ART&CRAFT forum

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「21世紀への手紙にかえて」 林辺正子

2016-09-10 11:58:39 | 林辺正子
◆「見えるものの地平」(550W×1500×550Hmm 絹糸、鉄線) 2000
 撮影:宮角孝雄
◆「転生の器」-嗜欲の器展より-
(300W×300D×150mm  絹糸)   1992
撮影:宮角孝雄
◆「DIE VERWANLNG」-変容-  (1000W×300D×1800Hmm 絹糸 、真鍮)  1990
撮影:宮角孝雄
◆「SYNECDOCHE」-分節と綜合- (450W×120d×1800mm   絹糸、木、鉄線、鉄)  1997
撮影:宮角孝雄
◆「SYNECDOCHE」 -分節と綜合-  (450W×120D×1800mm  絹糸、木、鉄線、鉄)   1997
撮影:宮角孝雄
◆「見えるもの地平」 (240W×300D×150Dmm -箱のサイズ-木、粘土、卵のから)   2000
撮影:宮角孝雄
◆「ネックウェア」 (400W×400Dmm  皮革、銀、ラボラトライト)  2000
◆「見えるもの地平」 (240W×300D×150Hmm-箱のサイズ-  木、石膏、あわび)  2000
撮影:宮角孝雄


2000年12月20日発行のART&CRAFT FORUM 19号に掲載した記事を改めて下記します。

 「21世紀への手紙」にかえて

 明日もわからない者が「21世紀への手紙」を書くのは至難の技である。そこで思い付いたのが日記。20世紀前半に生を受け、20世紀後半を生き、21世紀前半のいずれの日にか、この世を去る。このような者である一介の織り手が、20世紀末のある数日間、どのような日々を送ったのかを聞いていただけたらと思う。作り手である読者の皆さんは、その資質として周囲を受け入れることが上手だから、「21世紀への手紙」にかわるものとして、この日記もきっと受容してくださることだろう。以前から、私個人について語ることを潔しとしないのは、実は私は、自分にとってもひどく困難な存在だからなのである。

 2000年11月21日
数日前、「ギャラリーいそがや」での個展、『LABORATORIUM anima eterna見えるものの地平』が終わり、気持がやっと外に向かって開いてきた。制作中は騒然としていた部屋もひとかた付いた。空模様は雨が降らない程度で、あまり晴れ過ぎていないのが心地いい。
次の作品のために、半貴石を買いに出た。石屋には不思議な吸引力があるらしく、地下鉄の本郷三丁目の駅を出ると、間もなく探し当てた。私の石好きは小学校から始まった。それは夏休みのある日、大学の地質・鉱物科の教室に連れていってもらったときからである。光を透すまで薄く研磨した石を顕微鏡の下に置くと、万華鏡のような文様が大小さまざまに限りなく繰り返し現れ、そこに広がる世界はこの世のものとは思われないほど美しかった。そのような石がスライドのようにマウントされて、浅くて奥の深い何段もの引き出しの中に整理されていた。

2000年11月22日
夕方バスを降りると、急に北風が吹き始めたらしく、外は殊のほか寒くなっていた。長年暮らしたストックホルムで、このような風が突然吹くのは希だった。ストックホルムには予定調和の風が吹くのである。樹木は冬の寒さに抑制されながらも伸びやかに枝を張り、湖沼は寒空の下に鉛色を呈していた。
10余年、あそこで私は一体何をしていたのであろうか。思い返してみると、私を知る人が一人もいない小さな北の都会で、初めにしたことは自分を変えることだった。それは生まれてこの方20数年間に、身に付いたあるいは付けた、殻のようなものを一枚づつ剥いでいく作業であり、家庭、学校そして社会などで得た知識や経験から自分を乖離させる試みだった。
そして同時にもう一つ私がしたことは、自分の過去を遡行することであり、それは点在する灯りを頼りに暗い記憶の洞窟を降りていくようなものだった。ダリは母親の子宮内のことまで憶えていたというが、私がどこまで辿ることができたのか、今となっては定かでないが、確か2歳ぐらい迄のことだったと思う。こうして書いていたら、若くして戦死した父親が私を抱き上げた際に、たばこの火が私の指を焦がしたことを鮮明に思い出した。
自分の歴史を辿り直して、その時点までに自分の内部に形成されたものを捨て去ること。こうした作業の中でたったひとつ拾い上げたもの、それが糸だった。ぶらりとしては暮らされもせず、である。

2000年11月23日
今日はたいへんきれいな夕焼けでした、とテレビで報じている。一日中クラフト協会のクラフト・コレクションのためにマフラーを織っていたのだが、なんら破綻なく、今日の私の作業もたいへん幸せなものだった。経糸と緯糸が直角に交わる様は安心感さえ与えてくれた。人に使われることを想定しての制作は、一気に何枚も織り上がるなら、農作物の秋の収穫と同じような歓びを与えてくれる。

2000年11月24日
「量は質に転化する」。いまだにマルクスの亡霊に取り憑かれているのだろうか、小さなユニット、あるいはパーツを何種類かたくさん作り、それを組み合わせて作品を作るのが好きだ。これならば、途中で時間がなくなっても何とかまとめられるし、後で付け加えたり、取り外したりすることもできる。分解して他のものへと変容させることさえ可能である。ユニットとしての織物の断片、ニットの断片、鉄、アルミ、銀の断片など数限りなく考えられるのもいい。部分的に制作したものを最後に合体させるのは楽しいし、狭い場所で制作できるのも何よりである。少し難しい点はユニットの形態を考案することにあるが、私の場合、他の要素としての織りは平織り、ニットは細編み、下染の染料は紅茶、媒染剤は鉄、というように自ずと絞られてきたので、いっそのことここで、シンボル的形態すなわちユニットも、経糸と緯糸が交わる様を示す+としてしまおうか。これ迄のユニットは平面だったので、枚から個と数えられるものにしてみたいとも思う。
私にとってユニットとは普通の人々、それぞれ微妙に異なる庶民という気がしてならない。

2000年11月25日
ある方から大好物のナッツのビン詰が送られて来た。カードが添えられて、「寂酒の友に」と書かれていたのを読んでギョッとした。そんな風流な言葉があったのだ、知られてしまった、と読み返した。改めてもう一度読むと「寝酒の友に」だったので、今ほっと胸をなで下ろしたところである。潜在意識のなせる技か、寂酒と寝酒、両方とも真の友である。

2000年11月26日
地下鉄銀座線赤坂見付の駅に列車が到着すると、扉が両側に開いた。大勢の人に混じって私の前に偶然立ったのは、学生時代の旧友だった。私は二駅先で降りたので、交わした言葉は二言三言だったが、既視あるいは未視感とでも言おうか、気が遠くなるような、不思議な感覚に見舞われた。交わることのない平行線を辿り40年近く経った今でも、若い頃と現在が重ねられた顔に、自分の鏡像を見るような胸苦しさに襲われた。
現実世界と平行線上にある鏡像の世界、既視感と未視感が交差する世界、いずれにせよ現実世界には存在することのない幻の現出、作品もそんな側面を持っているのかもしれない。それにしても、電能には幻視が可能か。

2000年11月27日
今年の初夏に転んで痛めた母の腕に包帯を巻いてから家を出た。高齢のためか、治りが遅い。人は多かれ少なかれ、自分に課した、あるいは他者により課されたロールモデルに沿って生きようとしている。
では、私の制作上のロールモデルとしては、どのようなものがあるのだろうか。大別すると、三つのモデルがあるように思われる。その一つは思考のモデル。これには主に哲学や文学などの読書を通して習得した考え方や生き方などが含まれる。例を挙げるなら、ギリシャの哲学者、ネオ・プラトニスト、ニーチェ、ジル・ドゥルーズ、クロソウスキー、レイモン・ルーセル、カフカ、プルースト、リルケ、埴谷雄高などと枚挙にいとまがないが、ゆうに半世紀以上生きてきてしまったが故のことである。そしてこれに、広い意味での自分の経験から得たものも付け加えておこう。
二つ目の形象のモデルはどこへも逃げ隠れすることのない、そしていつも私と共にある人間の身体である。身体を敷延して臓器、血管、骨、身にまとうもの、棺などと広い射程を持たせたい。科学や医学がいかに発達しようとも、私にとって身体はいまだに神秘である。
第三番目のモデル。これは、言葉では容易に表し難いのだが、共犯、共謀関係にある諸力、働き。実体化された、しかしいまだ生気を欠いた存在に、視覚的暗示作用を促すための息を吹き込むふいご。感情。妄執。息遣い。このようなものが制作者、作品、そして観る人という多項関係を成立させるのかもしれない。
作品制作に必要欠くべからざる素材と技法は、この両者が物質的に成立させた表層のうちに、おのずと消滅することを願う。

2000年11月28日
午後、ある友人の作家から展覧会のDMが届いた。葉書の裏面に掲載されていた作品写真をずっと見ていたら、コトンと睡魔に襲われて白昼夢を見た。お化けが見え隠れしながらあちこち動き回るうちに、次第に作品が増殖し、葉書の作品が完成した。見えない世界と見える世界を往来できるのはお化けだけだから、至極もっともな夢なのだが、OOさん、ごめんなさい。

2000年12月1日
21世紀には三島由紀夫の小説のどこかにあった「のっぺらぼう」の世界が待ち受けている。インターネットの普及に拍車をかけられて、次第に人々は顔を失って匿名化するからである。そしてそのアンチテーゼとして出てくるある種のナショナリズムも人を匿名化する危険性を孕んでいる。いずれにせよ単一な世界の出現である。「のっぺらぼう」も悪くはないが、アフリカの織物、中東の織物、アジアの織物というように自然発生的でどこか通底している、そのようないろいろな織物が存在するほうがいい。歌にしても同じである。地球上は多様で多能な表面のほうがずっと楽しい。
ミトレ刑務所でのジャン・ジュネの朝は、「タラブーン、タラブーン」と明けた。21世紀の朝はどんな音で明けるのだろうか。


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