銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

八幡宮のイチョウが倒れたことの分析の1、鎌倉の黒い霧

2010-07-18 07:30:53 | Weblog
 今年の春に鎌倉では大ニュースがありました。イチョウが倒れたのです。しかし、これこそ、私が、天が存在すると確信した出来事でした。

 これは、鎌倉の例の三悪人、井上ひさし、伊藤玄二郎、酒井忠康が鎌倉の空気を大変悪くしていることに天がお怒りになったのです。

 そして、4月9日か、10日に、井上ひさしがご自分を死んだと仮装(または偽装)して発表したのは、その事実の裏側を、私が分析するのを、特に恐れたからでしょう。生きてるとしたら、取材が殺到するかもしれないと予想をしたのでしょう。自分の責任を問われることを恐れたのです。

 三人が直接手を下しているわけではないのでしょうが、最近の日本人の心への蹂躙の数々、は、この三人の悪行、特に井上ひさし原案、連絡係、伊藤玄二郎ほか、国際的軍産共同体のしかるべき、エージェントたち、(NHKにも朝日新聞にもいるわけですが)に伝わって実行をされるわけですが、酒井忠康氏のように政治にはまるで関係がないと見られている人間の存在がすこぶる重要です。

 われわれは『上流人士ですよ』と言うサークルを作っていて、彼らが言うことや、やることに信用を付与していて、井上ひさしの原案が通りやすくすることに役立っています。

 その見返りのご褒美として、酒井忠康氏は定年をすぎたはずですが、いまだに、半公立であろう世田谷美術館(その建物等の礎は、ほとんど区民税で設立をされたもの)の館長をしています。これって美術界における典型的な天下りです。建物と立地条件は、神奈川県立美術館より立派なぐらいですが、一応現代美術という分野では、神奈川県立美術館の方が上なので、天下りができるというわけです。

 八幡宮様というのは、年間二千万人の善男善女が参拝する日本の文化財です。そして、精神的にも清冽でなくてはならないところです。しかし、最近の工事の数々の着手や、突然に、國學院大學の教授と松沢茂文知事が講演会をするなどという、企画は、すべて、伊藤玄二郎、および、井上ひさしの、二人羽織でできていることでしょう。

 もちろん、ずるいふたりは、フリーメーソン固有の支援を受けていますから、すぐ、東京農大の教授を使うとか、自分たちが動いてはいないような手を打ちますが、このイチョウが倒れたのは、アメリカきささげ(または、メキシコきささげとも呼ぶ。電話で美術館の学芸員さんに問い合わせたので、これをきることが意義があると二人の悪人派、考え付いたのであろう)を、十分に生きがよいのに、伐採をなさったことへの天の怒りの表明でしょう。

 このアメリカきささげの伐採直後の写真がありますが、まっ黄色でみずみずしいです。まあ、それもいずれ、ハッキングで盗まれるのではないかな。まあともかく、どうして、それを伐採する必要があったかというと、私が文章で、それについて好ましいと、述べているからです。文章で書いたことは必ず、証拠を消そうというのが、きちがいめいた彼らのやり口です。

 そのアイデアをひねり出すのが井上ひさしです。今、小町通りで、延々と終わらない共同溝工事、やっていますが、それも、私の『敷石を磨く男』(後注)という文章を否定するために行われています。でないと、2007年の二月に始まった工事がまだ終わらないなどという怠慢はありえないし、電柱一本だって消えていません。敷石を復活させたくないから、延々とやっているわけです。小町通りの周辺の人はいい迷惑ですが、これも、井上ひさし、伊藤玄二郎二人の発案で、特徴的なことです。今、電車の事故が多発していますが、これも井上ひさし原案でしょう。
 私は、電車に乗るたびに特に個展のときなど、遅れさせられました。おっちょこちょいでかつサラリーマンをやったことがないから、単に面白がっていますから、私が絶対に乗り換えられない着た鎌倉とか、保土ヶ谷で止められます。鎌田へ行ったときなど、あそこは数本に一本が終点ですから、夜の11時で人がホームにあふれんばかりでしたが、とめられました。私はそのとき、ほんの作り方を教えてと頼まれていましたが、その人のパソコンがおかしくなって、しかも商売用の、ソフトまでバグが入ったと聞いて、本当に怒り心頭でしたが、じっと我慢をして、今日まで、具他的なことは言わないできましたが、これが、なぜ発案されたかもいずれ、お話をする機会も来ることでしょう。理由は完璧にあるのです。

 まあ、三年以上続いている無駄な小町通りの工事のことですが、そこを通るたびに、怒りやら、嫌悪感を感じる私の、例のごとく、神経をずたずたにしてやろうと言う算段です。電車の法も同じですが、大勢無辜の市民を巻き込んでいます。それで、こちらは往々にして、小沢一郎発案の可能性もあります。

 それと、1942年生まれ、早稲田の革○の委員長だった成岡庸司さん(この人だけ、敬称をつけるのは、たった100人しかいない学校の同級生だったことがあるから、で、おゆるしください)がいて、彼が鉄道の事故を演出している可能性はあります。

 彼からは、個人的に、『早稲田に入ったことが不満である』という手紙ももらっている。それを盗み返したいから、家に頻繁に泥棒が入るのかな? まさかね。手紙をやり取りした他の派、47年も前のことです。

 ただし、同じ時期の同級生だった、飯田隆くん(週刊朝日の編集長だったこともある)が、2009年三月のクラス会に遅れてきて、私に、「あなたはノイローゼですよ」と言っただけで、ご馳走も食べなければ二次会にも出ないで帰ったことがある。これも、非常におかしいことでした。特に同じことが、銀座で流布していて、『え、長年の友人としてのつき阿賀あるひとがどうして、そんなことを言うのかしら。彼は、やはり、朝日新聞の人間だから、国際敵、ぐん三共同体の命令には、抵抗できないのかな?と思いましたが、事前に誰かと会って、打ち合わせをしていたら、ありえる話です。事前に会う人としては、成岡君が中学と大学の同窓生だから、可能性は高い。

 後、時田史郎君(もと福音館社長)の変節も、これと、関係があるでしょう。成岡君と早稲田人脈の政治的な利用のされ方については後でもう一回触れて、述べます。
いつのことになるかわからないけれど。
 それに、大昔だけれど、飯田君が私に「成岡って、きっと死んでいると思うんですよ」といったことも意味深だ。私は自分の通っている大学の同級生(上だったが、留年したのでそうなった)秋山豊寛さん(これも、同級生だったわけなので、敬称つきとなる。ほかの登場者との差別については、おゆるしいただきたい)に、彼があまり威張りかえるので、むくれて、当時学生の間で、圧倒的な人気を誇った、成岡君から、心模様を書いた手紙をもらっているわよ」と告げたことがある。
 それで、秋山豊寛氏から情報が入って、成岡君は、軍産共同体のストラテジストにリクルートをされた可能性はある。

 左翼というのは、新左翼でも、共産党でも、トップは密接に国際的軍産共同体に結びついている。秋山豊寛氏は、今では、農民となっていて、静かな生活を送っている模様だけど、学生時代はうるさい人間だった。私は彼を相当に疑っている。表面と裏は違う人間だと思っている。ともかく、成岡君に戻れば、かれは、地下潜行者となって、その方向で日本を支配するのを目指すのなら、道理は通る。今、小沢一郎が、「官僚をぶっつぶす」とよく言っているが、それは実はストらテジストの成岡君の考えではないかな。日比谷高校卒のかれは、
もし、東大に入学していたら、おとなしくも、官僚でおさまっていたはずだ。


 ところで、そういう影にいる存在ではなくて、表に出ている存在について、再び述べます。
そのほうが、実例としてよく見えることですから。

 朝日新聞のメセナ(金銭や名誉を与えるか与えないか)等で、美術界ににらみを利かせている酒井忠康氏の源泉→ガレリアグラフカのオーナー栗田女史、中継→各銀座、および、鎌倉の画廊からの、冷たい目・・・・・さあ、月曜日、各画廊がどういう態度をとるか、楽しみですが・・・・・・あらゆる、演技はすぐ見抜けますから、そこから、さらに真実がわかってくるでしょう。

 私は、友達の家に、泥棒が入ったり、(モダンアートの重鎮、鶴見厚子さんは、彼女自身、「あなたと関係がある」といいましたし、私自身すさまじいレベルで、データが盗まれいますから、そうだと感じますが、この手の心労をはじめとして、すさまじい経済的損失も加わっているのです。

 一方、これらの諜略活動は、27年前に、こちらに引っ越してきた直後から、上の三人よりも、瀬島隆三によって、練り上げられたと感じています。

 伊藤玄二郎など、そのころは、間口、二間程度の木造のお店の二階だけのオフィスだった、小商人です。鎌倉の文化人に取り入って、取り入って大きくなったわけでしょうが、特に、我が家宅の近所に、昔、彼の愛人だったと自分で名乗る石川和子女史がいて、無教養で粗野のきわまりだから、私を精神敵に追い詰めるのに役に立つということで、石川女史のおかげで、伊藤玄二郎も格をあげてもらってきたのです。この石川女史が生きていたころはこのご近所様がすさまじい状態で、それに頭に来た、我が家の対面の住人藤本夫人が、我が家と彼女宅の間の道を、誰もが通れないようにするために、道路の真ん中に藤本邸所属のフェンスを作ると主張したのです。私が引っ越してくる前の出来事ですよ。ここは、蜂の巣をつついたような騒ぎの渦中だったのです。別の登場人物ですが、大学教授夫人がノイローゼになったとご主人がおっしゃっていました。だから、引っ越したいから売りますって。ここに引越してきてみてから、「なるほど、すごい場所だ」と思いました。今では、横須賀の方が上品でしょうと思うくらい、民度が低かったです。

 特に、うるさくて中学校の番町波なのは、いつも言っている、石川女史とともに、前田清子女史です。この人がたぶんですが、八幡宮の紹介で、国学院の講師になっていることも、イチョウが倒れたひとつの原因です。ほかに後の回に、詳述するだろう、安野夫人、井上夫人等が、藤本夫人に「うるさくして申し訳ございませんでした」と謝罪すればすむことなのに、性格も人格も彼らは未熟ですから、謝罪をしないで、なんと、引っ越してきたばかりの我が家の、花畑をコンクリート詰めにして、さらに、我が家固有の山まで削って、違法な石を入れるという形で、当時、一種の錯乱状態にあった、藤本夫人を鎮めたのです。

 この錯乱状態という言葉はもっと、異議田ない表現で、当時の会長中谷氏から、私に告げられ、困っているからきょうりょくしてほしいというのデ、花畑を提供するのはかまわないが、違法な石は認めませんよ」といっているのに、我が家の山まで削って、裏切り行為をしたのです。恐るべきえせ紳士ぶりです。お子様の出世と引き換えに、瀬島隆三等から働きかけがあったのでしょう。

 そちらもいずれ詳しく書きますが、今日はそれを飛ばして、前田清子女史を詳述いたしましょう。以前から、『めんどり時を告げて、国滅びるの典型である」と私は彼女をパソコンないメモとして書き落としていたわけですが、国はともかく、八幡宮様をぶっ潰したわけです。『やっぱりねえ。さすがに神様はお見逃しになりませんね』と思いましたが、何がどう悪いのかを、ここで、少し述べましょう。彼女の傲慢さのレベルほど、けたたましいものはありません。

 道路です。けたたましい声を上げるのは。私はドアを閉じ、窓を閉めていても聞こえます。こういう調子です。「のぶこがさあー。湘南高校の男の子と付き合っているのよ。それが結構イケメンだから、さっさと決めなさい・・・・よっていうんだけど、きめないのよー。なかなか」・・・・・

 これが、何を意味するか、お分かりになりますか? つまり、うちの娘は持ててもてて、困るし、相手は頭はいいし、顔はいいし、すばらしい男だけど、うちの娘の方がふっているんです」と言う自慢なのです。それを、山(谷戸といって、北と南が迫っているすり鉢上の地形内で、大声で言うのですよ。藤本夫人でなくても、この山から追い出したくなります。
ところで、彼女の門には、例の警察から配られる、青いエナメルの看板が下がっています、
それは、余談ですが・・・・・
 もう一度彼女に戻れば、礼儀も何にもわきまえない人で、その上、たぶんですが共産党シンパです。やることを見ていたら、わかる。それが、国学院の講師として、もし、八幡宮様の推薦で勤めていたとしたら、八幡宮へ対して、天の神様がお怒りになって、『お尻ぺんぺんと、言うサインとして、イチョウを倒しましょう』とお思いになるのもむべなるかなです。

 白井宮司さんという方が長くお勤めになっていました。その次は池田さんと言うカタカナと思っていたのに、より年若い吉田茂穂という方が、お継ぎになったのですが、信じられないぐらい、ビジネス意欲が高くて、びっくりです。

 しかも、見え見えなぐらいに、例の三悪人、の原案による悪事に加担をしていらっしゃいます。2008年の夏は特にひどかった。それは、また、別の機会に書きます。

 一番いけないと思うのは、その三悪人が、国際的軍産共同体の手先であることが見え見えナことなのに、つき、従っておられることなのです。日本固有のものなのに、海外へお金が流れ、国民が『映画』こーヴとか、、今、私が問題にしている、映画TOKYOなどのように、日本人の心や伝統を、徹底的にを踏みにじり、蹂躙する側に立っておられることなのです。吉田茂穂宮司は個人といっても個人ではなくて、日本の一種の代表なのです。それが海外のエージェントの支配下にあるということが、大問題なのです。

 それが、おっちょこちょいのきわみの例の三悪人と、同じレベルのおっちょこちょい振りを示しておられるので、嘆息のみぎりです。酒井忠康氏がどれほど、おっちょこちょいなのかはまた、別便で書きましょう。

 私はもちろん、今年から雪洞は献灯しません。上の文を書いたから恥じ入って出さないのではなくて、イチョウが倒れたときから、『もう、遠慮はしないでよい。あそこは神域ではない』と思っていますので、尊敬の気持ちがうせたのです。『まあ、宮司さんが変われば雰囲気も変わるかもしれません』が、わかりません。もし、私が仮に宮司だったら、現在の地位を、辞退すると思いますけれど。

 ただ、『お金の問題で個人的に汚い』とか、『女色におぼれている』ということはありえない八幡宮です。それは、清潔です。ただ、『日本の精神を蹂躙して、日本人を裏切っている、手合いの言うなりになっておられるというのが、いやなことだなあ』と思うだけです。
 ま、印には行きますよ。特に伊藤玄二郎の作品を見るのが楽しみです。数年前に見たものは乱暴で雑然としていること極まりなくて、『あ、石川和子女史の、風体とそっくりだわ』と思ったものです。

 ところで、前方で、ぬかだ病院の河野医師と、書いていますね。近々に、河野先生は、額田をおやめになるのではないですか。私が文章に書いたことは必ず、事実があとで消されていきますので。そうなるでしょう。ここで、予言をしておきます。

  では、今日はこれで。2010年、7月18日  雨宮舜
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