売らない綿 三宅哲雄
ART&CRAFT vol.19 2000年12月20日 発行
今春より埼玉県吉田町に1000坪の農地を借りて週一回の通い農夫を始めた。この構想を夢描くようになって久しいが私のような素人で貧しい者になかなか農地を貸してはくれない。ましては東京近郊の100km県内で畑は陽のあたる南向きの平坦地その上に地域の人々の協力を必要とするなど注文が多いと候補地は多々あり、それなりに話は進んでも現実のこととしてスタートするには10年程必要であった。
自然素材に多くを依存するテキスタイルの教育で最も深刻な問題は繊維産業の衰退とともに大手繊維メーカーが素材の供給地を国内から海外に求めた結果、原材料は必要なくなり、ほとんど製品輸入になってしまった。絹は今日でも綿や麻やウールなどと異なり高級素材としての価値は高く、政府による輸入規制などで最後まで国内生産の占める割合が高い素材であったが今では都市近郊も含めて丘陵地には雑木と化した桑の木が大きく枝を伸ばしている。自由化で中国等から絹が安価で大量に輸入されれば農家にとって養蚕は魅力に欠ける仕事となることはごくごく普通のことなのであろう。これらの規制が外れると化学繊維を除いて全ての繊維素材が国内では生産されず、紡績などによる半製品も生産されなくなり、繊維製品は全て完成品として輸入され販売される時代になるのも、このところの「フリース」や「紳士服」などを見ていると遅いことではない。特に最近の経済状況では安価なものを求める消費者思考が大きく変わることはないであろう。だが生活必需品という側面だけで捉えるならば良質の物を安く世界から求めるということに異議を唱えることではないが、当研究所のように「ものづくり」を教える機関や作家などにとって日常的に使用している素材が入手出来なくなることは重大事である。
このような事態は繊維に限らず食料品をはじめとして衣食住すべての分野で急速に進んでおり、今なら「さしみ」が海で泳いだり、「落花生」が木になっていたり、という話を笑い事として済ませるが、ここ数年で日本は100%消費国に近づくであろう。その結果として物事の成立ちを知らない人々や知っていてもバーチャルな知識として知っている人々で埋め尽くされることになる。
私はこのような社会に生きたくはない、60歳迄ならばなんとか農夫としての体力を維持するであろう、しかし時間がない、ということで農夫を始めたのである。
私の農業経験といえば幼少の頃、祖母が自給食料として野菜などを栽培していたのを手伝う程度しかない。このような素人が1000坪の畑を週一回程度の通いで無農薬・有機栽培するなどと聞いて、地主さんもニコニコ笑いながら言葉にださないものの「まあ、やると言うのだからやらせてみよう。たぶん畑は草ぼうぼうになるだろうが」と内心では思っていたらしい。その上、経験も無いのにいつものことながら人に相談するわけでもなし、本を読むわけでもなし、ただ今日まで小耳にはさんだ程度の知識で藍と綿の栽培をスタートした。藍は春の彼岸の後に苗床に種を蒔くのが一般的であるにも関わらずゴールデンウィークに古い種を直蒔きし発芽を待ったが一粒も発芽せず、慌てて渡辺一弘氏に昨年の綿と藍の種をわけていただき、今回は苗床をつくり種を蒔くという元来の方法を試みると見事に発芽した。土地は粘土質なので雨が降るとドロンコで足をとられ、天気が良いとカラカラに乾いて手で草むしりをするのは困難で悪戦苦闘していると、現地の人から悪いことは言わないから畝の間は耕運機を使いなさいと進言され、全て手作業でするという思いはあえなく断念して耕運機を使うが、これがまた大変、耕運機は前に引くのでなく後ろに引くという初歩的なことからドロンコやコチコチに固まった畑では機械をコントロール出来ず、また手作業に戻ったが一畝70m程度の草むしりに朝7時から夕方5時までかかり翌週畑に行くと2週間前にむしった畝がすでに草ボウボウ‥‥。初夏から真夏は50度近い畑でただ黙々と草をむしるだけであつたが、熱射病寸前になり始めてタオルをきつく頭に巻き麦わら帽子を被り、それでも眼に汗がひたたり落ちる約一時間半を休憩の目安とするなど農夫としての知恵を学んでいった。
畑に一面発芽した喜びを味わって以降は辛いだけの日々が続いたが、藍の一番刈りが終え、秋の気配をかんじる日の早朝、ふと横の綿を見ると黄色の花と共に緑色のコツトンボールから白い綿毛が見えた。ああー、秋の収穫の季節の到来だと無性に嬉しくなつた。こうして収穫した藍は来年製造する「すくも」用に干葉にして保存し綿は綿繰りをし種と原綿に分け原綿は綿打ちをして糸に紡ぐ。全て自給するだけだ。仮に原綿を売っても1万円にもならないであろう。生産コストを考慮すれば最終商品が一番安く製造工程を遡りながら原料が一番高い逆ざやの最たるものである。
1760年代にイギリスで始まった産業革命は綿産業であり綿が世界の近代化の先駆けになつたが21世紀を間近かにした今日この矛盾した経済社会であえて採算のとれないことを試みるのは馬鹿であるだろう。だが、そこからしか見えてこないものがあるからだ。数年後には町全体が衣食住にかかわる「山の学校」に育つことを夢見ている。
三宅哲雄