仕事帰りの電車の中。
乗降ドアの窓ガラスに某出版社の
「新刊!絶賛発売中!」
という宣伝ステッカーが貼られていました。
その宣伝文句には
「AI(人工知能)、SF、出雲神話、、、」
なんていうニワカにソソラレる文字が並んでいて。
そんなチョイとポンポコな言葉の組合せに多少の違和感と作意も感じつつ、
しかし、つい目を惹かれてしまった僕さんは自宅のある街の駅を降りて、
そのまま駅ビルの中にある大きな本屋さんに立ち寄ってみました。
でも、そのお目当ての本は押しモノを並べる平置きコーナーを見ても、
発売元の出版社さんのコーナーを探してみても見当たらず。
店内に設置されていた検索端末で調べてもみたのですが......
見当たらず......
「欠品」の表示。
「こんな大きな本屋さんに無いのか〜......」
と、探すのを諦めた僕は、
その場でスマホからアマゾンを検索。
既に中古本も出回っているらしく、
郵送代を含めても新品価格よりかなり安く購入出来ました。
この間、ホンの数分。
......さて、
マズイっす。。
本屋さんの店内でお目当ての本をネット注文。
その本はおそらく明日には自宅に届くでしょう。
何か、おかしい。
違和感......を感じます。
でも、そんな時代。。
そのまま家に帰った僕は再びスマホを取り出し、
大手出版社で編集の仕事をやっている女性の友人
「NKさん」に電話をかけました。
「もしもし!?アチキです。ええ。アチキ。
ええ。ええ。
どもども。
お久しぶりんこ!えっあ!?なに!?あっ!そー!!!
そだね、あけましてで。おめでとーで。そだそだ。確かに。
今年初めてでやんすね。どもども( ̄∇ ̄)
でさ、あのね、なんでおっきな本屋に本が無いわけ?
出版社も一押し!なんて本が。
ネットで買っちゃったよぉぉ。
ダイジョーブなの?そんなの。
本屋さんって。
ヤバくね?
数年前のCDショップみたいじゃね?どなのさ?
最近のリアル本屋さん事情というのわ。
ちょっとお話を聞かせてけろ!(・Д・)突然キョーミが湧いたの!」
僕は子供の頃から本屋さんが大好きで。
逃げ場所の様な、遊び場の様な。
仕事場の様な、息抜き場の様な。
アイデアに煮詰まった時などには良き相談者の様に感じることもあるし、
時に頼れる友達にも、
物知りの先生の様にも感じられる場所でもあるし。
それで?なのか、どうなのか。
この時僕は唐突に、今更ながらの、
そんな大好きな街の本屋さんの未来を憂う気持ちが強く沸き起こって来たのでした。
ネットワーク革命の後、時代の変化は急速で。
その足音は寝ていても聞こえて来るくらい。
街の本屋さんに思う気持ちは、
数年前の自分が「棲まう」音楽業界における
パッケージ関連事業の先行きを憂いていた時の気持ちと同じような思い。
「もう、
リアル店舗形式の本屋さんの殆どは成り立たないと思うなぁ......」
電話先の編集者の友人も、
僕と異口同音にそんなことを言っていました。
「少なくとも、もう雑誌は壊滅よね。
あとは店頭イベントとか、
色んな物販モノを増やすとか、
レンタル店と一緒になってるとか、
そういう方向に進んでる感じ。
ツタヤとかさ、CDショップと一緒の流れね。
キツイわよ。ホント。
だからウチは逆にリアル店舗さんを出来るだけ大事にする方針でやってるけど。
それはウチにとってはトテモ大事なことだと思うから......」
出雲なう。なのです。
宍道湖(しんじこ)のほとりにある温泉ホテルの部屋の片隅で、
明け方近くに、ポヤポヤとこのグダグダな記事を記しています。
此処は、これまで、事あるごとに幾度も訪ね歩いて来た地ではありますが、
一月という冬の季節の真っ只中に訪れるなんていうことは今回が初めてだったりもします。
そしてやはり、
この季節の日本海側の地というのはとても厳しい寒さであって。
長く、深く、濃い歴史が染み込んだ出雲特有の空気は、
そんな寒さをまた一層「意味深」に感じさせてくれたりもします。
その感覚というのは、また、どこか日本的な情緒や感傷で、
湿ったモノに包まれてもいて、
なんとなく水墨画の世界に入り込んだ様な、
時間がシン......と、止まってしまったような、
そんな世界に迷い込んだ感じでもあります。
限りなくグレイな冬の出雲の大地と空気。
寒さ以上に心身に染み入って来るこの寂寥感というのは、
いったいなんなのだろう......
ここは新しい神々に封印されたこの国の古(いにしえ)の神々が多く眠る地で。
そんな地にうっすらと積もった雪というのは、どういうわけだか暖かく、
寝心地の良い真っ白な掛け布団の様にも見えてきて、
そんな心地よい布団に包まれた大地からは、実は、
神々はあまり外に出たくないんじゃないか......
というふうに思えてきたりもします。
仮にそんな神々が長い眠りから目覚め、
この世界に起き出して来たとしても、
それはきっと古(いにしえ)の姿そのままでも無いのだと思います。
仮に、古(いにしえ)の神々の復権の様なものがあるとしても、
それはきっと新たな神々との混合と混血で。
そういう意味で、古い神の復活など、
そのまんまの意味ではもう無いのだと思います。
きっと全ては、また新しい神や種を産むためであって。創るためであって。
それは拡大と革新を続ける宇宙全体の歩調ともリンクした、
リンクせざるを得ない、必然で自然な道程であるはずで。
ふと、数日前の本屋さんでの出来事が頭によぎります。
友人と電話で話したことが浮かんできます。
激しく流れ行く世界で本屋さんはこれからどうするのだろうか。
古き良き時代は、二度と戻らないハズで。
本屋さんと古(いにしえ)の神々の姿が重ね合わさって浮かんできたりもします。
もちろん、その重なる姿の中には自分の姿もちゃんとあって。
自らの有り様も一緒に問われているようにも思います。
昨日の自分より今日の自分を進化させることはとても大変なことにも思えてくるし、
過去の自分を超えていくこともナカナカ厳しいことだとも思えます。
神々って?どうなのだろうか......
そんな部分は人と似ていたりもする?同じ?だったりするのだろうか......
冬の出雲で、今、そんなトメドモナイことをボヤボヤと考えていたりします。
あまり意味はなさそうで、実りも無さそうなことですが......
......そろそろ寝ましょーかね。。(*´ο`*)=3 ぽふー
毎度のことですが、僕がこの地に来るのは何故か!?神様からのお呼び出し!?
であったりもするのですが、今回の出雲はなんとなく、
良き未来のために古(いにしえ)の力の一部を取り戻そうとするかの様な出雲。
そんなポンチキプーなサイドストーリーは、また折を見てココで記したくも思いますが、
今回の出雲に漂っているものは、寒いけど暖かく、嵐なのに晴れている。
古いけど新しい。
そんな全てがメビウスの輪の様に渾然と捻れて繋がっている時空。
前後左右上下も無く、時間すらも消え去っている様な感覚世界。
この地に眠る古の神々からはそんな感覚の言葉が、なんとなく、
響き降りて来たりもします。
————新しいも、古いも。
それが時間であっても。アルようでナイものなのだ。
————このままゆっくり休んでいても良いのだ。
だが、未来のために。必要な変化のために。
我々も今一度身を起こし、ひとはだ脱いでもみようか。
————我も動くことにした。古いも新しいも時間は一緒なのだ。
————混じる時間と、その先にある未来。
それは、楽しみでなくて何であろうか。
————楽しみでなくて、何なのだ。
いろいろと不可思議な言葉はありますが、なんとなく、
大好きな本屋さんにも届けばいいなぁ......と。
限りなくグレイな話で(^^)かしこ。
乗降ドアの窓ガラスに某出版社の
「新刊!絶賛発売中!」
という宣伝ステッカーが貼られていました。
その宣伝文句には
「AI(人工知能)、SF、出雲神話、、、」
なんていうニワカにソソラレる文字が並んでいて。
そんなチョイとポンポコな言葉の組合せに多少の違和感と作意も感じつつ、
しかし、つい目を惹かれてしまった僕さんは自宅のある街の駅を降りて、
そのまま駅ビルの中にある大きな本屋さんに立ち寄ってみました。
でも、そのお目当ての本は押しモノを並べる平置きコーナーを見ても、
発売元の出版社さんのコーナーを探してみても見当たらず。
店内に設置されていた検索端末で調べてもみたのですが......
見当たらず......
「欠品」の表示。
「こんな大きな本屋さんに無いのか〜......」
と、探すのを諦めた僕は、
その場でスマホからアマゾンを検索。
既に中古本も出回っているらしく、
郵送代を含めても新品価格よりかなり安く購入出来ました。
この間、ホンの数分。
......さて、
マズイっす。。
本屋さんの店内でお目当ての本をネット注文。
その本はおそらく明日には自宅に届くでしょう。
何か、おかしい。
違和感......を感じます。
でも、そんな時代。。
そのまま家に帰った僕は再びスマホを取り出し、
大手出版社で編集の仕事をやっている女性の友人
「NKさん」に電話をかけました。
「もしもし!?アチキです。ええ。アチキ。
ええ。ええ。
どもども。
お久しぶりんこ!えっあ!?なに!?あっ!そー!!!
そだね、あけましてで。おめでとーで。そだそだ。確かに。
今年初めてでやんすね。どもども( ̄∇ ̄)
でさ、あのね、なんでおっきな本屋に本が無いわけ?
出版社も一押し!なんて本が。
ネットで買っちゃったよぉぉ。
ダイジョーブなの?そんなの。
本屋さんって。
ヤバくね?
数年前のCDショップみたいじゃね?どなのさ?
最近のリアル本屋さん事情というのわ。
ちょっとお話を聞かせてけろ!(・Д・)突然キョーミが湧いたの!」
僕は子供の頃から本屋さんが大好きで。
逃げ場所の様な、遊び場の様な。
仕事場の様な、息抜き場の様な。
アイデアに煮詰まった時などには良き相談者の様に感じることもあるし、
時に頼れる友達にも、
物知りの先生の様にも感じられる場所でもあるし。
それで?なのか、どうなのか。
この時僕は唐突に、今更ながらの、
そんな大好きな街の本屋さんの未来を憂う気持ちが強く沸き起こって来たのでした。
ネットワーク革命の後、時代の変化は急速で。
その足音は寝ていても聞こえて来るくらい。
街の本屋さんに思う気持ちは、
数年前の自分が「棲まう」音楽業界における
パッケージ関連事業の先行きを憂いていた時の気持ちと同じような思い。
「もう、
リアル店舗形式の本屋さんの殆どは成り立たないと思うなぁ......」
電話先の編集者の友人も、
僕と異口同音にそんなことを言っていました。
「少なくとも、もう雑誌は壊滅よね。
あとは店頭イベントとか、
色んな物販モノを増やすとか、
レンタル店と一緒になってるとか、
そういう方向に進んでる感じ。
ツタヤとかさ、CDショップと一緒の流れね。
キツイわよ。ホント。
だからウチは逆にリアル店舗さんを出来るだけ大事にする方針でやってるけど。
それはウチにとってはトテモ大事なことだと思うから......」
出雲なう。なのです。
宍道湖(しんじこ)のほとりにある温泉ホテルの部屋の片隅で、
明け方近くに、ポヤポヤとこのグダグダな記事を記しています。
此処は、これまで、事あるごとに幾度も訪ね歩いて来た地ではありますが、
一月という冬の季節の真っ只中に訪れるなんていうことは今回が初めてだったりもします。
そしてやはり、
この季節の日本海側の地というのはとても厳しい寒さであって。
長く、深く、濃い歴史が染み込んだ出雲特有の空気は、
そんな寒さをまた一層「意味深」に感じさせてくれたりもします。
その感覚というのは、また、どこか日本的な情緒や感傷で、
湿ったモノに包まれてもいて、
なんとなく水墨画の世界に入り込んだ様な、
時間がシン......と、止まってしまったような、
そんな世界に迷い込んだ感じでもあります。
限りなくグレイな冬の出雲の大地と空気。
寒さ以上に心身に染み入って来るこの寂寥感というのは、
いったいなんなのだろう......
ここは新しい神々に封印されたこの国の古(いにしえ)の神々が多く眠る地で。
そんな地にうっすらと積もった雪というのは、どういうわけだか暖かく、
寝心地の良い真っ白な掛け布団の様にも見えてきて、
そんな心地よい布団に包まれた大地からは、実は、
神々はあまり外に出たくないんじゃないか......
というふうに思えてきたりもします。
仮にそんな神々が長い眠りから目覚め、
この世界に起き出して来たとしても、
それはきっと古(いにしえ)の姿そのままでも無いのだと思います。
仮に、古(いにしえ)の神々の復権の様なものがあるとしても、
それはきっと新たな神々との混合と混血で。
そういう意味で、古い神の復活など、
そのまんまの意味ではもう無いのだと思います。
きっと全ては、また新しい神や種を産むためであって。創るためであって。
それは拡大と革新を続ける宇宙全体の歩調ともリンクした、
リンクせざるを得ない、必然で自然な道程であるはずで。
ふと、数日前の本屋さんでの出来事が頭によぎります。
友人と電話で話したことが浮かんできます。
激しく流れ行く世界で本屋さんはこれからどうするのだろうか。
古き良き時代は、二度と戻らないハズで。
本屋さんと古(いにしえ)の神々の姿が重ね合わさって浮かんできたりもします。
もちろん、その重なる姿の中には自分の姿もちゃんとあって。
自らの有り様も一緒に問われているようにも思います。
昨日の自分より今日の自分を進化させることはとても大変なことにも思えてくるし、
過去の自分を超えていくこともナカナカ厳しいことだとも思えます。
神々って?どうなのだろうか......
そんな部分は人と似ていたりもする?同じ?だったりするのだろうか......
冬の出雲で、今、そんなトメドモナイことをボヤボヤと考えていたりします。
あまり意味はなさそうで、実りも無さそうなことですが......
......そろそろ寝ましょーかね。。(*´ο`*)=3 ぽふー
毎度のことですが、僕がこの地に来るのは何故か!?神様からのお呼び出し!?
であったりもするのですが、今回の出雲はなんとなく、
良き未来のために古(いにしえ)の力の一部を取り戻そうとするかの様な出雲。
そんなポンチキプーなサイドストーリーは、また折を見てココで記したくも思いますが、
今回の出雲に漂っているものは、寒いけど暖かく、嵐なのに晴れている。
古いけど新しい。
そんな全てがメビウスの輪の様に渾然と捻れて繋がっている時空。
前後左右上下も無く、時間すらも消え去っている様な感覚世界。
この地に眠る古の神々からはそんな感覚の言葉が、なんとなく、
響き降りて来たりもします。
————新しいも、古いも。
それが時間であっても。アルようでナイものなのだ。
————このままゆっくり休んでいても良いのだ。
だが、未来のために。必要な変化のために。
我々も今一度身を起こし、ひとはだ脱いでもみようか。
————我も動くことにした。古いも新しいも時間は一緒なのだ。
————混じる時間と、その先にある未来。
それは、楽しみでなくて何であろうか。
————楽しみでなくて、何なのだ。
いろいろと不可思議な言葉はありますが、なんとなく、
大好きな本屋さんにも届けばいいなぁ......と。
限りなくグレイな話で(^^)かしこ。