今は、初稿を上げて、ほぼ24時間後です。次の文章のアイデアが朝から充満していましたが、わざと、ほかの事をやって頭を休めていました。この文章の方の副題の数字を整理することだけを、今、午後の二時に始めていて、誤変換が多発していることに気が付きました。遺産が、胃酸となっていたりしていて。今は、それを全部ではないが直したところです。しかし、ここには、それほど、こだわらず、次へ進みたいと思います。恐れ入りますが、音から、本当の意味をご推察なさってお読み進めいただきたく。勝手ですが、この誤変換の多発も一種の言論弾圧で、敵からの攻撃だと思いますので100%完璧に直すことができないのです。では、お断りから離れて、次の文章を書くことへ取り組みます。
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これは、フェイスブック復活?の、16です。副題82以下の文章が最初の段階では、混乱をしていて申し訳ございませんでした。深い怒りの心を持って書いていたので、文章が、混乱していました。主語や述語のかかり方さえ、統一が取れていないところがありました。
それは、そこが、私にとっては、第三のパンドラの箱だからです。腐臭ぷんぷん足る汚いものがわんさか、わんさか出てくるところだからです。
で、毒ガスにやられて、
精神的なダメージを招きたくないと思ったので、ちょっと早く書いて逃げ出そうとしたからです。でも、その五時間後の、夜の10時ごろから、丁寧に見直しました。主語や述語のかかり方は、直したつもりです。そして、さらに明日見直します。
副題79、『パリの20畳の部屋の思い出』
副題80、『私にも幸せな時期はあったのだ』
副題81、『パソコン破壊は、友人がやっているのかな?・・・・・という悲劇』
副題81と、2の間の幻の章、、『中央大学教授刺殺事件のころ』および『モヅクの酢の物』
副題82、『なぜ、急に、皇后美智子様の訪英が決まったか?』
副題83、『愛がない人に対しては、どんなにその人が名流婦人であっても、私は魅力を感じない』
副題84、『KK君は、美貌と名誉に弱いのだ』
副題85、『とうとう、第三のパンドラの箱もあけたね』
土曜日から月曜日にかけて、三日間、同じ文章をアップしていました。サービス精神が皆無? 確かにそのとおりですが、あの様な文章は、なかなか、できないものであり、それを大切に思っていて、本日もそれを改変、していくつもりがありました。最初は。しかし、それが、一万七千字を越えていますので、その拡張部分を含めて、新しい文章を書かせていただきます。いつもの癖ですが、なかなか、エンジンがかからずと、いうか、最初には、もたもた始まります。が、本日は繰り返しに見せて、または見えて、あっと驚く、新事実に入っていきましょう。いやあ、書きたくないことでもありますが、書くかな?
ところで、私は1998年秋、パリに版画修行に行ったときに、それが、文化庁の在外研修生・枠であり、しかも年齢が高かったので、三ヶ月と期限が決定されていました。で、その三ヶ月を最大限に有効に生かす技術が身についたのです。真剣そのものの三ヶ月でしたが、テーマは版画修行ひとつに絞り、一回オペラを見た、また、ご近所様(歩いていかれる場所)であった、ピカソ美術館と、オルセー美術館は行きました。ルーブル美術館も行きましたが、それらは、真実の目的ではなくて、版画修行がメインの目的です。ただ、先生が、自分の留守の間に、工房を使われることを忌避なさった(泥棒というよりも、硝酸を私が使うのではないかと、恐れられたのです。銅を腐食させる薬は、どれも毒性が高いのですが、深い彫りをする私は通常の塩化第二鉄という薬が、効かなくなっていて、あせっていました。それを見抜いて、さらに、危ない薬である硝酸を使うのではないかと、推察しておられた模様です。で、工房にいかれない時期だけ、これらの、観光スポットめぐりは、その先生の旅行中だけに行ったのです。
昼間の勉強はその一点だけです。が、夜がすばらしい。夜が一人です。しかもテレビがない。暖炉とフランス窓(天井までの高さがあり、幅も4間分もある)きれいな部屋で、しっかりとした作業向きの足の高いテーブルがあり、20畳はある広い部屋だが暖房は完全で、そこで、手書きですが、文章を書く生活です。これは、パリでも、日本でも成功した女流画家の持ち物なので、絵の下図(紙と鉛筆を使って、その方は作図する)制作のための、大きなしっかりとしたテーブルがあるのです。それが、20畳のうちの三分の一を占めていて、あとの三分の二は、持ち主がパリ滞在中は油絵を描くアトリエになっていたはずです。
私も油絵の道具を一応持ってきていましたが、ここでは、版画修行に専念したほうがいいと思って、一切それを広げませんでした。で、寝室は別に北側に4畳半程度のものがありますので、リヴィング派、一切散らからないのです。そこで、背もたれが90度の形で、支えられる硬いいすに奥深くきちんと座って、姿勢をただし、真っ白い紙を前に、当時愛用をしていた、製図ペン(すべりが滑らかな水溶性のもの)で、手書き縦書きで、サーっとエッセイを書いていく。なんと、素敵で、優雅な時間だったでしょう。
普通の主婦から、一種のプロとして、羽ばたいていく瞬間でした。
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副題80、『私にも幸せな時期はあったのだ』
実は一般社会には認められていない私ですが、私のことをよく知るキャリアーウーマンたちからは、『あの人は、専業主婦とか名乗っているけれど、実態は、主婦ではない』とみなしていただいています。だいたい、毎日、一万字以上の文章を創作していて、別に本も作る編集の仕事と、そのデザイン(頁デザインやいわゆる装丁の仕事)までやっているのですから、そりゃあ、働いていますよ。作業・ワークという意味では。
それがお金や名誉を生むかどうかは別問題として、楽しい仕事をやりながら毎日、充実した時間をすごしているというこの現在の生活スタイルの基本は、あのパリで基本形が養われたのです。
ところで、ここで、お断りですが、その目れー地区、三ポール駅すぐそばにある、きれいなアパルとマン(=マンション)は、三ヶ月50万円でお借りしたのですが、無論、私費を使いました。国費ではありません。国費は、一日に一万円程度支給されますが、勉強の材料費(画材、およびコネをつくための接待費)、交通費(美術館めぐりをするため、入場料も含むか)、食費を考え合わせると、とてもまかなえない、費用です。長らく海外へ行きたかった私にとって、満を持した体験だったので、総額200万円ぐらいは使いました。三ヶ月でね。それが、できたのは、親のおかげです。そのとき、父はすでに亡くなっていて、遺産をくれていました。父は、私の人生を心配して、創作をしたりするような形で、生きていくのではなくて、平凡に生きてほしいと、特に最晩年には、願っていました。その頃、子供が、中学生だったかなあ?
私が今の行き方を選び取っているのは、お金の面で援助してくれた、父親、そして、母親の目を盗んでいるわけですし、ある意味で、夫や、子供たちの目を盗んでいるといえばいえる生活です。(笑)
すごく、平凡な装いの中で、生きています。外観は誰にも知られていない私。有名人でもなんでもない私です。肩書きもそうです。専業主婦。(笑)
これで、もし、若い日の選択がうまく行っていて、どこやらの大学の教授にすでになっていて御覧なさい。非常にスムーズに、いろいろが運んだでしょう。仕事をする女性という意味ではね。だけど、人生を健康で老年まで過ごすという意味では、今の方向の選択の方が正しかったと思います。
もし、「結婚をしておらず、子供もいなかったら、もうとっくに死んでいた」と主人がよく言いますが、それは、あたっていたかもしれません。頭の中と、首から下の肉体を、どう、バランスをとっていくかは、非常に難しいことでしょう。誰にとっても。
特に創作をしたい。内側から沸き起こってくるものがある。という種類の人にとっては、そのことは、非常に大切だと感じています。中には天才がいて、体を消耗しきって若くして死んでいっています。病気、特に肺結核も災いしていますが、創作意欲という灼熱に熱せられなかったら、もっと長生きしたでしょうねと思う人は多いですね。モーツァルトしかり、ショパンしかり、シューベルトしかり、石川啄木しかりです。
誰にとっても、難しい課題ですが、私はこれでも、主人や子供との、折り合いをぎりぎりつけながら生きてきたつもりはあります。普通の女流画家が、もっとも、激しい活動をするであろう、40代を逼塞してすごし、その後も、55歳までは、今のような強気は出せなかったのですから、我慢をした時期は長かったといえます。が、パリでの体験が、自分の方向性を、決定して、あふれるほどのええんるぎーに満ち溢れ、当時持っていた現金(定期預金や下部という形)の2400万円を使い切りかかるほどの、お金もかけて、その後もクリエーター修行を重ねたのでした。
ニューヨークへ私費で、二回同じような修行に行っています。それも自らの年齢が高くで、今すぐに行区報がいいと判断したので、観光ビザで行っています。誰かの紹介を頼んで、一年間ほど滞在できる形をとれば、それは、すばらしいのですが、それはそれで、結構なエネルギーを消耗するのです。すばやくいき、確実に、成果を挙げるためには、三ヶ月単位でいいと判断しました。ただ、一年のうちに、三ヶ月海外で修行をして、9ヶ月は日本で、それを再履修して身につけるという生活を行っていて、それを理想として、あのまま、突っ走る構想を持っていました。
が、病気になってしまった。痛烈な痛みを伴う病気です。整形外科的に言うと、頚椎内神経の損傷だということです。電車に乗っていても座席などには座っておられず、しかも一箇所にたっていることもできないほどの激痛です。
それを治療してくれたのが、主人だったから、芸術家としての、最高レベルでの活動をあきらめたのです。主婦であり、母であることを優先しながら、その隙を縫って、創作意欲を満足させる・・・・・そのためにはパソコンを使って文章を書くのは適切である。時間を区切ることができるから。・・・・・というのが、今の生きる大方針ですね。
しかも、できるだけ、家族の目の届かないところでやる。で、主人が、治療院へ行っている間とか、真夜中に文章を書くこととなります。どうしてそうするかというと、戯曲『ゆうづる』ではないが、私が、こういうエッセイを書いている最中は、あたりに人を寄せ付けないほどの、雰囲気を作ってしまうらしいのです。
そのあたりをこうらせるほどの、怖さは、猫が一番知っています。終わったとたんに、『遊ぼう』と呼びかけてきますので、そうとうに、きちんと見ているらしいのです。
で、相当に怖い人となるから、それを誰にも見せないほうがいいのです。家族であっても。だらだらと、だらしなく文章を書いているように見えるでしょうが、こんなものでも、書くときには、真剣限りない姿勢と、気持ちで書いています。
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副題81、『パソコン破壊は、友人がやっているのかな?・・・・・という悲劇』
でね。この副題、79と、80は、本日の導入でしかないのです。つまり、三ヶ月という単位の重要性について述べたいからです。で、ここから新たな始まりですが、フェイスブック復活とタイトルを名指しているぐらいで、フェイスブックが遮断をされたのが、3月10日です。それ以前の、3ヶ月強、すさまじい勢いで、技術的、および心理学的に、フェイスブック内で、大攻撃を受けていました。それが、始まったのは、11月の末で、国際基督教大学の同期会の、お知らせが来た頃からです。
普通ならこれは、うれしいお知らせです。
しかし、私にとっては、これは、地獄のお知らせでした。それは、それを主催する幹事のKK君がひどい形で、弾圧のためにいじめてきていて、しかも、まったく無反省の鉄面皮な男性なので、苦しめられ抜いていて、とうとう、それを、外部へ公表しようかなという矢先だったのです。連中は私の文章を、研究しぬいていますので、これから、何を書くかをわかっていて、それを書かせまいとして、ありとあらゆる手立てを打ってきます。そのひとつが、クラス会の開催で、それによって、クラス会へ出席するつもりなら、かけないだろうという形で、さしとめてくるのです。
ところで、なぜ、KK君が、大学の一年のときは、たった18人の英会話のクラスで、100時間近く一緒にすごしていたのに、敵対する関係となって、私への、PC関連の破壊工作、およびITチップを利用する白物家電で、壊してもさしたる経済的な損失ではない(と、敵が考える)白物家電を壊してくるようになったかですが、それは、彼が、大学の寮のときの人間関係が大きいでしょう。そして、そのときの人間関係を優先するから、こういうことができるし、やってくるわけです。
私という遠くに住んでいて、しかも女性だから、普段の交流が一切ない人間よりも、普段の交流が大きい人間の言うことを聞くというスタンスです。
これは、私に限らず、A子夫人のところでも見られる被害です。電車の遅延現象も同じで、大型スパコンに入り込み、何かを起こせば、新幹線だって止まります。と、書くとそうではないという形で、運転手がめがねを忘れたから、止まったなどというばかげたシナリオを、急遽作り出すこととなります。そこらへんが、『頭が悪いわね』と常に私が言う原因です。が、このパソコンを壊すというアイデアは、KK君が発案した部分が多いでしょう。たとえば、入力したあとで、変換に異常に時間がかかって、うまく書き進めないとか、
文字入力後、文字がダブって見えて、しっかりとした文章がかけないなどということは、私以外にもフェイスブックで、被害にあった人が多いケースですが、それは、KK君の発案であろうと見ています。で、ここで、イニシャルにしている意味が出てきます。彼らは、何でもやりますから、これが本当でも、将来それを否定をする何かのニュースを、作り出すはずなので、イニシャルにしておいたほうがいいのです。
この推察は、『かれが、あまりにも不親切なので、かえってわかった』ことでした。幹事をするというのなら、出席者の面倒を見るのは普通なのに、インターネットで公開されている出席・写真が見えないこと(指定された方法でやっても見えないこと)を筆頭に、ほかの人との間で、まったく違う対応を見せるので、変だなあとずいぶん前から思っていたのです。が、ここまでのことを書かないうちに、攻撃をやめてくれることを願ってね。
種々さまざまに、『あなたが、こういうひどいことをやっていることを、気がついていますよ』と、知らせたうちの一環として、あるときに、「経歴を教えて?」、とメールで聞いたら、「グーグルで検索をしたら」と、そっけない返事が来ました。
しかし、これがよかったのです。何が幸いするかはわかりません。
すると、すごいことがわかったのです。彼は、1960年代、<<<つまり、大学を卒業すると同時くらいに、ニューヨークへ渡り、パソコンの勉強をした>>>と書いてありました。ここで、一気になぞが解けたのです。それ以前は、ほかの人物たちと同じく、心理学的ないじめだけに気がついていて、パソコンの破壊を彼が担っていることには気がついていませんでした。が、フェイスブックが始まっては、どうも彼らしいなあ。これは、と、うすうす気がつき始めていたのですが、それまでは、京橋に勤務したことがあるサラリーマンだというくらいのことしか知らなかったのです。
が、その京橋も、彼本人から確かに聞いているの印、彼本人から否定をされるし、例の日経論説委員から、早稲田の教授へ転出した、MI氏も『僕はね。最初の担当が、日経新聞朝刊の文化面の右上の、あの絵のコラムだったのですよ』と、本人から聞いているのに、五年前くらいに、急に、『違う』とそっけなく否定をされて、そのときも、『あ、この人嘘をついていると、直感をした』のですが、人間がとる態度において、二人はそっくりになって来たのです。
それが、国際基督教大学において、エージェントの役割を担う人の、共通する特徴です。
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副題82、『なぜ、急に、皇后美智子様の訪英が決まったか?』
ここで、副題81と、82の間を、5千字程度ぶっ飛ばします。
・・・・・そこに入れるはずだった章のタイトルだけ入れておきます。敵様がわかるようにね。そこで行われた攻撃のきーわーどです。
『中央大学教授刺殺事件のころ』および『モヅクの酢の物』。で、その中身、詳細を書かないでおきます。それは、どうしてかというと、さっきから何度、書いても消えますしね。だから、敵方にとっては、最大の秘密に触れる部分なのでしょう。で、敵に、おもねって書かないというわけでもないのです。
何事も両刃の剣であり、敵が嫌がることは、こちらにとってもある程度には、損失であります。真剣で勝負する武士と同じで、ある程度以上の損失を招くのです。それがわかっているから、今は詳細には触れません。それにこのいきさつを書くと、皇后美智子様は、急に訪英を取りやめるかもしれませんから。
そういう方向で、変化が起きる可能性が、そのエピソードの詳細を書くと怒りえるのです。というのは、美智子様を持ち出すのは、脅かしの一種で、『SSさんについて触れないでね』ということと同義なのですが、私が、この副題82の中で、SSさんについて、書いてしまいます。それが、終わってしまったら、私に対して美智子様の名前を出すことが、重石になりませんからね。
ところで、私は雅子様が訪英をされるよりも、美智子様が、訪英をなさるほうがいいのではないかと考えている人間です。ただし、天皇陛下のご負担はいかばかりでしょうね。お気の毒に。で、雅子様を訪英させないがために、美智子様が常にテレビに登場なさり、私に対して、SSさんについて触れないようにと、脅かされれば、すぐ反対に進路を取るのが私です。でないと被害が甚大になってしまいます。
明日、書きますが、ご近所のW夫妻と、S夫妻が敵の鉄砲玉として使われたことは、私には許しがたいことで、そういうことをされるからこそ、SSさんについても触れましょう。
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副題83、『愛がない人に対しては、どんなに名流婦人でも、私は魅力を感じない』
五千字程度、伏せて飛ばした部分ですが、大まかな構造は、上に書いたKK君が、フェイスブックの中において、私への攻撃用の最大の弾として使ったのが、SSさんです。
ある日、私のパソコンを開け、フェイスブックに入ると、出てきた画面のすべてを、SSさんの投稿が占めているのです。上から下まで、SSさんの投稿が占めているのです。
これは、その後、繰り返して使われる脅かしと弾圧に使われるための手法ですが、SSさんとは、そんなに大量な字数の投稿を、とくに、いっぺんにアップする人ではないのです。私ならそれはありですが。
そして、ここで、こう書けば、これからは、大量に一遍にアップなさるかもしれません。が、当時、それは、2011年の夏でしたが、早くて、三日に一回、または、一週間に一回というペースです。字数も、1500字以内で、行数が、12行程度です。それが、その日に限って、画面いっぱいに、一万字近くある。これは、私ならありえることですが、彼女に限ってそれは無いです。
これが、パソコン技術、特にフェイスブック固有の妙味を使っている手法です。つまり、シェアという技法を利用して過去の文章を全部同じ時間に公開する手法です。これは、ほかの人間にも何度も使われた手法です。
皇后美智子様のいとこに当たる名流婦人がそんな、姑息な手段を取りますか? しかも人を弾圧するために。それは、無いでしょう。それでも、それを、彼女がやったのなら、徹底的に軽蔑するだけですけれどね。
私が察するに、それをやったのは、KK君でしょう。そして、その文章はシェア先としては、私だけが狙われたと感じます。ここで、シェア先というのは、それを読める人という意味です。私だけが読む形として、古いものを一遍に新たに、画面に登場をさせるのです。
SSさんの許可を取っていたのか、いないのかは知りませんが、許可を取っていたのだとしたら、SSさんて、大変な悪人ですね。ご主人が若くしてなくなっていて、しかも自殺だとうわさされているが、彼女に原因があるでしょう。・・・・・とまで考えてしまいます。これは、画家の馬越陽子さんとか、いわさきちひろさんにも共通する現象です。
普通の人なら絶対に、そこまでのことはしないということをやる女性の特徴です。
が、これはあくまでも、KK君が無断でやったと考えます。でも、例の元・日経新聞論説委員、MI氏辺りは関与しているかもしれません。または井上ひさし等も。何でも、あいつをやっつける手法ならとるさという形。あいつを悲しませるやり方なら何でも実行するさという形。
だって、こういう現象は、常に、私のライバルを設定して、そちらを持ち上げ、お前は比較するとダメだという形であり、繰り返される形だからです。
先ほど、抜かした部分でも、2009年の1月に、その同じSSさんを、鉄砲玉として、私をいじめることをやられたのです。それを話し出したら、きりが無いほど長い話になるので、抜かしたのですが、常に、常に、『こっちの方が上だよ』という対象例として、SSさんは使われるのです。
私はここで、必死になって、KK君とか、MI氏といって、ほかの人に比べれば、より悪いことをやっている人材たちを、かばって(?)、イニシャルで、書いていますが、それは、SSさんを実名で書けないからです。
ご主人の自殺の部分が、相当に深い暗黒なので、やはり、ドキュメンタリーとしては、書けないですね。もちろんのこと、ここで、自殺と書けば、将来否定をされるでしょう。
有名人やら、上流階級は守られるからです。マイナスのことは伏せられます。ニュースとしても、噂話としても。
だけど、ずっと、2009年から我慢をしてきてあげたことを、本日書いたのは、このご近所様のW夫妻の態度と、S夫妻の態度に、根源的な怒りを感じているからです。どうせ、誰かが教唆して、やっている行動ですが、その教唆した人間を懲らしめるために、このSSさんと、KK君のエピソードをさらしました。フェイスブックは実名主義です。だからこそ、私の同期生で、KK君と、SSさんといえば誰かが、推察されるでしょう。
もしそれに抗議をなさりたいのなら、W夫妻と、S夫妻に抗議をなさいませ。美智子様のいとこのご主人が自殺をした可能性があり、それは、奥様のせいだということを明かしたのは、その二軒の行動に怒ったからです。
そして、それを命令した人間に対しては、もっと怒っていますよ。
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副題84、『KK君は、美貌と名誉に弱いのだ』
ところで、私に対しては、残酷無比なことを平気でする、KK君ですが、SSさんに対しては、うっとりという形で、尊敬しているみたいです。SSさんは未亡人だから、誰がどういう風に好きになってもいいのですが、私はね。内心で、『男の人って、美貌に弱いのだなあ』と思ってみています。
もちろん、KK君には明るくて、気の利く、そして賢い奥様が居るので、SSさんへの憧憬はあくまでも、憧憬にしか過ぎないのですが・・・・・
そして、その奥様に深く愛されているからこそ、女性のメンタリティーの中で、愛情があるかないかが、もっとも大切なことなのに、そこに注目をしないで済むわけですが、
私は、SSさんを、愛情の無い人だと、思っていて、どんなに、そちらを上に置かれても、屁でもないです。愛情の無い人は、尊敬もできず、魅力も感じません。この愛情の件ですが、上で抜かした部分を、再び取り上げるときにどうしてそう感じるかは書きます。ご主人の自殺疑惑以外にも、感じる部分があります。
ところで、SSさんから、KK君へ戻ります。
彼はありとあらゆる同級生を糾合して、私が不利になるように振舞ったのですが、最大の攻撃用ツールとして使ったのが、SSさんなのです。
そして、そのSSさんが、皇后美智子様のいとこなのです。つまり、SSさんについて書かせたくないので、美智子様を前面に出してきたというわけです。しかし、SSさんの存在と行動ほど、KK君の存在と行動を、明らかにしたものもないので、二人は、こと、フェイスブック紙上での、私への攻撃という意味ではセットになっているのです。それゆえに、KK君が、あれこれ、パソコンの破壊を行っているということも、そこから、推察できたわけでした。
彼は、美貌と名誉に弱い模様です。それは、田舎で育ったからかな? 都会人としては一代目です。それが、社会階層的に、えらい人、そして、美貌の人への、憧憬を招いているのですね。
私は、そこら当たりは、まったく自由で、すでに卒業しています。よくブランドについて語りますが、ヒとが、それに対してどれだけ弱いかを知っているからです。KK君が、実際にやったことなど、人間として、非常に恥ずべきことですが、彼にとっては、目上であり、ブランドの最たる人物、たとえばロックフェラー4世から頼まれれば、『イエス・サー』となって、瞬時に言うことを聞く題目なのでしょう。近代政治が獲得した民主主義の理念やら、『人は、人として生まれた限り、誰でも、その尊厳を守られる』というようなことなどへの河童なのです。気にしなくてもいい理念となるのでしょう。
一般的な社会通念から言ったら、他人のパソコンへのハッキングとか、破壊活動は、泥棒の一種だと思うけれど、彼にしてみれば、ばれては居ないはずだと信じていたでしょうし、私だって、用心するから実名をあげて、「彼がやっています」とは言いません。
だから彼は、棺のふたを覆う瞬間まで、または、炉に入って、白骨になるまで、逃げとおし、責任を負うことは一切無いと思います。
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副題85、『とうとう、第三のパンドラの箱もあけたね』
上の部分は、火曜日9日の午後五時には、まだ、書くか、書かないかを迷っていた部分です。右へ行くか、左に行くかを迷っていた部分です。
右なら第一のパンドラの箱を開けることであり、左なら、第三のパンドラの箱を開けるということとなります。
第一のパンドラの箱とは鎌倉問題です。W氏夫妻と、S氏夫妻が、動き始めた、ということを論じたいのです。朝方は、それが問題でした。が、メニューバーが消えるという問題で、一時間ぐらい無駄をしたし、宅配が、来た間に、書いていたものが消えるという現象が起きたしで、
頭がすっきりとは進まない形になっていました。が、その間に、第三のパンドラの箱のほうへ気持ちが移ったのです。それが午後の段階です。
で、猶予を持つために、買い物へ行きました。
ここら辺りが書くということに慣れてきた証拠です。
以前だと、発想が消える恐れがあるので、中断せず、最後まで、無理に無理を重ねて書き抜いてしまいました。が、今は発想が消えても、しかたがないと、割り切ってきたのです。
自然が大切だと思っています。その日の現象を勘案しながら書いていきます。
ただね。『何を書いているのか、わからないわ』とおっしゃるかたがたのために、大筋の結論だけいいますと、
皇后美智子様も、そのいとこが、道具として、使役されるぐらいですから、ご近所のどんなに、教養が高い人間だって、『はい、弾頭弾として、使役をされるますよ』というわけです。ちょうど、北朝鮮のミサイルが問題となっていますが、人間ミサイルとして、誰だって使っていこうというのが、敵のシステムと、考察です。
だけど、その結果が、どうなるか、それと、その目的がどこにあるかを、わかっていないと、お気の毒だなあと、いう結果になりますね。だって、この一連の動きは、ご近所に住む独活の大木たる女性、石川和子と、その夫が、めちゃくちゃなわがまま振りを発揮していて、しかも、自縄自縛で、猫に裏切られて、恥をかいたから、警官に命令して、『あそこの奥さんを、だんなにしかってもらってください』と頼んだことから発展をしています。
つまり、鎌倉春秋社社長の、伊藤玄二郎は、自分の名前を冠して開いてやった、鎌倉春秋釜の主宰者たる、石川和子と、自分との間の、下半身の結びつきを否定したいがために、すべてを執り行っているのです。そこから派生して、次から次へと悪さを考え付いています。
石川和子女史は一種の証拠物件として消されてしまったのでは、ないかしら? 瀬島隆三にとっては、最も利用のしがいがあり、効果の上がるいじめ役だと7年前までは、みなしていたのだと思いますが、しかし、20年間は持ったその化けの皮がとうとうはがれてしまったのです。こういっちゃあナンですが、私を相手にして、自分の方が上の立とうなどとは、チャンチャラおかしいです。ありとあらゆる意味で私の、敵ではないです。で、大失敗をしたから消された。?????
だって、彼女は見かけ上、体重が65キロ以上あったと、思いますよ。ぼてっとふとっていたし、セガ160センチ以上ですから。それが、三ヶ月でがん死です。ステルス性といっても、普通の人は、体重の中に含まれている余力で三カ月は生きておられるものですよ。母だって、口からものを食べなくなって、経鼻投与か、胃に穴を開けて直接投与をするかは、家族の決断に任せられましたが、92歳を超えているので、そういう延命措置はとらなかったのです。
母は、ひもじいとか、食べたいとかはいいませんでしたしね。だけど、母が体重として、もっていたお肉や脂肪が、母を生かし続けて、三ヶ月ほど、いき続けました。石川和子さんの死は、それゆえにおかしいです。
私の本音を言えば、彼女はかわいそうな人間だったなあと思っています。むしろ、これらの悪の伝染は発信源が、Y野夫人にあります。彼女が、最も恐ろしい悪女でしょう。平和な中流家庭が構成している小市民社会には、入ってきてはいけない存在だったと感じます。彼女が六本木等で、遊泳している女性だったら、『別に』と言う程度のことでも、こういう静かな山では、大混乱を引き起こすのです。そして、第一のパンドラの箱が用意され、この山に住んでいるO原氏の関係で、第ニのパンドラの箱が用意され、そこで使われた人材、美術評論家のSイ氏が、キーパーソンとなって、第三のパンドラの箱が用意されたというわけです。
先日ザッカーバーグ氏が、飛んできたのですが、本日はイギリスの首相キャメロンさんが、飛んできました。ふむ、ふむ、それも、将来分析しますが、かように、小さいポイントに絞って書いていることが、意外な展開を招いているのですよ。それは、自覚をしています。別に政治は、永田町だけで行われているわけでもないのです。
だから、この章も無論、政治に関して述べている章となります。
ここでね、強引にこの章を終わりとします。続きは、新しい章を起こして、書きます。では、2012年4月9日、ご変換を直し、このシリーズ全体が終わったら、署名を入れます。