goo blog サービス終了のお知らせ 

・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

整然/雑然

2011年03月22日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

 

津波の跡は、雑然と見えながら、ガチャガチャになっていても、ゴチャゴチャではない。
大自然は壮大な整理能力をもっている。
全く使えないものは持ち去りながら、祖母と孫の尊い命を、10日近くもつなぐためのものを身近に残していった。


この壁面も、はじめは常に整然とさせているつもりだった。
好んでゴチャゴチャにすることは、まずないから。
はじめは置かないことにしていたモノも、いつの間にか増えていく。
みなそれぞれに、とりあえずを引きずりながら、そこに残る。

雑然を整然に戻す方法は一つ。
もう使えなくなった余分なものを取り去ること。
取り去るには手がかかる。そんなことはあたりまえ。
職を失った人には、整然への回帰に関わることこそ、格好の仕事ではないか。
人を助けながら街をきれいにしておく、そのぐらいのカネはお出しなさい。


読む

2011年03月21日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

つぶれて字の見えない看板。
逃げ去らなくても吹き飛ばされることがあるから、柱に縛り付けられている。
これでも解読はできる。

情報が完全でなければ意味をくみ取れないとむやみにぼやくのは、受信能力の低さを宣伝しているようなもので、非常時にそれは見苦しい。
いろいろな情報が得られるのは、情報量が多いということなのだ。
もしこれが、ただ1か所からの発信だったら、果たして全幅の信頼を置けるだろうか。

思い出すのは「大本営発表・・・」、あの時の情報源はただ一つ、見事に統制されていた。


畑の門

2011年03月20日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

この畑には、門構えのような2本の木があった。
ほかの畑は、たいがい1本ずつなのだが。
これも格式なのだろうか。

近頃は、門扉も塀もないのに、門柱に似た柱を建てた家も見受けられる。
そこには郵便受けと外灯だけが付いている。

東北の津波の跡には、門柱が見られない。
構えだけで実用価値のないものは、つくらない土地柄だったのか。
それとも全部なぎ倒されてしまったのか。


残骸

2011年03月19日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

置き去られるもの、ときには自転車、ときにはバイク。
ハンドルがなくなり、車輪が一つだけなくなる。
一つだけ持って行った車輪は、何に使われるのか。

一輪車の自作か。
一輪車も、乗るだけではない。
載せる一輪車もあるから。

津波の跡の壊れたものは、残骸ではない。
残ったのではない、すべてなのだから。
瓦礫と呼ぶのもぴったり来ない。
壊れるはずがないと思っていたものが、粉々になっているのだから。

被災地のみなさん、三重苦で大変ですが、頑張ってください。


風の友

2011年03月11日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

サーフィンは波が友達

ウインドサーフィンは波と風が友達

カイトボードは風が友達

そう勝手に考えてみたが、あたっているかどうかは風まかせ。

海面から飛び上がって、カイトに引っ張られて飛んでいくときは、本当に風まかせ。

2回飛び上がるところを見て、次にカメラを構えて待ったが、根負けした。


占有

2011年03月09日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

 

ここは我が家の駐車場、入ってもらっては困る。

文字看板を出すのは嫌らしいが、こういう表示の仕方はセンスが伺われて好意も持てる。

センスには伺われるセンスと疑われるセンスがあった。

「か」と「た」の違いで意味はプラス・マイナス逆方向になる。

善意も、解釈の仕方でプラス・マイナス逆方向になってしまうことがある。

善意の供与に出会って、感謝の心をもつか、所有権放棄とみなすかで大違いの結果になる。

自分の土地でも、ご近所のみなさんが近道に利用できるならどうぞと、通り抜けを許していると、何年か経つうちにそこは道路になってしまうという。

使わせてもらっていた道路にでこぼこができ、水溜りになると、管理不十分と文句を言ってくる。跳ね上った水で着物のすそが汚れた、洗い張り代をよこせと請求書が送られてくる。

まさかと思っていて、まさかにやられる。

そんなとき、法は決して善意を擁護してくれない。

法治はときに放置と同音異護になるから。


シンボル・ツリー:2

2011年03月08日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

 

畑のかどかどに立つ木には同じ形のものがない。

ここはおらが畑。

木は番人の役目ではなく、目じるし。

この目じるしはひとに見せるためでない。

つい度を越えた祝い酒の翌日でも、風邪気味のかすんだ目にも、これが立っていれば、おらが畑を遠くから確かめられるのだ。

 


咲いた

2011年03月07日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

サイタ サイタ

サクラガ サイタ

尋常小学校1年生の国語読本は、サイタ サイタ と桜をめでることから始まっていた。

サイタでも、3月に最多という自慢にならないことがある。

日本の自殺者は3月初めに最も多い。

年間に3万人。

3という数字はこの月の日付に5回も出てくる。

暦のせいにせず、誰のせいにもせず、気をとり直して、背筋を伸ばして、頑張りましょう。