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「古代アンデスの染織と文化」-アンデスの紐・Ⅴ(綴織)-  上野 八重子

2017-09-28 10:33:28 | 上野八重子
◆ 写真 2 収納ケースに並ぶ頭帯 (豊雲記念館蔵)


◆写真3 ハッリ孔の補強の綿細糸   豊雲記念館蔵


◆写真5 薄地に1cm角の絞り   豊雲記念館蔵

◆写真6 絞りを思わせる織地 豊雲記念館蔵


 ◆写真7 中心と袖が二重織  豊雲記念館蔵

◆写真7 の拡大部分  豊雲記念館蔵





2007年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 46号に掲載した記事を改めて下記します。

「古代アンデスの染織と文化」-アンデスの紐・Ⅴ(綴織)-  上野 八重子

 ◆アンデス・綴れ織りの特徴
 連載Ⅱ-②で経19本、緯104本/㎝というワリ文化期(8世紀)の緻密な綴れ布の話をしましたが、今回は紐にしぼってお話ししてみましょう。  

 綴れ織りはご存じの通り、世界中で好まれ古くから使われている技法の一つです。絵画のように微妙な色遣いで織れることからタペストリー、劇場の緞帳等に多く使われています。それらは複数の色糸を重ね合わせ濃色から淡色、色から色への変化へと微妙なグラデーションを可能としてくれます。

 しかし、古代アンデスの綴れを見ると色は多く使うものの、模様は単色で形成している為クッキリと柄が現れます(写真1)。その点が特徴と言えるのではないでしょうか。(ただし、これは限られた場所でしか見る事の出来ない私の見解ですので、他に多色重ねが有り得るかもしれませんが)
 豊雲館内、綴れ織りの収納ケースで一際目を引くのが(写真2)の赤色地・頭帯です。1枚が長さ45㎝、幅9㎝、経18本、緯42本/㎝前後で織り上げてあり、両端を縫い合わせて輪状にして頭帯として使っていたと言われています。両端共、端までキッチリ織れる後帯機の利点をうまく生かしています。

こんなカラフルな頭帯を付けた男性の姿をちょっと想像してみるのも楽しいですね!
先に記した経19本、緯104本/㎝という布と同じワリ文化期に作られたものですが、時代は同じでもこちらの帯は10世紀、この200年の差は織り地にも大きな変化をもたらしていました。
この頃の綴れは面倒な色替えごとのインターロックはやめ、2越、又は6越ごとにインターロックをし、そのままだとハツリ孔が空くので間に細綿糸で平織りを1段入れハツリ孔を補強しています(写真3)地色の赤色の箇所を見ると白い緯糸が微かに見えます。この操作は「時代の変化と共に手抜きを覚えたな…」と眉をひそめるよりも、「とても賢い知恵だなぁ~」と思えるのですが…いかがですか!

◆8世紀ワリ人・怒る!
 それよりも「オヤッ」と思ったのは、頭に付けた時、模様が横になってしまう…と言うことです。  
8世紀のワリ人はあの緻密なポンチョを織るのに、着る時の事を考えて複雑な模様を横向きにして織っていましたね。この頭帯を8世紀のワリ人が見たら「まったくぅ~、今の奴らはなっとらん、ちゃんと考えて織れ」と小言が飛び出すのではないでしょうか。又、綴れ織りのほとんどは目の粗密は別として、表裏の見分けがつかぬ程に両面が綺麗なのです(写真1)が…しかし、これも人の成せる技で例外もありました(写真4)。織り人の美意識というものはいつの時代も「人それぞれ」という事でしょうか。
又々この帯を8世紀ワリ人が見たら「まったくぅ~、今の奴らはなっとらん」と言うのでは…

◆絞りを真似て?
 14世紀、チャンカイ文化期に絞り染めが発展したと言われています。私が見た中でも、ガーゼのような薄手布に1㎝程の四角い絞りが1㎜にも満たない間隔で連なっているものがありました(写真5)。
(写真6)の1、5㎝幅の紐を見た時、「絞り布を見て同じように織ってみたくなったのかな?」と勝手に想像した私です。他に二重織りで織られた貫頭衣にも絞りを連想させるものがあります。(写真7)

 話が少々横道に逸れますが、アンデスの楽器でチャランゴという弦楽器(複弦で10弦)があります。もともとアンデス地方にあった楽器ではなく、スペイン侵略後にヨーロッパから入ってきた楽器を真似て作られたもの。音楽好きのアンデス人達はマンドリンの音色を聴いて「いいなぁ~」と思ったのでしょう。そこで目についたのが身近にいるアルマジロです。(別名:ヨロイネズミ)マンドリンの共鳴部分に似ている甲羅を見て「これだっ!」と直感したのかどうかは定かではありませんが、もともと食用として捕えていたので甲羅はゴロゴロころがっていたのでしょう。
今でも立派な楽器として使われています。顔の部分もしっかりついていて甲羅には毛も生えていて、まるでアルマジロの剥製のようです。但し10数年前、ワシントン条約で捕獲禁止動物に指定されたので今では作られていないはずですが。
 この様に古代の人々は織りであれ、楽器であれ、そのまま真似をするのではなく、自分の得意分野を生かしての物創りをしていたように感じます。

◆飾りとしての綴れ
 (写真8)は投石紐の一部分です。実用品として作られたというよりも、きれいな状態…なので埋葬品ではと思われます。4世紀頃のもので綴れの緯糸以外はアロエ又はパイナップル繊維といわれています。端の握り部分は配色を変えて6層に織られ厚みを出しています。石を投げた時に紐を掴みやすいのと、もしかして6層の中に手を入れて更に手が離れないようにしていたのかもしれません。知恵者のアンデス人ゆえ、どんな事を考えながら作っていたのでしょうか。機能と美的感覚を既にこの4世紀に持っていたのですね。(アンデスだけにのめり込んでいる私ゆえ他の世界の事はあまり知識がなく、ついアンデスは~と絶賛してしまうのですが語弊がありましたらお許し下さい)(写真9)の4本は縁の飾りまで考えられた紐です。
ハツリ処理等はあまり綺麗とは言えませんが、縁を後でかがっていたのを思えば一歩前進でしょうか。

 それにしても(写真1、2、3、4、)を見ての通り、この模様は何からデザインを起こしているのでしょうか? 宇宙人、バイキンマン?等、見る人は様々な想像をかき立てられます。ペルー人の説明では神様を表していて頭上の冠みたいのは神だけが持つオーラなのだそうです。ペルー人の彼らは一応キリスト教徒なのですが、その他に侵略以前から信仰している神様がいて、その両方を上手くミックスさせて生活しています。彼らが家に来ると、夜明けを待って裏山に登り、神が居そうな所に敷物を敷き、持ってきた食べ物を東に置き、東西南北にそれぞれ酒を振りまき、太陽の神と大地の神・パチャママにひざまずいてお祈りをし、ホラ貝を吹くのです。何度かついて行きましたが、なかなか厳かなものでした。(写真9)も簡単なパターンですが見ていると「自分でも模様を考えてみよう」などと遊び心がうごめいてきませんか!これらの写真はほんの一部ですが、見ての通りパターンも色遣いも自由なのです。
私自身、綴れはあまり興味がなく、見本作り程度にしか織った事がないのですが豊雲館に通っている内にとても織ってみたくなってきました。色も形も自由…とは言っても、さて…なかなか難しい!

◆夏期講座を終えて
 今回はスプラングポシェットという事で3日間苦戦させてしまいましたが、何とか皆さん完成することが出来ました。アンデスカラーのポシェットに大満足!

講座修了後に嬉しいお便りを頂きました。「講習の時に “自分で考えなくちゃ” と言うアドバイスを頂いて、“どうしても出来ない”と何度も試みていた紗と羅の組み合わせの織物を織る事が出来ました。大変簡単に織れる事がわかり、これからの作品作りが広がると思います。考えなくてはならないということを教えて頂けて本当に有り難かったです」とありました。講座の中で「どこからそういう発想が…」の問いに発した言葉だったと思うのですが、「自分で考える」と言う事…物創りの原点ではないでしょうか。古代アンデスの繊細緻密な技を見るにつけ自分の心に改めて言い聞かせています。 (つづく)



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