窓の外の貨物船をソーダ水の中に通したろか!?」
などとアホアホぷーな試みをしようかとも考えたのですが......
そこは流石に埼玉県人の強い誇りが許しませんでした。
あくまで
「俺は通りがかりでちょっと入っちゃっただけだよーん。」
「地元の人なんだよーん」
と......そういう雰囲気を大切に過ごしていました。
はい。悲しい性でございます(T . T)



嬉しいことに今でもドルフィンはそのままあるようです。
ただ、話によると、
街の開発がかなり進んで窓の外の景色も大分変わり、
港はあまり良く見えなくなったと聞きました。



最初ドルフィンに行った時、まさか自分が将来
ユーミンと同じ世界で働くことになるなんて夢にも思っていなくて。
実際、敬愛する正隆さんやユーミンさんとも
お仕事をさせてもらう機会にも恵まれました。
それは僕にとってはとても光栄で、幸せなことでした。
心の中ではドルフィンで港を眺めていた10代の僕が、
なんだかとても嬉しそうに笑っていました。
レコーディングスタジオで最初に正隆さんにお会いした時に、



「、、実は高校生の時にこんな思い出がありまして、、、」



なんていう、今回のコノ話を



「話そうかなぁ、、どしようかなぁ、、
あまりにミーハーな感じかもなぁ、、、」



「ちとキモイかなぁ、、」



なんて考え出してしまい......思い切って!!



「よし!、、話してみよう!、、、」



と、息を吸い。
気持ちを整え......
正隆さんに向かい、
僕は言いました!



「コーヒーはブラックですか?」



あかんわ。じぶーーん!(><)



正隆さんと一緒にプロデュースワークをさせてもらったSunday。
ユーミンさんも詩を書き下ろしてくれて、本当に楽しい仕事でした。
僕にとって大切な一作。
Sundayにも久々に会いたいなぁ。。



☆「ソーダ水の物語」シリーズ記事☆
1」「2」「3」「4


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ソーダ水の物語

2012-08-08 03:17:12 | 感動
少年だったある日。
「卒業写真」という曲で
松任谷由実というアーティストの存在を初めて知ります。
それからなんだかとても好きなアーティストになって、
過去作品を色々遡って聞いていってみると、
「海を見ていた午後」という曲に出会います。
どちらもユーミンが「荒井由実」時代の曲。



僕の生まれた埼玉県には海がありません。はい。
なんでも海の無い県というのはあまりないらしく、
8県しかないようです。
とても寂しい県なのです。はい。
そんなこともあって、僕には海というものに対して
特別な「憧れ」みたいなモノがあります。はい。
僕の生まれ育った所から海まではとても遠く。
海に行くという事は、
僕にとっては子供の頃から一大イベント!なことでした。
海の有る県に住んでいる人や、
海の傍に住んでいる人にも、
なにやらとても憧れを持っていました。



「、、なんか、かっこええやん。。。」



今も......そんな気持ちがかなりあるかもしれません。ええ。



そんなふうに海への憧れが強かった僕は、スグに、
ユーミンの「海を見ていた午後」という曲に惹かれてしまいます。
その風景が目前に広がってくる様な歌詞世界にもかなり魅せられ、
大好きな一曲になってしまいます。
それは今でも変わらずに、とてもお気に入りの一曲。



♪.....山手のドルフィンは 静かなレストラン......
晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
ソーダ水の中を 貨物船が通る
小さなアワも恋の様に消えていった......♪



お、、お、、、、、、

おしゃれすぎんべぇーーーー!

ど、ど、、ドルフィンて、、い、

イルカやんかぁぁーー!!

や、やまて!?って、、、

そこいきてぇーーっ!



ええ。ええ。
笑わば笑え( ̄ヘ ̄)
笑われたっていい!
その時はたくましくドルフィンに行きたくなったのだー!



山手のドルフィーーン!! 
(; 」゜ロ゜)」 オオオォォォーーーーーーーーィィ!!



アッ!( ̄0 ̄;)))、、す、すいません。
取り乱してしまいました......
「山手」と「ドルフィン」という言葉に
すっかりヤラレテしまったわけなのです。はい。
で、調べてみると、
どうもこのお店は実際に横浜にあるお店のようでした。
憧れの横浜です。
赤い靴をはいていた女の子が異人さんにさらわれるのです。
タカ&ユージです。
港署です。
アブデカです。
レパードです。
いかん!時代感がでてしまう(><)



「とにかく、行きたい。ここ......」



そんなこんなで高校3年生の秋、
取りたてのホヤホヤ免許で行く4輪ドライブは一路、
憧れの横浜ドルフィンを目指すことになりました......

つづくぅ。。



懐かしのアルバム「MISSLIM/YUMI ARAI」。
細野晴臣、松任谷正隆、山下達郎とシュガーベイブの面々......
最早伝説な参加メンバー。。


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川底は上下する

2012-08-07 00:21:38 | 勇気
「—————ねぇ、uzmetさん。
川底ってのはさ、凄いんだよ。
僕はね、いつもそうありたいと思ってるんだよ。
社員にもよく言うんだ。
川底の様に仕事をしろってね。。」



と、その大プロダクションの社長さん(男性)は、ある日、
彼の会社の応接室で僕に言いました。
二人して映画の話などでとても盛り上がっていた時の話です。
不思議な縁でもう十年以上のお付き合いをさせてもらっている、
本当に大きな芸能プロダクションの名物社長さん。
僕よりもかなり年上......のハズですが、
とても若々しくてお肌も綺麗!?
そして、とても人物!な方です。
かな~り風変わりな方ということでも有名ですが......( ̄ー ̄;



「あのね、川底ってのはね、上下するんだよ。
知ってた!?
凄いと思わない!?
凄いんだよ。うん。」

「ふーーん、、、そうなんですか。。」

「そうなんだよ。
そりゃぁさ、見えないからね。
分かるわけないよね、分かるわけは、、川底だからさ。
でもさ、、上下するんだよ。
いつも動いてるんだよ」

「ふーーん。。」



と、興味津々で少し体を前に乗り出していく僕。。



「あのね、大雨なんか降って水かさが増すでしょ。
そうすると川の流れは早くなるんだよ。
そうなるとね、
川底はその水の流れの激しさで自然と削りとられるんだ。
それで、こーーぅ、
どんどん掘られていって、、、
掘られたソコの砂や土はそのまま川に溶け込んで、
水は濁って行くんだけどね。
その分川底は下に下に下がっていって、
それで水深を深くして、
水がなるべく川から溢れない様にしてるんだよ。
水に勢いがある時はさ、
川底ってのは下に下がって溢れない様に調整するんだ」

「むぅぅ。。なるほどぉー。。」

「でね、逆に水が少ない時はね、
水の中に溶け込んでいた砂とか砂利とか土とかが、
水も少なくて流れもゆっくりなもんだから、、、こう、
ゆらゆらと川底に落ちて来てね。
水は澄んでくるんだけど、
川底は上に上に、と上がっていくんだよ。
そういう土とか砂が川底に溜まっていって川底は上にあがるんだ。
少ない水をね、少なく見せない様になっていくんだな。
水が多くて流れが強く、早い時は、
自らは下がって溢れない様にして、
水が少なくて弱い流れの時は上に上がっていってね。
川を外から見て、
何時も同じ様な姿に見せる働きをしているんだよね。
しかもさ、それが川底なもんだから、
周りからは全く見えないんだよ。
それが凄いんだ。
ね!?凄いと思わない!?
だからさ、僕は社員にいうんだよ。
川底の様な仕事をしなさいと。
売れちゃってさ、
お金や人や情報が多く集まってくれば来るほど自らは削れて下がって、
売れなくて厳しい時は、
それでもそう見えない様に、
本人より表に出て行くくらい上がっていって支えるんだ、とね。
川底の動きはスタッフの理想の姿だと思うんだよね。うん。」



「川底は上下する」



この時からこの言葉は僕の中に深く住みつきました。
これは、プロデュースという仕事においても、
様々な仕事においても核となれるような精神論だとも思います。
この偉大な「川底」のような身のこなし、考え方、実践が、
この敬愛する社長さんのように僕は身につけることが出来るのかどうか。
今まで出来ていたのかどうか、
いつの日か出来るようになるのかどうか......
少なくとも僕は「こうありたい」と、
それだけはいつも思い、努力しています。



霊峰、白山の麓を流れる手取川。手取渓谷。
この三つの瀧の上には「みたき」という大好きな白山蕎麦のお店があります。
川は......確かに削れてます。


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グラタンと枝豆

2012-08-06 00:15:02 | 感謝
サッカー五輪代表の永井のケガがトテーも心配な本日。
何気なくfacebookを眺めていたら、
先輩が美味しそ~うに茹で上がった
大量の枝豆写真をアップしているのを見つけました。
ヤバい。
大好物(〃▽〃)
本当に美味しそう......じゅる......
コメント入れよう......



「分けて下さい、、」



枝豆を見るといつも思い出すのはおばあちゃんのこと。
もうかなり前にこの世界を旅立っていますが、
生前は埼玉の実家の裏にある、
趣味の野菜作りをする為だけに持っていた小さな畑で、
毎年毎年沢山の美味しい枝豆を作って、
小さな子供だった僕に食べさせてくれていました。
枝豆が実るのはだいたい夏で、
昔の人だからでしょうか、
おばあちゃんの茹でる枝豆は塩味がとても強く、濃い味。
いつも麦茶などの飲み物と一緒に、
気がすむまでトメドモ無く食べていました。
その経験があるからなのか、
今でも居酒屋などで枝豆が出されると、
お通しだろうが、オーダー品だろうが、
目にした瞬間「無意識」に手が延びて。
そこからは鬼神のごとく!?(@_@)
ソレがまるで無料サービス品であるかのごとく、
怒涛の勢いでバクバクと平らげていってしまいます。

あー恥ずかしい。。
あー申し訳ない。。

フッと我に返り、
人知れず照れている......てな事もしょっちゅうで。
他にも枝豆好きの人がテーブルにいた日には、
かなーり恐縮でキマズイ雰囲気を生むこともあるくらい、
ほっておくとパクパクと食べてしまいます。
やめられない、止まらない......あかん(ToT)



おばあちゃんの趣味の畑では、
僕はよくその枝豆の収穫を手伝わされたり、
他にもキュウリやトマト、
ホウレン草やトウモロコシなどまで育てるのを
手伝わされたりもしていました。
草むしりや土を耕すといった作業もよくやらされて。
そんな畑仕事はいつもお遊び程度で、
お小遣い稼ぎ!
という以上、以下ではなかったのですが。
今思うと畑で作物を作るという
貴重な体験や知識を僕は得ていたのだと思います。
まぁ、のんびりとした田舎ならではのことでしょうが......



おばあちゃんは、おじいちゃんを戦争でなくし。
戦後の動乱期を文字通り「女手一つ」で、
僕の父を含めた5人の子供達を育てあげました。
「昔ながらの肝っ玉かあさん」
と、近所の皆さんはウチのおばあちゃんを
そんな風に表現していましたが、
孫の僕から見てもまさにその通り。
多くの苦労が完璧に身に染みついていたからなのか、
老後になってのんびりと出来るような環境になってからも、
贅沢といえるようなことをしているのを
僕は一切見たことはありませんでした。
口癖は



「白いご飯があれば、それが何よりの贅沢。
幸せだよ。。」



そんなおばあちゃんが唯一の贅沢、御馳走として、
たまに家族で出掛けた時にいつも決まって食べていたのが
「グラタン」でした。
それは今でもハッキリ覚えています。
グラタンを食べてるときのおばあちゃんは
何時もとても嬉しそうで、
子供の頃から何度か聞かされた、
初めてグラタンを食べた時の話も覚えています。



———————なんでも、
デパートの屋上にあったレストランで、
一緒に入った友人から「美味しいよ」という勧めを受けて
疑心暗鬼で注文したらしいのですが、
初めて口に入れた時に

「世の中にこんな美味しいものがあったのか......」

と、涙が出るほど心底感動したそうです—————————



僕は今もグラタンを食べる時......
それはよくよく考えると滅多にありませんが......
そんなおばあちゃんのことを必ず思い出します。
そして、枝豆を食べる時は、
おばあちゃんの畑の枝豆と比べて旨いか不味いか......
などと無意識に考えていたりします。

今日、先輩の枝豆写真を見ていたら無性に食べたくなって、
思わず買ってきてしまった枝豆。
おいなりさんも安かったので衝動買い。
その枝豆を頬張りながらお気に入りのビールを開けて、
オリンピックをちょこっとチェック......

......そんなおばあちゃんと過ごした暑い夏の日を、
今日は少しだけ思い出しました。



来週はどこかでグラタンを食べようかな。
おばあちゃんに届くように。。


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遷宮のこころ 2

2012-08-05 02:04:48 | 不思議...パワスポ寺社
まだ質問の答えには辿り着いていませぬなぁ。。
何だか不思議ちゃんな雰囲気が漂って来つつ......
つづくぅぅ!!(*゜Д゜*)




伊勢神宮や出雲大社の社(やしろ)は、
木製の大きな柱を地中に直接深く埋めて低床とする建築方法をとっています。
掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)と言うそうですが、
このように地面に直接柱を埋めてしまうと地面からの水分や
食害などを直接受けることになるので腐食や老朽化も早く進みます。
世界最古の木造建築である法隆寺の建築は、
この2社と同じ時期に建てられているのですが、
礎石という基礎の上に木材や柱を立てて作ってあります。
こうすると柱は土から離され腐食や老朽化がしにくくなります。

どちらも同じ時代に存在していた建物です。
当然、この法隆寺同様の建築技術を用ることは出来たはずですし、
そうすれば伊勢神宮も出雲大社も法隆寺同様、
現在に至るまで持続出来る様な建物にも出来たはずです。
それを、定期的に膨大な国費や労力を投じる式年遷宮を行う、
という方を選んだということは確信的でありますし、
ということは、
きっと何らかの理由もソコには存在するはずです。
しかしながら、この理由は、
神宮や大社の中の文献や記紀神話(古事記、日本書紀)等の中にも、
各地の神社や統括する神社庁や皇家......等の資料の中にも、
まったく記述がないのです。
本当に正確な所は不明なのです。
そんな状況なので、
最初に記したスタッフの質問にも辿り着くのでしょうか。



「何故?わざわざ莫大なお金も労力もかかる遷宮などするのか」



そして、そんな状況なので神職の方々の間でも
この質問の答えをハッキリ答えられる人が少なくなるわけです。
現在、一般的には以下のような理由が挙げられています。



☆同じ建築を何度も繰り返す為、
その建築技術やノウハウを次世代に引き継ぐことが出来る。

☆儀式や祭事も同様に行われる為、
その文化や精神も一緒に引き継ぐことが出来る。

☆古代のお金とも言えるお米の保存限界が二十年だった。



これらの考えには僕も賛成しますし、納得します。
正しいと思います。
そして、これらに加えて僕はもう一つ思うことがあります。
それは、これらのことに共通して流れている「ある考え方」......
哲学といったものかもしれません。
その哲学は、
実は神道の底流に流れる奥義的なモノと言ってよいような気もしています。

ここでもう一度、法隆寺の話を持ち出すと、
法隆寺はそのまんま「古い」「古代の」建造物です。
ピラミッドやヨーロッパのお城なども同様です。
それに対して遷宮を繰り返して来た建物は古いけれど「新しい」建物です。
その「古いけれど新しい」建物の中で息づいている知識、文化、技術、
ノウハウというのは、古来からそのまま受け継がれた
「古いもの=伝統」
というものかもしれません。
少し言い換えると、
「古来から変わらずに伝えられて来た大切なもの。こころ」
ということにもなります。
ココまで来て遷宮に込められた真の意味や神からのメッセージとは......
僕はこう思うのです。



「変わらない為には、変わり続けなければいけない」



以前、鏡の世界でも書きましたが、
この国に存在する神道というものの世界観というのは本当に計り知れません。
それは宗教ではなく、とても深遠な哲学のように感じます。
技術、ノウハウ、伝統、こころ......そして、このようなメッセージ。
これらはどんなに莫大なお金と労力をかけても伝えていきたいことなのだ、と。
そう感じます。
勿論、僕がかってに思っているだけかもしれませんが......(・ω・;)
そして僕は「右」でも無いですし、無宗教でもあります。
誤解無きように、と。。



何時見ても美しい緑と水を湛える山間の湖は、
以前見た時の緑や水とは全く違うはずです。
湖にはきっと水の入り口があり、出口がある。
いつも同じ様に美しく見える湖の水は、
以前の水と今見ていると水とは入れ替わっているから美しく澄んでいる。
もし、水の入れ替わりが無かったら......湖は濁り、干上がり、
それは湖では無く水溜まりだったことになるのかもしれません。
同様に、木々に関しても毎年毎年枝葉が茂り、落ち、また茂り......
きっと何かが少しづつ変わっているはずです。
一年前と同じものなど何一つ無いはずです。
人の体も「代謝機能」が落ちたら劣化が進みますし、
故に、健康を保つのに最も大切なことの一つに
「代謝量の維持」ということは常識です。
遷宮と言うのは人の体における「代謝」と言っても良いのかもしれません。
それは、変わらず健康な体を維持していく為の行為、機能。



変わらない為には、
変わり続けなければいけない。



それは、
僕にはとても大切な真理の一つのように思えます。



裏側から撮影した伊勢神宮、内宮の遷宮地。
「金の座」と呼ばれる方。
コチラに宮がある時は国が繁栄すると言われています。
今は......まっさらです(^.^)


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遷宮のこころ

2012-08-04 00:40:34 | 不思議...パワスポ寺社
昨日、夜遅く。
会社の会議室で女性スタッフとトメドモナイ雑談をしていました。
打ち合わせが終わり、ホッと一息ついた深夜の会社の会議室。
なんだか妙なテンション......



「ナデシコの佐々木監督ってスギちゃんに似てね!?」



......トメドモナイふわふわした会話。
......ふわふわ。。
その中で、
その女性スタッフは僕が神社系に詳しいという噂を耳にしていたようで、
一つずっと疑問だったことがあるのでソレを教えてほしい......
という話がありました。
それが......



「......伊勢神宮って、今度、式ねん?何とか!?って、
よくわかんないんですけど。
わざわざ建物を立て替えるようなことしますよね?
アレなんでなんですか?
なんでそんな面倒なことをするんですか?
お金かかりそうですし。
不思議でしょうがないんですけど。
意味わからないんですけど、知ってます?」



......ってな話でした。
そうですねぇ......
確かに疑問はごもっともでございます。
あくまで一般人である僕の知識、考え、
という範疇で話すということになりますが、
今日はこの時話したこの式年遷宮の話を少しばかり......



まず、伊勢に行かれた方は直ぐにわかると思いますが、
神宮の中心となる内宮、外宮の拝殿は勿論、
その境内を含めた神宮管轄内にある全ての摂社、末社の横には、
次に「社=やしろ」を立て替える為の用地が
まっさらな状態で用意されています。
ここに「20年に一度」杜をコピーの様にそのままの形で移し、
完璧に立て替える儀式が「式年遷宮=しきねんせんぐう」と呼ばれる儀式です。
次回は来年、2013年に予定されています。
神宮ではいつの時代でも「最大のイベント」となるので、
数年前から様々な準備がなされ、
それがいよいよ来年に差し迫った今年は、
日本中の神社でこの儀式の告知や
資金協力のお願いなどが出されていると思います。
それで、このスタッフは

「縁むすびぃいーーっ!きゃーーっ!(><)」

......っと行った神社で、
初めてこの儀式の存在を知ることになり。
上記したような疑問を感じたようでした。



......縁ですな。これも。



この伊勢神宮の遷宮費用は今回は550億円!と言われています。
実は伊勢以外にも遷宮をする神社は他にもいくつかあるのですが、
こんな莫大な費用や労力、
さらには素材となる木材も今やなかなか集められない......
などの事情もあって、多くの神社は中止にしたり、
リフォーム的なレベルにとどめるケースがほとんどです。
しかし......
知っている方も多いと思いますが、そんな伊勢と
「全く同じような規模」の式年遷宮を行える神社がもう一つあります。
伊勢と同等、いや、それ以上の長い歴史を持つとても大きな神社です。



出雲大社です。



この2つの神社が如何に「特別な存在」か、
ということが感じられますでしょうか。
そして、もう一つ。
今回の伊勢の式年遷宮に限ってとても面白い!?
事実があります。



伊勢の遷宮は20年に一度。
出雲大社の遷宮は60年に一度。
来年、2013年に行われる伊勢の式年遷宮は、実は、
長い長い遷宮の歴史上、
滅多に無い出雲大社の式年遷宮と重なることとなるのです。



「れれ!?20年と60年なら定期的に重なるはずやんけ!?」



なんていう疑問が沸いてくるのもよく分かります。
ただ、遷宮の実態としては、
上記したように膨大なお金と労力がかかる壮大な儀式のため、
飢饉や災害、戦争などによって国力が落ち込んだ時は
予定通りに出来ない事が過去には沢山あったようで。
例えば戦国時代や、近年でも第二次世界大戦など、
キッチリ20年ごと、60年ごと......
というわけにはなかなか行かなかったようなのです。
なので、少しづつ互いの期間のズレが生じ、
そんなわけで来年は遷宮史上希なる貴重な出来事!!
ということになるようです。
そう言えば、ちまたで騒がれていた
「マヤ暦が2012年で終わっているぜ!?」
という話ともなんだか少し絡まるのだろうか......
というような感じもなきにしも......



2013年というのはそういう年になるのです。



それは、特別な年なのか?
何か意味があるのだろうか!?......分かりませんが、
まだ質問の答えには辿り着いていませぬなぁ。。
何だか不思議ちゃんな雰囲気が漂って来つつ......
つづくぅぅ!!(*゜Д゜*)



つい最近、新たにマヤ文明最古の暦が発掘され、
その暦ではこの先まだ7000年は続いているそうです......(‘・_・`)ぽやーーん。。
まぁ......大社近くにある出雲蕎麦の名店「荒木屋」の蕎麦でも食べれぇ。。


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氷、始めました

2012-08-03 01:43:43 | 美味い
谷中、根津、千駄木。略して「谷根千=やねせん」。
東京23区、文京区と台東区にまたがる上野に程近いエリア。
江戸時代から栄え、
明治、大正、昭和と続くレトロな町並みと雰囲気を色濃く残すこのエリアは、
昔から多くのファンを持つ人気のエリアだそうですが、
僕がハマったのはホンの数年前から。

フラリとよった根津神社の、
強くて開放感たっぷりの雰囲気に魅了されたトコロから始まって、
最近ではレトロさと新しさを織り交ぜた、
面白い風情を醸し出すレストランやカフェ、
小物屋さんやギャラリーなども沢山出来てきています。
また一層、奥深くて楽しい街になっている様に思えます。

そんなエリアに点在する、
若い世代によるレトロ・リスペクトなお店も良いのですが、もう一つ、
このエリアの中心ともなっているのがマニア向け下町商店街の「谷中銀座」
ターゲット年齢は少々高め!?
ですが、小さいのにとても味のある商店街です。

その谷中銀座の商店街に地下鉄千駄木駅方面から入って、
入り口付近の「肉のサトー」さんのメンチカツやコロッケをほおばりながら、
てくてく......と歩いていくと、その突き当たりに「夕焼けだんだん」という、
これまたトロケルような名前のついた石段があります。
何やらこの街の名物の野良猫......いや、
「街猫」さん達もチラホラと居座ってます。
そして、その「だんだん」は登らずに、
手前の小道を右にチコッと入ったところに僕のお気に入りの
「かき氷屋」さんがあるのです。
それが!「秘蜜堂=ひみつどう」さん。
こんな感じです。



数年前に地元千駄木に住んでいる、
あるアーティストさんに連れていってもらったのですが、
いやいや......かなりシビレてしまったのは、
そこが「かき氷専門店!」だったというとこ。

「......なんと斬新な......やっていけんの!?しかも通年で!?」

などと余計な心配をしつつ店内に入ると、
ズラリと並ぶかき氷のメニューは勿論、
通常のカフェメニューなんかも少しあって、

「ああ......」

と、ちと安心。
全体の雰囲気も谷根千お得意のレトロモダンという感じ。
初めて行った時にマスターに色々とお話を聞くと、
最初は屋台でかき氷屋さんを始めたらしいのですが、
体を壊し、生死の境を彷徨った時に、
その体を治してくれた病院というのが、
現在のお店の近くにある病院だったそうで。

「お店を出すならその病院の近くでやりたい......」

という感謝の気持ちもあってこの地に出店したのだそうです。
そんなマスターがコダワリにコダワリ抜いて仕上げたかき氷は絶品で、
材料の氷は栃木県、日光の天然氷をわざわざ取り寄せたもの。
その氷を削るかき氷器は鉄製の大きなもので、
昭和の香り漂うレトロな手がき仕様のマシーン。
そこから職人の手さばきで削られた氷は絹の様に細く、滑らかさん。
こーんな感じです......



マスター曰く、
天然の氷は「キン!」という頭が痛くなる様な事が無いそうです。
食べてみると......確かにそうでした。

あ!

写真の手前に見えるのは僕が一番好きな「ひみつのいちごみるく」さんです(^^)
そして、本当にこの店を人気者にしているのは、
その氷にかけるマスター手製の特性シロップ。
全て生フルーツを使って仕込まれた100パーセント天然果汁のシロップです。
カウンターにはグレープフルーツやメロン、イチゴ、レモン、ライム......と、
材料となるフルーツなどが沢山並んでいて、
それを仕込んだシロップはシロップと言うより、ジャム、果汁糖蜜......
と言った方が正しいと思います。
とにかく濃厚で、自然な甘さになんだかとても良い香り。
文句無く美味しい!
食べているときの「味」の感覚はアイスクリームに近い感じ。
でも「食感」は、当たり前ですが、紛れも無いかき氷。
暑い日でも何だか元気になれる最高の逸品!だと思います。

実は今日、仕事の打ち合わせで千駄木に行ったので、
思わずよってしまいました。へへ(^.^)

コレが「めろんみるく」さん。
ミルクをたっぷりと吸い込んだ氷に、
お手製天然果汁メロンシロップは別がけーヽ(*´∀`*)ノうまそーっ!



これがアップの「ひみつのいちごみるく」さん。。じゅる。。。



ごきげんよーぅ(><)/


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ぶらっくぱっぺー again!

2012-08-02 00:23:53 | 美味い
えーーと、ですね、、、

こ、コホン、、コホン、、、(´ρ`)、、

実わですね、

僕はですね、、

とーーっても上流階級出身な人でですね、、

子供の頃、

ケチャップをトマトソースと思って育っていたのです。

クールです。とてもクールです、、こ、コホン、コホン、、(〃ノωノ)

ええ。上流階級ですとも。

で、ですね。
うちのヨシコは(僕のおかーさん)とーーってもお料理がお上手でしてね。
我が家でいうスキヤキが、
世間一般では「水炊き」と呼ばれるものだったという事実も、
思春期の僕にはとーーーっても大きな影響を与えたのですよ。はい。

全てよし子のせいなのです!

スキヤキの肉は豚肉と信じていたのですーーっぅぅ!!きゃーーっ!

、、こ、コホン、、(=艸=。)



ある日ですね、
中学一年生だった僕はですね、
友達のおうちに遊びに行きましたのですよ。はい。
そしたらヨシコとは違って、
優しくて綺麗な友達のお母さんがですね、
僕らがくつろいでいるお部屋に入って来て......

「おなかへった?焼きそばでも食べていく!?」

とね。
そりゃまぁ、観音様!?そなたわっ!?もしかして?
ってなことを言ってくれたのです。
その時、上流階級出身だった僕はですね、
躊躇せずにですね、

「お願いします!」

と答えたのです。はい。
学校では決して見せないハキハキさですよ。勿論。

「シマダヤの焼きそばだけどいい!?」

と、友達のお母様はまたとてもマニアックな事を口走ったので、
それは、実はヨシコの焼きそばと同じでもあったわけで、

「家もそれですから、大丈夫ッス!」

と答えたのです。ええ。
ハキハキです。
しばらくして、
友達お母様が完成品のホカホカ焼きそば君を持ってきてくれまして。
僕はもう、そりゃもう大喜びで早速パックリしたのです......よ......が......
さぁ大変!!!



「うっ、うまい!うますぎる......
よし子と同じ焼きそばなのに、なっ、なぜ!?」



僕はですね、そのあまりの衝撃に、
思わず友達のおかーさんに聞いたのです。



「これ本当にシマダヤですか!?
家のと全然違うんですけど......」



そしたら友達お母様はこう言うのです。



「ブラックペッパーとか、
ガーリックやオリジナルソースを使ってるからかな、、」



「うぇぇぇぇぇぇーーーーー!!!
なっ、なんとぉぉっーーっ!?
今、あなた、そ、その口で何と言いましたぁぁぁーーーっ!?
そのお口が、そのお口が言ったのですかぁぁぁーー!?
ぶ、ぶっ、ぶらっくぱっぺーー!?
がーにっくぅ!?
そっ、それは肉ですかぁぁぁーーっ!?」



僕はそう心の中で叫びつつ、



「あっ、そーですかぁ。。。」



と、冷静且つ沈着に答えたのです。
男です。
まさに男の鏡です。
もう興奮で心臓はバクバクです。上流階級ですから。
膝も震えていましたし。ええ。
しかし!
冷静に言い放つのです。男ですから。はい。
そして決意をするのです。

「よし!帰ったらよし子に聞いてやる!」

と。
僕は家に帰るなりよし子に言いました。

「ぶらっくぱっぺー!?って何?」

すると、よし子はこう言いました......



「何それ!?お茶かい?」



やっほぉぉぉぉぉぉおーーー(」゜ロ゜)」おぉーーっ!



あ、なぜ「again」かというとですね。
以前、プロデュースしていたアーティストのマネージャーさんが
病気で倒れた時に、急遽、
代打で数週間だけ「おにーさん」という名で
ブログを書いていた事があるのです。
なんだか懐かしいのですが、
今日そのログを発見し、
その時の記事を「雲完ブログ風に」ちびっとリメイクしました(^.^)



焼きそばと言えば静岡県、富士宮焼きそばの名店「うたちゃん」
口悪いのにとても優しいうたちゃん。
朝から「よぱらーい」が沢山いるお店です。
あくまでマニア向けです。
悪しからず。


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貝殻と砂の間

2012-08-01 02:12:22 | 不思議
昨日はなんだかとても疲れていて、 
書き込んだ記事の内容も実は繊細なものだったりもしていて...... 
どことなく不安な感覚を覚えて、今日、 昼の空き時間に、
カフェでアイスコーヒーを飲みながら少し記事を読み直していました。 



......で......落ち込みます。



明らかに要らない文章が2つばかり......
それを削っても本文はちゃんと成り立ちますし、
何より、
その削るべき文に含まれている本質が自分の過剰な表現欲求だったり、
自我、エゴ的なものだと感じられたからです。
もう、なんだか汚物を見るようで......落ち込みました。
自分の為に密かに記し出したはずなのに、気がつくと、
自己顕示的で妙に無駄なモノを付け足し、記してしまう。
ディレクションやプロデュースをする時には
手に取るようにそれらを見つけられる自信もあるし、
「必要があれば」ちゃんと削れるようなことも生業にすらしてきたはずが。
こと、自分から出てくるモノになると、それがなかなか出来ない。
甘くなってしまう。
自分の愚かさに本当にへこみました......
ヘコミついでにソコはカットし修正しました。ぶぇ(T.T)



これは、分子生物学者の福岡伸一さんという方が著した
「生物と無生物のあいだ」
という本。



本文より———————————
夏休み。
海辺の砂浜を歩くと足下に無数の、生物と無生物が散乱している事を知る。
美しいすじが幾重にも走る断面を持った赤い小石。
私はそれを手にとってはしばらく眺めた後、砂地に落とす。
ふと気がつくと、
その隣には小石とほとんど同じ色使いの小さな貝殻がある。
そこにはすでに生命は失われているけれど、
私たちは確実にそれが生命の営みによってもたらされたものであることを見る。
小さな貝殻に、小石とは決定的に違う
一体何を私たちは見ているというのだろうか—————————



そんな深淵で面白いテーマを記したとても興味深い本です。
「生命とは自己複製するシステムである」
それが生命科学がDNAの発見とともに到達した一つの答えだったのですが、
それが「ウイルス」という、
生命としての一切の「代謝」を行わず、
幾何学形象を持ち、鉱物的結晶化もして、それなのに、
自らを複製する能力を持っているという摩訶不思議な生物?物質?
という存在に人類は出会いました。
そして、この著者もその謎解きに没頭する事になるのです。
現在、この著者も人類も「生物と無生物の間」という境界線の
明確な答えを見つける事はまだ出来ていないのですが、
その答えは、
もしかしたら分子生物学の範囲「だけ」では見つけられないのかもしれません。



アル人は、
この問題に関して僕にこう教えてくれました。



「生命とは自らを表す衝動のことだ」



と。



「その衝動のエネルギーが命、生命である」



と。



こんなふうにブログを書いてたりするのも、
電話やメールや様々なSNSなどをとりあえずやってみたりするのも、
音楽や映画を作ったりダンスなんかするのも、
きっと、
自らを表したいという衝動が根幹にあるからなのかもしれません。
その衝動こそが命であり、生きている証。
僕は、今のところ、
この言葉が「命の根源」を表すには一番しっくりきています。
生物と無生物の間には
「自らを表そうとする衝動」
という線が横たわっているのではないかと考えています。
でも、
「その衝動とは何なのか?」
と言う部分が分子生物学を超える領域なのでしょうか。



何かを現そうとするその衝動は、
意味としては限りなく自己顕示という意識にも近いものなので、
そういう理由で生き物の傍には過剰な自己顕示欲=エゴ、自我、
といった罠があるのかもしれません。
昨日は......いやいや、時折......甘々ぷーな僕は、
その罠に見事にかかり、
余計な文章や言葉を生んでしまうように思います。
いや、情けないでふ。。( ´△`)

 

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