副題53、『A子夫人の、フェイスブック加入と、自主的退会』
私は、今、全力を注いで、A子夫人がパソコンを自由に使えるように、もって行きたいと思っているわけです。そして、しごとを復活をさせてあげたいのです。そのためには、彼女がたくさんの友達をヴァーチュアルナ世界で、持った方がよくて、そのためにはブログとかフェイスブックとか、ツィッターを始めた方がいいと思っているわけです。
その際に、私の方がパソコンの使い方の全体像に関しては強いので、
私がいったん加入をさせてあげた(パソコンに詳しくない彼女のために、傍で、キーボード入力をしてあげた)フェイスブックのID取得を、「やはり、ここには入っていたくない」とおっしゃったのですが、
その後の解除のしかたがすごかったのです。すばらしい追跡能力でした。普通、たった、一時間では解除などできないのです。それでも、彼女はできました。
なお、ネコの画像は、今日の話題になっている3月18日のものではなく、別の日のもので熟睡中の姿です。ネコベッドのふちにあごをかけるのが大好きで・・・・・
さて、4月1日の夜にアップしたのです。今、家事を終えて見直すと、よくわからないというか、意味の通じないところがありました。言葉が足りなかったのです。それを足していきます。
副題52、『これまでのまとめと、本日への導入』
副題53、『猫がなつかなかったK子さん(愛称ネコちゃん)』
副題54、『さあ、切り上げて、お寺へ、一緒に行きましょう』
副題55、『タクシーの中でついに本音がぶつかる』
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副題52、『これまでのまとめと、本日への導入』
さて、シリーズ12回目を迎えました。そして副題(いわゆる章)は、前回までに52を数えました。で、「それって、何について話していたんだっけ?」とおっしゃる方もおありでしょう。それで、これ以前を小さくまとめさせてくださいませ。
私のフェイスブック頁は、この3月10日に突然に遮断をされました。それは、やはりきついことであり、グーブログへも、ある影響を与えています。ここへの訪問者数が、嘘の数字が置かれているのは、前から知っています。
そう言う数字が、あることに気がついたのが、2010年でそれ以降だけは、毎日、記録していますが、それだけでも、100万回を優に越えています。ともかくに、相当数の読者があることを知っています。だが、まったく違う数字が、置かれています。去年の7月の段階で、そこは、96万だったのに、今は、23万ですって。驚くべきうそですが、ともかく、グーグルさんは、ビジネス上誠実ではないのです。それは、テレビ視聴率なども同じだとと思いますし、世論調査も同じでしょう。この世に、信頼できる調査結果の数字がありやなしやと、疑わざるを得ません。だから、そこから推して、日本が法治国家でありやなしやとさえ、なって行きます。
私名義で、グーグル検索をしていただけますと、下のほうにこのブログの案内が出ています。以前は、トップにこれ『銀座のうぐいすから』が、置かれておりました。また、最近の記事の紹介が無く、いつもいつも同じものが案内に載っています。フェイスブックを止めたことで、ぐ、ぐ、ぐっと損をしています。
だけど、それは、仕方がないので、心構えを変えて、新しい生き方をしようと方針転換をして、非常に深い内容の、ものを書き始めました。フェイスブックに入っているとどうしても書くものに限界ができてしまうのです。ちゅそれを奇禍として方針変換をしたわけです。
その明瞭な例は、3月12日付けでここに、アップをされている『ソラヒルズ(北久里浜)は、元横須賀市の水道山に建っているのだが』ですが、それなど、驚くべきお話なのです。
そういう私の方針変換に驚いた軍産共同体側は、新しい罠を仕掛けてきました。私を、書くことから引き止めるための一方策として、友達を派遣して、あたかも、フェイスブックの復活があるかのように、匂わせて、そこに期待をさせて、そちら側へ心の準備を再度させようという案だったらしいのです。つまり、フェイスブックに入っていると友達関係への遠慮から、個性的なことは書きにくいのです。政治にしても、すでに、人口に膾炙している当たり前のことしか書けません。「その罠によって、複雑にして奥深いことは、これ以上は書かせないで居られるだろう」と例のエージェントたちは、予測したのだと感じます。
そのひとつの仕組みとして、FB会員である友達が、鎌倉へ訪ねてくることになりました。それが、ミステリーなのです。ありえない親切心です。それが不思議でならないので、今それをといているところです。
つまり、そんな親切心は、それが罠であり、敵方のミッションではないかと推察するのです。だから、本音では、來てほしくないです。でも、来るというのなら、それが、どういう方向であるかは確かめてみたいです。自分の推察が当たっているのか当たっていないのか?
副題53、『猫がなつかなかったK子さん(愛称ネコちゃん)』
その使者として選ばれたのが、K子さんで、ある程度の信用をさせるためにか、彼女一人ではなくて、「A美さんという友達も一緒に助けてあげます」と言う話でした。ただ、私は、それ自体が、あまりに親切すぎて、現代では珍しい話であるとも思い、これは、やはりまともな方向の話ではないと感じました。で、婉曲なお断りの便法として、『銀座へは行かれないので、鎌倉へ來てほしい」とメールで頼みました。相手が親切なことを申し出でてくれているのに、失礼極まりない作法ですが、「実際には、復活しないであろう」と推察していて、彼女たち二人が來てくれること自体が、心乱される一種の責め苦であるとも感じていました。
これは、最初の呼びかけというか、提案のメールが着てからすでに、2週間を過ぎていますので、ほとんど確定的に、そうだといえるでしょう。しかも、私が怒ったのは、できないのに、またもや、もう一回同じことを言ってきたからです。それが、21日であり、その後、猛然とこのシリーズを書き足して言っているわけですが、時勢を、もう一回、3月18日に戻します。
でも、ここが、すでに、離反の始まりなのですが、普通の場合のように、「本当は嘘なんじゃあない。それって」と、気軽に問えないんです。もう、こうなったら、仕方がないですね。彼女の、演技と芝居に乗って付き合うほかは。ただ、前日から、急遽一人だけになるとのことではありました。
それも前の章に書いたように、最初は決められていたことでしょう。そちらは、お嬢様育ちだから、こんな危険な目には合わせられない。「ただ、ただ、あの人を信用させるだけの役目だから、名前だけ貸してください」というのが、正しい解釈だったかもしれません。そちらは温存をされていて、K子さんの方は矢面に建つ戦士として、仕立て上げられた。子供のころに散々な苦労をしていて、ヌードモデル(美術の世界の)とか、ホステスとかを経験しているらしいK子さんなら、経験上覚悟が座っていると、みなされ、「お前やれ、」と権威ある上の人、もしくはだんなさんから命令されたら、K子さんは、面白半分で、このミッションに、取り組むと思います。
そこまで、推察がついた上で、向かえたK子さんが面立ちとして、気品があることは救いでした。めがねをはずすと、美人といえます。
玄関で挨拶を済ませて、K子さんを、二階へ、あげました。入り口に例の我が家の猫が居ました。彼女がコート類を始末した後で、自分の足元に居る猫に気づき、「あれ、意外と小さいのね」といいました。そりゃあ、足元に居ると、小さいです。猫は生まれたての赤ちゃんとほぼ同じ大きさで、産着も着ていないので、とても小さいのです。
ただ、そのときに、『この猫は、K子さんに対して、何も心を集中をしていないぞ。どうも関心が無い』と感じました。それで、小さく見えてしまうのかもしれないとも。それは、とても不思議なことでした。
K子さんは長い文章を書ける人です。で、大体文章系の芸術家です。芸術家って、猫好きが多いです。又、フェイスブックは写真を載せることになっているのですが、彼女の頁には猫の写真も載っています。絶対に猫好きだと思うのに、猫が慕い寄っては行きません。
この瞬間に、『この子はわかるのかしら?』と思いました。この部屋に満ちている真実を。今、私は苦悩に満ちて、目の前のお客さんを迎えています。そのお客さんに、真実を気楽に語ることができません。又お客さんの方はお客さんの方で、徹頭徹尾、演技しぬくつもりでしょう。で、お互いの間に、どれほど、親密な言葉が交わされていても、それは、空疎なものなのです。
さて、お茶を飲んだ後で、二人は三台のノートパソコンを大型の食卓にならべて仕事を始めました。2台は私ので、一台は彼女のものです。遠くからわざわざ、持ってきてくれたのです。親切極まりないことです。で、てきぱきと能率よく仕事をやりました。ただし、案の定、復活をしません。それは、私には想定内のことだから、別にがっかりもせず、「ここらあたりで、お昼にしよう」と提案をします。
そして、ちょっと台所へ入った数分間に、彼女がテーブルから立って、猫に近づくのが見えました。しかし、今度も猫の方が打ち解けませんでした。
私はますます驚きました。が、二人(?)の仲をとりなすために、身を乗り出すことはありませんでした。我が家の猫はフェイスブックの世界では、結構に有名な猫でした。でも、その有名さは、くっきりとしていて人懐っこいまなざしにありました。よく女優のことを目力が強いのなんのといいますが、まさにそういうタイプで、相手に照準を合わせて、しっかりと見つめると誰でも、猫好きなら、その魔力のとりこになってしまうのです。で、ご近所様と大トラブルになってしまったほどです。返すの返さないので。
で、K子さんが、東京へ帰って、フェイスブックへ入力を開始するときに、親しい友達、たとえばA美さんと、『川崎(雨宮の本名)さんちの猫って、ちっとも愛嬌が無いのよ。フェイスブックでの、情報は看板に偽りありよ」と言われるとしても、それは、あきらめようと、とっさに決断をしました。
たとえば、「変ねえ。どうして、こんなに無愛想なのかしら。今日は曇天だから、眠いのかもね」といってみるとか。確かに、うちの猫は雨天とか、曇天だと、よく眠ります。昼間、ほとんど寝っぱなしという具合です。だけど、今はストーヴの前の座布団の上で、伸びきっているわけでもなく、猫ベッドの中で、丸くなっているわけでもないのです。香箱というきちんとした座り方で、床に居て、しかもどうしてか、彼女に背中を見せています。
その二回目の無愛想さを見て、今度は、・・・・・『この子は、私の心の方が読めるのかしら。私は、表面はともかくとして、今、ちっとも楽しくない。ながらく、友人として付き合ってきた、K子さんに裏切られている。
どっちにしろ、敵側からの使者として、訪れていることは、おんなじだけれど、もし、K子さんの処理で、目の前で、フェイスブックが復活したら、彼女は使者として、正当で、ある種の誠実さがあったということになる。
だから、一応大喜びをして、感謝するだろう。だが、復活しなかったから、より悪い方の目的を、ここで、思い出さないといけない。
つまり、彼女はからかいに来たのだ。フェイスブックを止めさせられた事をどの程度、悲しんでいるかの探索をかねて、来訪したのだ。ほかの目的もあるだろう。まるで、復活できるがごとく振舞って、私の心を揺さぶって、後で更なる悲しみを味わわせるということだ。
となると、ここで、猫を抱き上げて、ほら、この方は、お母さんの大事な人なのよ」と、言い聞かせて、無理な愛嬌を振りまくように強いるのも、無駄だし、さっき言ったような「曇天だからかしら。眠いのかも」というようなせりふをはいて、取り繕うのも、フェイスブックに未練があるように、K子さんには、受け取られてしまうだろう。
ともかく、ここは淡々としておいた方がよい。この猫が、後で、悪口を言われることは、我慢、我慢』・・・・・と、考えた私です。
その後、ずっと後で、彼女が何度目かのメールをくれて、新しい長文を見せてくれました。その中で彼女は、他人なのに、一種のお姉さんとして、自分を愛してくれた、女性が、自殺をしてしまったいきさつを述べています。その相手の女性が、自分を呼ぶときの愛称が、つねに「ねこちゃん」だったとも。
ところで、このエピソードは前回のべた、副題51のエピソードと照応をしております。が、同じ日にアップしてしまうと、激しい批判をK子さんへ浴びせることとなるので、一日アップを、ずらしました。読者の皆様の方が、ご面倒でも、照らし合わせてくださると幸いです。
副題54、『さあ、切り上げて、お寺へ、一緒に行きましょう』
さて、昼食の後も、せっせ、せっせと、仕事をしました。が、私にとっては蛇足と言うようなものです。演技の親切さに乗っかっているということです。で、ふと気がつくと、三時間が過ぎていて、彼女が帰らなければいけない時間が近づいています。その日は日曜日で、ご主人が、お母さんの面倒を見ているのだけれど、ご主人だけ夜は自宅へ帰る必要があり、その関係で、彼女は鎌倉を、2時半に出ないといけないのだそうです。ただ、その話を聞いていた、私は、こう考えます。
そこに絡んでいる人はすべて家族です。私は他人です。普通は他人の方を優先します。
他人を優先した結果、ご主人が母君の家を出るまでに、彼女が帰られなくても、適宜に夕食を、ご主人が、作って下さって、母君と、二人で先に食べて、先に家を出て、自分たち二人が住む東京の家へ帰りつくことができます。
本当に親密な間柄だったら、当然に、夫婦間の協力があり、珍しい場所へ行った奥さんが、自分の自宅へ帰得る出発予定時刻に間に合わず、すれ違いになっても、許すはずなのです。
彼女はすでに、実母の逝去に関して、お見舞い等に散々大阪へ行っていますし、そういう夜にはご主人は、自分で料理を作るか外食しているはずです。又、彼女はしょっちゅう、当番として、半分、認知症になっている、この姑と夜を一緒に過ごしますが、その夜も当然のごとく、ご主人は、二人の自宅で、自炊をするか外食をしているでしょう。
ともかく、千葉か、茨城か、栃木か、群馬であって、鎌倉からは、三時間半か、四時間かかるところであっても、気持ちが私に向いていれば、そこは融通が利くはずなのです。だが「ご主人に電話でもして、少し、遅れてもいいんじゃあない?」と聞いても、「ううん。だめ」という返事です。
想定内の返事をもらっても、心の中の疑惑は消えません。それって、演技がばれない時間が11時から三時間だろう。それで、上の命令で、または、彼女自身のシュミレーションで、決めた時間ではないのとのどまで出掛かっている、せりふをぐっとこらえて飲み込みます。ここも未練を残したら、恥ずかしいところです。
だが、どうしても、この訪問をきれいなところで終わらせたい私は、メールで書いたとおり「お寺に行きましょう」とは、提案しました。さて、お寺にもいろいろありますが、
この際は、比企が谷(やつ)妙本寺しかないと感じました。観光地化されておらず、母君の慰霊として、たずねるとしては、最高の場所です。
彼女がもし、時間の融通が利くのなら、私は、袋に三万円ぐらい入れて、あるお寺の親切な奥様に、本堂で、お経を上げてもらうつもりでした。
しかし、時間が無い。となると、境内が静かで、広くて、本堂と山門が歴史を感じさせる妙本寺しかないのです。時間があれば北鎌倉で降りれば、2,3静謐な雰囲気のお寺はありますが、時間が無い場合は、妙本寺しかない。
ただし、我が家から歩いて行くのなら、絶対に時間が足りません。で、私は、山から降りながら、「タクシーで行きますね」と言うと、彼女は遠慮しました。が、これは、無視します。一般的な主婦の態度でありますから、この際は無視。
ああ、なんと言うすばらしいタイミングでしょう。山を降りた途端に、左側大船方面の目に見える範囲にタクシーが居ます。しかも日曜日で、渋滞にはまっています。それを、捕まえました。これで、112段の石段を降りた途端に、タクシーに乗ったと同じことになりました。時間だけは大丈夫。
副題55、『タクシーの中でついに本音がぶつかる』
それは、旧本館、現在の鎌倉館(神奈川県立美術館)の前で、これで、ほとんど、2時30分にえきまで、到着できると思った途端に、ついに、私の口から、本音が出てきました。「あ、忘れちゃった。あなたに私の本を上げたいと思っていたのに」と。
本当です。それは、この9年間、私が最も力を注いで来た仕事で、すでに、6冊創っています。その6冊を彼女に見せて、それぞれの、あらすじや特徴を告げ「どれを持って帰る?」と、聞くのが普通のお客様を、遇したときの常なのに、今日は、緊張もあり、あれこれの疑惑もあり、結局一番大切な私を彼女にアッピールをすることができないのでした
「ああ、」とため息さえ、つく私に、彼女は、「ああ、それいいわよ。もらわなくても。いろいろ、親切にしてもらったから(料理や、お花量を出したことをさすのだろう)」と、彼女は答えました。
その瞬間、まぎれもなく、彼女が敵方の回し者として、訪れたことがわかりました。
私を弾圧する敵どもは、私の本を非常に恐れています。それは、6冊とも、政治の本ではありません。そしてすでにたくさんの方から面白いといわれています。電車を乗り過ごすほど面白いとも。
だが、それを読むと、私が魅力ある人間であり、きちんとモノを考える人間であることが誰にもわかるらしくて、
てきどもは、先回りして、先回りして、私が、その友達と、親しければ親しいほど、事前に工作をしていて、彼、彼女らに、本を受け取らないように、させているのです。本当にあっと驚くほどの、このミッションの、本性を丸出しにした瞬間でした。
無論、彼女はもともとはいい人なのです。が、敵がすでにリクルートをしていて、バリアーを張るように教え込み、あるミッションを与えた人なので、すでにロボットと化しているわけです。
しかし、そのときに運転手さんが「まっすぐ進みましょうか?」と私に聞いてきました。
若宮大路という日本の道百選に選ばれた、八幡宮の表参道は、その日、3月18日が日曜日だったので、込んでいるのです。で、まっすぐ進みますか?というのは、私を鎌倉の人間と見ての、問いかけであり、一般的に言えば「裏道を通りますか」という質問にあたりますが、それ出たわけです。私は「ええ」と答えながら、それをきっかけえとして、K子さんの本音や、これが、命令をされた任務だったかどうかは、追及しませんでした。ただ、ただ、深い悲しみにくれながら、こっちも芝居を始めたのです。さっきより、さらに強く。
しかし、この悲しみは、後ほど、メールの世界で、私の本音の吐露と、彼女の引っ掛けにつながって行くのです。誤解を、謝罪をさせられる(?)という奇妙な形で・・・・・
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きぬぎぬの朝という言葉が源氏物語の世界では、使われています。つまり、フォローするというか、後日の話をかたることをさします。間には、メールが飛び交います。それは別章で、語ります。
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こうなると、徹底的に、背後に居て、教唆、教導をしている存在を感じざるを得ず、その同じ人間が、何らかのご褒美、または、何らかの出世を、代替条件として示し、彼女にこのミッションを遂行させた・・・・・と、推察することとなるのでした。彼女は、新進作家として、「近日デビューをすることとなるのかしら? 一年以内?」と、まで、その推察は発展して行くのでした。
この項目続きます。