未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




「ウェアラブル・テクノロジー」の現状レポート
http://news.goo.ne.jp/news/wired/it/20060329/20060329301.html

 ロンドンのセントラル・セント・マーティンズ美術大学の上級研究員で、『未来の服飾』(Fashioning the Future)という著作もあるスーザン・リー氏は、「スプレー・オン・ドレス」なるものを提唱している。特殊配合の化学薬品を使い、ほぼ何もないところからその場限りのドレスを作り出せるというものだ。この化学成分を肌の上に直接スプレーすると不織布の層ができ、これを好きな形に変えられる。また、MITメディアラボでも、学生たちが「エピ・スキン」なるものを作り上げた。これは、実験室の試験管の中で培養した上皮細胞を使って作ったアクセサリーだ。

「ウェアラブル・テクノロジー」。聞きなれない言葉だ。

初めはてっきり、「ウェアラブル・コンピュータ」の記事だと思った。

『技術を着る』という表現には、ちょっとシュールな響きがある。

だが、ここで挙げられている技術は、確かに「新素材を利用した衣服」といった程度の概念からは、少し上の次元を行っているようだ。

1885年のレーヨンの発明以来、人類は衣服に対する技術革新を続けてきた。そしてその中から、時として非常に優れた特色を持つものが生み出される。

今ではお馴染みになった様々な新素材も、開発直後は非常に希少性の高いものであったに違いない。そのまま衣服にして売り出したとしても、目新しさだけでは、商品としては成り立たない。

だが、そんな高価なものであっても、世の中には必要としている人々がいる。

0.01秒の差のために、あらゆる努力を惜しまない、一流のアスリート達だ。

彼らの飽くなき向上心から、新素材はスポーツウェアと生まれ変わり、さらなる技術革新が重ねられ、やがては我々一般人が、日常的にその恩恵に預かることができるようになる。

自分の記録を伸ばすために、肉体的な自己鍛錬はもとより、果敢に最新の技術に挑戦して行く。そんなアスリートたちの尊い戦いにより、『技術』もまた、その高みへと上っていくのだ。

衣服はいったい、どこへ向かっているのだろうか。


「これですね?」
「ええ。前回採取した表皮幹細胞を、シート状に培養したものです。」
「これを、裁断・縫製して、パンツ状にするのですか?」
「いえ、剥離面に接着タンパク質が残留しますので、そのまま皮膚に装着可能です。」
「これって、透けて見えませんか?」
「透けるというよりは、皮膚の上に皮膚が貼りついた状態ですので、分子工学的見地からは、裸であるのと、何ら変わりがありません。」
「それでは、競泳競技規則違反で、出場停止になりますね。着色することは、できなんですか?」
「開発中のこの塗料を塗ってからシートを装着すれば、かなり防止できます。」
「開発中ということは、何か問題があるのでしょうか?」
「いえ、人体には無害ですし、皮膚呼吸の阻害などもありません。不透明度を上げるべく改良を重ねていますが、現時点でも、殆ど問題はありません。着用してみますか?」
「ええ。紺色で、競泳パンツっぽくペイントして下さい。」

・・・

「どうです?ほとんど何も着ていないような感じでしょう?」
「ほとんどと言うより、丸裸と同じ感覚ですね。かなりの好タイムが期待できそうです。」
「不透明度もかなりのものでしょう?」
「ええ。その点については、問題ありません。ただ、一つ気懸かりなことがあるのですが・・・」
「いえ、ですから、伸縮率を含め、あらゆる要素が皮膚と同じですので、勃起したからと言って、その部分のみ、剥がれ落ちるようなことはありません。」
「いえ、勃起するまでもなく、あまりにも形状が、ハッキリとし過ぎていますよね。これですと、『水泳着は、見苦しいもの、不謹慎なものの着用を禁ずる。』という条項に抵触してしまいます。やはり、水着としての利用は、まだムリなようですね。」
「そうですか・・・。それは、残念ですね。」
「これ、脱ぐ時は、どうするんですか?」
「脱げません。」
「はい?」
「既に皮膚と同化していますので、『脱ぐ』ということはできません。」
「これって、『ウェアラブル・テクノロジー』による新素材ではないのですか?」
「確かに『着れる』と詠っておりすが、『脱げる』とは言っておりませんので。」

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