AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

腹診に関する現代医学的解釈 ver.2.0

2018-05-25 | 古典概念の現代的解釈

日産玉川病院東洋医学科では、腹証を診ていた。古典的解釈と現代医学的解釈を併用していたが、意見の統一をはかるための資料として「東洋医学診療マニュアル」(代田文彦先生口述、鈴木育夫、武藤由香子両先生整理)が作製された。この冊子の部分的紹介が当ブログ2006年5月14日報告の<腹証に対する現代医学的解釈>であった。

あれから十二年経た現在、ブログ<alternativemedicine>腹証に関する研究文献の紹介が記されていた。このブログ著者は匿名だが、日頃から国内だけでなく国外の高水準の鍼灸関連文献を紹介しているので、おそらく関西在住の鍼灸大学研究者であろう。今回の腹証に関する文献も私の知らないことが多くあり、その内容を私のブログに利用させていただいた。

 


1.腹部全体の緊張


1)所見

著しい腹壁の緊張。腹壁は板のように硬くなる。
2)解釈
代田文彦氏(以下代田と略):腹膜刺激症状としての筋性防衛。緊急手術が必要。


2.腹満


1)所見:自他覚的に腹が全体に張っている。


)解釈

①一般:腸内のガスは、小腸の栄養吸収力不足のため、大腸にまで栄養成分が行き、これを養分として腸内細菌の異常発生による。治療は小腸機能の活性化をはかる。
②代田:多くはガスで、ガスか否かは打診で判断する。鼓音を呈すればガス。他覚的な膨満のみで愁訴が伴わなければ現代医学では問題にしない。



3.心下痞鞕(しんかひこう)


1)所見

心窩部が硬くなり、押すと硬い抵抗に触れる。心下部がつかえるという自覚症状のみは、心下痞という。「鞕」の読みは「こう」かたい、しんがかたい、かたくこわばるとの意味。心下痞硬は誤字だが、今日では心下痞硬と表記する方が普通になってしまった。

2)解釈

①代田:胃腸管スパズムの反応。もしくは腹腔神経叢の反応。瀉心湯を用いる。
②寺澤捷年氏(以下寺澤と略):心下痞鞕が膈兪・肝兪・胆兪などの脊柱起立筋群の刺鍼で消失することを報告した。しかし、これらの刺鍼で胸脇苦満は消失しないことを同時に報告した。


4.胸脇苦満


1)所見

肋骨弓から心窩部にかけて、帯状に自覚的な重苦しさ、張った感じを訴える。他覚的には、肋骨弓下縁から手を内上方に押し上げるように挿入すると抵抗を感じる

2)解釈

①代田:横隔膜隣接臓器(おもに心、胃、肝)の異常により、横隔膜が緊張している状態。おもに左側は肝臓、右側は胃の反応。なお古典でいう肝の病は、現代ではストレスに該当するので、胸脇苦満は心労でも生ずる。柴胡剤(大柴胡湯、小柴胡湯など)を使うが、それよりも中背部の鍼灸の方が早く治せると思う。
②寺澤:棘下筋の天宗への刺鍼で、胸脇苦満が消失し、さらに「しゃっくり(吃逆))」が消失することも経験した。棘下筋がC5・C6に起始する肩甲上神経に支配され、横隔膜がC3・C4・C5に起始する横隔神経に支配されることから横隔膜からの内臓体性反射で「胸脇苦満」が起こるのではないか?と考察した。
寺澤 捷年「胸脇苦満の発現機序に関する病態生理学的考察—胸脇苦満と横隔膜異常緊張との関連—」『日本東洋医学雑誌』Vol. 67 (2016) No. 1 p. 13-21


5.胃内停水(心下支飲)


1)所見:仰臥位で心窩部を軽く叩打すると、ポチャポチャと振水音がする。


2)解釈

①代田:胃が拡張し、液体成分と空気が多量に存在する場合に生ずる。胃が水をさばききれない時に生ずる。胃の消化機能低下状態。虚証のサイン。人参湯、四君子湯などを使う。
②鈴木育夫氏:腸機能の低下が本体で、腸への水分流入を拒否しているので結果的に胃内の水分が腸に流出できない状態か?

6.腹皮拘急(=腹皮攣急)

1)所見:左右の腹直筋が細く緊張している状態。

2)解釈:交感神経緊張状態



7.小腹急結(=少腹急結)



1)所見:指頭を皮膚に軽く触れたまま、左臍脇から左腸骨結節にむけて、迅速になでるように走らせる。この時、擦過痛を有するもの。索状物は触れても触れなくてもよい。索状物があって擦過痛がないものは小腹急結ではない。

東洋医学の腹部名称は、次のごとくである。下腹部を「小腹」、側腹部を「少腹」というが、鼠径部あたりは小腹・少腹どちらになるかは判然とせず、どちらも認められている。

 

2)解釈
①古典的解釈:瘀血の重要所見。駆瘀剤(桃核承気湯など)を用いる。
②形井秀一氏:腹大動脈が左右の腸骨動脈に分岐するあたり(とくに左側)は、圧迫されやすい。(「治療家の手のつくりかた」六然社)
③代田:婦人科生殖器内臓の部分的浮腫。



8.小腹不仁

1)所見:上腹部に比べ、下腹部が軟弱(緊張度が低下)で空虚である。不仁とは、普通でない状態をいう。

2)解釈

①古典では虚証のサイン。八味丸が用いられる。
②似田:腹腔は臍から上は陰圧、臍部で大気圧と同じ。臍下は陽圧となっている。生理的に下腹は上腹に比べ、硬いのが正常。

 


井穴知熱感度データの新たな解析法

2017-06-21 | 古典概念の現代的解釈

 

 赤羽知熱感度測定法での井穴や良導絡全身調整法での原穴の測定で得られたデータは、一つの経の左右差を問題にすべきなのか、それとも経絡別にデータの大小を問題にすべきなのか、と考えた場合、問題か否かを主観的ではなく、数値で把握できれば好都合である。筆者は三十年ほど前、得られたデータを極座標化し、極座標上の原点からの距離と角度を、基本的な統計手法で正常値と異常値に分析する方法を考えた。

この方法を知人に教えたところ、当時流行していたコンピュータ言語BASICを使って、プログラムを作ることに成功した。これには私は驚喜したが、プリンターは高価で買えず、CDドライブはなく、私のパソコンで、そのプログラムは動かなかった。ともかく、このパソコン画面を写真にとり、今から思えば冷や汗ものだが、間中喜雄先生に「データを下されば、分析します」との内容で手紙を書いた。結果は、いくら待てど音沙汰なし。そのことを同じ科の医師に話すと、「返事がないのは当たり前。おせっかいもいいところ」との叱責を受けた次第である。

 それから2年後に小田原にある間中病院に見学に行く機会があったが、私の方から、この件は言い出せず、間中先生もすっかり忘れているようだった。後日私は、見学に対する礼状を書いて送った。その文面で私は褒め言葉のつもりで「手品をみているようだった」と書いた。すると今回は返事がきて、手品という言葉にカチンときたのか、「断じて手品ではなく理論だ」との返事で、さらにこれを読むようにと、論文の別刷りが入ってきた。しかし英語で、かつ数式が多く、歯が立たなかった覚えがある。

あれから30年たったが、このまま埋没するには惜しい気持ちがある。現在では、エクセルを使えば、データ変換やグラフ化、正常値異常値の判別は可能であろう。(筆者はエクセルは苦手だが)

1.直交座標
赤羽幸兵衛は、手足の指先にある左右24カ所の井穴に、規則的に線香の火を擦りつけ、被験者が熱く感じるまでの、擦りつけた回数を測定し、左右同じ井穴の左右差を調べることで経絡の虚実を推測することを試みた。
仮に、以下のようなデータが得られたとする。(データ自体は架空)



上表で、直交座標のH1(5,7)というのは、手の1番の経絡(すなわち肺経)の井穴である少商穴で、左少商に、線香の火を5回叩きつけると被験者は熱いと感じ、右少商穴では7回で熱いと感じたことを示している。赤い於数字は手所属の六経、青い数字は足所属の六経の井穴データで、手足それぞれ6個の座標上の点が得られる。ここまでは理解容易であろう。

2.極座標変換

上図の一点Pは、直交座標(=x-y座標)では、P(x,y)と示すことができるが、原点からの距離と、x軸に対する角度で表すこともでき、p(r、θ)と表記する。直交座標を極座標に変換するには、上図の公式を使う。一見計算するのは面倒にも思えるが、現在ではパソコンソフトを使えば難しいことではない。
極座標での、rの意味は、線香の熱に対する閾値をしめすものであり、r値が小さいほど敏感で、大きいほど鈍感になる。

3.正規分布曲線による正常値と異常値の判定


 
 人間男性の身長、筆記試験の点数、血液検査値など、データの数が多い場合、ある区切りごとに該当するテータ数を調べると、正規分布になることが知られている。正規分布曲線では、平均値μとし、標準偏差値をσとする時、μ±σの範囲に全データの約68%が入り、μ±2σの範囲に全データの95%が入ることが知られている。そこで、その範囲に入らないデータを異常値と判定することにする。
(井穴12組のデータが正規分布となる保証はないが、今回は目をつぶる)

4.実際例
上記データを例にして、r値の平均値とそのプラスマイナス標準偏差値、およびθ値と、そのプラスマイナスの標準偏差値の範囲を、緑色線で図示してみた。理論上、全データの68%が、黄緑色の領域内にあることになる。

はっきりと黄緑領域外のデータは、手④、足①、足④の3つである。この異常の意味と、基本的な補寫の方法を説明する。

1)手④(脾経)の異常
熱に対する感度は正常範囲だが、左右差に異常がある。左10に対して右4である。治療は、左脾経に瀉法、右脾経に補法を行う。

2)足④(腎経)の異常
熱に対する感受性が低く、かつ左腎経が右腎経に比べて、非常に鈍感である。治療は、腎経全体としては虚し、とくに左腎経が虚しているのだから、左腎経に対して積極的に補法を行う。瀉法はどこにも行わない。

3)足①(胃経)の異常
左右差はなんとか正常内であるが、熱に対する感受性が低い。左右の胃経に対して、補法を行う。瀉法はどこにも行わない。

※同じ考え方で、良導絡代表測定点のデータ解析も可能である。しかしグラフ化する場合、各経絡ごとに、目盛りが微妙に異なっているので、一定の換算式を噛ませる必要がある。

 

2017年6月21日、本稿を参考にして以下のような論文を書いた韓国の先生がいらっしゃることを発見した。

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=39&ved=0ahUKEwiU15vH6M3UAhVCi7wKHRxSCqA4HhAWCEkwCA&url=http%3A%2F%2Fsociety.kisti.re.kr%2Fsv%2FSV_svpsbs03V.do%3Fmethod%3Ddownload%26cn1%3DJAKO201121554124465&usg=AFQjCNFpXNZ2Va8T4PA2euPSEbrpPm5mPQ


奇経八脈の性質と流注  Ver.2.0

2017-01-30 | 古典概念の現代的解釈

 1.奇経の諸元

奇経は分からないことが多いが、手始めに奇経八脈の諸元について示し、古典的な語意について若干の解説を加える。




①下極:体幹の一番下の兪穴。すなわち長強穴。

②陽脈の海、陰脈の海
「海」とは、多く集まる処の意味。前者は他の陽経と多数連絡する処、後者は他の陰経と多数連絡する処。

③足少陰の別絡、足太陽の別絡
前者は
腎経の伴走路、後者は膀胱経の伴走路。

④経絡の海
脊柱の深部を走行。前方では諸陰経に、後方では諸陽経に交わる。

 

 2.ペアとなる奇経の走行図

奇経その走行についての古典的な図は載っていても、詳しく調べようとすると曖昧性が残る。そこで筆者は、東洋療法学校協会編「経絡経穴概論」(旧版)のテキスト記載に基づき、なるべく私見を交えることなく現代感覚での図式化を試みた。また奇経八脈は、臨床上は特定の2つの奇経をペアとして組み合わせて治療するのが普通なので、その2経を一枚の図に示した。






 

 



                                                                                                                                                                                                        3.奇経の規則性について

1)奇経八脈は、帯脈を例外として、下から上に流注する。

2)体幹前面中央には任脈が上行性に縦走している。その両脇を陰蹻脈が縦走し、さらにその左右外方を陰維脈が縦走している。体幹背面中央には督脈が上行性に縦走している。その両脇を陽蹻脈が縦走し、さらにその左右外方を陽維脈が縦走している。これらの走行は川の流れに例えることができるだろう。川の流れは中央は速く、両岸に近ければゆっくりになる。


3)任脈の絡穴は鳩尾、督脈の絡穴は長強

私が針灸学生に経穴概論の講義をする際、学生の興味を引き出すため、「昔の中国人は、人間には尾っぽが2つ有ると考えていたようだ」と話すことにしている。すなわち後の尾は尾骨先端、前の尾は剣状突起である。尾の直下に骨はないので、押圧すると指が沈む。絡穴は、正経では次経と連絡する部位であるが、奇経では深層への出入り口と考えたらしい。

4)陽蹻脈と陰蹻脈

「蹻」とは足のくるぶしのことで外果と内果がある。奇経は緊急予備用の経で、たとえて言えば、地面なのか川なのか区別がつかないほどの大雨の時のようなものである。こうした大雨の時も、小高い丘であれば、水に埋もれることないので、道しるべとなり得る。それが足の外果や内果である。人間でいえば重度浮腫のような場合である。


5)陽維脈と陰維脈

「維」とは大地をつなぐツナ、四隅を引っ張るツナの意。ここでは隅々までという意味で、陽蹻脈や陰蹻脈に属さない身体の隅という解釈。中国の神話,伝説において,天は大地の四方の果てにある柱によって支えられ,逆に大地は天に結ばれた4本の維(=太い綱)によってぶらさげられていると考えられた。天変地異が起こると、「天柱が折れ,地維が切れて,大地が東南に傾いた」などと、大げさに表現することがある。
なお四維とは四方のことだが、東西南北とは違って、東南・西南・西北・東北の方角になる。


6)体幹の流注の規則性の発見

古代中国医師は自然界の規則性に真理を見出したが、奇経走行についても、その趣向がみられる。

 





7)衝脈と帯脈

衝脈は深層を走り子宮から起こっている。その浅層は腎経が走る。衝とは、「ぶちぬくような勢いで物にあたる」ことで、イメージとしてはビンに入った炭酸水の栓を抜くと、沸いてくる炭酸泡の勢い、あるいは間欠泉における噴水の吹き出しである。月経が定期的に発来することに関わっている。

帯は胴の臍周りの細い部に巻く布などの名前である。ベルトが緩むと、ズボンが下に落ちてしまうように、帯脈の役割は、子宮にある血を漏らさないように留めておくのだろうと考えることができる。病的に膣口からダラダラと血が垂れた状態を帶下、またはコシケ(腰下)とよぶ。帯脈は、腹部の脹満、臍から腰周りの痛みを生じたり、帶下(膣からの不正出血)にも関わりがある。 

 


4.ペアとなる奇経

奇経8脈には定められたペアとなる組み合わせがある。ただし( )内は各経の代表ともいえる宗穴。


①陰維脈(内関)-衝脈(公孫)
②陽維脈(外関)-帯脈(足臨泣)
③陰蹻脈(照海)-任脈(列缺)
④陽蹻脈(申脈)-督脈(後溪)

ペアとなる宗穴に施術するのが原則で、したがって手関節と足関節部付近にある

12本の正経上には、それぞれの代表ともいえる原穴が定められている。しかしながら、衝脈の宗穴である公孫、帯脈の宗穴である足臨泣、任脈の宗穴である列缺、督脈の宗穴である後溪は、自からの経脈上にないのである。このことが多くの後の研究者を悩ませることになった。

ともかくも、奇経治療の方法は、定められたペアの宗穴を施術することになるが、結果として手関節と足関節あたりに治療穴を求めることになる。

この説明困難な状況を解決するには、先に記した奇経走行図では不十分であって、たとえば陰維脈と衝脈パターンの治療には内関(手関節あたりにある)と公孫(足関節あたりにある)をつないだルートを見出す必要があるだろう。


 

(以下に続く)

http://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/06085ff4802003deee939ada19451657





 

 

 

  


鍼灸古典派は、現代的な意味での発展はできるのか?

2013-01-15 | 古典概念の現代的解釈

代田文誌が昭和24年の経絡論争の時に、古典治療派に対し、「なんで現代の知識を応用して鍼灸を発展させることがいけないことなのか(大意)」ということを述べていたという。この話は現代鍼灸科学研究会メンバーのT先生に教えてもらった。至って当たり前かつシンプルな意見であるが、重要な問題提議になっている。この問に似た質疑は、本間祥白著「誰でもわかる經絡治療講話」に書かれていると思うので、かいつまんで紹介する。

                                  
1.「誰にもわかる經絡治療講話」にみる本間祥白の嘆き    

もう40年近く前、私が鍼灸学校1年だった頃、本間祥白著「誰にもわかる經絡治療講話」を購入して読んでみようと思った。ところが本書の緒編に「まずは批判的態度を離れ、白紙になって学ぶ必要がある」と書かれていて、非常にがっかりした思いがあった。

数十年ぶりに読み返してみると、言わんとしている經絡理論は、人に説明できる程度には理解できるようになった(実際に鍼灸学校で講義を担当した)。ただし自分自身では信用できない気持ちに変わりはなかった。

しかしながら本間祥白の大言壮語するでもなく、<鍼灸師としての努力にも限界がある>とする想いが切々と伝わってくるものであった。本著は昭和24年に出版された。60年経った現在、鍼灸の科学化はある程度進んだが、それは針・灸の治効機序であって、古典的治療の進歩とはいいがたい。基礎医学の上に立脚した鍼灸術を目指すという姿勢は、いまでいう現代鍼灸派の立場となっている。

1)鍼灸科学化は、科学的教養のある人にやってもらう他ない 

司会者:(鍼灸の)科学化については異論はないのだが、一向に実現しないのはなぜか?


谷井先生:現代(昭和24年頃)の鍼灸師で科学的教養を持った人はマレである。そのような鍼灸師がいくら科学化だとの、かけ声をあげたところで科学化はできない。鍼灸師のできることは、科学的教養のある人に、鍼灸が研究する価値のある学問だということを提示することだ。すなわち科学化への素材としてこれを提供すべきだ。(本書p8)

2)古典は臨床医学としての実利性がある。ただし基礎医学の面でも努力すべき

司会者:古典の間違った基礎概念から正しい治療効果が生まれるはずはないとの意見がある。


谷井先生:治療効果という点から判断しなければならない。立派な治療体系ができているとすれば、その限りにおいて、前記の基礎知識は有用であるといえる。逆に現代医学的な基礎概念であっても、それに続く治療体系が乏しいとするならば、治療家としては前者を選ぶことになる。

しかしいつまでもこれでいいというのではない。正しい基礎医学の上に立つ鍼灸術を完成しなければならないことは当然であり、この方面でも大いに努力しなければならない。(本書p24)



2.中西医結合(中西合作)の低迷


では中国ではどうか。「中医学の科学化」とのかけ声は、政府主導で行われた。 

1949年の中華人民共和国成立後、とくに1958年の大躍進政策以後、中国政府は中医と西医の長所を互いに学び取り入れることを目標として「中西医結合」を呼びかけた。しかし中医学は自己完結型であって、中医学サイドから改善する方法はなく、事実上は西医の基準で中医を測り検査するだけのものとなった。

西洋医学の発展は現代科学的成果の相互浸透による一部分として実現したものであり、中医学は西洋医学の後についていくしかない。中医学の理論と実践を発展させるには、現代科学の成果を利用する勇気を持たなければならない。(カク(赤+邑)暁卿「中西医結合医学の歴史と現状を顧みて」福岡県立大学人間社会学部紀要2008,Vol.17,No.1.13-27)


3.結語


古典派(中医派も含む)は、自らの努力だけで科学化することは困難だろう。科学とは前例のデータを基にして修正・改善を積み重ねることができる概念のことをいう。 古典文献は内容の改変はできないだろうから、修正・改善は不可能である。この点において、古典派は宿命的に科学とは無縁な存在なのである。あるいは古典派であることを売りにし、それでメシが食えているのであれば、科学化する努力など必要ないのかもしれない。

4.余談:ヒゲについて
「誰にもわかる經絡治療講話」を読んでいたら、p137にヒゲに関する説明があった。興味深いので転記した。
髪:頭にあり。
眉:目の上にあり。音は媚であり、人に媚びるためのものである。
鬚:あごひげ。秀の音である。人物が大成して初めて出る毛である。ゆえにあごひげは、功成って生やすべきです。ビアード (beard)
髯:ほおひげ。頬にあるもの。
髭:くちひげ。口上にある、姿の音であり、容姿(すがたかたち)の美を表すひげであります。すなわち鼻下のひげは、おしゃれのひげの意です。ムスタッシュ (mustache)


 


肺の宣発粛降作用について Ver.1.3

2012-01-10 | 古典概念の現代的解釈

 

1.古代中国におけるフイゴの重要性

 これまでも私は、内臓機能が蒸し器に例えられることを指摘してきた。現在でもその見解に変化はない。しかし蒸し器に安直なフイゴを取り付けた図をもって、肺機能を説明した経緯があり、これに関しては部分的に誤りが発見できた。今回はそれを修正する。

 中国におけるフイゴは、紀元前5世紀には発明され、紀元前4世紀には広く使用されていたと推測されている。文明水準の基準となるものの一つに、鉄製品があるが、鉄製の武器や農機具は、当時の最先端技術によって製造されたものだろう。鉄をつくるには、鉄鉱石や砂鉄を炉に入れて高温で溶かすのだが、強い火力が必要となるため、フイゴは重要な道具だった。

中国で考案されたフイゴは、箱フイゴである。取っ手を押し引きして動かすが、この呼吸運動に似ている。
人体においては、セイロ外部とセイロ内部の2系統に分かれて空気を供給していたらしい。

 

2.中医学における肺の機能

1)気を主る
清気を吸入し濁気を呼出して呼吸を行う。
→現代でいう呼吸機能とほぼ同じ。
清気と水穀の精気から宗気を生成する
→体幹腔を、大自然と捉えた時、宗気とは、空にできる雲に相当する。
2)水道を通調する
呼気時の宣散機能と吸気時の粛降機能により水液を全身に散布。
→呼気時、加熱された腎水から、水蒸気が立ち上る(海から空へ水蒸気が昇る)。吸気時、体幹内部は空気を取り込むことによって冷やされ、内部の水蒸気は水滴に変化して腎水中にもどる(空から雨が降って海に戻る)。
3)百脈を朝ずる
「朝ず」とは「~に向かう」こと。つまり「全身の血管が肺に集まる」という意味。吸気時に肺は陰圧となり血が集まり呼気時に肺は陽圧となり血を推し出す。
呼吸数と脈拍数の相関は肺の作用で、精神興奮と脈拍数の相関は心の作用。全身の血を集めてまた全身に送り出し血液運行を調節する。心(君主の官)を補助するので「相傅(ふ)の官」(宰相の意味)と呼ばれる。
→肺ポンプの上壁はしなやかな物質でつくられており、それを血管が取り巻いている。呼気時、その血管部分に圧がかかり、血を押しだそうとする。押し出された血は、四肢へと向かう。 

上図は旧版である。フイゴを体幹内部に入れた状態、そして「百脈を朝ずる」(全身の血を集める)」の概念も含めた図が、次の改訂図となる。

 

 

 

4.「古代中国の臓腑観」ブログの改訂

以前、私は本ブログで、「手所属經絡と足所属經絡の意味 --古代中国の臓腑観」のタイトルで一文を書いたことがある。肺に関する新たな認識を得たので、その内容も、この場で一部変更したい。

 

 上記図と、例の蒸し器の図はともに古代中国人の内臓観を示すものだが、まったく内容が異なっている。一口に古代中国といっても、数百年の長さがある。上図に示すものは、蒸し器の図より単純なので、さらに年代がさかのぼるものであろう。

以前のブログで、五行論から、肺と大腸は「金」に属し、金は金属全般をさすのではなく、ゴールドをさすと指摘した。また心包と心、そして三焦と小腸は、「火」に属すので、胸部と腹部で、それぞれ炉にゴールドを入れ、火で溶かしているのだと説明した。

しかし鉄造りには、フイゴがいるほど高温が必要だったことを踏まえると、肺と大腸は火に空気を供給する装置だったと考えられる。

ところで胸部における肺は空気の出入に関係あることは当然としても、なぜ大腸も空気の出入と関係するのだろうか。当時の道教思想では、長寿を得るため、腹いっぱいに空気を溜め(現代でいう腹式呼吸法)、そのまま息を出さないで我慢するという修業を行った。そこから類推するに、胸式呼吸では空気は肺に出入りし、腹式呼吸では空気は大腸に出入りすると考えたのではないだろうか。

 


東洋医学人体構造モデルの総括 Ver.1.2

2012-01-09 | 古典概念の現代的解釈

 本稿は、「中医人体構造モデル」として報告したものだが、「東洋医学人体構造モデル」と改題した。

 

東洋医学人体構造モデルの新バージョン

https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/85e9d08b331ee0e7d9bce6aabe41c216

 

これまで長らく古代中国医師の臓腑の考え方をパーツごとに推察してきた。彼らは理系の頭脳を持ち、機械仕掛けのような人体構造モデルを作り上げた。その考え方を追求する過程で、今思い返すと考え違いした部分もあり、追言不足の点もあったと反省している。ここへきて、どうやら全体像が見渡せるようになったので、現時点での総括を行う。

 1.胴体は蒸籠(セイロ)、頭蓋は鼎(カナエ、現代でいう鍋)にたとえられる。鼎は蒸籠の上に3本の脚(左右の胸鎖乳突筋と脊中)で載っている。

2.蒸籠の下部には、蒸気をたてる元の物質である水が入っている。これは腎水とよばれ、飲食物から抽出した栄養物(=後天の精)が混じる水溶液である。腎水中には先天の精とよばれる両親から受け継いだ生命の素の物質も入っており、後天の精は先天の精を養っている。成人男性では性交の際、腎水中にある先天の精を放出する。つまり新たな生命を生む種を放出する予備能力がある。過度の性交あるいは老人では、新たな生命を生むどころか、自分自身の命の種(=先天の精)も減少している。

3.蒸籠下部から火を燃やし、腎水の蒸気を立て、身体にこの蒸気を回すことで生命活動が営まれる。この火は、腎陽とよばれる。

4.蒸籠は三段構造で、下段は水を入れる所、中段は蒸す食物を入れる所、上段は蒸気を溜めるところとして機能する。腎陽によって蒸籠下部が熱せられる。このことで、蒸籠は三焦ともよばれる。三焦の温度が下がる状態は、体温低下であり、腎陽の火の不足を意味する。三焦が冷えることは、身体が冷たくなることであり、死を意味する。

5.腎陽は腎水を熱することで、蒸気を出す。蒸気は蒸籠内に満ちるが、上にのぼった蒸気は冷やされて水滴となり、再び腎水に戻る。ただし蒸気の一部は蒸籠上部の穴から出て、次に鼎を底から熱すこと、脳髄を活性化させる。一方で、四肢末端に至るまで気を送り届ける。その道筋は經絡である。

6.蒸気の運行は、肺の呼吸運動によりリズミカルに変化する。肺の呼吸運動は、フイゴ運動に例えられる。フイゴを動かす力は横隔膜による。空気を吸い込むと、その空気の一部は蒸籠内に取り込まれ、蒸籠の温度を冷やすので、冷やされる水滴の量は増える。これを腎の納気作用とよぶ。
空気を吐き出す時、腎陽の火力を強くし、蒸籠の温度を上げ、吹き上がる蒸気量は増大することで、頭蓋や四肢に至るまで気を送る力が増す。

7.蒸気の元は腎水だが、蒸気を出し続けるうちに、次第に腎水量が減ってくる。この水を補充する役割は脾にある。脾は、胃に入った飲食物から、良質な水分を抽出し、腎水というタンクに流し入れる機能をもつ。
 何回も水蒸気→水滴→腎水という循環を繰り返した腎水は、次第に後天の精としての養分が失われる。また流入した水が大量なため腎水の量が多すぎる場合もある。これら不要となった腎水は、膀胱へと送られ、小便として排泄される。

8.口から摂取した飲食物は、まずは蒸籠内にある胃に運ばれる。この内容物は脾の作用で、成分別の仕分けがなされる。揮発成分は、そのまま蒸気となる。水溶性成分は腎水に滴り落ちて、水や後天の精を補充する。脂性分は、脾の作用で血に変化される。それら以外の残渣成分は、小腸ついで大腸と移行しつつ腐熟され続け、最終的には大便となって排泄される。胆からは必要に応じて胆汁が出て小腸に注ぎ、小腸の腐熟機能を助ける。
 長期間飮食ができない場合、腎水中に含まれる後天の精が不足する。この時は脾の仕分け基準を緩和させ、血や食物残渣などを材料として後天の精を加工し、腎水中に放出する。

9.血は血管内を走り、身体中をくまなく巡る。心包は、血を巡らせるための動力ポンプとしての機能がある。心包が機能停止することは心拍動の停止を意味する。
余剰の血は骨髄に蓄えられる。また脂肪に再変換され、脂肪組織として体内に蓄えられる。肝は、血の一時貯蔵の場所として機能する。
 それでもなお血が不足している場合、脾の仕分け基準を緩和し、たとえば本来残渣として小腸に振り分ける物質の一部を脂とみなし、これを原料として血を製造するようになる。

10.心は心包に包まれている。前述したように心包は血のポンプとして機能するが、心自体は、本能(性欲、食欲、怒り、恐れ)や情動(喜怒哀楽)など大脳辺縁系的な役割があると考える。これらの作用は、心包に作用して心拍数を増減させる。

11.脳は骨髄の海として把握している。身体の一部分が動かないのは、その部分の骨髄の働きの低下に原因がある。脳血管障害時のように、身体が広範囲に動かないのは、脳髄の機能低下による。脳は運動機能中枢と考えたらしい。目(視覚)・鼻(嗅覚)・口(味覚)・耳(聴覚)は、脳髄から栄養を受け取ることで機能する。

12.肝は、血の一時貯蔵としての役割のほかに、大脳新皮質的な役割があると考える。意欲、思考、理性を担当する。「肝は将軍の官」とされる。すなわち自軍を指揮して勝利に導くような能力である。

 肝は動きのない臓腑だが、肝の直下にある胆は時々胆汁を分泌する動きのある臓腑である。人間は、考えを巡らすときは静止状態で行うものだが、結論が出た後は実行という行動にでる。肝が計画だとすれば、胆は実行を担当する。胆の力が弱いと、いわゆる「胆っ玉が弱い」人間となる。

13.大腸は食物残渣から大便をつくる最終段階にある。その作用とは別に、肺のの空気ポンプから導かれたパイプが大腸に入り、余剰の気を肛門から体外に排出する役割がある。
さらに大腸は、腎陽の火に空気を送る空気を調整することで火力を制御する機能もある。

14.蒸籠内で製造された蒸気(すなわち気+水)と血の一部は四肢に向かう。
腠理は、地下水脈に例えられる。この層を気と水が流れ、その深部にある肌肉あたりに血脈があり、その中を血が流れる。この地下水脈には井戸のような縦坑が点在し、これを通って、気と水が体外に出る。気は衛気となって身体防衛の機能を果たす。水は時に汗となり、身体の水分を調整する。

15.肺ポンプの内壁はしなやかな物質でつくられており、シリンダーの動きに伴って内壁も伸縮する。その結果、肺の吸気時、体幹内の血は肺に集まる。呼気時、肺に集まった血は四肢へと放出される。
※この項を表現するため、冒頭の図を改訂した。すなわち肺ポンプの3方向を血液で囲んだ。詳しくは、拙著ブログ「肺の宣発粛降作用」を参照のこと。

追補:フリッツ・カーン(独の医学博士)が1926年に作成した、「Der Mensch als Industriepalast」では、人間の構造を機械工場のメカニズムに例えている。

 


井穴・原穴・絡穴に関する素朴な疑問の解決策

2011-01-31 | 古典概念の現代的解釈

1.井穴の半分は排水口か?(図A)
肺経・大腸経ともに水が乏しい場合 

1)肺経の絡穴である列缺からは表裏関係になる大腸経に経脈が連絡しているとされる。大腸経のどこに連絡するかは諸説ある。大腸経井穴の商陽に連絡するという見解は、同時に大腸経絡穴の偏歴から肺経の少商に連結するという見解もとっているが、そうすると偏歴→少商のルートは使い道がなくなる。表裏関係にある絡穴(図では肺経列缺と大腸経偏歴)が結合しているという見解もあり、ここは後者の見解をとることにして作図した。

2)古典では肺経は肺を源として、上肢に入り、尺沢(合)→列缺(絡)→太淵(原)→少商(井)で終わるとしている。しかし井穴の少商は湧水口であるならば、流れは衝突してしまい経脈を流れる水は行き場を失う。そこで少商を湧水口ではなく、大胆ではあるが排水口として考えることにすると、水の流れがスムーズになる。同じように考えると、十二經絡全体で排水口に該当する井穴は、手の三陰経井穴(少商・少衝・中衝)と足の三陽経井穴(兌・至陰・足竅陰)になる。
 以前、私は五兪穴(井栄兪經合)の意味について調べ、井穴は湧水口だとの見解を記した(ブログタイトル→五兪穴のイメージ)
。河川の水は導かれて田畑の灌漑に利用された。灌漑であるとすれば水の排出にも考慮があったのではないかと、古代中国の灌漑についてのネット検索を行った。すると以下のような資料を発見することができた。


 灌漑に利用された水は、<サンズイ+會 おおみぞ>から排水‥‥という記載がある。要するに、古代人も排水口に関する意識があったのである。ちなみに<瀉>とは、高い方から低い方へと水をうつす意味がある。

3)図Aは肺経と大腸経を流れる水が少ない場合である。水は大腸経に流れることはない。このため肺経絡穴の列缺と大腸経絡穴の偏歴にある水門は閉じている。
この場合、肺経→大腸経の連絡は乏しく、経絡は循環していないことになるが、少商と商陽の間は絡脈でつながっていると考えるべきだろう。このような場合、治療としては問題となる経絡の単独治療で間に合う。

2.<原穴が自経を代表する>の意味(図B)
肺経・大腸経ともに水が適度な場合

1)肺経の経脈の水が過剰な場合、一部は肺経井穴の少商から排水されるが、大部分の水は肺経絡穴の列缺水門と大腸経の偏歴水門は開放され大腸経偏歴に向かう。一方、大腸経井穴の商陽からは大腸経の湧水が出ているので、大腸経偏歴において、肺経経脈(青色)と大腸経(赤色)の経脈は混じり合う(青+赤=紫)。それ以降の大腸に向かう大腸経を流れる経脈は、紫色の肺経と大腸経の水が混じったものになる。

2)大腸経脈上で、その源泉の水質(赤色部分)を維持できているのは、井穴から偏歴直前の範囲に過ぎない。私は<原穴は、その経を代表する>との意味はここにあると考えている。原穴部分は、経脈の多少に関係なく、純粋に所属経のみの経脈が流れるからである。

3.絡穴水門が開かない場合の障害(図C)
肺経脈の水が過剰な場合 
肺経を流れる水が過剰な場合、排水口である井穴の少商からは排出しきれず、余剰の水は水門の列缺(絡)から大腸経の偏歴(絡)を通り、大腸経に流れ込む。偏歴より下流の大腸経は、肺経成分と大腸経成分の水が混じって紫色になる。
もし何らかの原因で水門が開かなかった場合、肺経実証という状態になるであろう。

4.絡穴水門が閉じない場合の障害(図D)
大腸経脈の水が過剰な場合
肺経絡穴の列缺と大腸経絡穴の偏歴間の流れは、肺経→大腸経の一方通行である(そうでなくては経脈は循環しない)。大腸経を流れる水が過剰な場合には、絡穴の偏歴の水門は閉じているので、そのまま下流に流れる。何らかの原因で水門が閉じない場合が問題で、大腸経の水が肺経に流入してしまうので、肺経の流注を妨げ重篤状態になるであろう。

5.井栄兪経合と原絡の要穴の差異
 手足にある要穴は、五行穴(井栄兪経合)と原絡ゲキの2つの視点から成っている。五行穴が自然の河川の流れる状況について記しているのに対し、原絡は河川に対する施設を示している。<原>は水質調査部であり、<絡>は放水路である。なお<ゲキ>は、後世になって考えられた概念であり、原絡と同一に論じることはできない。強いて言えば、絡我慢性症に対する治療穴なのに対し、ゲキは急性症にたいする治療穴とされるが、多分に修辞的である。

 


S先生とのQ&A 古典と經絡に関する私の見解(続)

2011-01-30 | 古典概念の現代的解釈

S先生の質問

質問1:日本、中国を問わず古典的鍼灸では何故手足に要穴(原・絡・ゲキ・五兪穴等)を配したのか。高貴な身分の人々が本当に手足だけの刺鍼で治療効果を得ていたのだろうか?手足にブスッと刺すのが一番即効性があると考えたのでは。また、一般庶民(江戸日本でいえば下級武士、士農工商、中国でも圧倒的大多数の農民層、農奴)までも体幹への鍼は受け付けなかったのか?
これまでに聞き及んだ回答の要旨は以下の如く。

1)古代・近代では特に儒教の影響があり体を傷付けることは文明人文化人のすること
  ではなかった。⇒この要因もあり特に鍼師等の身分は高くなかった。

2)鍼・湯液を主とした古代の近代科学の恩恵を享受できたのは王族・支配階級であり、それゆえに鍼師が高貴な人間の体に直接触ることができず手足で診断し、治療した。

質問2:古代・近代の鍼は現代の鍼とは全く別物で現代の釘のイメージの方が強かったという。すると現代の浅鍼なんて芸当は困難で、ぶすっと刺すしかない。
 

似田回答:
上記質問は、二十年以上前に発刊されたニーダム著「中国のランセット」針灸の歴史と理論 創元社刊が参考になるでしょう。ここでは本書を久しぶりに手にしつつ、私見を交えて紹介します。

1.手足の要穴治療の時代的必然性

中国における鍼灸の歴史では、18世紀には湯液治療が圧倒的に優位で、鍼灸は針よりも灸が主体だった。そうした彼らも自国の古典文献を調べてみると、針治療の果たした大きな役割を知って驚いた。

一方、これまで、四肢に限らず体幹にも針灸をしていたが、中国政府は儒教的教道徳から、裸をさらすことを禁じ、1822年国立医科大学で針と灸を教えることを禁ずる勅令を下した。これにより体幹への刺針は法律違反となり、必要十分な針灸ができなくなり、針灸医学は衰退の一途をたどった。手足をもって治療しようという発想は、身体に鍼灸することを禁じた制約が生み出した、やむを得ない結果だと言える。また手足しか治療点を選べないという制約は中世以前にはなかったと考えられる。

古代から手首の橈骨動脈の拍動を伺うことで鍼灸の診断に利用したわけだが、チャングムの歴史テレビドラマを観ても、治療点は手足に限定していない。素問霊枢にも、体幹部の刺針施灸に関する記載は普通にみられる。

2.要穴は、なぜ手足に多いか?
手足には要穴が集中しているが、体幹には兪募穴がある。昔の中国人が、この2つを修辞的に対立的概念として捉えたのではないか。

1)手足の要穴:經絡を流れる水は澄んでいる(各臓腑の性質の純粋度が高い)が、流水量は少ない。→川の上流的特性。水量(情報量)自体が少ないので、反応点としては難しいが、臓腑の良否をに関する診断点や治療点として優れている。

2)兪募穴:水量は豊かだが、水は濁っている(いろいろな臓腑の性質が混じっている)。→川の下流的特性。すなわち反応点として出現しやすいものの、診断点としては確実性に乏しい。 
 臨床にあたっては両者の長所と短所を認識した上で、上手に組み合わせて診療を行ったであろう。

3.素問霊枢誕生時代の鍼灸医療水準について
医学とは、宮廷画家・宮廷音楽家と同じように、王のためにあった。当時の最高水準の医学をもって王を長生させる使命があった。このような知識を平民にも還元することが王の徳でもあった。最優秀の儒医とよばれた医師は王室専用であり、二流以下の医師が平民の治療にあたっていた。

そもそも末端の医師は、金がないので専門書を買うことできず、そればかりか文字も読めなかったので、専門書を借りて読むことさえ困難だった。最下層の医師である鈴医(または串医)は、鈴を鳴らして村々を旅して、わずかな金銭をもらって治療をしていた。そういうレベルの人は古典に基づかず、代々うけついだ医術に基づいた治療をしていた。

4.針の材質

現代に伝わる針の最古の文献は紀元前600年(周代中期)であるが、それは鉄と鋼の技術が栄えるよりも1~2世紀早い。それ以前は青銅で作られ、青銅以前は植物のトゲ、動物の骨、石でつくられていた。ヘン(石+乏) という漢字は、石の針を指す。こうした材料は、皮膚を傷つけることはできても、深く刺すことは不可能だった。針は深く刺す道具ではなく、膿を切開したり、皮膚を傷つけることで筋の早期疲労回復処置(戦場で、早く体力を回復しないことには命取りだった)として行われたものであろう。

もっとも、素問霊枢(前漢後時代、紀元前200年~紀元後200年)頃になると、金属針が使われ、深刺も可能になっていた。金属針による鍼灸治療体系が 素問霊枢と捉えれば、あえて針の材質問題を考える必要はないと思う。


東洋医学での皮膚・皮下組織・筋の概念 Ver.2.0

2010-11-09 | 古典概念の現代的解釈



1.皮毛
皮膚(表皮+真皮)とウブ毛のこと。
     
2.腠理(そうり)
1) 皮下組織(皮下脂肪組織)をさす
もともと真皮と皮下組織はゆるく結合している。残酷な話であるが、小動物の毛皮の採取には、動物を生きたままの状態で剥ぐこともあるらしい。剥ぐ時、筋肉は苦痛のあまり緊張し収縮するので、剥ぎやすくなるという。剥がす面を腠理といったのではないか? ここを經脈が流れるという、現代でいう地下水のような認識であろう。流水下では卵の殻を剥くと作業しやすいように、地下水が流れている時、すなわち生きている時には、毛皮が剥ぎやすいと考えていた。

2)体液が出る部
腠理は「汗腺の元」という意味でも用いる。毛口のことを腠理とも呼ぶが、毛口は汗の出口であって、汗腺の元が腠理であり、毛の根元でもある。要するに古代中国人は汗腺と毛孔を区別していなかった。腠理は地下水脈で、毛口は井戸口のようなものである。
また体毛や表皮に皮脂膜をつくるため、毛口からは皮脂も分泌する。古典的に脂は血が変化したものと考えれば、腠理という地下水脈を流れるのは、水と血であることが推定できる。この水や脂を外に放出するのは、「気(この場合はとくに衛気)」の推動作用であり、結果として皮膚表免にも気血水が存在するといえる。
 


地下水脈と井戸口を結ぶ、井戸の縦坑は、一定の広さではなく、状況により広がったり狭まったりする。
縦坑が広がることを、腠理が開くとよぶ。腠理が開く目的は、衛気を外に発散して外界に対する防御のためであり、津液を汗として体外に放出するためである。これを宣散作用とよぶ。腠理が閉じる目的は、津液が体外に漏出することを防ぐことにある。これを固摂作用とよぶ。

古典的に毛孔の開閉は、衛気による防衛の作用とされる。古代中国人は、寒い日に、皮膚から立ち上る水蒸気を観察することで、衛気という概念を想像したのだろう。運動中は体温が高くなり、そのため汗や水蒸気の出る量も増える。これは宣散作用によるものである。
一方「腠理が開く」とは、衛気の活動が乏しく、気の固摂作用低下で自汗(暑くもないのに汗が出る)するようになる。

      「固摂」:スリットを閉じ、津液が体外に漏出することを防ぐ作用
      「宣散」:スリットを開き衛気を外に発散し、津液を汗として体外に放出する作用。
     

.肌肉と筋(すじ)
古代中国人は、筋肉を、肌肉と筋(すじ)に区別して認識していた。体幹の背部、胸腹部にある軟らかい筋を肌肉とよび、前腕、下腿にあるスジ状の筋肉や腱を、筋(スジ)とよんで区別した。
剣術の修業では、持久力よりも敏捷性を重視した。俊敏性を身につけるため、体幹の筋肉を落とし、四肢の筋肉を鍛える修業をした。だから剣術の達人は、一見すると痩せている人が多い。かつて野球のバッティングの練習で、2本バットを持って振ることは、現代では持久力はつくが、動きが鈍くなるので好ましくないとされるようになった。
 


気虚・陽虚・血虚・陰虚の考え方

2010-09-15 | 古典概念の現代的解釈
1.気虚に冷えが加わると陽虚になり、血虚に熱が加わると陰虚になる。これは中医学の基礎である。私は、この内容を、体幹内臓モデルとして蒸し器を使い、図式化しようと思った。蒸し器の原理は、自然法則にのっとったものである以上、今も昔も変わることはない。


2.気虚と陽虚

1)気虚
気虚とは、蒸し器の蒸気量不足状態である。この原因には、蒸し器を熱する火力不足の場合と、水量(=腎水量)過多の場合がある。

火力不足が原因であれば、臍下丹田の力を増すような施術をする。たとえば関元穴への補法を行う。

腎水量過多が原因では、そもそも腎水量は、脾の力の過剰により、飲食物から水分を抽出しすぎることは考えにくいので、現実的には、腎水をうまく排泄できない状況(腎の気化作用低下)で、腎水過多となるであろう。
治療は、腎の気化作用を増進する目的で、模式的には、兪募穴治療として、腎兪や京門への補法を行うことになる。

2)陽虚
陽虚とは、腎水の温度が十分に上がらず、気虚よりさらに蒸気量不足している状態である。この原因は、前述の気虚の原因と同一になるが、気虚より重症である。


3.血虚と陰虚

1)血虚
血虚とは現代医学でいう貧血と考えてよい。ただし厳密にいえば、貧血は血液中の赤血球数の減少だが、血虚とは血液量の不足をいう。
中医学では、食物を蒸すことで、脂溶成分と、水溶性分を分離し、脂成分を原料として脾の作用で血液を製造し、水溶成分は腎水中に滴り落ちることで後天の精となり、先天の精を養う目的で使われる。

製造する血が少なくなる原因には、脂質成分が十分であっても、脾の力が低下したため、血液製造能力が低下することが一因にある。
この状態を脾虚とよぶ。脾虚の鍼灸治療は、模式的にいえば、脾兪と中脘への補法であろう。

一方、火力不足で食物を十分に蒸せない場合には、食物から脂肪を分離できなくなるので、脾の力が十分であっても、血液製造量は低下する。この場合、腎水を十分に加熱できないので、蒸気量も不足し、気虚状態も合併することになる。この状態を気血両虚証をよぶ。気血両虚の鍼灸治療は、火力を強める目的で、臍下丹田を補う意味で、関元や腎兪に補法を行う。

2)陰虚
陰虚にも各種あるが、ここでは陰虚の代表である腎陰虚について述べる。腎陰虚とは、腎水不足のことをいう。

腎水不足となる一因は、脾から腎水タンクに流入する水が少なくなることである。少ない水を加熱すると、乾いた蒸気(=熱風)が舞い上がる結果となる。これを陰虚火旺とよぶ。一見すると熱症であるが、熱邪が原因でなく、水不足が真因としてある。現代医学でいう脱水状態であり、輸液を行う必要がある。中医学的には脾虚が原因なので、鍼灸治療例としては、脾兪や中脘の補法を行う。

火力過多の場合、腎水を沸騰させるので、発生する蒸気量が多くなり、その結果として腎水不足となる。これは激しい運動をした後などでみられる。現代医学での疾病としては、代謝亢進(甲状腺機能亢進症、まれに褐色細胞腫など)があげられる。鍼灸治療では、臍下丹田を瀉す意味で、関元や腎兪に瀉法を行う。

4.各病証への移行について
気虚と陽虚は、同じような原因で発症し、両者は重症度の違いにより、区別される。

これに対して、血虚と陰虚の原因は多様であって、「血虚に冷えが加わると陰虚になる」という見解には賛同できない。血虚から陰虚に移行するケース(上図の青矢印)はある。それは脾の運化作用の低下という部分で共通性はあるが、血虚は脂溶性分からの血液製造力が低下するのに対して、陰虚は飲食物から腎水に流入させるべき水が十分に取り出せないのが原因である。

火力不足では血虚になり、火力過多では陰虚になるので、病理機序としては正反対になる。

中医学にみる月経異常の病理機序と病証

2010-08-09 | 古典概念の現代的解釈

A.総論
1.女子胞(胞宮)とは
女子胞は、奇恒の腑の一つであり、子宮を中心とした女性生殖器全般を指している。
女子胞の役割は、胎児を育てることであり、そのために「胞宮には、精血(肝血や腎精)が流入する」と考えていた。

①肝血の流入
月経血は、血そのものである。この血は普段は、肝にストックされていて、月経時に放出される。一方、妊娠すると月経が停止することから、胎児を育てる栄養として必要だと考察したらしい。

②腎精の流入
胞宮に「腎精が流入する」とは、腎精には先天の精(要するに命の炎)があるので、この火を胞宮に送ることで、胎児に新しい生命を与えると捉えることができる。

2.胞絡
  胞宮に精血が流入するための通路を胞絡とよぶ。代表的な胞絡には、任脈や衝脈がある。任脈は妊娠と関係し、衝脈は月経と関係が深い。女子胞からは任脈・衝脈のほかに、督脈が出て、会陰に下ってから体表を上行する。このことを一源三岐とよぶ。

3.月経の機序
    子宮の中の血は、月に1回入れ替わる。この時の古い血の排泄が月経である。腎気が満ち 任脈や衝脈などの胞絡が
充実すると月経を迎え、胞絡が虚すると月経は終了する。なお受胎すれば月経停止し、この二脈は胎児に栄養を与える。

                                      



B.月経異常の分類
    中医学では、まず月経周期異常に注目し、次に経月量の異常・経血の色と質から細分化する。
  ※現代医学の分類
 月経周期:26日~38日が正常。28~30日が多い。稀発月経=25日以内、頻発月経=38日以上
  
     ①経早≒頻発過多月経(頻発+過長+月経量過多)                              
            月経随伴症状を伴うことが多い。大部分は子宮筋腫
      子宮は月経血を生ずる部であり、機能障害時には月経をプラス方向に誘導する。
            頻発過多月経と月経痛は重複しやすい。この場合、子宮筋腫・子宮癌・子宮内膜症を              疑う。
     ②経遅≒稀発過少月経(稀発+過短+月経量過少)
           自覚的な苦痛はあまり感じない卵巣機能の異常が多い。
       卵巣は卵胞を産生する部なので、卵巣機能障害では月経をマイナス方向に誘導する。
      ③続発性無月経:中枢性は、ストレスや神経性食思不振などによる脳-視床下部の障害。
       末梢性は、卵巣機能の低下による。
      ④経乱≒月経周期異常 →視床下部体内時計の異常。
                                



C.肝の病理変化、とくに肝鬱気滞について
   肝の重要な働きの一つに疏泄作用がある。疏泄作用とは、気血水を滞りなく、のびのびと回す力をいう。これは精神がのびのびして、初めてなし得ることなので、筆者は肝の作用とは健全な大脳新皮質作用の結果だと解釈している。換言すれば、健全な大脳皮質作用が肝の疏泄作用を生むと考える。
   その反対に肝のもつ疏泄機能低下の原因は、ストレス(抑鬱、怒り)であり、中医学では 肝鬱気滞(=肝気鬱滞)と称する。気の流れが悪くなって滞り、引き続いて血流の勢いも低下するので、胸悶、胸脇苦満、乳房脹痛、梅核気、月経異常(経早・経遅・経乱のどれもあり得る)などが出現する。
   肝鬱気滞が長期化、すなわち気が長期間鬱積すると、熱をもつようになる(肝欝化火)。火は舞い上がり、頭顔面の熱象(頭痛、目の充血、怒りっぽい)を呈するようになる。この状態を肝火上炎とよぶ。

1.肝鬱気滞 →ストレスによる視床下部体内時計の混乱
 1)病態: 抑鬱、激怒→ 肝の疏泄機能の失調 →肝鬱気滞(経早・経遅・経乱)
                                                    ↓
                                                 長期化すると肝火上炎(経早)
  2)症状:経早・経遅・経乱のどれもあり得る
            血塊が出る。
         ※血塊:子宮内のオケツが排泄された状態。肝の疏泄作用低下し、血流の勢いが低下して
           オケツ状態になる。これを気滞血オとよぶ。 寒があっても血が固まるので、血塊が
           出る。

D.経早
    月経周期が短い(27日より7日以上早まる)ものを経早とよぶ。
   熱(血熱を逃がそうと する)と気虚(気の固摂作用不足で血を留めておけない)が2大原因。

1.実熱 →熱のため血管拡張し、胞宮に血が溜まるのが速い
 1)病態:陽盛性質、辛物の偏食 →精血の熱 →血熱が胞宮に波及 →鬱熱になるのを避けるた
       め、月経が早まる。
 2)症状:熱の力で外に出る出血は鮮血である。心煩、口渇、便秘
 3)舌脈:紅舌、洪脈(=力強い数脈)

2.☆肝鬱化火 →ストレスの長期化により、熱が溜まる。熱のために血管拡張し、胞宮に血が溜まる
            のも速い
 1)病態:ストレス→肝鬱気滞(早経・経遅・経乱ともにありえる)→長期化して肝鬱化火→胞宮に熱 
      が波及 →熱を逃がすため経早 

 2)症状:経色は紫紅、経質は粘く血塊を伴う。足厥陰肝経に気滞(腫痛、心煩)
      乳房・胸脇痛・小腹部の張痛、心煩、怒りっぽい

3.☆気虚(脾気虚) →現代でいう出血傾向
 1)病態:飲食不節、労倦 →脾を損傷 →脾不統血による早経
    ※脾不統血:気の固摂作用低下による出血のことで、気不摂血ともいわれる。気虚の根本は脾
            気虚なので、脾不統血と呼ぶようになった。熱とは無関係。皮下出血、鼻出血、血
            便・血尿、月経過多。現代でいう出血傾向と同じ概念。
 2)症状:熱症状なし。経血量は多く(←脾不統血のため血がダラダラ出る)、
      経色は淡、経質は希薄

E.経遅
  月経周期が長い(28日より7~10日以上遅れる)もの。血流不足、血量不足が主原因。

1.☆血寒  →寒による血流の悪化
 1)病態:寒邪、生もの、冷たい食物 →血管縮小→胞宮に血が溜まるのが遅い
 2)症状:遅経。経血量は少なく、経色は暗紅、経質は正常または血塊を伴う。
        小腹部の絞痛(←?血証)、拒按喜温(←冷えて実証)や四肢の痛み

2.☆血虚  →貧血
 1)病態:病後、慢性出血、脾胃虚弱 →血の生成不足 →衝脈・任脈の血が不足 
            →胞宮に一定量の血が溜まるのに時間がかかる。
 2)症状:遅経、経血量少なく、経色淡、経質希薄、めまい、不眠、心悸、顔色不良

F.経乱 →年齢的に月経が切れる直前
1.☆腎虚  (月経が切れかかっている。閉経直前)
 1)病態:腎虚 →衝脈・任脈の空虚 →陰血に対する調節機能失調 →経乱
 2)症状:乱経、経血量少なく、経色淡、経質希薄、耳鳴、めまい、腰のだるさ

G.痛経とは
  月経痛のことを、中医学では痛経とよぶ。月経痛は、邪が胞宮(子宮)で経血の下流を阻滞し、「通ざれば則ち痛む」という機序で発生することが多く、痛みは激しいことが多い。肝鬱気滞、肝鬱化火、血寒オケツなどでみられる。
 現代医学的には、子宮の問題(子宮内の血がスムーズに下流しない)であることが多い。

 


中医学のインポテンツの病理機序と病証

2010-08-06 | 古典概念の現代的解釈
1.精液は余剰の先天の精である
精子は精液中にあり、精液は腎水中にある先天の精(=腎精とよぶ)から抽出されたものである。つまり精液は先天の精の一部であると古代中国人は考察したらしい。腎精の作用で成長を続け、腎精の量が一定以上になると精液を放出し、卵子と結合することで新たな生命を生むことができるようになる。やがて老化するにつれ、腎精の量が減少するので体力がなくなり、先天の精の消滅で死に至ることになる。

2.勃起
陰茎が充血して固くなるのは、肝の作用である。肝は血の一時貯蔵庫であるが、勃起の際は、肝にある血を放出し、血液循環量を多くして陰茎を固くする。むろん、血虚の場合には、肝の血を放出しても、陰茎を固くするまの血量増加には至らない。

3.病証
1)湿熱
  内臓が湿熱(≒熱中症状態)になれば、本来の機能を果たすことができなくなる。とくに男性生殖器は、湿熱に弱いので外気に露出して、冷やされる構造になっている。要するに陰部が蒸れた状態になる。

2)命門火衰(=腎陽虚) (老化によるインポテンツ)



 命門火衰は、インポテンツを生ずる最多病証である。老人になると、新しい生命を生む力(精子の放出)がなくなるのは当然として、自分自身を健康に保つための生命力さえ不十分になりがちである。これは先天の精の量の問題に他ならない。
 上図に示すように、蒸し器を温める火力が少なくなると、腎水の温度もあまり上昇しない(=腎陽虚)。脾から新たな水を腎水に注ぎ込むと、余計に腎陽虚が進行するので、脾からの水の流入を制限せざるを得ない。しかしこの状態では腎水中に含まれる後天の精の成分が少なくなり、先天の精を滋養できなくなり、先天の精の量も不足してくる。
 このような場合、自分の生命を守るため、先天の精を漏らすわけにはいかなくなる。

3)心脾両虚(体力気力不足で生じたインポテンツ、女性では更年期障害)
食物を蒸し器に入れると、そこから出てくるのは、蒸気と血液(脾にて食物中の脂肪から製造)である。気の不足は腎水減少や命門火の衰退による蒸気力低下によるもので、血の不足は脾の機能低下(脾気虚)、すなわち食物中の脂分から血を抽出できないことによるものである。血は五臓六腑を動かす燃料として利用されるが、ことに心に血が行かなくなると、心のもつ大脳辺縁系機能(本能と情動)が異常となるり、自律神経失調症状態になる。これが心脾両虚である。血の乱れから生じた自律神経失調状態とは、現代でいう更年期障害に一致するであろう。

 ※よく夢をみる原因→心血不足
   身体の陰が陽を上回れば睡眠状態になる。したがって陰虚では寝つきが悪くなる。心が活発に働くのは覚醒時であり、夜間睡眠時には心が休息する。夜間睡眠時に、心が休息するのは、陰である血が心臓に多く行くからだが、心血不足の時は、心の陰が不足し、あたかも半覚醒状態となる。他の組織は夜間状態であるのに、心だけ覚醒状態に近くなるという意味は、夢をみるということである。
前記した心脾両虚でも、よく夢をみるという症状が出現する。

中医学にみる腎・膀胱の機能と排尿障害

2010-08-06 | 古典概念の現代的解釈



1.人体の生命力は、蒸し器の中にある水を沸騰させてできる水蒸気が根本になると古代中国人は考察した。この水は蒸発して目減りするので、新たな水の流入が必要で、この役割が脾に負わせられている。脾は、飲食物を原料として生成された腎水の元をつくる。

2.腎水は、火で熱せられて、水蒸気を生む。この水蒸気は身体各所でエネルギー源として利用されるが、余剰になった水蒸気は蒸し器の上部で冷やされ、水滴になって再び腎水に戻る。腎水は何回も使い回しされるわけだが、その過程で次第に汚れてくる。この汚水を体外に排泄するシステムが、腎-膀胱にある。

3.腎のもつ気化作用(物質変換作用)により、汚れた腎水は膀胱に送られ、尿液と名前を変える。膀胱には一定の容量があるので、ある程度膀胱中に尿液が満ちても、通常は排尿してもよい時間と場所を選ぶまで、排尿を意志力により我慢する。これを膀胱の約束作用とよぶ。約束とは、括約筋の総称で、この場合は膀胱括約筋や尿道括約筋のことをいう。

4.排尿してもよい状況になれば、膀胱の気化作用により、実際に排尿する。この場合の気化とは、尿液から尿への物質変換作用をいう。

5.病的状態
1)肺熱 =肺炎など、肺における発熱性感染症
「肺は水の上源」という言葉がある。これは腎水が熱せられ、水蒸気になって上昇する高さの限界をいう。この高さになると、水蒸気は冷やされ、水滴になる。肺に熱があれば、水蒸気は上昇しても冷やされない。その結果水滴に変化する量も減って、腎水に戻れないので、腎水の量は次第に少なくなってくる。蒸し器としては、空だきになるのを嫌って、汚れた腎水であっても膀胱に放出しようとしない。この結果として尿量減少する。

2)膀胱湿熱 =膀胱炎
膀胱に外因である湿熱の邪が侵入して、膀胱のもつ気化作用の能力低下。尿液を尿に変換できない、すなわち小便量減少する。
※湿熱=暑く湿った日は、汗がでても蒸発しにくいので、気化熱を奪えず(=気の流れが妨げられる)、体内に熱が蓄積する。この場合、膀胱が熱中症状態になり、膀胱の機能低下を起こす。

3)脾気虚 =消化機能障害
脾は、蒸し器の中に、新たな水を注ぎ込む装置である。この装置の能力が低下すると、腎水量を減らさないように、本来なら膀胱に行くべき汚水も、蒸し器内に留める。膀胱に行く水量減少により、小便量も減少する。

4)腎陽虚 =老人性前立腺肥大
腎虚には、腎陽虚と腎陰虚の区別がある。腎陰とは腎水自体をさし、腎陰虚とは、腎水量の減少をいう。腎陽とは、温まった腎水をいう。腎水を温めるのは命門火力なので、腎陽虚とはこの火力が弱くなって腎水を十分に加熱できない状態をいう。
ここでの腎陽虚とは、火力が弱まった状態で、その人の生命力が低下している状態に他ならない。ちなみにこの火が消えることは死を意味している。



古代中国人の脳と頭蓋の認識

2010-07-12 | 古典概念の現代的解釈
1.胴体は蒸籠、頭蓋は鼎
  古代中国医学において、胴体は三焦という名の蒸籠(せいろ)のような生命機械にたとえられることはすでに指摘した。今回は、頭蓋が鼎(かなえ)にたとえられることを説明する。

 鼎とは、古代中国の調理器具である。円筒形の容器の下に三本足のあるのが特徴で、この空間に火を入れ、肉を炒める時などに使われた。これを頭蓋にたとえれば、三本足とは、左右の胸鎖乳突筋と頸椎になる。正面からみると、顔のようで、取っ手は耳のように見える。「鼎の軽重をはかる」とのことわざがある。これは、相手の人物の器の大小を窺うといった意味で、鼎はしばしば擬人化され、権力や器量の象徴でもあった。



2.頭部における気と血の循環モデル
 頭蓋が胴体の上にあるように、蒸籠の上に鼎は据え付けられた。蒸籠上部の蒸気穴から出る熱い水蒸気が、鼎を底から温め、脳髄に気を供給する。

 脾が生成した血は、身体の血管中を循環するが、血管の一部は頭蓋に入り、脳髄に血を供給する。





3.脳髄の認識
1)運動機能の中枢
  「脳は髄の海」という言葉があるこれは、脳は髄の集合体といった意味である。骨髄と脳髄は、ともに骨に囲まれた中にあるという共通性がある。脊髄と骨髄の区別は考えな及ばなかった。したがって脳髄という場合、脳と脊髄の両方をさす。古人は、て腕や脚に力を入れると震えるという生理現象や、末梢神経麻痺の病態から、筋を動かす力は髄にあると推定したらしい。その髄が集まる脳は、脳卒中の半身不随やテンカン発作から類推して、運動機能の中枢と捉えたらしい。

※感情の起伏と心拍数は比例することから、精神作用は「心」の反応である。これを「心は神をつかさどる」と称した。神とは、情緒・感情などの精神作用をさす。意識・判断・思考なども心の作用と捉えるのが普通だが、そうであれば肝の作用と区別しにくくなるので、筆者はこの説を支持しない。情緒・感情とは現代生理学では、大脳辺縁系の作用(とくに大脳基底核の作用)とされている。筆者は肝は大脳新皮質の作用と考えている。他に心には、「心は血脈をつかさどる」とされ、これは現代医学と同じく、血液ポンプ作用とみなされる。

2)清竅のエネルギー源
 身体上部にある穴(耳・目・鼻・口)を、清竅という。脳髄から、これらの感覚器のは、細いパイプが通っていて、感覚器の生理機能を保持するためのエネルギー源として認識されてたらしい。テンカン発作の際、口から泡を吹いたり、脳疾患で盲や聾唖になるは、古代では清竅が塞がった結果だとされていた。

3)上述した1)と2)を総合すると、知覚(眼・耳・鼻・口)などの感覚神経→大脳→運動神経という伝導路をさす。  

4.頭痛の主な病態(東洋療法学校協会教科書「東洋医学臨床論」の分類に準拠した)
1)肝陽上亢
 蒸籠上部の蒸気穴から、乾いた熱い空気が出過ぎ、脳髄を襲う。
2)腎陽虚
 腎虚には、腎陰虚(腎水不足)と腎陽虚(火力低下により腎水が温まらない)の区別がある。腎陽虚では、水蒸気の発生量が減少し、
鼎に行く水蒸気量も減少するので、脳髄に気が十分至らない。
3)痰濁
 蒸籠や鼎の清掃不良で、垢や埃が内部に付着し、水蒸気の生成を妨げている。痰濁が清竅を塞げば、脳卒中発作になる。
4)オケツ
 頭部外傷などで、脳髄に入るべき血量が減少する。
5)気血両虚
 鼎に入る、蒸気量と血液量の両方の不足。
 気虚:清陽が頭に上がらない(≒低血圧)
 血虚:頭部を栄養できない(≒貧血)
 要するに、食べないので気力がでない。食べる気力もない。







肺の宣発粛降作用について

2010-07-09 | 古典概念の現代的解釈

筆者が針灸学校学生時代(今から35年ほど前)の教科書「漢方概論」には、肺の宣散粛降作用に関する記述はなかった。当時の針灸師の認識にはこうした概念はなく、明らかに中医学の導入による内容刷新である。

人体の正常な水液の総称を津液とよぶ。唾液、胃液、汗、涙なども津液である。脾で合成された血は、正確には血球成分とよぶべきであり、それに津液が混じって初めて現代の血液と同様の概念となる。津液は、蒸し器の中で、腎水を加熱することで蒸気として発生する。それは蒸し器内を上り、蒸し器上部に空いた穴から身体各所に向けて放出される。蒸気の一部は上るにつれて冷やされ、やがて水滴になって再び腎水に戻ってくる。この一連の水の循環を「通調水道」とよぶ。ただしこの仕組みだけでは身体末梢まで蒸気を送り届ける力としては不足で、肺の呼吸運動がこの作用に協力する。

まさしく地面にある水の蒸発→雲→雨→地面に戻るという自然界の一面をみているようである。ちなみに雲に相当するのが、宗気である。

 血の循環力の源が心であるのに対し、気の循環力の源は肺である。呼吸運動で、息を吸う時には空気中の清気を体内に取り込まれ(=静粛降作用)、息を吐く時には濁気を外部に放出する一方、蒸し器内で合成された蒸気を身体の隅々まで送る原動力となる(=宣発作用)。

一般的にも「深呼吸は体によい」といわれている。東洋医学では、息を吸えば、空気を肺に取り込むが、それで終わりでなく、蒸し器にフイゴをつけたように、蒸し器内の蒸気を積極的にコントロールするという意味がある。



吸気による空気(=清気)の流入は、とくに大きく吸気する場合、肺に留まらず臍下丹田かで行き、精を活性化すると考えた。これは腎の作用(納気作用)によるものとした。つまり通常の呼吸は、肺の宣発粛降作用により行われるが、深呼吸時には、これに腎の納気作用が加わるということである。「気の主は肺、気の根は腎」とはこのことをさしている。腎不納気とは、この腎の作用が弱ったため、腹式呼吸が困難になった状態である。