本日は17日の土曜日です。会社勤務の方はほとんどが、祝日であり、更新をしたら、読んでいただける好機です。だが、昨日は*****ライン以下にA4の紙に直して、8枚、(=原稿用紙換算、30枚を超えるもの)を一気に書いていますので、それを、今日は引き続き、ご提供をさせていただくということで、お許しくださいませ。誤変換は昨・深夜中に全部直しておきました。
小さなことですが、一万字を超えていますが、四日前には、それで、書き抜くことを妨害されたのに、昨日は別の種類の妨害(マウス機能が悪い)を受けル問い羽化たちで書くことを妨害されました。48時間体制で、監視され、書くことを邪魔されていますが、それだけ、私の書くことが正しいからなのだと、相変わらず確信をいだいております。
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ところで、表題だけを今日はあたらしくしています。ブログの場合は、表題がはっきりしていないと読む人が少ないことには気がついています。井上ひさし、という名前は、『あれ、いつもと同じジャン』とお考えいただいた方も多いでしょう。で、今日は以下の文中に含まれている別の人物をタイトルへと挙げました。
多分タイトルとしては、初めてあがった人は、酒井忠康氏です。
酒井忠康氏は、元神奈川県立美術館館長で、現在世田谷美術館館長です。この人が鎌倉で、やはり、伊藤玄二郎と親しいらしくて、そちらの方面からの教唆の実行として、私はすでに、多大な迷惑をこうむっているのです(*)が、それを、パソコン内メモに落とし始めた時期から、氏は外へ公表する住所を逗子の仮寓に移しておられます。国際的軍産共同体もしくは警察が、ハッキング結果を伊藤玄二郎氏へ教え、そこから酒井忠康氏へ「危ないです。結構ばれてしまっています」と話が入れば、そうなる可能性はありますね。二階堂の自宅が、悪評でご近所の軽蔑の的となると以下ネイからかな? 人の心は読めませんが。
ずいぶんはっきりと書いているようですが、法治国家なら、自分を守る正当防衛はやってよいはずです。ここ、三年間にひどいことを、酒井忠康氏からやられ続けているので、こんな短い文章は、正当防衛としては、100分の一にも当たりませんが。
それに、すこぶる重要なことは、これが、単に私と氏との、間の、個人的な問題を超えて、普遍性を持っていることです。こういう人物が要となっていて、日本のメディアが動いていることが、現在の日本が、容易に、被・植民地化をしたことへつながるのですから。
そして、日本はぐんぐん沈み行き、コーヴ見たいなひどい映画が、製作され全世界で、公開されるということなります。
田原総一郎、高野孟、久米宏、そして、彼らの頭目たる小沢一郎氏の悪人ぶりは、国民の目にもすでに明らかでわかりやすいですが、この酒井忠康氏のような人物こそ、最も損傷大河国民の目に見えにくい、一種の色悪(?)です。いや、はっきりと、その罪の数々について、きちんと書く日も来るでしょう。その前に、ブログを発表できなくなったり、私が暗殺されたりしたら、命令者は、自分を守りたい、鎌倉在住三大悪人たる、伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康たちが自分を守りたくて、やったと、お考えください。
その酒井氏の活動・内容の詳細については、また、天が書かせてくださる日に、改めてかつ生き生きと元気に取り組みたいです。
一見するとお上品です。高踏的な著書が羅列してあって、どこにも落ち度も瑕疵もないように見えます。しかし、こういう人の役目は、洗浄に役立つので、仮面(国際的軍産共同体のエージェントとして、重要ポジションを占めているのです。汚いアイデアを、基本的な悪人が構想を立てますでしょう。それの、中保者として、別の人へ伝達をすることにあります。
すると(マネーロンダリングをするのと同じことが起こり、悪意と不道徳から生まれた案がまるで、正しいことのようにみえてくるのです。
では、昨日の文がいかにあります。
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珍しく、水曜日の午後から48時間程度更新をしておりません。実は昨日は大奮闘をいたしました。朝の六時に国会図書館のフェンス前に陣取っていたのです。ふ、ふ、ふ。いえ、あ、は、はというべきかな?
自分でも九時からしか、開かないのは知っております。だけど、気合なのです。どうしてそれほど、てんぱらなくては、ならなかったかは後で、理由を申し上げるとして、
専業主婦というのは、普通に生活していると、これほど、がんばれないものなのです。お勤めをされている方にはしかられてしまうと思いますが、普通に生活をしていると、日常の仕事がいろいろ始まってしまい、朝の九時に国会図書館にいるなんていうことは不可能なのです。
その上、私は芸術家(ふ、ふ、ふ)で夜型の最たるものです。連続三十時間ぐらい起きているのは日常茶飯事で、朝の五時から六時に寝るのも当たり前の日常です。だから、朝の九時開館時間に国会図書館にいるのは無理です。
でね、前日の夜から行動を起こしました。で、主人に断って、横浜駅周辺で徹夜をして、朝の五時12分発の京浜東北に乗って、有楽町まで行ったのです。どこかの喫茶店で時間を過ごすべきだとは思ったのですよ。国会図書館近辺には喫茶店はありません。国会議事堂も議員会館も首相官邸もそれぞれ、敷地が広くて、民間の喫茶店が建てられる余地はないのです。もちろん、内部には館内食堂がありますが、九時から五時ごろまでの入店でないとだめですから、じっとバス停のベンチに座って待ちました。
実は横浜駅周辺の徹夜は、飲食店二つをはしごして、時間をつぶしたので、おなかはたぷたぷで、コーフィーいっぱいだって飲みたくなかったのです。
さあて、これからは、ツィッター方式でお送りをさせてくださいませ。というのも、こんな簡単な行動の裏に、すこぶる政治的な問題が隠されていて、それを記述すると、パソコンがごたごたして、送信できなくなる可能性もあるので、ツィッター方式をとらせていただくのです。
実は私は、今、自分の七冊目の本を編集制作中ですが、さまざまな可能性を考えて、データだけは4,5冊分を作っておこうと努力をしています。従来は芸術を中心とした、すこぶる個人的な思いを、まとめた本を作ってきました。それを、面白いといっていただいてきたわけです。
しかし、そんなものでも激しい妨害を受けていて、『一冊作るたびに、これは、一気に三歳ぐらい年をとったなあ』と思うくらい、苦労をしております。それほど、苦労をするのなら、今まで発表を我慢をして遠慮をしていた、政治に関する文章をまとめてみようかなと思い始めました。
だいたい、去年、6冊目を完成したときから、すぐ、はじめていて、一本目のデータとしては、井上ひさし氏と伊藤玄二郎氏を中心にしています。これは鎌倉市としては、私のご近所様ですが、クリントン国務長官が来日した2月17日にNHKの夜の九時のニュースの近辺に世界遺産を紹介する五分の番組が挿入され、そこに、山本容子さんと、阿刀田高さんが登場したときに、さまざまなことが一気にわかり、一冊の本へと纏め上げることに、信念を抱いたのです。つまり、小さな地域の話題のようですが、グローバリズムの中での、国際的軍産共同体の悪の仕組みに直結している普遍性があるのです。ただ、このデータの詳細な内容については、今はあまりにもこの文が長くなりすぎるので、伏せさせてくださいませ。
ところで、すばらしい情報も手に入っています。天はいつも見守ってくださっていると確信をするのは、ガレリア・グラフィカのオーナー栗田女史と、鎌倉駅のトイレで、夜の10時半に出会うというような幸運が私に訪れるからです。ガレリア・グラフィカというのは銀座の大きな画廊で、教育大の西欧史学科の卒業生である、栗田女史は、朝日新聞で短いエッセイを(夕刊に)連載していたり、世田谷美術館の館長をしている酒井忠康氏と、実懇の間柄の人です。
栗田女史の自宅は、葉山で、したがって現役の奥様でもある彼女が、鎌倉駅のトイレに、夜の10時半にいることは非常におかしい話です。私はすぐ、ピンと来て、彼女は銀座で伊藤玄二郎氏と夕食をともにした。話題は私に関してである。私が銀座で仕事がしにくくなるように、伊藤玄二郎氏が頼んでいるなと思って、トイレの鏡の前で、彼女が出てくるのを待っていました。
数分間待たされたので、ますます確信をしました。つまり、===画廊が終わった、夜の七時半からどこかで夕食をともにして話し合い、9時ごろそれを切り上げてグリーン車に乗って、新橋から鎌倉まで追加の話をしたが、まだ終わらないので、伊藤玄二郎氏が持っている、BOWLS というカフェか、または、伊藤玄二郎氏のオフィスで、さらに話を続けて、その後、『葉山まで車でお送りをします』===ということでしょうと、推察したわけです。
私が鏡の前で待っていたので、栗田女史はドアを開けたとたんにドキッとしたようでしたが、百戦錬磨の女性なのでたちまちに、自分を取り戻し、鏡で、化粧を直しながら、私が繰り出すさまざまな質問をはぐらかしたのです。ここで、彼女を百戦錬磨というのは、一度外人と結婚をして離婚をされています。しかもその後で、さらに再婚をされていますが、そちらの相手も相当に現世で偉い方らしいですよ。ふ、ふ、ふ。この経緯も相当に個性的(?)ですが、一方でビジネスウーマンとして、酒井忠康氏と密接であり、かつ、朝日新聞と密接であるのは、なかなか、うまいやり方というか生き方です。いやものすごく抜け目のないやり方です。
小太りで、モダンな面立ちの女性であり、銀座、および全国の画廊を睥睨している女性だと思いますが、私は一切評価をしていないのです。大変ないじめを間接的に受けていて(それは、個人的な問題ではなくて、すこぶる政治的な態度といえますし)、迷惑をしているということもありますが、それ以上に山本容子さんの売り出し過程を見ていて、人間として尊敬もできないし、受容もできないという判断があります。
この山本容子さんが、NHKに頻繁に出演した過程にも、相当な疑問がありますが、今日はそれには触れません。番組の構成を丁寧に観察・検索すると非常におかしいポイントがあります。が、今日は触れません。ただ、『NHKは視聴者から、金銭を取っているので、これはいけない』と判断したポイントがあります。いずれ機会がきたら、述べましょう。
魔弾の射手というオペラがありますが、山本容子さんを有名にしていく過程はまさに、その筋の現代における再現です。容子さんは京都市立芸大の出身者で、関西に住んでいました。同じく京都芸大卒の夫がいて、一般的な手法=個展を重ねながら名前を売っていく=で、自分を売り出そうと努力をしていた人です。そこへ栗田女史が入ってきて、東京へ出てきなさい。売り出してあげますと保障をしましたが、夫は引き受けないといわれたので、そこで離婚となりました。山本容子さんはその後、思い切った恋愛を重ねて、さらに男性力(私の造語です。下半身の結合で自分の味方をしてもらうことを指します)を利用して大きくなっていきました。この生き様を見ていると、彼女と徒党を組んでいるとエッセイに書いている林真理子さんのほうがまだ上品で節操があると感じますけれど。
ここでどうして、栗田女史やら酒井氏が重要かというと、彼らは、すべて結託をして、私をライターとしては立てない人にするための罠をかけてきたからです。私が言っていることがすべて、真実であるからこそ、国際的軍産共同体は、こういう姑息な手段をとってきます。正面きって書くなとは命令できませんものね。
二年前ぐらいに、その手の命令が身近な人から下ったこともありますが、すぐ、その裏を察して、断っていますので、電話の盗聴をしていれば、私が結構堅固な人間であることは推察ができるからです。簡単な手法では、私を沈黙させられませんからありとあらゆる工夫がなされます。その罠の最たるものは四月の私の個展でした。
私はそれを、『今回だけは、これはわなだろうなあ』と、一方で感じながら、せっかく申し出でがあったわけだし、今、銀座の画廊は不景気だから、長年の付き合いのある森さんが、たとえ、20万円(貸し賃が、15万円、+はがきの郵送料が、4万円、ほとんど毎夕パーティみたいなものが開かれている画廊なので、お酒等を差し入れしましたのでそれも加えれば、優に二十万円を超す)でも、収入があれば、よろしかろうと引き受けたのですが、突然期日が変更になったりして、さらに、わなであろうなあと、いう思いを強めたのです。 がさらに、初日ぐらいに、月刊ギャラリーの情報で、同じ時期に山本容子さんの個展がぶつけられていることを知り、確定的に、これがわなであることを知ったのです。
目的はもうひとつあって、私に無駄な散財をさせて本が出版できないようにする事も狙われていたでしょう。個展とは、画廊の借り賃だけではすまないのです。はがきも印刷代が私の場合は、二種しかも凝った物を作るので四万円を越しますし、封筒で案内を差し上げるので郵送料もかかるし、作品の運び賃も高いのです。油絵は大きい作品が多いし、版画の額って、小さくてもベニヤで裏打ちがしてあって表にはアクリルが張ってあるので、とても重くて、運賃が高いのです。で、一回個展をすれば、ほぼ、本一冊分の出版費用が飛んでしまいます。
だけど、森さんもひどいですね。私がやった廊下の展示などを、悪いほうへ改変したり、ご近所の画廊のスタッフが来たら、「見ないでいい」と返したそうですよ。こういうことがどうしておきるかというと、森さんの画廊が盗聴をされているのだと思います。場所というか、地理的に、私が訪問する最後の画廊となっています。それで、私もつい、ほかの画廊より長居します。ほかの画廊で、三分を過ごす日にも、森さんの画廊では、五分を過ごします。だから、彼はリクルートをされてしまった。そういうわけです。だけど、彼が裏側をどの程度まで自覚をしていたかは、今のところ、証拠は何もありませんが、ともかく、今回の個展では異常に来訪者が少なかったのです。
森さんがリクルートをされてしまったわけは奥さんをなくした後では、ほぼ、毎日画廊で夕食をかねた飲み会をやっていますので、私が酒の肴を差し入れたりしていました。で、とても親しいのではないかとみなされていたと思います。で、親しい人間は普通なら罠をかけませんよね。道徳的に当たり前のことです。だから、見破られないで私が乗ってくると、敵は思ったのでしょう。私は見破っていたのですが、だまされた振りをして話に乗っていました。
これは栗田女史と伊藤玄二郎氏のデートが、友情とも恋愛ともまったく関係がないのと同様で、酒の肴を差し入れても、私は一切油断はしていませんでした。上等なる、狐と狸の化かしあいといった体たらくに、最近では、変化して行ったのです。昔は違いましたけれどね。誠実な交際だったと思いますけれど。特に今回の個展の開催中はひどかったです。森さんも最終段階では、私がすべてを見通していたことがわかっていたのではないかな。馬鹿じゃあなかったら、それぐらいわかるはずですよ。だけど、最後まで、私も平静に全うしました。
ところで、仕事上は、山本容子さんをぶつけられたわけですが、その意味するところは、『彼女に比べたら、お前なんか人気がない小物なんだよ』と、示しつけられて、感情的にへこんでいくことを願った、伊藤玄二郎氏と、例の井上ひさし氏の二人羽織による発案だったと感じています。
その確証は、病院からの電話です。鎌倉の東部に額田(ぬかだと読む)病院という総合病院があります。この病院へ我が家では、時々、検診に行きます。鎌倉市の提供する、検診サービスの病院としては、我が家から一番近い総合病院だからです。そこで2009年の秋に、主人が検診を受けて河野医師という方に、『がんの疑いはありませんか?』と質問をしています。河野先生は、即座に否定しました。別に心配はありませんと。
その後、半年経て、突然に一応河野医師からではなくてですが、事務員から、「ご主人に伝えてください、検診に来てほしいのですが。がんの可能性もありますから」と電話があったのです。それがまさしくも個展の初日でした。2010年の4月5日の午後、一時ごろです。
私はすぐぴんと来ました。は、ハーン。これも例のおっちょこちょいの、伊藤玄二郎、および、井上ひさしの発案であろうと。
個展そのものは、酒井忠康氏とか、瀬木慎一氏の発案だった可能性はあります。『個展で、客の来訪が少なくて、お前は小さい存在だと自覚をさせて、打ちのめしてやろう』という目論見だったと感じます。で、平行して、精神的にもずたずたにしてやろうというのが、この「がんの検診に来てください」という電話です。どうして、二人羽織の二人が、おっちょこちょいかというと、後は野となれ、山となれで、見通しがきちんとついていない発案が次から次へと繰り出されるので、もう、すっかり二人の性格がわかっているからです。
特におっちょこちょいだと感じるポイントは、主人が銀座へ出かけているタイミングを狙って、この検診要請の電話がかかってきたからです。これは前にも似たようなことがあったので、すぐぴんと来たのです。携帯にはGPS機能がついています。私は、最終日まではけんかをするつもりはなくて、一応の礼儀として、主人に森さんへたいして、「家内がお世話になっています」といってもらいたくて、「初日に画廊へ出かけてください」と頼んでありました。
で、向こう側の狙いとしては、主人の留守にこの電話を浴びれば、私がずたずたになるはずだと考えていたのでしょう。もし、私が彼らが推定するくらいの馬鹿であって、何も気がつかないで罠にはまっていたとすれば、この電話が、私の神経をずたずたにするはずなのです。だってね。妻の個展とは一種の遊びといえばいえます。経済活動の主体は夫にあるのですから。
妻が遊びほうけている間に、夫ががんになっていたというのは、悲劇ですよね。それに、世間からのいい、物笑いの種にもなります。子供や親戚にも責められてしまいます。それを狙っているわけです。私はすべてを最初から見通していますので、ちょうど、「天国ビルの前にいるのだけれど、画廊の位置がわからなくなったよ」という電話をくれた主人に「額田(ぬかだ)病院からかくかくしかじかの電話があったわよ」と簡単に告げて、その後で、詳細な手紙を書き、主人に残して、すれ違いで、銀座に出かけました。
いや、その手紙は次の日の朝、渡したのかな? 泥棒に盗まれたり、のぞき見されたりするといけませんのでね。しょっちゅう泥棒が入りますので。国立国会図書館に朝の六時から出かけていたのも大切なデータを泥棒に盗られたからでしたし。
この電話に関して、もちろん私は激怒しました。が、外部としては、どこに対しても表面上は一応静かにしていました。森さんの画廊を盗聴していたとしても、私はごく平成に見えたと思います。逆に、こちらが、それを逆手にとって、伊藤玄二郎氏のオフィス(彼は鎌倉春秋社の社長です)をたずね、「個展を今銀座で、やっていますから来訪をしてください」と頼んでみたのです。虚々実々の駆け引きです。
それが、4月9日のことです。井上ひさし、氏が逝去されたのは、まさしく、そのころだったのです。公式には四月十日といわれていますが。
私はその死亡情報が、一種の偽装であると感じました。彼は脚本家であり、相当に込み入った脚本を日本の現実社会に対して錬っている人間です。小泉元首相の靖国参拝に対する集団訴訟も彼が、発案した可能性もありますし、さまざまに発案を重ねています。私の西隣の人が、あたかも真夜中に我が家の壁に石をぶつけているかのごとき、偽装も、彼の発案でしょう。脚本を書くのがすきなのです。あ、は、は。
その自分が死んだと見せる、究極の芝居の目的がなんだったかというと、『死者に鞭打つのは、ひどく不道徳なことである』という日本人固有の性向を利用して、自分の悪事がばれないことを願ったわけです。短絡的ですが、国際的軍産共同体に守られている身ですから、何とでも後で、いいように処理できると言う発想もあったでしょう。実際に二度にわたってオマージュの嵐が起きています。
彼本人がそれを、企画したと私は考えています。世間を煙に巻いて、自分で自分をほめまくる・・・・・そのくらいのあざとさは、十分にある人間です。猫を焼き殺して食ったと昔から言っていますが、私が国際的軍産共同体の悪を分析すると、必ず猫に関する悪いニュースが世間に出回ります。ごく最近では八王子の、連棟型、住宅に住んでいる加藤一二三(棋士)さんがご近所から、野良猫のえさやりの件で、訴えられるというニュースが新聞で報道をされました。これも彼の発案でしょう。
しかも、ばれないと思い込んでいるので、今回の大相撲壊滅作戦の諜略も錬ったでしょう。
死亡診断書等ですが、何とでも製作できるでしょう。フリーメーソン組織を利用すれば適材適所で、医師もいるはずです。ただ、私の直感として、ぬかだ病院の存在は大きいかな?
まあ、三女の弁か、奥さんの弁によると、歩いて病院へ通ったそうですから、清川病院か、佐藤病院でないと無理は無理なのです。しかし、おっちょこちょいの典型である井上ひさし、氏は、論理的な裏づけなどまったくなくても、次から次へとアイデアをひねり出す人ですから、今回の脚本の中に歩いて病院へ通うというアイデアが、突如として、出てきたわけです。普通なら瀕死の病人が自宅のある佐助が谷から、15分以上は歩けるはずはないのですが、そういう突飛にして、非論理的な、アイデアが通ると思っているおっちょこちょいなのです。
で、二人羽織のもう片袖である、伊藤玄二郎氏は、鎌倉の医師会に大きな顔が利く存在です。長年、医師会報を、手がけてきています。それに、一種のかわいげぶったところもある人材なのでしょう。栗田女史が、夜の十時半に鎌倉駅のトイレにいて、堂々と先に逃げていった伊藤玄二郎氏の後を追って市内へ消えて行ったことでもわかります。信じているのでしょうね。立派な紳士だと。
伊藤玄二郎氏は、一冊の本がもたらす功績で、ポルトガル国の勲章も得ていますが、これも、北野武監督のレジオンドヌール勲章の受賞過程とそっくりです。なるほどね。と、私は笑っているだけですが・・・・・
こと、井上ひさし氏に関しては、氏の悪行を急追していました。世間に公開したものとしては、篠山紀信氏への青山霊場のヌード撮影を理由とする家宅捜索の件だけですが、パソコンないメモとして、数数の社会現象をすでに2008年から分析していて、それを、次から次へと繰り出す予定ではありました。だから、わなとしての個展をやらせて、疲労をさせ、その上で、夫ががんだと言うことになって、私が精神的にぶっつぶれれば、最も得をする存在は井上ひさしだったというわけです。
私も、さすがに死亡の発表後、二ヶ月は沈黙をしました。やはり、世間の流れと日本人の性向は無視できないです。しかし、大相撲の壊滅作戦が、見事に、この二人羽織の発案どおりに、成功したのを見て、なんというおぞましいことであろうという観点は捨てきれないので、今日、一部分だけでも書いたわけです。
なお、ここで、いったん中断します。酒井忠康氏とか、栗田女史とかを、引き続いて分析しなければいけませんが、私も忙しいし、この文章自体が長くなりすぎていると思いますので。では。
2010年7月16日 雨宮舜
小さなことですが、一万字を超えていますが、四日前には、それで、書き抜くことを妨害されたのに、昨日は別の種類の妨害(マウス機能が悪い)を受けル問い羽化たちで書くことを妨害されました。48時間体制で、監視され、書くことを邪魔されていますが、それだけ、私の書くことが正しいからなのだと、相変わらず確信をいだいております。
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ところで、表題だけを今日はあたらしくしています。ブログの場合は、表題がはっきりしていないと読む人が少ないことには気がついています。井上ひさし、という名前は、『あれ、いつもと同じジャン』とお考えいただいた方も多いでしょう。で、今日は以下の文中に含まれている別の人物をタイトルへと挙げました。
多分タイトルとしては、初めてあがった人は、酒井忠康氏です。
酒井忠康氏は、元神奈川県立美術館館長で、現在世田谷美術館館長です。この人が鎌倉で、やはり、伊藤玄二郎と親しいらしくて、そちらの方面からの教唆の実行として、私はすでに、多大な迷惑をこうむっているのです(*)が、それを、パソコン内メモに落とし始めた時期から、氏は外へ公表する住所を逗子の仮寓に移しておられます。国際的軍産共同体もしくは警察が、ハッキング結果を伊藤玄二郎氏へ教え、そこから酒井忠康氏へ「危ないです。結構ばれてしまっています」と話が入れば、そうなる可能性はありますね。二階堂の自宅が、悪評でご近所の軽蔑の的となると以下ネイからかな? 人の心は読めませんが。
ずいぶんはっきりと書いているようですが、法治国家なら、自分を守る正当防衛はやってよいはずです。ここ、三年間にひどいことを、酒井忠康氏からやられ続けているので、こんな短い文章は、正当防衛としては、100分の一にも当たりませんが。
それに、すこぶる重要なことは、これが、単に私と氏との、間の、個人的な問題を超えて、普遍性を持っていることです。こういう人物が要となっていて、日本のメディアが動いていることが、現在の日本が、容易に、被・植民地化をしたことへつながるのですから。
そして、日本はぐんぐん沈み行き、コーヴ見たいなひどい映画が、製作され全世界で、公開されるということなります。
田原総一郎、高野孟、久米宏、そして、彼らの頭目たる小沢一郎氏の悪人ぶりは、国民の目にもすでに明らかでわかりやすいですが、この酒井忠康氏のような人物こそ、最も損傷大河国民の目に見えにくい、一種の色悪(?)です。いや、はっきりと、その罪の数々について、きちんと書く日も来るでしょう。その前に、ブログを発表できなくなったり、私が暗殺されたりしたら、命令者は、自分を守りたい、鎌倉在住三大悪人たる、伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康たちが自分を守りたくて、やったと、お考えください。
その酒井氏の活動・内容の詳細については、また、天が書かせてくださる日に、改めてかつ生き生きと元気に取り組みたいです。
一見するとお上品です。高踏的な著書が羅列してあって、どこにも落ち度も瑕疵もないように見えます。しかし、こういう人の役目は、洗浄に役立つので、仮面(国際的軍産共同体のエージェントとして、重要ポジションを占めているのです。汚いアイデアを、基本的な悪人が構想を立てますでしょう。それの、中保者として、別の人へ伝達をすることにあります。
すると(マネーロンダリングをするのと同じことが起こり、悪意と不道徳から生まれた案がまるで、正しいことのようにみえてくるのです。
では、昨日の文がいかにあります。
~~~~~~~~~~~
珍しく、水曜日の午後から48時間程度更新をしておりません。実は昨日は大奮闘をいたしました。朝の六時に国会図書館のフェンス前に陣取っていたのです。ふ、ふ、ふ。いえ、あ、は、はというべきかな?
自分でも九時からしか、開かないのは知っております。だけど、気合なのです。どうしてそれほど、てんぱらなくては、ならなかったかは後で、理由を申し上げるとして、
専業主婦というのは、普通に生活していると、これほど、がんばれないものなのです。お勤めをされている方にはしかられてしまうと思いますが、普通に生活をしていると、日常の仕事がいろいろ始まってしまい、朝の九時に国会図書館にいるなんていうことは不可能なのです。
その上、私は芸術家(ふ、ふ、ふ)で夜型の最たるものです。連続三十時間ぐらい起きているのは日常茶飯事で、朝の五時から六時に寝るのも当たり前の日常です。だから、朝の九時開館時間に国会図書館にいるのは無理です。
でね、前日の夜から行動を起こしました。で、主人に断って、横浜駅周辺で徹夜をして、朝の五時12分発の京浜東北に乗って、有楽町まで行ったのです。どこかの喫茶店で時間を過ごすべきだとは思ったのですよ。国会図書館近辺には喫茶店はありません。国会議事堂も議員会館も首相官邸もそれぞれ、敷地が広くて、民間の喫茶店が建てられる余地はないのです。もちろん、内部には館内食堂がありますが、九時から五時ごろまでの入店でないとだめですから、じっとバス停のベンチに座って待ちました。
実は横浜駅周辺の徹夜は、飲食店二つをはしごして、時間をつぶしたので、おなかはたぷたぷで、コーフィーいっぱいだって飲みたくなかったのです。
さあて、これからは、ツィッター方式でお送りをさせてくださいませ。というのも、こんな簡単な行動の裏に、すこぶる政治的な問題が隠されていて、それを記述すると、パソコンがごたごたして、送信できなくなる可能性もあるので、ツィッター方式をとらせていただくのです。
実は私は、今、自分の七冊目の本を編集制作中ですが、さまざまな可能性を考えて、データだけは4,5冊分を作っておこうと努力をしています。従来は芸術を中心とした、すこぶる個人的な思いを、まとめた本を作ってきました。それを、面白いといっていただいてきたわけです。
しかし、そんなものでも激しい妨害を受けていて、『一冊作るたびに、これは、一気に三歳ぐらい年をとったなあ』と思うくらい、苦労をしております。それほど、苦労をするのなら、今まで発表を我慢をして遠慮をしていた、政治に関する文章をまとめてみようかなと思い始めました。
だいたい、去年、6冊目を完成したときから、すぐ、はじめていて、一本目のデータとしては、井上ひさし氏と伊藤玄二郎氏を中心にしています。これは鎌倉市としては、私のご近所様ですが、クリントン国務長官が来日した2月17日にNHKの夜の九時のニュースの近辺に世界遺産を紹介する五分の番組が挿入され、そこに、山本容子さんと、阿刀田高さんが登場したときに、さまざまなことが一気にわかり、一冊の本へと纏め上げることに、信念を抱いたのです。つまり、小さな地域の話題のようですが、グローバリズムの中での、国際的軍産共同体の悪の仕組みに直結している普遍性があるのです。ただ、このデータの詳細な内容については、今はあまりにもこの文が長くなりすぎるので、伏せさせてくださいませ。
ところで、すばらしい情報も手に入っています。天はいつも見守ってくださっていると確信をするのは、ガレリア・グラフィカのオーナー栗田女史と、鎌倉駅のトイレで、夜の10時半に出会うというような幸運が私に訪れるからです。ガレリア・グラフィカというのは銀座の大きな画廊で、教育大の西欧史学科の卒業生である、栗田女史は、朝日新聞で短いエッセイを(夕刊に)連載していたり、世田谷美術館の館長をしている酒井忠康氏と、実懇の間柄の人です。
栗田女史の自宅は、葉山で、したがって現役の奥様でもある彼女が、鎌倉駅のトイレに、夜の10時半にいることは非常におかしい話です。私はすぐ、ピンと来て、彼女は銀座で伊藤玄二郎氏と夕食をともにした。話題は私に関してである。私が銀座で仕事がしにくくなるように、伊藤玄二郎氏が頼んでいるなと思って、トイレの鏡の前で、彼女が出てくるのを待っていました。
数分間待たされたので、ますます確信をしました。つまり、===画廊が終わった、夜の七時半からどこかで夕食をともにして話し合い、9時ごろそれを切り上げてグリーン車に乗って、新橋から鎌倉まで追加の話をしたが、まだ終わらないので、伊藤玄二郎氏が持っている、BOWLS というカフェか、または、伊藤玄二郎氏のオフィスで、さらに話を続けて、その後、『葉山まで車でお送りをします』===ということでしょうと、推察したわけです。
私が鏡の前で待っていたので、栗田女史はドアを開けたとたんにドキッとしたようでしたが、百戦錬磨の女性なのでたちまちに、自分を取り戻し、鏡で、化粧を直しながら、私が繰り出すさまざまな質問をはぐらかしたのです。ここで、彼女を百戦錬磨というのは、一度外人と結婚をして離婚をされています。しかもその後で、さらに再婚をされていますが、そちらの相手も相当に現世で偉い方らしいですよ。ふ、ふ、ふ。この経緯も相当に個性的(?)ですが、一方でビジネスウーマンとして、酒井忠康氏と密接であり、かつ、朝日新聞と密接であるのは、なかなか、うまいやり方というか生き方です。いやものすごく抜け目のないやり方です。
小太りで、モダンな面立ちの女性であり、銀座、および全国の画廊を睥睨している女性だと思いますが、私は一切評価をしていないのです。大変ないじめを間接的に受けていて(それは、個人的な問題ではなくて、すこぶる政治的な態度といえますし)、迷惑をしているということもありますが、それ以上に山本容子さんの売り出し過程を見ていて、人間として尊敬もできないし、受容もできないという判断があります。
この山本容子さんが、NHKに頻繁に出演した過程にも、相当な疑問がありますが、今日はそれには触れません。番組の構成を丁寧に観察・検索すると非常におかしいポイントがあります。が、今日は触れません。ただ、『NHKは視聴者から、金銭を取っているので、これはいけない』と判断したポイントがあります。いずれ機会がきたら、述べましょう。
魔弾の射手というオペラがありますが、山本容子さんを有名にしていく過程はまさに、その筋の現代における再現です。容子さんは京都市立芸大の出身者で、関西に住んでいました。同じく京都芸大卒の夫がいて、一般的な手法=個展を重ねながら名前を売っていく=で、自分を売り出そうと努力をしていた人です。そこへ栗田女史が入ってきて、東京へ出てきなさい。売り出してあげますと保障をしましたが、夫は引き受けないといわれたので、そこで離婚となりました。山本容子さんはその後、思い切った恋愛を重ねて、さらに男性力(私の造語です。下半身の結合で自分の味方をしてもらうことを指します)を利用して大きくなっていきました。この生き様を見ていると、彼女と徒党を組んでいるとエッセイに書いている林真理子さんのほうがまだ上品で節操があると感じますけれど。
ここでどうして、栗田女史やら酒井氏が重要かというと、彼らは、すべて結託をして、私をライターとしては立てない人にするための罠をかけてきたからです。私が言っていることがすべて、真実であるからこそ、国際的軍産共同体は、こういう姑息な手段をとってきます。正面きって書くなとは命令できませんものね。
二年前ぐらいに、その手の命令が身近な人から下ったこともありますが、すぐ、その裏を察して、断っていますので、電話の盗聴をしていれば、私が結構堅固な人間であることは推察ができるからです。簡単な手法では、私を沈黙させられませんからありとあらゆる工夫がなされます。その罠の最たるものは四月の私の個展でした。
私はそれを、『今回だけは、これはわなだろうなあ』と、一方で感じながら、せっかく申し出でがあったわけだし、今、銀座の画廊は不景気だから、長年の付き合いのある森さんが、たとえ、20万円(貸し賃が、15万円、+はがきの郵送料が、4万円、ほとんど毎夕パーティみたいなものが開かれている画廊なので、お酒等を差し入れしましたのでそれも加えれば、優に二十万円を超す)でも、収入があれば、よろしかろうと引き受けたのですが、突然期日が変更になったりして、さらに、わなであろうなあと、いう思いを強めたのです。 がさらに、初日ぐらいに、月刊ギャラリーの情報で、同じ時期に山本容子さんの個展がぶつけられていることを知り、確定的に、これがわなであることを知ったのです。
目的はもうひとつあって、私に無駄な散財をさせて本が出版できないようにする事も狙われていたでしょう。個展とは、画廊の借り賃だけではすまないのです。はがきも印刷代が私の場合は、二種しかも凝った物を作るので四万円を越しますし、封筒で案内を差し上げるので郵送料もかかるし、作品の運び賃も高いのです。油絵は大きい作品が多いし、版画の額って、小さくてもベニヤで裏打ちがしてあって表にはアクリルが張ってあるので、とても重くて、運賃が高いのです。で、一回個展をすれば、ほぼ、本一冊分の出版費用が飛んでしまいます。
だけど、森さんもひどいですね。私がやった廊下の展示などを、悪いほうへ改変したり、ご近所の画廊のスタッフが来たら、「見ないでいい」と返したそうですよ。こういうことがどうしておきるかというと、森さんの画廊が盗聴をされているのだと思います。場所というか、地理的に、私が訪問する最後の画廊となっています。それで、私もつい、ほかの画廊より長居します。ほかの画廊で、三分を過ごす日にも、森さんの画廊では、五分を過ごします。だから、彼はリクルートをされてしまった。そういうわけです。だけど、彼が裏側をどの程度まで自覚をしていたかは、今のところ、証拠は何もありませんが、ともかく、今回の個展では異常に来訪者が少なかったのです。
森さんがリクルートをされてしまったわけは奥さんをなくした後では、ほぼ、毎日画廊で夕食をかねた飲み会をやっていますので、私が酒の肴を差し入れたりしていました。で、とても親しいのではないかとみなされていたと思います。で、親しい人間は普通なら罠をかけませんよね。道徳的に当たり前のことです。だから、見破られないで私が乗ってくると、敵は思ったのでしょう。私は見破っていたのですが、だまされた振りをして話に乗っていました。
これは栗田女史と伊藤玄二郎氏のデートが、友情とも恋愛ともまったく関係がないのと同様で、酒の肴を差し入れても、私は一切油断はしていませんでした。上等なる、狐と狸の化かしあいといった体たらくに、最近では、変化して行ったのです。昔は違いましたけれどね。誠実な交際だったと思いますけれど。特に今回の個展の開催中はひどかったです。森さんも最終段階では、私がすべてを見通していたことがわかっていたのではないかな。馬鹿じゃあなかったら、それぐらいわかるはずですよ。だけど、最後まで、私も平静に全うしました。
ところで、仕事上は、山本容子さんをぶつけられたわけですが、その意味するところは、『彼女に比べたら、お前なんか人気がない小物なんだよ』と、示しつけられて、感情的にへこんでいくことを願った、伊藤玄二郎氏と、例の井上ひさし氏の二人羽織による発案だったと感じています。
その確証は、病院からの電話です。鎌倉の東部に額田(ぬかだと読む)病院という総合病院があります。この病院へ我が家では、時々、検診に行きます。鎌倉市の提供する、検診サービスの病院としては、我が家から一番近い総合病院だからです。そこで2009年の秋に、主人が検診を受けて河野医師という方に、『がんの疑いはありませんか?』と質問をしています。河野先生は、即座に否定しました。別に心配はありませんと。
その後、半年経て、突然に一応河野医師からではなくてですが、事務員から、「ご主人に伝えてください、検診に来てほしいのですが。がんの可能性もありますから」と電話があったのです。それがまさしくも個展の初日でした。2010年の4月5日の午後、一時ごろです。
私はすぐぴんと来ました。は、ハーン。これも例のおっちょこちょいの、伊藤玄二郎、および、井上ひさしの発案であろうと。
個展そのものは、酒井忠康氏とか、瀬木慎一氏の発案だった可能性はあります。『個展で、客の来訪が少なくて、お前は小さい存在だと自覚をさせて、打ちのめしてやろう』という目論見だったと感じます。で、平行して、精神的にもずたずたにしてやろうというのが、この「がんの検診に来てください」という電話です。どうして、二人羽織の二人が、おっちょこちょいかというと、後は野となれ、山となれで、見通しがきちんとついていない発案が次から次へと繰り出されるので、もう、すっかり二人の性格がわかっているからです。
特におっちょこちょいだと感じるポイントは、主人が銀座へ出かけているタイミングを狙って、この検診要請の電話がかかってきたからです。これは前にも似たようなことがあったので、すぐぴんと来たのです。携帯にはGPS機能がついています。私は、最終日まではけんかをするつもりはなくて、一応の礼儀として、主人に森さんへたいして、「家内がお世話になっています」といってもらいたくて、「初日に画廊へ出かけてください」と頼んでありました。
で、向こう側の狙いとしては、主人の留守にこの電話を浴びれば、私がずたずたになるはずだと考えていたのでしょう。もし、私が彼らが推定するくらいの馬鹿であって、何も気がつかないで罠にはまっていたとすれば、この電話が、私の神経をずたずたにするはずなのです。だってね。妻の個展とは一種の遊びといえばいえます。経済活動の主体は夫にあるのですから。
妻が遊びほうけている間に、夫ががんになっていたというのは、悲劇ですよね。それに、世間からのいい、物笑いの種にもなります。子供や親戚にも責められてしまいます。それを狙っているわけです。私はすべてを最初から見通していますので、ちょうど、「天国ビルの前にいるのだけれど、画廊の位置がわからなくなったよ」という電話をくれた主人に「額田(ぬかだ)病院からかくかくしかじかの電話があったわよ」と簡単に告げて、その後で、詳細な手紙を書き、主人に残して、すれ違いで、銀座に出かけました。
いや、その手紙は次の日の朝、渡したのかな? 泥棒に盗まれたり、のぞき見されたりするといけませんのでね。しょっちゅう泥棒が入りますので。国立国会図書館に朝の六時から出かけていたのも大切なデータを泥棒に盗られたからでしたし。
この電話に関して、もちろん私は激怒しました。が、外部としては、どこに対しても表面上は一応静かにしていました。森さんの画廊を盗聴していたとしても、私はごく平成に見えたと思います。逆に、こちらが、それを逆手にとって、伊藤玄二郎氏のオフィス(彼は鎌倉春秋社の社長です)をたずね、「個展を今銀座で、やっていますから来訪をしてください」と頼んでみたのです。虚々実々の駆け引きです。
それが、4月9日のことです。井上ひさし、氏が逝去されたのは、まさしく、そのころだったのです。公式には四月十日といわれていますが。
私はその死亡情報が、一種の偽装であると感じました。彼は脚本家であり、相当に込み入った脚本を日本の現実社会に対して錬っている人間です。小泉元首相の靖国参拝に対する集団訴訟も彼が、発案した可能性もありますし、さまざまに発案を重ねています。私の西隣の人が、あたかも真夜中に我が家の壁に石をぶつけているかのごとき、偽装も、彼の発案でしょう。脚本を書くのがすきなのです。あ、は、は。
その自分が死んだと見せる、究極の芝居の目的がなんだったかというと、『死者に鞭打つのは、ひどく不道徳なことである』という日本人固有の性向を利用して、自分の悪事がばれないことを願ったわけです。短絡的ですが、国際的軍産共同体に守られている身ですから、何とでも後で、いいように処理できると言う発想もあったでしょう。実際に二度にわたってオマージュの嵐が起きています。
彼本人がそれを、企画したと私は考えています。世間を煙に巻いて、自分で自分をほめまくる・・・・・そのくらいのあざとさは、十分にある人間です。猫を焼き殺して食ったと昔から言っていますが、私が国際的軍産共同体の悪を分析すると、必ず猫に関する悪いニュースが世間に出回ります。ごく最近では八王子の、連棟型、住宅に住んでいる加藤一二三(棋士)さんがご近所から、野良猫のえさやりの件で、訴えられるというニュースが新聞で報道をされました。これも彼の発案でしょう。
しかも、ばれないと思い込んでいるので、今回の大相撲壊滅作戦の諜略も錬ったでしょう。
死亡診断書等ですが、何とでも製作できるでしょう。フリーメーソン組織を利用すれば適材適所で、医師もいるはずです。ただ、私の直感として、ぬかだ病院の存在は大きいかな?
まあ、三女の弁か、奥さんの弁によると、歩いて病院へ通ったそうですから、清川病院か、佐藤病院でないと無理は無理なのです。しかし、おっちょこちょいの典型である井上ひさし、氏は、論理的な裏づけなどまったくなくても、次から次へとアイデアをひねり出す人ですから、今回の脚本の中に歩いて病院へ通うというアイデアが、突如として、出てきたわけです。普通なら瀕死の病人が自宅のある佐助が谷から、15分以上は歩けるはずはないのですが、そういう突飛にして、非論理的な、アイデアが通ると思っているおっちょこちょいなのです。
で、二人羽織のもう片袖である、伊藤玄二郎氏は、鎌倉の医師会に大きな顔が利く存在です。長年、医師会報を、手がけてきています。それに、一種のかわいげぶったところもある人材なのでしょう。栗田女史が、夜の十時半に鎌倉駅のトイレにいて、堂々と先に逃げていった伊藤玄二郎氏の後を追って市内へ消えて行ったことでもわかります。信じているのでしょうね。立派な紳士だと。
伊藤玄二郎氏は、一冊の本がもたらす功績で、ポルトガル国の勲章も得ていますが、これも、北野武監督のレジオンドヌール勲章の受賞過程とそっくりです。なるほどね。と、私は笑っているだけですが・・・・・
こと、井上ひさし氏に関しては、氏の悪行を急追していました。世間に公開したものとしては、篠山紀信氏への青山霊場のヌード撮影を理由とする家宅捜索の件だけですが、パソコンないメモとして、数数の社会現象をすでに2008年から分析していて、それを、次から次へと繰り出す予定ではありました。だから、わなとしての個展をやらせて、疲労をさせ、その上で、夫ががんだと言うことになって、私が精神的にぶっつぶれれば、最も得をする存在は井上ひさしだったというわけです。
私も、さすがに死亡の発表後、二ヶ月は沈黙をしました。やはり、世間の流れと日本人の性向は無視できないです。しかし、大相撲の壊滅作戦が、見事に、この二人羽織の発案どおりに、成功したのを見て、なんというおぞましいことであろうという観点は捨てきれないので、今日、一部分だけでも書いたわけです。
なお、ここで、いったん中断します。酒井忠康氏とか、栗田女史とかを、引き続いて分析しなければいけませんが、私も忙しいし、この文章自体が長くなりすぎていると思いますので。では。
2010年7月16日 雨宮舜