・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

【EFG】 ~3段階:6

2016年01月31日 | つぶやきの壺焼

エリートと、そのファンと、取り巻くゴロツキ、人が集まるところにはそういうEFG階層ができ上がりやすいものです。
Eの応援だけではおさまらないFたちが、ひいきの引き倒しという困った行動に走ることもあります。

始末の悪いのは、エリートと密接なかかわりをもち、それによって仕事上の地位を得ておきながら、自分が「いい目を見たい」ほうにとりつかれてしまう半端なゴロツキです。
半ゴロは、忠臣面の裏でエリートへの献金の大半を猫ババしてしまったり、できそうもないことを引き受けたかのような口車に、相手を乗せたついでに自分も相乗りしてしまったり、よいことはめったにしません。

ときには、日常のE感覚ではそんなばかなと思うようなことも起きてしまいます。
騒ぎ立てられるとわきが甘いと評されるEは、むしろ被害者です。
被害者が職を失ったり、罰せられたりする制度には、どこかに適切でない部品が組み込まれてしまっているように思うのですが、いかがでしょうか。

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【上司 中司 下司】 ~3段階:5

2016年01月30日 | つぶやきの壺焼

上中下に司を添えてみると、これは3段階とは言いにくいように見えます。
もともと仕事の類別であった上司下司は、職名をそう呼ばれなくなってから、人事管理上の役柄の呼び名や性向の類別にいったん変質し、それがまた変わっていこうとしています。

上司という仕事上の役割を、対語の下司と引き比べはじめると、意味がややこしくなります。
たまたま上司と呼ばれる仕事に就いた者が、自分が全てのことで優れているから上位にあると思い違いをし、それが家族にまで伝染していくと、日常生活にまで悲劇をつくり出すこともあります。

中司はいま、苗字にしか使われていませんが、なかつかさ:中務という職名は、昔の宮内庁のような仕事としてあったようです。

下司のほうは、下司の極み乙女という奇名のウタGまで現れました。

上から目線の逆で攻めようかという作戦を立てたのかと思うような命名です。

極みと乙女をつなげたところが、「なんだ」と気を引く作用の計算を、巧みにちらつかせるような、頭の働きを感じさせます。
「極み」という言葉には、どこか品格が残っていると思わせたいところがあってのことかもしれません。

これが「どん尻」だったらどうでしょう。
名前のおかげで本当の下司と思われるカノーセーが大です。

N町では、下司のどん尻と呼ぶにふさわしいグループが、下司であることこそが生きがいであるかのように、ワイワイやっています。
国のことも、そこに生きる人びとのこともそっちのけで、何かの邪魔をしてみる、有能な士は仕事の場から引きずりおろす、それこそが下司の役割だと、どん尻をこすり合わせて奇声を発し合う、あの田舎芝居の演戯費用も税金で賄われているのです。
こぼれそうなのは下司の涙です。

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【OSI】 ~3段階:4

2016年01月29日 | つぶやきの壺焼

出のOと入 I の間に考えられることには、中断:stop、貯蔵:stockなどSが当てはまりそうです。

世間では、カネの出入りがしばしば問題にされます。
とやかく言われることが多いのは、OSIでも尻尾のほう、つまり入り方で、そこが鬼門になっているようです。
鬼門は、鬼の出入り口であっても、出ていくのは問題でなく、やはり気になるのは入ってくるほうでした。
もらった、受け取った、だまし取った、説明だ責任だとうるさく言う人は、自分の収入額と比べてみての嫉妬心がそうさせるのでしょうか。
カネの額の問題ではなく、人のかかわり方が問題だと言うかもしれません。
しかし、かかわった人は、かかわりの場でのひとときに、互いに日頃の憂さ晴らしをしているだけのことで、国の動きや働きにはなにも響きません。
裳裾のまくれ上がり具合がどうであるか程度のことでしかないでしょう。
仕掛けに遭って尻尾をつかまれるような人の仕業は、ただそれぐらいのことでしかないのです。

入りのほうは、億にも程遠く、千にも至らない、国を動かす金にしてはあまりにもごくわずかのことが大騒ぎになります。
それなのに出るほうは、たった2~3日で10兆円を超える国庫の損失を招いたことを、誰も問題にしてきていません。

Oだけでなく、Sの中にあっても、カネは一箇所には決してとどまっていません。
いちばんだいじなそこでの動きに目を向ける人が少なく、報道もされないのはなぜなのでしょうか。

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【RLC】 ~3段階:3

2016年01月28日 | つぶやきの壺焼

昨日の、朗読/放送/会話という並べ方には、戦争と平和の間に何かを押し込んだような、どこかそぐわないところがありました。

RBCの組み合わせが、別のことを連想させ、もっとほかに何かありそうだと思わせるのかもしれません。

「放送」を「大声」に入れ替えてみると、RLCとなります。
Loud という言葉を、力のこもった声という意味に使えるのかどうかは知りませんが、放送というものは、大声でなくても、元来はっきりした言葉で行われていました。

ちかごろのラジオでは、ときどき何を言っているのか聞き取れないような話をするコメンテイターも登場します。
その人がムニャムニャとなると、相手のアナウンサーまでそれに付き合い始めるので、急に全体のボリュームが下がります。
内緒話は、放送には適しません。

ボソボソ話にも特徴をもったのがあって、助詞のところだけ力が入って大きくなるのです。
LとCで共振を起こすのでしょうか。

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【RBC】 ~3段階:2

2016年01月27日 | つぶやきの壺焼

ラジオから聞こえてくる声が、ときにけたたましく、ときにとげとげしく、心地よくないことがあります。

コマーシャルかニュースの場合に、ことさらそれが耳に障ります。
電波に乗る声は、発生の型によって、同じ内容でも聞こえ方が違ってきます。

朗読/放送/会話
  R     B     C

アナウンスが朗読型に近寄ると、耳の素通り率が高くなります。
早朝出勤前に何かあったのではないかと思うようなゴリゴリの声は、こちら側に寄っています。
いちばんつまらないのは、会話文の朗読型放送です。

会話型に近づけば、親近感は増しますが、ネの音が気になりはじめます。
無理やり作ったマジメ言葉や、ウケ狙いのいやらしさも、こちら側に多いものです。

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【MBD】 ~3段階:1

2016年01月26日 | つぶやきの壺焼

ものごとが、上下あるいは善悪の極に偏っていることはごく少ないでしょう。
ところが、人間は、ごく少ない極のほうをしきりに気にして、いろいろ悩みます。

両極の間にもう一つの段階を考えてみると、なんとか頭の中が落ち着いてきそうです。
これからしばらく、デュアル思考にとらわれず、3段階で見たことを書き留めておこうかと思いつきました。
またご退屈さまですがよろしくお願いします。

はじめはMBDです。
モデルベース開発という、あのむずかしそうな方法のことではありません。

銘菓/凡菓/駄菓
身近にある、この3段階です。
孫の新潟土産のお裾分けで、久しぶりに美味しい柿の種にまた会うことができました。

むやみに辛いもの、醤油の味が下品なもの、噛みごたえの強すぎるものなど、柿の種にはさまざまなB種があります。

その中で、やはりこれは銘菓と呼ぶに値します。

菓子のMBDを類別させるのは、品目ではありません。

数多くの凡菓の中から、抜きん出て銘菓になれるのはわずかです。
反対に駄菓に堕するのもわずかでしょう。

ここで妙なことを発見しました。
Mは味覚の問題が主なので、言葉にするのはむすかしいのに、Dはここがダメと、すぐに愚態的指摘ができるのでした。

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