未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




伸縮自在なシリコンで「丸めて運べるパソコン」も実現?
http://news.goo.ne.jp/news/wired/it/20060307/20060307301.html

 いつか、コンピューターをくるくる丸めてかばんに放り込む日が来るかもしれない。そうなれば頑丈なチタン製のケースはもう必要ない。将来を見据える人々は現在、フレキシブルな電子機器に囲まれた世界を実現する構想を抱いている。こうした機器が登場すれば、最新の薄型ノートパソコンさえ不恰好に見えるだろう。

 電子機器の薄型化が広まっている。正直、もう、このくらいのニュースでは、驚きもしない。

今回の技術は、ディスプレイのみでなく、PCの回路自体も、曲げることが可能になった。という点が新しい。だが、半導体素子の特性についての技術的な知識が乏しい我々にとって、「またか。」と言うのが、この記事に対する素朴な感想だ。

電子ペーパーの実用化などのニュースが報じられるたびに使われる言葉に、『曲げられる』というものがある。既に常套句と化しているため、新鮮味がなく、インパクトに欠ける。

だがそれ以前に、この技術には決定的な弱点がある。それは、誰も「曲げられるコンピュータ」など、欲しがっていない。ということだ。

雑誌は紙で出来ているので、曲げることができる。だが、雑誌を丸めて持ち歩いている人は、たまに見かけることがあっても、雑誌を丸めて鞄の中に入れている人は、まず、いないであろう。

コロコロコミックは論外としても、一般の少年誌でさえ、丸める方が大変であり、不自然である。

そして、もっと世間一般に普遍的に存在し、広げるとかなり嵩張るが、もっと簡単に丸めることができるにも関らず、誰も丸めようとしないのものがこの世には存在する。

『新聞』だ。

あなたは、新聞を丸めて持ちあるいている人を見たことがあるだろうか?
また、新聞を丸めて鞄の中に入れるてる人を、誰か知っているであろうか?

ましてや、丸められるノートPCが出来たとしても、それを丸めて鞄に入れようとする人が、果たしているのだろうか。

そしてこの技術には、もう一つ、大きな欠点がある。

あなたの目の前に、丸めることができるノートPCがあると想像してみよう。
そしてそれを、電車の中で広げ、膝の上にのせて、ちょっとメールを打って見て欲しい。

・・・どうです?

「ぐにゃぐにゃしてて、使い難いったら、ありゃしないっ!!」

そう叫んで、地団駄踏んでいる自分に気付くはずだ。

人々が欲しがるのは、むしろ、「折りたためるコンピュータ」であって、ただ曲げられるだけのコンピュータではない。

新しい技術で開発された斬新な商品が、時として、全く世間から相手にされないことがある。それが「時代に早すぎたため」である場合もあるが、その方向性を見誤れば、何十年経っても、まったく相手にされないままで終わってしまうであろう。


「何か、お捜しでしょうか?」
「ええ。『新聞紙』を探しているのですが。」
「新聞紙ねぇ・・・。小さな地方紙まで全面的に電子化されて、大分経ちますからね・・・。」
「どこかに、残っていないでしょうか?」
「いかに紙媒体の需要が減ったとは言え、産業用の植物相が壊滅的な打撃を受けてからと言うもの、古紙は高騰していますからね。とっくの昔に、回収し尽くされているんじゃないでしょうか。何にお使いですか?」
「うちの子供の学校で、『子供たちに昔の遊びを教える』というイベントがありましてね、私のグループでは、騎馬戦をやることになったんですよ。」
「相手を叩く棒にお使いになるんですね。」
「ええ。」
「それでしたら、この、『曲げられるコンピュータ』用に開発された、ディスプレイパネルはいかがでしょう?」
「曲げられる?いったい、何に使われていたんですか?」
「私も良く知りません。ごく少数が市場に出回ったきり、ディスプレイパネルに到っては、大量の在庫が残ってしまったようです。100人分ぐらなら、すぐにご用意できますよ。」
「これ、丸めるだけで、折りたたむことは、できないんですか?」
「ええ。さすがに、そこまでの曲率には、耐えられなかったようですね。」
「では、もう少し、別を探してみます。」
「敵を叩くには、これで充分ではないでしょうか?」
「はい。ですが、これでは、騎馬戦に必要なもう一つのアイテム。『紙で折った兜』が、作れませんからね。」

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