小説『ジョーイの出立』
第一部、タイムズスクエアーの家、
第三章『東大卒でも引きこもるから、嫌なの』
・・・・・[前号までのあらすじ、主婦の百合子は、57歳にしてニューヨークへ留学する。が大家の赤ちゃんになつかれすぎて、困惑する・・・・・
ある日、お風呂場から大きな音がする。『昼間なのに変だな』と思って覗くと見知らぬ若い女性がお掃除をしていた。すぐ、もう一人の下宿人だと感じる。百合子は簡単に自己紹介をしたあとで、「私ね。台所はずいぶんきれいにしたのだけれど、お風呂は一回も掃除をしたことはなかったわ」という。
内心でこうも思った。お風呂場はタイルが白い。その上、ほとんどものが置いてない。だから、この家の中では唯一といってよいほどきれいに見える場所だ。それなのに、日本から長旅で帰ってきた途端に、掃除をするのはどうしてだろう』と。それとなく、そういうと、「私ね。髪の毛が落ちているのはたまらないの」と彼女は言う。「あ、そう。ごめんなさい。私も落としたかもしれない」と百合子は謝った。
そして、その勤勉さに、ある種の好感を持った。で、大きく興味を抱いて観察をした。百合子より背が高いから、165センチぐらいだ。スリムな体型で、顔は小さめで、やや丸顔。温和な感じもあるのに、潔癖なところのある人だ。ふと、「お父さんはどういうお仕事をしている人なの」と聞く。これは普通の場合ならルール違反だ。探りを入れるという形になる。しかし、百合子は、彼女の育ちがよいことを確信していた。案の定、「○○会社の社長をしているわ」と彼女は答える。その名前は日本中の人が知っている一部上場会社のものだった。
「うわあー、それなら、お見合いで、さっさと結婚をしていてもよいのに」と笑いながら言うと、彼女は真顔で、「日本の若い男性に、魅力を感じないの」という。「あ、そう。なんとなくわかるわ。主人でさえ(後注、6)、仕事のできるタイプと、できないタイプがあるといっていたし」と答えると、「東大卒でも、会社に入ってから引きこもったりしている人がいるのよ」と彼女は言う。
この数年後のこととなる。日本の若い男性に、覇気がないタイプが多いということは社会現象として、論じられるようになり、草食系という言葉さえできた。(後注7)彼女は先取りをしていたこととなる。百合子は頭の中だけで考える。『このお嬢さんは、社長令嬢だというのに、こんなに体がよく動いて勤勉だ。この家の奥さんも大金持ちのお嬢さんみたいだが、きっと、中小企業の社長さんの娘なのだ。だから、お金が湯水のように使えるのだろう。未婚の下宿人のほうは、一流企業の社長といっても、彼女が中学生のころは、お父さんは、部長程度だっただろうし、お兄さん等がいて、私大へ通っていたりすると、サラリーマンの収入内で、いろいろきちんと生活をするということで、こういうお嬢さんが生まれた。潔癖でもあり、甘えがないということだ。ずいぶんと、赤ちゃんのママとは違うなあ』と思い至り、
「ところで、この家の奥さんは困ったタイプね」と言うと、彼女はそっと目をそらす感じになった。それで、百合子も察する。この家に住んでいる限り、それを表現するのはタブーなのだと。また、こちらの未婚の女性がすこぶる頭がよいことも。それで、会話をそこで切り上げた。彼女の勤務先は、日本企業だと思われるが、それも忙しいであろうし、退社後のお付き合いもあるだろう。その後、長話をするチャンスは訪れなかった。
そして、百合子は、『この家は、出て、別の住まいを探さないと駄目だ』と、心の中で決めた。パリでは昼間は版画修行一途であったが、夜は一人住まいで、ものを考え、それを文章に表すことを重ねた。それが、すばらしい経験と感じられた。自分に合っている。これこそ、自分のやりたいこと、そして、やれることであると確信した。
パリに長居したかったが、どうしてもいったん帰国せねばならず、それで改めて出かけるのなら言葉が自由なニューヨークがいいと感じたのだ。
今ではパリやニューヨークにどんどん出かけることができる、そんな、幸運に恵まれている百合子でも、若いころ、前途が見えなくて悩んだこともあった。だから、この家の奥さんの状況も理解はできる。彼女は打開をしたがっているが、百合子の考えでは、『今は、子育てに専念をしなければならない』となる。子供とは、生まれてきたら責任がある。そして一歳から三歳までなど、圧倒的に弱くて、親の保護を必要としている。そして、毎日新しい発見と進歩を示す、もっとも、楽しい時期でもあるのだ。
体は動かさなくてはならない。だから疲労困憊はする。でも、大人になってから、大学の入試に成功しただの失敗しただのということや、就職ができるのできないの、などという、心配をする時期に比べれば、圧倒的に楽しい時期なのだ。
しかし、幼児とは、言葉で反抗をしてこない。論理的な話などはできない時期だ。だから、親はつい子供にも意思やら人格があることを忘れてしまい、ただ、ただ、単純に安心をして自分の方を優先してしまう。
『ブロードウエイの舞台に立つこと、せりふがある役までもらえなくてもよい。だけど、ダンサーとしては、成功した舞台に立ちたい。あわよくば、トニー賞ぐらい取れる舞台よ。そのためには年齢は、絶対に関係がある。この子を妊娠する前までに、結構よい位置まで到達していたのよ。あと少しだったのに』と、奥さんは考えているような気がした。
百合子にもっと時間があれば、自分の経験を話してもよかった。そして彼女の心を解放して、別の次元に立たせてあげたかった。だけど、時間がなかった、今回も三ヶ月しかいないのだ。その間、目いっぱい、勉強して成果をあげなくてはならない。
それほど、自分の家族にも犠牲を強いていたからだ。世の中とは誰か一人が、決定的に幸運であったり、幸福であることはできない。誰かがそれを、願い実行すれば、その影に我慢をしている人間が出てくる。
自分の子供は、会社勤めをしていて、すでに二人とも25歳を過ぎていたが、『お母さんが、離婚をしかねない』というのは、大問題であろう。こんなに、海外を放浪していたら、離婚になると、世間一般は思っていて、「あの人はすでに離婚をしたよ」などと、うわさされていることも、チラッと感じてはいた。早く早く一定のところまで到達をしたい。それは、無理ではないと、感じていた。
そして、深い信念と自信にも満ち溢れていた。人には潮時というものがある。今がそれだと感じていた。まっすぐに目的に向かう時期。
それは、長い忍従の上で得たものだ。もっと早く海外へ行かれればよかったが、今、この瞬間でも、来ることができただけでも、幸運だと思う。第一お金がなくては、こんなことは、できないが、父親から遺産をもらっていた。
だから、この家の奥さんと似たような境遇といってしまえばそのとおりである。だけど、こどもが20歳ぐらいになるまでは、子供に奉仕してきたとの自信はあった。いや、普通のお母さんよりは欠落があったかな? 芸能や芸術の仕事をしたい人間とは大体が、白昼夢に浸っているものだ。それは、子供にとっては迷惑なことであり、不安なことでも不満なことでもある。百合子はそのことで、子供から批判をされた時期もある。だけど、それを含めての子育てだ。喜怒哀楽をすべて飲み込んで、『波を越えてきた』という自信がある。
だから、奥さんを見ていると、百合子自身がいらいらする。切なくもなる。もっと目覚めて、現実を見てといいたくなる。しかし、それは、彼女が他人であるから、いえないことである。そして大人でもあるのだから余計忠告ができない。結局、想念の、堂々巡りに陥る。それは、自分のエネルギーの無駄遣いである。百合子は過去にも他人のことで、心悩ませたことは何回もあった。その繰り返しは、90日間という今回は避けなければならない。
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百合子は地図を買ってきた。このニューヨークには、誰も知り合いがいない。駐在員の妻としてきたわけではない。すべてを一人で開拓しなければならない。不動産屋を探すにも、まず、地図が頼りだった。繰り返すが、百合子は、1999年にはまだ、インターネットの知識も技術も持っていなかったから。そして、ニューヨーク便利帳、という日本語で書かれた一種の電話帳があることさえ知らなかった。
(後注、6)百合子の世代は、この若い人たちより、ほぼ、30歳程度上になる。しかし、卒業大学のブランド力と、仕事力が平行しないことは、すでに、よく見られる現象となっていた。夫は五万人社員がいる会社の研究員をしていたが、職場で、有名大学を出ている人が意外に使えないのだと、よく言っていた。
(後注7)百合子は、この問題は、男性側の性格やら、身体能力だけには帰せられないと感じている。社会的な要素も大きい。で、後に開いたブログやメルマガの世界で、政治について論じ始めることとなる。日本の若い男性に、無気力感が漂っているのは、政治状況から来る無力感も大きいからだ。それを、改善したいとなっていく。が、この1999年当時は、まだ、芸術の道に一途まい進していたころであった。
この項、続く。2010年7月5日 雨宮舜
第一部、タイムズスクエアーの家、
第三章『東大卒でも引きこもるから、嫌なの』
・・・・・[前号までのあらすじ、主婦の百合子は、57歳にしてニューヨークへ留学する。が大家の赤ちゃんになつかれすぎて、困惑する・・・・・
ある日、お風呂場から大きな音がする。『昼間なのに変だな』と思って覗くと見知らぬ若い女性がお掃除をしていた。すぐ、もう一人の下宿人だと感じる。百合子は簡単に自己紹介をしたあとで、「私ね。台所はずいぶんきれいにしたのだけれど、お風呂は一回も掃除をしたことはなかったわ」という。
内心でこうも思った。お風呂場はタイルが白い。その上、ほとんどものが置いてない。だから、この家の中では唯一といってよいほどきれいに見える場所だ。それなのに、日本から長旅で帰ってきた途端に、掃除をするのはどうしてだろう』と。それとなく、そういうと、「私ね。髪の毛が落ちているのはたまらないの」と彼女は言う。「あ、そう。ごめんなさい。私も落としたかもしれない」と百合子は謝った。
そして、その勤勉さに、ある種の好感を持った。で、大きく興味を抱いて観察をした。百合子より背が高いから、165センチぐらいだ。スリムな体型で、顔は小さめで、やや丸顔。温和な感じもあるのに、潔癖なところのある人だ。ふと、「お父さんはどういうお仕事をしている人なの」と聞く。これは普通の場合ならルール違反だ。探りを入れるという形になる。しかし、百合子は、彼女の育ちがよいことを確信していた。案の定、「○○会社の社長をしているわ」と彼女は答える。その名前は日本中の人が知っている一部上場会社のものだった。
「うわあー、それなら、お見合いで、さっさと結婚をしていてもよいのに」と笑いながら言うと、彼女は真顔で、「日本の若い男性に、魅力を感じないの」という。「あ、そう。なんとなくわかるわ。主人でさえ(後注、6)、仕事のできるタイプと、できないタイプがあるといっていたし」と答えると、「東大卒でも、会社に入ってから引きこもったりしている人がいるのよ」と彼女は言う。
この数年後のこととなる。日本の若い男性に、覇気がないタイプが多いということは社会現象として、論じられるようになり、草食系という言葉さえできた。(後注7)彼女は先取りをしていたこととなる。百合子は頭の中だけで考える。『このお嬢さんは、社長令嬢だというのに、こんなに体がよく動いて勤勉だ。この家の奥さんも大金持ちのお嬢さんみたいだが、きっと、中小企業の社長さんの娘なのだ。だから、お金が湯水のように使えるのだろう。未婚の下宿人のほうは、一流企業の社長といっても、彼女が中学生のころは、お父さんは、部長程度だっただろうし、お兄さん等がいて、私大へ通っていたりすると、サラリーマンの収入内で、いろいろきちんと生活をするということで、こういうお嬢さんが生まれた。潔癖でもあり、甘えがないということだ。ずいぶんと、赤ちゃんのママとは違うなあ』と思い至り、
「ところで、この家の奥さんは困ったタイプね」と言うと、彼女はそっと目をそらす感じになった。それで、百合子も察する。この家に住んでいる限り、それを表現するのはタブーなのだと。また、こちらの未婚の女性がすこぶる頭がよいことも。それで、会話をそこで切り上げた。彼女の勤務先は、日本企業だと思われるが、それも忙しいであろうし、退社後のお付き合いもあるだろう。その後、長話をするチャンスは訪れなかった。
そして、百合子は、『この家は、出て、別の住まいを探さないと駄目だ』と、心の中で決めた。パリでは昼間は版画修行一途であったが、夜は一人住まいで、ものを考え、それを文章に表すことを重ねた。それが、すばらしい経験と感じられた。自分に合っている。これこそ、自分のやりたいこと、そして、やれることであると確信した。
パリに長居したかったが、どうしてもいったん帰国せねばならず、それで改めて出かけるのなら言葉が自由なニューヨークがいいと感じたのだ。
今ではパリやニューヨークにどんどん出かけることができる、そんな、幸運に恵まれている百合子でも、若いころ、前途が見えなくて悩んだこともあった。だから、この家の奥さんの状況も理解はできる。彼女は打開をしたがっているが、百合子の考えでは、『今は、子育てに専念をしなければならない』となる。子供とは、生まれてきたら責任がある。そして一歳から三歳までなど、圧倒的に弱くて、親の保護を必要としている。そして、毎日新しい発見と進歩を示す、もっとも、楽しい時期でもあるのだ。
体は動かさなくてはならない。だから疲労困憊はする。でも、大人になってから、大学の入試に成功しただの失敗しただのということや、就職ができるのできないの、などという、心配をする時期に比べれば、圧倒的に楽しい時期なのだ。
しかし、幼児とは、言葉で反抗をしてこない。論理的な話などはできない時期だ。だから、親はつい子供にも意思やら人格があることを忘れてしまい、ただ、ただ、単純に安心をして自分の方を優先してしまう。
『ブロードウエイの舞台に立つこと、せりふがある役までもらえなくてもよい。だけど、ダンサーとしては、成功した舞台に立ちたい。あわよくば、トニー賞ぐらい取れる舞台よ。そのためには年齢は、絶対に関係がある。この子を妊娠する前までに、結構よい位置まで到達していたのよ。あと少しだったのに』と、奥さんは考えているような気がした。
百合子にもっと時間があれば、自分の経験を話してもよかった。そして彼女の心を解放して、別の次元に立たせてあげたかった。だけど、時間がなかった、今回も三ヶ月しかいないのだ。その間、目いっぱい、勉強して成果をあげなくてはならない。
それほど、自分の家族にも犠牲を強いていたからだ。世の中とは誰か一人が、決定的に幸運であったり、幸福であることはできない。誰かがそれを、願い実行すれば、その影に我慢をしている人間が出てくる。
自分の子供は、会社勤めをしていて、すでに二人とも25歳を過ぎていたが、『お母さんが、離婚をしかねない』というのは、大問題であろう。こんなに、海外を放浪していたら、離婚になると、世間一般は思っていて、「あの人はすでに離婚をしたよ」などと、うわさされていることも、チラッと感じてはいた。早く早く一定のところまで到達をしたい。それは、無理ではないと、感じていた。
そして、深い信念と自信にも満ち溢れていた。人には潮時というものがある。今がそれだと感じていた。まっすぐに目的に向かう時期。
それは、長い忍従の上で得たものだ。もっと早く海外へ行かれればよかったが、今、この瞬間でも、来ることができただけでも、幸運だと思う。第一お金がなくては、こんなことは、できないが、父親から遺産をもらっていた。
だから、この家の奥さんと似たような境遇といってしまえばそのとおりである。だけど、こどもが20歳ぐらいになるまでは、子供に奉仕してきたとの自信はあった。いや、普通のお母さんよりは欠落があったかな? 芸能や芸術の仕事をしたい人間とは大体が、白昼夢に浸っているものだ。それは、子供にとっては迷惑なことであり、不安なことでも不満なことでもある。百合子はそのことで、子供から批判をされた時期もある。だけど、それを含めての子育てだ。喜怒哀楽をすべて飲み込んで、『波を越えてきた』という自信がある。
だから、奥さんを見ていると、百合子自身がいらいらする。切なくもなる。もっと目覚めて、現実を見てといいたくなる。しかし、それは、彼女が他人であるから、いえないことである。そして大人でもあるのだから余計忠告ができない。結局、想念の、堂々巡りに陥る。それは、自分のエネルギーの無駄遣いである。百合子は過去にも他人のことで、心悩ませたことは何回もあった。その繰り返しは、90日間という今回は避けなければならない。
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百合子は地図を買ってきた。このニューヨークには、誰も知り合いがいない。駐在員の妻としてきたわけではない。すべてを一人で開拓しなければならない。不動産屋を探すにも、まず、地図が頼りだった。繰り返すが、百合子は、1999年にはまだ、インターネットの知識も技術も持っていなかったから。そして、ニューヨーク便利帳、という日本語で書かれた一種の電話帳があることさえ知らなかった。
(後注、6)百合子の世代は、この若い人たちより、ほぼ、30歳程度上になる。しかし、卒業大学のブランド力と、仕事力が平行しないことは、すでに、よく見られる現象となっていた。夫は五万人社員がいる会社の研究員をしていたが、職場で、有名大学を出ている人が意外に使えないのだと、よく言っていた。
(後注7)百合子は、この問題は、男性側の性格やら、身体能力だけには帰せられないと感じている。社会的な要素も大きい。で、後に開いたブログやメルマガの世界で、政治について論じ始めることとなる。日本の若い男性に、無気力感が漂っているのは、政治状況から来る無力感も大きいからだ。それを、改善したいとなっていく。が、この1999年当時は、まだ、芸術の道に一途まい進していたころであった。
この項、続く。2010年7月5日 雨宮舜