銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

鳥の巣屋敷のご令嬢、藤本夫人の、お気の毒にも、壊された夫婦関係

2012-04-23 01:05:05 | Weblog

 今、まだ、連続モノなので、副題は、138から始まります。『政治モノシリーズの23』です。そして、今、24日の午前中ですが、何回目かの推敲へ入ります。そして、午後三時にこの部分だけは一応の推敲を、終わりました。

副題138、『理想的な環境ですと、前の持ち主は言った』
副題139、『医者の娘の藤本夫人は、不器用である』
副題140、『最上の解決方法は、前田夫人をたしなめ、叱ることなのだが』
副題141、『気の毒な藤本家のご主人、と、悪女極まりない安野夫人』
副題142、『中谷氏の、驚くべき裏切り、それも何回も』
副題143、『ここで、水ぶっ掛け事件に、飛びましょう』
副題144、『この山の人々の生活と、性格が、わかってしまった』

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副題138、『理想的な環境ですと、前の持ち主は言った』


 私たちが、今の場所に18坪の古家つき、敷地88坪の家を買ったときに、無論前の持ち主は立ち会いました。すでに引越し済みでしたが。
 その人が言うには、「ここはほかにはない理想郷です。ともかく、360度、誰の目も気にせずに、暮らすことができます」と。確かにそうでした。今より、東西南北に高い樹木が密生していて、その小さな家は誰の目からも隠されていて、
 自分のほうからも、他人の家は一軒も目に入りませんでした。

 しかし、そんな理想郷なのに、前の持ち主は、引っ越して行くのですから変ですね。それで、さりげなく引っ越した理由を聞いてみました。すると、ここには車が入らないので不便だからという理由でした。確かに将来、車椅子を使うような事態になると、平地から、110段も石段を上がるここは不便です。
 で、私たちも車を使うことのできる前の家を依然、キープしては居ます。

 しかし、『引越しの理由は、ほかにもあって、それは、近隣トラブルではないかしら?』と内心で想像したのですが、まさにそのとおりでした。引っ越してきてから数日するうちに、山の一番下に住む家の安野夫人というのが、大変な難物であることがわかったのです。彼女は勝気な女性で、お色気もたっぷりですが、
 ともかく、一番でないと気がすまない女性で、それを確かめるために、毎日井戸端会議を主催して、ありとあらゆる情報を集めたがっている女性でした。情報を知り作戦を練り、実行することによって隠然たる支配力を増す。氏かも、そこが隘路になっていて、ほかに道がないので、大変な苦痛を回りに与えているのでした。実際に、27年前に、すでに、別のお宅が売りに出されていて、そこを見に來た際には、持ち主は家内がノイローゼになりまして、といっていました。
 しかし、不思議なことでした。安野家には高校生と中学生の三人の子供が居ます。思春期で、それは、最後の反抗期です。親は大学受験のこと、ほか、ストレスがいっぱいの時期のはずで、ご近所に支配力を及ぼすのなんのなどとは、気にしていられないし、そんな暇もない時節のはずなのです。

 その上、大変、無慈悲で意地悪なところのある女性なので、やがて、真実がわかってきてしまいました。つまり、お子さんが実子ではないということ。実子を15歳以上になるまで、しかも三人も育てたら、絶対に人間ができてくるはずなのです。他人に迷惑をかけるなどは論外のことで、このような恐ろしい勝つ迷惑な井戸端会議など主宰するはずがないのです。
 しかし、継母なら、普通の場合は、実母よりさらに心痛が多くて、容色が衰えるはずなのに、彼女はつややかで、お色気たっぷりです。
 それで、不倫の上での、略奪婚であろうということがわかってきてしまったのです。つまり、お子さん方は、彼女のアクセサリーであって、まともな養育は何もやっていないということ。だから、あれほど、暇があり、一種のゲームとして、自分が、女王様になることだけを目指しているのだという事も。

 つまり、異常に勝ちにこだわる女性なのですが、それは、20代に、前の奥さんとの闘争に勝った事が原因であり、当時はその勝利から10年以内だったでしょうから、さらに勝ちたい、勝ちたいという欲望真っ盛りな時代だったと思われます。

副題139、『医者の娘の藤本夫人は、不器用である』

 この場所には、実質的に動いている家が15軒もない場所なので、タコ部屋化しやすいのですが、安野夫人主宰の政治的、上下関係には加わらない女性が、当時も、4、5人はいたのです。その中で、我が家とも隣(北側)であり、安野家とも隣(西側)に当たる、藤本夫人が、もっとも、反感を持っていた模様です。
 それは、藤本夫人が鎌倉では、有名なお医者さんの娘で、お嬢様育ちであり、庶民的な井戸端会議など、だいっ嫌いだし、また、庶民性ももともと無いので、どうやって、それに加わっていいかもわからないからです。
 藤本夫人の実家は、『鳥の巣屋敷』という名前で呼ばれるほど有名な、洋館でした。持ち主が手当てをしないので、半分崩れかかっていたのです。庭木もないので、線路からに道路からも丸見えで、とても有名な洋館でした。
 藤本夫人は、その家の先代であるお医者さんのお嬢さんなので、結婚をして、外へ出たというわけです。その家には、男の兄弟の、持分等があって、藤本夫人は手を出せなかったと感じます。
 彼女は、私が知り合った30年前にすでに60代でした。だから、お父さんがなくなってから、4,50年お屋敷が手入れをしないまま、放って置かれたので、鳩が出入りするほど、荒れ洋館となっていたのです。
 ただし、敷地が広い上に、駅に2分という近さなので、駐車場を経営されているので、大金持ちです。その駐車場は鎌倉一安いぐらいです。その値段設定を見ても、恵まれて育った人である事はわかります。

 だが、それ相応の、硬さやら、不器用さがあるのです。ざっくばらんではないのです。
 確かに、私が高い位置から見下ろすと、井戸端会議の行われている場所と、藤本夫人が、テレビを見ている場所は、5メートルも離れていないので、どれほど、悩まされていたかは、想像に難くないです。なにしろ、40代の主婦たちが、お互いの力量や経済力を、探りあい、どちらが上かを確認しあうのが主たる話題ですから、純真な人には、『汚いない内容だなあ』と、感じられるし、ともかく、そんな事をやるのは無駄だと感じるのが、一般的な常識人でしょう。好きな人ができたら、おうちに招いて、うちの中でお茶のみすればいいのです。それが、普通で小。だけど、力を誇示するのが安野夫人の目的ですから山中に、それが見えて、聞こえないといけないのです。

 安野夫人側の方が異常なのです。が、蛇ににらまれた蛙という状態で、そこに入らないで、暮らすというのが難しいのだと思います。
 人間も動物の一種ですが、安野夫人には、動物としての獰猛さというか、怖さがあるのです。
 まず、最初に陥落したのが石川和子女史でしょう。彼女は、陶芸教室の先生ですから、「私の方が、上ですよ」と言って威張っていてもいいのでしょうが、安野夫人に比べると気が弱い、善人だから、逆らえないのです。私は彼女から大迷惑を掛けられているので、石川和子女史の悪口も散々言ってきています。特に死んじゃって居ますから、自由自在に話せます。
 だけど、人物としては、石川和子女史の方が、安野夫人や前田夫人に比較すると数段、人がいいです。性格がいいです。
 ただ、安野夫人が石川和子を引き寄せたのは、
 二人には、セックスをとても大切にするというか、セックスを優先する雰囲気があったからでしょう。結婚に関して、共通のにおいを持っている女性たちです。

 つまり、『セックスが、結婚の主たる要素であります』という形が、みえみえな女性です。それは、普通の市井の人とはカラーが異なるのです。『お見合いで、結婚をしました』とか、『学校が同じで』、とか、『会社が同じでした』というのとは少し違うカラーとにおいがあるのです。
 石川和子女史は、有機野菜を配達している柳沢昇と、『おうちに入れて、お茶でも一緒に飲んでいるうちに、気に入ったから、結婚』だそうです。もう少し若かったら、いわゆるできちゃった結婚となったのでしょう。無論のこと、藤本夫人などとは、100%カラーが違う。

 そこへ、三人目か四人目として前田夫人が加わってきました。この人が声が大きくてけたたましいところがある人です。しかも驕慢です。自慢たらたらです。それは、聞いていて気分がいやになる話題が多いです。
 だから、藤本夫人は復讐のメイン・ターゲットとして、前田夫人を選び、彼女がグーの音も出ない弱点をついたのです。
 まず、1)、道路の幅は、4メートルなければ、建築基準法で、許可が下りないはずだ。
    2)、私は、自分の塀から二メートルのところに、自分独自のフェンスを作る。それは、雪の日に転んだ人が出ると、私道の持ち主として、訴えられる可能性があるからだ。・・・・・という主張を始めました。

副題140、『最上の解決方法は、前田夫人をたしなめ、叱ることなのだが』

 こんな事を提案したのは、前田夫人宅が、私道部分の負担をしていないのです。大きく、違反しているのです。そこをついたわけです。見ていて、喝采を叫びたいほど、的を得ていました。ただし、藤本夫人の言うとおりにしたら、誰も道路を使えなくなります。
 上に写真が置いてあります。これは、渡辺家の真北です。幅が2メートルぐらいしかありませんね。誰がどういう違反をしているかは知りませんが、こういう幅しかないのが、この山では普通の方なのです。前田家の前などもっと狭いです。そして、真ん中に、幅一メートル弱のコンクリートが打ってあります。その真ん中にフェンスを作ると言い出されたら、誰にも道が利用できないのはご理解できますでしょう。

 で、この件をうまく解決しないといけないのですが、
 私がみるに、解決方法として、もっとも、正しいのは、前田夫人をしかって態度を改めさせることなのです。そして、彼女が、藤本夫人宅へ菓子折りでも持っていって、謝罪を、丁寧に、かつ誠実にすることなのです。
 ケンケンした感じで、いやな印象を与える前田夫人を、おとなしくさせることが一番なのです。が、それが、初代の町内会長古沢さんにもできないし、当時の会長中谷氏にもできないのでした。男の人って、なんて、臆病なんでしょう。動物としてはとても弱いのです。だから、動物として強いオンナには、勝てない模様です。特に、集団になっていると怖いらしい。
 今、相当に収まっているのは、前田清子夫人のご主人様祝一氏が、ずいぶんと正しく事態を、わかってきていて、奥様を、矯正している可能性を感じます。特に最近ではブログという公開の形で書いていますので、さすがに、このままでは困ることになると、前田祝一氏にもわ、やっと、かって来たのではないかしら? 20年以上を経過して、やっと、そうなっています。
 しかし、それは、大声を出さなくなったというポイントでだけなのです。裏に回って、策略を弄しているのには変わりはありません。

 で、当時のことに戻れば、何も関係がないはずの、私に、なんと、お願いがやって来たのです。

 そして、そのころ、藤本夫人は、みんなが悪口を言うのも道理というほど、頭や心もおかしかったのです。この石段道の真ん中のコンクリート部分を、電動の丸のこで、ぐわーんと大音響を立てながら、切って居るのです。それはやりすぎというか、異常というものです。デモね、私は同情しておいて上げましたよ。本当の悪人は安野夫人と、前田夫人、石川和子女史です。藤本夫人は不器用であるがゆえに、ただ、追い詰められていただけなのです。
 追い詰められきっていて、いろいろやっていました。普通、造成地は角をゆるくまとめているのですが、そこをトンがらせたり、ともかく、『他人から悪口を言われてもしかたがない』という雰囲気も、ぷんぷんと匂わせていたのです。

副題141、『気の毒な藤本家のご主人、と、悪女極まりない安野夫人』

 特に、災いなのは、このことで、藤本夫人とご主人の夫婦仲が悪くなった事です。「そこまで、主張しないように」とご主人が、奥様に言ったのでしょう。それを怒った奥様が、ご主人といわゆる家庭内・別居風になってしまいました。ご主人は、北側の4畳半に追いやられ隔離されてしまい、しかも、お料理等も御自分で作り、生ごみも自分で捨てておられた模様です。

 最晩年は足が悪くて、石段道を降りるのが大変でした。本当はお嬢様が居て、毎日お勤めに出ていましたので、生ごみぐらい捨てて上げられるはずでした。でも、どうもお母さまに異常に強く支配をされていたみたいで、ご自分は、大きなごみ袋は持って降りられるのです。そのときに、お父さんが、一緒に頼めばいいのです。

 でも、ご主人が、パーキンソン氏病でもあるのか、よたよたとしていて、歩くのに、非常に時間がかかるのに、小さな、しかし、重そうな生ごみの袋を抱えて、石段120段を下へ向かっておりられるのは、週に二回の事ですから、一年に直すと、100回以上です。そうすると見る気がなくても見えてしまいます。すると、ご家庭内の真実がすべて、私にわかるということとなります。
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 ここで、挿入的に一回まとめます。ご近所とはそういうものです。それなのに、瀬島龍三、伊藤玄二郎、井上ひさしは、この地に手を伸ばして、いろいろ工作をします。もっとも悪いのは、彼らですが、目に見える形で、動くのは安野夫妻であり、 今回は渡辺夫妻であり、白井・小野寺夫妻でした。だから、その事を書くこととなります。
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 元へ戻り、藤本家の内紛へ触れます。
 が、お嬢様の事も完璧に支配していらっしゃった藤本夫人は、お嬢様とお父様の間を遮断していました。これは、お嬢様にとっても、恐ろしい不幸です。普通はね。父親との関係で、男性との関係の練習をするのです。で、恋愛をしたり、結婚をしたりする道筋が生まれます。が、50を過ぎてからも独身でした。お父様がなくなっても、石段の途中で、長い時間かけて、携帯チェックをされていた模様で、たとえ別の個室があっても、お母様の居る家では、携帯が、チェックしにくい模様でした。
 だから、藤本夫人の強い個性を持っていたのも確かで、支配力を振るいたい人でもありましたが、不器用であり、ほかの井戸端会議参加主婦とは、テーストが異なっていたのも事実なのです。

 それでも、ご主人が亡くなり、私が何もお花畑を盗られた大原因の一人でもあるが、彼女をうらまないで、丁寧にかつ親切に、対応し続けたものですから、藤本夫人もどんどん軟化してきて、最晩年には、井上家(岸田淳平家)の、ネコを。とてもかわいがるそぶりも見えました。それも、決してでしゃばらず、毎日、煮干を、五本ぐらい上げて帰すというマナーです。
 井上家では、いろいろと、時間的に、余裕がない時期もあって、ネコがさびしかったのです。早朝は、うちの息子にもなついていて、彼の出社時に必ず、門前であごをなでてもらうのを楽しみにしていたネコでした。それは、余談ですが・・・・・
 石川和子女史が、ネコに関して、私に示したマナーとはまったく違います。そちらは、迎えに来させて、かつ、呼び鈴を鳴らしても気がつかない振りをして五分も寒い外で待たせるなど、わがままの限りを尽くしたのです。ですからかの女を、傲慢の塊だというわけです。彼女は、経験を呼ぶ大騒ぎを起こした後で、4年以内の早めに死亡ということで、それが、自然死なら『やはり、神様は見ていらっしゃったのね』ということになるし、一種の証拠隠滅という形での暗殺で亡くなったとしても、あれほど、わがままに、振舞えば当然かなあと思っています。

 人が受けるべき尊厳を文に踏みにじり続けて、どうして、神様が祝福なさいます。私は弱いからそうするのではなくて、ネコとは自由を奪ってはいけないから、自由にさせていただけです。他人のネコだから、楽しんだら毎日そちらが返却しに来るのが普通でしょう。それが、まっはんたいなのだから、どうしようもないマナーの人間なのです。こちらも前田夫人と同じくで、自ら気がついて、自らを律したり、方向変換をすることのできない人間です。

 彼女が、何らかの工夫で、病院での隠された、事故死で、なくなったのなら、それも、間接的な形での、天の采配の結果となります。それほど、人を苦しめた、石川和子女史です。一見すると些細な事ですが、毎日、毎日のことが積み重なると、ひどい苦痛になります。一家中で彼女には苦しめられました。
 単に警官を呼んで脅かしただけではないのです。3年間にわたり、我が家をとことんに、しかも、毎日、苦しめたのです。

 『安野夫人を悪女だと言い募る理由は? ここにあるのだ』
 
 で、元に戻ります。そんなに深くも、藤本家を、心の面では、破壊したのに、最近の10年間は、ひたすら安野夫人が取り入って、仲良くなっています。あじさい畑欺もう事件が逃れられないほどの悪だとやっとわかったみたいで、それの証拠隠滅を図るためには、彼女を利用した方がドクだとわかったからでしょう。
 安野夫人は、自らが、藤本夫人を狂わせる原因を作ったくせに、対・私という作戦では、藤本夫人を取り込んだ方が有利だと判断して、藤本夫人を手なづけるべく、たらしこんだ模様です。

 それは、藤本夫人の測量ということが最近起こり、それで、わかりました。
 その事は、時間的に後のことなので、ここでは、詳細には触れず、元の大騒ぎの時点に戻ります。

副題142、『中谷氏の、驚くべき裏切り、それも何回も』

 私は内心で笑いながら、でも、一種の高みの見物の意識もあって、「いいですよ。我が家の私道部分を提供します」と、申し出でました。
 しかし、ここからが、驚くべき事(=裏切り)の連続でした。絶対に許可していない部分の土砂を大量に取り去り、木を伐採し、山を崩したのです。

 それが、我が家の東北の角であり、今回、八幡宮様が、わざと木を倒壊させるべく、枝払いをされたという木の<北側の>、真下部分です。八幡宮様は、私が気がつかないとでも思っておられるのかしら? それは、殺人未遂に近い形での枝払いでした。恐るべき命令を下す、吉田宮司様よ。これでは、救いようがないですね。

 私は、驚いて、中谷氏に、『こういう裏切りをされるのだったら、花(=あじさい)畑を提供するといった約束も反故にします。キャンセルです。「この工事は、すぐ、止めてください。山を埋め戻してください」といいました。
 そして、と、同時に、すべての家を回って、どの程度、これに賛同をしているのかを質問をしました。が、どの家も何も知りませんでした。
 すべては中谷氏の独断でした。
 でも、『その当時から、裏から瀬島龍三が手配をして、中谷氏を篭絡していたのだ』と今ではわかっています。奥様さえ、私の目の前「あなた、そんなことは、もう、止めなさい」とおっしゃっているのに、強行しましたので、普通の人としては、おかしいです。
 中谷氏は、アメリカから、戦時中帰国した二世です。だから、英語はできます。又、アメリカには、人脈もあります。で、CIAの大エージェントたる、瀬島龍三は、どういう手段を使ってでも連絡を取ることができます。特に私の家の電話とか、室内に盗聴をかけておけば、どうにでも、中谷氏の暴挙に怒った私が、東京の弁護士さんに家から電話をかけて、「今日の二時間後に、会いたい」といっているのですから、中谷氏を、支配できます。
 これは、本当に中谷氏の独断だったのですが、

 その後、中谷氏は、安野家や、前田家、大原家に、「この秘密を守り、その家だけで、重要な役員を占めて交代をしないように」と、言い含めて、死んだらしいです。飴とムチが大得意な、エージェント側は、中谷氏の息子さんを大出世させたし、
 私が、これを書いたあと、すぐ、県のお金で、普通に木や草が生えていて、安全であり、必要もないがけの補強をしてあげていました。現在の中谷家は、無住なのですから、そんな事は何もする必要がないのです。反対に我が家の木は、壊れる様に八幡宮様が枝払いをしています。
 すばらしくも恐ろしいでしょう。
 しかも、中谷氏の次男は三井物産です。私の子供たちは二人とも、三井物産に関係があります。
 長男は、本社勤務じゃあないです。
 が、三井物産に支配を受けている会社の、企画部という中枢に居たのに、外へ出されて、営業をやっています。もしこれが、瀬島龍三の悪巧みに関係があったら、許さないです。

 かつ、上のような文章と、これから書く文章の、すべて、正当防衛としての書く権利が出てきます。八幡宮様が、殺人未遂に近い形で、枝払いをなさって、氏かも、がけの途中の木を倒壊させて、それを、おとなりの、白井・小野寺夫妻の季節外れの枝払いで、わざと、木がつくようにさせるという、恐ろしい仕組みについて書くのも、絶対に、『天がお許しになることだ』と考えます。
 すべてが、瀬島龍三一派=伊藤玄二郎一派(プラス、まだ生きていると思われる井上ひさし)の、やりたい放題なのです。又、それに、利用されつくしている、そして、毎日、毎日、悪意を振りまいている、安野家と、それに親しい前だけ等に、よって、居住地にいながら24時間脅かされたり、いやみを見せ付けられたり、今回のように真西のお隣から、このパソコンを打っている机から6メートルの至近距離で、ぴしゃーっと、玄関引き戸を開け閉めする音で、脅かされたり、します。

 こんな、生活から正当防衛上の文章が生まれるのは当然のことでしょう。天も神様もお許しくださると思いますよ。それでも、止めない彼らを叱るために、天は八幡宮様の大銀杏を倒壊させたのです。

副題143、『ここで、水ぶっ掛け事件に、飛びましょう』

 その後、種々さまざまないやなことが起こりました。私はただただ我慢です。そして、このご近所のことなど捨て去って、芸術三昧の生活に入りました。もし国画会で、私をいじめず(ある人が言ったが、会員にするのなど、実力さえあれば後は簡単だそうです)さっさと会員にでもしてくれていたら、私は、100号以上の絵を、一年に、7枚程度、描くことに忙しくて、こういうブログを書いている暇もなかったでしょう。
 その上、指原いく子さんとか、山寺重子さんに、激しいいじめ方をされなかったら、会員でなくても、引き続き出品をしていたでしょう。これらの画家が登場するエピソードもそれぞれ、すでに書いてあるので、公開するのはいつでもできますが・・・・・
 指原さんなど、その後、いくらでも銀座でも上野でも、出会っているのだから、謝罪するチャンスはいくらでもあるのに、黙っていれば、そのうち、解消するとでも思っているのでしょう。解消しませんよ。あなたの、恐ろしい性格を、私が知覚してしまった事は。

 それから、『あなたは、実力がある。どうして、ここ(=イコール葉山の神奈川県立近代美術館の開館・記念展)にあなたの作品がないの?」といってくださった方の言葉どおりに、実力どおりに美術界で、評価されていたら、ブログやエッセイにはこだわらず、絵や版画をやっていたはずです。 絵を描き、版画を摺っている私は、いわゆる人畜無害な人間です。

 又、月刊ギャラリーの連載を一年間で終わらせなかったら、絶対に、こういう政治モノを書かなかったはずです。美術の世界にこだわったエッセイを書いていたでしょう。そうしたら、彼らの悪を追求されることもなかったはずです。それで、こういう作戦を練っている人材たちを、私は常に、「幼稚だ。幼稚だ」ということとなります。

 ともかく、私はそういう楽しくて、政治と関係のない活動の場所を、次から次へと、奪われていったので、こういう風な政治の裏側のものを書く人間と、自然となって行きました。

副題144、『この山の人々の生活と、性格が、わかってしまった』

 で、ここで、前報の最後部分の続きへと入ります。
 浅野家の令嬢の携帯を利用して、タイミングを計られて、頭に水をぶっかけられそうになったときに、この山のすべての人物の性格が、わかったといいました。特に悪人度とか、強さとか、弱さという側面で。
 そこら辺りを、もっと詳細に、かつ敷衍して書いていきたいです。
△△△△△△△△△△△△

 と、書いていて、種々検討しているうちに、それもまた、非常に長くなることを発見しました。クレジットカードの秘密朗詠の問題とか、すごい大問題が含まれることとなります。それで、そこ以降は、またもや、後回しにさせてくださいませ。まことに勝手ですが、実際に起きた事を文章化するのは、なかなか、大変です。恐れ入ります。
  2012年4月、一部を13日に発案し、24日に推敲をまとめている。  雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

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