銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

都知事候補・松沢茂文 +、理事長候補・貴乃花、△

2011-03-03 04:55:18 | Weblog
今、土曜日の午前中ですが、さきほど、NHKの案内で気が付いたことがあります。本日BS第二放送で、夜の11時から、小野田寛夫さんの特集を何回目かのこととして、再放送します。もし、ご覧になっていらっしゃらない方があたら、お勧めです。

 番組はオーソドックスなつくりで、さすがNHKですねと、思うほど、取材や編集(過去のニュースなどからも映像を丁寧に集めている)がなされています。

 それから、インタビューアーが、戸井十月です。並みのひとではない。落ち着いた物腰と感性で、質問をしていくので、会話の場も落ち着いていて、感じがよいです。

 今、金曜日の午後五時です。やっと、推敲が終わりました。いや、失礼、夜の12時ごろもう一回除いたら、驚いたことにまだ残っていました。で、土曜日に入って、やっと正確に読める文章になったと感じています。どうかよろしく。

副題『燕雀、いずくんぞ、鴻鵠の志を知らずんや・・・・・母の教え』
副題『松沢茂文氏は、なぜ、鞍替えをするのか?』
副題『貴乃花親方は、なぜ、急に出世する可能性があるのか?』

 母が死んで、6ヶ月がたちました。墓や仏壇に向かって祈っているときに、ふと父に向かってだけ祈っている自分を発見して、「あれ」と思う事があります。23年間も「お父さん、ありがとう」とか、「お父さん、○○をお願いいたします」と祈ってきたので、お母さんという言葉を加えるのを忘れている時があります。

 そんな時はかえって強く、母との思い出が、よみがえってきます。母には何度も心配をかけたけれど、母の最晩年に、私が主人と別居して、逗子にアトリエを作り、一人暮らしを始めた事は、最後の心配事となったでしょう。当時「女、三界に家なしというけれど、本当だわね」とか、「お金があるっていう事は決して幸せではないわね」とか、言っていました。

 実は、学費、それから、家を建てるときの援助、そして父の遺産をあわせれば、私が一人暮らしを始めた56歳の時までに、両親は私に既に一億円を超えるお金を注いでくれていました。『それなのに、娘は惨めにも、古びた賃貸のマンションで、ひとり暮らしを始めたらしい。とても心配だ』と思ってくれていたみたいです。

 それ以降、私が鎌倉の家に帰ってから、母が死ぬ前までに、8年間があったので、十分に、安心させることができました。

 最後のころに、ベッドの上で、「結局、あんたのところが一番、賑やかになったわね」といってくれたのは、我が家の家族間に愛が満ちていることを、喜んでくれたのだと思います。賑やかということは、エネルギーがあるという事ですが、それがある人こそ、他人を助けたり、奉仕をしたりすることができるわけですから。他人を幸せにすることができるし、したがって自分も幸せになれます。

 私は平均より弱いところがある人間として大人になったみたいですが、それは、このように保護してくれる存在がたくさん居たからだともいえます。が、だんだん、そのような目上の存在が死んでいくわけですから、自分自身で、強くならざるを得ません。

 そのように変化していってみると、REVEALED(=露見した真実の)自分は結構強いのです。心理的にはですが。最晩年には母さえ頼ってきてくれたと感じています。ただ、それは、65歳を過ぎてからであり、それ以前は、ずっと、いじめには弱くて、それを嘆いて母に相談していました。友達にも相談していましたけれど。

 すると、母は、「無視しなさい、『燕雀、いずくんぞ、鴻鵠の志を知らず』と、ゆったりと構えていればいいのよ」と忠告をしてくれました。つまり、『あんたが、大きな格を持ち、大きな仕事をしようとする人間なのだったら、些事にはとらわれるな』という事です。今思うと、母は諺とか、短歌で教え諭すのが好きだった模様です。私は残念ながら子供たちにそのような素養で諭すことはなかったと、感じます。これが男性だったら、論語の一節で諭すところでしょう。
 が、父は論語を叩き込まれていたのにもかかわらず、シャイな性格で、子供に教え諭すなどという事は、できないタイプでした。

 私も今思えば、アーミッシュの人みたいに、しまつやで、丁寧なことを一杯やっているのに、その後姿を、子供たちには見せられなかったのを、残念に思います。子供がこの家に居る時代はアーチストとして大きくなることへ向けて精一杯で、家事をきちんとしているおかあさん像を見せられませんでしたから。京都大原に住んでいるベニシアさんほどの工夫はできないが、常にお針を持って衣料に関しては、工夫をしている人間です。靴下もつくろいますし。一億円+母の遺産をもらったって、始末するところは始末します。
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 ところで、前二回分の文章内では、版画を制作するプレスというものが問題になっています。それがないと、銅版画はできません。で、新横浜の大工房OMの社長に、どうしてか、いじめられている私は、諸条件が重なって、逗子にアトリエを作らざるを得なくなって、『それなら、いっそ、海外へ行く自由を確保することもかなうし、徹底的な修行体制に入れるから、夜もここで寝よう』となったわけです。

 我が家から別に正式に物を運び込んだわけではなくて、そこはそこで、新たに画材を膨大に買ったわけです。結果として、すさまじいレベルで、ものにあふれた空間となり、一種の工場みたいな雰囲気で、布団など、やっと余っている幅60センチぐらいのところに夜に敷いては、朝には上げるという形です。6畳ふたまと、12畳が一室あるのにです。

 で、洋服などは最低限の数を持って家を出たわけですが、季節が変わると別のものが欲しいですよね。で、鎌倉の家に、誰も居ない時間帯に帰っては、少しずつ持ち出して行きました。
 ダンボール二箱とか、三箱ずつです。そして、タクシーで、1800円ぐらいかけてアトリエへ運びます。

 その際ですが、100段以上石段を使わないといけない、山の上に住んでいるわけですから、おいそれとタクシーに乗れません。で、何回も山を上下に往復します。その時にご近所の安野夫人が、わざと「見ているわよ」と言う感じで見ているのです。

 非常に意地悪な感じでね。そして、それを、山中の人へまた、彼女が大得意としている井戸端会議で知らせたらしくて、後日、大原さんから、『川崎さん(雨宮の本名)が、逗子で一人暮らしをしているのは、この山の人、みんなが知っていますよ』とさげすんだ調子で、面と向かっていわれる事となります。

 これは、非常にありがちな設定です。が、心理学的にさまざまな分析ができるので、そこにこだわらせていただきたいと感じます。

 まず、安野夫人の方ですが見てみぬ振りの正反対です。「見てやったぞ、あいつの弱点つかんだぞ」という感じです。ここが、どうしてそうなるかですが、彼女自身が、略奪婚の人であり、勝利した結果手に入れた、正式な結婚の形というものに異常にこだわっている人だからです。

 そういう事をされればされるほど、彼女自身についてわかってくるものがあり、それが、今回の大相撲壊滅作戦にも大いに影響を与えていますから、丁寧に分析をさせてくださいませ。

 この小さな谷には、最盛期には18軒の所帯数があり、それぞれに奥様が居て、子供も居て、にぎやかに暮らしていました。大体が、小市民社会のルールにのっとって生きています。そのうち、三軒は確定的にお見合いで結婚をしたご夫婦で、既になくなっている方が多いのですが、お若いご家庭でも、三軒くらいは、お見合いかもしれないと言うお宅もあります。一方で確定的に恋愛だろうと思われる家庭が、11軒あります。

 奥様がなくなったときに、『彼女が中学生くらいのときの可憐さを、忘れられない』という詩情あふれる追悼文が、町内会回覧板として回った画家・岸田淳平氏のご家庭などが、その典型です。
 みんなつつましく小市民的な生活を送っている人たちです。
 しかし、私は被害があるからこそ、はっきりといいますが、安野家と石川和子夫妻だけは、ニュアンスがまるで違うのです。つまり、小市民社会的なルールでは家庭を形成していない夫婦なのです。しかし、心根はそうであっても、また、それだからこそ、形は万全に整えている夫婦です。夫婦仲の良さを過剰に演出していて外に喧伝をしているといってよいかな?

 その形が整っていることが武器だから、形が壊れた家に対する優越感は大きいのです。ともかく、安野夫人は常に、誰かに勝ちたいという欲望を持っている人で、それがあれば、心理的に安定するというタイプですから、私が『家出中で、実質的な離婚らしい』という事は格好の餌食となって噂話の種となったでしょう。

 ここで、時制を26年前に戻しますが、彼女の勝気さが主たる原因で、我が家の土地が奪われました。でも、それでも、副会長を27年以上続けているのですから、驚くべきことですが、その奪われた経過がどうも、瀬島隆三のいじめ案に当時の町内会長が乗せられて実行したと思われます。と、すれば、瀬島隆三にとっては、安野夫人は虎の仔の存在です。ですから、守りたいと思っているでしょう。

 それが、今回の大相撲の事件で、藤田紀子(昔は憲子という字を使っていたはずだが)を突出して大きく露出させ、同時に、貴乃花親方を大きな存在として扱うことへつながっていきます。

 どうしてかというと、私が「安野夫人と藤田憲子さんはそっくりだ」と常に言っているからです。それは、顔や、身じまいをさすだけではなくて、生活の基本がそっくりなのです。結婚の形態、そのものがそっくりなのです。藤田憲子さんは略奪婚ではないが、小市民的なまじめなものとも思われず、それを、外部へいう事ができなかった夫(旧・藤島親方)は、お気の毒に、舌癌になってしまわれ、早死にしました。彼女は『世間には何も知られていない』と思って居るみたいですが、あのご家族内の、複雑にして怪奇な、いろいろなことは、もう世間のひとは、そっくり知っています。ただ、噂話として出回らないだけです。お子さんやお孫さんが可愛ければ、もう、引っ込んでいた方がよい人間です。

 でも、この悪辣なエージェントたちは、藤田紀子さんを支援したいし、その息子も大きく扱いたいので、貴乃花親方を相撲協会の理事長にする案も持っているみたいです。

 もしですが、近々貴乃花親方が理事長になったら、ますますというレベルで、相撲は壊滅的打撃を受けるでしょう。別に、八百長がなくなるからつまらなくなるという事ではありません。

 そうではなくて、貴乃花にはトップを担う力量がないからです。特に今はまだない。そういう間違った人材をトップにすえると、その組織は衰退します。小泉さんが安部晋三さんを次の総理に推したときに『まずいなあ』と思いました。メルマガの世界でそれについては触れませんでしたが、『まずい。まだ、安部さんに日本の総理大臣が務まる、力量はない』と感じました。それと同じことがおきるでしょう。

 でね、私は、貴乃花や、その母や、安野夫人が嫌いだから、これを書いているのではないのです。常に、この国とか、この国の人々を幸せにしたいと思っているわけですが、たった一人で、敵が大勢いる中を堰を作って、よい方向へ、支えることはできません。だから、予測をしておき、結果を記すライターという役目にわが身を限定しておきたいと感じています。

 だけど、これほどまでに、貴乃花親方や藤田憲子(現在の名前紀子)女史を、持ち上げる方向に対して、国民が異議を唱えない(というのはマスコミがご用ニュースしか流さないからだけれど)という限り、黙って、見ているしか仕方がないのです。

 しかし、ここで、非常に大切なことは、この安野夫人の勝気さが原因となって起きた、一種の土地泥棒の案件の証拠隠滅に対して、神奈川県知事松沢茂文氏が、手を貸したということなのです。アイデアは、例の二人羽織(伊藤玄二郎、+井上ひさし)から出ているはずですが、神奈川県のお金を使って上水道管を取り替えるという事で、その現場に26年以上残っていた重要な証拠を消して行ったのです。

 その後で、藤本夫人が違法に入れた石を、強制的に同意をさせせれられるという事が起きました。しかもその違法な石をいれたままで、その、家は目下売りに出されていますが、もし、正式に売る商談が成立したら、ますます、ここらあたりの悪を、私は、丁寧に書着続けないと、いけなくなります。

 で、松沢知事は、これだけではなくて、禁煙運動の大推進という形でも、一種の脅迫者として私の前に立ちはだかったのです。で、ビートたけしと同じレベルで、国際的軍産共同体に可愛がられている存在となりました。

 だから、日本の真の支配者たちは、この人を早く大物にしたいわけです。あわよくば、次の次の総理大臣ぐらいに育てて行きたいのが、それらの連中の、真実の意図です。小澤一郎が、最も可愛い人間ですが、汚れすぎてしまいまた。新たなスターを用意しておく必要があります。で、ここで、都政に送り込む事としたのです。

 特に石原氏の後継者であると、リークされた日も、その次の神奈川県庁内での、正式な記者会見も、どちらも、私が外出している日で、とっさの対応ができない(つまり、裏側をブログで書くことができない)日を狙われて発表が行われています。

 こんなねじれた手が案出された裏側には、もうひとつの事情があります。それは、敵側(というにいまだ、生きていると思える井上ひさし)が、依怙地になっているという事情です。

 私は以前、「松沢知事は、神奈川県知事としての次の選挙では勝てないであろう」と、書いています。それを、覆す必要を感じている敵側は、ある意味で、私の推測が正しい事を知っているからこそ、神奈川県で出馬をさせず、東京へ鞍替えをさせたのです。

 神奈川県には、松沢知事に対する怨嗟の声が満ち満ちています。これはレストランなどで、ふと、隣の会話を聞いたりするとわかることです。だから次回に、神奈川県から出馬したのでは、当選しないでしょう。

 だから、石原都知事の後継者という立派な立場を与えて、東京都知事・候補としたのです。神奈川県で育ち、神奈川県に今も住んでいるのにです。

 ところで、自民党出身の石原都知事が、どうして、民主党出身の松沢氏を、後継者として指名したかですが、これこそ、人脈を駆使して、準備しておいた策であり、
 そこには、思想信条のツッパリは、消え去っているわけです。

 日本文芸家協会ですか、芥川賞や、直木賞を選考する、文芸春秋社の外郭団体見たいなものがありますね。そこのコネを、最大限に利用して、これを、成立させ他と、私は見ていますが、当たらずともいえず、遠からずでしょう。

 ところで、ここで、私にしては珍しい戯言を入れさせてくださいませ。私と関係すると大出世するということは、美術界や、学友に限らず、松沢茂文氏にも当てはまるのでした。おやおや。

 ところで、大方が、この人が後継者であろうと見ていた猪瀬直樹さんは、

 特に権力欲はない模様なので、身を引く事となるでしょう。松沢氏と年が近いですからね。大方の見るところでは、猪瀬さんが後継者として立候補するはずだと見ていましたが、この鞍替え案はひとえに、これまた、私が日ごろ名前を挙げている人材たち、上の二人羽織、+、成田豊、成り岡庸司、木村某(鎌倉在住のファンドマネージャー)国際協力基金理事長某氏、そして、いまだ生きている可能性のある、瀬島隆三他が、起案したものだと感じられます。

 そこには、小澤一郎氏も当然のこと、加わっていると見られますので、ねじれ現象は、あに、国会内だけでもないのです。

 石原都知事の変節(または、本質)については、彼が、都知事であるとき以内に、書ければいいのですが、書けなかったら、将来書きます。今、連続していることのタネの方が私にとっては重要で、文章が次から次へと生まれますので、そちらを優先します。

 だけど、本当に少人数なのですよ。この手の不自然な流れを作る人々は。木曜日NHKニュースで、小澤氏が何か、普通の記者会ではないものを相手にして発表をしていましたが
佐藤裕子という代議士を民主党から離脱をさせたそうです。

 口幅ったい言い方ですが、必ず、木曜日と月曜日の大きな諜略的なニュースが起こされますというか、私が銀座へ出かけている間に、起こされます。

 ところで、木曜日の深夜から、金曜日にかけて、アップしていた中目黒の殺人事件ー4と、大原氏いかん、に関した文は、ここでは、いったん引き上げて、後日再度、アップいたします。というのも一万字制限を越える見込みが出てきたからです。
 どうか、よろしくお願いをいたします。

 2011年3月4日                雨宮舜
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