新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで

血液専門医・総合内科専門医の17年目医師が、日常生活や医療制度、趣味などに関して記載します。現在、コメント承認制です。

つれづれなるままに:ちょっと、今の思いを書いてみる

2011-03-21 16:52:48 | Weblog

もう一つ追加します。

 

最近、人と会うたびにいろいろ勉強させられます

最近行きつけの喫茶店・バーでは50~60歳代の方といろいろ話をするのですが、年齢の差、、経験の差で様々な話をうかがうことができ、非常に勉強になります

 

ここに集まってくるのは医療従事者以外の人が多く(様々な職業の方、電気屋さん、クリーニング、プロバスケットチームの選手などなどw 市の介護などを担当する職員の人もいますし、医療廃棄物を扱っている人などもいます。医療廃棄物が急に東京の○○病院で増えたのは~ことが起きているのではないか・・など、その方面の話が聞けて面白いです)、僕の周りではうかがうこともできない話が聞けてすごい楽しいです。週に1~2回は足を運びますね。

 

因みに(僕が行った日にたまたま初めて来た僕が外来で診ている)患者さんもよく来るようになりました(汗

 

本当に様々な方々からいろいろな話を聞けて幸せに感じることが多いです。いろいろな情報を与えてもらえるというのはうれしい話です

 

また、病院でもいろいろな人と会うわけです。主体は患者さんや医療従事者ですけど、後輩の研修医からも面白い情報を(直接教えてもらったというよりは、僕が学んでいるのでしょうけど)教えてもらっていますし、そういう考え方もあるかと思ったりします。

 

僕は基本的に教えたがり…というよりは、可能であれば僕の知識や技能を研修する全ての後輩医師に持て行ってほしいと思っています

それゆえ「医療」に関しては厳しく指導するわけですけど、可能であれば僕の7年間で学んだ知識の多くを数カ月で持って行ってくれればそれだけ優秀な医師が増えることになります

そして医療を楽しんでほしいと思います。基本的な責任・義務に関してはもちろんのこと、医療に関してそれらを全うしながら「楽しく」やること

 

それを学んでほしいと思っています。

 

ただ、これは僕が僕というキャラクターだからできることなのだろうとも思っています。

人はそれぞれ違いますし、学ぶ力も違います。

 

昔から書き続けている「アンフェタミン流」の「多重知能理論」では、全ての人は各々が学ぶ分野によって「学ぶ能力=才能」は違う。才能は傾きであり、Y軸は能力、X軸は時間であれば・・・分野によって得意不得意が出るのは当たり前。それは個性だと思います。

「アンフェタミン的多重知能理論:個人の考えですけどね」

日本の財産は人:時代の変化に合わせた教育改革を

 

そして僕は常に「才能の総量は一定」と思っているので、人を羨ましくも思わないし、自分が下だと思うこともないです。ここは僕が自分でも「幸福」に感じることが多い理由なのではないかと思っています。

人と比較しても「全体的な差はない」と思いますし、ならば得意な分野でいかに貢献するか、どれだけ人のために尽くせるか、苦手な人にならば教えることができるのならば教える。奪うよりは与える。それができると思っています。

まぁ・・・教えるのが得意な人もいるし、苦手な人もいます。学ぶに際して人から教えてもらう方がよい人もいれば、教えられるよりも自分で学ぶ方が得意な人もいます

僕もかなり偏っている人間ですので(僕はちなみに全て我流で学ぶタイプです。中学時代は塾を放校にされるし・・・)得意、不得意は多いのですが「医療」という分野は得意なんでしょうね。

ただ、その違いは個性だ・・・と思っているので、いろいろな人のいろいろな話を聞いて自分の関連しない分野でも楽しく聞くことができます。

http://blog.with2.net/link.php?602868

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なかのひと 

だらだらと実のないことを書いてしまいましたが、書きたくなったので適当な文章を書いてしまいました。乱筆乱文、ご容赦いただければと存じます。

 

では、また。

 

P.S 明日からまた頑張るぞ

コメント (2)
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補給路、輸送路の確立が一番重要か?

2011-03-21 16:07:39 | Weblog

こんにちは

 

今日は日中に部屋が寒かったので外出していました。節電もかねてエアコンなど(PCやテレビをつけているときは電気もつけず・・・。TVによっては明るい部屋でみないと駄目ですw)もきっているので・・・

まぁ、だんだん慣れてきましたし被災者の人たちよりは寒くはないでしょうから、いいのですけど。

 

被災地の医療状況に関しては・・・こちらでも混乱しているのだから、当然混乱の極みにあるだろうと思います。昨日も別の記事ですが、医療従事者が町を離れてという記事がありました

 

もともとがギリギリの状態だったのに、人が離れては立ち行かなくなるのは自明だと思います。

 

なんとかしないといけないとは思いますが、ある程度の重症患者を見れる病院はたぶんどこもいっぱいいっぱいで診ていると思います。どうにかして転院先を見つけて、そう言った患者を受け入れることができればとは思いますが、難しいですね。

 東日本大震災が各地の医療現場に深刻な影を落としている。宮城県内ではライフラインの停止や物資の供給難で、水や医薬品、食料が欠乏する中、病院内に患者があふれる。停電、断水の施設で多くの入院患者を抱え、窮地に立つ病院もある。福島県浜通りでは、東京電力福島第1原発(大熊町、双葉町)の事故で病院や福祉施設が「陸の孤島」と化し、人、物資ともに不足する。各地の現場で「限界が迫っている」との声が上がる。

◎宮城 水・医薬品・食料・燃料 物資欠乏危機的に

 石巻市の石巻赤十字病院は震災後、食料、水、医薬品が著しく不足した。16日までに40人近い赤ちゃんが生まれたが、断水で、もく浴も満足にできなかった。阿部雅昭企画調整課長は「健康に影響が出かねないが、水不足で体を清める程度しかできない」と話す。

 402床は被災者で埋まった。あふれた患者は、1階の受付前に設置された30床ほどの臨時病床で、治療を受けている。
 医療機関が集中する仙台市内でも、診察に支障が出ている。
 宮城野区の東北厚生年金病院は、断水や停電、変電設備の損傷のため、医療機器が使用できない状態が続く。約380人の入院患者の退院、転院を余儀なくされている

 エレベーターも使用不能で、病院内の移動にも影響が出ている。順次、患者を救急車に乗せて、電気、水道が通じている青葉区や山形県内などの医療機関に搬送した。

 予約のあった患者への投薬に対応しているが、医薬品の供給が不十分で、3日分しか処方できない。八島信男事務局長は「入院患者の食事も1日2食で、まきで調理している。早く病院機能を復旧させたい」と語る。
 津波被災地から離れた県南の内陸部も、一時孤立状態に陥った。

 柴田町の仙南中央病院は、老朽化した病棟の柱にひびが入るなど倒壊の危険が生じ、入院患者100人が近くの体育館で避難生活を送る。
 鈴木健院長は「体育館の暖房用の灯油や食料、ガソリンが不足し、震災後4日間ほど危機的な状況が続いた」という。19日も職員が、トイレ用の水をくむため、近くの川に通った。

 精神科専門の同院の入院患者は、精神疾患や重度の認知症を抱え、手厚いケアの必要な患者が少なくない。鈴木院長は「現在もガソリンスタンド周辺で渋滞が起き、物資調達や職員の出勤に支障が出ている。最低限の物流、搬送ルートを確保してほしい」と訴える。

◎多賀城・仙塩病院入院患者死亡12人に 停電・断水転院進まず

 多賀城市の仙塩総合病院は東日本大震災で津波の被害に遭い、一時孤立状態となった。現在も停電、断水が続く中、転院も思うように進まず、震災後、20日午前までに12人の入院患者が亡くなった。病院を運営する医療法人宝樹会の鈴木寛寿理事長は「寒い中で家族の面会も少なく、患者のストレスは大きい。亡くなった方々には気の毒なことをした」と苦悩する。

 津波で建物は1階部分まで浸水し、地下の電源や自家発電設備が使えなくなった。当時、病院には200人の入院患者がいたが、水が引いた12日午後まで外部との行き来ができなかった。
 病院の窮状が報道されてから仙台市や利府町の病院、介護老人保健施設などが患者の受け入れを開始。18日ごろから転院が本格化したが、現在も52人の患者が入院している。発電設備など施設の復旧は進んでおらず、患者をケアする上で不安定な状況が続く。

 市内全域で断水が続く中、医療に使える水が市から提供されたり、食料などの救援物資が届くようになったりしたが、暖を取る手段は湯たんぽや毛布などに限られる。

 鈴木理事長によると、震災後に亡くなったのはいずれも80代以上の重篤患者で、停電が続く院内の寒さや震災のショックなどが死期を早めた可能性もあるという。

 病院は来春、利府町に一部機能を移転する予定だった。鈴木理事長は「もっと早く移転できていれば」と悔やむ一方、「転院させたくても家族と連絡が取れない患者もいる。そういう方は引き続き病院でケアするしかない」と厳しい表情で語った。

◎福島 人手不足、看護綱渡り 

 福島第1原発から30キロ圏内の屋内退避地域に含まれる南相馬市原町区の「大町病院」には、19日朝まで約150人の患者がいた。医師5人、医療スタッフ十数人で対応してきたが、人員不足によって限界になり、19日と20日、前橋市などに患者79人を搬送した

 病院付近にはヘリコプターの発着地がなく、搬送には救急車を使う。
 県内では、原発事故を受け、避難する人が増えている。事務職の男性は「看護師はへとへと。いま一番必要なのは交代スタッフだ」と語る。
 原発の南、いわき市では物資難に陥っている。同市で屋内退避地域(原発から20~30キロ)に入るのは北部のごく一部だが「いわき市は危ない」との噂が立ち、物資が調達しにくいという。

 松村総合病院は、津波で調理室が使えなくなった系列病院にも食事を提供する。医療スタッフの分までおにぎりが回らず、カップラーメンを分け合って食べている。阿部真弓事務局長は「行政には、患者とともに医療スタッフへの支援もお願いしたい」と言う。

 いわき市立総合磐城共立病院は、ガソリン不足で通勤できないスタッフが日に日に増え、働いているのは全体の半分の約350人だけになった。うち100人は自宅に帰れず泊まり込んでいる
 退院や転院で入院患者を半分以下の約260人に減らし、外来は重症者に限定して負担を軽減している。上遠野裕美総務課長は「いる人で何とか踏ん張っているが、今がぎりぎりだ」と訴える。

 南相馬市原町区の特別養護老人ホーム「福寿園」も、食料不足で危機に陥っていた。横浜市の医療法人社団「愛優会」が窮状を知り、受け入れを申し出たため、入所者約220人と職員ら約40人が20日までに横浜市に避難した。

 「1日2食でしのぎ、20日にも食料がなくなる状況だった。ぎりぎりで避難できた」と福寿園の男性職員(34)。愛優会の担当者は「厳しい状況を知り、横浜市や神奈川県に相談したが動いてくれなかった。居ても立ってもいられず、独自の判断で迎えに行った」と話した
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どのようにすればこの問題が解決するのか。あまりにも大きな問題ではありますが、戦う(表現の問題はありますが・・・)ためには補給路が確立していないといけないのは確かな話であり、そこの確立がまず第一なのだろうと思います。
人や物の移動がスムーズであれば、そういった問題も対処可能になるのですから。
ただ、それを確立させるのが難しいのですよね。
人も多いほうがよいのでしょうけど、食糧や物資が足りなければ結局のところ派遣するよりも後送した方がよいような気がします。そのためにも輸送路・補給路の確立が一番ですね。
後送するのであれば国もそういう手はず(後送先と輸送経路)を整えないと・・・
いろいろ考えさせられますね。
それでは、また。
コメント
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