自粛とは 自分からつつしむことだった
請われてすることではなかったのに
偉そうにさも偉そうに
自粛してくださいなどと
要請という名目をたて
大勢の人に支配の風を
吹かせた人がいたようで
自粛はとにかく負の素だから
不要無窮の自粛なら
もうやめるよう自粛しよう
自粛とは 自分からつつしむことだった
請われてすることではなかったのに
偉そうにさも偉そうに
自粛してくださいなどと
要請という名目をたて
大勢の人に支配の風を
吹かせた人がいたようで
自粛はとにかく負の素だから
不要無窮の自粛なら
もうやめるよう自粛しよう
科学的という形容に支えられた論説は
どこかに怪しさを抱えている
科学という怪しげなことと
XX的というさらにい怪しげな表現方法の
これは相乗効果というのだろうか
二つの怪しさは
それぞれの事例を見ればわかる
いま世界中を苦しめている惨禍は
科学の産物であり
日本中を苦しめている鈍重さは
合法的という手続きの障害ではないか
一昨夜あまり早くない時間に電話、電力料金の体系が変わったので料金プランについて相談に乗ってあげるというような意味の切り出し。
料金体系のどこがどう変わったのかは一切説明なし。
まずお定まりの本人確認、これもただご本人ですかと聞いているだけで、通過儀礼でしかない。
次に年齢区分「61歳以下ですね」ときた。
違うと言ったら「おや、そうですか」
向こうは電話番号と名前だけわかっていて、あとは探りながら勧誘か調査かの記録を作っていく仕事を請け負ったなと想像。
「あなたはいったい東京電力のどちらの方?」と聞いたら「東京電力ではありません、・・・・・・です」とカタカナをつないでつくった聞いたこともないような社名を名乗った。
相手にしているのも時間の無駄なので、早く切り上げる最適方法をとる。
それはひと言「そんなプラン 要らないよ」
安いものが余り過ぎ
高いものはただ自慢のたね
余りものも自慢話も
普通の暮らしには役立たず
海の向こうで作ってもらうなら
安くできるからではなく
そこのものが一番よいから
そういうものにしてほしい
ものの値段は
普通がよい
新聞の見出しは、紙のものでも網のものでも、発行された国の人が普通の読み方をすれば、記事の内容を大づかみに知ることができる短縮文になっていなければなりません。
落語に出てくる「いたち」の看板のような、だましや引っ掛けはよくありません。
こんな見出しがありました。
【揺らぐ「クスリの安全保障」 医薬品生産で高まる中国依存 新型コロナ機に警戒感高まる】
三つの見出しを続けて並べたような、リボンのつけ過ぎがまず目障りですが、真ん中のリボン、これがよくありません。
医薬品生産で高まる中国依存、と書かれると、え、まだあそこに薬を作らせる気なの、と思ってしまいます。
図々しいあちらさんは、おお、まだ頼りにされているぞとご満悦、しめしめこういうことを書いているうちはアンダー・コントロールじゃ、ウハウハという見方さえできてしまうでしょう。
見出しは人間が書くものですから、波もあるでしょう。
それでも、被ったらメガネが流されてしまうような波を立ててほしくありません。
ゴールド~金~カネ~仮想の価値~今だけの願望
あの性悪さはわかっていても
隣国であるというだけの理由があれば
平和友好何が悪い
自分だけは巧いつながりを
持ち続けることができるだろう
たった一つの梅干しの
つなぐ力がこれほどまでに
強いものとは知らなんだ
「ダメよ ちゃんとしなければ はいお小遣いあげるから」
こうして育て上げた子がどうなるか、狂気を振りかざして世界中跳び回っている元ソーリがその成果例になります。
愛の字が絡むと、悪い養育習慣病を断ち切ることができません。
先日もまたお小遣い300億円の約束をしてしまったようです。
自国の民度は、高いほうがよいか低いほうがよいかと尋ねれば、その判定に特別な意図を持たない限り高いほうがよいと答えるでしょう。
特別な意図とは、例えばトナリのあのオジサンの支配志向のように、命令一下、あり得ない状態を作る力を示したいということです。
罹病ゼロ%まで定時に状態を完成させる離れ業は、低民度のもとでなければ見せることができません。
日本よりもっとその国に近く、さほど広くない海峡で対峙している高民度の国があります。
そこでは作った数値で表現された仮想状態でなく、実際に低罹病率が維持されています。
この高民度がどうして育てられたのか、それはやはり相応の緊張度と、鑑となる人の異端への対決姿勢でしょう。
民度は人の心の集合態ですから、危険にも常にノホホンと無感覚で、ユルユルと悠々の区別をつかなくしておけば、民度は下降傾向を維持したままになります。
当座のこと、自分が生きている間のことしか考えない人が、国家政治の座、行政の中央の座、企業経営の座にしがみついている限り、民度つまり集団能力が上昇傾向に転ずる日は永久に来ません。
最近また引き出しの奥から万年筆を取り出して復活、詰まってインクが出にくくなっていたので、食器用洗剤を垂らした水にしばらくつけておいて、はい、元どおり。
10年前のインクでもちゃんと使えます。
やはり日本の製品と、あらためて感心、と思ったのですがやはり古いものは、いくらかは使えるというだけのことでした。
何でもだましだまし使っていれば、それが効かなくなる時期が来ます。
何かつかえたら、早く使い切って新しくするのが一番、憲法もそれが邪魔でつかえることがたびたび起きたら、使い切ればよいのです。
見切りをつけずに、邪魔ものを置いたままで何とかしようというのはバカなことです。
食べるものだけは、あそこ産は買わないと決めたあの国
わかっていても、X国産という表示を確かめるまでは、値段の安さに惹かれてつい手に取ってしまうあそこのもの
だがね、国産とわざわざ包装に書いてあっても、中身はどこ産なのかわからない
外国生まれの牛でも、日本国内で飼っていた期間が他の国での飼育期間より長ければ、それが国産牛肉と表示される
表示とは、いったい何なのか
地球に住む70億を超える人のうち、ただ一人を除いて全員が罹災者になったいまでも、永田町の異常空間では、人を責めたてることにしか頭の働かない人間が、まじめ腐った顔をしてわいわいやっているのはなぜでしょうか。
それぞれの人が最高のものと思って受けてきた教育が、日常平時の範囲に限られてしまっていたからです。
望んでさえいればそこから外れることはない日常平時、もし外れたときにはと考えることをしない標準型英才教育を受けていれば、人はみな、非常のときにも、慣れ切った日常平時と同じことをただ続けるようにしか脳が働きません。
外れること、逆のこと、大学には、日常定めきれないことを学び、頭も心も鍛える学部が必要になっています。