小説『ジョーイの出立』
第一部、タイムズスクエアーの家、
第五章『フォレストヒルズで、美青年(白人)になめられる』
・・・・・[前号までのあらすじ]、百合子(57才)は、初のニューヨークで、一人で住まいを探す必要ができてしまい・・・・・
で、ニュージャージー(マンハッタン島の西側)も駄目で、美大の周辺のブルックリン(マンハッタン島の東南)も駄目だとすると、真東に存在するクィーンズと言う地域が残る。日本にいる間にはまったく知らなかった地帯だけれど、地下鉄の便がよい。で、そこをまず探索することとする。
駅を降りた。林というか、森が広がり、その中に住宅が点在している。樹木は椎とか、樫などの常緑樹で、樹勢から考えて植樹されてから、100年以上は経っていると思われた。または、自然に昔から存在していた森林の中に、住宅地を、樹木を残したまま、造成をしたのであろうか。一種の森林浴が出来るほどの、雰囲気で、あたりはシーンとしている。タイムズスクエアーあたりの喧騒と、空気の悪さと、比べると雲泥の差がある。
日本でも古い住宅地では、子供が巣立っていって、町全体がしーんとしているところがあるが、ここも同じだろうと考えた。
アメリカの住宅と言うのは芝生の中に塀がない形で点在をしていて、家の周りには、花壇があるというイメージが強かったが、ここでは樹木で陽光がさえぎられるので、芝生は育っておらず、それもまた、古風さを演出していると言うか、静謐さを演出していると言うか、なんともいえない独特の雰囲気がある。
ところで、日本では六本木ヒルズと言う高層ビルができた。その後も愛宕山ヒルズとか言う名前の、同じような高層ビルを(株)森ビルは続々と建てているらしい。百合子は、最初は、麻布、六本木あたりが高台であるから、あの命名があったと考えていたが、今、思うと、森ビルの一族の誰かが、昔フォレストヒルズに住んでいだ事があって、この街の上品さを、記憶にとどめておいたのかもしれない。そんな感じもしてくる。
もう一つ、この街を思い出す、日本の記録が後に見つかった。五島みどりさんの母君が最初にニューヨークに入ったときに、お世話になったのが、フォレストヒルズの、知人の家の半地下だったということだ。ただ、半がついても地下というと日本では相当にイメージが悪いが実際にはそれほどでもない。
ここで、挿入的に成るが、半地下と言う建築形式の説明を説明をさせて頂きたい。日本でもはやった有名な映画に、ウエストサイド物語と言うのがあった。裏窓と言うのもあった。それを見ると、ビルの入り口に数段の階段がある。それを上ったところにある階が一階と呼ばれる。パリでは一階はゼロと数えるが、あれはセーヌ川の氾濫のなごりでもあろうか。ともかく、ニューヨークでは、地上すれすれの一階を利用し始めたのは、ごく最近建築をされたビルのことであり、70年ぐらい前までのビルは、すべて、一階が半分ほど、地上から高くなっている。そして、半分ほど地上から下がった、地下室があるが、堀がめぐらされているケースが多くて、その半地下室にも外光が差し込み、風も通るのだ。
フォレストヒルズに戻ろう.その一帯は、日本の田園調布と言うほど、豪華ではない。クリントン邸がある、ブルックリン・ハイツほど、豪華でもない。今はニュージャージーと比べても、人気は無い住宅地であろう。しかし、落ち着きと言う意味では、相当なレベルで、落ち着きのある町ではあった。
百合子はやや薄暗いといってもよいほどの、森林を15分以上歩いたのち、広い道路に出た、向かい側は、テニスコートを含む緑地である。ここからは、店のたたずまいが日本の鎌倉の由比ガ浜通りみたいな雰囲気となる。あたりに目配りをしながら歩いていくとやがて道路の向こう側に不動産屋が一軒あるのに気がついた。
入っていく。海外で初めて入る不動産屋だ。社員は一人だった。もしかしたら彼は社長でもあったか。30代で、フォレストヒルズで独立するとはなかなかのやり手かな? 白人の美青年で、青い瞳が透き通っている。
百合子は希望条件を述べた。彼は、適宜な物件があるという。で、二人で車に乗ってそこまで見に行くことと成った。車には驚いた。真っ赤なBMVなのだけれど、その鍵システムがすさまじい。鍵というよりむしろ機械というか装置という方がふさわしい。ステンレスのパイプががっしりと、ハンドルを固めていた。驚いた顔をして、「盗まれるからですか?」と質問をすると、そうだとのこと。しかし、この質問をした事は、後で考えるとマイナスだった。非常にうぶな田舎ものとみなされて、値段を吹っかけられることとなったからだ。
案内された物件は半地下だった。自然環境はすこぶるよい。隣に家がない。半地下を生かすための堀の向こう側には、芝生の緑地が広がる。明るい。樹木もさきほどの椎や樫ほどの、大木ではないし。後年百合子はNHKの特別番組でヴィオリニスト神尾真由子さんのスイスの家と言う映像見る。それとそっくりな部屋だった。
部屋は八畳程度の広さなのだけれど、新築だということはわかる。ネズミ色の床も壁も、真新しいコンクリートで人間のにおいがしない。しかし、その部屋には、蛇口一つないのだから、台所や風呂場がどこにあるかを教えてもらわないと困る。じっと待っているが、なにも説明をしてくれない。
百合子は想像する。『もしかすると、この階には、なにもそういう設備は設置していなくて、上の階にある、大家のそれを使うことになるのかしら』と。『それじゃあ、だめよ。絶対にだめだわ』と考える。しかも家具もないのだから、非常に不経済になる。外国では、貸間は家具付きが多いのだ。でも、一応値段を聞いてみる。800ドルだとのこと、これは、高い。ニューヨークに初めてきて、たった一週間程度しか滞在していなくても、そのくらいの判断はできる。それで断った。
すると、彼は、その家の前の道路に百合子を放り出したまま、さっと、車で帰ってしまった。いやあ、びっくりだ。そこは、フォレストヒルズの地下鉄駅に帰るのには、一時間以上歩かないとならない場所だった。白人の美声年なのに、そんなに、不誠実だとは、ちょっと信じられなかった。お金をもうけることに専念している人間は、こういう風になるのだろうか。
のちほど、サブプライム・ローンの問題が起こり、知識のないアフリカンの婦人などが、高額のローンを設定されていて、そのあげく、家をとられていく映像をテレビで見たが、その取り立ての風景と、この美声年が重なった。
『完璧に、なめられている』と思う。『あなたね、私、あながどういう人間か、わかっていますよ』と、いいたかったが、いえなかった。それが、残念だ。別に英語の単語を知らなかったわけではない。百合子はいわゆる啖呵というのが切れない人間だった。こういえば勝てる。そして、自分への侮蔑を払いのけられるとわかっているのだけれど、日本にいる場合でも、日本語でだって、啖呵は切れないのだ。
~~~~~~~~~~
さあて、どうするかだ。元来た道へ戻るかな?と思っていたときに、向こうから、熟年のご夫婦がやってきた。特に奥様の方がアジア系で、『あ、日本人が来た。助かった』と思う。ただ、ご主人が白人なので、彼女の滞米年数が長いと判断して、一応英語で話しかけてみる。すると奥様は中国系だとのこと。
本当に親切に、いろいろ教えてくれて、「進行方向に、別の地下鉄駅があるので、そちらを利用なさいませ」という。しかも一緒にそこまでいってあげるという。その間に15分程度にあれこれをはなすと、彼女は非常に同情をしてくれて、喫茶店で、グレープジュースをごちそうしてくれた。
百合子は後ほど、礼状を出したくて、住所を聞いたが教えてはもらえなかった。すぐ、事情を察する。いろいろな人が過去に彼女の親切につけ込んだりして、援助を乞うたのだろう。それで、深入りはしないという方針だと思われた。百合子は日本から、銀座の鳩居堂で買った和風のレターセットなどを持ってきていたので、それを、送りたかったが、あえて、それ以上を押さえた。
彼女夫婦は、学者夫婦らしかった。その仕事がもたらす上品さがあり、誠実さのあるご夫婦だった。地獄で仏に会うとよく言うが、まさに、その言葉どおりだった。人が、誰も通っていないフォレストヒルズの幹線道路で、毎夕、「ここを夫婦で散歩しているのですよ」と、いう彼女たちに出会えたのは、神様のお助けであっただろう。
のちほど、百合子は『ニューヨークには、よい喫茶店が少ない』のに気がつく。チェーン店で、安くて質の悪いものを飲ませるところは多いが。だから、あのとき招かれた喫茶店が、珍しい形の喫茶店で、相当に上等なお店で、『あの天然ジュースは、高かっただろう』と思うと、切ないほどの感謝の思いに満たされる。
あれから、10年がたった。百合子も67歳だ。夫は年金暮らし。あのご夫婦と同じような生活費で、つつましく生活をしている。だからこそ、見ず知らずの人間に、最高級のジュースをごちそうしてくれた彼女たち夫婦の、親切が身にしみる。不誠実な不動産屋、しかし、美声年に遭ってひどい目に会わされた直後に、見かけは地味で慎ましいが、親切で、優しいこときわまりない老夫婦に出会ったのだ。『どこかで、神様が自分をごらんになっている』と感じる。「大丈夫。大丈夫、何とかなるわ。もう一回フォレストヒルズに来てみましょう」と声にならない声で、百合子は自分を励ました。
なお、下に、13時間で更新してしまった、連載四があります。夜ご自宅でパソコンをお開きになる方はそちらも、よろしく。
2010年7月5日書き、送るのは6日 雨宮舜
第一部、タイムズスクエアーの家、
第五章『フォレストヒルズで、美青年(白人)になめられる』
・・・・・[前号までのあらすじ]、百合子(57才)は、初のニューヨークで、一人で住まいを探す必要ができてしまい・・・・・
で、ニュージャージー(マンハッタン島の西側)も駄目で、美大の周辺のブルックリン(マンハッタン島の東南)も駄目だとすると、真東に存在するクィーンズと言う地域が残る。日本にいる間にはまったく知らなかった地帯だけれど、地下鉄の便がよい。で、そこをまず探索することとする。
駅を降りた。林というか、森が広がり、その中に住宅が点在している。樹木は椎とか、樫などの常緑樹で、樹勢から考えて植樹されてから、100年以上は経っていると思われた。または、自然に昔から存在していた森林の中に、住宅地を、樹木を残したまま、造成をしたのであろうか。一種の森林浴が出来るほどの、雰囲気で、あたりはシーンとしている。タイムズスクエアーあたりの喧騒と、空気の悪さと、比べると雲泥の差がある。
日本でも古い住宅地では、子供が巣立っていって、町全体がしーんとしているところがあるが、ここも同じだろうと考えた。
アメリカの住宅と言うのは芝生の中に塀がない形で点在をしていて、家の周りには、花壇があるというイメージが強かったが、ここでは樹木で陽光がさえぎられるので、芝生は育っておらず、それもまた、古風さを演出していると言うか、静謐さを演出していると言うか、なんともいえない独特の雰囲気がある。
ところで、日本では六本木ヒルズと言う高層ビルができた。その後も愛宕山ヒルズとか言う名前の、同じような高層ビルを(株)森ビルは続々と建てているらしい。百合子は、最初は、麻布、六本木あたりが高台であるから、あの命名があったと考えていたが、今、思うと、森ビルの一族の誰かが、昔フォレストヒルズに住んでいだ事があって、この街の上品さを、記憶にとどめておいたのかもしれない。そんな感じもしてくる。
もう一つ、この街を思い出す、日本の記録が後に見つかった。五島みどりさんの母君が最初にニューヨークに入ったときに、お世話になったのが、フォレストヒルズの、知人の家の半地下だったということだ。ただ、半がついても地下というと日本では相当にイメージが悪いが実際にはそれほどでもない。
ここで、挿入的に成るが、半地下と言う建築形式の説明を説明をさせて頂きたい。日本でもはやった有名な映画に、ウエストサイド物語と言うのがあった。裏窓と言うのもあった。それを見ると、ビルの入り口に数段の階段がある。それを上ったところにある階が一階と呼ばれる。パリでは一階はゼロと数えるが、あれはセーヌ川の氾濫のなごりでもあろうか。ともかく、ニューヨークでは、地上すれすれの一階を利用し始めたのは、ごく最近建築をされたビルのことであり、70年ぐらい前までのビルは、すべて、一階が半分ほど、地上から高くなっている。そして、半分ほど地上から下がった、地下室があるが、堀がめぐらされているケースが多くて、その半地下室にも外光が差し込み、風も通るのだ。
フォレストヒルズに戻ろう.その一帯は、日本の田園調布と言うほど、豪華ではない。クリントン邸がある、ブルックリン・ハイツほど、豪華でもない。今はニュージャージーと比べても、人気は無い住宅地であろう。しかし、落ち着きと言う意味では、相当なレベルで、落ち着きのある町ではあった。
百合子はやや薄暗いといってもよいほどの、森林を15分以上歩いたのち、広い道路に出た、向かい側は、テニスコートを含む緑地である。ここからは、店のたたずまいが日本の鎌倉の由比ガ浜通りみたいな雰囲気となる。あたりに目配りをしながら歩いていくとやがて道路の向こう側に不動産屋が一軒あるのに気がついた。
入っていく。海外で初めて入る不動産屋だ。社員は一人だった。もしかしたら彼は社長でもあったか。30代で、フォレストヒルズで独立するとはなかなかのやり手かな? 白人の美青年で、青い瞳が透き通っている。
百合子は希望条件を述べた。彼は、適宜な物件があるという。で、二人で車に乗ってそこまで見に行くことと成った。車には驚いた。真っ赤なBMVなのだけれど、その鍵システムがすさまじい。鍵というよりむしろ機械というか装置という方がふさわしい。ステンレスのパイプががっしりと、ハンドルを固めていた。驚いた顔をして、「盗まれるからですか?」と質問をすると、そうだとのこと。しかし、この質問をした事は、後で考えるとマイナスだった。非常にうぶな田舎ものとみなされて、値段を吹っかけられることとなったからだ。
案内された物件は半地下だった。自然環境はすこぶるよい。隣に家がない。半地下を生かすための堀の向こう側には、芝生の緑地が広がる。明るい。樹木もさきほどの椎や樫ほどの、大木ではないし。後年百合子はNHKの特別番組でヴィオリニスト神尾真由子さんのスイスの家と言う映像見る。それとそっくりな部屋だった。
部屋は八畳程度の広さなのだけれど、新築だということはわかる。ネズミ色の床も壁も、真新しいコンクリートで人間のにおいがしない。しかし、その部屋には、蛇口一つないのだから、台所や風呂場がどこにあるかを教えてもらわないと困る。じっと待っているが、なにも説明をしてくれない。
百合子は想像する。『もしかすると、この階には、なにもそういう設備は設置していなくて、上の階にある、大家のそれを使うことになるのかしら』と。『それじゃあ、だめよ。絶対にだめだわ』と考える。しかも家具もないのだから、非常に不経済になる。外国では、貸間は家具付きが多いのだ。でも、一応値段を聞いてみる。800ドルだとのこと、これは、高い。ニューヨークに初めてきて、たった一週間程度しか滞在していなくても、そのくらいの判断はできる。それで断った。
すると、彼は、その家の前の道路に百合子を放り出したまま、さっと、車で帰ってしまった。いやあ、びっくりだ。そこは、フォレストヒルズの地下鉄駅に帰るのには、一時間以上歩かないとならない場所だった。白人の美声年なのに、そんなに、不誠実だとは、ちょっと信じられなかった。お金をもうけることに専念している人間は、こういう風になるのだろうか。
のちほど、サブプライム・ローンの問題が起こり、知識のないアフリカンの婦人などが、高額のローンを設定されていて、そのあげく、家をとられていく映像をテレビで見たが、その取り立ての風景と、この美声年が重なった。
『完璧に、なめられている』と思う。『あなたね、私、あながどういう人間か、わかっていますよ』と、いいたかったが、いえなかった。それが、残念だ。別に英語の単語を知らなかったわけではない。百合子はいわゆる啖呵というのが切れない人間だった。こういえば勝てる。そして、自分への侮蔑を払いのけられるとわかっているのだけれど、日本にいる場合でも、日本語でだって、啖呵は切れないのだ。
~~~~~~~~~~
さあて、どうするかだ。元来た道へ戻るかな?と思っていたときに、向こうから、熟年のご夫婦がやってきた。特に奥様の方がアジア系で、『あ、日本人が来た。助かった』と思う。ただ、ご主人が白人なので、彼女の滞米年数が長いと判断して、一応英語で話しかけてみる。すると奥様は中国系だとのこと。
本当に親切に、いろいろ教えてくれて、「進行方向に、別の地下鉄駅があるので、そちらを利用なさいませ」という。しかも一緒にそこまでいってあげるという。その間に15分程度にあれこれをはなすと、彼女は非常に同情をしてくれて、喫茶店で、グレープジュースをごちそうしてくれた。
百合子は後ほど、礼状を出したくて、住所を聞いたが教えてはもらえなかった。すぐ、事情を察する。いろいろな人が過去に彼女の親切につけ込んだりして、援助を乞うたのだろう。それで、深入りはしないという方針だと思われた。百合子は日本から、銀座の鳩居堂で買った和風のレターセットなどを持ってきていたので、それを、送りたかったが、あえて、それ以上を押さえた。
彼女夫婦は、学者夫婦らしかった。その仕事がもたらす上品さがあり、誠実さのあるご夫婦だった。地獄で仏に会うとよく言うが、まさに、その言葉どおりだった。人が、誰も通っていないフォレストヒルズの幹線道路で、毎夕、「ここを夫婦で散歩しているのですよ」と、いう彼女たちに出会えたのは、神様のお助けであっただろう。
のちほど、百合子は『ニューヨークには、よい喫茶店が少ない』のに気がつく。チェーン店で、安くて質の悪いものを飲ませるところは多いが。だから、あのとき招かれた喫茶店が、珍しい形の喫茶店で、相当に上等なお店で、『あの天然ジュースは、高かっただろう』と思うと、切ないほどの感謝の思いに満たされる。
あれから、10年がたった。百合子も67歳だ。夫は年金暮らし。あのご夫婦と同じような生活費で、つつましく生活をしている。だからこそ、見ず知らずの人間に、最高級のジュースをごちそうしてくれた彼女たち夫婦の、親切が身にしみる。不誠実な不動産屋、しかし、美声年に遭ってひどい目に会わされた直後に、見かけは地味で慎ましいが、親切で、優しいこときわまりない老夫婦に出会ったのだ。『どこかで、神様が自分をごらんになっている』と感じる。「大丈夫。大丈夫、何とかなるわ。もう一回フォレストヒルズに来てみましょう」と声にならない声で、百合子は自分を励ました。
なお、下に、13時間で更新してしまった、連載四があります。夜ご自宅でパソコンをお開きになる方はそちらも、よろしく。
2010年7月5日書き、送るのは6日 雨宮舜