AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

細絡刺絡の臨床的意義

2022-12-11 | 古典概念の現代的解釈

1.細絡の病態生理
  
   

上の図は「せきや針灸院」HPに載っていたものだが、細絡について明快に示されており感心したものである。動脈→小動脈→毛細血管→小静脈→静脈と血液が巡行する際、毛細血管を流れる血流量が増えたり、毛細血管が狭くなっている部はあると毛細血管のバイパスが形成される。その血流量は一定以上に増加すると視認できるまで太くなる。細絡は局所静脈圧の上昇を意味するので、痛みを誘発する。この状況で、細絡刺絡をすれば静脈圧が減少し、治癒機転が働く。

 

2.バトソン Batson静脈叢(傍脊椎静脈叢)
 
細絡があれば刺絡することを考えるのだが、症状部に細絡があるとは限らない。たとえば井穴刺絡は、指先に症状があるわけでなく、四肢の血行を改善することがある。これはグロムス機構を考えることで理解できる。しかし腰痛に対する委中刺絡は、昔から知られている定番治療であるが、その治効理論は説明できていない。

しかしバトソン静脈叢を考えることで説明できるとする見解がある。(上馬場和夫「コロナを乗り越える温故知新の智恵」第12会医鍼薬地域連携研究会⑨ 2020.5.4)
バトソン静脈叢とは、椎体の周囲および脊柱管内に存在する傍脊椎静脈叢ネットワークのことで、これらは、体幹や四肢にある多くの静脈と交流している。弁構造を持たないので静脈血を貯留し、血流は遅く鬱滞しやすい。その流れる方向は腹腔や胸腔内圧の変化により変化する。

臓器組織が慢性炎症や線維化などで静脈がうっ血すると、バトソン静脈叢の当該レベルもうっ血が強くなり、皮静脈の鬱血(=細絡)として出現するという。当該レベルの背部から、細絡刺絡あるいは皮膚刺絡をすると、うっ血した臓器の静脈圧も軽減し、末梢循環が促進され、臓器の機能も改善するという機序が働くとされる。腰痛時の上仙穴 細絡からの刺絡、それに腰痛時の委中からの刺絡はバトソン静脈叢に作用したという仮説が生まれる。

 

現代医療でのバトソン静脈叢に対する注目理由は、癌の血行性転移に関与していると考えられている点にある。この静脈叢を介すると、静脈系のフィルターとなる肝や肺を通らずに直接骨組織に到達する。とくに骨盤内蔵器から、最近感染や悪性腫瘍の椎体への転移の経路となるからである。


石川日出鶴丸著 「滑伯仁ノ『十四経絡発揮』ノ現ハレルマデ」の要点 ver.1.7

2022-05-17 | 古典概念の現代的解釈

本書は石川日出鶴丸が、針灸を専門とする医学者でない、わが国の一般の医学者に対して、針灸医学の大要を説明するためにまとめられた。本著作は、日本皮電学会発行ということで現在絶版であり、またカタカナ表記であることもあって、読んだことのある者は少ないと思われる。内容は基本的であるが、そうだったのかと感心させられる内容が所々に見受けられた。本稿ではそうした内容を紹介する。

 

石川日出鶴丸 原著 倉島宗二 校訂 昭和51年5月1日 日本針灸皮電学会刊

1.米占領軍の針灸按等医療類似行為禁止令に抵抗した石川日出鶴丸
 
石川日出鶴丸(1878-1947)は、東京帝大医学部を卒業後に京都帝大で教授となり、生理学教室を主催し、そこで求心性自律神経二重支配法則を発見して注目を浴びた。また東洋の伝統医学である針灸についても深い関心を示し、その治効原理と經絡経穴の本態の解明に着手した。その研究は、京都帝大から三重医専校長に移ってからも引き続き展開され、針灸の臨床面まで手を拡げた。昭和18年には鍼灸臨床の研究グループ龍胆会を主催した。龍胆会会員は、主座:石川日出鶴丸、幹事:藤井秀二、郡山七二、清水千里、代田文誌ほか11名という蒼々たるメンバーだった。

 
昭和22年、米占領軍は、日本の医療制度審議会に対し、針灸按等医療類似行為の禁止令が伝えられたが、その一方で米占領軍当局代表者のアイズマンは、著明な針灸研究者として石川教授を選び、針灸の学理的根拠の有無に関して十二項目にわたって質問し、さらに臨床実験を臨検して興味をいだくようになり、代表者アイズマン自らも針治療を受けて満足した。その結果、米占領軍の針灸禁止命令は、再教育の実施という条件つきで解除された。ご子息の石川太刀雄は、御尊父の研究をさらに発展させ「内臓体壁反射」を発見した。

 

2.中国伝統医学の欠点
 
中国伝統医学の考え方を徹底的に学理的に考察すると信用できないものとなる。いろいろとこじつけることもできようが、それは屁理屈にすぎない。実に狭い経験から組み立てた理論をもって、それが妥当性を有するや否やを実験的に吟味しないで無理に一般的に適用しようと試み、理論の権力をもって強制的に押しつけてしまったので、はなはだしい誤解に陥っている。


かくして事実を誤るだけでなく、正常な学問の発達を妨げたことは、その罪のまことに大いなるものがあるが、これに類似することは西洋の医学史の中にも現れている。それゆえに西洋医学はある見方をすると、医学者ではなく理髪者や屠獣者の中から起こったと解されないでもない。

しかし彼らが医学をどうすることもできなかったと同様に、古代中国医学は決して排斥すべきものでなく、之を正しい道に導くように改造せねばならない。それを正しく改造するように読み直すことが、私は中国の医書を読むコツだと考えている。

 

3.陰陽における太陽、厥陰の意味合い 

陰陽にはそれぞれ三段階がある。陽は太陽・少陽・陽明に区分できるが、陽明とは太陽と少陽を合わせた状態であって、陽の全発する姿であるとする。


陰には太陰・少陰・厥陰があるが、ダニエル・キーオン著<閃く經絡>によると、「厥」は側面が開けた山があって、山陰に隠れた太陽が山際から出てくるこさまを示しているという。鈴木達彦らの研究によれば、体内における陰陽の不均衡状態で、外界から導入されるべき気が体内深部に停滞して尽きいる状態で、行き場を失った気は身体の上部や表層に出て発作を起こした状態と考えられている。(鈴木達彦他「厥の原義とその病理観」日本医史学雑誌、第58巻1号、2012)


厥陰とは陰気の最も甚だしい太陰と少陰の合わせた状態で、陰が尽きる状態であるかのようだが、支那の語で「尽きる」とは尽滅根絶の意味ではない。たとえば易に「碩果(せきか)不食」(大いなる樹果ありて食らわず)という言葉がある。手の届くところにある枝に実っている果実は食べられてしまうが、高い枝の先端の実は最後まで食べられずに残っている。この実はやがて地面に落ちるが、やがてその種から発芽して、再びつながって発展していくとしている。

註釈:地球からみて全く太陽光の反射がない月のことを新月とよぶが、中国語でも同じく新月という。上記内容を筆者(私)は次のように図で表現してみた。

 

この内容を、次のような螺旋で表現で示すこともできる。ここでは対数螺旋を使ってみることにした。対数螺旋は自然界にも多く見られる螺旋である。たとえば獲物を捕るための鷹の運動パターン(獲物を一定の角度で見続ける)、水の渦巻、巻き貝など。以下の図は、鈴木学氏の助言を受けて完成させた。

 

※六経弁証による山陰三陽の順番

六経弁証とは、おもに寒冷性の外邪により、疾病が発生するときに用いられ、病が身体のどの深さにあるのかの分類である。病の重さにより陽から陰へと一方向に移行するもので。これによれば、陽明は太陽・少陽よりも陽性が少なく、厥陰は太陰・少陰よりも陰性が多いと解釈している。このような陰陽の基本的概念にも中国医学には統一性がなく、疾患のタイプに応じてどの弁証理論を使うか選択しなくてはならない。

 

4.心包の相火とは 

心を君火とすれば、心包は相火(しょうか)である。相火とは宰相の「相」のことである。元来、宰相とは中国の王朝において皇帝や王を補佐する最高位の官吏を指したのが始まりで、内大臣に相当した地位だった。宰相は戦後に首相という名前に変わった。すなわち相の中の代表が首相という意味である。
「相」のの語源は「木+目」で、「木の種類や樹齢を丁寧に目で観察する」ことからきていいて、それが「人を見る」という意味に変わった。いわゆる人相であって、顔の美醜や好き嫌いではなく、「人間として持って生まれた性格、その後の育ち方、自分の律し方、多くの人を正しく指導できる本質」を見ることをいう。

 

5.心の役割 

心が憂えると心包の相火が宣(よろこ)ばない。心が喜ぶと相火が甚大となる。心は喜憂などの心情の宿るところで、今日の「こころ」と同じ意味である。ただし心は君主のように、じっとしているものなので、心情の変動は心包の働きによっている。ゆえに「心包は臣使の官なり喜楽出づ」と唱えられている。
 
筆者註釈:理性をつかさどるのは脳であって、心ではない。心拍数を変化させる情動こそ心の機能である。なお脳を起点として体幹四肢に至る流れを、nerveといい、解体新書では神経と訳出した。神とは意識のことである。

 

 

6.三焦は「決瀆の官、水道これより出ず」とは

「瀆」には、①水路を通す溝(=用水路)と、②けがすという意味(冒瀆といった表現)の2つの意味がある。これは用水路に、どぶの水を流すことで、汚くするという着想から成り立っている。「決」は、堤防が決壊するという場合の決で疏通するという意味。すなわち 決瀆とは、用水路の水を流すという意味で、それは三焦の役割だとしている。
 
三焦とは体温を一定内に保持する役割があり、体温維持との環境下で初めて他の臓腑の生理的機能が営まれる。上焦は霧のように、中焦は瀝(したたたり)のように、下焦は瀆(≒排水路)のごときという表現がある。

 
筆者註釈:この意味するところは、蒸し器内部を想い浮かべるとよい。上焦である蒸し器上部は、熱い水蒸気に満たされていて、下焦である蒸し器下部には熱湯がある。中焦部にすだれを置き、そこに食物を置けば、蒸されて軟らかくなる。蒸し器で温めるということは、食物の成分が下に滴りおちるので底の湯も汚れていくる。この液体としての水が水蒸気となり、冷やされて再び水に戻るという循環を「水道」とよぶ。水道には水を尿として排泄するという意味もある。

経穴の一つで前腕背面ほぼ中央に四瀆穴がある。四瀆とは、中国に水源を発して直接海に注ぐ四つの大河をいう。すなわち長江、黄河、淮(わい)水、済水のことである。なお中国で単に「河」といえば、黄河のことを称した。水源を発して直接海に注ぐ川(《爾雅》釈水)を指す。四瀆は三焦経にあり、三焦経は水を処理する作用があるとされることから、この名がつけられた。



 

5.白い生命・赤い生命

中国医学によれば、陰陽の気が凝ってできたものが気または血で、気は空気や水蒸気のようにガス状であり、血はこれを凝縮して液体となったものであると定義している。
中国医学でいう血とは、動脈血・静脈血のほかにリンパ液その他の体液をも含めていうのであろう。我々が吸う空気や吐き出す空気や水蒸気も気である。呼気とともに水蒸気が吐き出されて冬季などでは白い霧となるのを見て、中国民族は白い生命と名付けていた。同様に彼らは動脈血や静脈血を見て、赤い生命と名付けていた。血液が全部体外に流出して体内に血液が乏しくなると死亡してしまう。同様に白い生命がでなくなって呼吸運動が止まると死んでしまう。

 
筆者註:現代おける死の三徴候とは、心臓拍動停止、呼吸停止、および脳機能の不可逆的停止を示す瞳孔の対光反射の消失をもって3徴候死としている。(脳死はこの限りではない)

 

 

6.動脈と静脈

 
当時も血管には静脈と動脈の区別があった。ただし現代の意味とは異なり、脈搏を触知できるものを動脈、触知できないものを静脈とよんだ。当時、動脈を流れ出た血液は、砂原に水を注ぐように動脈から身体組織の中に浸みこむと考えたので、心臓へと環流する血液の流れがあることを知らなかった。

栄血衛気(気は衛し血は栄す)とは陰に属する「血」は中を栄(=栄養)して経絡中を運営する。つまり十二経脈の循環路を正しく順に一回りする。陽に属する「気」は外を衛(まも)ることでつまりは皮膚に充つる。衛気は経脈の外を行くもので、しかも昼は陽経を流れ、夜は陰経を流れるという。

 

筆者註:江戸時代後期の医師、石坂宗哲は、解体新書などで西洋の解剖学に初めて触れて自分達が教わった内容と非常に異なることに驚き、気血營衞の「営」が流れているのを動脈、「衛」が流れているのを静脈だという玉虫色の説を考えた。これは西洋医学の理論は、名前は異なっているが、基本的な考えは、わが『内経』の医の道の考え方と大きく異なるわけではないと考えたため。けれどもこれは間もなく否定され、西洋解剖学の方が正しいことに落ち着いたのだった。

 

7.横隔膜の意義

内臓は胸腔臓器と腹腔臓器に分けられるが、その境界を「隔膜」と称した。隔膜は、腹腔の汚れたものが、心・心包・肺の臓まで犯さぬよう遮断する働きがあると考えた。呼吸運動の関係あることは古代中国医学ではあずかり知らぬ知らぬことだた。

 

 

8.十四経発揮が現れる以前の中国医学の歴史

元来、中国では鍼治・灸治・煎薬(=湯液)服用の三種類の治療法があった。ただし素問霊枢の時代では、服餌(服薬+食餌)療法はさほど行われておらず、鍼術のみが盛んに行われていた。治療法中、服餌法は1~2割、灸法は3~4割、残りが鍼治療だった。『内経』は医学理論の基本であり、学説は経脈学が中心だったので、鍼術が医術の根本だったのだ。 湯液が盛んには行われなかった理由だが、その頃は薬物の発見が少なかったので、本草学が進歩しなかったのだろうと思っている。当時の鍼術は、現代の鍼術にとどまらず、外科手術をも含めた内容であって、鍼といえば外科の手術道具の総称だった。
 
現在に伝わる古代九針である鑱(さん)・員・鍉・鋒(ほう)・鈹・員利・豪・長・大の各鍼の中で、前五者が外科刀である。後の四者はいずれも鍼であると記述されているが、これは誤りあって、次のよう修正したいところである。

現在に伝わる古代九針は用途別に次の3種に大別できる。
①皮膚を切開するために破る鍼→鋒鍼・鈹鍼・鑱鍼。これは今日の外科刀に相当。
②鑱(さん)鍼・員鍼 →擦る・押すなど刺さない鍼。
③員利鍼・豪鍼・長鍼・大鍼→今日でいう鍼術に用いる鍼。刺入する用途。


しかるに後世になるほど内科的な医学が進歩してきた。非常に多くの薬品や薬物が発見され、湯液療法が大進歩を遂げた。そのため経絡学によらない療法も続々と現れてきた。当時の鍼術(外科手術を含めて)は危険だったが、湯液療法は鍼術ほどの危険はなかったため、經絡学中心の中国医学は動揺し、時代とともに行き詰まりを生じるようになった。

 

医学書は、時代を下るほど沢山出されるようになた。出版されるようになった。中には『内経』を基礎としないものも現れ、『内経』を基礎とする内容とともに混然として、ただ実際の療法のみを並べ立て、知識を雑然と記すだけになった。無論、立派な本も発行されたのだが、医学が発達するほどに議論が乱雑になり一貫したものがなくなった。

これを整理するための方法として、第一の方法としては雑然とした知識の中から誤ったものを取り除いて、正しい確かな知識だけを選び取り、新しい学理でまとめ上げることであるが、不幸なことに系統的に整列を行って中国医学をまとめ上げようとする者は中国に現れなかった。


第二の方法としては、その頃行われた医学の理論を一つにまとめ上げることだった。この流れから旧来の經絡学的主知主義によって新たなまとめ方をしようという運動が処々に起こりかけた。つまりできるだけ内経の理論に拠ろうと志した。これによって十四経絡の学問がまとまったのだが、それでもまだ充分といえないものがあった。

そこで元の時代の至正元年(西暦1341年)、滑伯仁はこれらの書物とくに素問(骨空論)・霊枢(経脈篇本輸篇)・甲乙経・金蘭循経により經絡兪募穴の詳しい説明を施した。
兪募穴でいう兪とは輸の意味で気血の輸入輸出する中心点とい。募は集まるという意味で気血の集まる意味で、これは任脈を始め胸腹部の陰経において臓腑に当たる経穴をいう。

 

この滑伯仁の著書を『十四経発揮』という。これは手の三陰三陽と足の三陰三陽の十二経と、奇経八脈中の督任両脈を加えて十四経になる。十四経が、とくに発起・揮発させるのが目的だから発揮との名称になった。本書は良書として四方の歓迎を受けることとなり、後世人にまで愛読されることとなった。私は雑然たる医学を纏めるために在来の学説の膠着した滑伯仁の努力を否定するものではないが、前述した第一の方法を選ぶべきだと思う。 滑氏の態度では、学説の進歩というものがまったくないからだ。


筆者註:『黄帝内経』が原点となり、時代を経て新たな知識が加わってその改修版が多数現れ、逆に何が正しいか混乱状態となった。そこで改めて原点に立ち返って、『黄帝内経』の理論に戻って共通理解を得たということだろう。『十四経発揮』は、現代では古典鍼灸入門の定番だが、種々の力関係のせめぎ合いを良しとせず、基本的合意部分を整理した内容ということだ。十二正經に奇経であるはずの任脈・督脈を加えたことで基準線を得ることとなり、経穴を学習しやすくなったとはいえよう。

主知主義とは、人間の精神を知性理性・意志・感情に三分割する見方で、知性理性の働きを 意志や感情よりも重視する立場のことである。本稿では、観察や実験的手法によらず、頭の中だけで組み立てられた思想といった意味合いで用いられていると思う。

 

 

 

 

 

 


古代九鍼の知識 ver.1.4

2022-05-10 | 古典概念の現代的解釈

これまで古代九鍼についてはあまり関心がなかったが、勉強し直してみると結構興味深いものがあった。古代九鍼のうち刀をもつタイプは、西洋医学のメスなどに改良進化したが、切ることは医行為とされているので、今日の鍼灸師は毫鍼以外は使う機会がなくなった。擦ったり押圧したりするタイプ(鑱鍼・圓鍼・鍉針)は、現代医学では興味対象外らしいが、針灸師の創意工夫により、今日には小児鍼として使われるに至った。

現在、古代九鍼について知るには柳谷素霊著「図説鍼灸実技」があり、近年では石原克己氏代表の「東京九鍼実技研究会」の活動がある。なお同会の著書として緑書房刊「ビジュアルでわかる九鍼実技解説」がある。それ以外にほとんど知識は得られない。まあ国家試験の出題範囲なので、ある程度の学習は必須となっている。

はり師きゅう師の国家試験の要点プリントは、次のように整理している。誰が考えついたのか、語呂が実に巧みである。
①破る鍼:鈹鍼(ひしん)、鋒鍼(ほうしん)、鑱鍼(ざんしん) 語呂「秘(鈹)宝(鋒)山(鑱)を踏破(破)」
 ※鑱鍼には刺さないタイプもあり、これが今日の小児鍼の原型。
②刺入する鍼:毫鍼、圓利鍼、長鍼、大鍼  語呂「強(毫)引(圓)に刺入してちょう(長)だい(大)」
③刺入しない鍼:鍉鍼、圓鍼  語呂「庭(鍉)園(圓)に侵入せず」

 

1.古代九鍼の形状と用途

1)鑱鍼(ざんしん)


 

①形状
「鑱」とは先が細く尖っているという意味で、ノミのこと。確かに上右図写真「古今医統」に載っている形は、長さ1.6寸で矢尻のような形をしており、押しつけて内出血を出すのに適している。 

しかしながら「類経図翼」で示されているのは左図の方で、今日鑱針といえばこちらの方を指していることが多い。洋裁に用いる筋立てヘラのような平らな金属片で鋭利な尖端部分を皮膚に押しつけるようにして刺激する。これは今日の小児針の原型といえる。下の写真もヘラ様の形の鑱針で、意外に大きいものであることが理解できる。



②用途

もともとは外科的用法として、打ち傷での内出血を出す際に使われた。この用途としては鋭利な尖端部分を軽く迅速に連続的に皮膚に押しつけたり血絡上に打ち付けたりして皮膚を切開する。皮膚病や浮腫状態の治療に用いた。

補法としての使い方が、現代小児鍼の原型になり、皮膚を摩擦したりする。


補法:虚弱体質、小児消化不良。小児神経衰弱、異 嗜症、青便、遺尿症、発育不良、不眠等。

瀉法:夜泣き、夜驚症、神経異常興奮、赤眼、上衝、頭痛、歯痛、肩癖、炎症、鬱血、充血、神経痛等

 

2)圓鍼(円鍼)

①形状
「円」はもとは「圓」と表記し、どちらも”えん”と発音する。圓は「口」+「員」からなる。員そのものも口の丸い鼎(古代の三つ脚の青銅器)の意味だが、とくに丸いとの意味を示すため、圓と表記することにした。圓は丸いという意味で使用頻度の高い漢字だったので、もっと簡単に表記したいという要望から口(くにがまえ)の中に|(たてぼう)を書くことにした。しかしこれでは類似の漢字と区別しづらくなり、「円」に変化したという。なお円の対義語は「方」で四角いものをいう。卑近な例としては「前方後円墳」などがある。長さ1.6寸。尖端は卵型。

※圓鍼(上写真)のことを員利針と誤って表記して販売する業者がいるので注意。   

②用途 

分肉(皮下組織と表層筋との間。皮下組織を白肉、筋肉を赤肉と区別した際のその中間層)を按じたり擦ったりする。現代のマッサージとしての用途。現在あまり用いられないが、經絡治療家は使う。補的に使うには、鍼体や鍼柄頭を使う。
瀉的には擬宝珠(「ぎぼし」手すりや欄干部につけたネギの花の形をした伝統的装飾)の尖端で、こすりったり触れたりして刺激を与える。

 


3)鍉鍼



①形状
「鍉」は「金」+「是」の合成で、是とはまっすぐの意。すなわち、まっすぐな金属棒のこと。長さ3.5寸。尖端は直径1.5㎜の球形。分肉を按ずる。

写真右は、柄の中にバネが入っており、押圧で針先が後退する。
②用途
今日の銀粒のような使い方をする。經絡治療家の中には、經絡を鍉鍼で押さえて補瀉手技を行う者がいる。

 

 4)鋒鍼(三稜鍼)

①形状
「鋒」とは、△に尖った矛(ほこ)のこと。転じて三角形の切断面をもつ刺絡鍼を意味する。矛は刺すと斬るの両法を目的とした武器で今日では「矛盾」の故事として広く知られている。矛がやがて槍(やり)や長刀(なぎなた)に分化した。長さ1.6寸。

②用途
江戸時代頃まで、鍼医は、現代のような毫鍼での刺針よりも、鋒鍼で皮膚にできた腫物をの切開排膿するのを主な仕事としていたらしい。熱を帯びた腫れ物の場合、熱を瀉し、血を出し、癰(「よう」はれもの)熱を主どり、經絡痼(「こ」長病や持病)痺を治するに用いたという。水腫の水を抜くのにも用いた。

近世まで、一般西洋医師においても瀉血鍼として使わていた。


中国や朝鮮では、熱症ことに小児の原因不明な熱症に対して爪端穴および十井穴に取穴した。邪気発散泄瀉を目標に刺して著効することがしばしばある。

瀉法をするには經絡の迎隨を考え迎にして鋒鍼の身体を刺手につまみ迎源跳鍼する。

乳幼児の瘀血を刺絡するのに用いた鋒鍼が起源だと考えられている。江戸時代の小児科針医で小児針をやっている処は限られていた。もともとは乳幼児に対し、磁器の破片を用いて細絡から刺絡するような強刺激が普通に行われていた。しかし1912 年に施行した法律で、鋒鍼のような刃物による刺絡が禁止されたことや、藤井秀二(医師)の実家が今日行われているような軽刺激の小児針をやっていたことが発表されたことなどで、江戸中期には現在普及している小児按摩のような鍼法に変化し、大阪を中心に鍼灸家に広く普及するに至った。  

 

5)鈹鍼

①形状
長さ2.5寸。刀型の刺絡鍼ないしやり型の鍼。

②用途
膿を出す用途。ねぶとや膿瘍の切開に用いる。刺すのではなく、切る目的。今日の外科刀に相当。鋒鍼に比べ、多量の膿を出す必要がある場合に使用された。

 

 6)員利鍼(円利鍼)

 



①形状
1.6寸長。鋭くて丸い鍼、尖端の直径がやや厚くなっている。「員」の意味は上記の員鍼の項目を参照。「利」は「禾」+「刀」の合成したもので、稲束を鋭い刀でサッと切る意味がある。即ち「利」とは、すらりと刃が通って鋭いさまのこと。
時代とともに員利鍼の形状は二つあって、
徳川時代以降の鍼柄は珠(球状)であって鍼体の中身部がやや太めになり、鍼尖が鋭利に磨かれている。毫鍼と比べ、鍼柄と鍼体が太い。 

②用途
昔は暴気に対して用いられるとされ、別の文献では痺症に対して用いられるともされる。痛みが激しいときにリウマチ様症状に用いる。脳血管障害による片麻痺、言語障害、気滞血瘀などにも用いられた。要するに緊急時の激しい症状に適応があった。

 

7)毫鍼:毛のように細い鍼。現在の鍼治療で用いられている鍼。(詳細省略)

 

8)長鍼



①形状

「とじ針」のように長い鍼。とじ針とは、編み物用の先の丸い針のことで、縫い始めや縫い終わりの際、毛糸を布片の中にしまい込むために用いられる。普通は長さ2寸~3寸くらいの鍼を使うことが多いが、時には5寸7寸9寸あるいは1尺の鍼を刺すこともある。一般に4寸位から長鍼とみて差し支えない。

 ②用途
筋肉や間質組織に深く刺す、あるいは結合組中を水平に刺す。 坂井梅軒(=豊作)の横刺で刺す時は、押手の母指示指で皮下組織をつまみ、その持ち上がった中を鍼が進む。

肩井部の僧帽筋をつまんで背面から前面へと透刺する。五十肩時、肩髃から刺入して肩峰下をくぐらせる。上腕外側痛時は肩髃から曲池方向に刺入、大腿外側痛時は、風市から陽陵泉方向に水平刺し、下腿外側痛時は陽陵泉から懸鐘方向に水平刺する。

 

9)大鍼

①形状

太鍼ともいう。長さ4寸、太さは20~100番と太いのが特徴。多くは銀製。日本では鉄鍼が多い。

②用途

母指や示指の爪でグッと押さえ爪の晋第により鍼が盛り上がるように刺入する。夢分流打鍼法のように、小槌で叩打して切皮する方法もある。数呼吸後に抜針。関節に近い浮腫組織に用いる。

③火鍼としての使用

馬啣鉄(馬の口にくわえさせて手綱をつける金具。耐熱性がある)を使って製造したものを使う。不導体で鍼柄を包み、真紅になるほどゴマ灯油の中で焼く。その直後に一気に刺入する。熱いので押手は使えない。

わが国においてはもっぱら腫瘍潰瘍に用いる。排膿目的(膿をもっている部の皮膚は痛みをに鈍感になっているので火鍼ができる)。灸頭鍼も火鍼に類する。

現在の#30程度のステンレス製中国鍼を火鍼用として使ってみると、1~2回の使用で脆く使えなくなってしまう。火鍼にはタングステン・マンガンの合金の鍼が適しているといことである。タングステンは電球のフィラメント(赤く光って発熱する部分)に使われていることもあり耐熱性がある。

 

2.当時の九鍼使用時の医療感染問題

現代ではほぼ毫鍼、長鍼、大鍼3種の形式の鍼だけが残り、今日でも使われている。他の鍼は、やや洗練さた形とはいえない。
鋒鍼・鈹鍼・鑱鍼は今日の皮下注射程度ないしそれよりも太い。この鍼の太さにも関係するが、鍼治療の初期の時代、医療感染の問題に言及されねばならない。感染症が起きたことを疑わせる状況であっても、当時は間違った鍼を刺したとか、正しくない場所に刺したとか、間違った診察の結果にそうなったとかのせいにされている。(ニーダム著「中国のランセット」)

 


道教での人体の捉え方と経穴名

2021-04-21 | 古典概念の現代的解釈

人体を小宇宙とみなした道教の教えは、宇宙同様に人間内部にも無数の神が存在すると考えた。信ずれば救われるという大乗思想とは異なり、自らの修行(=道士)により、「神」を増大させて不死を得ようとする小乗思想が道教である。この修行は大変厳しいものだったので、楽に「神」を手に入れるかの方法も考案された。それが霊薬(丹薬=硫化水銀)を服用することだったが、結局霊薬中毒者が多発する悲劇を招いた。

※丹薬については、以下の私のブログ参照のこと。
2020.3.7「道教によって影響を受けた古代中国の生命観 ver1.7」

 

道教は不死の思想であるため、人間の身体のしくみについても記している。その中には鍼灸で使われる、馴染のあるツボの名前が多数出てきて思わずニンマリとしてしまうが、そのツボ名の考え方は道教特有のものなので、残念ながら鍼灸臨床に応用できないし、当時の医学的生理を理解する上でも、あまり役立たない。なぜならそのツボ名は、人体内の特定部位に住む神の名前をさしているからである。ただし道教での宇宙観た人間観を俯瞰するには興味深いものといえよう。道教の中で、これらのツボがどのように記されているかを見ていく。


1.人体内部にある神々のなかでも、もっとも重要なのが、生命の中枢である三つの丹田である。第一の丹田は脳(泥丸宮)、第二は心(絳宮)、第三は臍下(下丹田)で、それぞれ脳・胸・腹の司令部に相当する。三つの丹田の入口を明堂とよび、それぞれ眉間・気管・脾臓だとしている。

(註釈)泥沼宮とは、脳深部にある松果体をさす。かつて松果体は額中央表層にあり、第三の目として第六感的なような役割を果たしたとされている。脳味噌を泥沼と呼んだのは、脳は昔の中国人はドロドロになった臓物という認識だったからであろう。
明堂とは、中国周代、天子が諸侯を会して、政治を行なった殿堂の名称。神庭穴(額髪際の上1寸入ったところ)は明堂の別称。明堂は朝廷とも称するが、これは天子が早朝から仕事を開始したことに由来する。

 

※松果体については以下の私のブログ参照のこと。
2020.11.21 「睡眠のトレビアver1.1」

※漫画家「手塚治虫」は三つ目族の子孫で中学二年の写楽保介を主人公とする<三つ目がとおる>を描いた。普段は額におおきなバンソウコウを貼っている少年だが、バンソウコウをはがすと、その下から第三の目が現れ、恐ろしい超能力を発揮する。
ある時、写楽は修学旅行で明日香村を訪れた。仲間と散々悪ふざけをしたので、寺の和尚にバンソウコウを剥がされてしまった。すると超能力を発揮し、寺の二面石を割り、中に刻まれた秘薬の調合法を知った。写楽は明日香村の遺跡「酒船石」に刻まれた溝を利用して、秘薬の薬を調合しようとした。 (『三つ目がとおる』「酒船石奇談」より)

この酒船石は、円形の凹所に液体を溜め、細い溝に流したらしい。酒の醸造に使用されたという説から、とりあえず「酒船石」と呼ばれているが、本当は何の用途につくられたのか定説がない。

絳宮(こうきゅう)の絳とは、紅の類義語で深紅の色をさす。心臓が血を動かす重要臓腑だということ。

 

2.道教では、呼吸は単に気が肺に出入りするものだけとは考えていない。
吸気:鼻→心肺→脾→肝腎
呼気:肝腎→脾→心肺→口
息を吸う時、空気は肝・腎より下に気が下りることはない。これは気の関所である関元で止めるからである。ところが道士は気を気管に通すのではなく、消化器官に飲み込むので、関元;關元より下に気を導くことができる。この部が臍下3寸の気の海、「気海」である。道教にみる経穴名
(註釈)
現行経穴学では、気海穴は、臍から恥骨までの長さを5等分し、臍から1.5寸下方に取穴する。
呼吸には胸式と腹式があるが、気をなるべく下方まで導くことを考えると腹式呼吸の方が望ましい。呼吸時の腹の上下振幅における下端位置が気海ということだろう。
なお、膀胱経二行線上の膏肓で、膏の源は鳩尾に出て、肓の源は気海に出るとされるが、これは腹式呼吸時の上下振幅の両端をさしているように思う。

空気を飲み込むと胃がふくれるが腸までふくらすことが難しい。すぐれた道士は吸気で上腹だけでなく下腹までふくらすことができた。


3.息を吸うと気は腎にある精と交わって神になるが、息を吐くと同時に神は消失していまう一時的な存在である。神を維持するには、長時間息を止めておくべきである。道士らは、息を止めておく練習を重ねた。息を長時間止める効果は、気海の神を増大させるだけでなく、気は脊髄を通って上丹田である脳に上行し、次い胸の中丹田を通って口から呼気として出せるようになる。このような新たなルートを開発することで、三丹田の神を増大させる。


4.これら丹田は神に属するのに対し、霊魂は低い地位におかれる存在である。なぜなら死ねば消滅してしまうからである。霊魂は魂と魄に分けられ、魂は肝で、魄は肺で養われる(なお精は腎に、神は心に養われる)。なお魄門とは肛門をさしている。上の気の出入り口を口鼻とすれば、下はの気の放屁としての出入り口は肛門になる。
(註釈)
魂魄という単語ですぐに連想されるのが、背部膀胱經二行にある魂門(Th9棘突起下外方1.5に肝兪をとり、その外方1.5寸)と魄戸(Th3棘突起下外方1.5寸に肺兪をとり、その外方15寸)なので、これは道教思想と一致している。背部膀胱經一行ラインには臓腑名のついた兪穴が並んでいるが、背部膀胱經二行ラインは臓腑によって養われる霊と関係しているようだ。たとえば脾兪外方1.5寸に意舎、腎兪外方1.5寸に志室、心兪1.5寸に  神堂なども同じである。

参考:
アンリ・マスペロ著「道教」東洋文庫、平凡社、昭和53年刊
吉本昭治:経穴、経穴名、任脈、督兪等の考察(7)、医道の日本、昭和58年3月号 


五兪穴のイメージ(ニーダムの見解を中心に)ver.1.2

2020-09-29 | 古典概念の現代的解釈

1.ジョセフ・ニーダムとは

ジョゼフ・ニーダム(Joseph Needham) 1900年12月9日生- 1995年3月24日没。ロンドン生まれ。中国科学史の世界的権威。もともと生化学の権威だったが、1930年頃から中国の科学発達史に関心をもち、1942年から3年間蒋介石政府の科学技術顧問として重慶に滞在した。帰国後、前人未踏の中国科学史の研究がライフワークとなった。「中国の科学と文明」全16巻の他、多数の書を執筆した。
我が国でも多くの翻訳書が出版された。筆者の手元にある本は、「東と西の学者と工匠中国科学技術史講演集 上下」河出書刊(絶版)と「鍼のランセット 鍼灸の歴史と理論」創元社刊(絶版だが古書で入手可能)である。鍼灸臨床には直接結びつかないが、昔の中国の科学技術を色々な分野で具体的に説明されている。ニーダムにより、昔の中国は、当時として科学技術先進国であったことが理解できる。
昔、私が代田文彦先生に「ニーダムはすごいですね」と話かけたら、同意して「もし対談などの企画がきたら、その準備に5年はかかるだろう」と返答したことを思い出す。

(疑似カラー化)


2.五兪穴の解釈に対する不満

十二経絡には、各経絡ごとに五行穴(五兪穴)が定められ、これらは井穴・滎穴・兪穴・経穴・合穴とばれる。
井穴・栄穴・兪穴は、手と足の指先から数えると、第1番目、2番目、第3番目に列んでいる(胆経だけは例外で、第3番目の地五会を飛び、4番目の足臨泣が兪穴)。合穴は肘関節・膝関節付近にある。

井=経脈の出る所  滎=溜(したた)る所  兪=注ぐ所  経=行く処 

井滎兪経合の性質は水路に例えられてきた。ただし手指の末端から始まる手の三陽経や足指の末端から始まる足の三陰経では、うまく説明がつくものの、手の三陰経や足の三陽経では、説明できない。

井滎兪経合の部位を表現した、出・溜・注・行・入も、水の流れるさまであるとの表面的な解釈はできても、それだけでは納得できない。

疑問だらけの状況にあって、魯桂珍、J・ニーダム著「中国のランセット」創元社刊は、この疑問に対し、ヒントを与えてくれる。
素問霊枢が編纂された漢の時代の治水技術には高いものがあった。人々の集合(都市)→食料の増産→耕作面積を増やすため、計画的な灌漑設備を整備する必要性があったからである。灌漑設備を重視した証の一端としては五行色体表の五蔵六腑の官職の説明として、「三焦は、決涜の官(=溝を切り開いて水を通す役人)」や「膀胱は、州都の官(地方長官。あるいは水液を集める処)との言葉があることでも知れる。


3.井穴とは
井は、水を取り入れ口をさす漢字であり、井は必然的に、泉、井戸、取水用ダム(堰)、用水路などの一部をさす。井が、山奥にある川の水源をさすとの限定はできない。
飲料や洗濯などにも水は使うが、人間が大量に水を必要とするのは、農耕のためである。農耕する条件の一つとして、用水路の確保が不可欠だった。これを人体にたとえるのは、農作物が育つような環境を、人間の身体自身が生きる上で必要だと考えたからであろう。


4.滎とは
滎=①水がちょろちょろ流れる様子。②水が回流する沼。(「漢字源」学研より)
ニーダムは、「井」を湧出とするならば、「栄」は水源に相当すると記しているので、②の解釈である。回転する沼とは、湧水が沼の底から噴出している様子だろうか。井と栄は非常に接近していることになる。滎(けい)とは、古代中国の河南省滎陽県にあった沼地の名。漢代にはふさがって平地となった。


5.兪穴・経穴とは
兪=いよいよ、ますます。前の段階をこえて進むさま。流出。(辞書同上)
経=縦糸。まっすぐ通る。(辞書同上)
   兪も経も、水の流れるさまの形容である。兪は水源前の段階である水源を越えて進むのだから、流出と考える。それも栄→兪→経と下るにつれ、しっかりとした水流に変化している。井から経への4段階を、
ニーダムは、湧出→水源→流出→流れ、と考察した。


6.合穴とは
合=合う、集まる。あつめて一緒になる。合流(辞書同上)
従来の解釈によれば、「合」は川が海に流入する河口部分だという。しかし合穴に続くのも、同じ経脈なのであり、「海」という説明は合理性に欠けるものであろう。
ニーダムは、次のように解釈している。「手指の末梢部(=井穴)から湧き出るようにして表出した経脈は、合穴に至るまでに流れをスピードアップあせる。一定の流れ以下の速度(あるいは強さ)では、効力水準点(ポテンシイ・レベル・ポイント)点に達しない」
これを私なりに比喩で表現すると、一般道から高速道路に入る場合、高速で走る車の流れに合わせるため、加速レーンを使うが、この加速レーンの役割が五行穴の作用だと考えることもできる。
逆にいえば、手足の肘以下、膝以下を除く身体の経脈は、高速道路本線であって、この本線が経脈として正しく機能していることが生理活動として不可欠だと考えたのだろう。

 

                                               

 

 


フェリックス・マン著「鍼の科学」の内容紹介

2020-09-25 | 古典概念の現代的解釈

 

今から30年ほど前の昭和57年、フェリックス・マン Felix Mann著「鍼の科学  Scientific Aspects  Acupuncture」西条一止・佐藤優子・笠原典之訳(医歯薬出版社刊)が出版された(すでに絶版だが古書として入手可能)。私はすぐに本書を購入して中身を覗いたが、そこに従来的な解剖学的鍼灸よりも進化した<現代医学的鍼灸>を発見した。私が待ち望んでいたのは、このような本に相違なかった。
 
私は「鍼の科学」を熱心に読んで、傍線を引いたり、自分なりに索引
を作ったりもした。本稿では内臓体壁反射などのベーシックなものは省略し、興味深い部分をピックアップする。ただフェリックスマンは、実験動物を使った生理学的変化など非常にアカデミックに自説を展開しているのだが、これらを十分に理解できない部分があった。自分の理解できる範囲内でのまとめになるのはやむを得ない。


1.フェリックス・マンの略歴

1931年4月10日生 - 2014年10月2日没。 医師、鍼灸師。
ドイツ生まれ。3才でイギリスに移住。イギリス国籍。

1)1950年代当時、若手医師だったフェリックスは、ガールフレンドの虫垂炎による腹痛が鍼で鎮痛したのに驚き、これを契機として鍼灸に興味を持った。しかし当時イギリスでは鍼灸を勉強できず、1958年からフランスのモンペリエ、ドイツのミュンヘン、オーストリアのウィーンに行って鍼灸を学んだ。さらには古典的テキストを読めるようになるため中国語を10年間学習した後、中国に渡って中国伝統鍼灸理論を学んだ。その後はイギリスに戻り、当時ほとんど顧みられなかた鍼治療を日々の診療に取り入れ始めた。

2)最初に行った鍼治療は伝統的スタイルだったが、ツボでないところに鍼を刺してもツボに刺した時と同様の効果を示したことで、經絡や経穴に疑問を持ち始めた。そして治療点を、点よりも面としてとらえるべきだとする立場に変わった。

3)1960年代、フェリックスは医師に鍼治療を教え始め、1970年代には学習者の数も増え、55カ国以上1600人以上の医師が彼の元で鍼灸を学んだ。このことは、医学の痛みに関する科学的な理解が進み、現代用語で鍼治療の機序をより理解できるようになったことが理由だった。特筆すべきは、1972年にニクソン大統領が中国を訪問したことで、鍼麻酔のニュースが世界中に流れ、多くのイギリス人やアメリカ人医師の間で鍼治療への関心が高まったことだった。

4)1977年頃には、フェリックスマンはツボ、經絡、陰陽、五行など伝統的な考えを事実上すべて否定し、<科学的鍼治療 Scientific Acupuncture>を目指すようになった。鍼灸を解剖学や生理学の現代的な理解で説明できる治療法として捉えていた。もはや気や陰陽について、話す必要性はなくなっていた。鍼が効くのは神経生理学的に説明が可能であり、鍼治療に関与する反射の大部分が脊髄性であることが解明された、鍼が効くのが神経システムの活動による調整作用からだと説明した。

5)時間が経つにつれ、フェリックスは、多くの伝統鍼灸主義者が患者を過剰に治療していると考えるようになった。フェリックスは、数本の鍼(時には1本だけ)を挿入し、鍼を刺す時間は短く、1~2分以上、数秒で済ますような、非常に穏やかな治療法を支持するようになった。 このやり方は、現代医学の訓練を受けた医師にとって理解しやすく受け入れやすいもので、また多くの者が学びたいと思っていたものだった。

6)1980年には、フェリックスの元学生を中心に構成された英国医学鍼灸学会(The British Medical Acupuncure Society)が設立され、彼が初代会長となった。現在の会員数は2000人を超えた。医学的鍼治療学会(Medical Acupuncture Society, 1959年 - 1980年)の創設者であり、元会長でもあった。
  ※参考文献:Felix Mann(Wikipedia )「Arrt Dry Needling & Massage 」HP)

 

2.内容紹介

1)足には6つの器官を代表する6つの經絡がある。これら足の一連の經絡は、たとてば胃経が通っているスネは胃の治療に、あるいは膀胱経が通っているふくらはぎは膀胱の治療にも影響を与えうる。

大腸経や小腸経は腕にあるとされている。しかし私の考えによると、これはまったく間違っている。なぜなら、これらの器官に対する病変は、下半身の刺激によってのみ治療できるからである。三焦経もやはり定義しがたい。(p24)


2)頭顔面部におけるツボの大半は、近傍の器官に作用する。それらの作用は、脊髄分節性反射に類似した局所反射弓によって説明できると思われる。

たとえばKoblankは、鼻と心臓との反射について、ヒトや動物実験で調べた。上鼻甲介の周辺には、鍼治療によって心臓性不整脈を起こす特定領域のあることを発見した。このことから、上鼻甲介への刺激は、三叉神経によって中枢に伝えられ、そこで反射的に迷走神経核を興奮させ、迷走神経を介して心臓に影響を及ぼすのではないかと考察した。
(筆者註:迷走神経反射の典型:肩井に刺鍼して一過性脳貧血を起こすのと同じ)

Koblankは、下鼻甲介と生殖器官との反応について調べた。若齢時に下鼻甲介を除去すると、動物が成体になった時、体重は除去していない動物と変わりなかったが、子宮・卵管・睾丸などの生殖器に異常が認められた。また
実験動物の中鼻甲介を刺激すると、胃液の分泌と運動が増加することを報告した。

これらから、上鼻甲介は心臓、中鼻甲介は胃、下鼻甲介は生殖器に作用する。(p25-26)


3)健康な器官の機能を変えるには相当大きな刺激が必要である。一方罹患した器官の治療には小さな刺激で十分である。したがって鍼をわずかに刺入しただけで重い病気のいくつかを治すことができるのに対して、健康な器官に間違って治療を行っても、まったく無害になるのが普通である。(p28)


4)中国の文献では、ツボはとても小さく、数ミリ程度のものとされている。しかしこれは必ずしも事実ではない。1デルマトーム(周辺が過感作になっていれば数デルマトーム)のどこを刺激しても十分な治療効果があることが少なくない。
このデルマトーム内を注意深く探ってみると、圧痛の強い部位がいくつか見つかる。これがツボと呼ばれるもので、これらの圧痛の最も大きい部位は、鍼に対し回りの部位よりも大きな反応を示す。


もちろん適切なデルマトーム内のどのような部位に刺激を与えても効果のある場合もあるが、その効果はツボに対する刺激よりも小さくなる。一方、全体の1/4に相当するくらいの広範囲のどこに刺激を与えてても、それが適切ば部位ならば十分な効果のある場合もある。(p28)

鍼治療が効くような病態であれば、医師によって異なったツボに鍼をしても患者の大多数は治すことができる。(p35)


5)刺激領域を表現するには、デルマトームではなく、皮膚-筋-硬節という言い方をするのが適切だと思われる。内臓やその他の器官の病気では、しばしば疾患部と関連した体表面に反射性圧痛を感じる場合がある。その際、筋緊張や血液循環の変動を伴うこともある。おそらく疾患部に関連した組織の組織構造が深部にまでわたり過敏になり圧痛を生じていると思われる。(p36)

(筆者註:硬節とはスケルトームのこと。骨における分節(デルマトームのような縞模様)のこと。デルマトームは皮膚・筋・硬節の他に、交感神経性デルマトームもある。


6)神門穴は少海穴よりも効果的なツボである。それは少海刺鍼が脂肪組織を刺激するのに対し、神門の方が少海より厚い皮膚と硬い靭帯を突き抜く。つまりは神門の方が多数の神経線維を刺激することになるからである。神門のように骨膜も刺激されるツボの方が大きな効果をもたらす。(p38)
関節周辺の骨膜を刺激すると、その表層にある上皮を鍼でさすよりも効果が大きくなる場合がある。これは刺激に興奮するニューロンの数の違い、すなわち局所反射の活性化の差異によるものと考えられる。(p38)


7)神経幹を刺激すると激痛を引き起こすが、これは決してより効果的というわけではない。いわゆる頸椎々間板症やその関連疾患では、第6頸椎の横突起を刺激する方が腕神経叢を形成している数本の神経を鍼で刺すよりも効果的である。(p38)


8)
研究者の中には、皮膚の電気抵抗の減少が認められるよう小さな領域がツボであると主張する者もいる。しかし電気抵抗の減少を示す皮膚領域は大小何千とあり、その中でツボと一致する者はほとんど認められなかった。神経生理学的理論に従えば、電気的にもあるいはその他の方法を用いても小領域に独立して存在するツボなどとうものは見つけ得ないはずである。(p39)


9)臨床的な観点からすると人口の約5%が超過敏反応者であり、これに普通の過敏反応者を含めれば、人口の10%あるいは多めにみて30%は過敏者になるかもしれない。

鍼麻酔というものは、私の経験上、超鍼響過敏者の場合にしか効かない。ただし専門家の中には私の意見に反対する者もいる。1974年に私は、鍼麻酔を受けた患者のうち10%の人に完全ではないが、ある程度鍼麻酔の効き目があったと報告した。その後、私がその時用いた麻酔状態の基準は、少々甘いものであり、その数値は5%に修正すべきだとの見解に達した。(p50)


10)Kellgrenの一連の研究から、痛みの分布を次の3層に区分して述べた。

①一般に皮膚の刺激による痛みの分布は小さな区域に局在する。(非常に強い刺激を除く)
②筋膜、骨膜、結合組織、腱など、皮下にある中間層の刺激による痛みは、刺激部位の辺縁部あるいは刺激部位から少し離れた部位など、少し広い領域に存在する。
③深層にある筋層の刺激による痛みは、放散性であり多少なりとも分節的な分布をしてくる。とくに棘間結合組織、肋間腔や体幹部体壁の深部組織に起因する痛みは、明確な分節性を示し、手足の筋肉や関節に起因する痛みは局在して現れる。
手足の筋肉の痛みは、その筋肉の結合している関節が筋と同じ分節に属する限り、関節に関連痛を興す傾向がある。(p58)

 


十二正経走行モデル ver. 2.2

2020-06-21 | 古典概念の現代的解釈

筆者は2011.1.11付で「經絡走行モデル」ブログを発表した。その内容は、經絡走行をトポロジー的に捉えたものであったが、分かりにくい点が多々あった。そこで今回は、經絡走行概念図を示しつつ、実際の部位(あるいは経穴名)を付け加えることで、經絡を利用した針灸臨床を考えるための素材を提供することを考え大幅な改良を行い、何回か改良を行った。 

 

1.三陰三陽の表在経絡 

一般的な経絡図は、表層経絡(正確には絡脈)だけが描かれているのは周知の通りである。十二經絡は、走行別に手の三陰經、手の三陽経、足の三陰経、足の三陽経に分類される。この4種の走行パターンを下記に示した。

 

2.表在經絡と深部經絡

これは初歩的学習としては妥当なものだが、きちんと経絡を利用した治療をしようとすれば、まったく不足している。一つの経絡の特徴としては、走行のどこかで該当臓腑につながっていて、臓腑と直接つながっているのは深部經絡であって、上記の図では省略されているからである。 

直接、鍼灸刺激できるのは、上図の表層經絡部分だけだが、鍼灸刺激が表層經絡→深層經絡→臓腑というように伝播されるので、内臓治療が可能となるというのが古典理論になっている。体幹内臓を直接治療する方法としては他に兪募穴治療がある。


3.經絡走行モデル図

実際の經絡流注は極めて複雑で信憑性も高いとは言い難い。經絡を考慮した鍼灸治療するにしても、經絡走行を細部まで記憶するのは難しく、それを記憶しなければ治療できないというわけでもない。 

手元には本間祥白著「図解鍼灸実用経穴学」と同氏著「誰でもわかる經絡治療講話」の二冊がある。両書籍とも下図のような經絡走行一覧表が載っている。非常に複雑であることが改めて思い知らされる。(色づけは私自身の勉強のために付加したもの) 

だが、始点と終点、深部經絡が臓腑に出入りする部位、浅層經が深層經絡との出入口など、要点をきっちりと押さえる一方、細かな走行を省略することにすれば、經絡走行の全体像が見渡せるものとなるだろう。 

①上図で青色が表層經絡で針灸刺激できる部位である。表層經絡は、四肢と体幹ともに流れている、体幹部分の表層經絡は体壁を走行している。黒色は深層經絡で鍼灸刺激できない部位である。深層經絡は体幹深部(=体内)にある。

②經絡で、太線は太線が直經、細線が支脈である。

③四肢末端附近にある経穴は、<絡穴>であり、次経への流入口である。四肢の經絡末端は<井穴>である。 

④手三陰経と足三陽経は直接はつながっているようには図示されていない。これは頭蓋の感覚器官や脳内を複雑に走行していて図示困難なことによる。  


4.經絡走行モデル2

上図はトポロジーの観点から次のように表すこともできる。一巡目(肺-大腸-胃-脾)の流注、二巡目(心-小腸-膀胱-腎)、三巡目(心包-三焦-胆-肝)と、よく似たルートを通るが、走行の細部の違い(とくに足の三陰経の走行)の違いを把握しやすいと思った。
内臓治療に対する鍼灸のやり方は、実線部分を直接刺激し、点線部分につながる臓腑症状をリモート的に改善させることになる。(点線部分は直接刺激できないので)

 



 


 

    


秩序ある成長の仕組み<ファッシア、気、モルフォゲン、フラクタル理論>(「閃く經絡」の読み解き その3)Ver.1.1

2020-06-15 | 古典概念の現代的解釈

1.ファッシアとは何か?

ファッシア(fascia)とは、ラテン語で「結びつける」の意味で、まさしく組織と組織を結びつける組織である。初めは筋肉を包む膜を筋膜とよんでいたが、筋肉だけでなく、臓器、骨、血管など、それぞれのパーツも筋膜同様の膜に覆われていることから、幅広い概念としてファッシアとよばれるようになった。とくに筋膜を意味するには、myofascia とよぶようになった。旧来からこうした膜の存在は知られていたのだが、組織を包む単なる包装紙のような役割だとして、あまり注目されていなかった。
ファッシア自体は結合織の膜で、組織ごとにファッシアで包まれている。隣接するファッシア間には空白ができ、細胞間質基質できる。
ファッシアはいわば真空パックとなり、水・空気・血液・膿・電気等を通さないので、隣接するファッシア間の細胞間基質をすべって移動する。そしてこの通路こそ經絡であるとしている。


2.気とは何か?

ファッシアを考慮することで、經絡の流れを説明しやすくなる。經絡を通過するのは気の流れとされていた。ところで気はもとは氣と表し、气+米で構成されてた。「气」は蒸気、空気などを示し、「米」は文字通りお米のことで、ポン菓子のようにポーンと弾けたお米を描いている。以上から気という文字は、米と空気が混ざることでエネルギーがつくられることを表している。気は代謝だといえるが、各細胞が行う全代謝の合計で、よりより言い回しでは生命力という言葉になるだろか。
ただし気は単なる代謝ではなく、知的な代謝であって、発電所でつくられる電気に似ている。気も電気も目に見えないが、電気と同じように、その効果を通じて気も見える。
 ファッシアの表面を気(=電気)が流れることで、気はモルフォゲン(直訳では、形態形成を支配する物質)に参加する。モルフォゲンは細胞から複雑な我々の体が作られる際の道標となるもので、癌では中心的役割を演じることでも知られる。


3.ファッシアによる体幹内臓の区分

1)ファッシアによる区画
内臓は個々の臓器を包むファッシアとは別に、同種のものとの間にコンパートメントをつくり、部屋を区分している。胸部と腹部の間には分厚い横隔膜が存在し、これがファッシアとして胸・腹部を分離している。胸部では胸膜心のう膜が、腹部では腹腔と腹膜後壁腔という区画がある。ダニエル氏は、大胆な発想とも思えるが、これら三区画を総称して三焦とよぶと記している。なお心嚢膜は心包のことだという。

※後腹膜とは
  腹部は腹膜という膜に裏打ちされた「腹腔」という空間と、腹膜の外側である「後腹膜」に分けられる。腹腔内には消化器のほとんどの臓器があり、後腹膜内の臓器には、通常、十二指腸、膵臓、上行結腸、下行結腸、腎臓、副腎、尿管、腹大動脈、下大静脈、交感神経幹などが含まれる。後腹膜臓器に炎症が起きると腰背部痛が起こりやすいという特徴がある。

 


 

さらに、体幹内部の空間は、以下の三陰経区分があると考察した。一般的には臓ごとに三陰を区分するが、解剖学な閉鎖空間により三陰を区分するのは新しい考えである。これが病態分析的に何を意味するかは、今後の課題となるだろう。
少陰経(西洋医学でいう腹膜後腔)=心・腎
太陰経(西洋医学でいう前腎傍腔)=膵・脾・肺
厥陰経(腹膜、横隔膜、心膜)を通る肝・心包


2)ファッシア間の開口部

ファッシアで区分された各コンパートメントは、互いに絶縁される一方、限られた開口を通して連絡している。横隔膜に隔てられた胸部と腹部は次の3カ所でつながっている。この知見がどのように病態に関与するは、次なる課題だろう。
大動脈:横隔膜の後面で(心と腎)-少陰経
食道:横隔膜の中央で(脾と膵と肺)-太陰経
大静脈:横隔膜の前面で(肝と心包)-厥陰経

著者のダニエル氏は、中国の女性医師に、動悸を治すため、肝に対する治療をしてもらった。その治療により、物理的に横隔膜の緩むのを感じ、深呼吸できるようになりラックスした気持ちになった。そして、肝経は上方に向かうが、これは横隔膜を通って心包と接続する方向。同じ厥陰經を通って肝と心包がつながっていると説明を受け、この理論の正しさを実感できた、とある。

※私の理論:胸腔は陰圧で、腹腔は陽圧になっている。その境にあるのが横隔膜である。この圧力のバランスが崩れると、胸脇苦満や心下痞硬などの症状を訴える。治療は心や肝に対する施術を行う。肝への治療は、肝気を鎮めたり上手に上に逃がしてやることが重要で、膈兪・肝兪などに施術する。心の疾患は器質的なものと機能的(=心因性)のものがあり、後者であれば横隔膜に対する施術になる。前者は重篤疾患。

4.成長

1)形成中心(モルフォゲン)と要穴の位置

一個の受精卵が成人へと成長するには、膨大な細胞分裂を繰り返すが、それは組織的な分裂であるべきである(無秩序に細胞分裂するのがガン細胞)。すべての細胞分裂を組織的に行うなら、その複雑性は処理できないほどになる。そこで成長する部分を集中的に制御することとなって、成長コントロールする発生的なポイント(形成中心=モルフォゲン)を結節点とよぶことになった。たとえば手の指をつくるには、肩→上腕→肘→前腕→手関節と成長していることが前提になる。
ところで要穴(五行穴や原穴・絡穴・郄穴)はすべて肘より末端に、膝より末端にあるが、これが形成中心になっているからだとダニエル氏は説明した。


2)フラクタル理論とマイクロアキュパンクチャー

形成中心から各細胞に直接連絡され、秩序ある成長をうながす。しかし発生が進むにつれ、形成中心も多数になるので、この理論は細胞反応を説明する発生学だけでは説明がつかず、数学的モデルを使った理論へと移行した。
 
ブノワ・マンデルブロは、自然界のカオス(混沌状態)にも規則性があり、これを方程式で表現することを報告した。この理論を一言で要約すると、<非常に複雑な組織化は、単純なフィードバック機構によって起こる>という内容になる。
 
マンデブロは、小さな変化から無限に美しい形を生み出すことを見つけ、これを「フラクタルfractal、語源はバラバラ)と名付けた。これは一から十まで指示する設計図はなくても、変化の法則性を発見できれば、設計図は非常に単純化されることになる。たとえば気管支の分岐、動静脈の分岐がこれに相当する。

 

このフラクタル理論は、これまでマイクロアキュパンクチャーとよばれていた範疇であり、全体的に診療するのではなく、耳鍼・頭鍼・高麗手指鍼・足の反射療法等、全身状態が、ある特定部分に反映されているという理論にもとづき、それぞれの部分を刺激すると種々な症状に効果あるとするものである。


5.ファッシアの癒着と治療法(「閃く經絡」から離れて)

ファッシアを理解することは、最終的には治療に結びつけたいからに他ならない。現行のファッシア刺激治療について、簡単に説明する。
ファッシアは組織や器官を密着するように包むラップのようなものだが、隣り合う組織ではファッシアが重なって存在する。通常であれば二つの筋は癒着することなく違う動きをするのだが、ファッシア同士が癒着していれば別々の動きをする筈の筋肉が一緒に動いてすまうので、動きづらくなってくる。
 癒着しているファッシア部に局麻注射(生理食塩水注射でもよい)をすると、瞬時に癒着は解消される。ただし慢性になると癒着しているファッシアは何ヶ所もあるので、何回かの注射が必要である。
癒着しているファッシアを発見するには、超音波画像診断装置を使うが、それでも発見しづらい場合が少なくないという。鍼灸師や手技療養を行う者は、皮膚を押圧したり撮んだりして周囲組織と異なる部位(=ツボ)を発見し、そこを押圧しながら、これまででなかったポーズをとらせるようにすると、徐々に可動性が増してくる。鍼灸師の場合は、その後に刺針するようにする。


「閃く經絡」の人体五臓図の解釈(「閃く經絡」の読み解き その2)

2020-06-12 | 古典概念の現代的解釈

<閃く經絡> は、東洋医学の考えを発生学的観点から説明しようとしている。この視点は、これまでになかったものであり、改めて東洋医学の懐の深さを感じざるを得ない。なお著者のダニエル・キーオン Daniel Keown 氏はイギリスの外科医で、中国に渡り北京の王居易医師(經絡医学研究センター)に師事した経歴をもつ。長年の目的は、西洋医学の最前線で鍼灸と気を再確立することであり、その経緯から本書が生まれた、とある。

 胚が生長するにつれ背中と脊髄が形成されるが、次の段階として臓器を形成し始める。「閃く經絡」にはカラーの口絵が一枚載っている。著者ダニエル・キーオン氏が考察した東洋医学の五臓配置図で価値あるものと思える。本書の五臓の考えを紹介するには、この図なくしてはできないが、この図をスキャンして当ブログに載せることは著作権上の問題があるに違いない。しかし図を提示てきないと話が進まないので、本図とよく似たモノクロの図が本文中にあるので、これを自力で彩色化することで、一応の創作性を担保することにした。

 

 なお私は2012年1月9日、「東洋医学人体構造モデル」を当gooブログで発表済みである。ダニエル氏の図のと全く異なり、「東洋医学人体構造モデル」では五臓を機械装置にみたてて表現たものになる。
      fhttps://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/0f10f985473890163d250ba3ba5b328f

 

赤色は血管、オレンジは消化管と気道、黄色は神経を示しているのではなく、「腎節」といって背骨のように節になって脊柱の左右両側に幹のように上下に連なっている原始の腎を示してる。これについては詳細後述する。五臓の図とはいえ、肝の下には小さく胆も描かれている。

1.心


1)心と脳の機能の相違点

心機能には、まず血液循環のポンプ作用がある。ただし心が感情のの影響を受けて心拍数を増減させているという意味で、脳と心は神経で連絡されていることが知れる。
感情表出とは喜怒哀楽のことで、今日でいう大脳基底核(大脳古皮質)が担当するものである。これはマクリーンの理論でいう旧皮質<馬の脳>が担当している。犬や馬など高等哺乳類骨には感情がある。
ちなみに鳥や魚には感情がなく本能で行動している。本能は<ワニの脳>である古皮質が担当している。

2)骨髄と骨に包まれた脳の類似点

骨内部には骨髄があるが、脳はその親玉であるとの認識から、骨髄が障害を受けると運動障害がおき、脳が障害を受けると意識障害または意識錯乱が起こるとした。脳=正常な意識(神)という認識だった。
 ダニエル氏の図での心は、血管がくびれたように表現されている。これは発生学的に、格動する血管のくびれから心の臓が生長したことを表現しているものだろう。


2.肺

1)大気のエネルギーを体内に取り込み、体内に溜まった濁気を排出するというのが基本。

2)「肺の宣発・粛降作用」

中医理論では、「肺には宣発・粛降作用がある」という。この考えが我が国に入ってきたのは意外にも新しい。40年前当時の東洋医学理論ににない内容である。宣発とは呼気時に起こる作用で、噴水のように大気を四肢末端まで散布することであって、散布するためには、体幹の高い位置(=肺のあるべき位置)にある必然性がある。粛降とは吸気時に起こる作用で、大気エネルギーを五臓六腑にまで巡らす作用である。冒頭図では、腹式呼吸で吸気の際の、肛門から腹腔内に大気を巡らせるような矢印が描かれている。


3.脾

1)「脾は湿を悪(にく)む」
肺は呼気時、体内に溜まった湿を絞り出す役割がある(ゆえに呼気は湿っている)。ところで湿は元来飮食物に含まれる水が元となるので、通常は大小便や皮膚呼吸、そして呼気により体外に排出されるのだが、それで処理しきれなければ体内に湿が溜まる。脾は胃に入った飮食物を栄養別に振り分け、最終形としては気・血・津液に造り替える働きがある。これを脾の運化作用とよぶ。
 「脾は湿を悪(にく)む」とは、脾の低下により水を処理しきれない場合、体内に水(津液)が貯留する状況をさす。

2)脾と膵の相違

古代中国人がいう脾は、現代での膵を指しているのではないかとの見方は以前からあった。現代医学的常識では、脾の役割は老化した赤血球を破壊し、除去することだとしている。
一方、現代医学でいう膵臓の主な役割は、消化液である膵液分泌と、インスリンを分泌し、血糖値を一定濃度にコントロールする働きになる。膵液は消化物を別の物質に変換する機能である。後者については、血液中に糖がいくらあってもインスリンがないと細胞に糖を取り込んで利用することができない、という意味でインスリンも糖の輸送に関与している。物質変換と輸送という機能は、東洋医学でいう脾の機能そのものである。
もっとも著者のダニエル氏は、脾臓と膵臓は、発生学的に両者とも十二指腸から生じている。それは膵臓が先に生じ、次に脾臓が帽子のように覆うという観点、血液の供給、ファッシアのつながりも共通であることから、一体としてとらえ、呼び名も脾でなく膵脾とした方が適切だと主張している。


4.肝

1)門脈
冒頭の図で、心と肝とを結ぶ黒い部分は、門脈である。この図は腸が吸収した栄養素は肝臓で処理されて有害物質が解毒され、血液は無害になった後、臓に環流するという、いうなれば心を守る機能になっている。

2)中医基本内容のおさらい

 著者は中医独特の言い回しについて解説している。中医の基本内容なので、周知の方は飛ばして読んで頂きたい。

①「肝は血を貯蔵する」

文字とおり肝臓は血液で充たされているとの意味。激しい運動な どで血液が必要になると肝は収縮し、約500mlの血液を放出する。マラソンをしてい ると脇腹が痛くなることがあるのは、肝の収縮による痛み。

②「肝は疏泄を主どる」

肝は門脈系を通じて腹部のあらゆる消化管に接続している。肝臓 の働きが減速すると門脈圧も高くなり、肝臓は体液を腹腔内に出し、腹水を生ずる。これが肝硬変である。また靭帯を 通じて横隔膜・食道・胃・膵臓につながっている。
中医の「肝は疏泄を主どる」とは、内臓の各機能が支障なく円滑に機能させるのに役立っているというように理解できる。
また感情を円滑に流れさせるという意味もある。肝気が円滑に流れれば感情も穏やかになり、短気でイライラするような人は、すぐに怒りやすくなる。イライラと密接に結びついているホルモンはヒスタミンで、本物質は病原体に対して身体を過敏にする。ヒスタミンが多量につくられると、アレルギーや喘息などを引き起こす。これも肝の疏泄作用の悪化と捉えることができる。

③「肝は風を嫌う」

熱があると風が生まれ、動きをつくり、ときに破壊的にもなり得る。中国人は、身体が動く病の原因を風に求めた。てんかん、チック、振戦、などで脳波検査以外では病理をみつけられない。器質的変化は指摘できないのが特徴である。


5.腎

1)腎節の生長と退化の果てにできた腎臓

冒頭の図でユニークなのは腎の発生学的過程を描いていること、左腎と右腎(=命門)を区別していることにあるだろう。

1)腎節
腎は発生学的には腎節といって、背骨のように節になって脊柱の左右両側に節のように上下に連なっていた。頸部・胸部・腰部と順々にでき、それぞれ「前腎」「中腎」「後腎」とよばれた。しかし前腎は生長し退化し、中腎も生長し退化した後、後腎が誕生して生長するという発生学的手順を踏む。後腎は最終腎ともよばれ、今日でいう腎臓になる。
 ダニエル氏の図は、前腎・後腎を表現していることがユニークである。(前腎と中腎はまとめて表現されている)

2)腎と副腎
中医で想定している腎と現代医学の腎とでは、意味するものが異なり、副腎機能に近いとされている。ただし解剖学的に腎と副腎は腎筋膜で包まれているという点で、発生学的には同じ臓器といってよい。
腎は尿生成の器官であるが、副腎髄質はアドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミンなどを産生し、副腎皮質は、糖質コルチコイド(=いわゆるステロイドホルモン)、鉱質ステロイド、アルデステロンなどを分泌しているのは周知のことであろうが、これらも古典的には腎の作用であるとみなすことができる。

3)「腎は精を貯蔵する」「腎は骨を制御し骨髄を満たす」

中医学で精は、気に変化して各種機能活動のエネルギー源として利用されると定義されている。生命活動の本になる物質とされている。精には、先天の精と後天の精があって、 先天の精とは、父母から受け継いだ体質(≒遺伝子)を、後天の精とは飮食物を摂取して獲得できる身体を育む栄養分だとしている。両親のもつ生命の炎を、自分のロウソクに点火してもらったとしても、その炎を育てるのは飮食物による。”精のつく食べ物”という場合の精は、後天の精を意味している。

人は成長しやがて老いて死ぬ宿命にあるが、骨格にもその過程が表現されている。骨格は端的にこの生長と衰退を示すものである。骨を栄養するのは骨髄で、骨髄は腎精によりつくるとされている。腎精が乏しくなれば、骨も干からびて折れやすくなる。
腎精が少なくなることは、自身の生命力が乏しくなることと同時に、新しい生命を誕生させる力も乏しくなる。

4)左腎と右腎(命門)
副腎には性ホルモン(テストステロンとエストロゲン)を放出する機能があるので、腎は性欲を生殖を支配するという古人の解釈に間違いはなかった。
腎は左にあり、右の腎に相当するものは命門とよばれている。左右の腎の解剖学違いは、解剖によって明らかになった。右腎のみが十二指腸下行部に非常に細いつながり、トライツ靭帯が関係しているということである。


三胚葉形成からみた鶏卵の成長と太極図(「閃く經絡」の読み解き その1)

2020-06-11 | 古典概念の現代的解釈

「閃(ひらめ)く經絡」が出版され、丸2年が経過しようとしている。出版当時は非常に話題になった本であるが、内容が斬新である一方、鍼灸臨床には直接は役立たない(鍼灸の根本原理なので)という内容でもあった。
 
私がネットで調べてみると本著の前1/4(Part1 鍼のサイエンス>限定だが、自分の経験を織り交ぜ、咀嚼しながら分かりやすく内容紹介しているのが、菅田裕子氏<鍼灸師が読み解く!「閃く経絡」、かげにひなたにブログ>(2018)5回シリーズだった。  山口髙明氏(山口マッサージ鍼灸治療院)も<外科医ダニエル・キーオン著 「閃く経絡」を読んで>と題して、15回シリーズで同部分を読み解いている。山口氏は大学で理学部生物学科で発生遺伝学を専攻卒業した経歴があるといことで、よく追従しており、難しい内容を平易に紹介できている。両者とも私と同じく鍼灸師であることは誇らしいことである。

ここでは菅田裕子氏<その3、ファッシアを流れる電流>(2018年07月15日)に関係した内容を、私なりに分かりやすい形で紹介したい。山口氏のブログも、同じ部分を解説している。山口氏のものは、別の回(「閃く經絡」の読み解き  その3)で検討予定である。

 

1.鶏卵の構造

1)鶏卵構造

問題1:鶏卵の殻を割った状態を示している。以下の写真で、将来ヒヨコになる部分はどれか?

 

解説と解答:

この問題は、私主催の勉強会の余興で出題したが、誰も正解できなかった。Aは卵白、Bはカラザ、Cは卵黄、Dは胎盤(=胚)である。胚盤は直径3~4㎜の薄く白い円形で、ここがヒヨコへと生長する部分である。卵黄はヒヨコと生長する過程で必要となる栄養貯蔵庫である。卵白は内部が乾燥するのを防ぎ、細菌侵入を防ぐ意味がある。Bのカラザは卵黄が端に片寄らないようにするためのヒモで2本ある。(ヒトなどの哺乳類は、胎児は母体胎盤を通じて酸素と栄養を供給されているので、卵黄に相当するものは必要ない。)
 

胚を乾燥や外部の衝撃などから保護する意味から、胚は、羊膜に覆われ守られる。すなわち始めは胚は、羊膜と卵黄膜という2つの膜間にあったが、胚の生長とともに羊膜も広がり、胚の一部と卵黄が連絡する形になる。

 

2)三胚葉への分化

受精卵が次第に分割され、三胚葉の段階にまで分裂すると、一体だった胚の一部が陥凹し、それが次第に深くなってパイプのように穴が貫通するようになる。パイプの外側を形成するのが外胚葉で、パイプの内側を形成するのが内胚葉である。その間にあって空間と接触しない部分を中胚葉と分化する。

①内胚葉
多細胞動物が生まれてから、受精卵が分裂し原口のもとになる凹みを形成。凹みは次第に深くなり、パイプのように体の中を突き抜ける。このパイプの内側を内胚葉とよび、外部から必要な物質を取り込み、不要なものを吐き出す。すなわち消化管と排泄器官に発達する。肺もチューブの内側にあるから内胚葉に属する。


②外胚葉
パイプの外側部分を外胚葉とよぶ。外胚葉は、個体の外側を覆う層で多細胞化の初期段階で形成される。皮膚の表皮・毛髪などの感覚器を形成し、また一部が発生過程で溝状に陥没し神経管を形成する。神経の大元という意味からか、脳も外胚葉から進化する。
 
③中胚葉

外胚葉と内胚葉と繋がり、外界とは直接繋がらない器官を中胚葉とよぶ。中胚葉が進化したことにより、体腔内に複雑かつ高度な臓器を発達させることが可能になる。筋、骨格、皮膚の真皮、結合組織、尿道、心臓・血管、血液や脾臓などを形成。

 

2.太極図にみる三胚葉
1)太極図のいろいろ
問題2:以下の3種類の太極図で間違いはどれか?

解説と解答

太極図は、今から3000年前の易經で生まれたもので、陰と陽が循環している状態を示している。現在では時計回りと反時計回りの2パターンあるが、どちらか正しいかは諸説ある。
「左が陽、右は陰」という決まりはあるが、それは自分から見てなのか、向かって見てなのか分からない。太極図は縦向きでも横向きでも構わず、色も必ずしも黒と白の2色でなくてよい。すなわち全部正解となるが、次に述べる理由からB黒の太極図(時計回りの回転)を間違いとする考え方がある。


2)太極図に隠された三胚葉

韓国旗は横向きで半時計回りに運動している。赤青の2色が使われている。ところで「閃く經絡」での太極図も韓国国旗と同様の構成になっているが、陰と陽がのびのびと活動している様子を表しているかのようだ。陰と陽はぐるぐると回転し、かつ両者が混じり合わないこことが重要ポイントである。
 
陰を内胚葉、陽を外胚葉とすると、陰陽の境界線が中胚葉だと著者のダニエル氏は説明した。 内胚葉と外胚葉を分け隔てると同時に、バラバラにならないように結合しているもの、これは広義の膜すなわちファッシアの機能に他ならない。

 

 

 

 

 

 

 

 


現代針灸における新しい考え方の整理 ver.1.2

2020-01-06 | 古典概念の現代的解釈

令和2年の正月に相応しく、最近の筆者の考えを整理してみたい。内容はこれまで本ブログで報告した内容も多いが、振り返って整理することも読者の理解の助けになるだろう。最近、西洋から新しい理論が流入された。それは結構なことなのだが、古い考えには愛着もあって、自分の針灸治療理論に組み入れることに、戸惑いも感じている。

 

1.現代針灸でいう局所治療とは

現代針灸ときくと、局所治療専門と思えるかもしれない。刺針部位の局所解剖を理解することで、どのような深度・角度で刺針することがよいのかを考察できる。また症状が皮膚の知覚神経興奮なのか筋膜痛なのか、関節包や骨膜痛なのかを分析することで、それぞれに対応した針灸手技も考察できる。現代医学針灸でいう針灸局所治療とは、単に患者が訴える症状部位を刺激することでなく、 症状をもたらしている元の部位を見極めて治療することになる。


2.現代針灸における近隣取穴理論

1)トリガーポイントとの関係

トリガーポイントと放散痛部位(=旧来の症状部位)を考えることで、真の局所治療部位と症状部位は距離的に離れていることもあり得ることもあることが認識されるようになった。このことなどは、従来の近隣取穴治療に相当するかもしれない。

2)神経生理学的制御  

この十年来、私は静的針灸ではなく動的針灸に興味をもっている。その最も単純な形としては運動針があるだろう。その背後にある理論にはⅠa抑制、Ⅰb抑制がある。ここでは、かいつまんで仕組みを説明する。

①Ⅰa抑制(筋紡錘刺激は、拮抗筋緊張を抑制する)

Ⅰa抑制とはスムーズな関節運動を行うためのしくみ。主動作筋が収縮する際は、拮抗筋が弛緩する生理的機序のこと。橋本敬三の「操体法」はこの仕組みを応用したもので、身体を痛くない方向に動かす(すなわち問題筋の拮抗筋を緊張させる)ことが基本になっている。Ⅰa抑制機能がないとスムーズな関節運動はできなくなる。たとえば肘屈曲の際、上腕二頭筋が収縮する際には、上腕三頭筋が弛緩するなど。

②Ⅰb抑制(腱紡錘刺激は自筋緊張を抑制する)

Ⅰb抑制とは、本来は筋断裂を防ぐしくみである。筋肉が急に引き伸ばされた時、筋が切れないように筋が防御的に伸張することで筋断裂しないようにする仕組み。等尺性の筋収縮(=関節運動を伴わない筋収縮)を起こす。筋を伸張さた状態にすると腱も同時に伸張状態になる。この姿勢で腱を刺激すると筋がゆるむ。

 

3)PNFストレッチ(固有受容性神経筋促通法)

前記したⅠa抑制・Ⅰb抑制は、単純な神経生理学的制御であるのに対し、これらの機序を利用した筋に対する徒手抵抗ストレッチをPNFストレッチとよぶ。 基本的にセラピストが患者に対して行う治療法である。セラピストが手で触り抵抗をかけて、被験者に動いてもらう。筋を縮ませると、その後は前より弛緩する性質を利用している。次の2つがある。

①ホールドリラックス

尺性収縮をホールド(保持)と言う。ホールドリラックスとは相反抑制のことで、患者と術者の力が逆向きの力をかけあって拮抗している状態、。なわち「動きのない」等尺性収縮である。 以下にハムストリングスに対するホールドリラックス例を示す。

 

 

 

 ②コントラクトリラックス

短縮性収縮をコントラクト(収縮)と言う。短縮性筋収縮運動になる。 以下に大腿四頭筋に対するコントラクトリラックス例を示す。
a.側臥位。患側の股関節をできるたけ伸展(後に引く)させる。
b.術者の手を患者の大腿前面に当て、大腿を前にもっていくよう指示する。
c.術者はそれに抵抗を加えつつ徐々に大腿屈曲運動を行う。 この抵抗運動始動時には10秒間タメをつくり、患者の動きを妨げ、6秒で大腿屈曲運動を行う。運動終了時には30秒間その状態で静止する。

 

 

3.現代針灸における遠隔取穴理論


これまで現代針灸は遠隔治療穴に価値を見いだせなかった。しかしながら近年、経絡に代わりアナトミートレインという考え方が台頭してきた。アナトミートレインとは筋膜連動線のことで、身体には12のラインがあるという。その走行は全体的に経絡走行と実によく似ていて、針灸師の誰しもが「なるほど」と納得されられよう。

問題はそこから先で、このアナトミートレインをどのように臨床に応用するか、より具体的には体幹症状に対して四肢のツボを選穴する根拠が知りたい。

そこで利用できるのがPNFを使った押圧と運動針法である。ここでは腰痛を例にとって説明する。腰痛患者をベッドに仰臥位で下肢伸展させる。その状態で患側下肢を挙上させた時、ある一定以上で腰痛が出現することを確認してもらい、それを患者に確認させておく。次に崑崙を押圧しつつふたたび片脚挙上させると、さきほどよりも高く挙上できる(できればこの時、術者は患者のふくらはぎを自分自身の肩で支え、下向きの力を加えるように支持する=PNFホールドリラックス)患者に脚を下ろす場合、崑崙穴に浅刺して三度片脚挙上させ、崑崙の針が有効だったことを確認できる。  

 

想像を逞しくすれば、遠隔穴刺激が有効となる状件とは、症状部と遠隔部ともに筋緊張状態にさせることが重要で、そのための姿勢としては、平田内蔵吉(平田十に反応帯で有名)や肥田春充らが提唱した身体操練姿勢が関係してくるのかと思っている。

 


書籍「閃く経絡」(医道の日本社刊)を前にして ver.1.1

2018-10-10 | 古典概念の現代的解釈

ヶ月以上ブログを更新できていな状況にある。その訳として<鍼灸奮起の会>の準備もあるが、今話題の「閃く經絡」を読み始めたからである。

2ヶ月ほど前、驚いたことに韓国の李珉東先生から「閃く經絡」(日本語訳)が届いた。これには大いに感謝したのだが、読み解くのに時間がかかっている。どういう感想をもったのかを、李珉東先生に報告できていないことに苦痛を感じている。今回はとりあえず「閃く經絡」の初見の印象を記すことで、ず李先生への返信に代えたい。


古典とは違って文章自体は平易なのだが、内容が難しい。難しいというより、読者がすでに各分野の科学知識を理解していることを想定している。当面、発生学(三胚葉、形成中心)、ファッシア、フラクタル理論などの知識が必要となる。(本書後半は未読なのでさらなる知識が必要となるだろう)
 
一般的な読者は、知らない概念を、パソコンで基礎概念を調べながら、ゆっくりと繰り返し読み進めることになる。 

ところで他の読者はどのような感想をもっているのか気になったので、パソコンで読者コメントをチェックしてみると、コメントを書いている者は少なく、その内容もマト外れなものが少なくなかった。本書を、スゴイ、革新的だ、眼からウロコなどと表現してはいても、どうスゴイのか書いていない。まともな読者であれば、読み解くのに時間がかかっているのだろう。

読破することが難しい本として、例えば石川太刀雄著「内臓体壁反射」がある。私が復刻版を購入して30年経つが、まだ時々読み返して新たな発見がある。代田文彦医師は、「この本は世に出したのが早すぎた」と話していた。当時の人々には理解を越えていた内容だったというのがその理由。

本書は発生学と經絡に関係について論じているが、むかし石井陶白氏も同じようなことを書いていた。石井は、間中喜雄・代田文誌・柳田素霊などと同時代に活躍した鍼灸家で、多細胞生物の生長過程で、三胚葉のへの分裂が人体の前・後・側の変の分化の原点であって、外胚葉から肺・大腸・胃・脾経が生まれ、中胚葉から心包・三焦・肝・胆・経が生まれ、内胚葉から心・膀胱・腎経が分化したと自説を展開した。石井陶白が最も脚光を浴びたのは終戦後で、当時駐留軍により鍼灸を禁止させられそうになる危機があり、石井氏の研究が、鍼灸継続に向けての役割を担うという側面があり注目を集めた。言葉は悪いが鍼灸業界は石井氏をリーダーとし、鍼灸の正当性をGHQに理解させようとした。

石川太刀雄らの「内臓体壁理論」の求心性神経二重支配則とともに、このような努力が実を結んで進駐軍に鍼灸継続の承諾を得ることに成功した経緯があった。

※求心性神経二重支配則とは?
Langleyは遠心性神経支配が交感神経と副交感神経とによって二重に支配されているという説を主張した。これを遠心性神経支配二重支配則とよぶ。これに対して石川は求心性神経二重支配則も存在することを主張した。求心性神経神経も遠心性神経も自律神経により二重に支配されていることは今日では常識的な定説となっている。

 

そのことを思うと、書籍「閃く經絡」は、良いタイミングで出版されたと思う。本書が重要性を多くの読者は理解できるまでに成長したからである。
 
本年中に、本書を読み解き、ブログとしてまとめてみたいと思っている


石坂宗哲が考察した営衛と宗気 ver.1.3

2018-08-01 | 古典概念の現代的解釈

本稿は、ブログ「営衛と宗気のイメージした解説
https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=6b294c3841433e83f3a321c4b291a6df&p=1&disp=50
の後編に相当するものです。


1.石坂宗哲の時代的背景と年譜

甲府の鍼灸医家系の三代目として1770年に生まれた宗哲は、年少の頃から伝統的な鍼灸を学んでいた。青年時代の状況は記録に残っていないが江戸で鍼灸医として働いていたらしい。この功績が江戸幕府に認められ、1797年弱冠27才にして甲府の西洋医学校を創設するよう命じられ、鍼科顧問になった。31才で再び江戸に呼び戻され、寄合医師(江戸幕府への通い医師)、鍼科奥医師(将軍家の診療にあたる医師)、法眼(医師頂点の称号)と出世の階段を上るようになった。 
 
宗哲の特異な背景としては、幼少時(3才頃)杉田玄白らの『解体新書』刊行という時代で、西洋医学というものに触れる機会があったことと、42~46才に当時の医学・博物学の知識人シーボルトと交流した環境が関係しているといえだろう。シーボルトは日本の鍼灸を、宗哲からの話を聴くことで知った。宗哲が西洋医学を盲信する医師であればシーボルトは興味を示さなかっただろうし、東洋医学オンリーの医師であれば西洋医学との接点を見出し難く、シーボルトとの対話は成立しなかっただろう。シーボルトが理解したわが国の鍼灸医学は、ほぼ石坂宗哲が説明した内容だった。
  

1770年0才 江戸後期、甲府に石坂宗哲生誕。代々鍼灸医の家系を継ぐ。

※27才 甲府医学所(西洋医学校)設立。鍼科創設。
1801年31才 江戸に戻り、寄合医師になる。
1804年33才 奥医師(鍼科)となる。
1812年41才 法眼となる。
         この頃から蘭学と漢医学(東洋医学) の漢蘭折衷を模索。  
1822年~1826年 42~46才 ドイツ人医師シーボルトと交流
         自著『鍼灸知要一言』などをオランダ語に訳し、シーボルトに渡す。
         シーボルト帰国後、石坂宗哲は独自の理論を石坂流と命名。独自の鍼灸理論を追究した。
1826年 『知要一言』・『医源』・『宗栄衛三気弁』・『鍼治十二條提要』刊行。
1841年 『内景備覧』刊行。
1842年 72才 死去

 

 

2.伝統医学を刷新させるため西洋医学知識を利用

三代目の鍼灸医としての家系に生まれ、幼少の頃から漢方医学に浸かって育った石坂宗哲は、西洋医学に惹かれる一方、先祖代から続いている伝統医学を価値のないものとして捨て去ろうとする考え方にも同意できなかった。それどころか、中国古代の医学書のよく分からない部分をオランダ医学という別な角度から眺めることで、漢方医学を発展できるのではないか(知要一言)と考えた。
 
その中核的内容として、人体を巡るもの(伝統医学では十二經絡)の実態についてだった。具体的には脳と脊髄、脳脊髄神経、及び血管系に着目した。
その一方、いわゆる伝統理論に対する批判は痛烈だった。精神・宗気の道(めぐり)を見失って、陰陽五行という考えが唱えられるようになった。栄衛・経絡の真実を見失って、十二経脈の流注が一つながりにつながっているという考えが現れた。末流に登場した誤った説を信じて、源流にあった真実を捨て去ってしまったのだ。(『宗栄衛三気弁』)

 


3.営衛と動・静脈

松本秀士:動脈・静脈の概念の初期的流入に関する日中比較研究 或 問 WAKUMON 59 No. 14(2008)pp.59-80   より

1)解体新書にみる動静脈
 
動脈・静脈という訳語が与えられたのは「解体新書」(1774)からである。ハーベイの血液循環説発表は約150年以前のことだったので、解体新書には現代医学でも通用する血液循環のしくみ(心臓→動脈→小動脈。小静脈→静脈→心臓)という循環があることを証明した(1628年)。またその直後にマルチエロ・マルピーギの顕微鏡発明に伴い、毛細血管も発見された。これらの知見の後に、解体新書がわが国に入っていきたことは幸運だった。西洋医学でも17世紀頃まではローマ時代の医師ガレノスが唱えた血液巡行が信じ続けられていたからである。
 
ところで「脈」とは血の流れる管という意味で、動脈との名称は、<脈うつ脈管>であるところからで、その一方脈の打たない脈管は血脈(けつみゃく)と命名した。血脈との名称は、伝統医学でいう血脈(血液の流れる管、血管)をそのまま流用した。なお静脈と命名されたのは1800年代からであった。
 
杉田玄白は、人体をめぐる4種類のものは、動脈、血脈、筋、神經以外にないと記していて(『医事問答』1795)、十二經絡の存在を疑問視し、十二經絡とは動脈や血脈のことではないかと推察した。

 

2)石坂宗哲の営衛の考え方(『医源』より)
 
宗哲は心臓→動脈→細動脈→毛細血管→細静脈→静脈→心臓という循環は理解していたらしい。「心蔵は血脈を出入させている。これを栄衛と呼ぶ」とある。


①動脈とは‥‥

拍動している血管のことを栄とよび、中を動脈血が整然と進み、拍動して止まることがない。進むにつれて枝別れして、太さにより経絡・別絡・孫絡・支絡・細絡の区別がある。
内部から始まり、外部に向かう。
以上の内容から宗哲は、經絡はすなわち動脈血管と考えていたことが理解される。

 

③静脈(血脈)とは‥‥

「衛は拍動せずに入っていく。脈外を進み、途中各所に節(弁)がある。栄と同様に経絡・別絡・孫絡・支絡・細絡がある。外から始まって内に向かう」とある。
動脈と異なり、静脈の解釈は現代解剖学とは異なる。脈外を進むというのを、血管外と理解すれば静脈ではなく、これは<衛>の定義になる。
衛は栄の終る所から始まり、逆行して胸腹部に集まり、心臓の右側に入る。起始部は絡であり、その終点は経になる。つまり、栄と衛は互いの始まりと終わりの所で繋がり、経絡を受け渡し合っている。環に端がないのに似ている。以上の記載は、現代でいう静脈の走行そのものである。末梢から始まって心臓に向かうほど太い血管になるという点も矛盾がない。
 
 
衛は血管外を走るという点を考察してみた。人間は自分の上下肢や顔面などで外から皮膚を見ると処々に青黒いパイプのような血管を散見できる。これは表在静脈で中には当然静脈血が流れている。ここを刃物で切ると動脈血管ほどでないにせよ出血するだろう。
一方、このような表在血管部位でない場所を刃物で切っても、やはり出血する。これは皮静脈を傷つけた結果であるが、宗哲は皮静脈の存在を知らないことで、血管外と判断したのではないだろうか。このことから推察するに、表在静脈は栄が流れる部、すなわち動脈と理解したのではないかと考えたと思った。
 
外から見て視認できる血管は、表在性なのでほとんどは静脈なのだが、これを動脈と解釈することで、営衛と動静脈循環の整合性を導いたと思われる。

 

 
宗哲は、表在静脈を「動脈」とし、皮静脈を「静脈」とした?

 

4.宗気と脳脊髄神経

1)宗気は神経線維中を流れる水液のことか? 

石坂宗哲は、脳脊髄神から起こり、12対の脳神経、31対の脊髄神経の末端までの神経伝達の物質を宗気とよんだ。ちなみに<神経>との名称は杉田玄白らの『解体新書』で初めて用いられたzenew(オランダ語発音ゼニウ。世奴と表記。英語のnerve)を神経と和訳した。神気と経脈とを合わせたことに由来している。神経との和訳は、中国語にもなった。
nerveは中国語でも神経である。

「宗気は純白の水液にして脳髄より出でて一身に周行する」とある。純白というのは、神経線維の色調のことをさしていると思える。水液の意味は不明だが、神経線維を植物の茎に例えれば、茎の中の細い管を流れる水液のことを指しているのではないかと想像する。
要するに神経というパイプの中を、宗気という水液が流れている。

 

2)脳髄―精神―宗気論 

宗気が正常に生成され、身体をくまなく行き渡ることで、健全な精神が生まれる。精神は、古くからある中国語で、精+神の複合語である。


①神とは大脳皮質機能のこと

ここでいう神とは神様のことではない。神とは寒温を覚え喜怒哀楽の情を起こし、臭味を知り、事物を辧(わきまえ)る等、己に具えて己の自由となるもの。要するに大脳皮質の健全な作用を意味する。正常な意識がなくなった状態は「失神」、意識はあってもそれが正常でなければ「狂」である。

 


②精とは命の炎のこと 

精とは生命の元である。例えれば命のロウソクの炎のことをいう。両親のもつロウソクを炎を、その子に分けてやることで新しい生命が誕生する。誕生後に空気や飮食の力を借りて、心身が成長するにつれ、ロウソクの炎が大きなものになる。成人になると、ロウソクの火を新たな生命の誕生のために分けてやれるようになる。しかしやがては病や老化により、自分のロウソクの炎を保てなくなる。これが死である。

 

5.鍼の臨床

1)総論

石坂宗哲は、<定理>すなわち真実を追究した学者として有名だが、具体的な治療内容については、あまり記録が残されていない。少ないが治療原則として次の内容が知られている。 

①鍼の効能には、宗気とした神経系を調整することを補法、瀉血(静脈を切って鬱滞している悪血を取り除く)し、営衛の気を流通させるのを瀉法と位置づけた。(『鍼灸茗話』)
②すべての病気の本質は神経のマヒ(神経筋肉内の痺症)であり、鍼は神経や筋肉のマヒをとくものであるから、鍼はほとんどすべての病気に適応がある。
③極細の銀針を用いて、補法手技を多く使う。温和な手技で丁寧に時間をかけて必要な治療量を与えることと、背中を治療する場合、一般の鍼灸家なら正中線の外方1寸5分の輸穴や膀胱系二行線を主として治療するところだが、石坂宗哲は正中線から外方5分の夾脊穴上を好んで治療した。宗気の放散する起始点として、脊柱傍への刺激は広い適応がある。

 

2)治療の実際

石坂宗哲自身の鍼治療技術が明記されているものは実存しないので、現在となってはどのような治療方法が当時の石坂流の鍼にあたるのかは確定する ことはできない。
現代では町田栄治氏が第一人者とされていて、専門雑誌への投稿や著作「石坂宗哲流鍼術の世界」などの労作が知られている。町田氏の著作は入手できなかったが、後藤光雄氏の「石坂流鍼術の特質」をネットで発見できたので、その内容を簡単に紹介する。なお後藤氏は町田氏の徒弟にあたる方である。

①神部の銀鍼、寸5または2寸を使用。
②誘導刺
誘導刺(杉山真伝流の管散術で、切皮したまま管ごとトントンと繰り返し叩打)を肩背部から腰部にかけてて脊椎両側に約5分間行い、深刺の準備を患者に与える。
③背部深刺
伏臥位にて、肝兪・脾兪・胃兪・三焦兪・腎兪;腎兪・大腸兪などと、その高さの夾脊穴に四診あれば深刺する。深刺しなければ深部の硬結はとれない。硬結がなければ刺さない。深刺は、ゆっくりと時間をかけて深部の硬結を揉撚し、置針の際も両手を離さず鍼をもったままにする。
後頭部では、天柱・風池・大杼・瘂門。以上に25分間。
④仰臥位
腹部(中脘;中管、陰交、関元;關元、章門、期門)、喉部(天突、人迎、甲状軟骨周囲)、肩甲上部(肩井、肩髎、肩外兪、秉風)以上に10分間。
⑤手足は補助的にのみ行い、普通は省略する。
                  (治療時間は、約40分間)

 

 

 


       

 


     

 


営衛と宗気のイメージ化した解説

2018-06-22 | 古典概念の現代的解釈

江戸時代末期の異端の鍼灸医師、石坂宗哲の真骨頂は、古典学説の營衞を動脈と静脈に、宗気を脳神経系捉えることで、当時のオランダ医学と一本化しようとしたことにあると思っている。こうした石坂宗哲の考えを理解するには、それ以前の伝統的な營衞と宗気について知っておく必要があるだろう。当時の中国人の頭脳になったような気持ちで考察してみたい。

1.營衞

1)衛気営血弁証のおさらい


外感熱病である温病に関する弁証で、主として「熱邪」による陰液消耗の経過を分析したもの。 衛気営血弁証の気や血は、基礎医学上の気や血とは異なる意味で用いられていて、病像には便宜上、衛・気・営・血という名前の4段階あるというように解釈する。表証は衛分証、裏証は気・分・血の各証に相当する。各証の概念は次の通り。

①衛分証
発病初期の段階。温邪を感受。この邪が口・鼻から入り、往々にして肺を犯す。
 ↓
②気分証
外感熱病の進行期。温邪が熱邪に変化して裏に入った状態。入った部位により症状は異なり、肺・胃・腸などの臓腑症状を呈する。
 ↓
③営分証
熱盛期にあたり、脱水が生じた段階。
 ↓
④血分証
陰の消耗がはなはだしく出血傾向を生じる。危急段階。


2)営・衛のイメージ


衛気営血弁証は、当時の中国の敵と味方の攻防から考えだされたのかもしれない。士官が陣営にいて、兵卒は周辺を防衛する。(「『史記』五帝本紀)
「営」は松明(たいまつ)で取り囲んだ建物。「衛」は外を巡回すること。ともに巡回する意味を含む。軍事用語であった營衞を医学に転用したと。 (林孝信 日本内経医学会研究発表   2010年1月10日)
このイメージをイラスト化してみた。陣地の内側に兵舎「営」があり、明で照らされている。周囲は棚で囲まれ、出入口の門(「腠理」がある。棚の外側には守備隊である「衛」が配置され、外敵から陣地を守っている。外邪は門から中に入ろうとするが「衛」はこれを防禦する。

 

3)衛の役割 

衛は水穀の悍気のこと。脈の中に入ることができないで脈外である皮膚の中や筋肉の中を走っている気。外邪を守衛する役割があることから、「衛」と名づけられた。(「素問」の痺論)
外邪が侵入してきた場合、まず最初に戦うのがこの衛気であり、高熱前の悪寒戦慄は、衛気が邪気に抵抗している一つの現れである。

4)営(=栄)の役割 
営は水穀の精気のこと。五臓を調和し六腑にそそぎ、よく脈に入る。栄とは消化吸収された栄養素のこと。現代の血液とほぼ同じ意味。血液そのものを営血ということもある。

 

2.古代中国の皮膚関連単語

上述のイラストでは、血管から皮膚部まで古典的に4層の組織を分けているが、現代医学での皮膚・皮下組織構造との対比を行った。

 1)皮毛
皮とは表皮と乳頭層部分のこと。毛とは体毛のこと。2つ合わせて皮毛という。

2)腠理(そうり)
腠理には、皮毛と筋肉の間という意味と、体液が出る場所という2つの意味がある。一般的には、後者の認識であることが多いが、体液がにじみ出る処という意味で両者は共通性がある。

① 皮下組織(皮下脂肪組織)をさす

 

「腠」は、「肉」+「奏」の合わさったもので、「奏」には集まるの意味がある。腠理とは人体の脈や筋などが集まったところの意味、具体的には、皮膚、筋肉、臓腑の間を指す。

真皮と筋肉の間の隙間である皮下組織部分も腠理である。真皮と皮下組織はゆるく結合しているので、動物の毛皮の採取には、皮を引っ張り、皮と筋肉間にある皮下組織部分をナイフで断ちながら剥いでいく。が、その剥がす断面を腠理とよんだのではないかと夢想している。真皮と皮下組織はゆるく結合している部分に、体液がにじみ出て、地下水のような形で皮下を流れていると考えた。

②体液が出る部
皮下を流れる地下水は、ところどころ井戸のような形で汗腺が口開け、皮膚表面に出てくる。これが汗である。体液がにじみ出る処という意味では、汗腺も腠理といえる。
この井戸の縦坑の断面積は一定でなく、広がったり狭まったりする。縦坑が広がることを、腠理が開くという。腠理が開く目的は、衛気を外に発散して外界に対する防御のためであり、津液を汗として体外に放出するためである。これを宣散作用とよぶ。
腠理が閉じる目的は、津液が体外に漏出することを防ぐことにある。これを固摂作用とよぶ。
    
3)肌肉と筋(すじ)

古代中国人は、筋肉を、肌肉と筋(すじ)に区別して認識していた。体幹の背部、胸腹部にある軟らかい筋を肌肉とよび、前腕、下腿にあるスジ状の筋肉を腱を含めて筋(スジ)とよんで区別した。

4)(血)脈

血管のことを脈という。血管には拍動するものと、しないものがあるが、拍動するものを動脈、しないものを血脈(けつみゃく)とよんだ。なお血脈を<けちみゃく>と読ませると、仏教用語で祖先から代々受け継がれる血統のことをいう。

 

3.宗気 

1)宗気の伝統的意味

宗気は気の種類の一つで、水穀が化生した營衞の気と、吸入した大気が結合して、胸中に蓄積された気のこと。宗氣の作用は、中国漢方医語辞典によれば「一つは上がって喉へ出て呼吸を行うもので、言葉・声・呼吸の強弱に関係すること。もう一つは心脈へ貫注し、気血を運行することである」とある。これは他の書籍をみても判で押したように同じことが書かれているのだが、それ以上の深い内容に乏しく、宗気をイメージすることは難しい。本当のところは誰もわかっていないのではないのではないか、と疑いたいところである。

2)宗気とは雲のことか? 

①「雲」の漢字の象形 
私は、昔から宗気とは雲のことだと直感的に考えていた。古代中国人は雲の成分が雨粒だと正しく理解していたらしい、というのは「雲」の漢字は、「雨」+「云」に分解され、云は雲に隠れた龍が尾だけ出した状態という象形文字に由来するという。

雲に頭を隠した龍 https://www.47news.jp/24510.html

②人体中の雲の生成と宗気
自然界の水の循環は次のようになっている。
海などの水が太陽の熱によって蒸発し水蒸気となる。→上空で冷やされる→小さい水滴となる→この水滴が集合して雲になる→水滴が集合して重たくなると空中に留まれずに雨になって地上に落ちる。
 
この状況を、人体にたとえた蒸籠で再現すると、つぎのような図になる。
蒸し器の下に腎水が入れてあり、それを命門の火で温められ水蒸気になる。水蒸気は上るにつれ冷やされ、小さな水滴となる。それが集まって雲となる。古代中国人が蒸籠内の「雲」を発見し、宗気の概念を創作したのだろう。


腹診に関する現代医学的解釈 ver.2.0

2018-05-25 | 古典概念の現代的解釈

日産玉川病院東洋医学科では、腹証を診ていた。古典的解釈と現代医学的解釈を併用していたが、意見の統一をはかるための資料として「東洋医学診療マニュアル」(代田文彦先生口述、鈴木育夫、武藤由香子両先生整理)が作製された。この冊子の部分的紹介が当ブログ2006年5月14日報告の<腹証に対する現代医学的解釈>であった。

あれから十二年経た現在、ブログ<alternativemedicine>腹証に関する研究文献の紹介が記されていた。このブログ著者は匿名だが、日頃から国内だけでなく国外の高水準の鍼灸関連文献を紹介しているので、おそらく関西在住の鍼灸大学研究者であろう。今回の腹証に関する文献も私の知らないことが多くあり、その内容を私のブログに利用させていただいた。

 


1.腹部全体の緊張


1)所見

著しい腹壁の緊張。腹壁は板のように硬くなる。
2)解釈
代田文彦氏(以下代田と略):腹膜刺激症状としての筋性防衛。緊急手術が必要。


2.腹満


1)所見:自他覚的に腹が全体に張っている。


)解釈

①一般:腸内のガスは、小腸の栄養吸収力不足のため、大腸にまで栄養成分が行き、これを養分として腸内細菌の異常発生による。治療は小腸機能の活性化をはかる。
②代田:多くはガスで、ガスか否かは打診で判断する。鼓音を呈すればガス。他覚的な膨満のみで愁訴が伴わなければ現代医学では問題にしない。



3.心下痞鞕(しんかひこう)


1)所見

心窩部が硬くなり、押すと硬い抵抗に触れる。心下部がつかえるという自覚症状のみは、心下痞という。「鞕」の読みは「こう」かたい、しんがかたい、かたくこわばるとの意味。心下痞硬は誤字だが、今日では心下痞硬と表記する方が普通になってしまった。

2)解釈

①代田:胃腸管スパズムの反応。もしくは腹腔神経叢の反応。瀉心湯を用いる。
②寺澤捷年氏(以下寺澤と略):心下痞鞕が膈兪・肝兪・胆兪などの脊柱起立筋群の刺鍼で消失することを報告した。しかし、これらの刺鍼で胸脇苦満は消失しないことを同時に報告した。


4.胸脇苦満


1)所見

肋骨弓から心窩部にかけて、帯状に自覚的な重苦しさ、張った感じを訴える。他覚的には、肋骨弓下縁から手を内上方に押し上げるように挿入すると抵抗を感じる

2)解釈

①代田:横隔膜隣接臓器(おもに心、胃、肝)の異常により、横隔膜が緊張している状態。おもに左側は肝臓、右側は胃の反応。なお古典でいう肝の病は、現代ではストレスに該当するので、胸脇苦満は心労でも生ずる。柴胡剤(大柴胡湯、小柴胡湯など)を使うが、それよりも中背部の鍼灸の方が早く治せると思う。
②寺澤:棘下筋の天宗への刺鍼で、胸脇苦満が消失し、さらに「しゃっくり(吃逆))」が消失することも経験した。棘下筋がC5・C6に起始する肩甲上神経に支配され、横隔膜がC3・C4・C5に起始する横隔神経に支配されることから横隔膜からの内臓体性反射で「胸脇苦満」が起こるのではないか?と考察した。
寺澤 捷年「胸脇苦満の発現機序に関する病態生理学的考察—胸脇苦満と横隔膜異常緊張との関連—」『日本東洋医学雑誌』Vol. 67 (2016) No. 1 p. 13-21


5.胃内停水(心下支飲)


1)所見:仰臥位で心窩部を軽く叩打すると、ポチャポチャと振水音がする。


2)解釈

①代田:胃が拡張し、液体成分と空気が多量に存在する場合に生ずる。胃が水をさばききれない時に生ずる。胃の消化機能低下状態。虚証のサイン。人参湯、四君子湯などを使う。
②鈴木育夫氏:腸機能の低下が本体で、腸への水分流入を拒否しているので結果的に胃内の水分が腸に流出できない状態か?

6.腹皮拘急(=腹皮攣急)

1)所見:左右の腹直筋が細く緊張している状態。

2)解釈:交感神経緊張状態



7.小腹急結(=少腹急結)



1)所見:指頭を皮膚に軽く触れたまま、左臍脇から左腸骨結節にむけて、迅速になでるように走らせる。この時、擦過痛を有するもの。索状物は触れても触れなくてもよい。索状物があって擦過痛がないものは小腹急結ではない。

東洋医学の腹部名称は、次のごとくである。下腹部を「小腹」、側腹部を「少腹」というが、鼠径部あたりは小腹・少腹どちらになるかは判然とせず、どちらも認められている。

 

2)解釈
①古典的解釈:瘀血の重要所見。駆瘀剤(桃核承気湯など)を用いる。
②形井秀一氏:腹大動脈が左右の腸骨動脈に分岐するあたり(とくに左側)は、圧迫されやすい。(「治療家の手のつくりかた」六然社)
③代田:婦人科生殖器内臓の部分的浮腫。



8.小腹不仁

1)所見:上腹部に比べ、下腹部が軟弱(緊張度が低下)で空虚である。不仁とは、普通でない状態をいう。

2)解釈

①古典では虚証のサイン。八味丸が用いられる。
②似田:腹腔は臍から上は陰圧、臍部で大気圧と同じ。臍下は陽圧となっている。生理的に下腹は上腹に比べ、硬いのが正常。