・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

もくたん徘徊:1 出発

2020年07月31日 | つぶやきの壺焼

もくたん、カタカナで書くとパズドラの博士と間違えられるので、ひらがなにした。

こちらのは、名前ではなく目的探索の短縮形のつもり。

「プロパガンダにはまず目的がある」と丸谷元人の名言がある。

何事にも目的があるかというとそうではなく、はっきりした「あり」、はっきりしない「あり」、「なし」という3分類ができそう。

真ん中のはっきりしない「あり」を拾い出してみて、目的らしいものが見つかるかどうか、これをしばらく続けてみようかと思い立った。

さて、何から始めるか。
今、目的がはっきりしない出来事の代表はコロナ騒ぎ。
ちょっと相手が大き過ぎるが、いってみるか。

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一粒の泡:31 解散

2020年07月30日 | つぶやきの壺焼

千代田区というところでは、不思議なことがときどき起こる。

区長が、いきなり区民に金をばらまいたり、都合の悪い風向きになると区議会に解散の宣言を試みたりする。
急に人心を動かす、目に見えない何かがいるのだろうか。

日本の中心部の、その芯のようなところだけに、そこに集まっている人たちには、憑かれたような行動を自制する、よほどしっかりした心の芯を持っていてもらわないと困るのである。

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一粒の泡:30 仕事の種類

2020年07月29日 | つぶやきの壺焼

郊外に厚生施設でなく労働施設としての作業場をつくったらどうかという案がある。

どこに行っても働けというのかという反論も。

どちらもごもっとも。
遊びや休みと区切れる仕事もあれば、区切れない仕事もある。

自分がしている仕事が、仕事の形のすべてと思ったり、あるいはあるひとつの形に仕事を当てはめようとすれば、名案も潰れる。

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一粒の泡:29 締め付け

2020年07月28日 | つぶやきの壺焼

鉄道の高架橋から鉄板が降ってきた
偶然けが人がなくてよかったが、これが逆の偶然で通行人の頭にでも当たっていたら大事件だった。

1年半前に点検したときには異常がなかったというが、異常かその兆候があっても見つけられなかったか、そういう見方をするようになっていなかったかだろう。

こういうものの構造は、大地震で高架橋全体が落ちるのでなければ、ふだん部品が落ちるようなことがあってはならない。
構造設計がよくないのだ。
現場作業が楽なように、「効率性」という名目が、設計者の頭にこびりついていると、部品が外れて落ちるような、こういう設計をしてしまう。

外れて落ちたのだから、ねじも4本止めではなかったか。
そのねじ止めも、ねじ込む相手が雌ネジになっていてそこにボルトをねじ込むのではなく、少し小さめの穴に雄ネジをむりやりねじ込んで止めてしまう、早くて安けりゃ上等という、あのタッピングではなかったか。

橋の上をガタガタと列車が走れば、取り付けた鉄板にも、締め付け部分にも振動が伝わり、いつかは緩み始める。
振動があれば、締め付け部分は必ず楽なほう緩むほうに位置を変えようとする。
振動でいっそう締まっていくことはまずない。

締めたネジが回ってはならず、たとえそれが1本抜け落ちても止めたものが動き出してはならない。
仮にネジが全部抜け落ちても、その部品は外れて落ちることがない、そういう構造にしておけば、チェックリストに印をつけるだけの点検作業など要らないのだ。
構造設計をする人は、作業効率だけを考えず、安全状態の維持寿命を考える習慣を身に着けていって欲しいと思う。

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一粒の泡:28 大使館

2020年07月27日 | つぶやきの壺焼

外国の観光地に行って帰ってきても、その国を知ったことにはならない。

その国の見せたいところを見るだけなら、大使館巡りという手近な方法もある。

若い子たちが喜ぶように、ゆるキャラまで待ち構えている。

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一粒の泡:27 繰り返し

2020年07月26日 | つぶやきの壺焼

死亡事故が何度も同じ踏切で起きる場所があるという。

地図を一目見て、これは危ないと直感。
道路と線路が、鋭角で交差している。

これではレールと踏切面との溝に、自転車の車輪、歩行者の杖や履物、幼児の足などがすぐに挟まる。

交差角度の変更や立体交差化は、簡単にはできないにしても、溝の幅を最小限までに縮めて、挟まりにくくする方法は何かありそうだ。

危ないから道路管理者側が対処しろという、電鉄の公共事業を笠に着た態度は、単純に頷けるものではない。
電鉄と歩行者、力のあるほうはどちらだろう。
強者が弱者を守る、これが人間の生き方だ。

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一粒の泡:26 めざしのしくじり

2020年07月25日 | つぶやきの壺焼

ある言葉が、どこかで何かを賞賛する形容に用いられると、どんなもの、どんなときにも場合にも、その言葉の意味自体が優れたもの、良いことであるかのような錯覚を招き入れることがある。
そういう言葉は流行しやすいから、たちまちWWWに乗って世界に広がり固定してしまう。

一つの例が「多様性」である。

これが、GXXと呼ばれるあの野望競技会に持ち出されたりすれば、拡散効果は上々で、無差別も混濁も「多様性」の掛け声のもと善行良策に仕立てられる。

単なる状況の形容だった「多様性」がめざすべきこととして国の政策にまで取り入れられる。
そうなったとき、そのめざしのしくじりは、ちょっとの手直しぐらいでは済まなくなるのだ。

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一粒の泡:25 虚技

2020年07月24日 | つぶやきの壺焼

どんなことにも、技は必要。

けれども、技が先に立つと、技に騙されたり、技に溺れたりする。

先立つ技がものを言うのは、コンフィデンス・マンの仕事。

教育の場では、技は、ごくわずかの見せてはならない部分。
目立つような技で育てられると、こすからい人間が出来上がる。

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一粒の泡:24 教育力:2

2020年07月23日 | つぶやきの壺焼

教育に必要な力がもう一つある。
それは、見抜く力。

何を見抜くのか、生徒親子間の騙し合い、生徒親子が先生に仕掛ける騙し合いを見抜くこと。
騙し合いの現れやすいのは、夏休の後、あるいは授業参観。

そこでウソ・騙しを見抜いたらどうするか、決して褒めないこと、うっかりハナマルなどつけないこと。
それだけでよい、ウソ・騙しのほとんどは、褒められたいという、ただそれだけのことが多いから。

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一粒の泡:23 教育力

2020年07月22日 | つぶやきの壺焼

教育には力が要る。

どんな力か、それはたいりょく

気候にも、病気にも、負けない体力
それと、人の子の気まぐれにも、バカな親たちの恐喝にもくじけない耐力

挿絵の画像を載せておられた onebig10 さんの、言葉が耳にこびりつく。

「子どもは突然大人にはなりません」

大人になったつもりが、いつまでも子どもという人もいる。
政財界報道界にぞろぞろいる、チャン大好きのボクちゃんたち。

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一粒の泡:22 作れ

2020年07月21日 | つぶやきの壺焼

「安く作るよ、どんどん買うよ」大陸の口先商法に乗せられて、ここ何十年かの間に、オバカ経営者らは、生産技術、生産力のすべてを海の向こうへ投げ出してしまった。

楽なほう、手軽なほうへ、それが仕事をこなすコツ、だいじにかわいがられて育ったボクちゃんたちは、そんな判断基準しか持てなかったのだ。

むかし、製鋼工場に見学に行ったとき、自動車の車体に涼しい木陰が映り込むような表面仕上げの方法を見て、どこの誰にもこのまねはできないと聞き、日本の技術の底の深さに感銘を受け、これなら安心と思っていた。
それが、ボクちゃんたちのふとした心得違いから、アチャラカ商法にすっかりやられてしまったのだ。

トヨタ、EVで中国製特殊鋼板採用 品質で日本勢に迫る
どこの国の新聞かと思うような見出しが、日本の経済新聞のこれである。

一人ずつ順番に念を入れた金縛り網に、すっかり身動きが取れなくなったボクちゃんたち。

経済界だけでない、政治屋にも、報道機関にもしっかり配備されてしまった金縛りの網は、多分もう手が付けられない状態だけに、コロナの汎地球茶番劇よりもっと恐ろしい。

ものは自分の手で作れ、子供達にはそれを再教育してほしい。

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一粒の泡:21 詐欺師

2020年07月20日 | つぶやきの壺焼

むかし、コンフィデンスという商品名のついたゴルフクラブがあった。
クラブの性能を信頼していればハイスコアが出るぞと錯覚を持たせるような巧い名前だった。

このコンフィデンスの後にマンがついてコンフィデンス・マンになると詐欺師のことだというから、あちらの言葉はよくわからない。

人間の信頼関係は「相互不信」が基本概念であって、そこから出発すれば、「信用」や「信頼」は、できるのが普通という日本語の感覚とは逆の、できないのが当たり前のような意味が強くなってしまっているのだろうか。

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一粒の泡:20 歩け

2020年07月19日 | つぶやきの壺焼

国交省の広報に「ラストマイル自動運転車両システムのガイドラインを策定しました!」という記事があった。

ラストマイルとは、最終移動区間、例えば駅やバス停から自宅までのもう一息という区間を指すことばで、そんなところは歩くのが当たり前だったのに、歩かないことが生活様式の向上とされ、人間の生き方が変えられてしまった。
歩くのはくたびれる、くたびれることはしない、歩かないから足が弱くなる、体全体が弱くなる、弱くなると別の苦痛が出てくる、薬で何とかしようとする、薬が売れる。

体を動かさないようにしていれば運動不足になるという自覚はまだあって、日常生活の中で体を動かすのは嫌だが、お楽しみが加われば気分は別というわけで、ジョギング、フィットネスなどとカナ文字がついて、知らない人とすれ違いでよいから顔を合わせられる機会を求めて、それに時間を割く。

歩けばよいところに車を使わせ、別のところでわざわざ歩いたり走ったりすることを考える、人間はおかしな生きものだ。

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一粒の泡:19 国立捏造博物館

2020年07月18日 | つぶやきの壺焼

北海道に凄い国立博物館ができた。
壮大な施設である。

名はウポポイ、民族共生象徴空間という施設の愛称で、意味は大勢で歌うことらしい。

「先住民族の尊厳を尊重した多様な文化を持つ社会を築いていくための象徴として複合的な意義や目的を有する空間」とされているが、北海道のこの地に住んでいたのは日本人であり、別の民族が先住していたという史実はない。
あるとすれば作り話、おとぎ話でしかない。

展示品には、怪しさを通り越して滑稽なもの、日本の観光の低俗さを宣伝するようなものもあるという。
例えば、アイヌと呼ぶでっち上げ先住民族が漁に使っていたと称するいう刃物があって、その柄にはOK印の刻印がはっきり刻まれているのを、堂々と展示してあるという。
OK印は岡田製作所という会社の製品の商標である。
そういう会社がいわゆるアイヌ民族の人が漁をしていた時分に北海道の地にあったはずがない。
これが国立博物館の展示品なのだから、この博物館にはまともな学芸員もいないのではないか、建物だけは立派に見えても、地震があれば大屋根がたちまち崩れ落ちるのではないかと、余計な事も気になってくるのである。

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一粒の泡:18 駄太話

2020年07月17日 | つぶやきの壺焼

口から出まかせのつまらない出鱈目話は、別名与太話。

少し性格が違って、口から出まかせのいい加減な話ではなくても、過去のことを、ああだったこうだったと何度も繰り返される話がある。
駄太話、ダッタばなしと名付けよう。
レバ、タラの一歩手前でやめておく話で、レバ、タラには別の結果が待っているが、ダッタにはそれがない。

駄太話はだらしのないファクト論で、与太話より格下なのだ。

何だろう、言えば気が済み、聞く側には迷惑、愚痴の言い変えのようなものかな。

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