銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

京都・大原のハコベの話から、鎌倉のそれへ。

2011-03-10 09:40:39 | Weblog
 『猫のしっぽ、かえるの手(?)』という番組があります。それはご存知の方も多いでしょうが、京都大原に住む、もと、イギリス貴族のベニシアさんの日常生活をカメラが捕らえたものです。

 その生活は、アメリカの有名なターシャ・チューダーとか、アーミッシュの生活に似て、大量生産のものをできるだけ使わないで、手作りのものを使うという事です。

 しかし、昔は気に入っていたそれを、私は一年以上見ることはありませんでした。それほど、気忙しくて、身辺がたいへんだったのです。その大変な様子は連続したこの世界で書き続けていますが、今日は春の訪れとともに、我が家の庭に生えているハコベについて、お話をさせてくださいませ。

 私がどんな嫌なことがあっても、この家から引っ越していかないのは、東と南側に木しか見えないこの環境が気に入っているからです。東京へ電車と徒歩をあわせて、一時間と15分で行かれる場所で、こんなに緑の多い家はないわねと思っていて、石段を、100段以上、上らないとたどり着けない(という事は車庫はない)と言う不便はあっても、手放せないのです。

 ちょっとした不便はしのんでも、それに、見合うメリットがあると、思っているわけです。ところが、木は多いし、それも大木なので、日当たりが悪いのです。で、どんなに、工夫をしても、野菜を作るのは無理ですね。野菜と葉、相当な日当たりを必要とします。花も、自由に種類を選ぶわけには行きません。水仙とか、クリスマスローズとか、シュウカイドウなどの、日陰で育つものは、十分に育ちますが、ひまわりなどはとてもとてもという感じです。

 で、4月以降は日が当たるのですが、三月までは、室内か、二階のベランダのみで、日光の必要なモノを育てています。それでも、木漏れ日の類の優しい日光に当てるだけであり、かつ、三時間ごとに、鉢を移動させたりします。

 ただ、春の気配が来た途端に、狭い庭に一面に生えるものがあります。名前も知らない小さな草。だけど、あまりにもかわいらしく、柔らかそうです。高さは、10センチにも満たないのですが、数にしたら二千本ぐらい。で、葉っぱは最大のものでも、幅が6ミリぐらいで長さが8ミリぐらいです。薄い緑色です。小さいものは三ミリぐらい。あまりにも繊細で、かつおいしそう。

 で、二年ぐらい前に、試みにゆでてみたのです。そして、ゴマよごしにしたら、食べられる。料理の名前としては、胡麻和えともいいますね。おいしい。で、その年に、二回か、三回、それを試みました。いったん収穫して、20日ぐらい間隔をあけると、また、びっしりと生えそろいます。
 その二回目か、三回目に、図書館で、植物図鑑を見てきた主人が、「これは、ハコベといって、春の七草にも入っているものだ」といいます。

 ベニシアさんは、英語で、チック何とか、といっていたから、鶏用の菜っ葉とでも言うのかな。まさしく、小さな口にぴったりのサイズですし。ところで、今、2112頁の研究社の和英辞書で、調べたら、CHICKWEED ですって。確かににわとり用の草です。

 ところで、ここで、脇にそれます。その辞書を探索しているときに、いつの間にか、私があいうえお順で、ハコベという言葉を探していたのです。だけど、ハコベが、なかなか見つからない。本のあつさが八センチぐらいあるので、あっちをめくったりこっちをめくったりしているうちに、『ア、そうか、ABC順に言葉が出てくるのだわ。さすが、英語を主体としている辞書ですね。でも、和英だから、日本語を主体としたら、よいのに』と思ったのです。

 でも、思いなおしました。もし外人がこれを読むことを、主体として考えたら、ABC順出ないと駄目なのです。ところが、私が自分でも驚いたのは、これが、ABC順であることに、2011年で68歳である今、違和感を持ったということ、それが不思議なのです。

 40年ぐらい前は、これをお金を稼ぐ道具として、べらぼうな回数めくって調べたものです。家で、科学技術論文の翻訳をしていたのです。あのころ、ABC順なのか、あいうえお順なのかを、迷ったことなどありません。徹底的に身についていて、迷いもなく、引いたと思います。で、今回であったこの迷い・・・・・からわかることは、
 *1、 英語を今、ほとんど、使っていない
 *2、 年をとって、忘れることも増えた。
 *3、 2007年からの四年間が、あまりにも過酷な日常生活だったので、政治のことを考える日々が続き、そのことで、思い出を探り出し、頭を絞りきって、考えて書くから、それに対して必要でないことはすべて忘れるのだ。

 の三点です。こういう事でも、小さなことですが、その原因をまともに考えると、嫌なこととなります。が、そんなことを言っている場合ではないので、淡々と、今の任務にそって生きています。今日のは、珍しくも閑話休題といった体たらくで、政治の話を離れています。
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 ところで、ハコベに戻ります。

 ベニシアさんのことばから、『ああ、イギリスにもハコベが、あるのだ』という感慨を抱きます。私は夢見る夢子さんだから、子供のころから、よく外国のことを想像しました。岩波少年文庫などの、童話を、読んでです。その夢の世界では、ヨーロッパに生えている植物や花は、日本のものとはまったく違う種類のものが生えているような気がしていました。

 『走っている動物も違うし、泳いでいる魚も違うのだ』と思い込んでいました。それが、最初に打ち破られたのは、1980年にトルコへ行ったときのことです。イスタンブールのガラタ橋のふもとに、夕方漁船が帰ってきます。すると水揚げしている魚の中に、鯵(アジ)が一杯でした。びっくりしました。鯵なんて、もっとも日本的な魚だと思っていましたから。

 で、1980年に、地中海に鯵が居ることに驚いたことと同じく、今、2011年にイギリスでも、はこべが生えていたことに、驚きます。

 このハコベですが、鎌倉へ着てから始めて、見つけ出した種類の草なのです。日吉の実家は日当たりがよすぎて、しかも芝生の敷き詰められた場所が多いので、こんな草は見たことがないのです。それから、北久里浜(横須賀時代)の家にも、ハコベが生えているのなどには、気がついたことはありません。雑草としては、ハルジョオンの仲間が南側の庭に出てきて、北側の庭には、すぎなとか、ススキが生えました。
 ハコベの大集落なんて一生で初めて、60歳過ぎに、気がついたのです。

 ベニシアさんも、大原では、こんな大群落には出会いませんでした。土手に、あっちこっち、ちょぼちょぼと生えているのを見つけて、それを持って帰り、生で、かつ刻んでディップ(野菜やパンにつけるあえもの)に混入していました。とても貴重なハーブ扱いです。ゆでると、ぐっと少なくなります。それを母は『青菜男に見せるな』というのよ」と、諺を、教えてくれていました。つまり、ほうれん草など、相当に束が大きくても、ゆでると、一握りの量になってしまうからです。

 はこべも、バケツ一杯程度、摘んでも、やっと、胡麻和え二人分ができるだけです。

 ただ、ベニシアさんが、生で食べておられたのには納得。柔らかいし、エグミも匂いもないのですから、生で食べられるでしょう。

 すると、我が家の庭に、ハコベが群生するのは、日当たりが誠に、微妙にハコベ向きなのと、花壇用に耕してある土が柔らかいのと、肥料が十分に回っているのなどが、絶妙な条件を作っているのだと推察されます。一般的に言えば、損な庭なのに、こと、ハコベに関しては、最高の条件の庭となっています。ふ、ふ、ふ。
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 ところが、さらに驚いたことがあります。2009年の春にはじゅうたんのように生えそろっていたハコベが、2010年とか、2011年には、ぐっと少なくなってきたのです。それは、取り尽くしたから、『花が咲いて、つぎのとし用のタネができるまで、を削除してしまったからだ』と、感じます。

 しかし、それなら、なぜ、2008年までには、じゅうたんのように生えてきたのでしょうか? 私たち家族は誰もハコベの種なんか植えていません。または、蒔いていません。ハコベの種なんか、そこら辺りの、日曜大工センターでは売っていないですし。

 サカタの種まで行っても、売っていないような気がします。だけど、旺盛に、生える。この不思議さを解いた絵本があります。福音館で1980年代に出た、こどもの友の中の一冊で、雑草(?)という題だったと思います。または、土、もしくは草だったかな?

 驚いたことに、土の中に、数百万とか、一億という数で、雑草の種は含まれているものだそうです。既に、土である限り含まれていて、それが、地上の条件次第で、芽を出すのだそうです。そういえば、この山に上がる途中で、白い露草が群生している場所がありますが、引っ越してきた26年前はそこにはそんな群落はなかったのです。

 樹木を枝払いしたので、環境が変わったのです。

 九州の新燃岳の火山灰には、絶対に雑草の種など含まれて居ないのでしょうが、関東のあっちこっちで見られる普通の黒土の中には、恐るべき数の雑草のタネがふくまれているのでした。

 ところで、とても、とても、ベニシアさんほど、丁寧な生活はしておりません。が、心のもちかたとしては、割と似ていて、この間、友達に驚かれたのですが、自分で作ったスーツを35年以上も着ているという事を。

 洋裁の先生は、お茶大の体育学部の出身できれいな方でした。教え方はさすがに頭のよい方で、厳しい教え方でしたが、ありがたいことに、2年ぐらい習っただけで、ほとんどのことをマスターさせていただきました。当時渋谷に東亜という名前の生地屋さんがあって、そこで、最高級のダブルジョーゼット(これは、日本の反物だと、ちりめんというのに当たる織り方です)という厚手で、しかも柔らかいウールを使って、作ったパンタロンスーツです。色が黒なので、今まで持っていたのです。残念ながらオレンジ色のスーツなどは捨ててしまいました。とても、よい生地だったのに、派手に成ったと思って。

 ア、また、連想が飛んで申し訳ございませんが、その東亜というお店は、一階に、ウールや絹地を置き、地階には、裏地とか、芯地とか、カーテンを置いていました。
 で、地階に下りると、ホルムアルデヒドのにおいに、圧倒をされたものです。店員さんが目を傷めなかっただろうかと心配して思います。その後、シックハウス症候群というのが一時期問題にされました。壁紙や何かに、ホルムアルデヒドが使ってあって、目を傷める現象をニュースとして報道されたのです。あのニュースを聞きながら、往年の東亜に勤めていた人は『どんなに大変だったろうか』と感じています。
 世の中には被害を大声で画成り立てて、国家から救済される人が居ますが、黙って我慢をしている人も多いのです。実は、私は学生時代、大量のトルエンを吸っています。それ系の原料、ベンゼン、ナフサ、などを毎日、500CC、10時間程度、化学実験として煮詰めていたのです。突沸という現象が起こり、外にあふれてくるので、ずっと吸っていました。で、

 『骨がもろい』とか、『筋肉(血管の弁が、体中で、きちんと、すばやくしまってくれない)が変だ』という難儀があります。が、誰からも保障をしてもらえるわけでもありません。ただ、このポイントについては残念ではないのです。天は、必ず補足をして下さるのです。そこで損をして、苦労をしている分、恵まれている部分もあるのです。不思議なバランスの結果として、両親から二度も、遺産をもらったりしています。
 
 渋谷の東亜の問題に戻れば、新しい布地、特に木綿類は、見かけをきちんとするために、糊をつけてあるのです。その糊が、昔はでんぷん質でした。それで、腐るわけです。それを防ぐために、ホルムアルデヒドを大量に使っていたのでしょう。

 なぜ、洋裁を習っていたかというと、当時は、私のように細身の人間には、ぴったりと合うサイズの既成服がなかったのです。今は、太ってきて50キロになりましたので、既製品でほとんどが間に合いますので、あまり洋服は作りません。

 それに既製服の値段が非常に安くなりました。1980年代のことを思えば、ほとんど、5分の一です。これでは、デパートが低減傾向で、不況なのはよくわかります。
高い値段設定で、設けすぎているのも、いけないけれど、最近のものは、安いなりに、材料に、良質のものが使っていないのにも気がついています。
 だから、古くても材質のよいものは捨てられないのです。

 ところで、人間とは、外界の刺激に応じるものです。春になりそうだと、感じています。その季節感から、落ちてきた物を拾いました。

 その春を、我が家の庭に生えそろう、柔らかくて、可愛い、はこべの群生で、一番実感する私です。
 関東は、日本アルプスや、谷川連峰のおかげで、相当に暖かいらしいのです。京都の方が寒いでしょう。その京都にもハコベが生えて春が来ているのですね。

 2011年3月10日         雨宮舜
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