未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




HUD表示をやめればゲームの臨場感が増すか?
http://news.goo.ne.jp/news/wired/it/20060315/20060315205.html

私がプレイしている『Xbox 360』向けボクシングゲーム『ファイトナイト ラウンド3』の画面には、体力値などのヘッドアップ・ディスプレー(HUD)[画面の上に重ねて表示する情報]がまったくない。ほとんどのアクションゲームでは、こうした表示が画面のあちこちに出て、残りの弾数や体力を示す。だが、『ファイトナイト』でプレイヤーが注意を払うのは、ゲームの音と映像だけだ――自分の操るボクサーの動きがのろくなったり、顔に疲労の色が表われるといった変化が手がかりになる。

画面からHUD表示をなくそうとする動きが、ゲーム界の新たな革命のようだ。

だが、単に、HUD表示を無くしただけでは、ゲームが成り立たなくなるのもまた、自明だ。

要は、HUD表示に替わる情報を、どれだけ自然に近い形でプレーヤーに提供できるかに、かかっていると思われる。

盲目でゲームを自在にプレイする高校生?
http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20050801206.html

この記事を読んだ時にはピンと来なかったが、最近テレビで彼を見た。

驚いた。

彼は生まれつきの盲目でありながら、格闘ゲームで健常者を、しかもチャンピオンレベルの挑戦者に悉く勝ってしまう。

便りになるのは、音だけだ。

彼にも驚いたが、それを可能にしているゲームの完成度にも驚いた。

開発者がそこまで意識していたかどうかは不明であるが、ゲームに必要な全ての情報が、そこにはちゃんとあったのだ。

もし、彼の目が見えるようになったら、もっと強くなるのか?

普通に考えれば、視覚に頼り始めた段階で、聴覚への依存度が下がるような気がする。だが、聴覚能力はそのままに、新たに視覚情報がプラスされれば、もはや、彼に勝てるものはいない。

これは何もゲームに限った話しではない。

むしろ、HUDのない実際の格闘技においては、相手の疲労度の判断を始め、視線、攻撃前の微妙な表情の変化、各種筋肉の緊張度や、パンチの風音などから、相手の次の動きを予測する能力が、勝敗に大きな影響を与える。同じ情報を得ていても、そこから何も得られなければ、た易くやられてしまうだろう。

そしてこれは、理屈で習得できるものではない。前述の彼も、「この音がしたら、それは相手がパンチを繰り出そうとしているときだから・・・」などと考えているわけでは、決してないであろう。練習に練習を重ねた結果として、条件反射として、肉体に染み付いた反応なのだ。

脳梗塞などで脳細胞の一部を失なった結果、目の機能は正常であっても、視覚が失われることがある。このような状態で、片目が見えない患者に、見えない方に置いたポストに手紙を入れてもらう実験を行ったところ、本人は全く見えていないのに、手は独りでに手紙の向きを、ポストの入り口の傾きに正しく合わせているという、驚くべき実験報告がある。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047913200/qid=1142440122/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/503-6618559-3467939

人間にはどうやら、知覚として認識しなくとも、目からの情報をもっと下位のレベルで処理して、手や体のコントロールをしているようだ。

良く、「目をつぶってもできるようになるまで練習しろ。」というセリフを聞くが、実は人間の深層に迫った、かなり科学的根拠のある言葉であったようだ。

日々の弛まぬ練習の成果として、己を昇華させていく。我々凡人には理解できないこと故、「非科学的」と片付けてしまうことであっても、それを取得したものはとっては自明なる真実が、確かに存在するのだ。


「くそぉ~っ!!今度こそ、勝てるはずだったのに、なぜだっ!!」
「だからさ、お前がただ目をつぶったって、勝てるワケないだろ。」
「来年は、絶対に、勝って見せるぞっ!!特訓だっ!!!」

 ・・・

「やはり、1年ぐらいでは、どうにもならなかったみたいだね。」
「何言ってんだよ。良く見てろよっ。」
「見てたさ。普通に目ぇ開けてプレイしてただろ??」
「特訓の甲斐あってね、今では目をつぶったままでも、好きなキャラクターを選べるようになったんだよ。」

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