銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

がけっぷちのエリーを見ながら(14)電子書籍化の危険性に気がつく

2010-07-10 16:06:43 | Weblog
 本日は土曜日です。で、休日であり、パソコンを自宅でお開きになっている方が多いと仮定して、津リッター方式で文章を書かせてくださいませ。はじめは10行程度、途中で、5行単位で、同じこの第15章という文章の終わりの方に、追加を加えていくつもりです。どうかよろしく。

小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第15章『崖っぷちのエリーを見ながら 』

・・・[前号までのあらすじ]、2010年現在、1999年のNY滞在時の思い出を書いている百合子には、日本での普通の日常生活もあり、テレビを夫と一緒に見たりするときもある・・・

(第一節) 百合子は、2010年の7月8日から9日にかけて、重い課題について書くことをこなしぬき、ほっとして、自宅でテレビを真正面を向いて見ることとした。普段はパソコンを打ちながら背中で見ている。パソコンが居間においてあるので、夫がテレビをつけると、そうなる。昼間はもちろんつけないのだけれど。

 夫婦二人で選んだ番組は、『崖っぷちのエリー』という新作で、有名な漫画家の一種の自伝だ。百合子は主演俳優(男性も女性も)に、やや、原作者夫婦と雰囲気(その人間としての持ち味のこと)が違うなあと言う不満と、進行がやや、騒々しいという不満を持った。だが、二人の演技が下手ということではない。この番組に出てきている人たちは、脇役も含めて、大変上手だ。ただし、漫画チックで誇張が多いが。
 主人は一般の人には「これでいいんだろう」と、いう。そういえば、新聞にも紹介記事がたくさん出ていたし。

 やや、不満げに見ていた百合子が、ある画面で、釘付けになった。美大の実習室でのこと。ヒロインのエリーは教授にいじめられることになるが、原因は貧乏だからだ。
 そこが、私の思い出を強烈に呼び覚ましたのだ。
~~~~~~~~~~

(第二節)百合子は美大卒ではないが、画面に出てくる規模の制作室で、ほかの人と絵を描いたことはいっぱい会って、特に、この教授みたいに、貧乏を、キーワードとしていじめる存在には出会ったことがある。

 ただ、ちょっと、エリーとは違うところもあるので、その詳細を述べさせていただきたい。百合子は59歳ごろから突然に貧乏になるのだけれど、10代から50代までほとんど経済的に苦労をしたことがなかった。大学入学時には、成績上奨学金がもらえるはずだったが、事務室で、「お父様の納税額が、上から6%以内ですので、奨学金は上げられません』といわれたほどだ。

 でも、一種の士族のたしなみとして、他人に対して、見せびらかすように、おしゃれをすることははしたないという教育を受けていた。ただ、ママともから、「いつも、スカート(ウール)を履いているでしょう。それは、感心しちゃう』といわれていた。今から30年前の百合子は、クリーニング代を気にすることなど、考えられもしなかった。

 ところが、海外をさまよい、版画修行に明け暮れ、そして、そこで学んだことを紙の本にして出版をすることを始めてから、貧乏になった。『唐様で売り家と書く三代目』の典型であり、宮沢賢治に似ているといえば、似ている。

 そして、お金が心配になったということだけではなくて、別の原因で、家にも戻った。重くて耐えられないほど痛い病気になってしまって、その病気をそのとき、東洋医へ、転職をしていた夫に治してもらって、『ああ、この家で、主婦として、過ごすことを神様はお命じになっているのかな』と感じたからだ。それ以来、大空を翔る鷲としての自分の翼はたたんでしまい、鶏として、地を這う暮らしをしている。本当につつましい生活者(つまり、普通の年金生活者)として日常を暮らしながら、唯一、(さまざまな援助が肉親からもらえるからこそ、それを生かして)、紙の本だけは作り続けようと、考えている存在だ。

 で、金持ちの生活も理解できれば、貧乏人の生活も理解できる。

~~~~~~~~~~
(第三節)1970年代に、友達に誘われた会で、百合子は、この『崖っぷちのエリー』のヒロインと同じ扱いを先生から受けた。理由は絵の具が古いことと、洋服がラフすぎたことだ。場所は高級公務員用住宅街の集会所。海外赴任なども多い奥様がたが、生徒である。
みんなワンピース姿であり、その上に、ひらひらしたレースのついた、エプロンをつけている。あとで、打ち上げパーティもあったが、おご馳走は皆様の持ち寄りで、見掛けもよくて味もよいもの。あらゆる意味でエリートママたちの集まりだった。
 一方の百合子の方は、ジーンズにトレーナー。油絵を描くのだから、汚れるからこれが当然だと思っている。
 しかし、浮き上がっているのは、感じて、誘ってくれた、高級官僚の夫人である旧友に悪いかなとは、思いつつ、絵を描き始める。

 先生が、生徒の間を回って、ほめたり注意するのはテレビの映像と同じ。先生はちくちくと百合子にいやみを言い始めた。理由はすぐわかった。服装もさることながら、画材を嫌がっているのだ。百合子はその日、絵の具箱に道具を詰めて出かけたが、その絵の具箱が超がつくほど古いもの(戦前のもの)で、肩紐がついていないタイプだ。部品として肩紐だけを買えば、二千円ぐらいかな? だけど、皮のベルトはやせた肩に食い込むので、好みではなくて、自分であり切れを使って、作っていた。

 その上、絵の具箱の中身も問題にしているのがわかった。「貧乏な絵の具を使っていて、いやだな。おまえはこの絵画教室のメンバーとして、いるべきではない」と先生が考ええているのはびんびんとわかった。普通の場合だと、ドラマ内のエリーよりはるかに繊細な百合子は逃げ出したであろう。

 しかし、絵を描くのが大好きなことと、先生を内心で、軽蔑し始めたので、いじめに対してまったく平気で悠々と絵を描き続けた。その貧乏な絵の具とは銘柄はフランスのルフランだったり、日本のクサカベだったりするので、ランクが低いものではない。ただ、戦前もしくは戦中のもので、当時は工業生産的に、攪拌技術が現在より劣っていたと見られ、油だけが、口やら、尻尾から滲み出していて、それがラベルを世としていたので、より汚く見えたのと、テレビと同じく、新品ではないので、すべて、チューブのおなかがへこんでいたりするわけだ。

(第四節)
 だけど、百合子の方では、『この先生って、なんて、人格の軽い人なんだろう。一流の人物ではないか』と思うだけで、淡々と絵を描き続けていた。一時間経過すると、先生の態度がガラッと変わった。いじめの言葉はまったくなくなった。

 百合子は察していた。自分がこの教室で圧倒的に、ほかの人とレベルが違うことが先生にわかり始めたのを。どこが違うかというと、まず、色の使い方が違う。

 画題は、三つおいてあったが、百合子のイーゼルから見えるのは、ピンクのカーネーションだけ。ピンクのカーネーションが10本ぐらい花瓶に生けてあるという画題。『なんてつまらないんだろう』と最初から思った百合子は、赤い絵の具を使ってカーネーションを描き始めた。形の方はあまりデフォルメはしない。この教室の生徒さんたちとか、先生には、ピカソ風の絵は受け入れられないのは、はっきりとわかっていた。

 百合子は色盲ではない。花はちゃんとしたピンクに見えている。だけど、絵というものは、対象を、そっくりに描けば結果としてよい絵になるというものでもないのだ。よい絵とか、傑作とは何かという定義は非常に難しいけれど、その総勢50人ぐらいのお教室で先生と、百合子だけは、その赤いカーネーションの絵は、成功したものであり、ほかの生徒さんとは、百合子自身が画家として、まったく別格の存在だということが、わかっていた。

 上のことを、先生自ら、着席パーティの席で解説してくださった。後は、百合子はヒロイン扱いだ。ほとんど口を利かないとよく言っているが、信頼する場所ではおおは謝儀でしゃべる百合子だ。そのパーティの主役として牛耳ってしまった。で、かえって、その一回きりで、二度といかれなくなってしまった。

 別に断られたわけではないが、場の雰囲気を乱したというのは、自分でもわかっていて、しかもお教室全体のカラーから考えると、そこで花を描き続けていって、最終的に日展に入選することになるのだろうとわかったが、そういう、将来像にも、何の魅力を感じなかった。先生は日展系の下部団体の会員だとのこと。百合子は小さいころから父に連れられてたくさんの団体点を見ていたが、日展系は、自分にはあわないなあと、ほんの小さいころから感じていたからだ。

(第5節)今、百合子はパソコン内に、上の赤いカーネーションのデータを探したがない。『あ、また、やられちゃった』と思う。でも、個人的なことより、この日本社会にとって、非常に困る、悪辣なデータ削除が行われているので、これから先はそれについて述べたい。
最終的な完成まで二時間以上かかると思うが、ツィッター方式で書くのでよろしくお願いしたい。

 百合子が先生の攻撃に、なんとも、揺るがなかったのは、これらの古い絵の具が、父の絵の具箱から譲ってもらったものであり、その父が、たいそう高いレベルで、戦時中画伯として尊敬されていた過去があったからだ。素人だった。満鉄のサラリーマン、しかも技術や。だが石油を専攻していたので、優遇をされていた。で、戦争に行っても割りと早く返されていて週末は中国国内の遺跡をスケッチ、兼、油絵を描きに旅行を重ねていた。その絵は、ラストエンペラーの宮廷やら、満鉄総裁室、そして、例の甘粕大尉自殺の部屋、理事長室などの壁面を飾っていた。

 それが、新聞記事の切り抜きとして百合子の実家には、10枚程度あった。今にして思えば残念だったが、それを、現代風のコピーにうつしておかなかったり、スキャンしてIT用データ化しておかなかったりしたのは、大、大、の失敗だった。全部資料が盗まれてしまったのだ。父の写真も母の写真も、記事の切り抜きさえ盗まれている。

 百合子宅では、ほかにもパソコン、も、ACアダプターの類も盗まれている。住所録の類も。USBなども。それから、パソコンが壊されたり、保存用のハードディスクが壊されたりするのも現物は残っているが、使えないわけだから、一種の盗みだと考えられる。
 だけど、とっさには騒がないのは、さまざまな理由がある。

 第一に、相手が、例の国際的軍産共同体だとすれば、きちがいじみた集団なので、騒いでもどうしようもないと、いうことがある。上があったり道徳観があったり、反省したりする団体ではない。よく素人の方が、警察に訴えればとおっしゃるが、百合子の見るところ、警察も、その軍産共同体には、しっかりと、支配されている。

 今回の大相撲騒動でも、いつのまにか、天皇賜杯(また、首相からのもの?とか、門グ大臣からのもの)さえ返上するとなっていて、壊滅的打撃を受けているが、それは、村山弘義、理事長代行になってから決められたことのようで、氏が高等検察官であったことを考えると、非常に暗示的でもある。

 だから、百合子は、この三年間、莫大な損失をこうむっているが、何も騒がなかった。めるまが等でも、ひとにいわないし、ブログでも公開をしなかった。
 それで、大切だと思われるものは、すべて身に着けて出るようにしていて、大荷物をキャリーバッグに積んで銀座でも歩いている。

(第6節)しかし、35坪の家に住んでいるのだ。しかも膨大なものがある。家族に捨てなさいといわれているが、お金で買えない、代替品がないものばかりだから、捨てられない。で、その膨大なアイテムが、あるかないかなど、普段は点検をしない。

 で、何がなくなった課など、それさえもわからないのが普通だ。だが、あるとき、知人から電話がかかってきて、「このお父様の写真、これが、残っているだけでも価値があるわね』といわれた。それは、三冊目のほんの中に挿入した、父、20代の写真で白いスーツを着て伊勢崎町のスタジオで撮ったものだ。

 その友人の言葉になんとなく不安になって、普段使っていない部屋に飾っていたその原版を探しに行くと、すでにない。洋服ダンスの脇板にかけられていた、小さな皮製の額に入れていたが、ないのだ。あっと思って、別の写真類を探したが、それらもない。

 別の写真類は、別の部屋のチェスとのにだんめの引き出しに入れていた。それもない。
 だけど、百合子はまたも、騒がない。黙ってじっと耐えていた。
 騒がないほうがよいのは、最終的な探索先を、奪われかねないので、最終的な探索先を保護するためだった。

(第7節) 最終的な探索先がどこかというと、国立国会図書館である。そこに新聞がおいてあるはずだ。その大元の資料から、再び探し出せばよい。そう考えていた。で、その大元の資料が消されないためには、騒がないほうがよいのだ。

 しかし驚愕したことには、国立国会図書館からは、新聞の類が消えていたのである。紙の形では消えていた。国立国会図書館側の説明によると、満州で発行された新聞はマイクロフィルム化してあるとのこと。で、マイクロフィルムを扱うのは初めてだったが、必死だかr、マスターして一頁ずつ検索をしていった。

 時期としては、父の思い出話を頼りにする。大勢の新聞記者が、家にやってきて、その普段とは違う様子に、赤ちゃんだった百合子が、大泣きをしたのに、「令嬢百合子ちゃんはニコニコしていたなどと、連中は書くんだよ。新聞記者なんて嘘を書くのだねと、まんざらでもない顔で、父がいっていたのを頼りにする。昭和十八年か、19年の秋だ。

 ところが、十紙以上に取り上げられたはずなのに、どこにもない。で、ためつすがめつしたら、文化面だけ、マイクロフィルム化していなかったのだ。しかも満州時代の新聞は二紙のみマイクロフィルムとして保存をされているが、両方とも文化面だけ、削除した形で、マイクロフィルムができていた。

 百合子はぴんと来る。そういえば、何年か前、マイクロフィルム化は、一面まで使った大ニュースとして報道されたが、あれも、自分に対する脅かしだったのだと、悟ってくる。もちろん、青地の記事が出たときは、同時進行的にそれが、自分に対する脅かしであることは察していたが、このマイクロフィルム化も同じ目的で行われるとは、同時進行的には気がつかなかった。

(第八節)、映画アフタースクールを見たときに携帯には、GPS機能というのがついていて、それで追跡をされるので、使わないこととしていた。追跡されるといやな事は電車が送らされるのだ。東京へ行くときは、北鎌倉とか、保土ヶ谷などの、乗り換えのきかない駅で、5分から30分程度待たされる。誰かと待ち合わせをしていたら大変だ。

 しかし、持ち歩いているパソコンにGPS機能が入れられているのにも気がついた。前の古いものには、FINDERという小さなファイルが入れられていて、どこで、仕事をしても把握をされるのにも気がついていたが、パソコンそのものにGPS機能がある。

 すべての方向と目的は脅すこと。それによって、気鬱になり、文章がかけなくすること、それによって、自分たちの悪事が、外に漏れないようにすることにあるだろう。

 で、百合子が国会図書館で、物を調べたころに、さらに脅かすために、NHK一チャンネルで、『爆問、学問』が国立国会図書館を訪問する企画が立てられた。別に脅かされもしないけれど、『あんた、調べてお父さんの資料がなくなっていることに気がついているけれど、手も足も出ないじゃあない』とあざ笑われていることは感じた。で、館長が登場したが、この館長の時代に、そのマイクロフィルム化が行われたわけでもない。
 ともかく、爆問学問を好きでよく見ているから、かれらに国立国会図書館へ行かせると言う企画を立てた。それを見ても、失われた資料を回復させる運動を百合子が起こせる分けもないと見くびっての嘲笑の企画である

(第九節)

 以前書いたが、土地台帳の原簿が閲覧できないことはあにひとり、百合子だけが困ることではない。新しく土地を買おうとする人が、二代前の地主について調べられないのは、困ることだ。それに、一枚の謄本(コピー)を取る金額が莫大に高くなっている

 そして、このように当たり前だった権利が奪われることが、最近、続いています。禁煙運動を許していたら、名古屋場所で、相撲が壊滅的打撃を受けました。

 ここで、今日は一応の終点を打たせていただきます。2010-7-10 雨宮舜
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とんびに油揚げ(高級マンションインNY)をさらわれる

2010-07-10 14:20:09 | Weblog
小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第14章『とんびに油揚げをさらわれる。しかも目の前で』

・・・・・[前号までのあらすじ]、百合子はときどき日本のことも思い出すが、今はニューヨークでがんばっている。やっと、適宜なマンションが見つかった・・・・・


 今回は六ヶ月契約とするつもりだった。三ヶ月と言う本音を言ってしまうと信用が無いのを、知ったからだ。実際には三ヶ月で帰るが、この不動産やが、人気のあるところなので、すぐ次の借り手が見つかる事は信じていた。だから、罪の意識はまるでない。次のお客が見つかるまでの十分に余裕ある日時に、「やはり、就労ビザが取れなかったので、三ヶ月で帰ります」と言えば、日本で言う敷金と言うのを、相手方はまる取り出来るのだから、実損は、掛けていないという判断もあった。
 
 しかし、今回は異常に待たされた。でも、不満は無かった。例の錦ちゃん張りに明るい青年のところに先客があったからだ。それが、なんと日本人の二人連れ。お嬢さんたちだ。細身で小柄で美形。二十代前半、多分学生。百合子はその話し合いが終わるまで、何の不安も持たずに待った。ところが、30分程度経過して、社長が、「ちょっとお話を聞きたいから奥の部屋で」という。『あ、やっと、正式な契約が始まるのか』と思ったが、社長は、他愛ない世間話をするだけだ。しかもどことなく暗い顔で。『変だな』とは直感的に思った。それは、当たりで、社長が百合子を隔離した本当の理由は、外のオフィスで、例の白い絨毯の敷いてある上等な部屋を、先客の二人の若い日本人女性に貸し付けるためだった。その、契約場面を、百合子に見せたくないということだった。

 やっとその奥の部屋から開放をされて、ナンバー2と思しき青年のデスク傍に座って、「今日、例の物件を契約したいのですが」というと、「それはすでに、借り手が付いています」と言う。愕然とする。その店に到着をしたときは、誰も、それを、告げなかったわけだから、すれ違いで先に来た、あの二人の若い人が契約をしたのだと察する。二日前に「借ります」と宣言していたのに、現金を入金しない限り契約が成立したとはみなされないのだと、初めて、ニューヨーク社会の冷淡さと、おきてのきびしさにも気がついた。

 百合子がもし、30分前に、ここについていたら、百合子のものと、あの白いインテリアの部屋はなっていたはずだ。こう言う場合、「口約束を守りなさい」と喧嘩を吹っかけるか、それとも、黙っているか、どちらが得策かを、一瞬で考えて、悔しさを黙って飲み込む。
 二人で借りれば、一人当たり、5万円となる。それなら、親掛かりの若い女性でも出せるのだろう。でも、あの部屋は、見せてもらえなかった寝室と、居間のふたましかないので、二人で使えるとは思っても見なかった。居間は一種の廊下もかねているので、寝室をつかう人との差が付く。その差は長い時間を掛けると必ず、損をしているほうの不満を招く。だから、あそこを、二人で共有するというのは、想像が出来なかったのだ。

 だけど、そちらの方が、ニューヨークの世情に、より通じていることは確かだった。来店したばかりのに、値段等を判断して、すぐ契約をしてしまう。勇敢と言うか、なんと言うか、物件の価値が見抜けるからの、急ぎ足だと思った。百合子は、その家捜しの数日間、自分では相当に苦労をしたつもりであったが、まだ、足りなかったのだ。緊張感も知識も足りなかった。
 百合子はすぐ、「もし、別の物件があったら、教えてください」と、言った。自分の本心を悟られないように苦労をしたが、その事務所の六人ぐらいのみんなが、百合子の悔しくて残念に思う気持ちは察していたはずだ。社長がわざわざ奥の部屋に入れ込んで隔離をしたのは、普通の人だったら、怒り出したり、恨むであろうとかんがえたからだ。この、小さな裏切りは、社員、みんなが阿吽の呼吸で協力して、演技をしていたからの成功であり、真実を言えば、たった15分の差で、百合子が現れたときに、全員が震撼したのだと思われる。一番前列のただただ、かわいいだけと見えた、女の子だって、百合子が、ヒアリングとしゃべるのと両方で、英語が出来るのを知っているから、奥の机の話が、入り口近辺まで漏れてくるのを、心配したはずだった。

 だけど、後の祭りとはまさにこのことである。また、『とんびに、油揚げをさらわれる』と言うことわざも、まさに、この場合は当てはまった。しかも目の前でさらわれてしまったのだ。別に地団太は踏まないけれど、残念で悔しい事は限りが無かった。

 しかし、奇跡は起きる。この60日ぐらいのち、百合子はまったくの偶然から、意趣返しみたいな事が出来てしまうのだ。そして、その結果、社長がこの件をいささか以上に気にしていた事がわかった。いや、もっとはっきり言えば、『まずい事をしちゃったかもしれないなあ』と思っているのが、百合子の目に、分かってしまったのだ。これも、こう言うエピソードから、小説を組み立てようと考える動機となっている。
 
 しかし、読者の皆様にはお待ちいただきたい。時制の推移とともに、新たな展開があり、その偶然にも、新しい家の大家の性格と言う問題が絡んでくるのだ。だから、そちらを先に書かないことには文脈が成り立たない。

 こちらの大家は赤ちゃんではない。大の大人だ。だから、性格やら人格と言うものがある。それが、思いがけないことに、風が吹けば桶屋が儲かるの類で、縁が切れたはずの、不動産屋の社長の方の、謝罪の意識を呼び覚ました。それは言葉で表現されたものではなく、彼の顔つきだけで百合子が察したわけだけれど。とても面白いエピソードだった。それも語りたいが、どうか、30回分ぐらいの、後をお待ちいただき



・・・・・ここで、平易な言葉で、作者としての、ひとつの思いを述べさせてくださいませ。一種の知り合いであるメルマガの読者に比べると、ブログの方は誰が読んで下さっているかがわかりません。それで、客引きをかねたタイトルをつけるほうがよいかなあと思うときがあります。キャッチコピー的なタイトルです。『この回などとんびに油揚げをさらわれる。しかも目の前で』とじっさいにつけています。7、章など『アエラがニューヨークの露店で売っていた』などがより耳目を引くと思います。特にブログの場合は固有名詞をタイトルにつけた方がよいと感じています。しかし、私が望んでいることは、最終的には心理学的な到達ですから、あまり下品に落としたくないのです。で、宣伝という意味では、ほとんど、何もやっていません。しかも、今、トラックバック機能が効きません。で、よかったら、この頁をご友人、知人にご紹介くださると幸いです。よろしくお願いをいたします。・・・・・

なお、下に12時間程度で、更新をしてしまった文章がありますので、それもごらんになっていただければ幸いです。昨日の昼からの24時間以内に、これらの長い文章をこれも混ぜれば4本アップしえています。        
 また、私の個人的なメールアドレスは、AtelierCK@aol.com です。

   では、どうかよろしく。2010年7月10日           雨宮 舜
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白い絨毯とソファのある、イタリア人の持ち家(インNY)

2010-07-10 00:52:13 | Weblog
 最初に申し上げます。下に上げる文章を書いたあとのことです。突然に日本に舞台を移した思い出が心によみがえりました。それは作品順序としては、本当はもっと後におくべき章です。急に挟み込んで申し訳ございませんでした。私の場合、文章は大体、最後までアイデアを持ってはじめます。特に小説と銘打てば、そうです。順序についても、大体はそのとおりに進みます。

 ただ、マドレーヌひとつから膨大な記憶を呼び覚ましたプルーストを真似していうのではありませんが、ほんの小さなきっかけで、膨大なことを思い出すことがあるのです。この際は、エレベーターの件で、あの日本での詐欺話を思い出したのでした。予告的にいってしまうと、ニューヨークで引越しの当日に、エレベーターが動かなくなって、八階ですから百合子は、大きな困惑を感じるのです。

 その故障ですが、今にして思えば偶然ではなくて、日本にいる鹿島泰三が手配をして、意図的に故障をさせたのだと確信します。で、あの日本での事件を思い出したわけです。八章から12章までを使っていますが、本当は、今からの連載の数章あとに、入れるべき文章です。

 普通の作家なら、まず、下書きとして、それらを書き、保存をしておいたのちに、エレベーターの故障が重要なこととして登場したときに、それを挿入すればよいのです。それは、わかっておりますが、私の場合は特殊な条件があるのです。それは、書くこと自体を妨害されていると言う事情です。

 特に、日本での思い出部分に登場した、鹿島泰三氏について、または、氏が持っているとうわさをされている機関、に触れた部分あたりは、下書きとしてパソコン内で書くことも,ブログやメルマガとして発表することも、妨害されやすい部分です。で、それらは、たいていは、さっとアップすることにしています。そうすると妨害されにくいのです。実際に今回、さっと、アップしてしまいました。お許しくださいませ。

 実は以下の文章内に、登場する不動産やで、これも予告になってしまいますが、社員全体からだまし討ちにされるという部分があるのです。

 こちらは、日本での経験に比較するとずっと、軽い、日常茶飯事的な出来事です。が、その部分を書いた後で、強烈なる思い出だった、日本で、だまされた日々を思い出したのでした。

 で、それを防衛上先に書き、アップさせていただいた後に、ゆったりと、ニューヨークに戻らせていただきます。高級住宅街をあきらめて、庶民の町で、探し始めた話へ入っていきます。どうか、よろしく。


小説『ジョーイの出立』
  第一部、タイムズスクエアーの家、
     第13章『白い絨毯と、ソファのある、イタリア人の持ち家』

・・・・・[前号までのあらすじ]、百合子(57)は、高級住宅街をあきらめて、家捜しの場を、庶民の町アストリアへ移動する。途中で日本での困難な思い出が急に心に浮かんだりするが、・・・・・

 やっと百合子が対応してもらえる時間がやってきた。向かって左側奥の社員が対応してくれる。その青年は多分、ナンバー2だから、百合子は満足だ。自分は賃貸の物件をお願いするわけだから、売買を望むお客さんに比べれば儲けの少ないお客だ。だから、社長に対応してもらえるわけも無い。その青年はいかにも明るく、日本で言えば、一心太助といったところ。または、それをよく演じた中村錦之助と言ったところだ。若い日の錦之助とご夫婦だった、有馬稲子さんが「錦之助さんはまことに素直で明るかった」といっている。その通り。
 
 二人で歩いて物件に向かう。それは、駅から至近距離だということだから、それもうれしい。その五分間に百合子はその青年に向かって、「あなたって南欧の人でしょう? イタリア人、それともスペイン人?」と話しかける。彼はちょっと戸惑った感じで、返事を急がず、暫時置いて、「そうです」といった。後で、思えば、彼は多分、ギリシャ人、もしくは東欧の出身者だったのだ。このアストリアと言うところは、その地名がアで終わることで示されるように、ギリシャ人が多い場所だった。マリアカラスも、この場所で育ったのだ。だから、人々はオペラが大好きだ。

 そして、マリアカラスも、ジャックリーン(ケネディ大統領の未亡人)に夫オナシスを奪われた時に、静かに身を引いたように、人々は気がよく優しいのだ。その町へ少数だが、アフリカンの若者とか、後からきた移民である、ロシアを含む東欧からの人間が、混入し始めている一帯だ。もちろん、日本人も三十人以上は、いたと思う。柴犬を連れた若奥さんにも出会ったし。

 ただ、その陽気でよく気がつく、不動産やの若い社員が、「南欧の人でしょう」という質問に暫時でも、答えなかったのは、さまざまな意味があるのだろう。百合子はもちろん、深追いはしなかった。

 物件はやや、小さい、ビルの中にあった。エレベーターの無いマンションの三階。しかし入室した途端、百合子は大満足をした。持ち主はイタリア人だそうで、今はイタリアへ帰国しているそうだ。さすがイタリア人と、納得をする美しいインテリア。数日前、フォレストヒルズで、見せてもらったグレーのインテリアの、日本人のオタクと比べるとずっと狭い。
 応接間兼、居間があちらでは、20畳はあったが、こちらでは6畳かな、と言う感じ。だから、ソファーセットではなくて、二人掛け用の、ソファーが一つだけ、置いてある。しかし、そのソファーはくるんであるのが、白くて柔らかい皮で、座ったときに気持ちがよさそうだ。

 その二人掛けのソファーから三メートルも離れていない向かい側に大型の液晶型テレビが置いてあった。持ち主はそれなりに、お金持ちか、若い人であろう。この1999年ごろは、百合子は自宅にも、アトリエ(それは、海外に自由に行くために、家族から離れた、一種の別居用の家だったが)にも、14インチのテレ・ビデオしか置いていない時期だったので、そのモダンなテレビには、驚いた。今ではすっかり消えてしまったが、テレ・ビデオとは、テレビと一体化したビデオ録画装置の付いた、コンパクトなしかし、奥行きの長い、ブラウン管式テレビである。

 ともかく、持ち主はおしゃれ極まりない人だ。つい口がほころんでしまった。『私ね。アーチストだから、この白い絨毯を汚さないようにするために、新聞など厚く敷くわ』とも口をすべらせた。大馬鹿だった。不動産やとしては、『あれ、汚されるかも』と心配するではないか。でも、若くて陽気な社員は、そんな不安はおくびにも出さなかったので、百合子は、ちっとも、気がつかず、ゆっくりと窓辺によって、外の景色を眺めた。

 フォレストヒルズの個人住宅も、マンションも庭というのが広く取ってある。しかし、こちらのビルではほとんど庭がなさそうだ。隣の家がたくさん目に入る。しかし、高台にあるので、遠く、北側の海が見えた。飛行機が飛んでいく。ラガーディアと言う、地方向けの飛行機が発着する空港が近くにあった。日本でたとえてみれば、蒲田といった地域だろうか。日本で吉祥寺と蒲田と言えば、ぐっとカラーが違う。フォレストヒルズと,アストリアの違いは、それと似ている。だけど、ここはニューヨークの中でも、気分が陽気で、しかも治安上安全だ。本当にいいマンションだ。ここを借りようと100%の決意する。

 しかし、そのとき、百合子は、すぐペーパー上の契約をすることに思い至らなかった。口では借りますといったのだが、最後の詰めを怠った。理由はシティバンクのカードは盗難を恐れて、身に着けていなかったし、現金も持っていなかったからだ。それでは、契約はできないと思いこんでいた。

 現金を多量に持ち歩くのが危険だという事は、学費用に一センチ近い厚さの20ドル紙幣を持って、シティバンクのブースを出た日に、ガラスを通して外でそれを見ていたホームレスのアフリカンに、「奥さん、お金を恵んでください」と言われた時に、しこたま感じた。とても、紙幣一枚あげたのではすまないだろうと感じて、走って逃げた。それいらい、自覚をしていたからだ。また、クレジットカードというものにも慣れていなかった。今では時々使うが、それをまだ、一切使ったことがない時期だったので、それも、災いをしたといえばいえる。もし、クレジットカードでもよいですか?」という言葉を出せば、本気度が相手に伝わったであろう。だが、世間知智が少ない百合子は、「借ります」という口約束だけで大丈夫だと思い込んでしまったのだ。
~~~~~~~~~~

 で、安心しきっていたので、間を二日開けて、不動産やを、再訪をした。この項続く

なお、この下に、たった4時間で更新してしまった、第12章があります。重い内容ですが、それ相応の面白さのある文章とはいえましょう。よかったら、そちらもどうかよろしく。              2010年7月10日  雨宮舜
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