本日は土曜日です。で、休日であり、パソコンを自宅でお開きになっている方が多いと仮定して、津リッター方式で文章を書かせてくださいませ。はじめは10行程度、途中で、5行単位で、同じこの第15章という文章の終わりの方に、追加を加えていくつもりです。どうかよろしく。
小説『ジョーイの出立』
第一部、タイムズスクエアーの家、
第15章『崖っぷちのエリーを見ながら 』
・・・[前号までのあらすじ]、2010年現在、1999年のNY滞在時の思い出を書いている百合子には、日本での普通の日常生活もあり、テレビを夫と一緒に見たりするときもある・・・
(第一節) 百合子は、2010年の7月8日から9日にかけて、重い課題について書くことをこなしぬき、ほっとして、自宅でテレビを真正面を向いて見ることとした。普段はパソコンを打ちながら背中で見ている。パソコンが居間においてあるので、夫がテレビをつけると、そうなる。昼間はもちろんつけないのだけれど。
夫婦二人で選んだ番組は、『崖っぷちのエリー』という新作で、有名な漫画家の一種の自伝だ。百合子は主演俳優(男性も女性も)に、やや、原作者夫婦と雰囲気(その人間としての持ち味のこと)が違うなあと言う不満と、進行がやや、騒々しいという不満を持った。だが、二人の演技が下手ということではない。この番組に出てきている人たちは、脇役も含めて、大変上手だ。ただし、漫画チックで誇張が多いが。
主人は一般の人には「これでいいんだろう」と、いう。そういえば、新聞にも紹介記事がたくさん出ていたし。
やや、不満げに見ていた百合子が、ある画面で、釘付けになった。美大の実習室でのこと。ヒロインのエリーは教授にいじめられることになるが、原因は貧乏だからだ。
そこが、私の思い出を強烈に呼び覚ましたのだ。
~~~~~~~~~~
(第二節)百合子は美大卒ではないが、画面に出てくる規模の制作室で、ほかの人と絵を描いたことはいっぱい会って、特に、この教授みたいに、貧乏を、キーワードとしていじめる存在には出会ったことがある。
ただ、ちょっと、エリーとは違うところもあるので、その詳細を述べさせていただきたい。百合子は59歳ごろから突然に貧乏になるのだけれど、10代から50代までほとんど経済的に苦労をしたことがなかった。大学入学時には、成績上奨学金がもらえるはずだったが、事務室で、「お父様の納税額が、上から6%以内ですので、奨学金は上げられません』といわれたほどだ。
でも、一種の士族のたしなみとして、他人に対して、見せびらかすように、おしゃれをすることははしたないという教育を受けていた。ただ、ママともから、「いつも、スカート(ウール)を履いているでしょう。それは、感心しちゃう』といわれていた。今から30年前の百合子は、クリーニング代を気にすることなど、考えられもしなかった。
ところが、海外をさまよい、版画修行に明け暮れ、そして、そこで学んだことを紙の本にして出版をすることを始めてから、貧乏になった。『唐様で売り家と書く三代目』の典型であり、宮沢賢治に似ているといえば、似ている。
そして、お金が心配になったということだけではなくて、別の原因で、家にも戻った。重くて耐えられないほど痛い病気になってしまって、その病気をそのとき、東洋医へ、転職をしていた夫に治してもらって、『ああ、この家で、主婦として、過ごすことを神様はお命じになっているのかな』と感じたからだ。それ以来、大空を翔る鷲としての自分の翼はたたんでしまい、鶏として、地を這う暮らしをしている。本当につつましい生活者(つまり、普通の年金生活者)として日常を暮らしながら、唯一、(さまざまな援助が肉親からもらえるからこそ、それを生かして)、紙の本だけは作り続けようと、考えている存在だ。
で、金持ちの生活も理解できれば、貧乏人の生活も理解できる。
~~~~~~~~~~
(第三節)1970年代に、友達に誘われた会で、百合子は、この『崖っぷちのエリー』のヒロインと同じ扱いを先生から受けた。理由は絵の具が古いことと、洋服がラフすぎたことだ。場所は高級公務員用住宅街の集会所。海外赴任なども多い奥様がたが、生徒である。
みんなワンピース姿であり、その上に、ひらひらしたレースのついた、エプロンをつけている。あとで、打ち上げパーティもあったが、おご馳走は皆様の持ち寄りで、見掛けもよくて味もよいもの。あらゆる意味でエリートママたちの集まりだった。
一方の百合子の方は、ジーンズにトレーナー。油絵を描くのだから、汚れるからこれが当然だと思っている。
しかし、浮き上がっているのは、感じて、誘ってくれた、高級官僚の夫人である旧友に悪いかなとは、思いつつ、絵を描き始める。
先生が、生徒の間を回って、ほめたり注意するのはテレビの映像と同じ。先生はちくちくと百合子にいやみを言い始めた。理由はすぐわかった。服装もさることながら、画材を嫌がっているのだ。百合子はその日、絵の具箱に道具を詰めて出かけたが、その絵の具箱が超がつくほど古いもの(戦前のもの)で、肩紐がついていないタイプだ。部品として肩紐だけを買えば、二千円ぐらいかな? だけど、皮のベルトはやせた肩に食い込むので、好みではなくて、自分であり切れを使って、作っていた。
その上、絵の具箱の中身も問題にしているのがわかった。「貧乏な絵の具を使っていて、いやだな。おまえはこの絵画教室のメンバーとして、いるべきではない」と先生が考ええているのはびんびんとわかった。普通の場合だと、ドラマ内のエリーよりはるかに繊細な百合子は逃げ出したであろう。
しかし、絵を描くのが大好きなことと、先生を内心で、軽蔑し始めたので、いじめに対してまったく平気で悠々と絵を描き続けた。その貧乏な絵の具とは銘柄はフランスのルフランだったり、日本のクサカベだったりするので、ランクが低いものではない。ただ、戦前もしくは戦中のもので、当時は工業生産的に、攪拌技術が現在より劣っていたと見られ、油だけが、口やら、尻尾から滲み出していて、それがラベルを世としていたので、より汚く見えたのと、テレビと同じく、新品ではないので、すべて、チューブのおなかがへこんでいたりするわけだ。
(第四節)
だけど、百合子の方では、『この先生って、なんて、人格の軽い人なんだろう。一流の人物ではないか』と思うだけで、淡々と絵を描き続けていた。一時間経過すると、先生の態度がガラッと変わった。いじめの言葉はまったくなくなった。
百合子は察していた。自分がこの教室で圧倒的に、ほかの人とレベルが違うことが先生にわかり始めたのを。どこが違うかというと、まず、色の使い方が違う。
画題は、三つおいてあったが、百合子のイーゼルから見えるのは、ピンクのカーネーションだけ。ピンクのカーネーションが10本ぐらい花瓶に生けてあるという画題。『なんてつまらないんだろう』と最初から思った百合子は、赤い絵の具を使ってカーネーションを描き始めた。形の方はあまりデフォルメはしない。この教室の生徒さんたちとか、先生には、ピカソ風の絵は受け入れられないのは、はっきりとわかっていた。
百合子は色盲ではない。花はちゃんとしたピンクに見えている。だけど、絵というものは、対象を、そっくりに描けば結果としてよい絵になるというものでもないのだ。よい絵とか、傑作とは何かという定義は非常に難しいけれど、その総勢50人ぐらいのお教室で先生と、百合子だけは、その赤いカーネーションの絵は、成功したものであり、ほかの生徒さんとは、百合子自身が画家として、まったく別格の存在だということが、わかっていた。
上のことを、先生自ら、着席パーティの席で解説してくださった。後は、百合子はヒロイン扱いだ。ほとんど口を利かないとよく言っているが、信頼する場所ではおおは謝儀でしゃべる百合子だ。そのパーティの主役として牛耳ってしまった。で、かえって、その一回きりで、二度といかれなくなってしまった。
別に断られたわけではないが、場の雰囲気を乱したというのは、自分でもわかっていて、しかもお教室全体のカラーから考えると、そこで花を描き続けていって、最終的に日展に入選することになるのだろうとわかったが、そういう、将来像にも、何の魅力を感じなかった。先生は日展系の下部団体の会員だとのこと。百合子は小さいころから父に連れられてたくさんの団体点を見ていたが、日展系は、自分にはあわないなあと、ほんの小さいころから感じていたからだ。
(第5節)今、百合子はパソコン内に、上の赤いカーネーションのデータを探したがない。『あ、また、やられちゃった』と思う。でも、個人的なことより、この日本社会にとって、非常に困る、悪辣なデータ削除が行われているので、これから先はそれについて述べたい。
最終的な完成まで二時間以上かかると思うが、ツィッター方式で書くのでよろしくお願いしたい。
百合子が先生の攻撃に、なんとも、揺るがなかったのは、これらの古い絵の具が、父の絵の具箱から譲ってもらったものであり、その父が、たいそう高いレベルで、戦時中画伯として尊敬されていた過去があったからだ。素人だった。満鉄のサラリーマン、しかも技術や。だが石油を専攻していたので、優遇をされていた。で、戦争に行っても割りと早く返されていて週末は中国国内の遺跡をスケッチ、兼、油絵を描きに旅行を重ねていた。その絵は、ラストエンペラーの宮廷やら、満鉄総裁室、そして、例の甘粕大尉自殺の部屋、理事長室などの壁面を飾っていた。
それが、新聞記事の切り抜きとして百合子の実家には、10枚程度あった。今にして思えば残念だったが、それを、現代風のコピーにうつしておかなかったり、スキャンしてIT用データ化しておかなかったりしたのは、大、大、の失敗だった。全部資料が盗まれてしまったのだ。父の写真も母の写真も、記事の切り抜きさえ盗まれている。
百合子宅では、ほかにもパソコン、も、ACアダプターの類も盗まれている。住所録の類も。USBなども。それから、パソコンが壊されたり、保存用のハードディスクが壊されたりするのも現物は残っているが、使えないわけだから、一種の盗みだと考えられる。
だけど、とっさには騒がないのは、さまざまな理由がある。
第一に、相手が、例の国際的軍産共同体だとすれば、きちがいじみた集団なので、騒いでもどうしようもないと、いうことがある。上があったり道徳観があったり、反省したりする団体ではない。よく素人の方が、警察に訴えればとおっしゃるが、百合子の見るところ、警察も、その軍産共同体には、しっかりと、支配されている。
今回の大相撲騒動でも、いつのまにか、天皇賜杯(また、首相からのもの?とか、門グ大臣からのもの)さえ返上するとなっていて、壊滅的打撃を受けているが、それは、村山弘義、理事長代行になってから決められたことのようで、氏が高等検察官であったことを考えると、非常に暗示的でもある。
だから、百合子は、この三年間、莫大な損失をこうむっているが、何も騒がなかった。めるまが等でも、ひとにいわないし、ブログでも公開をしなかった。
それで、大切だと思われるものは、すべて身に着けて出るようにしていて、大荷物をキャリーバッグに積んで銀座でも歩いている。
(第6節)しかし、35坪の家に住んでいるのだ。しかも膨大なものがある。家族に捨てなさいといわれているが、お金で買えない、代替品がないものばかりだから、捨てられない。で、その膨大なアイテムが、あるかないかなど、普段は点検をしない。
で、何がなくなった課など、それさえもわからないのが普通だ。だが、あるとき、知人から電話がかかってきて、「このお父様の写真、これが、残っているだけでも価値があるわね』といわれた。それは、三冊目のほんの中に挿入した、父、20代の写真で白いスーツを着て伊勢崎町のスタジオで撮ったものだ。
その友人の言葉になんとなく不安になって、普段使っていない部屋に飾っていたその原版を探しに行くと、すでにない。洋服ダンスの脇板にかけられていた、小さな皮製の額に入れていたが、ないのだ。あっと思って、別の写真類を探したが、それらもない。
別の写真類は、別の部屋のチェスとのにだんめの引き出しに入れていた。それもない。
だけど、百合子はまたも、騒がない。黙ってじっと耐えていた。
騒がないほうがよいのは、最終的な探索先を、奪われかねないので、最終的な探索先を保護するためだった。
(第7節) 最終的な探索先がどこかというと、国立国会図書館である。そこに新聞がおいてあるはずだ。その大元の資料から、再び探し出せばよい。そう考えていた。で、その大元の資料が消されないためには、騒がないほうがよいのだ。
しかし驚愕したことには、国立国会図書館からは、新聞の類が消えていたのである。紙の形では消えていた。国立国会図書館側の説明によると、満州で発行された新聞はマイクロフィルム化してあるとのこと。で、マイクロフィルムを扱うのは初めてだったが、必死だかr、マスターして一頁ずつ検索をしていった。
時期としては、父の思い出話を頼りにする。大勢の新聞記者が、家にやってきて、その普段とは違う様子に、赤ちゃんだった百合子が、大泣きをしたのに、「令嬢百合子ちゃんはニコニコしていたなどと、連中は書くんだよ。新聞記者なんて嘘を書くのだねと、まんざらでもない顔で、父がいっていたのを頼りにする。昭和十八年か、19年の秋だ。
ところが、十紙以上に取り上げられたはずなのに、どこにもない。で、ためつすがめつしたら、文化面だけ、マイクロフィルム化していなかったのだ。しかも満州時代の新聞は二紙のみマイクロフィルムとして保存をされているが、両方とも文化面だけ、削除した形で、マイクロフィルムができていた。
百合子はぴんと来る。そういえば、何年か前、マイクロフィルム化は、一面まで使った大ニュースとして報道されたが、あれも、自分に対する脅かしだったのだと、悟ってくる。もちろん、青地の記事が出たときは、同時進行的にそれが、自分に対する脅かしであることは察していたが、このマイクロフィルム化も同じ目的で行われるとは、同時進行的には気がつかなかった。
(第八節)、映画アフタースクールを見たときに携帯には、GPS機能というのがついていて、それで追跡をされるので、使わないこととしていた。追跡されるといやな事は電車が送らされるのだ。東京へ行くときは、北鎌倉とか、保土ヶ谷などの、乗り換えのきかない駅で、5分から30分程度待たされる。誰かと待ち合わせをしていたら大変だ。
しかし、持ち歩いているパソコンにGPS機能が入れられているのにも気がついた。前の古いものには、FINDERという小さなファイルが入れられていて、どこで、仕事をしても把握をされるのにも気がついていたが、パソコンそのものにGPS機能がある。
すべての方向と目的は脅すこと。それによって、気鬱になり、文章がかけなくすること、それによって、自分たちの悪事が、外に漏れないようにすることにあるだろう。
で、百合子が国会図書館で、物を調べたころに、さらに脅かすために、NHK一チャンネルで、『爆問、学問』が国立国会図書館を訪問する企画が立てられた。別に脅かされもしないけれど、『あんた、調べてお父さんの資料がなくなっていることに気がついているけれど、手も足も出ないじゃあない』とあざ笑われていることは感じた。で、館長が登場したが、この館長の時代に、そのマイクロフィルム化が行われたわけでもない。
ともかく、爆問学問を好きでよく見ているから、かれらに国立国会図書館へ行かせると言う企画を立てた。それを見ても、失われた資料を回復させる運動を百合子が起こせる分けもないと見くびっての嘲笑の企画である
(第九節)
以前書いたが、土地台帳の原簿が閲覧できないことはあにひとり、百合子だけが困ることではない。新しく土地を買おうとする人が、二代前の地主について調べられないのは、困ることだ。それに、一枚の謄本(コピー)を取る金額が莫大に高くなっている
そして、このように当たり前だった権利が奪われることが、最近、続いています。禁煙運動を許していたら、名古屋場所で、相撲が壊滅的打撃を受けました。
ここで、今日は一応の終点を打たせていただきます。2010-7-10 雨宮舜
小説『ジョーイの出立』
第一部、タイムズスクエアーの家、
第15章『崖っぷちのエリーを見ながら 』
・・・[前号までのあらすじ]、2010年現在、1999年のNY滞在時の思い出を書いている百合子には、日本での普通の日常生活もあり、テレビを夫と一緒に見たりするときもある・・・
(第一節) 百合子は、2010年の7月8日から9日にかけて、重い課題について書くことをこなしぬき、ほっとして、自宅でテレビを真正面を向いて見ることとした。普段はパソコンを打ちながら背中で見ている。パソコンが居間においてあるので、夫がテレビをつけると、そうなる。昼間はもちろんつけないのだけれど。
夫婦二人で選んだ番組は、『崖っぷちのエリー』という新作で、有名な漫画家の一種の自伝だ。百合子は主演俳優(男性も女性も)に、やや、原作者夫婦と雰囲気(その人間としての持ち味のこと)が違うなあと言う不満と、進行がやや、騒々しいという不満を持った。だが、二人の演技が下手ということではない。この番組に出てきている人たちは、脇役も含めて、大変上手だ。ただし、漫画チックで誇張が多いが。
主人は一般の人には「これでいいんだろう」と、いう。そういえば、新聞にも紹介記事がたくさん出ていたし。
やや、不満げに見ていた百合子が、ある画面で、釘付けになった。美大の実習室でのこと。ヒロインのエリーは教授にいじめられることになるが、原因は貧乏だからだ。
そこが、私の思い出を強烈に呼び覚ましたのだ。
~~~~~~~~~~
(第二節)百合子は美大卒ではないが、画面に出てくる規模の制作室で、ほかの人と絵を描いたことはいっぱい会って、特に、この教授みたいに、貧乏を、キーワードとしていじめる存在には出会ったことがある。
ただ、ちょっと、エリーとは違うところもあるので、その詳細を述べさせていただきたい。百合子は59歳ごろから突然に貧乏になるのだけれど、10代から50代までほとんど経済的に苦労をしたことがなかった。大学入学時には、成績上奨学金がもらえるはずだったが、事務室で、「お父様の納税額が、上から6%以内ですので、奨学金は上げられません』といわれたほどだ。
でも、一種の士族のたしなみとして、他人に対して、見せびらかすように、おしゃれをすることははしたないという教育を受けていた。ただ、ママともから、「いつも、スカート(ウール)を履いているでしょう。それは、感心しちゃう』といわれていた。今から30年前の百合子は、クリーニング代を気にすることなど、考えられもしなかった。
ところが、海外をさまよい、版画修行に明け暮れ、そして、そこで学んだことを紙の本にして出版をすることを始めてから、貧乏になった。『唐様で売り家と書く三代目』の典型であり、宮沢賢治に似ているといえば、似ている。
そして、お金が心配になったということだけではなくて、別の原因で、家にも戻った。重くて耐えられないほど痛い病気になってしまって、その病気をそのとき、東洋医へ、転職をしていた夫に治してもらって、『ああ、この家で、主婦として、過ごすことを神様はお命じになっているのかな』と感じたからだ。それ以来、大空を翔る鷲としての自分の翼はたたんでしまい、鶏として、地を這う暮らしをしている。本当につつましい生活者(つまり、普通の年金生活者)として日常を暮らしながら、唯一、(さまざまな援助が肉親からもらえるからこそ、それを生かして)、紙の本だけは作り続けようと、考えている存在だ。
で、金持ちの生活も理解できれば、貧乏人の生活も理解できる。
~~~~~~~~~~
(第三節)1970年代に、友達に誘われた会で、百合子は、この『崖っぷちのエリー』のヒロインと同じ扱いを先生から受けた。理由は絵の具が古いことと、洋服がラフすぎたことだ。場所は高級公務員用住宅街の集会所。海外赴任なども多い奥様がたが、生徒である。
みんなワンピース姿であり、その上に、ひらひらしたレースのついた、エプロンをつけている。あとで、打ち上げパーティもあったが、おご馳走は皆様の持ち寄りで、見掛けもよくて味もよいもの。あらゆる意味でエリートママたちの集まりだった。
一方の百合子の方は、ジーンズにトレーナー。油絵を描くのだから、汚れるからこれが当然だと思っている。
しかし、浮き上がっているのは、感じて、誘ってくれた、高級官僚の夫人である旧友に悪いかなとは、思いつつ、絵を描き始める。
先生が、生徒の間を回って、ほめたり注意するのはテレビの映像と同じ。先生はちくちくと百合子にいやみを言い始めた。理由はすぐわかった。服装もさることながら、画材を嫌がっているのだ。百合子はその日、絵の具箱に道具を詰めて出かけたが、その絵の具箱が超がつくほど古いもの(戦前のもの)で、肩紐がついていないタイプだ。部品として肩紐だけを買えば、二千円ぐらいかな? だけど、皮のベルトはやせた肩に食い込むので、好みではなくて、自分であり切れを使って、作っていた。
その上、絵の具箱の中身も問題にしているのがわかった。「貧乏な絵の具を使っていて、いやだな。おまえはこの絵画教室のメンバーとして、いるべきではない」と先生が考ええているのはびんびんとわかった。普通の場合だと、ドラマ内のエリーよりはるかに繊細な百合子は逃げ出したであろう。
しかし、絵を描くのが大好きなことと、先生を内心で、軽蔑し始めたので、いじめに対してまったく平気で悠々と絵を描き続けた。その貧乏な絵の具とは銘柄はフランスのルフランだったり、日本のクサカベだったりするので、ランクが低いものではない。ただ、戦前もしくは戦中のもので、当時は工業生産的に、攪拌技術が現在より劣っていたと見られ、油だけが、口やら、尻尾から滲み出していて、それがラベルを世としていたので、より汚く見えたのと、テレビと同じく、新品ではないので、すべて、チューブのおなかがへこんでいたりするわけだ。
(第四節)
だけど、百合子の方では、『この先生って、なんて、人格の軽い人なんだろう。一流の人物ではないか』と思うだけで、淡々と絵を描き続けていた。一時間経過すると、先生の態度がガラッと変わった。いじめの言葉はまったくなくなった。
百合子は察していた。自分がこの教室で圧倒的に、ほかの人とレベルが違うことが先生にわかり始めたのを。どこが違うかというと、まず、色の使い方が違う。
画題は、三つおいてあったが、百合子のイーゼルから見えるのは、ピンクのカーネーションだけ。ピンクのカーネーションが10本ぐらい花瓶に生けてあるという画題。『なんてつまらないんだろう』と最初から思った百合子は、赤い絵の具を使ってカーネーションを描き始めた。形の方はあまりデフォルメはしない。この教室の生徒さんたちとか、先生には、ピカソ風の絵は受け入れられないのは、はっきりとわかっていた。
百合子は色盲ではない。花はちゃんとしたピンクに見えている。だけど、絵というものは、対象を、そっくりに描けば結果としてよい絵になるというものでもないのだ。よい絵とか、傑作とは何かという定義は非常に難しいけれど、その総勢50人ぐらいのお教室で先生と、百合子だけは、その赤いカーネーションの絵は、成功したものであり、ほかの生徒さんとは、百合子自身が画家として、まったく別格の存在だということが、わかっていた。
上のことを、先生自ら、着席パーティの席で解説してくださった。後は、百合子はヒロイン扱いだ。ほとんど口を利かないとよく言っているが、信頼する場所ではおおは謝儀でしゃべる百合子だ。そのパーティの主役として牛耳ってしまった。で、かえって、その一回きりで、二度といかれなくなってしまった。
別に断られたわけではないが、場の雰囲気を乱したというのは、自分でもわかっていて、しかもお教室全体のカラーから考えると、そこで花を描き続けていって、最終的に日展に入選することになるのだろうとわかったが、そういう、将来像にも、何の魅力を感じなかった。先生は日展系の下部団体の会員だとのこと。百合子は小さいころから父に連れられてたくさんの団体点を見ていたが、日展系は、自分にはあわないなあと、ほんの小さいころから感じていたからだ。
(第5節)今、百合子はパソコン内に、上の赤いカーネーションのデータを探したがない。『あ、また、やられちゃった』と思う。でも、個人的なことより、この日本社会にとって、非常に困る、悪辣なデータ削除が行われているので、これから先はそれについて述べたい。
最終的な完成まで二時間以上かかると思うが、ツィッター方式で書くのでよろしくお願いしたい。
百合子が先生の攻撃に、なんとも、揺るがなかったのは、これらの古い絵の具が、父の絵の具箱から譲ってもらったものであり、その父が、たいそう高いレベルで、戦時中画伯として尊敬されていた過去があったからだ。素人だった。満鉄のサラリーマン、しかも技術や。だが石油を専攻していたので、優遇をされていた。で、戦争に行っても割りと早く返されていて週末は中国国内の遺跡をスケッチ、兼、油絵を描きに旅行を重ねていた。その絵は、ラストエンペラーの宮廷やら、満鉄総裁室、そして、例の甘粕大尉自殺の部屋、理事長室などの壁面を飾っていた。
それが、新聞記事の切り抜きとして百合子の実家には、10枚程度あった。今にして思えば残念だったが、それを、現代風のコピーにうつしておかなかったり、スキャンしてIT用データ化しておかなかったりしたのは、大、大、の失敗だった。全部資料が盗まれてしまったのだ。父の写真も母の写真も、記事の切り抜きさえ盗まれている。
百合子宅では、ほかにもパソコン、も、ACアダプターの類も盗まれている。住所録の類も。USBなども。それから、パソコンが壊されたり、保存用のハードディスクが壊されたりするのも現物は残っているが、使えないわけだから、一種の盗みだと考えられる。
だけど、とっさには騒がないのは、さまざまな理由がある。
第一に、相手が、例の国際的軍産共同体だとすれば、きちがいじみた集団なので、騒いでもどうしようもないと、いうことがある。上があったり道徳観があったり、反省したりする団体ではない。よく素人の方が、警察に訴えればとおっしゃるが、百合子の見るところ、警察も、その軍産共同体には、しっかりと、支配されている。
今回の大相撲騒動でも、いつのまにか、天皇賜杯(また、首相からのもの?とか、門グ大臣からのもの)さえ返上するとなっていて、壊滅的打撃を受けているが、それは、村山弘義、理事長代行になってから決められたことのようで、氏が高等検察官であったことを考えると、非常に暗示的でもある。
だから、百合子は、この三年間、莫大な損失をこうむっているが、何も騒がなかった。めるまが等でも、ひとにいわないし、ブログでも公開をしなかった。
それで、大切だと思われるものは、すべて身に着けて出るようにしていて、大荷物をキャリーバッグに積んで銀座でも歩いている。
(第6節)しかし、35坪の家に住んでいるのだ。しかも膨大なものがある。家族に捨てなさいといわれているが、お金で買えない、代替品がないものばかりだから、捨てられない。で、その膨大なアイテムが、あるかないかなど、普段は点検をしない。
で、何がなくなった課など、それさえもわからないのが普通だ。だが、あるとき、知人から電話がかかってきて、「このお父様の写真、これが、残っているだけでも価値があるわね』といわれた。それは、三冊目のほんの中に挿入した、父、20代の写真で白いスーツを着て伊勢崎町のスタジオで撮ったものだ。
その友人の言葉になんとなく不安になって、普段使っていない部屋に飾っていたその原版を探しに行くと、すでにない。洋服ダンスの脇板にかけられていた、小さな皮製の額に入れていたが、ないのだ。あっと思って、別の写真類を探したが、それらもない。
別の写真類は、別の部屋のチェスとのにだんめの引き出しに入れていた。それもない。
だけど、百合子はまたも、騒がない。黙ってじっと耐えていた。
騒がないほうがよいのは、最終的な探索先を、奪われかねないので、最終的な探索先を保護するためだった。
(第7節) 最終的な探索先がどこかというと、国立国会図書館である。そこに新聞がおいてあるはずだ。その大元の資料から、再び探し出せばよい。そう考えていた。で、その大元の資料が消されないためには、騒がないほうがよいのだ。
しかし驚愕したことには、国立国会図書館からは、新聞の類が消えていたのである。紙の形では消えていた。国立国会図書館側の説明によると、満州で発行された新聞はマイクロフィルム化してあるとのこと。で、マイクロフィルムを扱うのは初めてだったが、必死だかr、マスターして一頁ずつ検索をしていった。
時期としては、父の思い出話を頼りにする。大勢の新聞記者が、家にやってきて、その普段とは違う様子に、赤ちゃんだった百合子が、大泣きをしたのに、「令嬢百合子ちゃんはニコニコしていたなどと、連中は書くんだよ。新聞記者なんて嘘を書くのだねと、まんざらでもない顔で、父がいっていたのを頼りにする。昭和十八年か、19年の秋だ。
ところが、十紙以上に取り上げられたはずなのに、どこにもない。で、ためつすがめつしたら、文化面だけ、マイクロフィルム化していなかったのだ。しかも満州時代の新聞は二紙のみマイクロフィルムとして保存をされているが、両方とも文化面だけ、削除した形で、マイクロフィルムができていた。
百合子はぴんと来る。そういえば、何年か前、マイクロフィルム化は、一面まで使った大ニュースとして報道されたが、あれも、自分に対する脅かしだったのだと、悟ってくる。もちろん、青地の記事が出たときは、同時進行的にそれが、自分に対する脅かしであることは察していたが、このマイクロフィルム化も同じ目的で行われるとは、同時進行的には気がつかなかった。
(第八節)、映画アフタースクールを見たときに携帯には、GPS機能というのがついていて、それで追跡をされるので、使わないこととしていた。追跡されるといやな事は電車が送らされるのだ。東京へ行くときは、北鎌倉とか、保土ヶ谷などの、乗り換えのきかない駅で、5分から30分程度待たされる。誰かと待ち合わせをしていたら大変だ。
しかし、持ち歩いているパソコンにGPS機能が入れられているのにも気がついた。前の古いものには、FINDERという小さなファイルが入れられていて、どこで、仕事をしても把握をされるのにも気がついていたが、パソコンそのものにGPS機能がある。
すべての方向と目的は脅すこと。それによって、気鬱になり、文章がかけなくすること、それによって、自分たちの悪事が、外に漏れないようにすることにあるだろう。
で、百合子が国会図書館で、物を調べたころに、さらに脅かすために、NHK一チャンネルで、『爆問、学問』が国立国会図書館を訪問する企画が立てられた。別に脅かされもしないけれど、『あんた、調べてお父さんの資料がなくなっていることに気がついているけれど、手も足も出ないじゃあない』とあざ笑われていることは感じた。で、館長が登場したが、この館長の時代に、そのマイクロフィルム化が行われたわけでもない。
ともかく、爆問学問を好きでよく見ているから、かれらに国立国会図書館へ行かせると言う企画を立てた。それを見ても、失われた資料を回復させる運動を百合子が起こせる分けもないと見くびっての嘲笑の企画である
(第九節)
以前書いたが、土地台帳の原簿が閲覧できないことはあにひとり、百合子だけが困ることではない。新しく土地を買おうとする人が、二代前の地主について調べられないのは、困ることだ。それに、一枚の謄本(コピー)を取る金額が莫大に高くなっている
そして、このように当たり前だった権利が奪われることが、最近、続いています。禁煙運動を許していたら、名古屋場所で、相撲が壊滅的打撃を受けました。
ここで、今日は一応の終点を打たせていただきます。2010-7-10 雨宮舜