1995年7月20日発行のART&CRAFT FORUM 創刊号に掲載した記事を改めて下記します。
藍染の絞りの踊り浴衣を着て盆踊りを踊りたい一心から、とうとう藍染の泥沼にどっぷりとはまり込んでしまった経緯は、今までに何度か拙文にしたり人に話したりもしてきた。実際に染めた踊り浴衣も20枚をとうに越すと、もうひとつ納得できないものが目についてくる。それは文様付けやデザインもさることながら、「染下」つまり生地にも問題があるのではないかと思われる。馬喰横山町の問屋から仕人れる白生地は確かに細くて上等のコーマ糸を使って、すっきりときれいに織り上がってはいるが、もうひとつ藍の吸い込みと発色が悪く真底染まり付いてくれない。「もう御腹いっぱい、これ以上食べられません」とても云うように藍の色を布の表面に押し戻して来る。つまり染料がなんとなく浮いてみえるのである。藍はもちろん徳島の藍で醗酵建にしている。しかし何処かが違う。
数年前麻布で開催された藍の絞り染め展には見事な衣裳が揃い何度も足を運んで見とれたものだった。その中の浅舞絞りと謂われていた着物の中の2枚は幼なじみの実家の所蔵品である。1枚は確かに見覚えのある踊り浴衣だった。彼が少年の頃着て踊っていたものだ。‥‥踊りが上手だったかどうかは覚えていないが…・。展覧会終了後さっそく借りて具に手に取って見ることができた。まず糸と布地の風合いが良い。手紡ぎ木綿地とあるようにざっくりとしていて、しかもしっかりと張りがある。経糸緯糸の密度は現在市販されているものの約1/3。重さはほぼ同じである。糸は太いが軽いということになろうか。これは祖母に当たる方の嫁入り支度に実家で染めたものということなので、ざっと百十数年前の浴衣である。毎年踊って汗をかいて洗って、それで現在も着られる状態になっている。こんな衣類はそうざらにあるものではない。藍の色は生き生きと濃淡相呼応して見とれるばかりである。やはり手紡手織の手わざと丹念な染めによってこの浴衣の命が保たれていると言うべきなのだろう。
「染めて着るのならこのような布で」やはりそう思ってしまう。当然のことながら布捜しを始めた。「着尺幅で手紡手織の白木綿1反」折にふれ手蔓をたどって‥‥。しかしまだ入手していない。そんな布はとうの昔に地上から消えてしまったらしい。木綿の布は沢山出回っている。便利になって安くなっていろいろ創意工夫があって品質がよくて多用化されて、当然流行があって使い捨てられる。
自ら畑で綿を育て糸を紡ぎ布を織るという驚異の手わざを見せる友人のT氏は、しかしこの途方もない企みに加担してくれた! 私は厚かましくも「2反程お願い」してある。とはいえ私も何かをしなければ申し訳が立たない。インド綿で手紡手織の布、風合いが目的に近いものを着尺幅に切って染めてみる。しかし少し違うように思う。ガラ紡の糸を作る工房と知り合えたが欲しい糸を作ってくれるだろうか。自分でも織らなければと機織りを始めるが半年そこそこで当然下手くそである。でもあのような布で百年着られる浴衣を染めてみたい。
大きな声では言えないが私は確か来年あたり60才になるはずである。まだまだ夢見がちの年頃である。