そんなこんなで高校3年生の秋、
取りたてのホヤホヤ免許で行く4輪ドライブは、
一路、憧れの横浜ドルフィンを目指すことになりました......
つづくぅ。。
当時はカーナビもスマホもないので、
昭文社の「全国ロードマップ!」を片手に向かいます。
そして、何度か遊びに行っていた横浜までは難なく辿り着いたのですが、
案の定、その後道に迷い。
結局、その時はドルフィンに辿り着くことは出来ませんでした。
やはり......若輩埼玉県人(T . T)ぶぇ。
「関東ロードマップ」にすれば良かった......
それから冬が過ぎ。春が来て。晴れて高校を卒業。
大学に行くことになった僕は少しの春休みに入ります。
春の柔らかな日差しの中、
僕はU2やユーミンの「卒業写真」なんぞを聞きながら、
「ふふふふふーーーん♪」
と、「憧れのドルフィン探訪」にしつこく再チャレンジをしました。
人々に笑顔で迎えてもらえないオーラを放つ当時の愛車
「黒いクラウン」で、
僕は一人「港の見える丘公園」辺りをグルグルグルグル回り、
そして......
やっと!!
見つけました!
ドルフィンでございます......
車を店下の駐車場に停めて、階段を上り。
そして、ちょっと緊張しながら念願だったドルフィンに入ります。
ワガママを言って窓際の席をお願いしたりなんかして......
しかし、ちょうど空いていて......
そこに坐ります......
ハァ(゜・゜*)、、、、、、ここかぁ。。。。。
そして、
憧れだった「ソーダ水」を頼みます。。
。。。。しばし。。。ぼーーーーっつ。。。と。。。
時間。。止まる。。。。
。。感激。。。
窓際の席は歌のとおり小高い丘から港を見渡せて、
色々な船がせわしなく行ったり来たりしてました。
ソーダ水の中を貨物船は通らなかったけど、
なんだかじわーーーっと、嬉しい気持ち......
————————「MISSLIM」は傑作ですよ。ユーミンさん。。
キャロルキングの「つづれおり」と並ぶアルバムは、
コレしか無いと思ってます。僕は—————————
何度かグラスを上に掲げて、
「無理やり窓の外の貨物船をソーダ水の中に通したろか!?」
などとアホアホぷーな試みをしようかとも考えたのですが......
そこは流石に埼玉県人の強い誇りが許しませんでした。
あくまで
「俺は通りがかりでちょっと入っちゃっただけだよーん。」
「地元の人なんだよーん」
と......そういう雰囲気を大切に過ごしていました。
はい。悲しい性でございます(T . T)
嬉しいことに今でもドルフィンはそのままあるようです。
ただ、話によると、
街の開発がかなり進んで窓の外の景色も大分変わり、
港はあまり良く見えなくなったと聞きました。
最初ドルフィンに行った時、まさか自分が将来
ユーミンと同じ世界で働くことになるなんて夢にも思っていなくて。
実際、敬愛する正隆さんやユーミンさんとも
お仕事をさせてもらう機会にも恵まれました。
それは僕にとってはとても光栄で、幸せなことでした。
心の中ではドルフィンで港を眺めていた10代の僕が、
なんだかとても嬉しそうに笑っていました。
レコーディングスタジオで最初に正隆さんにお会いした時に、
「、、実は高校生の時にこんな思い出がありまして、、、」
なんていう、今回のコノ話を
「話そうかなぁ、、どしようかなぁ、、
あまりにミーハーな感じかもなぁ、、、」
「ちとキモイかなぁ、、」
なんて考え出してしまい......思い切って!!
「よし!、、話してみよう!、、、」
と、息を吸い。
気持ちを整え......
正隆さんに向かい、
僕は言いました!
「コーヒーはブラックですか?」
あかんわ。じぶーーん!(><)
正隆さんと一緒にプロデュースワークをさせてもらったSunday。
ユーミンさんも詩を書き下ろしてくれて、本当に楽しい仕事でした。
僕にとって大切な一作。
Sundayにも久々に会いたいなぁ。。
☆「ソーダ水の物語」シリーズ記事☆
「1」「2」「3」「4」
取りたてのホヤホヤ免許で行く4輪ドライブは、
一路、憧れの横浜ドルフィンを目指すことになりました......
つづくぅ。。
当時はカーナビもスマホもないので、
昭文社の「全国ロードマップ!」を片手に向かいます。
そして、何度か遊びに行っていた横浜までは難なく辿り着いたのですが、
案の定、その後道に迷い。
結局、その時はドルフィンに辿り着くことは出来ませんでした。
やはり......若輩埼玉県人(T . T)ぶぇ。
「関東ロードマップ」にすれば良かった......
それから冬が過ぎ。春が来て。晴れて高校を卒業。
大学に行くことになった僕は少しの春休みに入ります。
春の柔らかな日差しの中、
僕はU2やユーミンの「卒業写真」なんぞを聞きながら、
「ふふふふふーーーん♪」
と、「憧れのドルフィン探訪」にしつこく再チャレンジをしました。
人々に笑顔で迎えてもらえないオーラを放つ当時の愛車
「黒いクラウン」で、
僕は一人「港の見える丘公園」辺りをグルグルグルグル回り、
そして......
やっと!!
見つけました!
ドルフィンでございます......
車を店下の駐車場に停めて、階段を上り。
そして、ちょっと緊張しながら念願だったドルフィンに入ります。
ワガママを言って窓際の席をお願いしたりなんかして......
しかし、ちょうど空いていて......
そこに坐ります......
ハァ(゜・゜*)、、、、、、ここかぁ。。。。。
そして、
憧れだった「ソーダ水」を頼みます。。
。。。。しばし。。。ぼーーーーっつ。。。と。。。
時間。。止まる。。。。
。。感激。。。
窓際の席は歌のとおり小高い丘から港を見渡せて、
色々な船がせわしなく行ったり来たりしてました。
ソーダ水の中を貨物船は通らなかったけど、
なんだかじわーーーっと、嬉しい気持ち......
————————「MISSLIM」は傑作ですよ。ユーミンさん。。
キャロルキングの「つづれおり」と並ぶアルバムは、
コレしか無いと思ってます。僕は—————————
何度かグラスを上に掲げて、
「無理やり窓の外の貨物船をソーダ水の中に通したろか!?」
などとアホアホぷーな試みをしようかとも考えたのですが......
そこは流石に埼玉県人の強い誇りが許しませんでした。
あくまで
「俺は通りがかりでちょっと入っちゃっただけだよーん。」
「地元の人なんだよーん」
と......そういう雰囲気を大切に過ごしていました。
はい。悲しい性でございます(T . T)
嬉しいことに今でもドルフィンはそのままあるようです。
ただ、話によると、
街の開発がかなり進んで窓の外の景色も大分変わり、
港はあまり良く見えなくなったと聞きました。
最初ドルフィンに行った時、まさか自分が将来
ユーミンと同じ世界で働くことになるなんて夢にも思っていなくて。
実際、敬愛する正隆さんやユーミンさんとも
お仕事をさせてもらう機会にも恵まれました。
それは僕にとってはとても光栄で、幸せなことでした。
心の中ではドルフィンで港を眺めていた10代の僕が、
なんだかとても嬉しそうに笑っていました。
レコーディングスタジオで最初に正隆さんにお会いした時に、
「、、実は高校生の時にこんな思い出がありまして、、、」
なんていう、今回のコノ話を
「話そうかなぁ、、どしようかなぁ、、
あまりにミーハーな感じかもなぁ、、、」
「ちとキモイかなぁ、、」
なんて考え出してしまい......思い切って!!
「よし!、、話してみよう!、、、」
と、息を吸い。
気持ちを整え......
正隆さんに向かい、
僕は言いました!
「コーヒーはブラックですか?」
あかんわ。じぶーーん!(><)
正隆さんと一緒にプロデュースワークをさせてもらったSunday。
ユーミンさんも詩を書き下ろしてくれて、本当に楽しい仕事でした。
僕にとって大切な一作。
Sundayにも久々に会いたいなぁ。。
☆「ソーダ水の物語」シリーズ記事☆
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