
これは、テーマとしては、前後の脈絡から外れております。例の閑話休題というやつです。で、どうして、本日、これをあげるというかというと、
赤ちゃんを遺棄するニュースを上部サイトで見て、そこからの連想で、私が書いた、古い文章で、若い女性が簡単にセックスに走る事を、びっくりしたり怒ったりした文章を探しました。 が、それが見つからず、代わりに、以下のエピソードが見つかったのです。
こちらには、事件性は一切ありません。
今夜の私は、おっとりしているというところです。内閣がどう動いていくかも舞っているところですし、いろいろな事を待っているところです。
あいかわらず、こちょ、こちょと、攻撃も受けておりますが、ふん、ふんと、軽く脇へ置いておいて、というか、打っちゃっておいて、
心の中に、そっと浮かんだ、小さな情景をここに提示いたしましょう。
手綱を緩めると、すぐ何かを始める悪人たちですが、それも放っておいて、・・・・・
今、おいしいフルーツのたっぷり乗った、ケーキを食べながら、久しぶりの休日気分を味わっています。
人間である限り、勝つばかりが能じゃあないです。負けた振りをしてあげるのも手ですから・・・・・損失をこうむるというのも手なのです。生きる一種のコツなのです。
というのも、損失をこうむっている人に対して、天とか、神というものは優しいのですよ。それは、確かです。前の文章で、登場した人たちは、現実の社会で勝とう、勝とうとしている人たちです。だけど、天のご褒美は損失をこうむっている人のうえに、下りてくるのです。
最近、ギャラリー山口のオーナーを慰めるために、ずっと、取り組んでいた、一人食べ歩きをやっていないので、自宅での留守番さん用に、豪華なケーキを買ってきているので、そのうちのひとつを夜中の三時に食べています。
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福山書店が、銀座にまだあったころ2001年の話。画廊めぐりの後で、そこで、良く本を買う。ある日『猫びより』と言う雑誌を買って、新橋駅ですし折を一つ買って、プラットホームで、雑誌を開いていた。私はその日とても疲れていて、しかもどこかで食べる時間も無く『今日は、既に六時だから、普通車では座れない。だから、グリーン車に乗ろう』と決めていた。グリーン車の中なら、おすしをつまんでいても、許される。回りの人は、おなかがぐうぐう言うだろうが。
その計画を実行する前、ベンチで、『猫びより』を読んでいると、左隣から声が掛かった。「可愛い猫ちゃんね。」と。
驚いて振り向くと、私より、十才は上だと思われる婦人が話し掛けて来ていたのだった。
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これは、日本では珍しい事だが、この頃意外とこう言う人に出会う。それは、横須賀線では、遠乗りをする人が多いのと、私が利用する時間帯は、ご老人が多いせいだからだと思う。で、今では若い人より、この年代の方が、表情が、豊かで、心が豊かなのだ。日本全体としては、のっぺりとして、何も考えない感じの人が多いだろう。が、横須賀線の中では、こう言う豊かな心を持った、ご婦人に良く出会う。
私は、外国にいる時は、将に、こう言う種類の人間となる。とても人懐っこくて誰の事でも信じて、話し掛ける方だ。しかし日本では、それが通じない。それは、海外から帰国して数ヶ月経つと察せられるように成り、自分も警戒心が強い人となり、のっぺりした表情の人となってしまう。
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それなのに、まったく未知の人が、最大級の笑顔をもって、話しかけてきたのだから、とても驚いた。天真爛漫な相手に対し、『私もあと、十年経つと、こうなるかもしれない。日本に居ても』と思いながら、対応をするが、こう言うとき、珍しくも私は、受身だ。落ち着いて静かになり、相手の話をよく話を聞いてあげる。
この夫人の、息子さん、(40才代)が、非常に優しい人で、どこかの塀の間に挟まっていた、子猫を救出し、哺乳瓶で育てていたが、(若奥様の方は、お勤めで昼間は居ないし、彼も会社人間なので)、彼が通勤先まで、もって行き、会社の近所にある床屋さんに預けのだそうだ。床やさんの一家は、猫好きで、その赤ちゃん猫を、丁寧にも、哺乳瓶が要らない段階まで、育て上げてくれたそうだ。
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そんな話を丁寧に聞いているうちに、私は、この人が、上り(千葉方面行き)を利用するのか、下り(逗子方面行き)を利用するのかが、心配に成って来た。二人が座っているベンチは、のぼり側のもの。彼女が千葉方面行きへのり、かつ、先にそれが来たら何も心配は要らない。でも、もし下りを利用するなら、私がグリーン車を利用することに気がついて、『あっ』と、何かを感じるはずなのだ。それを、感じさせないように、するために、どう感じよく、相手を振り切ったらよいだろうと。
私は、人に、恥をかかせたくないのだ。こんなに優しく、しかも心が敏感な女性であれば、なお更の事、恥ずかしいとか、切ないと言う感情を味わってしまうような気がする。それを避けたいのだ。
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でも、同じ方向に、向かうのなら、このベンチは、グリーン車が止まる場所ではないので、彼女を振り切って向こうに行かなければ成らない。こんな、良寛さんみたいに善良な人に、『あ、私、この人(この場合は、この文を書いている方の私のこと)を信頼しすぎちゃった。同じ種族の人間だと思っていたのに、グリーン車を利用するようなお高く留まっているタイプの人間だったのね。恥ずかしいわ』という、気まずい思いをさせるのは、辛くて心の中で参った。
でも、急にそんなことを味わわせるよりは、電車がきた途端、説明をした方がいいと判断した。で、先頭車両が目の前を通り過ぎた途端に「今日は疲れているから、グリーン車を使うつもりなのです」と言った。
その婦人は、すぐ、私が何を本当はいいたいかが、わかった。
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事前の推察どおり、とても、恥ずかしそうな、笑顔を浮かべて、向こうへ走り去った。見送って反対側へ走りながら、私は、とても、つらかった。
あれから、12年が経った。今なら、もう少し、上手に処理できるだろう。逗子行きが来たって、「あ、私は、千葉方面へ帰るのですから」といって、一本見逃して、次ぎの電車を利用するとか。・・・・・時には東京まで、帰ってしまうとか。・・・・・
名前も知らない人。でも、優しい、優しい息子さんを育て上げた、謙虚なご婦人。お母さんだったとは思えないほど、細身で、華奢な体なのに、その笑顔は、花そのもののように美しく、消えないほど強い印象を残した。十二年たっても忘れられない。
二〇〇一年十月十九日 に書いたものを、2011年9月2日朝に書き直した。 雨宮舜(本名、川崎千恵子)