ART&CRAFT forum

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「冬の色彩」 榛葉莟子

2017-03-03 13:16:18 | 榛葉莟子
2003年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 28号に掲載した記事を改めて下記します。

「冬の色彩」 榛葉莟子


 散歩の帰り境内の木立ちに入った時だった。わんわんと頭の上から犬の吠える大きな声がした。はっとして見上げると一羽の大きな鳥が杉の枝にいる。あの鳥だ。犬のなき真似上手の鳥。わんわんまたないた。その様子は庭にいるはずの犬を呼んでいるように思えたし、私の帰りを待っていたようにも思えた。私は小さい声で鳥に言った。「リッキーはね、もういないの。死んじゃった」すると鳥は大きく翼を広げた。それから私の目の前をゆっくりとカーブを描きながら高く高く飛んでいった。鳥は境内で一番大きなホオの木のてっぺんに静かにとまった。

 仕事部屋にいることが苦痛の冬の日々が続いた。登校拒否ならぬ登室拒否。寒いからなどと自分にいいわけを繰り返しても、おさまらないものが自分の内部に渦巻いているのはわかっている。尻をたたいて部屋にこもってみても、どこか定まらぬ宙をぼんやり眺めて空っぽの一日が終わる逃避の冬の日々。「自分の感受性くらい」という茨木のり子の詩のおわり頃の行に「駄目なことの一切を時代のせいにするな、わずかに光る尊厳の放棄、自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」と。ばかものよと自分を叱っているうちに春近しである。薄曇りの空をバックに見る向こう岸の裸の黒い雑木林、几帳面に描く友達の絵に似た細い小枝の重なりを美しいと思えた。その中にちらちら萌えはじめた宿り木の球体ふたつと眼があう。

 気まぐれに本棚の掃除をする。もともとこの本棚は廃校になっていた裏の小学校のプールの脱衣室にあったもので、ブルトーザーが来る前に譲ってもらったものだ。木製のそれは25センチ四方の桝型が50個口を開けている。寒冷地の短い夏の日々、キャッキャと子供たちが歓声をあげながらシャッやらパンツやらを投げこんでいたそこに、いまは本が並んだり積んであったりする。思い立ってはじめた掃除は処分できずに、はじっこの暗がりで埃をかぶった本との再会になったりもする。それはずっと口をつぐんだきり積んだままの森茉莉の木であった。二十代半ばの頃、ふと手にした銀色のカバーに包まれた一冊の本の中身から、漂ってくるぎらぎらした光線とは無縁な頽廃的な気配の匂いに魅かれた。洒落た漢字の魅力や懐かしさを含んだ香りや音、色、光の匂い、それら物の質感が自分の感覚と触れあうなにか共通を感じた。かげりの気配が感じられるものになぜか魅かれる自分が、どこか不自然なのだろうかとの自分への引っかかりが払拭された若い時期に出会えた恩ある本でもあった。好きにやっていいとの安心の雫がぽとりと滲みた解放感を覚えている。若いその時期、森茉莉の散歩の街下北沢にながく暮らしはじめたきっかけでもあったミーハーである。けれども自分の興味関心に結びつく物事に関してはと前置きがつく。

 そういえば匂いとの再会もある。いっだったか本棚のそんな暗がりにあった汚れた一冊の文庫本をふと手にとり頁をぱらぱらめくると、薄荷の匂いが本の中から漂ってきて驚いた事があった。記憶の奥底に滲みていた薄荷の匂い。本のサインが遠い日の人の筆跡であるのが、いっそう不思議だった。本の中に閉じ込められていたそれは、自分だけが知っている埋もれていた薄荷の匂いであった。忘れていた人を思い出すきっかけは、時に思いがけない所から顔を出す。いま、誰もが毎日のニユースに映る画像に胸を詰まらせる日々であると思う。海の向こうに帰国する兄弟を、さようならと笑顔で見送ったずっと遠い日があった。ある日突然、忘れていた遠い日の懐かしい人を思い出すきっかけは、あまりにもつらいニュースからだった。学生相手の素人下宿屋でもあった十七歳の頃、大学生の兄さん、私と同い年の高校生の弟が下宿していた。神田の本屋に一緒に行くときカンダにカンダと笑って国の言葉を教えてもらったりした(記憶に間違いがなければ行くはカンダという)ことなどが、あの頃の顔のまま昨日のことのように次々と思い出される。どうしているだろうか。そればかり。

 陽が傾きはじめた時刻に、急な用事があって路地裏の上り道を歩いていくと、前方の曲り角寸前の日陰の道のそこだけ妙なほの白さが浮いているように見えた。何だろうと思って小走りに近ずいた。たったいまアスファルトの表皮を剥がしてもしたかのような楕円形が、ほの白いオブラートにも似た神秘的な透明を醸し出していた。不意に高い空を見上げた。いまここに何事か起きていると思った。それから周りをみまわした。道の縁に満月のようにミラーが立っていた。かすかな夕暮れの陽を受けミラーはうっすらと光りを染め、つかぬまの楕円を日陰の道に映していたのだ。ああ、そういうことかと頭ではわかったつもりでいたが、なにか地下深い奥からの光りが漏れ出ているかのような、幻想を誘う楕円の空間の色に魅かれて立ち去りがたく動けなかった。そうしているうち楕円の空間は水面に変身した。一歩足を踏み入れたなら此の世でない世界に吸い込まれてしまいそうに静まりかえっている。耳の奥でポチャンと音がしたような。おそるおそる覗いたならば自分がそこに映っていて、さらに自分とよく似た者がぞろぞろ果てしなくつながっているのではないだろうか。ふと、そんな気がした。