未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




「コンピューターに組み込まれないアート」を考える
http://news.goo.ne.jp/news/wired/it/20060317/20060317204.html

19世紀に生物学の理論の1つを表わす言葉として登場しながら、当時は誰にも信じてもらえなかったさえないキャッチフレーズが、今度はウェブの比喩という形で復活を遂げた。

子宮の中にいる個々の胎児(これが「個体発生」、つまり個人の発達にあたる)は、発達の過程でその種が経てきたすべての進化の過程(こちらは「系統発生」)を反復して経験するように見える。
最初はエラや尻尾のようなものを持っているが、そこから次第に高等な生物へと変わるというのだ。

著者はコンピュータの発展が、旧来のメディアの進化の過程をなぞらえ、反復していると言及している。

有袋類は、他の哺乳類とは独自の進化を遂げたにもかかわらず、その進化の結果には、驚くほどの共通点がある。

このように、祖先のことなる生物が、よく似た環境に適応して似た特徴を持つことを『収斂進化』と呼ぶ。

テレビを見るのも、パソコンで同じ番組を視聴するのも、その体験には、なんら変わりがない。

むしろ、コンピュータを介在したメディアの発達は、収斂進化と呼ぶべきなのかもしれない。


「どうだね?今年は。」
「一人、すごいのがいますよ。」
「ほう。」
「下半身の力強さが、並じゃありません。」
「それは、楽しみだね。」
「ええ。ですが今、新弟子として採用して良いものか、揉めているんですよ。」
「確かに、オーストラリア出身の力士というのは珍しいが、今時、外国人であることが、そんなに問題になるのかね?」
「いや、彼の場合には、別の問題があるんですよ。」
「何かね。」
「どうやら、『ヒト』ではないようなんです。」
「人間じゃない?そうは見えないが。」
「ほら、良く見て下さい。お腹に袋があるでしょう?」

 ・・・

「ならば、悩む必要はないだろう。」
「いえ、実は、『人間でなければならない。』という、条文がないんですよ。」
「いや、そもそも、『女性』は土俵に上がれないんだよ。」

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