そして、その日、
オルガンティノは祭壇の前で祈りを捧げている時に
幻とも現実とも分からない不思議な光景を見ることになります......
つづくぅ(・O・)/
オルガンティノが見たその光景は、
沢山の日本の神々が集い、祭りのように騒いでいる宴。
神々の真ん中では肌も露にした美しい女神がくるくると躍り、回っている風景。
そして、そんな光景を見ながら彼はその場に倒れ込みそのまま意識を失います。
翌日の夕べもオルガンティノは南蛮寺の庭を歩いています。
すると、
いつの間にか目の前に煙に包まれた様な薄ボヤけた姿の老人男性が表れます。
ソレは昨日見た幻の中に出て来た神達と同じ様な姿に見えました。
「誰だおまえは?」
ときくオルガンティノにその老人はこう答えます。
「私はーーー誰でもかまいません。この国の霊の一人です。
御一緒に歩きましょう。。」
オルガンティノは払いの十字を切りましたが......老人は意に介しません。
そして、観念したオルガンティノと老人は一緒に歩き出し、
色々な話しをします。
老人は、だいたい、こんな話しをオルガンティノにします。
......あなたの神もこの国に来ては、きっと最後は負けてしまいますよ......
......過去この国に渡って来たのはあなたの神だけではありません。
孔子、孟子、荘子......
......沢山の支那の哲人、、後にはシッダルタ(釈迦)......
......誰がこの国を征服出来たでしょうか。
例えば文字をご覧なさい。
文字は我々を征服する代わりに、我々の為に征服されました。
空海、道風、佐理、行成、、、
彼らが手本にしていたのは皆支那人の墨跡です。
しかし、彼らの筆先からは、次第に新しい美が生まれました。
彼らの文字はいつのまにか王儀之(おうぎし)でもなければ
楮遂良(ちょすいりょう)でもない、日本人の文字になり出したのです。
しかし、我々が勝ったのは、文字ばかりではありません。
老儒の道(道教と儒教)さえも和らげました...
......私は親鸞、日蓮と一緒に沙羅双樹の華の陰も歩いています......
......たといこの「造り変える力」が、我々だけに限らないでも、
やはり油断だけはなりませんよ。
いや、むしろ、、それだけに、
御気をつけなさいと云いたいのです......
この老人の姿は、
歩いていくうちに夕闇の中にだんだんと消えていくのですが。
その消えていく最中、
老人は小さくなっていく声でオルガンティノにこう言い残します。
......事によるとデウス(オルガンティノの神)自身も、
この国の土人に変わるでしょう。
支那や印度も変わったのです。
西洋も変わらなければなりません。
我々は木々の中にもいます。
浅い水の流れにもいます。
薔薇の花を渡る風にもいます。
どこにでも、またいつでもいます......
......御気をつけなさい。御気をつけなさい......
——————————平成時代。
六本木の寿司屋のカウンター。
「御気をつけなさい、、、」
っと、僕は思わず言いそうになって口をつぐみました。
違う違う......
「えーーっと、、、僕が思う日本文化の特徴はですね、、、」
と僕は言い直します。
「アレンジメント・カルチャーって感じでしょうか。。
あくまで個人的な主観ですけど。。」
思いもよらず、その場にいた方達全員が
「うんうん、、」
とうなずいて納得していたことに少し戸惑いましたが、
その時は皆でそんな話をしたことを覚えています。
その時の僕の意見は、
主観的でたわいもない全体論としての話でしかありませんが、
芥川龍之介の書いたこの短編小説以降の......明治以降の.......この国を見ても、
果たして我々は「完全に」アメリカに占領されていた?いる?のでしょうか。
クリスマスやらバレンタインやら、サンバ祭りにハロウィンやら。
七夕に盆に正月、ベースボールが野球になって......
もしかしたらこれからはサッカーなども......
この小説の内容に思いが至るようなことが僕には時たまあります。
御気をつけなさい。御気をつけなさい......
この国の国民性は、
もしかしたら独創的というものではないのかもしれませんが。
多様なものを独自に纏め、組み替えて、造り変えて、
いつの間にか違うものや、自らのものにしてしまう。
そんな「懐の深さ」は特筆すべき日本人の特徴なのかもしれません。
「底知れぬ懐」
この国では至る所に神がいるのでしょうか。
八百万の神とは......
ならば、御気をつけなさい、御気をつけなさい......と、
たまに呟いてみるわけです。
タマに行く神秘的な本栖湖から見る富士ピョーーン!(^^)じゃぱーん
オルガンティノは祭壇の前で祈りを捧げている時に
幻とも現実とも分からない不思議な光景を見ることになります......
つづくぅ(・O・)/
オルガンティノが見たその光景は、
沢山の日本の神々が集い、祭りのように騒いでいる宴。
神々の真ん中では肌も露にした美しい女神がくるくると躍り、回っている風景。
そして、そんな光景を見ながら彼はその場に倒れ込みそのまま意識を失います。
翌日の夕べもオルガンティノは南蛮寺の庭を歩いています。
すると、
いつの間にか目の前に煙に包まれた様な薄ボヤけた姿の老人男性が表れます。
ソレは昨日見た幻の中に出て来た神達と同じ様な姿に見えました。
「誰だおまえは?」
ときくオルガンティノにその老人はこう答えます。
「私はーーー誰でもかまいません。この国の霊の一人です。
御一緒に歩きましょう。。」
オルガンティノは払いの十字を切りましたが......老人は意に介しません。
そして、観念したオルガンティノと老人は一緒に歩き出し、
色々な話しをします。
老人は、だいたい、こんな話しをオルガンティノにします。
......あなたの神もこの国に来ては、きっと最後は負けてしまいますよ......
......過去この国に渡って来たのはあなたの神だけではありません。
孔子、孟子、荘子......
......沢山の支那の哲人、、後にはシッダルタ(釈迦)......
......誰がこの国を征服出来たでしょうか。
例えば文字をご覧なさい。
文字は我々を征服する代わりに、我々の為に征服されました。
空海、道風、佐理、行成、、、
彼らが手本にしていたのは皆支那人の墨跡です。
しかし、彼らの筆先からは、次第に新しい美が生まれました。
彼らの文字はいつのまにか王儀之(おうぎし)でもなければ
楮遂良(ちょすいりょう)でもない、日本人の文字になり出したのです。
しかし、我々が勝ったのは、文字ばかりではありません。
老儒の道(道教と儒教)さえも和らげました...
......私は親鸞、日蓮と一緒に沙羅双樹の華の陰も歩いています......
......たといこの「造り変える力」が、我々だけに限らないでも、
やはり油断だけはなりませんよ。
いや、むしろ、、それだけに、
御気をつけなさいと云いたいのです......
この老人の姿は、
歩いていくうちに夕闇の中にだんだんと消えていくのですが。
その消えていく最中、
老人は小さくなっていく声でオルガンティノにこう言い残します。
......事によるとデウス(オルガンティノの神)自身も、
この国の土人に変わるでしょう。
支那や印度も変わったのです。
西洋も変わらなければなりません。
我々は木々の中にもいます。
浅い水の流れにもいます。
薔薇の花を渡る風にもいます。
どこにでも、またいつでもいます......
......御気をつけなさい。御気をつけなさい......
——————————平成時代。
六本木の寿司屋のカウンター。
「御気をつけなさい、、、」
っと、僕は思わず言いそうになって口をつぐみました。
違う違う......
「えーーっと、、、僕が思う日本文化の特徴はですね、、、」
と僕は言い直します。
「アレンジメント・カルチャーって感じでしょうか。。
あくまで個人的な主観ですけど。。」
思いもよらず、その場にいた方達全員が
「うんうん、、」
とうなずいて納得していたことに少し戸惑いましたが、
その時は皆でそんな話をしたことを覚えています。
その時の僕の意見は、
主観的でたわいもない全体論としての話でしかありませんが、
芥川龍之介の書いたこの短編小説以降の......明治以降の.......この国を見ても、
果たして我々は「完全に」アメリカに占領されていた?いる?のでしょうか。
クリスマスやらバレンタインやら、サンバ祭りにハロウィンやら。
七夕に盆に正月、ベースボールが野球になって......
もしかしたらこれからはサッカーなども......
この小説の内容に思いが至るようなことが僕には時たまあります。
御気をつけなさい。御気をつけなさい......
この国の国民性は、
もしかしたら独創的というものではないのかもしれませんが。
多様なものを独自に纏め、組み替えて、造り変えて、
いつの間にか違うものや、自らのものにしてしまう。
そんな「懐の深さ」は特筆すべき日本人の特徴なのかもしれません。
「底知れぬ懐」
この国では至る所に神がいるのでしょうか。
八百万の神とは......
ならば、御気をつけなさい、御気をつけなさい......と、
たまに呟いてみるわけです。
タマに行く神秘的な本栖湖から見る富士ピョーーン!(^^)じゃぱーん