ART&CRAFT forum

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自分の染め色(1) 高橋新子

2015-12-01 13:10:57 | 高橋新子
1996年6月20日発行のART&CRAFT FORUM 4号に掲載した記事を改めて下記します。

 たしか去年の今頃だったと思うが、散歩がてら近くの古本屋を覗いた時、中央公論社版谷崎潤一郎訳源氏物語の初版本全二十六巻が、五千円で店頭にあるのを見てしまった。当然のことながら何のためらいもなく買おうと決めた。これを本棚のどの位置に納めるか、いや多分はみだ出して床の上に積むことになるか、さもなくばあの本とあの本を追い出して、と頭の中は目まぐるしく回転したが何が何でも欲しい本であったので、とにかく支払いを済ませて配達してもらうことにした。
 この本は凝り性の谷崎氏が「全然助手を使はずに自分一人だけで此の仕事に没頭し殆ど文字通り源氏に起き源氏に寝るという生活」を三年近くも続けて為し遂げた仕事だそうである。第一巻が昭和十四年一月。続いて順次刊行されたが最後の第二十六巻は、印刷用紙は不自由、恋愛小説もご法度という緊迫した社会情勢の最中、開戦間近の昭和十六年七月となっていた。校閲、装訂と用紙の地模様、各巻の扉の彩色紙と題字等々、いずれも当時の最高水準のメンバーによる仕事を揃えた美しい本である。
 かって受験勉強から逃れたい一心で読みふけった図書館の谷崎源氏は、古典ものの中でもひときわ立派な装訂で、原文対訳の学習向けのものであった。今回の初版本源氏は、氏が序文で書いているように「文学的飜譯であって講義ではない」つまり原文の持つ品格や含蓄、芸術的境地や餘情等を充分に尊重し、大きくはなれないようにしながらも『谷崎の書いた源氏物語である』と強く主張している。
 古代からの染めの技法書の第一は云うまでもなく延喜式であり、その染め色が姿かたちを整えて華麗に動き廻るのは何と云っても源氏物語の中である。正倉院宝物のように保存されることのできないこれ等の観念的産物は、学者や文化人、染色家や影像関係者、呉服商達によってさらに増幅された。
 染色を志す者は誰しもこの幻の正体を確かめたいと思うのは当然である。王朝の色を再現するとか復元するということではなく、現在の自分の染め色として表現してみたいという思いが、だんだん膨らんで来ていた。そんな折、ちょうどこの本と出逢ったのである。
 一人でコッコッと読み初めていると、知人から在住の作家安西篤子氏が源氏の購読会を持たれているという情報を得た。途中からでも良いということで六月度から参加させて頂けることになった。テキストは岩波文庫の山岸徳平校注のもので、安西氏の朗読を聴きながら、原文に沿った講義を受けるということになる。作者の解読する物語の空間と受講生のイメージがどのように結び付くのだろうか。勿論私の目的は色彩と素材、それ等の質感とたたずまいを探り出すことにある。何はともあれ待ち遠しい数週間である。


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