銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

子供とは、股の間から生まれます。・・・・・実の親と継母の違い

2012-04-28 15:23:11 | Weblog


 最初に写真の説明をさせてくださいませ。これは、我が家の東北の角で、藤本家と言う北隣の、家の敷地の東北の角です。普通は住宅街の一区画の角は、鈍角に、形成されています。だが、そこを鋭角に持ち主の富士本夫人が変えたのです。それほど、彼女は追い詰められていました。が、それに同情する人は折らず、ますます、追い詰める方向で、この山の人々は、事態を進行させて行ったのです。
 では、本文へ・・・・・ところで、これも例のシリーズの一環です。『フェイスブック復活の26』となります。
 ところで、今は次の日、29日の午後一時です。副題(章)の整理をやっと果たしました。しかし誤変換は残っております。少しだけ気がついたのを直しましたが、ここに時間をかけるうよりも次の方へ、時間をかけております。誤変換が残っているうちは、署名を入れませんが、それは、お許し下さいませ。将来すべてを整理後には、入れます。

副題156、『本日の文章への導入』
副題157、『鳩ノ巣屋敷の思い出を、再び語る』
副題158、『藤本夫人は、我が家の元の住人を妬んでいた?』
副題159、『問題を、すり替える藤本夫人』
副題160、『物事には、何事も、表裏があり、プラスマイナスがある』
副題161、『藤本夫人の測量の日に、神様は私をお助けくださった』
副題162、『引越し直後(=26年前)から、瀬島隆三に電話も室内も盗聴をされ、かつ、支配をされていたのだ』
副題163、『白井夫人、小野寺さんの断定口調』

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副題156、『本日の文章への導入』

 私にとっては、この三月十日以来、すべては風雲急を告げて、差し迫って、不幸(?)だったのですが、私はそれを、実のところ、楽しんでもいるのです。(笑)それはね。経験上わかっているのですが、矛盾がきわまると、それは、逆転の始まりだからです。
 2005年の夏に、石川和子とその夫柳沢昇が、警官を呼び、その警官がこれまた、驚くべきことに、山の中で、交通事故の調書をとり、それをまた、どうも警察らしい手合いが盗みに入ってきて、それ以来、頻繁に泥棒の入る家となり、

 と、散々な不幸な目にあっていますが(笑)

 その前なんて、それを、口外することもできないぐらいに弾圧をされていました。今は、口外できます。それだけでも進歩です。本当に抑圧されている段階では、口を利くことも許されないという風情です。だけど、だんだん改善していっています。ともかく、それは、もっともいやなことをされたときに、突然に、ブレイクスルーが起きて、反転するのです。
天とか、神様と言うものはそういうものです。

 お隣から、こちらは何も攻撃をしていないのに、メルクマールといってよいほどの攻撃を、20回ぐらい受けていて、じっと我慢をしていたのですが、音による攻撃さえ始まったら、これは、一種の逆転の始まりなのです。

 建物探訪などごらんになると、いろいろ工夫のあるお宅です。が、その広い木製のデッキで、これから、お食事をしたり、お客様を招いたり、木工細工をするつもりだったでしょうが、これから、そこでの会話が耳に入ったら、そして、批判すべきことがあったら、当然批判を開始することとなるでしょう。だって、今回の攻撃はすさまじいものですから。まだ、全貌を言っていませんので、読者の方は、それが、どうしたの?とおっしゃるでしょうが、やがてわかっていただけます。待っていてください。
 一方で、そういう悪い教唆に乗らないで、穏やかに普通にお暮らしになったら、
私は神様みたいな人だから、やがて以前の、悪い行動は、忘れてあげたと思いますよ。
 もしかしたら、我が家で、私が「あそこの奥さんは、野鳥のえさのひまわりが、庭を汚すのがいやで、夏はえさをあげないといっていたわ」と言ったのが、室内盗聴で、安野家に入り、それを、安野夫人が、小野寺(=白井)夫人に告げて、それを、怒って安野夫人の言うなりになったのですか? もしそうだったら、盗聴と言う、忌まわしいシステムを利用する安野夫人を疑わないとだめですよ。

 だけど、あなた方は、ひどく信じていますね。そこをこれから、相当に丁寧に書いていきます。どっちが得なのか? あの悪女様を信じるほうが得なのか? それとも、普通の形で、隣人と仲良くするのが得なのか?
 それを、かいていきます。諄々とかいていきます。

副題157、『鳩ノ巣屋敷の思い出を、再び語る』

 ところで、お隣の問題から少し離れます。これからは、アジサイ畑欺もう事件の証拠隠滅の話に入ります。が、最初は悠長に、鳩ノ巣屋敷の話へ入りましょう。
 鎌倉へ引っ越してきたときには、風景画として、どこがスケッチの対象となるだろうと、考えました。抽象画を専門とする画家ですが、画家は、画家なので(笑)モチーフ広いとか、それから、修練のためには、あれこれ、自分が美しいと思ったり、これはと、思ったりするものは、スケッチをしておいたほうがいいのです。その際に、駅のホーム(東京より)から見える鳩ノ巣屋敷には、大変心引かれ、食指が動きました。

 鎌倉には、有名な洋館が、いくつかあると思います。今、文学館になっている旧前田公爵邸、旧・華頂の宮・邸、今、スワニー(手芸店)の『もめん館』となっているプチホテル等々。しかし、鳩ノ巣屋敷ほど、画材として魅惑的なものはありませんでした。それは、全館が木造なのです。外壁も板張りで、だが、和風の張り方ではありません。そして、築100年以上を経ていると思われ、元来のペンキも剥げ落ち、風化した木材が、言うに言われない渋みをかもし出しています。
 が、一回も実際にスケッチをしたことはありません。駅に近すぎて、それなりに、人通りがあるところだからです。で、落ち着かない。

 まったく手入れがなされていないのですが、それでも誰かが住んでいるといううわさもありました。もし、誰かが実際に住んでいたとすれば、その人物は、これが、小児科医院だった頃の、看護婦さんか、事務員さんと、その一族である可能性もあります。というのも、今の持ち主は藤本夫人(我が家の北隣に、20年以上住んでいた)ですが、そのご兄弟とか、その後兄弟の子孫が住んでいたとしたら、その人物派、大金持ちのはずですから、当然、この家を建て替えるか、手入れをしたはずなのです。

 と言うのも昔の分譲地ですから、一区画が、200坪か300坪あります。一部を駐車場にしてあり、一部は銀行がまとめて借りていますので、駐車料金をネコババするはずもなくて、したがって、毎月毎月、高額の駐車料金が入るはずだからです。
 もし、藤本夫人より、10歳ぐらい年上の、旧看護婦さんが、100歳ぐらいになるまで生きてあそこを使っていたのだとしたら、それを追い出さなかった藤本夫人はそれなりに優しい人だとなります。ただ、使用人だったから、お金はなくて家は荒れ果てるままにしたと、なり、はとが家のあちこちの、やぶれたところから出入りするお屋敷となっていました。

 ところで、横須賀線と言うのは、鎌倉駅から、衣笠駅まで、ホームで、よく鳩が遊んでいた駅なのですが、今は、どうなのかしら? もしかしたら追い払ってしまったのかしら?
 禁煙運動の高まりも同じですが、人間の心に余裕がないことを証明しています。

副題158、『藤本夫人は、我が家の元の住人を妬んでいた?』

 私は引っ越してきてから、2年以内に、アジサイ畑欺もう事件と言うのを起こされて、実際に仰天してしまって、藤本夫人について、調べ始めて、この鳩ノ巣屋敷のお嬢様だったと知るのです。

 それで、少しはわかってきたのですが、ともかく不器用で誇りは高い人です。彼女が本当にいらいらしたのは前田夫人だったと思いますが、私が引っ越してきた当時の会長の中谷さんは、すでに、この山にはいない、我が家の旧住人が、藤本夫人とけんかをしていたのだと告げました。
 どういうことかと言うと、「我が家の元住人の奥さんの方は、小太りで、穏やかな人物で、一応主婦間で、人気があった。それに娘は結婚をしていて、孫もいた。比較して、藤本家は、娘さんは結婚をしていないし、孫もいない。で、ねたみもあるんでしょう。だから、大喧嘩をしていたのです」とのことです。

 でも、中谷さんは、半分以上うそをついていました。本当に我が家の前の住人、特にその奥さんが、藤本夫人の嫉妬の対象だったら、その人は引っ越してしまったのだし、私は嫉妬の対象にもならないほど、年は離れているし、・・・・・で、問題は自然消滅しているはずなのです。ところが問題はさらに燃え盛っている。

 だから、私の観察どおり、藤本夫人が怒っている対象は、安野夫人、前田夫人、石川和子、ら、なのです。このあたりの詳しい状況は、このブログの4月23日発、『鳥の巣屋敷の、ご令嬢、富士本夫人の、お気の毒にも、壊された夫婦関係』と言う章に詳し句書いてあります。それ以降をここで、書いていきますが。ともかく、

 前田家と言うのは、指導部分を供出しておらず。この山では、土地の使用に関して違法度が一番高い家です。それでも、奥さんが謙虚で、人に迷惑をかけないタイプだったら、物事は紛糾しないのですが、雌鳥時を告げて、国滅ぶもかくやと、思うほどけたたましい人で、しかも、藤本家のすぐそばで、それを、話すものですから、藤本夫人が頭に来て、復習をしようと企てたわけです。
 しかし、ここで、重要なのは、藤本家の東隣の、安野夫人が、自宅前で、毎日井戸端会議を、執り行うのが、諸悪の根源だということです。それを、絶対に忘れてはなりません。前田夫人の悪とは、安野夫人の悪と表裏一体のものなのです。

 でも、見かけ上は、しなしなとしていて、いざとなれば態度を豹変させる、安野夫人は悪辣さが目立たないのか、それとも、本質的に、その悪人振りがよほど怖いのか、藤本夫人は第一ターゲットを前田夫人に置いたのでした。

副題159、『問題を、すり替える藤本夫人』

 藤本夫人の吹く襲撃は練りに練ったもので、『雪の日に転ぶ人が出ると、損害賠償を、私道部分の持ち主が負担をさせられるので、私は自分の持分、つまり、道路の半分以上を行ったところ、2メートルのところに、フェンスを作るといい始めたのです。

 それを、当時の中谷さんは、どう処理していいかがわからないのです。これは、正当に処理するとしたら、まず、前田夫人に藤本夫人へ謝罪をさせることです。その上で、藤本夫人を十分に慰めて、気分を変えてもらい、その主張を引っ込めてもらうことです。それなのに、とんでもない解決方法をとられたのでした。それは、我が家の土地を、利用できないように、コンクリートうちをする。それで、慰謝をして、藤本夫人に、その提案を引っ込めてもらう。と言う案です。 

 あの頃の私は、上品過ぎました。わかっていることをはっきりと主張しなかったのはいけなかったです。だから、今頃、しっかりと発言し始めているわけですが、ともかく我が家は、犠牲になるべきではなかったです。

 どうしてかと言うと、上の写真を撮っている場所、すなわち我が家側に大きな山があって、それも、削れという藤本夫人の要求に、中谷氏は、私を裏切って、屈服したからです。驚くべき裏切りと犠牲の連続でした。
 スケープゴートになっていて、いじめらる役目がいつの間にか、藤本夫人から、私に移動をしていたのです。

 あの頃の私って、どうして、あれほど、人がよくて、前任で、他人のことを優先していたのだろうと、歯がゆいというか、なんと言うか、今となっては、地団駄踏む思いですが、ともかく、私道部分派、コンクリートうちはされるは、山は削られるはで、散々な思いをしたのでした。
 そういう風に損になるのがわかっていて、最初に折れたのは、上の写真が、主な動機です。中谷氏は、何度も、藤本夫人は、きちがいだ。とかノイローゼだとか、頭がおかしいといいました。それは、道路の真ん中を、電動の丸鋸で、具輪ーんと、言わせて切っている姿を見ると、本当にそう見えましたし、上の写真にある部分をさして、「見て御覧なさいよ。あれを見ただけでも、藤本さんの頭がおかしいのはわかるでしょう』と、言われれば、そうかなあと、思わざるを得ませんでしたから。

副題160、『物事には、何事も、表裏があり、プラスマイナスがある』

 で、それ以降、私は損ばかりしているのです。臥薪嘗胆と言う言葉は私のためにあるかと思うほどです。画、読者の皆様が息詰る様で、読むのも苦しいとおっしゃるといけないので、私の、もうひとつの、側面をもお話をいたしましょう。

 それは、私にとって、最も楽しいことは、考えることだということです。鎌倉に、渡辺幸子さんと言う画家がいます。この人は、フェリス出身で、かつ、大学は同じなので、頭のレベルはほとんど同じ程度だと思います。が、考えることをしない人です。驚くほど、考えない人です。大学を中退して、(お父さんが破産をした)日本航空のスチュワーデスになったので、そこで、現場の作業が多くあり、体を動かして、何かをするということが、習い性になっていると思いますが、ともかくものを考えない人です。ですから、お茶大の付属高校から同じ大学へ進んだ私と偏差値的にはほとんど同じレベルだと思いますが、それでも、人生を、65ぐらいまで送ってくるとまったく違う人間になってしまうように、

 この山の人たちも、どんなに、いい大学を出ていても、また、大学院を出ていても、毎日、勉強するかどうかで、まったく違ってきてしまうと思いますよ。私は毎日勉強をして、いて、毎日、わかったことを文章に書いています。
 ところで、何を勉強しているかと言うと、人間なのです。テーマは人間です。

 私は今まで、六冊のエッセイ集を出していますが、それをお読みになった方が異口同音におっしゃるのは、『あなたって、人間が好きなのですね』と言う言葉です。

 そうです。人間が大好きです。その上、1998年、1999年、2000年と、それぞれ、三ヶ月間、海外一人暮らしをしています。しかも、そういう風に自由に海外へ行くために、日本でも逗子で一人暮らしをしました。
 海外でも、昼間は工房へ所属しますが、夜は一人暮らしです。

 これが、ものを考えるのに最適なのです。人間、一人では生きられないのも道理ですし、真理ですが、なにかを修行しようとか、レベルアップを真挫創などと考えたら、家族と一緒ではできません。絶対に孤独の中で、非常に集中した勉強をしないとだめなのです。
 それを、やることができたのは、最高にラッキーでした。それは、語学が完璧だったということと、お金があったということの二つが、自信となって、そういう生活を選ばせたのです。
 本当は三年間ずっと、一箇所(ニューヨークでもブルックリンのプラット・インスティテュートと言う美術大学で、ずっと勉強ができれば、最高だったと思います。ただし、ビザ等をとるのに、数ヶ月の無駄をしないとだめだし、別の国に旅行をして、それで、実質的に、長期に滞在するという手はありました。そうするとアパートなど、同じものをキープできるので、金銭的なロスが少ないのです。だが、徒手空拳で、中年を過ぎている女が一人で、海外で暮らすのですから、絶対に無理をしないという覚悟もあって、三ヶ月で、ひとつの、シリーズを研究テーマとして、完成させるという生活様式をとりました。

 これは、非常によい勉強となりました。人間毎日、少しずつ、少しずつ小テーマを改良しながら、大テーマとしては、同じことを三ヶ月やりますと、結構な仕事がまとまります。大変な進歩があります。それを帰国した後の、9ヶ月間で、じっくりと噛み砕き、自分の血肉にするのです。誰が認めてくれなくても、それは、無駄ではなくて、圧倒的な進歩を私にもたらしたのでした。

 草稿として、他人に見せないで終わらせてしまう文章も含めれば、一月原稿用紙換算4千枚を書いています。これほど大量に、これほど、早く書ける人はいないと、ひそかに自負しています。私のフェイスブック生活が、10ヶ月で終わってしまって、考えれば残念でしたが、そのたった10ヶ月の間でも、私ほど大量に重いものを書いている人はいないという核心を持ちました。フェイスブックは、ほとんど、全部の人の投稿を同時進行的に見ることができますので、この観察は正しいでしょう。

 そういう私にとって、この場所はすこぶる突き出、よい場所なのです。普通だったら、他人を観察するのは失礼ですが、向こうから、攻撃と言う形で飛び込んできてくださるから、攻撃されたら防衛上、観察せざるを得ないでしょう。そうして、安野夫人とその夫忠彦氏とか、石川和子と、その柳沢昇とか、前田清子夫人と、そのご主人前田祝一氏とか、大原光孝氏と、そのご家族とか、観察すべき対象が、どんどん、増えてくるわけです。

 今回白井・小野寺夫妻が、加わったし、渡辺夫妻も加わったわけです。その点では、真理学科の卒業だと聞いている井上さん(=岸田淳平氏)は、賢いです。一回ほど、ほかの主婦連中の強制により、失敗をされたが、それ以降、攻撃的な態度を見せないで、すごしておられるから、『ああ、そういう人なんだなあ』と思って、すでに観察をやめています。

 大原光孝氏など、本当に軽いです。私が逗子に一人暮らしをしに行っている間、「川崎さんが、逗子で、暮らしているのはみんな知っていますよ」とへらへらした幹事で、笑っていましたから、逗子で、暮らすのを、夫婦別居とか、離婚の始まりとか、考えていたのでしょうね。

 ところで、この件ですが、私は、背中に激痛が走る病気になってしまい、かつそれを直してくれたのが夫なので、世界をまたにかけた、大芸術家になるのをあきらめて、パソコンを利用したライター風情で、終わろうとしていて、ひたすら、キーボードに取り付いているわけですが、(だから、つきに、4000舞いも文章が書けるのですが)

 離婚をするはずだと、みなしたのが、川名昭宣君なのです。ここでは名前だけ挙げておいて一切を説明しませんが、伊藤玄二郎よ、その点では、すべてを見抜いていますよと、言っておきましょう。そして大原光孝氏には、あなたの軽さが、中目黒の製紙会社を引退した、東大卒エリート社員、大原氏の殺害につながった恐れがあるとも言っておきましょう。大原さん、あなたって、ものすごく軽い人だけれど、軽い人特有の善人と言う部分がないですね。それって恐ろしいことを、招来していますよ。ご自分で何も気がつかないでいて、何も反省しないのならそれでもいいですが、天の神様は通信簿を持っていらっしゃるから、そこにちゃんとつけておられますよ。あなたの行動をね。・・・・・

副題161、『藤本夫人の測量の日に、神様は私をお助けくださった』

 さて、2009年の5月2日に、藤本夫人は、引っ越してしまった後のご自分の地所を測量します。しかも、23年前と同じ主張で、ご自分の方だけは、私道部分が2メートルあるはずだというとんでもない、強欲な鹿も違法な地境石を、その日に確定してしまおうと言うのです。
 その石は、中谷氏に言わせると、藤本夫人が勝手に入れたものだそうです。この山の道路は、すべてが、3.6メートル幅しかありません。重機が入らないところを,人力だけで、宅地造成をしたので、こうなっています。また、自動車が入ってこないところなので、実質的には、真ん中を、一メートルほど、コンクリートうちをして、その後は、土のままに造成してあり、そこを誰もが花畑にしてあります。

 藤本夫人が、その23年前のとおりの主張で測量すると、大変なことになります。が、その件では、見事に夫をたらしこんでいて、夫にだけ、測量のことを知らせ、夫にどうも、「奥さんには知らせないで置いてください」といったみたいなのです。それを、そう頼んだのが誰なのか、後で、夫に聞いてみますが・・・・・

副題162、『引越し直後(=26年前)から、瀬島隆三に電話も室内も盗聴をされ、かつ、支配をされていたのだ』

 アジサイ畑欺もう事件が起きた頃、夫は松坂に単身赴任をしていました。今思うと、それも、瀬島隆三が、手配をして、あっちへ飛ばしていたのかもしれません。
 引っ越してきてから、たった二年後に、安野家の坊ちゃんの、『国立大学付属高校ご入学おめでとう事件(笑)』と言うのが起こりますし。いえ、国立大学の付属高校にご入学なさったというのに、それを事件と言うのもおかしいのですが、

 安野家の坊ちゃんとは、おいちに、おいちに、の安野君といって、通信簿が、1、と、2の連続だということで、有名な坊ちゃんなのです。つまり、お勉強はできないタイプです。人のお子さんを『お勉強ができない』などと言うのは失礼みたいですが、安野夫人には、散々、痛めつけられていて、しかも、そこに政治的な問題が絡んでいますので、ここまで、はっきりいうのを、お許しください。私が受けた数々の被害を、この章では語っていません。だから、誤解を受けるのは承知で、はっきりと書きます。これから語る事件も、当時から、我が家が盗聴をされていたということの、証拠になるからです。

 瀬島隆三がなぜ、我が家を盗聴していたかと言うと、彼は、北久里浜で、親友である、益山某、元海軍参謀と組んで、横須賀市の水道山をただ取りしました。しかも、そのときに、益山夫人は、私をひき殺そうとしたのです。それは、私が、地境地主の一人として、その詐欺事件に巻き込まれたので、調査をはじめ、彼らの悪巧みの全貌を知ってしまったからです。で、口封じのために殺そうとしたのでした。
 これは、地籍変更届と言う仕組みを利用するもので、書類上は可能な、手法なのですが、m元は横須賀市の水道局の山を、まったくただで、手に入れてしまい、それを、25年後、総額、120億を超える額の大規模マンション群、(=ソラヒルズ・・・・・ただし、後ろめたいところがあるので、グーグルの地図には載っていない。航空写真にも載っていない。瀬島隆三のやりそうなことだ。だが、現地に行けば、実際にそれはある。京浜急行北久里浜の駅の東側の丘の上だ)

 その後、パリのバスティーユで拉致されそうになったことをはじめ、具体的に何度も殺されそうになっていますが、ことごとく、不発に終わり、私はぴんぴんし手生きています。それで、方針を変えて、心理学的な手法で追い詰めて、ノイローゼにさせてかけなくさせようとしていて、その尖兵として、西隣の、白井・小野寺夫妻と、東隣の、八幡宮様阿賀、今、使われている最中なのです。二人とも緩慢な暗殺未遂事件に加担をされているとなります。恐ろしいですね。だけど、文章として書くのなら、これほど、面白いことはないというわけです。(笑)
 さて、瀬島隆三が図ったお芝居としての、国立大学付属高校、ご入学おめでとう事件に戻ります。

 ある日、安野家の玄関で、石川和子が、うやうやしく、菓子折りをささげながら、「っ区立大学の付属高校へ、ご入学おめでとうございます」と言っていたのです。これは今のように、外出するたびに、前田氏と大原氏に会うようなことが続くと、鹿と、室内盗聴をされていることが確認できますし、パソコンの電源を落とすと、必ず営業の、または、宣伝の電話がかかってきて、留守かいるかを確かめられますので、すべてが、把握をされていることも知っていますが、・・・・・無論、大人権侵害で、普通なら警察に訴える、ところですが、警察が、そちら様の見方なので、訴えても仕方がないです。(笑)・・・・・

 25年以上前もそうだったのです。ただね。この菓子折り持参のおめでとう事件も、誰が考え出したかはわかりませんが、石川和子と、安野夫人の無教養振りを確認するだけに役立っただけですが、アイデアを出した人間は、私をそれで、やっつけられると、信じていたのでしょう。
 当時の実情を言います。鎌倉から、通える国立大学の付属高校と言うと、東京に五校あるだけです。特に男の子はそうです。しかし、どれも、偏差値が高いです。上に行ったように、おいちに、おいちにの、安野君と、学校中でからかわれている安野君が、入学できるはずがないのです。安野君が学校中でからかわれているのは、母親が、今で言うモンスターペアレントで、とんでもない要求を先生方にするからです。ピントはずれもいいところなのです。だから、すぐ、本当のお母さんではないことがわかりました。

 その上、そんなでしゃばりなお母さんだったら、子供は普通なら当然のごとく嫌がって、『ばばあ、何ででしゃばるんだ』ぐらいのことを言うはずなのに、何も聞こえない。反抗している気配が聞こえない。それが、不思議極まりないのです。だって、半分は母親が原因で、学校中でからかわれているのですよ。普通なら反抗する。それが、普通です。普通の頭と心を持っていたら、それが普通で、そうしてこそ、大人になれるのです。
 親を乗り越えてこそ、子供はまともな大人になる。反抗してこそ、大人になれる。
それは、麦とか、チューリップの球根を考えてもわかります、一粒の麦が地に落ちて死ぬから、次の世代の30粒ができます。また、親世代の球根は腐っていますが、その周りに、子世代の球根が数粒出きるのが、チューリップの世代交代です。
 
 あれほど、反抗ができないのでは、よほどひどい形で抑圧していると思われ、だからこそ、お成績も悪いのだと考えられます。天然自然に普通に育てれば、普通にお成績のいい子になったでしょう。これは後ほど、お嬢さんが真夜中に、お子さん二人を連れて外へ出て行くのを目撃したので、当たっていると思われます。海外から里帰りをしていたのですが、つらいことがあって、外で、電話をかけるか、外で、なくつもりで、出てきたのでしょう。
 私はコンビニで、コピーをとろうとして、徹夜の間に出て行ったのですが、『おや、まあ、ひどいところを目撃してしまった。だけど、あの悪女がお母さんだったら当然だろうなあ』と、思ったことです。

 でね、この「国立大学の付属高校のご入学おめでとう」と言うお祝いの言葉を聴いても、それを計画した人間が思うほど、私がダメージを受けたわけではありません。

 『ああ、やはり、本当のお母さんではなかった』と思うだけです。と言うのも子供なんて、夫婦のセックスの結果なのです。だから、こんなに仰々しいお祝いをもらうとは、自分の股の間に、ひざ真づかせているのと同じことなのです。本当のお母さんなら、直感的にそれがわかるので、決して大げさなことはいたしません。だから、このこっけいな場面は、男性が発案したか、または、二人とも、自分のほんとうの子供がいないから、こんなこっけいな猿・芝居を思いついたということになるのでしょう。

 ここで、猿芝居と言っているのは、あとで、東京の筑波大付属二校プラス学芸大付属三校=五校でも、広大の付属でもないことがわかるからです。普通は、それをさしますから、二人の言葉はほとんどうそに近いのです。そんなうそを大げさに祝いあっているからこっけいなのです。

 もちろん、こどもを育てるのは難しいことなのですよ。それを育てる過程が尊いのであって、安野夫人みたいに、まったく手をかけていない(ほら、毎日井戸端会議をやっていたでしょう。あんな暇は、中学生と、高校生を持っている親にはありません。ない方が普通なのです。そんな人が、母親らしく振るまうのは、偽善でしかないのです。彼女は、石川和子や、前田清子夫人に比べれば、ほかにとりえがないから、そこを強調したいと願っていただけです。
 ともかく、血がつながっている、祖父母などには大切なものです。だけど、他人にとっては、あの月経のくさいにおいを思わせる、股の間の出来事なのです。それを、祝すのは、赤ちゃんの頃だけの話です。本当の母親だったら、それを知っている。だから、他人にお祝いを求めたりしません。ましてや、道路まで聞こえるほどの、大げささで、ユーモアのいっぺんだになく、恭しくお祝いをするなんて、とっても、おかしいのです。

 ね、こういう風に、芝居をすればするほど、真実は露見する。それがわからないらしいから、「連中は、頭脳レベルが、幼稚だ。幼稚だ」と、私が、言うことになります。

 卒業式の日に真相がわかりました。生徒の進学先を書いた紙が配られて、そこに、一種の職業訓練校の名前が書いてありました。当時、1980年代は、バブル真っ盛りの時代で、すべての親には、潤沢な資金があり、大学へ行かせたいと願っている時期なので、職業訓練校みたいな学校は人気がなかったのです。
 それでも、国立で、税金でまかなわれているはずなので、通信簿が、1と、2だけではだめかもしれません。そちらは、瀬島隆三などの命令により、直接に市長さんなどに命令が下ったり、または、伊藤玄二郎を、通じて、働きかけがあったりして、すべての教科を、二段階ぐらいレベルアップをしてあげたのかもしれません。3と、4の羅列なら御の字です。

 神奈川県は、当時、高校全入を目指していて、輪切り制度がありました。子供の志望校は、こどもの意志よりも通信簿の成績で決まるという具合で、その輪切りは厳密で、普通なら温情など効かないのですが、進学先が、神奈川県内ではないので、そこら当たりは自由自在に処理できると思います。

 当時の市長さんって、「小島寅オ」さんでしょう。この人は石川和子にも、大甘だったと思われます。すでに、伊藤玄二郎の言うなりだったと思われます。

 ともかく、菓子折り持参ほどの、大げさぶりだったら、筑波大付属か、筑波大駒場か、学芸大の参考しか考えら絵rないのに、地方にある、職業訓練小銃でした。今、ロボット、コンクールで有名な、高専でもないのよ。本当に羊頭狗肉、誇大宣伝のきわみです。安野夫人と、石川和子は、そういう人間であり、彼らと仲良くしている人間は、また、これもカラーが同じでしょう。中身がなくて、形ばかりえらそうにしている連中です。

副題163、『白井夫人、小野寺さんの断定口調』

 今回激しい攻撃を加えてきた、白井・小野寺さん夫婦なんですが、ご近所と接触があるのは、小野寺夫人の方です。彼女に「こうしなさい」と命令的な教唆を与えた人物が誰なのかはいまだにわかりませんが、

 最近、安野夫人が「私は、この夫婦と親しいのだ」と、誇示しています。で、私は、自分に被害があるからこそ、踏み入って考えてみるのですが、『どこに、共通点があり、どこに共感するポイントがあるのだろう』と。

 安野夫人は,隣の川崎産より、自分を選んでくれたと、大得意みたいですけれど、私は別にそれに嫉妬するわけでもないです。ずっと前からそれには気がついていましたけれど、今まで、白井・小野寺夫妻をあしざまに言ったことはないはずです。

 だけど、今回大きな被害があったので、急にしっかりと思い出してみました。苔と胞子について話しているときに何か、彼女が断定したのですよ。しかも教え諭すように。聞きながら、『あれ、間違っているぞ』と思いましたが、否定しないで、置いておきました。
 それから、何かのついでに、「お金があったら、こんなところに引っ越してはきませんよ」と言う言葉があって、『おや、傲慢だなあ』と思ったことがあります。もちろんのこと、それも私の本心は言いませんでした。でも、渡辺篤史のテレビ番組を見ていて、『うーん。彼女は、まだ、わかっていないことがたくさんあるね』と、思いました。つまり、雅子さんみたいなところがいっぱいある。ともかく、自己の無謬性を信じている人です。

 そこは、芝居(または、形)がきちんとしていたら、内容の空疎さとか、虚偽については目を瞑る安野夫人とそっくりかなあ?

 そういう点では、私とはまったく違います。私は、自己を疑う人間だから。その上、形より内容重視の人だから。だから、すごく違うタイプだから、お別れするのも無理はないですね。あなたは、安野夫人へくれてあげます(笑)。私は自陣のこまとしての、あなたは、要らない。もちろん友達でもない。(笑)
 これはね。常にいきがっている、あなたのまねをして、強気の弁をだしてみただけです。結局は、すべてを安野夫人へ奪われている私です。

 というのも、あれほど、理解を深くしてあげている、そして、いろいろを許してあげている、藤本夫人を安野夫人へ、引っさらわれるからです。あ、は、は、と、笑ってしまうほど、悲惨な状況です。が、それを、元気に書き続ける私は、どこかに、秘密のダイナモを保持しているのです。ただ、それが、どこにあるか、それだけは、秘密にさせてください。ただ、私はいつも、神様に、見守られている・・・そして、その愛の只中にいる・・・としか、いいようがないのですが。

 いや、暗いところで終わってはいけません。実は、藤本夫人の測量は、私をツンボ桟敷においてやろうとしていたのです。が、見事に、神様が、手配してくださって、私は現場に立会い、敵様のすべての意図を、見抜くことができました。その上での、これらの文章です。

 事実上の、危機には、すべて
助けを与えられる私なのです。そして、そのときにも白井・小野寺夫妻には、ひどいことをされたのですが、それを、きちんと今回書き抜けます。そういうことが、進歩なのです。
 お隣だからと、遠慮のきわみであり、理不尽なことをされても、ただ、ただ、我慢をしてきました。また、それを悪人たちに、利用されきっていましたね。だが、お隣が敵なのだと、はっきりわかって、それで、生きていくのも、ひとつの生き様です。真実が手に入ったほうがいいですから。そのほうが戦うにしても、正しい戦いかたができますから。お隣が単純な人でよかった。未熟な人でよかったと、ここでは、言っておきましょう。

 まあ、今日はずいぶんとわき道にそれました。
 主要なテーマは藤本夫人の2009年の測量です。しかし、すでに、日曜日の午前一時半です。寝ないといけません。で、この文章は、これで、おしまいとして、この続きは別の章で、書きます。誤変換を直したら、署名を入れます。

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