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「晦日の年」 三宅哲雄

2010-11-24 20:47:37 | 三宅哲雄

晦日の年               


ART&CRAFT  vol.13   1999210日 発行


「時」

 広辞苑によると晦日は「月の第三十番目の日。転じて、月の末日をいう。尽日。つごもり。」とある。すなわち一年最後の晦日は大晦日だが、さしずめ一日の終わりは小晦日、世紀末は大大晦日となるのであろう。世紀の半ばほどしか生きていない私だが晦日は晦日払も含めて月の区切りとしてなぜか特別な日であり、ましてや大晦日となると大掃除や新年の準備等で慌ただしい。月日が変わったり、正月を迎えたからといって別段変わった事などほとんど無いので、今年は大掃除などはやめにしょうかと毎年思うのであるが、やはり例年どおり日頃出来なかった箇所を中心に入念に掃除をしている。


 人種や宗教等によって差わあるものの、人類は「時」を意識的に捉えることで生きるリズムや活力を得ており、わが国のように四季として認識できる自然現象が明確でない地域で生きてきた人々も太陽や月などの星の観測や人が生まれ、そして死するという流れ等で「時」を認識して生きてきたのである。陽が沈み、陽が上る。この毎日繰返される現象が睡眠そして起床というリズムを生み出し、一日の疲れを睡眠により解消し翌日の活力とする。これは人間だけでなく、自然現象に対応して生命を維持してきた全ての生物に共通することであり、独自のリズムを形成している。


 そのような生物の中でも人が集団生活を始めた頃は「自然の一部として生きる」生き方を選択したが、以後近年までは「自然を知り、自然に対抗する」生き方に方向転換してきた。その結果、集団を繋ぐ知恵として民族や地域特有の「時」を生み出し、生活の中に定着させ、「時」を過去、現在、未来という流れで認知することで、過去への反省と未来への希望そして不安を人々が持つこととなり、世界各地で、多くの正と負の遺産を営々と生み出し、それは、地域・民族特有の文化を育むことになったのであろう。ところが20世紀になると民族、地域を越えて地球制覇の野望を抱く民族が台頭し前世紀迄には経験したことのないような事態を地球規模で生み出し、今日に至るのである。その最も象徴的な国家がアメリカで、良きにしても、悪しきにしても「20世紀はアメリカの時代」と言っても過言ではないように思う。


アメリカょサヨウナラ!

 生物は命を守ることで種を存続させる。このことがすなわち生きることであるが、人間はどん欲で、種を存続させるという生存欲の他に多くの欲を求める生き方を選択した。生命を維持するので精一杯のうちは、他の生物と大きく変わらないが、それが無意識の領域になると他の欲が前面に出てくる。金銭欲、物欲、権力欲、名誉欲、等々、切りがない。このように多彩な欲の中でも20世紀を代表する欲は独占欲ではないだろうか。資本主義国家と共産主義国家との戦いとも言われた今世紀は資本主義(市場主義)の勝利だといえるかもしれないが、両者の独占・独裁主義が表面化したのも今世紀だ。「時」を数値化し地球上のほぼ全ての人々が共有する「時」として、個の微妙に異なるリズムを全世界のリズムに均一化することにより世界秩序を維持する、という大義名分を皮切りにして言語、通貨、思想心情、食物、工業製品、そして人種までもが優生思想の驕りによって均一化されようとしている。


 1776年のアメリカ東部13州の独立から僅か220余年の国家が通貨で象徴される経済力や軍事力による世界支配の野望に一歩近付くなどとは今世紀初頭には予想だにしなかったに違いない。同じアングロ・サクソン系でもあるヨーロッパ各国に対しては近親感は抱くものの、歴史の浅さ(時のおもさ)などで大きなコンプレックスを抱いた国が、それをバネにしてヨーロッパとは違う国家の形成に国民一丸となって突き進み、今日の繁栄をもたらしたのである。その最大の目標は「いかなる分野でもアメリカはNO.1でなければならない」という異様なまでもの優生思想が広大な国土と豊富な資源を武器にして成長させたのであろう。だが、ようやく今世紀も末になった昨今、種々のホコロビが生まれてきた。経済は旺盛な国民消費によって安定してるかに見えるが、ロシアやアジア・中南米の経済危機を切っ掛けに実体経済に即していない金融商品による金融不安が発生した。又、アメリカで生まれ育った現代美術もコンセプトと実作品の遊離を鑑賞者は感じ始め一時のブームは去った。世界警察としての威信もベトナム戦争で初めて屈辱を味わい、以後、中近東、アジアなどでも相変わらず手詰まり感を拭いされない状況にある。こうしたジレンマは経済が好調な内は表面化しないのだが経済の閉塞感が生まれると、世界にとって深刻な状況を生み出すことになるかもしれない、。NO.1で在り続けるために。


 くどくどと、すでにご承知のことを述べてきたが、アメリカの全てが悪なのではない。私が言いたいのは「自分達が一番で全て正しい、だから、あなたたちも私達と同様な生き方をしなさい。」という傲慢な姿勢と「富の一極集中志向」に問題があると思う。一方で平等という言葉を使いながら均一化を求め、大量の物資を供給することにより、多大な利益を獲得する資本主義の優等生に問題があるのだ。そのような優等生による今世紀最大の功績はインターネットの開発であると思う。まだまだ安全性などに多くの問題を抱えており、私は「現代の夢の島(旧東京都ゴミ最終処分場)」と言っているが、21世紀のコミュニケーション手段として定着することに疑問の余地はない。その利点は情報公開が進むこと、選挙や国民投票などで利用することが可能になれば少数意見が反映される可能性があること。又、均一なものを大量に生産し販売する企業だけでなく特徴ある小ロット生産の物品も世界市場を相手に販売が可能となり、ユニークな企業が生まれ多種多様な商品が登場することになる。このような社会が仮に存在するとすれば、人種や地域を越えて領土を有しない国家も生まれるかもしれない。


プロト・タイプ

 日本は半世紀にわたりアメリカ・ジュニアとして経済を発展させ、物質的には豊かになったが、一方で大切な文化を失いつつある。バブル崩壊後方向性を見失った20世紀型企業は合理化を合言葉に業務の整理・統合、切捨て、そして人員整理をする一方、合併・提携等で資本の集積による巨大化への道を我も我もと突き進んでいる。そうした企業の中でも世界企業として生き残れる企業はトヨタ自動車など少数で、多くは世界企業のわく枠組みの中に吸収され独自性を失うのであろう。


 20世紀型企業の代表でもあるダイエーが26千億円の負債を抱えて苦しんでいるが、一方セブン・イレブンの親会社であるイトーヨーカ堂は安定した経営を続けている。ダイエーは中内オーナーを頂点にしたトップ・ダウンの経営方針に基づき大型店を全国に展開すると共に多くの企業を吸収・合併して多格化を推し進めていたが、行き詰った。イトー・ヨーカ堂は利益第一主義を当初より掲げ、セブン・イレブンを代表するような小型店を全国津々浦々までチェン展開し、その情報を中央に吸い上げ商品開発と販売手法に役立てている。この相反する経営方針が世紀末に答えを出したのではないだろうか。


 量販企業の生き残り策として均一商品を、いかに消費者のニーズに答えるように開発し、販売する、このような手法はダイエーであれイトーヨーカ堂であれアメリカ方式の範疇を越えるものではない、逆に限定した消費者ニーズに即した商品をほとんど一品生産に近い数量しか生産しないプロトタイプ(原型)方式という生産手法がヨーロッパ特にイタリアではアメリカ方式とともに現存している。大量生産、大量販売を目的とせず、各種プロトタイプ別に世界のバイヤーから注文を受け、最低生産量をクリヤーすれば生産される、同じような顔をした商品が世界中の街に溢れている中で異彩を放っているのは、これらの製品である。こうした生産方式がとれるのは優れた職人が健在であることと、創作を重んじる風土によるのでなかろうか、たぶん歴史の浅いアメリカでは不可能な生産手法である。この手法は自動車から繊維製品などほとんど全ての製品に及び、芸術家が創作した一点物の作品と同様にオリジナリティを生産者も求め、消費者は厳しい判断で商品を購入する。このことは芸術などのように生命を維持するだけであれば特段必要でないものが一部の人達の為に存在するのでなく、広く一般市民の生活の中に自然に浸透し生活するにあたって欠かせない存在になつていることを窺い知らされる。最近になつて日本企業の中でもホンダやセイコーなどがプロトタイプ方式を取り入れた商品を発売した。このような動きは企業活動だけでなくスポーツの世界でも「横浜フリューゲルス」はマリノスに吸収されたが、一部のサポターが市民チームとして再興させる努力をしている他「特定非営利活動促進法」(NPO法)が成立して千葉県鴨川市には安房ビエンナーレ協会、福島県には奥会津書房が設立されるなど全国各地でユニークな市民活動が生まれている。大企業や政府・自治体、宗教やイデオロギーに依存しない自立した団体活動の芽は21世紀には小さいながらもスクスクと育つことであろう。


 来年は「晦日の年」、私達一人一人の回りに積り積った今世紀の塵や埃を払い、来るべき元旦(21世紀)を穏やかに迎えようではありませんか。           三宅 哲雄




熊井恭子個展  -叢生を見て- 三宅哲雄

2010-11-24 20:30:27 | 三宅哲雄
◆「兆し」  1998年
W 400×H 30×D 700cm
ステンレススティール線
フリーテクニック

◆「風のことば」  1998年
W 700×H 130×D 700cm
ステンレススティール線
平織+フリーテクニック

◆「エア キューブ」  1996年
W 150×H 120×D 150cm
ステンレススティール線
フリーテクニック

◆「エア エッグ」  1996年
W 400×H 120×D 400cm
ステンレススティール線
フリーテクニック

◆「風壺(ふうこ)」 1994年
W 40×H 60×D 40cm
ステンレススティール線
平織+フリーテクニック

◆「火炎」  (東京武道館)  1990年
W 1000×H 300×D 70cm
ステンレススティール線
平織+フリーテクニック

◆「風に吹かれて」  1987年
20×20×20cm
ステンレススティール線
経パイル織



熊井恭子個展

「叢生-SOUSEI-」を見て   三宅哲雄

 ART&CRAFT vol.11    199881日 発行


輝く星

夜空に輝く星を都会では見ることが出来なくなったが、夏休みにキャンプなどに出掛け空を見上げると、キラキラと輝く無数の星を今日でも見ることが出来る。人類は古代よりずっと空を見上げて、はてしない宇宙と現実の生活に思いを巡らしながら夢と希望を抱くことが出来たのは、満天の星を見ることが可能であったからで、都会の夜空や漆黒の空では見上げる気持ちも失せ、むしろ押しつぶされるような暗い気持ちになる。 


我々が肉眼で見ることが可能な星の多くは太陽のように自ら発光しているのではなく反射光であることは自明のことで、昼夜を問わず晴れの日も雨天や曇天でも空に星は存在し、太陽が沈み雲やスモッグそして人工光の障害を受けない環境でのみ人は星を肉眼で見ることが出きる。すなわち我々が通常星を見るということは反射された星の光を星として認識し美しさを感じるのだが、星という物体が存在しなければ当然星の光も存在しない。逆に輝やかない星、小さな石ころが無数に空を埋めた状況を想像したが、私はそこから夢や希望を持ち得ない。夜空には輝く星というのが当たり前の事として通用する自然が続くことを願うものだが、太陽エネルギーも有限で、いつの日にか太陽は燃え尽き太陽系に闇が訪れる。闇の空間では多様な変化が起こると予想されるが、全ての物質が消滅することに繋がるのであろうか?地球上でも地中や深海など闇の世界は存在し、そこには多くの物質と生物の営みが確認されている。人間や多くの動植物は太陽エネルギーによって生命を維持し種を存続させてきたが太陽の消滅とともにこれらの生物は絶滅し、太陽エネルギーを必要としない生物に取って代わることもありうることなのだ。暗黒の世界で蠢く生物の姿は、我々視覚人間にとっては想像を超えるものであり、なんとも表現しょうがない。光が無くても、物が見えなくても生物は存在するのであろうか。


太陽が発散する熱と光エネルギーは宇宙に拡散し、多様な物質に遭遇することで吸収、反射、透過という性質をあらわす。輝く星は上記したことだが、この他にも大地から天空に架ける壮大な色彩スペクトルを描く虹であったり、細かな雪に照射されて生まれるダイヤモンドダスト現象や色とりどりの花々など自然界の営みの多様性と壮大さは太陽エネルギーによるものであると言っても過言ではないだろう。すなわち光が真空の空間に照らされても、ただ光は一直線に移動するに過ぎず、如何なる物質とどのような条件下で遭遇するかによって見え方は異なってくる。特に地球上には多種多様な物質が人口物を除いて同じものはないと言えるほど多くの形状で存在するので、これらの物質と出会うと多様な表情を見せてくれる。すなわち人が夢を描いたり、美しいと思ったりする現象は太陽や光の営みだけではなく、光が一定の条件下で照射され、人が生理学上の経験として認識した現象などに感動するのであろう。虹のスケールではないがプリズムで人工的なスペクトルを造れるが、あまり感動しない。人工物で人を魅了する代表格はダイヤモンドであるだろう。高価であるということだけでなく、僅かな光の中でもキラッと光り存在を主張することで、自己顕示欲を最も助長してくれるからではないだろうか。透過する原石に人がカットを加えて光を屈折させ輝きを生み出す。これがダイヤモンドであり、光の無い空間ではただの石ころでしかない。ダイヤモンドとして成立するには優れた原石と職人の技そして光、これらの構成要素の一つでも欠ければ、それはダイヤモンドではなくなる。


「叢生―SOUSEI―」

518日から千疋屋ギャラリー、ワコール銀座アートスペース、ギャラリースペース213会場で熊井恭子個展「叢生―SOUSEI―」が開かれた。今回はすでに京都で発表された作品に新作を加えて熊井恭子の動向を窺い知る良い機会であったと思う。


1980年頃から熊井はタベストリーの素材としてステンレススティール線を使い始めるが、慣れ親しんできたウールや麻などの天然素材も併せて使用している。複合素材によるタペストリーの制作から経緯共ステンレススティール線を用いて織物によるスカルプチャーの制作に動いたのは1985年の個展「風の道」(ストライプハウス美術館)であったと私は思う。この時、発表された「空(くう)」と「風の道」は熊井恭子を作家として不動のものにした代表作といえるであろう。この個展に至るまではステンレススティール線を使用して織った作品を多々作っていたが、素材が自然素材から工業製品に変わっただけで、素材の目新しさ以外に美しさや力強さを感じさせる作品ではなかった。一般に作家が表現材料として使用している素材は一部の色を反射し他は吸収する性質を持ち、これらが普通に存在する世界で、ごく当たり前にこれらの素材を使用している。たとえば赤や青、黄色の糸で織られた布に自然光等があたっても陰影が出ることぐらいで赤は赤、青は青の色をした布に変わりがなく光はむしろ意識しない。だからこそ作家は美しい色彩の組合せを考え、糸を染め織り、作品に仕上げることができる。しかしながら偶々これらの素材を用いた作品に照明をあて、生じた陰影で見栄えのする作品に出会う事がある。作家が意図したことではなく偶然の産物も作品の一部といえば一部だが作家が意図していなかった陰影で作品が大きく変わるのは作家が制作しているのではなく光が制作しているというと言い過ぎであろうか。陰影も作品の重要な要素として積極的に取り込む意図を持って制作しているならば陰影を意識しない作品として成立するであろう。


作家にとって素材と技法は何なのか。子供の頃、絵が上手だと言われ美術大学等に進学し、絵を描いている人は多い。これらの人々の大多数は画材店でキャンバスと絵の具そして筆とパレットを買い、お決まりの絵の描き方を習って描き、額縁に入れると作品が完成すると思っている。これは絵画の世界だけでなく美術や芸術といわれているほとんど全てのジャンルで共通した表現手法で明治以降今日まで何も変わっていない。指導マニュアルや評価が変わらなくても、何かを表現しょうとする作り手が何の疑間を抱くこともなく芸術ゴッコしていることが問題なので、自分が表現したいことは何なのか、それは何で表現できるのか、素直に自己と対面することで、おのずと的確な素材との出会いが生まれ、表現技法も身につくものである。と簡単に言うが、実際はこのことが=番大変なことだと思う。 ステンレススティール線は90%程度の光を反射するという、このような素材を選択する理由として熊井は「何もない一枚の布をふくらませることへの執着が経糸に金属線を使うという発想に結びついた」と記している。金属線を使うきっかけは経糸に張りの強度を持たせることから出発し緯糸にウールや麻の色糸を織り込んだタペストリーを制作したが、同じ頃緯糸としてステンレススティール線を使い、平織りと蜂巣織のタベストリーも制作している。この段階から経糸の張りの強度を持たせるために金属線を使うという目的の他にステンレススティール線の反射する性質に注目し、実際に織ることで線材としての表情が面に変わると一層複雑な表情を見せてくれることを実感するのである。


熊井は「空気を内包し、風を孕む布Jをイメージするが、自然素材の多くは独自の色と風合いを持ち違和感を拭い去れず、イメージに適合する素材を模索していたのであろう。ステンレススティール線で織ったり、組んだり、束ねたり、種々の使い方をしているうちに、流れ落ちる滝や水面の輝きに見られるような現象は空気や水という自然物質と光の散乱によって生じることで、このイメージに近い表情をステンレススティール線と光を素材にして使うことで表現できると実感したのである。


熊井はイメージする素材を探し求め見つけることが出きたが、繊維素材と異なり自由に言うことを効いてくれない。何とか織ることが可能になっても、織り上がったステンレススティールは熊井の意思と関係なく自己主張する。編む、組む、結ぶ、巻く、束ねる等々の技法を試みるが、その都度、私はここに在る、私は決して自由にはならないぞと言わんばかりに挑んでくる。まさに熊井にとって、この10余年はステンレススティールとの格闘であり、サントリー美術館大賞展、ニューヨーク近代美術館個展等々を内外で精力的に熟すうちに個性の強い素材と、どう付合うかを習得したのである。今回、ギャラリー21に発表された作品はギャラリーをキャンバスに、ステンレルスティール線と光を絵の具に使い、熊井が描きたい絵をのびのびと描いた作品に感じとれ、あたかも主役をステンレススティール線に譲ったかのような控え目の造形は光をも取込み、決して一夜では生み出すことの出来ない作品になって顕れた。


1970年代からファィバー・アートと称される作品を制作する作家が続々と誕生したが今日でも現役として挑戦している作家は数少ない。素材や技法の目新しさだけでは作家としては通用しない時代なのだ。どのような素材や技法を使おうとも結果として作家の顔が見える作品にまで昇華させなければ作品とは言えない。政治や経済そして芸術も方向性を見失った混沌とした時代の中で熊井恭子氏の今回の個展は多くの造形を志す人々に夢と希望を持たせるきっかけになったであろう。草木が群がりはえる(叢生)ように。 

三宅哲雄