社会人一年目。22才ぐらいの時。
実家の近所にあるとても古くなっていた先祖代々のお墓を、
おばあちゃんが自分のお金で建て替えていました。
僕の父......自分の息子......に迷惑をかけない様に、と、
「生前から準備をするんだ。。」
などと言いながら新しくしていました。
おじいちゃんは戦争で亡くなっていたので、
我が家ではそんなお祖母ちゃんが中心になって
ずっと大切に先祖代々のお墓を護って来ていました。
僕はその時、
「俺は長男だしさ、
仕事含めてコレからこの家に戻るかどうかは分からないけど、、
何があっても、何をしていて、どこに住んでいても、
このお墓だけはちゃんと守るよ。
それだけは安心してくれよ。。」
と、おばあちゃんと両親や弟にも約束しました。
そのおばあちゃんは今はもういません。
僕は18才から実家を出て暮らしていたのですが、
それから遊びやら仕事やら!?で忙しく......
なんていう言いわけのもとに、
正月すら帰らない、
帰れない様な年が十年単位で続いていました。
そんな中でも「お盆」の期間だけはどこか一日だけでも
「絶対に帰る!」
と決めていたのにはそんな理由があります。
実際、皆と約束をして以来、
それはずっと続けてきていて、
今年もなんとか果たすことが出来ました。
それは、自分の中にそういう約束と
責任感みたいなものがあるからなのでしょうか。
両親の心配もあるので、お彼岸なども
「出来れば、帰れれば良いな......」
とは思っているのですが、
なかなか毎回とはいかず。
なのでお盆だけはたとえ半日だけでも、
何としても帰る様にしています。
そんな家族が大切に護って来たお墓にお参りをすると、
いつも遠い世界に旅立った大切な人、
縁のあった多くの人達のことを思い出します。
それは家族以外のお世話になった人達のことも、全て......
全ては過ぎ去った遠い時間のことですが、
そこに現れる人達や風景、匂い、音、言葉......は、
今そこにある時間のようにも感じられて。
いつも、どんなことでも、
なぜか大らかな気持ちで受け止められるような感じもします。
やっぱり人並みに思い出したく無いような嫌なこともありますが、
そんな出来事には、
きっと起こるべき必然性や何かしらの意味があったのだろうと、
何か学ぶべきことがソコにあったことなのだろうと、
なるべく逃げない様に、強くある様に......
いつもそんなふうに考える努力をしています。
過去を否定することは未来の否定にもなるのかもしれません。
なぜならば、
未来はいつも過去の上に存在しているのですから。
だから、
どんなことでも頑張って見つめてみるようにしています。
未来の為にも、
自分や家族の為にも、
命をつないで来てくれた縁ある方々にも、
精一杯の感謝と誠意を込めて、
これからも家族との約束を果たしていきたいと思っています。
今年も両親の背中がまるまって、
少し小さくなったような気がしました。
お墓参りの墓前ではいつも色々と考えてしまいます。
バケツに水をたっぷり入れて、
ぞうきんをしぼって、
隅から隅まで綺麗に洗い、拭いて、お花を立てて、
線香をおいて。
全て終えるとちょっと清々しい気持ちになります。
なのでうちのお墓は自慢出来るくらいいつもピカピカです。
未来はいつも過去の上に存在しています。
掃除をしていると、よく、
不思議ですがいつも蝶々が飛んできます。
今年も見かけました。
いつも掃除を手伝ってくれる実家のワンコ♀。
内気な娘です(^_^)
実家の近所にあるとても古くなっていた先祖代々のお墓を、
おばあちゃんが自分のお金で建て替えていました。
僕の父......自分の息子......に迷惑をかけない様に、と、
「生前から準備をするんだ。。」
などと言いながら新しくしていました。
おじいちゃんは戦争で亡くなっていたので、
我が家ではそんなお祖母ちゃんが中心になって
ずっと大切に先祖代々のお墓を護って来ていました。
僕はその時、
「俺は長男だしさ、
仕事含めてコレからこの家に戻るかどうかは分からないけど、、
何があっても、何をしていて、どこに住んでいても、
このお墓だけはちゃんと守るよ。
それだけは安心してくれよ。。」
と、おばあちゃんと両親や弟にも約束しました。
そのおばあちゃんは今はもういません。
僕は18才から実家を出て暮らしていたのですが、
それから遊びやら仕事やら!?で忙しく......
なんていう言いわけのもとに、
正月すら帰らない、
帰れない様な年が十年単位で続いていました。
そんな中でも「お盆」の期間だけはどこか一日だけでも
「絶対に帰る!」
と決めていたのにはそんな理由があります。
実際、皆と約束をして以来、
それはずっと続けてきていて、
今年もなんとか果たすことが出来ました。
それは、自分の中にそういう約束と
責任感みたいなものがあるからなのでしょうか。
両親の心配もあるので、お彼岸なども
「出来れば、帰れれば良いな......」
とは思っているのですが、
なかなか毎回とはいかず。
なのでお盆だけはたとえ半日だけでも、
何としても帰る様にしています。
そんな家族が大切に護って来たお墓にお参りをすると、
いつも遠い世界に旅立った大切な人、
縁のあった多くの人達のことを思い出します。
それは家族以外のお世話になった人達のことも、全て......
全ては過ぎ去った遠い時間のことですが、
そこに現れる人達や風景、匂い、音、言葉......は、
今そこにある時間のようにも感じられて。
いつも、どんなことでも、
なぜか大らかな気持ちで受け止められるような感じもします。
やっぱり人並みに思い出したく無いような嫌なこともありますが、
そんな出来事には、
きっと起こるべき必然性や何かしらの意味があったのだろうと、
何か学ぶべきことがソコにあったことなのだろうと、
なるべく逃げない様に、強くある様に......
いつもそんなふうに考える努力をしています。
過去を否定することは未来の否定にもなるのかもしれません。
なぜならば、
未来はいつも過去の上に存在しているのですから。
だから、
どんなことでも頑張って見つめてみるようにしています。
未来の為にも、
自分や家族の為にも、
命をつないで来てくれた縁ある方々にも、
精一杯の感謝と誠意を込めて、
これからも家族との約束を果たしていきたいと思っています。
今年も両親の背中がまるまって、
少し小さくなったような気がしました。
お墓参りの墓前ではいつも色々と考えてしまいます。
バケツに水をたっぷり入れて、
ぞうきんをしぼって、
隅から隅まで綺麗に洗い、拭いて、お花を立てて、
線香をおいて。
全て終えるとちょっと清々しい気持ちになります。
なのでうちのお墓は自慢出来るくらいいつもピカピカです。
未来はいつも過去の上に存在しています。
掃除をしていると、よく、
不思議ですがいつも蝶々が飛んできます。
今年も見かけました。
いつも掃除を手伝ってくれる実家のワンコ♀。
内気な娘です(^_^)