最初にお断りを申し上げます。これは、シリーズモノの、フェイスブック復活?と題したものの18回目で、政治的な問題を扱っている文章です。しかし、一般的な政治評論ではなくて、いわゆる核燃料を売りつけている側が、どういう風に、言論弾圧をしているかに特化しています。さらに特化しているのが、具体的なエピソードを重ねて、説明するという手法です。
この文章は、14日の、午前二時から書き始め、午後三時に、11時間かかって、初稿を書き上げました。が、発信日だけは、下書きを書いた、12日木曜日となっております。そして、15日の午前10時から推敲に入っています。午後の三時になり、後ろを切り離しました。そして、ここの部分だけは、完成したと感じるので、タイトルの右側に、三角印を入れておきます。
副題92、『本日の写真の説明』
副題93、『なめんでおくんぜよ』
副題94、『伝説の美女は、鎌倉で、新婚生活を送った』
副題95、『伊集院静の深謀遠慮、と、鎌倉』
副題96、『私が転入した理由、は、美しい樹木のトンネルだった』
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副題92、『本日の写真の説明』
写真の説明をします。一回上げている写真ですが、イメージを捕らえていただくために再度あげます。渡辺篤史が、建物探訪の中で、自然からいただくエネルギーに満ちた環境だといっていますが、この写真、左奥に見えるのが我が家で、撮影時間は、午後の四時、場所は、本日の登場人物、前田家の前、渡辺家の後ろです。そちらから見下ろすと、このように見えますが、我が家の前が緑一色なのはご理解くださいませ。そちら側は、北斜面なので、新緑がこの日はまだ芽吹いておらず、ほとんど黒に近く見えますが、午前中はそこにも日があたり明るいのではあります。
それから、我が家の右部分を隠すように、ふわーっと広がっているのは、もみじの新緑です。一昨年、3分の2を枝払いしましたが、昔のままにほうっておいたら、ほとんど、我が家を隠しつくす勢いで、それゆえに、四方が、視界が閉ざされる、まるで、はこの中に入ったような家であると、お考えくださいませ。
この環境こそ、これだけの量の文章を書かせて行く環境です。
ところで、このもみじに隠れている部分が古屋です。その部分を建てた前の持ち主堀内大衆さんは、映画館の経営者だそうで、この山の直前の持ち主、藤本真澄東宝重役からの情報で、ここを買ったといっていました。藤本氏は、私の父と中学時代の大親友で、どうも、毛利様から、戦後この土地を買ってあげたらしいので、その一部を買ったのは、旧毛利氏の家来だった私としては何かの因縁を感じるところです。
戦後華族制度の崩壊で、お殿様たちはご苦労をなさったのです。特に我が家の東サイドの直下には、毛利家の始祖、大江広基の墓もありますし。
その映画館主は、この土地の特性をさらに生かすために、西側のお隣と一切無縁に過ごそうと、して、そちらに、窓を造っていないのです。ただ、私たちが、それではあまりに、通風が悪いので、窓をつけました。
写真に現れているのが、増築部分で、昨日上げた、渡辺篤史が訪問した家と、同じつぼ100万円の単価がかかった(しかも、25年以上も前に)、しっかりしたつくりなのですが、古屋部分はトタン壁の安っぽい建築で、しかも18坪しかありませんでした。
それが、周辺の軽蔑を招いたと、感じます。本日述べます理不尽な土地に関する泥棒行為は、裏で、瀬島龍三が、計っていたのも確かですが、・・・・・それに当時の会長、中谷氏は乗っかってしまったのですが・・・・・一方で、ほかの人の、『あの人は貧乏だ』という認識が招いた悪行でもあったでしょう。
この山は信じがたいほどの単純な価値観とルールで、動くのです。(笑)
で、上下関係も、家の大きさ等で、決めるのです。レベルが低いなあ。(笑)でも、戸数が少ないので、それが通ってしまいます。強引でわがままな人がルールを作るからです。
まず、子供の高校が湘南高校だと威張るし、家が大きいと威張るしで、信じがたいほど、単純な系列で、上下関係ができています。しかも、副会長は30年近く変わらない。あ、は、はと、笑っちゃうような閉鎖的な、タコ部屋であり、この町内会の、権力者(?)どものやりたい放題が通る社会です。見かけは整っているが、内実の、構造的は、やくざそのものの社会です。
だから、夫婦そろって暮らしていて、昼間の存在感がある実際の住人が、12軒しかないのに、警察官立ち寄り所が、二軒もあるという、のも、それゆえの現象でしょう。異常な集中率です。昔はインテリの家では、そんな看板を張るのは恥であって、住宅街にそのブルーの看板なんか見たことがないものですが、副題93で、詳説をするように、警察とやくざはそっくりな構造を持っているらしいので、この山は、そういうゲテもの(?)を招きやすい場所なのです。
私は、最初っから『おや、おや、ここはひどいことが行われている社会だ』と見抜いてしまったので、この地域社会の中の人間関係に期待するものは、何も無く、最初から冷静な観察者の立場の自らをとどめております。
しかも途中で、逗子の一人暮らしを、三年ほどして、修行生活に入りました。周りは「逃げ出したのだ」と、誤解して、さらに町内会住人としては、不利になったと感じますが、その孤独な修行時代に、ニューヨークで、二回滞在型の修行をした事も含めて、誰が認めなくても、脱皮ができたと感じており、ある種の自由さを獲得し、道具や武器も身につけて帰って來たのです。あ、は、は。知らぬが仏のご近所様よ。『彼は昔の彼ならず』ですぞ。
人間というのは言葉も使いますが、ボディラングエッジというのも使います。それで、威嚇をする最たる人種がやくざと呼ばれる人たちです。ところで、最近の諸事情をよく研究している人からの情報によると、その世界も完璧に管理されているそうで、それは、警察と喧嘩しているように見せて、両方とも同じ大権力(海外の大資本家たち)に奉仕している模様です。
が、ここで、語るのは昔風の任侠路線の世界です。
体を張った脅かしの世界なのですが、そこに、清楚な美女、夏目雅子が現れて、土佐弁で、『なめるな』と男どもに言い放ったのが、この章のタイトルになっているせりふです。
これは、映画公開当時に、流行語になったほど、人々の共感を招きました。
西欧では怪盗ルパンが居て、日本には石川五右衛門が居ますが、表向きのルールでは、悪人とされる人間が、弱いもの=庶民の代弁者として、偉い人、(善人と、表向きは、誉めそやされているが、庶民から見れば、事実上の悪人)をやっつける話は、気分がいいのです。
物語の設定上は、彼女は女学校を出ただけの素人のお嬢さんです。やくざの家の養女になっています。戦時中なので代用教員を務めています。
華奢な女性です。それがひとりで、土佐一の羽振りを誇る悪人の家に乗り込んで、啖呵を放つのですから、確かに、映画館の大画面で、これを見たら、観客は、すっきりするだろうなあと、感じました。非常に新しい形の英雄像です。
副題94、『伝説の美女は、鎌倉で、新婚生活を送った』
夏目雅子は、白血病で亡くなりました。急に死亡と発表され、佳人薄命の典型のようでさらに人気が増しました。その裏側の姿は夫たる作家の伊集院静香氏によって、美しいエッセイに終結していて、さらに、人気が高まっています。が、白血病が、ガンの一種で、ガンはストレスが、原因である場合があると聞けば、意外にもその楽しい結婚生活が、引き金としてのストレスになったのかもしれないのです。
いや、悪いジョークと受け取っていただいてもいいのですが、男の本音と女の本音は違っていて、ともかく、結婚生活を、無事に、うまくいかせるためには、女性側に相当な奉仕の精神が無くてはやっていかれないのも事実なのです。
私は、結婚生活とは、自分に欠点があることを見抜いて、それを助けてもらうために、ある男性を選び、共同生活を送ることで、人生の安全運転をしていくことだから、女性側には、必ず、ひざを屈するという意識が、必要だと考えています。
それを天然自然に、行ったのが、夏目雅子であり、大女優として、辺りにちやほやされていたであろう彼女が、かいがいしくも、ひたすらに夫に仕える姿勢に、ひとびとは又、感涙を催すのではないかしら?
が、意地悪ではないのですが、隠された真実を洞察すれば、その結婚生活こそ、夏目雅子の肉体への、『大きなストレスを与え、白血病発症の引き金になったのではないか』と考えています。
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ところで、ここで、挿入ですが、伝説の美女第一号、原節子が、隠遁生活を50年近く送ったのが鎌倉だとのうわさもあります。浄明寺か、二階堂かと、聞いていますから、八幡宮様に向かって右側の山すそのお屋敷に、親戚の人にかくまわれサポートをされて(買い物などをしてもらって)生活をしておられたのでしょう。
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副題95、『伊集院静の深謀遠慮、と、鎌倉』
夏目雅子の夫伊集院静氏は、一時期マスコミからからかわれていました。今でも、中の世界では、同じかもしれませんが、それが一般庶民にまで、敷衍して來ていたのです。それは、次から次へと育ちのよい女優さんを射落とすからでしょう。でも、作家の中では誠実な方だと思います。ある程度以上の、自分をさらすということがありますし。
ただし、彼の出世の影に、例の、在日の人に日本を支配させると言う大構造が働いていないとはいえないと感じます。よい発表の場所を与え、できるだけ高い評価を与えようとする流れは、絶対にあるとは思う。
ただ、彼本人の才覚、センスも優れて、宣伝向きな要素を含んでいるのです。元広告会社勤務だったとも聞いているし。それが悪いというのではなくて、ある種の並列能力があるということです。私だって、65歳までは、版画もやり油絵も描き、こういうエッセイも書き、本も作ろうとしていたのですから、それは、それを、できる人にとっては悪でもなんでもない行為です。
で、才覚ある伊集院氏は、新妻との新婚生活を、鎌倉で始めたのです。便利さという意味では、絶対に六本木辺りが良かったと思います。夏目雅子は、電車(グリーン車でしょうが)で通うとか、駅まで歩くとか、言うだけで、疲労困憊したのではないかしら? 六本木という便利な場所で育った彼女には、たとえ、有名人を気にしない気風があるといっても、あの雑多な街、六本木に比べれば通行人が、比較しては、少ない鎌倉では、人目が気になる生活だったと思いますよ。
でも、伊集院氏にとっては、六本木で暮らしては、そのスターを奪った存在としての自分が輝けないでしょう。それに、明治以来の鎌倉文士の系列につながることによって、ご自分の格上げができますしね。
彼が新婚生活を送っていたころに、井上ひさしが、引っ越してきていたかどうかを寡聞にして、確認していませんが、伊藤玄二郎とは付き合ったと思いますよ。でも合わなかったと思います。はりぼて(実力以上に他人に自分を見せるはったりの人という意味)の臭みは、両者とも持っているが、もし、伊藤玄二郎氏が、有名作家の私生児としての落としだねだったりしたら、二人は絶対に合わないでしょう。どっちが上なのかで、内心で張り合うことになったと感じます。
それ以降の流入者、高橋源一郎氏とか、柳美里氏とは、玄二郎氏は、うまく付き合っているつもりがあるとは思いますけれどね。
副題96、『私が転入した理由、は、美しい樹木のトンネルだった』
この山は人の移動が激しくて、何度も売り出し物件が出る地帯で、私はチラシの上では、数年にわたって、ここに物件を見に来ています。引っ越してきてから、その理由はすぐわかりました。心理的な環境が最悪なのです。買う前には、それはわかりませんので、何度も見に来ていて、まるで桃源郷だと思っていました。現代には珍しい鄙の里、隠れ里という趣がありました。しかも、八幡宮様の真横ですからね。それだけで、駅から歩いてこられる距離です。
そして、侵入口に緑のトンネルがあり、それが又、すばらしいものでした。今の家は、四方からの視線が入ってこない土地であり、そこが気に入って何回目かの訪問で、買ったのです。
しかし、ここで、お知らせをしないといけないのは、その美しい桃源郷はまったく変化してしまったということです。まず、侵入路の緑のトンネルは、ほとんど伐採をされてしまいました。前は、まさか、と思っていましたが、最近では、私のエッセーをつぶすために行われる一種の証拠つぶしの一環として、伐採をされていることがわかってきています。
表向きは、いろいろな、理由がつけられています。が、切れば切るほど、自然を破壊するので、木が倒れやすくなり悪循環を招いています。何十年も保存をされてきた植物の、お互いの守りあいが崩れて、倒れやすくなっています。しかもですね。さらに悪意ある、人工的な倒壊が導き出された可能性もあるのです。それゆえに、お隣S家の、季節外れの、枝払いが、意味を持ってくるのでした。すさまじい悪が、行われています。
八幡宮様の名義と、八幡宮様のお金で。
で、これから先は続くと、させてくださいませ。
だいたいの内容は以下の副題で、ご推察をくださいませ。
副題97、『人為的な悪意が、さらに、満ちて來たこの山』
副題98、『神様(?)が、残酷で、冷酷ないじめをしてくる』
副題98、『戦後、たった、65年間の権力者に唯々諾々と従ってしまった、吉田茂穂宮司』
副題99、『家が、建て替えられているが、私の犠牲の上なのに』
副題100、『瀬島龍三が、盗聴しているからこそ、すべてが始まった』
副題101、『ソラヒルズから、瀬島龍三は、数兆円を儲けたかな?』
副題102、『鴬吟亭の所有権移転と、岸田淳平氏の高い露出のわけ』
副題103、『井上夫人の最晩年と、お子さんの、性格のよさ』
副題104、『ついに、手品の種明かしをしよう』
これ以上の部分を推敲していたら、2万字を超えて、A4の紙19枚相当となりました。これは分割した方がいいと思いました。お許しくださいませ。
2012年4月12日から書き始め、15日に推敲を終わる。
雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)