今から書くことの結論部分は三週間前に発想をしたことです。ただ、現象自体はずっと前からおきていたことです。そして文章の目的は例の問題、・・・・・日本人全体というか大勢の人が大切にされる社会を目指すために、・・・・・です。
女性にとっての一般的な偶像は、50年前はキュリー夫人だったのですが、最近は安室奈美恵だといわれています。でも、時々ですが、松田聖子の名前も挙がります。若さを失わないし、結婚や恋愛も思い通り、芸能マスコミにたたかれてもたたかれても、気にしない。強いというかけろっとしているというか。今ではお嬢さんもしっかり成長したらしくて、あらゆることで、成功者として君臨しているわけです。
そして、NHKで、ときどき特集が組まれます。今日の本筋は、NHKがどうして、松田聖子の特集を組むかと言う謎解きに挑みますが、結論は驚天動地のところへ到達するでしょう。というのも、それと、朝日新聞のメセナが中止となったことが、私の中では結びついているからです。そして、朝日新聞のメセナといえば、酒井忠康氏なのです。氏が長らく審査員を勤めておられました。で、これは、以前からの文章の続きとなるわけです。
私は今ではお金と名誉は関係がありませんと、はっきりいっています。イソップ物語のすっぱい葡萄ではないが、もう年取ってきていて、いまさら、大衆社会への名声を獲得するという意味の、ブレイクもないだろうと思っています。しかも、現在の毎日に、感謝していますので、これ以上の欲得もないのです。それに欲張らないほうが与えられると言う秘蹟にも気がついてきています。
『お金がないなあ』とあせったころもあったのです。お金がある方がいいのでしょう。そうしたら一年に三冊ぐらい本ができます。それに、自分ひとりで製作するよりもお金がかかるが、私費出版の会社で本を作れば、新しい読者層が開拓できるかもしれません。
だけど、今はすべてにこだわらなくなったというか、『どんな道を歩んでもいいのだ』と考えていますので、お金だってなくなれば、なくなった場合で、生きて行かれるだろうと思っています。そういう姿勢の代わりに、犠牲にしたものもありますけれど。
が、2007年ごろは上に書いたようなことは考えておらず、普通の道でブレイクできると思っていました。で、そのための準備を着々と進めていたのです。で、朝日新聞のメセナにも応募したいと思っていました。
今では激しく朝日新聞を批判していますが、以前は普通にいきていくつもりでしたから、政治については、それほど発言をしていませんでした。でもね、まったく政治について発言をしなかったわけでもなくて、2003年の5月7日に、小泉内閣誕生記者会見で、「朝日新聞の記者です」と名乗る男性が、どの閣僚に向かっても、「靖国参拝をしますか」と機械のような質問を繰り返したことについては、メルマガで批判をしました。
でも、そんなことはたいした傷には、なっていないであろうと考えていたのです。だって、その記者の質問の態度は目に余るばからしさであって、かつ、国民が聞きたいことでも知りたいことでもなかったからです。普通に考えたら、あの記者の方がおかしい人物だとなるでしょう。そういう風に思っていました。
それに、この間名前の挙がった、飯田隆君(中学の同級生で、週刊朝日の編集長の後で、朝日ソノラマの社長をした)にクラス会か何かで「ええと、私って最近、こういうことを発言しているけれど、大丈夫かしら」と質問をしても、「ええ、意見を述べることは自由ですから」と、以前には言われていました。
また、油絵や版画のことで、大学同窓会展でいっしょにやった大学の一期下の、野村彰男君(朝日の外信部にいて、そのあとで、国連大学等、いろいろな名誉ある役職についた)にも同じことを質問をしてみたのですが、「ええ、自由ですよ、何を考えるのも」と答えてもらっています。
その上、美術のことでは海外では、評価が高くて、日本でも後で述べますが、相当に好評だったので、自信がありました。50万円でもいいから、いただければ、それで、自分が企画して、若手の有望な作家たちのグループ展をしたかったのです。
私は結構なレベルで目が利きます。誰が有望かを見つけ出す才能はあります。そういう人を支援するのが、目的で、メセナの資金をもらえるのなら、それはうれしいと考えていました。
それは、普通の個展の次のステップとしては、面白い事業です。その上、私は2006年度中は、月刊ギャラリーで連載を持たせてもらっていて、若い人のユニークで将来性のある作品を、紙に白黒で小さく載せてもらっていたので、その実物を画廊で、集中的に、展示をしたら、素敵だろうなあと考えていたのです。だから、自分個人の欲望を満たそうとしたわけでもありません。
しかし、こういう試験というのは大体どこも同じで、ペーパーテストで決まるわけではありません。申請をすれば、後は、コネの世界でもあるらしいのです。だから、申請をした後で、コネも探すつもりでした。ただ、まずは、正当に、正面から申請書類を出すことに挑戦します。その申請の段階で必要なことは、推薦者です。
これが美大を出ていると、相当に簡単であろうと思います。今は大学院まで進学するケースが多いので大学院で担当をしてもらった教授に頼むのが普通でしょう。学部だけの卒業だったら、4年時の担当教授にお願いをする。
それから、美大を出ていなくても、有力な先生について、絵を修行したという人には、先生に頼むという道があります。また、要領よく、美術評論家と仲良くしていくてもありますが、それは、実際には、性格とお金も関係するので、私にはあまり向いていない路線です。
私は利害関係のない相手からは、かわいい人だと思われています、しかし、文章の世界の人やら、絵の世界の人からは、どうも、警戒されているというか、嫉妬されているというか、とてもではないが、かわいがられているほうではないのです。肩書きに比して実力があるので、どう扱っていいかわからないというところもあるからでしょう。
あのね、ごく普通に生きているつもりですが、お高くとまっていると誤解を受けることもありますし。特にお金をもらうことなどは、どなたもやりたいことですから、その援助を請うのは非常に難しいのです。
で、今回はあっさりと、美術界以外の人に頼むことに決めました。その相手が松田聖子と関係があります。彼女を売り出して成功に導いた、プロデューサーです。
実は母のいとこでもあるから親戚です。彼は結婚する前までは、よく我が家に遊びに来ていて、よく試聴盤をプレゼントしてくれました。そのころはソニー・エンターテインメントというソフトを扱う会社はまだ設立をされていなくて、(つまり、ハード=機械製品だけをソニーは扱っていた)彼はビクターに勤めていました。だから、ビクター専属のアメリカの歌手や、西欧の交響楽団の洋盤をもらっていたのです。
私がすぐ、どこでも歌を歌ってしまうのは、結婚前の4,5年という短い間ですが、そのたくさんのLPレコードを聞いたことも、根源にあるかもしれません。
名前を中野寛(ナカノカン)といってこういう業界では、それ相応の名前の通った人のようです。九州大学の法学部を出ていて、厳しい人間です。松田聖子本人とはムードがまるで違う人間ですが、顔は、今で言うイケメンのほうでしょう。山本耕一をもうちょっと普通の人にしたような顔です。
私は別に親しくはないのです。もっと親しく話ができる、同じ年頃の親戚の男の子は別にたくさんいて、彼と親しいとは思ってはいません。でも、一家で、「ひろしちゃん」と呼んでいて、やはり、親戚としての、付き合いはあったわけです。向こうは私を「ちっちゃん」と呼びます。そして、芸術のことで推薦人になってもらうにしては、この人がぴったりだろうなあと考えました。
で、我が家から電話をかけて委細を説明し、許可ももらっていて、携帯の番号まで教えてもらいました。しかし、私は携帯を使わない人間なので、彼の番号を自分の携帯に入れることはないのです。だから、すぐ忘れてしまいます。これが、後で大きく響いてきますので、読者の皆様も恐れ入りますが、私が彼の携帯番号まで教えてもらっていながら、それを、覚えていないことを、覚えていてくださいませ。
その2007年ごろまでは、まさか、我が家の電話の盗聴がこれほど、規模が大きく、結果も大きいとは夢にも思っておりませんでした。ひろしチャンとの会話が、後で、敵方に利用をされるとは、夢にも思っていなかったのです。
これは思い過ごしではなくて、2009年に、小林篤生さんの仕事上の売り物ソフトにバグが入ったときから、実際に盗聴されていることを確信して、一切電話を使わないようにしています。それでもかけるときは、相手方が、敵様にすでにリクルートをされているケースしかかけません。ところで、新しくこれをお読みになる方のために、小林さんのことを、もう一回軽く繰り返しますと、親戚で、かつ大学の下級生となり、「本を作ることで教えてほしい」といって、ばんばん電話を向こうからくれた人なのです。
でね。もう一度朝日新聞のメセナに戻ります。ひろしチャンには、2006年ごろからこれのことを丁寧に説明をして、2007年の個展にも来てもらっていました。だから、2007年度までは普通の関係だったのです。
でもね、すでに、恐ろしいことの萌芽が、2007年度中に、ほの見えていました。二人で打ち合わせを喫茶店でしていたときのことです。ひろしチャンの携帯にどこかから電話がかかってきて、彼は、打ち合わせを切り上げてそちらに向かいました。
そのとき、直感的にそれは、悪い電話だと思いました。後でわかるのですが、きっとNHKからです。というのも直後に、松田聖子の特集番組が放映されましたので。
それから、次の年度の、朝ドラ「だんだん」で、松田聖子の大ヒット曲『赤いスィートピー』が重要なアイコンとして使われる事となりました。でもね。普通だったら、親戚の男の子が昔、手がけた仕事が、リヴァイバルするのは、喜んであげなくてはならないでしょう。
それなのに、どうして、ぞっとしたかですが、その後の悪い展開を予測をしたのだと思います。ひろしちゃんとちっちゃん(私)の関係は、2009年の秋には、語るも涙、聞くも涙の話となっていきますが、
その物語を超がつくほど簡単にまとめますと、敵方は、おいしい仕事を与えて、その見返りとして、その当事者と私の仲を裂いていくのです。NHKで、子飼いのスターが特集をされる。それは、ひろしチャンにとってはうれしいことで、その見返りに、『お宅の親戚のだれそれさんは危ない人ですよ』などと、耳打ちをされたら、勘のよい彼だったら、すぐ、『ちっちゃん(雨宮)と付き合うと損だな』と感じるでしょう。
でもね、それって、こちらに弁明をさせない、ひどい人権蹂躙です。そして、小林君のように結婚でつながった親戚だけではなくて、ひろしチャンのように血のつながった親戚まで利用する・・・・・この悪のレベルの深さに驚き以上のものを感じます。でも、子の話は一番恐れていた母の葬儀(これを書いたのち、10月16日の通夜と17日の葬儀に
ひろしちゃんが、出席してくださったことで、ひとまず、美しく修正をされました。天とひろしちゃんに感謝します。
挙句の果ては私の一番身近な人である夫まで利用するのです。
これから以下は読みにくい話となっていくでしょう。くだらないともつらい話ともいえます。それでも書いていくのは、こここそ、井上ひさしが生きていると信じるところですし、かれが、大相撲壊滅作戦の音頭をとったといえるところだからです。
ご近所の主婦たちは、瀬島龍三、もしくは井上ひさし原案、連絡係、伊藤玄二郎、→石川和子女史、もしくは安野夫人として、私をいじめる役に徹しています。そうすれば、それこそ、ノイローゼになって文章を書けなくなると信じているのです。それが、25年間以上続いていますので、すべて、パターンが読めるのです。
で、そのいじめ作戦のひとつが夫をそちら側に取り込んでいく作戦です。
策略を重ねていって、徐々に徐々に夫まで、取り込んでいきます。その結果、石川和子女史(戸籍名は柳沢)の夫が私の猫にそむかれたなどと言う簡単な現象に逆上しきってしまって、警官を呼び、「川崎千恵子(雨宮の本名)を、あそこのご主人にしかってもらうように、言ってくれ」などという、驚天動地の命令を下すことになります。多分、その際、鎌倉春秋社社長の伊藤玄二郎の名前を使ったので、警官は、そちらが偉いと勘違いして、山のうえなのに、交通事故の調書までとって私を脅しました。
これだけではないのですよ。三菱証券を使ったからくりさえ利用して、取り込むので、夫婦喧嘩にまでいたります。2008年の3月10日の真夜中とか、同じく2008年の夜の7時から9時までは、怒鳴りあいの喧嘩となりました。外へも聞こえますし、室内盗聴もされているので、彼ら(伊藤玄二郎と、井上ひさし)は、『成功したー』と舌なめずりせんばかりの大喜びをしているのです。
この『成功したー』という言葉ですが、後に、安野夫妻、浅野夫人、および、浅野令嬢をの四人が協力して私の頭に、水ぶっ掛けようとした事件が起こり、そのときに、井上ひさしが、アイデアを提供しているのを確信したのですが、その際のキーワードとなって行きます。ちなみに水は私の頭にはかかりませんでしたよ。私は武士道の気迫みたいなものが自然に身についていて、あらゆる暗殺行為から逃げることができるのです。水をぶっ掛けるなどというのは、死にはいたりませんが、一種の暗殺行為ですから、さっと、感知してよけることができます。
ところが携帯を利用してタイミングを計っていた浅野令嬢が、母親から、30メートルも離れているのに、『成功したー』と問いかけられたのです。こんな言葉をかけられたら、自分の娘が策略行為、特に一種の暗殺行為に加担した、特に重要なキーとして加担したのは、みえみえに、わかってしまうではないですか?
浅野夫人とは武蔵野美大の出身だそうで、実家は田園調布だと聞いていますが、あきれかえるほどのおっちょこちょいです。この軍産共同体の手先になる人間の特徴はすべて、ここに集約します。だから、すべてがわかります。でね、成功してもいないのに、令嬢は母親に、「成功しなかった」とは正直にはいえなかった模様です。これも大きく心理学的な分析に役立ちました。つまり、娘さんは両親がこわいのです。だから、本当のことが言えません。で、これら番長主婦グループの根底に色濃くヒステリー性格が含まれていることがわかります。ヒステリー性格というのは、上下関係を重んじ、それを形成するためにスケープゴートを作りやすいのです。そうすることが集団がまとまりやすいからです。だから、集団でいじめる一人だけの対象を常に探しています。
私が引っ越してくる前は藤本夫人がその矛先であり、その次の時代が私というわけです。浅野家の令嬢は、やむを得ず「成功した」といったみたいで、それは、すぐさま、前田清子夫人に伝わり、彼女がきゃ、きゃっと、喜んでいる様子が、私が玄関に入る前に聞こえてきました。常日頃から、抜群の声量の地声を誇っている(?)人間ですから。
でもね、ちょっとご主人にしかられていました。それは、愉快でした。でも、それでも、ご主人を100%の善人とはいえないのです。彼は彼で、集団訴訟の問題が関与してきますから。大多数の日本人にとっては、大迷惑な存在です。それは、後ほどに。
もうこういうばかげたことが、一万回以上繰り返されているこの山に住んでいると、国際的軍産共同体の行動については、ベテランになります。
特にこの六月の初めに、これらの番長主婦グループがまたまた、騒いでいたので、すぐ大相撲疑惑の裏側が察せられました。そういうことかと理解をして確信を持って文章を書くことができます。
それは、浅野令嬢の行動を見ていると、とくに、わかりやすいのです。このように敵が『自分たちの身に、危険が迫っている』と思うと、浅野令嬢をアメリカに送り込みます。彼女の姿を見ると、私が怒りを増幅させてバンバン、真実を書き起こすと、推定しているのです。
それは、彼女の行動が特に、井上ひさし分析に役立つからです。かわいそうに、まだ、結婚もしたことのないお嬢さんが国際的軍産共同体の最末端の、しかし、重要な任務を担わされてしまっています。荷が重いでしょう。だけど、お母さんの判断ミスでもあり、仕方がないといわなければなりません。
井上家などご主人が賢いから、ある時点からは、奥様が、ご近所の主婦とは会話を交わさないように、するために、必ず山の上り下りは二人でなさっておられましたよ。そうすると、井戸端会議に引き込まれません。
特に豪華な判断材料とは、鎌倉防犯協会の放送です。それから、テレビニューース、朝日新聞の記事、これらの断片を総合すると社会のすべてが正しく判断できます。その詳細は別の日に書きます。私は自分の身におきる被害が、パソコンが壊れることをはじめとして、あまりにも大きいので、だんだん、非公開で事実を分析始めました。すると、普通の日本人だったら、自分の悪さが見破られていると言うことで、恥じ入って反省すると思うのですが、反省しません。ハッキングを上部がしているわけですから、上部が正しい情報を下部におろすのならそうなるはずです。しかし、そうならなくてずっと、被害が続きます。それで、こういう仕事は日本人がやっているのではないと気がついてきます。
それで、これらの悪が伊藤玄二郎と井上ひさしという日本人という仮衣を着た、外国発の発想だとわかっていくのです。もし、彼らが『僕は日本人だ』と主張するなら、日本は国際的軍産共同体に、100%支配をされていて、エージェントとして、井上ひさしと、伊藤玄二郎は動いているということになります。その実態についても、別の日にまた、詳述します。
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ともかくにして、これらの心理学を利用した、すさまじいばかりの悪をご理解いただけますか。だからこそ、天は八幡宮の大銀杏を倒されたのです。彼らの悪意と悪行は重なると、すさまじい量になるからです。加害行動を担わされている一人一人、たとえば、前田清子夫人など、『自分はちっとも悪くないのよ』と嘯いている可能性はあります。だから、彼女の大声の大騒ぎは、続きます。
で、天は、彼女を推薦した(ほかにも判断ミスはありますが)八幡宮様をお叱りになったのです。
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ひろしちゃんが敵方にリクルートをされてしまっていて、二人の仲が疎遠になっていることを自覚させられた日が、携帯が、重要な小道具として、登場します。そのいきさつの詳細は、将来、この全体を小説と言う形で書き直すときには、入れたいと感じていますが、今日は伏せましょう。文章が、長くなりすぎますし、感情がこもりすぎます。
全体をドキュメンタリーとしてまとめたいと考えていますし、一本の中に起承転結と、因果関係を明瞭に入れ込むためには、グーブログには字数制限がある模様ですので、最後まで一気に書き抜かないといけませんので。
ただし、これから先はツィッター方式で書かせてくださいませ。最終的な完成は、午後の三時ごろとなる見込みです。よろしくお願いを申し上げます。
実は上に挙げた話はその後、例の悪人連中が、私の、血のつながった親戚にまで魔手を伸ばすのだと言う話になって行き、それゆえに、彼らの悪辣さのひとつの証明となるから、あえて、自分にとっても、ひろしチャンにとっても、難儀な話を公開するわけです。
私はその後、朝日新聞のメセナが終わったことを急に知ることとなります。
これは酒井忠康氏の発案ではなくて、上層部の発案でしょう。朝日新聞は、新聞そのものの衰退現象により、広告収入が減ったので、メセナというものを他企業にならって縮小していくと言う形をとったと思います。で、酒井忠康氏は、私には、この件では、直接の関係がないと思っていらっしゃるはずで、何で、こういう場所で、自分の名前が出てくるのだとおっしゃると思いますが、氏が、栗田玲子さんの経営する画廊、枯れリアグラフィカにお客さんとしていらっしゃったことを知っていますし、その栗田女史は、伊藤玄二郎と、夜の十時半という遅い時間に鎌倉駅のトイレにいたわけで、いろいろのリンクが察せられるのです。そして、悪人どもが跳梁跋扈するのを、助けていて、それが、結局回りまわって、大相撲壊滅作戦などを招き寄せたと信じるので、ここで、書いていくのです。
政治とはまったく関係の内容に見える、酒井忠康氏が彼らの悪を浄化していき、いかにも権威があり、まっとうなようにみせる大切な役割を果たしています。
朝日新聞のメセナがおわったころ、同時に、毎日新聞が長らく続けてきた、現代美術のコンクールが終わりました。
こちらも、氏が審査員です。表向きは、こちらも財政困難と言うこととなりましょう。だけど、酒井忠康氏だけは、なんとも、いやな、食い逃げの感じがあります。
どういうことかというと、銀座の画廊を巡っていても、芳名帖の署名欄を見ると、酒井忠康氏は、それほど、丁寧に見回っている評論家ではないのです。だけど、著名であり、隠然たる力があるとみなされています。これでも、えらい人ととして認められているのは、これら、今ウールでの審査員としての身分が支えになっています。
そこで、新人を見つけ、賞を与えれば、感謝されます。それで、そういう発見された人は、酒井氏を守る立場に立つでしょう。そうするといわゆる藩屏があるということになり、人は石垣、人は城で、周りを、固めてもらえるわけです。
氏が美術界に大きな力を持っていることは、ここで、氏をこき下ろせば、私が大損をすることに直行します。だけど、わかっていてわざとその道に踏み込んでいくのは、別方向で、私の被害と損失があまりにも大きすぎて、ここで、新たな損失をこうむっても、もう、大勢に変わりはないと判断をしている事が大きいです。敵はことをやりすぎています。
だから、自分一個の身をここで、どうのこうのと、守るよりも、一種の手負いの猪(しし)として、できるだけ、この軍産共同体の悪を、分析しぬき、日本と、日本国民の役に立つほうが、望むところなのです。
ここでグーブログが一万字を超えたという警告を発しました。一万字を超えると、アップロードできないそうです。で、酒井忠康氏については説明不足となっています。
「どうして、こんな主婦軍団と僕が同じ文中に記載をされないといけないのだ。僕は知識階級であり、名士であるのに」とおっしゃるとも思いますが、伊藤玄二郎という文脈ですべては修練していくのです。その件も後で、別の日に丁寧に書いていきましょう。
その上、NHKがどうして、驚天動地の行動をとっているかの説明も足りていません。でも、字数が超えたそうですから、それも、また、別の機会に述べましょう。
2010年7月28日 雨宮 舜(本名、川崎 千恵子)
女性にとっての一般的な偶像は、50年前はキュリー夫人だったのですが、最近は安室奈美恵だといわれています。でも、時々ですが、松田聖子の名前も挙がります。若さを失わないし、結婚や恋愛も思い通り、芸能マスコミにたたかれてもたたかれても、気にしない。強いというかけろっとしているというか。今ではお嬢さんもしっかり成長したらしくて、あらゆることで、成功者として君臨しているわけです。
そして、NHKで、ときどき特集が組まれます。今日の本筋は、NHKがどうして、松田聖子の特集を組むかと言う謎解きに挑みますが、結論は驚天動地のところへ到達するでしょう。というのも、それと、朝日新聞のメセナが中止となったことが、私の中では結びついているからです。そして、朝日新聞のメセナといえば、酒井忠康氏なのです。氏が長らく審査員を勤めておられました。で、これは、以前からの文章の続きとなるわけです。
私は今ではお金と名誉は関係がありませんと、はっきりいっています。イソップ物語のすっぱい葡萄ではないが、もう年取ってきていて、いまさら、大衆社会への名声を獲得するという意味の、ブレイクもないだろうと思っています。しかも、現在の毎日に、感謝していますので、これ以上の欲得もないのです。それに欲張らないほうが与えられると言う秘蹟にも気がついてきています。
『お金がないなあ』とあせったころもあったのです。お金がある方がいいのでしょう。そうしたら一年に三冊ぐらい本ができます。それに、自分ひとりで製作するよりもお金がかかるが、私費出版の会社で本を作れば、新しい読者層が開拓できるかもしれません。
だけど、今はすべてにこだわらなくなったというか、『どんな道を歩んでもいいのだ』と考えていますので、お金だってなくなれば、なくなった場合で、生きて行かれるだろうと思っています。そういう姿勢の代わりに、犠牲にしたものもありますけれど。
が、2007年ごろは上に書いたようなことは考えておらず、普通の道でブレイクできると思っていました。で、そのための準備を着々と進めていたのです。で、朝日新聞のメセナにも応募したいと思っていました。
今では激しく朝日新聞を批判していますが、以前は普通にいきていくつもりでしたから、政治については、それほど発言をしていませんでした。でもね、まったく政治について発言をしなかったわけでもなくて、2003年の5月7日に、小泉内閣誕生記者会見で、「朝日新聞の記者です」と名乗る男性が、どの閣僚に向かっても、「靖国参拝をしますか」と機械のような質問を繰り返したことについては、メルマガで批判をしました。
でも、そんなことはたいした傷には、なっていないであろうと考えていたのです。だって、その記者の質問の態度は目に余るばからしさであって、かつ、国民が聞きたいことでも知りたいことでもなかったからです。普通に考えたら、あの記者の方がおかしい人物だとなるでしょう。そういう風に思っていました。
それに、この間名前の挙がった、飯田隆君(中学の同級生で、週刊朝日の編集長の後で、朝日ソノラマの社長をした)にクラス会か何かで「ええと、私って最近、こういうことを発言しているけれど、大丈夫かしら」と質問をしても、「ええ、意見を述べることは自由ですから」と、以前には言われていました。
また、油絵や版画のことで、大学同窓会展でいっしょにやった大学の一期下の、野村彰男君(朝日の外信部にいて、そのあとで、国連大学等、いろいろな名誉ある役職についた)にも同じことを質問をしてみたのですが、「ええ、自由ですよ、何を考えるのも」と答えてもらっています。
その上、美術のことでは海外では、評価が高くて、日本でも後で述べますが、相当に好評だったので、自信がありました。50万円でもいいから、いただければ、それで、自分が企画して、若手の有望な作家たちのグループ展をしたかったのです。
私は結構なレベルで目が利きます。誰が有望かを見つけ出す才能はあります。そういう人を支援するのが、目的で、メセナの資金をもらえるのなら、それはうれしいと考えていました。
それは、普通の個展の次のステップとしては、面白い事業です。その上、私は2006年度中は、月刊ギャラリーで連載を持たせてもらっていて、若い人のユニークで将来性のある作品を、紙に白黒で小さく載せてもらっていたので、その実物を画廊で、集中的に、展示をしたら、素敵だろうなあと考えていたのです。だから、自分個人の欲望を満たそうとしたわけでもありません。
しかし、こういう試験というのは大体どこも同じで、ペーパーテストで決まるわけではありません。申請をすれば、後は、コネの世界でもあるらしいのです。だから、申請をした後で、コネも探すつもりでした。ただ、まずは、正当に、正面から申請書類を出すことに挑戦します。その申請の段階で必要なことは、推薦者です。
これが美大を出ていると、相当に簡単であろうと思います。今は大学院まで進学するケースが多いので大学院で担当をしてもらった教授に頼むのが普通でしょう。学部だけの卒業だったら、4年時の担当教授にお願いをする。
それから、美大を出ていなくても、有力な先生について、絵を修行したという人には、先生に頼むという道があります。また、要領よく、美術評論家と仲良くしていくてもありますが、それは、実際には、性格とお金も関係するので、私にはあまり向いていない路線です。
私は利害関係のない相手からは、かわいい人だと思われています、しかし、文章の世界の人やら、絵の世界の人からは、どうも、警戒されているというか、嫉妬されているというか、とてもではないが、かわいがられているほうではないのです。肩書きに比して実力があるので、どう扱っていいかわからないというところもあるからでしょう。
あのね、ごく普通に生きているつもりですが、お高くとまっていると誤解を受けることもありますし。特にお金をもらうことなどは、どなたもやりたいことですから、その援助を請うのは非常に難しいのです。
で、今回はあっさりと、美術界以外の人に頼むことに決めました。その相手が松田聖子と関係があります。彼女を売り出して成功に導いた、プロデューサーです。
実は母のいとこでもあるから親戚です。彼は結婚する前までは、よく我が家に遊びに来ていて、よく試聴盤をプレゼントしてくれました。そのころはソニー・エンターテインメントというソフトを扱う会社はまだ設立をされていなくて、(つまり、ハード=機械製品だけをソニーは扱っていた)彼はビクターに勤めていました。だから、ビクター専属のアメリカの歌手や、西欧の交響楽団の洋盤をもらっていたのです。
私がすぐ、どこでも歌を歌ってしまうのは、結婚前の4,5年という短い間ですが、そのたくさんのLPレコードを聞いたことも、根源にあるかもしれません。
名前を中野寛(ナカノカン)といってこういう業界では、それ相応の名前の通った人のようです。九州大学の法学部を出ていて、厳しい人間です。松田聖子本人とはムードがまるで違う人間ですが、顔は、今で言うイケメンのほうでしょう。山本耕一をもうちょっと普通の人にしたような顔です。
私は別に親しくはないのです。もっと親しく話ができる、同じ年頃の親戚の男の子は別にたくさんいて、彼と親しいとは思ってはいません。でも、一家で、「ひろしちゃん」と呼んでいて、やはり、親戚としての、付き合いはあったわけです。向こうは私を「ちっちゃん」と呼びます。そして、芸術のことで推薦人になってもらうにしては、この人がぴったりだろうなあと考えました。
で、我が家から電話をかけて委細を説明し、許可ももらっていて、携帯の番号まで教えてもらいました。しかし、私は携帯を使わない人間なので、彼の番号を自分の携帯に入れることはないのです。だから、すぐ忘れてしまいます。これが、後で大きく響いてきますので、読者の皆様も恐れ入りますが、私が彼の携帯番号まで教えてもらっていながら、それを、覚えていないことを、覚えていてくださいませ。
その2007年ごろまでは、まさか、我が家の電話の盗聴がこれほど、規模が大きく、結果も大きいとは夢にも思っておりませんでした。ひろしチャンとの会話が、後で、敵方に利用をされるとは、夢にも思っていなかったのです。
これは思い過ごしではなくて、2009年に、小林篤生さんの仕事上の売り物ソフトにバグが入ったときから、実際に盗聴されていることを確信して、一切電話を使わないようにしています。それでもかけるときは、相手方が、敵様にすでにリクルートをされているケースしかかけません。ところで、新しくこれをお読みになる方のために、小林さんのことを、もう一回軽く繰り返しますと、親戚で、かつ大学の下級生となり、「本を作ることで教えてほしい」といって、ばんばん電話を向こうからくれた人なのです。
でね。もう一度朝日新聞のメセナに戻ります。ひろしチャンには、2006年ごろからこれのことを丁寧に説明をして、2007年の個展にも来てもらっていました。だから、2007年度までは普通の関係だったのです。
でもね、すでに、恐ろしいことの萌芽が、2007年度中に、ほの見えていました。二人で打ち合わせを喫茶店でしていたときのことです。ひろしチャンの携帯にどこかから電話がかかってきて、彼は、打ち合わせを切り上げてそちらに向かいました。
そのとき、直感的にそれは、悪い電話だと思いました。後でわかるのですが、きっとNHKからです。というのも直後に、松田聖子の特集番組が放映されましたので。
それから、次の年度の、朝ドラ「だんだん」で、松田聖子の大ヒット曲『赤いスィートピー』が重要なアイコンとして使われる事となりました。でもね。普通だったら、親戚の男の子が昔、手がけた仕事が、リヴァイバルするのは、喜んであげなくてはならないでしょう。
それなのに、どうして、ぞっとしたかですが、その後の悪い展開を予測をしたのだと思います。ひろしちゃんとちっちゃん(私)の関係は、2009年の秋には、語るも涙、聞くも涙の話となっていきますが、
その物語を超がつくほど簡単にまとめますと、敵方は、おいしい仕事を与えて、その見返りとして、その当事者と私の仲を裂いていくのです。NHKで、子飼いのスターが特集をされる。それは、ひろしチャンにとってはうれしいことで、その見返りに、『お宅の親戚のだれそれさんは危ない人ですよ』などと、耳打ちをされたら、勘のよい彼だったら、すぐ、『ちっちゃん(雨宮)と付き合うと損だな』と感じるでしょう。
でもね、それって、こちらに弁明をさせない、ひどい人権蹂躙です。そして、小林君のように結婚でつながった親戚だけではなくて、ひろしチャンのように血のつながった親戚まで利用する・・・・・この悪のレベルの深さに驚き以上のものを感じます。でも、子の話は一番恐れていた母の葬儀(これを書いたのち、10月16日の通夜と17日の葬儀に
ひろしちゃんが、出席してくださったことで、ひとまず、美しく修正をされました。天とひろしちゃんに感謝します。
挙句の果ては私の一番身近な人である夫まで利用するのです。
これから以下は読みにくい話となっていくでしょう。くだらないともつらい話ともいえます。それでも書いていくのは、こここそ、井上ひさしが生きていると信じるところですし、かれが、大相撲壊滅作戦の音頭をとったといえるところだからです。
ご近所の主婦たちは、瀬島龍三、もしくは井上ひさし原案、連絡係、伊藤玄二郎、→石川和子女史、もしくは安野夫人として、私をいじめる役に徹しています。そうすれば、それこそ、ノイローゼになって文章を書けなくなると信じているのです。それが、25年間以上続いていますので、すべて、パターンが読めるのです。
で、そのいじめ作戦のひとつが夫をそちら側に取り込んでいく作戦です。
策略を重ねていって、徐々に徐々に夫まで、取り込んでいきます。その結果、石川和子女史(戸籍名は柳沢)の夫が私の猫にそむかれたなどと言う簡単な現象に逆上しきってしまって、警官を呼び、「川崎千恵子(雨宮の本名)を、あそこのご主人にしかってもらうように、言ってくれ」などという、驚天動地の命令を下すことになります。多分、その際、鎌倉春秋社社長の伊藤玄二郎の名前を使ったので、警官は、そちらが偉いと勘違いして、山のうえなのに、交通事故の調書までとって私を脅しました。
これだけではないのですよ。三菱証券を使ったからくりさえ利用して、取り込むので、夫婦喧嘩にまでいたります。2008年の3月10日の真夜中とか、同じく2008年の夜の7時から9時までは、怒鳴りあいの喧嘩となりました。外へも聞こえますし、室内盗聴もされているので、彼ら(伊藤玄二郎と、井上ひさし)は、『成功したー』と舌なめずりせんばかりの大喜びをしているのです。
この『成功したー』という言葉ですが、後に、安野夫妻、浅野夫人、および、浅野令嬢をの四人が協力して私の頭に、水ぶっ掛けようとした事件が起こり、そのときに、井上ひさしが、アイデアを提供しているのを確信したのですが、その際のキーワードとなって行きます。ちなみに水は私の頭にはかかりませんでしたよ。私は武士道の気迫みたいなものが自然に身についていて、あらゆる暗殺行為から逃げることができるのです。水をぶっ掛けるなどというのは、死にはいたりませんが、一種の暗殺行為ですから、さっと、感知してよけることができます。
ところが携帯を利用してタイミングを計っていた浅野令嬢が、母親から、30メートルも離れているのに、『成功したー』と問いかけられたのです。こんな言葉をかけられたら、自分の娘が策略行為、特に一種の暗殺行為に加担した、特に重要なキーとして加担したのは、みえみえに、わかってしまうではないですか?
浅野夫人とは武蔵野美大の出身だそうで、実家は田園調布だと聞いていますが、あきれかえるほどのおっちょこちょいです。この軍産共同体の手先になる人間の特徴はすべて、ここに集約します。だから、すべてがわかります。でね、成功してもいないのに、令嬢は母親に、「成功しなかった」とは正直にはいえなかった模様です。これも大きく心理学的な分析に役立ちました。つまり、娘さんは両親がこわいのです。だから、本当のことが言えません。で、これら番長主婦グループの根底に色濃くヒステリー性格が含まれていることがわかります。ヒステリー性格というのは、上下関係を重んじ、それを形成するためにスケープゴートを作りやすいのです。そうすることが集団がまとまりやすいからです。だから、集団でいじめる一人だけの対象を常に探しています。
私が引っ越してくる前は藤本夫人がその矛先であり、その次の時代が私というわけです。浅野家の令嬢は、やむを得ず「成功した」といったみたいで、それは、すぐさま、前田清子夫人に伝わり、彼女がきゃ、きゃっと、喜んでいる様子が、私が玄関に入る前に聞こえてきました。常日頃から、抜群の声量の地声を誇っている(?)人間ですから。
でもね、ちょっとご主人にしかられていました。それは、愉快でした。でも、それでも、ご主人を100%の善人とはいえないのです。彼は彼で、集団訴訟の問題が関与してきますから。大多数の日本人にとっては、大迷惑な存在です。それは、後ほどに。
もうこういうばかげたことが、一万回以上繰り返されているこの山に住んでいると、国際的軍産共同体の行動については、ベテランになります。
特にこの六月の初めに、これらの番長主婦グループがまたまた、騒いでいたので、すぐ大相撲疑惑の裏側が察せられました。そういうことかと理解をして確信を持って文章を書くことができます。
それは、浅野令嬢の行動を見ていると、とくに、わかりやすいのです。このように敵が『自分たちの身に、危険が迫っている』と思うと、浅野令嬢をアメリカに送り込みます。彼女の姿を見ると、私が怒りを増幅させてバンバン、真実を書き起こすと、推定しているのです。
それは、彼女の行動が特に、井上ひさし分析に役立つからです。かわいそうに、まだ、結婚もしたことのないお嬢さんが国際的軍産共同体の最末端の、しかし、重要な任務を担わされてしまっています。荷が重いでしょう。だけど、お母さんの判断ミスでもあり、仕方がないといわなければなりません。
井上家などご主人が賢いから、ある時点からは、奥様が、ご近所の主婦とは会話を交わさないように、するために、必ず山の上り下りは二人でなさっておられましたよ。そうすると、井戸端会議に引き込まれません。
特に豪華な判断材料とは、鎌倉防犯協会の放送です。それから、テレビニューース、朝日新聞の記事、これらの断片を総合すると社会のすべてが正しく判断できます。その詳細は別の日に書きます。私は自分の身におきる被害が、パソコンが壊れることをはじめとして、あまりにも大きいので、だんだん、非公開で事実を分析始めました。すると、普通の日本人だったら、自分の悪さが見破られていると言うことで、恥じ入って反省すると思うのですが、反省しません。ハッキングを上部がしているわけですから、上部が正しい情報を下部におろすのならそうなるはずです。しかし、そうならなくてずっと、被害が続きます。それで、こういう仕事は日本人がやっているのではないと気がついてきます。
それで、これらの悪が伊藤玄二郎と井上ひさしという日本人という仮衣を着た、外国発の発想だとわかっていくのです。もし、彼らが『僕は日本人だ』と主張するなら、日本は国際的軍産共同体に、100%支配をされていて、エージェントとして、井上ひさしと、伊藤玄二郎は動いているということになります。その実態についても、別の日にまた、詳述します。
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ともかくにして、これらの心理学を利用した、すさまじいばかりの悪をご理解いただけますか。だからこそ、天は八幡宮の大銀杏を倒されたのです。彼らの悪意と悪行は重なると、すさまじい量になるからです。加害行動を担わされている一人一人、たとえば、前田清子夫人など、『自分はちっとも悪くないのよ』と嘯いている可能性はあります。だから、彼女の大声の大騒ぎは、続きます。
で、天は、彼女を推薦した(ほかにも判断ミスはありますが)八幡宮様をお叱りになったのです。
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ひろしちゃんが敵方にリクルートをされてしまっていて、二人の仲が疎遠になっていることを自覚させられた日が、携帯が、重要な小道具として、登場します。そのいきさつの詳細は、将来、この全体を小説と言う形で書き直すときには、入れたいと感じていますが、今日は伏せましょう。文章が、長くなりすぎますし、感情がこもりすぎます。
全体をドキュメンタリーとしてまとめたいと考えていますし、一本の中に起承転結と、因果関係を明瞭に入れ込むためには、グーブログには字数制限がある模様ですので、最後まで一気に書き抜かないといけませんので。
ただし、これから先はツィッター方式で書かせてくださいませ。最終的な完成は、午後の三時ごろとなる見込みです。よろしくお願いを申し上げます。
実は上に挙げた話はその後、例の悪人連中が、私の、血のつながった親戚にまで魔手を伸ばすのだと言う話になって行き、それゆえに、彼らの悪辣さのひとつの証明となるから、あえて、自分にとっても、ひろしチャンにとっても、難儀な話を公開するわけです。
私はその後、朝日新聞のメセナが終わったことを急に知ることとなります。
これは酒井忠康氏の発案ではなくて、上層部の発案でしょう。朝日新聞は、新聞そのものの衰退現象により、広告収入が減ったので、メセナというものを他企業にならって縮小していくと言う形をとったと思います。で、酒井忠康氏は、私には、この件では、直接の関係がないと思っていらっしゃるはずで、何で、こういう場所で、自分の名前が出てくるのだとおっしゃると思いますが、氏が、栗田玲子さんの経営する画廊、枯れリアグラフィカにお客さんとしていらっしゃったことを知っていますし、その栗田女史は、伊藤玄二郎と、夜の十時半という遅い時間に鎌倉駅のトイレにいたわけで、いろいろのリンクが察せられるのです。そして、悪人どもが跳梁跋扈するのを、助けていて、それが、結局回りまわって、大相撲壊滅作戦などを招き寄せたと信じるので、ここで、書いていくのです。
政治とはまったく関係の内容に見える、酒井忠康氏が彼らの悪を浄化していき、いかにも権威があり、まっとうなようにみせる大切な役割を果たしています。
朝日新聞のメセナがおわったころ、同時に、毎日新聞が長らく続けてきた、現代美術のコンクールが終わりました。
こちらも、氏が審査員です。表向きは、こちらも財政困難と言うこととなりましょう。だけど、酒井忠康氏だけは、なんとも、いやな、食い逃げの感じがあります。
どういうことかというと、銀座の画廊を巡っていても、芳名帖の署名欄を見ると、酒井忠康氏は、それほど、丁寧に見回っている評論家ではないのです。だけど、著名であり、隠然たる力があるとみなされています。これでも、えらい人ととして認められているのは、これら、今ウールでの審査員としての身分が支えになっています。
そこで、新人を見つけ、賞を与えれば、感謝されます。それで、そういう発見された人は、酒井氏を守る立場に立つでしょう。そうするといわゆる藩屏があるということになり、人は石垣、人は城で、周りを、固めてもらえるわけです。
氏が美術界に大きな力を持っていることは、ここで、氏をこき下ろせば、私が大損をすることに直行します。だけど、わかっていてわざとその道に踏み込んでいくのは、別方向で、私の被害と損失があまりにも大きすぎて、ここで、新たな損失をこうむっても、もう、大勢に変わりはないと判断をしている事が大きいです。敵はことをやりすぎています。
だから、自分一個の身をここで、どうのこうのと、守るよりも、一種の手負いの猪(しし)として、できるだけ、この軍産共同体の悪を、分析しぬき、日本と、日本国民の役に立つほうが、望むところなのです。
ここでグーブログが一万字を超えたという警告を発しました。一万字を超えると、アップロードできないそうです。で、酒井忠康氏については説明不足となっています。
「どうして、こんな主婦軍団と僕が同じ文中に記載をされないといけないのだ。僕は知識階級であり、名士であるのに」とおっしゃるとも思いますが、伊藤玄二郎という文脈ですべては修練していくのです。その件も後で、別の日に丁寧に書いていきましょう。
その上、NHKがどうして、驚天動地の行動をとっているかの説明も足りていません。でも、字数が超えたそうですから、それも、また、別の機会に述べましょう。
2010年7月28日 雨宮 舜(本名、川崎 千恵子)