銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

推敲後、・・・・・南仏での事故と、柄谷行人氏の不誠実さ  △

2011-09-20 00:27:59 | Weblog
 以下は、17日の土曜日に書いたものです。が、続きを書くことに急いていて、誤変換直しをしていなかったものです。驚くほど残っていたので、今なおしました。

 先に進みたいのもやまやまですが、この一文が、きちんと意味が通っていないと、先へ進めないので、書き直しました。そして、時間がずれますが、これを、最新の更新版として、20にち(火曜日)の早朝ですがアップをさせてくださいませ。次の文章にももちろん取り組みますが、まずは、きちんと整理したこれをお読みいただきたく。

副題1、『南フランスの核施設の爆発事故』
副題2、『まやかしと隠ぺいは、日本だけではないのだ』
副題3、『ソドムの町のゴモラの市』
副題4、『柄谷行人氏と、わたくしとの関係』
副題5、『東大へ入学した、お金持ちのお坊ちゃまの典型である』
副題6、『柄谷行人氏が、不誠実な人間である可能性について』

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副題1、『南フランスの核施設の爆発事故』

 時間のたつのは早いものです。私は、この一週間で、もっとも、重要なことは、フランス・マルクーリ(?)での低濃度核物質を処理している施設で、火災が起きて、一人死亡、二人、やけどを負った事件だとおもっています。
 それは、日本時間の11日の深夜に伝えられたことで、事件が起きたのは、日本時間11日の午後六時過ぎ、それは、フランスでは、11日(日曜日)の午前11時過ぎのことでした。

 その当夜はウエブサイトを通じて、何本かのニュースが配信をされ、中には、死亡した一人の遺体はまるこげであったと報じているものもありました。

 当夜ないで、わたくしはそれを、『使用済み核燃料棒の処理工場で、起きた爆発火災であろう』とみなしました。使用済み核燃料棒は、直径一センチのウランペレットが、ジルコニウムの細い柱の中に入れ込められており、それを、100本程度、幅25センチぐらいの角柱型にまとめ上げていると推察します。で、発電の間は、その細いジルコニウム管の間を水が通るのですが、それが終わったら、その形状のままではかさばること、かさばること、量が大きくなりすぎるので、それを、圧縮する作業をやるのでしょう。フランスでは、それをやっていたと推定します。

 その圧縮処理の前か、あとかは、わかりませんが、それらの集合体から、最も高価な物質であろうプルトニウムを取り出すわけです。そのあとはごみ中のごみ、数万年にわたって放射能を生み出す危険なものしか残らないので、どうするかですが、ともかく、見かけの量を少なくするために圧縮をしていたわけです。

 溶解するというのが金属を圧縮するもっとも、一般的な手法ですが、ウランを含むものを溶解するといわゆるメルトダウンとなるわけですから、そこまでの高温にはしないで、核燃料棒集合体を形成している、上下のステンレス(支えの部分)を、溶解する程度の温度で、処理するわけですが、何度も言っていますように、このウラン関係の、工業化措置は、理科実験室レベルでの実験を経ていない工業化の可能性が高いので、失敗とか、事故が起こりやすいのです。で、今回は爆発が起きたわけです。
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副題2、『まやかしと隠ぺいは、日本だけではないのだ』

 日本は大変人口密度の高い国です。福島原発の背山一つ越えたところで、高い煙突が山越に見えるところにさえ、人が住んでいた国です。が、フランスは違う。相当に国土が広く、人口も日本より少ない。そのうえ、アルプス以外は、平地が多いのです。日本は、数千メートルまでの高さはないが、200メートルから、300メートルの高さはあるという丘陵の連続した国土ですから、人が住める範囲はより狭く、人口密集度が高いのです。が、フランスは違う。

 で、次の日に、各国か? TVカメラがその場所へ到達しましたが、数万平米はあるであろう、その施設の門のところで、それ以上の進入は不許可となり、晴天のもと、何も火災の煙も見えない平和な光景が映し出されます。となると、それを見ている日本の人たちは、上から下まで、『なんだ、大したことはないではないか。これは、蒲田か、品川あたりで、町工場が火事になって、京浜東北が停まったりするよりは、軽い事故であろう』などとみなし、すぐ忘れてしまう可能性があります。
 今、福島原発事故が起きて、ものを考えることが深く起こっている、日本でさえそうなのですから、全世界的に言えば、まるで、何も、反響がないという程度かな?

 が、この事故の意味するところは、大変大きいのです。
 まず、原発に反対する人間にとって、特に私のように、後始末が大変なものだからそれは、やめた方がいいと主張してきた人間にとっては、
・・・・・それみたことか? ほら、ほら、後始末をつけていくことでさえ、危険を伴うことであったでしょう。
 核兵器の原料になるから、特別に高価なプルトニウムがほしい段階では、それに、熱心に取り組むが、やがて、プルトニウムが量として、飽和状態に達したら、誰も危険なこの作業に取り組むものはいなくなるであろうと思っていたところ、その作業的・危険性を、身をもって提示してくださってありがとう・・・・・
 人体実験の対象になっているのは、日本だけではなかったのだ。原発推進の宗主国フランスでさえ・・・・・云々となっていくのです。
が、

 これは、実は、わたくしの敵方にとっても、大変なことであるはずなのです。が、あの人たちは、その重大性には気がついていません。私は個人ですから、頭の先から足の爪の先まで、一個の人間として統一がとれているのですが、あちら側は組織です。こちらを、芥子粒程度にみなすほどの、大々組織です。で、「大男、総身に知恵が回りかね」ということわざ通りの展開となって、この事故の教訓でさえ、トップには痛痒のこととしては伝わらず、トライアンドエラーの一里塚として、原発ビジネスの将来像へ反映されることはないのです。

 鉢呂大臣は、原発村の、人事刷新の発表をする直前だったそうですが、辞任に追い込まれました。小さなポイントに上げ足を取られて・・・・・上は大臣から、下は、わたくし程度まで大変です。昨日一日は、今、一番メインとして使っていた東芝のビジネスマン用の、B5のノートが壊されて、一日がかりで、そのメインテナンスと、バックアップ作業に専念をさせられましたし。

 普通の方は、「それはウィルスでしょう」といいます。が違います。画面がまっさかさまになって上下が反対になってしまうウィルスとか、入力しても、字が全く見えて来ないウィルスなんて、聞いたことはありません。つまり、わたくしは現代最高のIT技術を駆使して、いじめられているわけです。で、それを修復するのを、いわゆる業者には頼みません。ヨドバシの本店に行っても、秋葉原のツクモのサポート部門に行っても、東芝のサポートセンターに行っても、これは、手に負えないので、OSを入れ替えましょうと言われるだけですから。

 そうするとデータも、ソフトも一切が消えます。そのデータですが、別の大容量保存装置への移動バックアップは、東芝他では、大体、7000円から8000円でやってくれますが、2ギガまでです。常識として、普通のパソコンにはデータが量として、それぐらいのものが、入っているらしい。が、わたくしは、一年程度使えば、たちまちに、30ギガぐらいになってしまうのです。バックアップも常に行っていますが、バックアップ先も消されたこともあるので、近々の文章の、資料などはパソコンに入れ込めておくことにしますので、莫大な量で、他人には頼めないのです。10万円払ったらやってくれるかもしれないのですが、攻撃を受けている最中ですから、他人がバックアップをしてくれている最中に、ヨドバシで、データが消える可能性もあるでしょう。だから、自分の目視下で、作業をしないと安心できないので、それで、莫大な時間を取られます。
 でも、それだけ、大切なことを、世に伝播しているのだと思えば、誇りが、満ちてきて、それで、ひたすら頑張ることが、できるのです。が、報酬と言ったら、何もありません。
 そのメインのパソコンでさえ、たった、一か月ほど前に、メモリーの増設に、一万五千円程度、ヨドバシで、取られたのです。そういうものが次から次へとパーになるのですから、これは、もう、伝道者、として、神の世界に入らないと、やっていかれない、作業です。本当に、天草四朗か、ジャンヌダルクかというレベルです。
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副題3、『ソドムの町の、ゴモラの市』

 が、原発に反対している側はそうであっても、推進している側はそうでもないのです。一番お金を儲けている出資側は、酒池肉林の境地で、遊びほうけている可能性があります。西欧の世界の中でですが、日本でも、東電の前社長は、六億円の退職金をもらうそうですし、そのほかの原発村の住人だって、酒池肉林とまでは言わなくても、危機感もなく、遊びほうけている可能性はあるのです。

 反対派を弾圧する仕事は、CIAとか、エシュロンという組織に努めているサラリーマンにやらせていて、原発や、これらの工場の管理は理科系の大卒のサラリーマンにやらせていて、それらの、人員の間は分裂統治していて、交流をさせないのですから、ほとんど誰も責任を負っていないのです。この、原発という、どうしようもない技術を、中断させるなど、誰にもできない模様です。つまり、売っている国際的軍産共同体の中、廃止を決定できる部署はなく、買っている東電側とか、日本政府の中でも、誰にも頭脳はなくて、誰にも、引くという決定ができないのです。

で、悪いものだと、わかっていても、それを廃止させるのは、途方もなく遠い目標となっています。
だから、私は、

 キリスト教での教えの一つである、ソドムの街の、ゴモラの市というものを思い出すのです。その部分を、聖書では言葉で、ただ、「悔い改めよ」と、諭しているだけなのですが、映画、『ジーザス・クライスト・スーパースター』の中では、実際にキリストが、市場の商品をぶっ飛ばしたりして、大暴れをするのですよ。あれには驚きました。教会の壁画や、ステンドグラスで描かれているそのままの上品な人、イエスキリストが、大暴れをして、商品をぶっ放すのです。それをバック・ミュージックとしてロックを使い、衣装はその当時の、ギリシャ風(または、ローマ風)のものを着て。それには度肝を抜かれましたが、今の原発・推進派の言動を見ていると、あのロックを歌うキリスト様に表れていただいて、ばーーんとあたりを薙ぎ払っていただきたいと思うほど、反省がない人たちが、原発むらの住人たちなのです。そしてかれらの後ろに控えている人たちも。
 頭脳がないというか、考える部分は他人任せにしているというか?
 
 で、反対派で、ある私が、僭越にも、考えて差し上げるということになるのですが、すでにプルトニウムは、兵器としては、実戦には使えないということになっていて、製造しても無駄ですよね。ので、原発の稼働も必要がないのだから、この福島(人間が住んでいる至近距離)で起きた大被害を機縁に、この原発ビジネス、もしくは核ビジネスというのを、やめようと判断をしてもらいたいのですが、全世界のひとにです。
 このフランスでの事故を機縁として。
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副題4、『柄谷行人氏と、私との関係』

 さて、14日(水曜日)の夜に、パソコンがめちゃくちゃに壊れたのは、まず、その前日までに書いている二つの文章(ブログ)が、真実を穿っていたからでしょう。『世界中の核兵器を生産した原料にあたる量のプルトニウムは、実は日本の原発内で生み出されていたのだ』
なんて、ほとんど、誰も気が付いていなかったことなのです。それを前報で、言ってしまっています。
 が、2011年の9月13日であるその同じ日の夜に、もうひとつ敵が非常にいやがる真実を書いているのです。ほんのちょっとですが、そこから先を書かせまいとして、パソコンをこわした可能性も強いのです。
それは、柄谷行人氏についての部分です。
新宿駅南口で、11日に行われた原発反対のデモで、警官が逮捕の行動に出た、その映像がYu Tubeにアップをされ、それに対して、フェイスブック紙上で「ひどい、ひどい」という意見が重なり、それを受けて、わたくしが自分のブログ内で、『ああ、言うデモというのは危険なものである。できるだけ参加しないように』と述べ、

 さらに、ちょうどと言うほどに、タイミングよく、フェイスブック紙上に、
『柄谷行人氏が、原発のデモには賛成だと、いい、ぜひ参加するようにと勧めている』という情報が出て、

 私が、その『私の意見に真っ向から反対の立場である、柄谷行人氏について、将来述べます』とブログの世界で書いたからでしょう。

 で、入力さえできないほどに、二つのパソコン・・・・・・(東芝と、NEC)が一晩は、同時に壊され、(もちろん、私が自力で直しました。ほかのパソコンを使って逃げる形ではなく、あくまでもその二つを直すという形で、防衛し抜いたのですが)・・・・・が、壊れたのは、柄谷行人氏、に触れる予定があるからだと推察しました。

 これは、驚くべきことです。2007年以来、わたくしのパソコンを壊し続け、近隣や銀座、および同窓会関係の中で人間関係を壊し続けて、それで、わたくしを憂鬱にさせ、それによって書く力をそいでやろうとしている勢力の側に、柄谷行人氏は、立っているということになります。

 『書くな』と命令を受けているわけではありません。が、心理的に、気分を悪くなるように仕向ける。と、同時に金銭的な無駄遣いを大量にさせる。と同時に、パソコンのメインテナンスで、大量の時間を使わせる。時には泥棒に入られる・・・・・・これらの、人権侵害をする側と同じ側に、柄谷行人氏が立っているのではないかと、言うことは本当に驚くべきことであるし、恐ろしいし、ことです。・・・・・と、それを、13日の夜には、感じて、・・・・・それを、14日以降の、これから、書いていくわけですから、そりゃあ、柄谷行人氏を教唆して、利用をした側は書いてほしくないわけです。だから、パソコンが莫大なレベルで壊れた。

 私は常に、用意周到に六台もの、生きているパソコンを用意していますし、絶対にパニックに陥らないこととしています。あわてて、3台目とか、4台目を開かないことともしていますので、今回は無事に乗り越えられましたが、それほど、これから書くことは、微妙にして、重要なのです。奥の院中の奥ノ院の、情報だといえましょう。注意深く、心して読んでいただきますよう、よろしくお願いをいたします。

 それから、もし、わたくしが「これ、これ、こういう件で忙しくしていますので、ブログを書くのを、一週間休みます」とお断りをしないで、一週間以上間を開けたら、それは、何らかの弾圧に屈したと、みなしてください。体調が悪かろうがどうしようが、ブログだけは休まないつもりにしていますので、・・・

 で、柄谷行人氏について触れていくわけですが、まず、基本的なことを。

 私は、柄谷行人氏の盛名についてはよく知っています。が、氏に負うところはないのです。つまり、氏から教えを受けたとか、著書を読んで感銘を受けたという過去がないのです。というのも、柄谷氏の専門である文芸評論を読まないからです。結婚前は東西の古典しか読まない方だったし、結婚後はドキュメンタリーとか、ノンフィクションしか読まず、日本の現代文芸には、疎いのです。芥川賞も直木賞も縁もないし興味もない。ただ、お金がほしいころはありました。お金があれば、バンバン、本が出せるし、個展もできるし、海外にも行かれるでしょう。で、コンクールに応募しようとしたことはあります。で、そういう時期なら、興味を持ったかもしれないが、六作ぐらい、やむにやまれぬ内容の小説を作りました。が、やがて、『こんなに真剣で、リスキーなものに、賞なんか、もらえるはずがない』とわかってきて、コンクールの応募は、やめてしまったから、ほかの人の小説なんか、研究した期間もないのです。  

で、元の小説も読まないのですから、その次の段階である文芸評論ももちろん読みません。で、「柄谷行人氏にお世話になりました」とか、『氏の著作を読んで感動しました』という感覚は皆無です。

 で、これから先、氏のファンには嫌われてしまうだろう、分析を重ねていきます。
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副題5、『東大へ入学した、お金持ちのお坊ちゃまの、典型である』

 私は、だれかを分析するときに、その出身大学を、下敷きにして、ものを言います。それで嫌われたり、馬鹿にされたりしています。スノビズムの典型だと思われたりしていて。

 でも、一歳年上の柄谷行人氏の真実を探るためには、時代背景としての、東大を、分析する必要は、絶対にあります。氏が今の盛名を保持しえているのは、東大というブランドは絶対に関係があるから。

東大とは、戦前は、上流階級の子弟が進学する場所でした。戦前は、まず、小学校の卒業時に、ふるいにかけられます。おしんではないが、小卒で、働きに出た人も多いはず。次のふるいが旧制中学の卒業時にも、訪れます。裕福な家庭の子弟は、ナンバースクールというものに入学しました。一校(後の東大教養学部へ)、三校(後の京都大学へ)、などが有名です。

 中流でも、経済的に豊かではない、家庭の子は、早く卒業ができるように、旧制専門学校、もしくは旧制高等専門学校へ通ったものです。これらは、今では、すべて、大学化されていますが。
戦前は競争相手が、数として少なかった上に、一種の推薦入学風なところがあり、のんびりとしていても、入学できたのです。「デカンショー、デカンショーで、半年暮す。さのよいよい」という歌は、デカルトや、ショーペンハウエルなどの哲学書だけを、読んでいても、東大への入学やその卒業が可能だった、古き良き時代というものを反映していると思います。

 ところが、第二次大戦後の1945年から、1985年ごろまでは、まるで様変わりをして、中流だけど、お金持ちではない階層の子弟が、主に目指す学校になったのです。そして、お金持ちは慶応とか、ICU、上智、立教、青山などの、ミッション系の私立をめざしたりするようになったのです。

 そんな中で、少数ですが、お金もちの、子弟も入学して来ます。それは、優越的な立場を得やすいです。そういう子たちはたいていの場合、有名高校の出身でもあるのです。となると、所作、や、服装も優雅でおしゃれですね。さらに、優越的な立場を得やすいのです。
柄谷氏は甲陽高校の出身です。実家は建設業で裕福です。これは、三重・四重の意味で、柄谷氏に優越感を与えます。これは、学外の女の子たちと、付き合う時に如実に特権として、確認できたりしますが、さらに、教授との付き合いで確認できたりします。教授は跡取りには、実家の良い裕福な家庭の子を選ぶ傾向が強いのです。

 後継・教授には、自分の講座(または、セミナー)から、大学院へ進んだ学生のうち、五年に一人ほどを選ぶこととなるので、予定していた候補より、もっと家柄の良い子が出てきたら、前の候補者を外の大学へ出したりします。

 こういう枠組みとは別に、若者特有のスケールというのがあって、それは異性にもてるかもてないかというポイントです。男女共学だと、学内で選び選ばれるということが勝利感をもたらします。

 柄谷氏は、奥様が同じ東大生です。当時、東大には女子学生が少ない時期だったと思いますので、ダイヤモンドを拾ったのと同じくらい、優越感に浸ることのできる結婚だったでしょう。で、柄谷氏とは、以上の5つのポイントをすべて満たしている人だとなります。
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副題6、『柄谷行人氏が、不誠実な人間である可能性について』

 さて、上には、ほめ言葉だけが並んでいます。が、大きなダメージを受けた私が、ほめ言葉だけで、終わらせるはずがないです。酸いも甘いもかみ分けた私が、これで、終わるわけがない。

 柄谷行人氏が、誠実であるかどうかのポイントにおいて、誠実ではない可能性が大きいです。

 この際の誠実の規定ですが、わたくしの学友たちのうちに、学生運動をしたそのあとで、亡くなっているひとが、5人ほどいるのですが、そのうち、40代で死亡してしまった人に比較をすればということです。
柄谷行人氏と共通のにおいがする人としては、高野孟氏、高橋源一郎氏、立花隆氏、秋山豊寛氏、秋山祐徳太子氏などがあります。これらの人物には、共通に、感じられる匂いであって、佐野真一氏、佐木隆三氏、松岡正剛氏、川本三郎氏、などには感じられないポイントです。

 この両グル-プの違いが、何であるかといえば、劣等感に対する処理の違いにあると思われます。誰の人生にだって、損失や不幸がありますが、それを、どう解釈しどう受け止めるかによって、その後の人生で、であうすべての人や物に対して、その、誠実さが決定されてくる・・・・・という認識を持っている私です。

 佐野真一氏や、佐木隆三氏は、『自分が、エリート育ちではない』ということを自覚をしている人たちですね。で、テーマがややあざといが、それなりに、誠実なのでしょう。松岡正剛氏は、実は銀座で、私をへこませるための当て馬として、2006年ごろ、使われたことがある人です。が、私は、平気でやり過ごしていて、問題としては、取り上げません。どうしてかというと、松岡正剛氏は、誠実であるとみなしているからです。いや、講演は面白いですよ。お客さんは盛り上がりますよ。だけど、全体としては、生き方もテーマの分析の仕方も、誠実だとみなせます。

 が、柄谷行人氏は、その盛名に比例するほどの、誠実さはないと判断をしています。どこでその不誠実さが涵養されてしまったかについて、これから、分析をさせてくださいませ。

 おせっかいみたいですが、私に被害があるからです。もし、柄谷行人氏がこれから先に書くことに対して、困るとおっしゃるのなら、あなたをそそのかして、原発のデモに参加するようにという声明を発しなさいと、命令した連中をお恨みください。

 さて、氏にとっての、劣等感がいろいろあったと推察されるのですが、
 まず、灘中に合格できなかったことが、あるでしょう。その地域だったら、一番校は灘中です。しかし、これは、東大に合格することによって払しょくされたとみなせます。

 次に東大内部での、実家の職業に関するもの。柄谷工務店は今でこそ大企業でしょうが、1960年はさしたる大会社ではなかったと考えられ、東大内部では、劣等感を抱く傾向のある立場です。サラリーマンでいいのですが、官庁か大会社の部課長クラスというのが、実家の職業としては、最も無難でかつ、安全な階層だった時代なのです。

 その次に、学究になったはいいが、東大に残ることができなかったこと。東大に入学してくる人というのは、学問も好きでしょうが、勝ち組となることも大好きなのです。で、勝って、勝って勝った最高の結果が、東大の教授になっていくことです。ここら辺は外部へは出せない愚痴ですし、普通の人にはわからない部分ですが、しかし、東大の大学院に残っている人の、心の奥深くには、存在している大問題なのです。そして、東大に残ることができなかったディレンマが長く言うにいわれない複雑な思いを柄谷氏の中に残した可能性はあります。これは、東大に努めていたからこそ、わかる現象です。

 さらに、金や太鼓でたたいても、見つからないであろう、三国一の花嫁を手に入れたわけですが、その結婚において、隠された、実存的な暗闇が存在していた、可能性はあるのです。これこそ、最大の秘密であり、秘めるべきことですが、東大を出た女性が、優れた奥さんと同義語になるとは限らないのです。そして意外なことでもありますが、むしろ夫人の方に、迷いが起きたかもしれません。
 二人とも東大出です。普通の夫婦以上に、夫婦が、対等であるでしょうから、奥様の方に、実存的な意味での、結婚に対する疑惑が起きたかも、しれないのです。『私の人生って、本当に、これでよかったのかしら』という秘めた思いを持っていらっしゃったかもしれないのです。

 それから、ご自分の職業に対する懐疑。うちの主人とか、息子なんて、自分が生きていくために、これが、必要だと、思っていますから、愚痴は軽く言うにしても、(いや、うちの主人は一切言いませんね。それは、すごい)そこに対する覚悟はあるでしょう。

 でも、柄谷さんは、実家がお金持ちだ。遊んでいても、食える立場です。だから、時々は、『本当は作家になった方がよかったのではないだろうか。所詮、評論家は評論家だ。第二義的な立場なのだ。主役は創作をする作家である。・・・・・というような内面の疑惑はなかったであろうか?

 時にはあったと思いますよ。だけど、それを外へ出す人ではない。ただ、ただ、おしゃれな人生を歩んできた人です。
 それを支えてきたのは、人脈です。おしゃれな人たち、マスコミセレブ、文化人サロン内で、高い尊敬を受けること。これらの助けを借りて、ずっと、防御をされまくった人生だと推察できます。

 そして、その総体を貫く特徴は、『割り切りが早い』という精神構造でしょう。素早く、疑惑など捨て去って、明るく、前向きに生きるという精神。

 それは、換言すれば、『不誠実だ』ともいえる精神なのです。『割り切りの速さと、不誠実である』ということは、表裏一体のものなのです。

 私はその不誠実さというポイントで、柄谷行人氏の責任を追及したいのです。氏はこれまでの人生において、ほとんど、苦難というものをなめて来なかったとみなし得ます。
 だから、能天気にも、若者に、「デモに参加しなさい」と勧めています。

 でもね、私に言わせると、デモに参加することは、相当な危険を伴うことなのですよ。それも、長期間にわたって、デモが終わったあとまでも。
 右翼にしろ、左翼にしろ、政治的立場を鮮明にすると、それ以降の人生に不利をこうむります。特にその人が、誠実なら。しかし不誠実なら不利をこうむりません。

 私は、柄谷行人氏ほどの、おとななら、『若い人に、デモを勧める』など、もってのほかだと思っています。

  ここで、一万字近くになりました。いったん切りたいと思います。誤解を与える記述も数多く、それは、私自身の方が不利をこうむることだと思いますが、本日はグループ展の最終日です。福山幹子さんが、宅急便で送り返してくださるとの約束はできていますが、それでも、顔を出さないのは、失礼です。で、外出します。

 この件は、別のタイトルで、別の文章を起こして続きを書きます。

 2011年、9月17日、午後三時に初稿を書き、20日の午前一時に推敲を終わる。       
             雨宮舜(本名、川崎千恵子)
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