・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

錯覚時代:14 立法

2018年11月30日 | つぶやきの壺焼

法律は、人々の生き方を正しく心地よくしていくための決めごとと思っていましたが、すべてがそうかというと、それは錯覚のようです。

労働力としての外国人を受け入れやすくする法律が、いま作られようとしています。
数字に表れる経済成長に寄与している団体からの、人手不足の大声に応えようとするものだとも伝えられています。
これから何年かの間、お祭り準備に忙しくても、祭りの後はどうなるのか、賃金が不当に安くてもとにかく稼ぎたいという人向けの仕事がパッタリ減ったときどうなるのか、そのときどうするつもりなのか、さっぱりわかりません。
低賃金が社会に定着してしまい、日本の若者は働かない、外国人はもういらないということになったらどうなるのでしょうか。
そのときはそのとき、わしゃ知らんと、そんな法律にあぐらをかかれたのでは、懸命に働いて生きている人たちはたまったものではありません。

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錯覚時代:13 雑誌

2018年11月29日 | つぶやきの壺焼

雑誌は逐次刊行物、Wikipedia のうまい表現です。
続けて発行されることに意義があるのです。

ある出版社の社長は、雑誌は広場だと言っています。
催しや遊びに集まる人、独り静かにしている人、通り抜ける人、いろいろな人たちが広場の空気をつくります。
広場の空気は心地よいものであってほしいのですが、なかには感情の掃き捨て場にして当たり散らす人もいます。

別の出版社の社長が、雑誌が広場であることを忘れ、情報源として文化を支えるだいじな仕事をいきなりやめてしまったこともあります。
その人は、社長という地位にあれば、その社が扱う出版物の存亡も、自分勝手の自由自在にしてよいという錯覚に負けてしまったのでしょうか。
その社長さん、まさかその雑誌を、はじめからゴミだと思っていたのではないとは思いますが。

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錯覚時代:12 約束

2018年11月28日 | つぶやきの壺焼

約束は固く守らなければならないという人から、約束は破るためにするものという人までいて、世はさまざまです。
生活圏の地球上の位置によるのか、民族の伝統なのか、それが絡み合っているのかよくわかりませんが、荒海を越えた向こうの国とでは正反対になっている事実があります。

約束を守る習慣の人は、どこのどんな人にも約束が守られることを期待し、それがいつかは守られる日が来るという願望を持ち続けます。
その願望が、錯覚であるという認識を持たずに、約束が破られればすぐに国交断絶などと騒ぎたて、むしゃくしゃ気分を晴らそうとする人もいます。

約束が守られるものと信じている人は、自分を信じていてもらうためには、どんなことがあっても決めたことはやり遂げなければならないという信念を常にもち続けます。

消費税を上げるということを決めたからには、何が何でも「上げた」という実績を作らなければならないものと、ここでも錯覚に縛られます。
無理やりの行為に無理をなくすことはできないので、2%増税で5ポイント還元などとまるで計算の合わない奇策まで持ち出します。

そんなバカげたことはやめろという民意を待っているのでしょうか。
約束を破ることが、民意による場合は許されるという実例を残したいのかも知れません。
それなら、その民意はとうに出来上がっています。
わたしたちは、増税の約束をした覚えはありません、増税は止めましょう

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錯覚時代:11 省エネ

2018年11月27日 | つぶやきの壺焼

電気自動車には高性能の電池が必要です。
電池ができあがるまでには原材料の採取から製造までエネルギーを消費します。
電池は充電しなければ使えません。
充電を短時間で行うには大容量の充電装置が必要で、それにも原材料の採取から製造までエネルギーを消費します。
充電のための電気は、発送配電の過程を経なければ得られず、これにもエネルギーを消費します。
さまざまなところでエネルギーを消費しながら、車を動かすエネルギーを作り出さなければなりません。

それぞれの場でのエネルギーの消費には、必ず損失が加わり、エネルギーが使われる段階が多いほど損失が重層加算されます。
エネルギー消費の旅は、回り道が複雑なほど動力に使うエネルギーの総合利用効率が減っていき、省エネルギーどころか捨て去るエネルギーがどんどん増えていきます。

電気自動車が省エネルギーに役立つというのは錯覚で、歩行者の後に忍び寄ってもわからないほど静かで、走行場所では燃焼ガスを出さない、都市環境を良くする効果だけが望めるというものでしょう。
街で車を使うお金持ちにはどんどん買っていただきたいのですが、高原やハイウエイのドライブ向きではなさそうです。

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錯覚時代:10 自動化

2018年11月26日 | つぶやきの壺焼

自動化は、人間の能力が及ばないところを補うように進めているうちはよいのですが、人間が能力を働かせなくてもすむような自動化はいけません。
それを技術の進歩と思ってしまうのは錯覚です。

マイカーでハンドルに手をかけずに、その日のための資料チェックならまだしも、小説を読んだり、飲み食いを始めたりしたのでは、決してほめられることではありません。
機械はいつか必ず故障し、永久に完全無欠ということはありません。
公共の道路を走るのに、マイカーを自動運転させたのでは、まったくの無管理状態になります。
自動運転のマイカー乗車は、それを管理するという社会的責任の放棄で、許されることではありません。

無管理状態のものを公共の場に放り出してただ走り回らせるだけ、それは進歩ではなく、倫理感覚を捨てた人類の退歩です。

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錯覚時代:9 兄弟仁義

2018年11月25日 | つぶやきの壺焼

仲良しは善いこと、これも場合によっては錯覚の仲間に入ります。

いやなことはなるべく避けてとおり、手を出さないように育てられると、人はいやがる仕事には手を出さなくなります。
体を使う仕事や、気配りを強いられる仕事には、低賃金ではつきたがりません。

そんな場合に、仕事を教えるカタチで、呼び寄せた外国人に3K労働をさせる経営手段があります。
問題は呼び寄せる条件にあります。

政府のすることと人々の考えは別だからなどという人情論が、しばしば政治の判断に基づいた行政の仕事に持ち込まれることがありますが、外国人の呼び寄せにはこれはいけません。
何かにつけて日本を貶めようという言動を見せつける国から、働き手としての人を迎え入れれば、時を経ずにとんでもないことが起こりえます。

「人間はみな兄弟」一時もてはやされたあの名文にも、錯覚を引き起こすタネが隠されているのです。

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錯覚時代:8 餅と信奉

2018年11月24日 | つぶやきの壺焼

伸びない餅では、餅を食べた感じがしません。
我が国の人々は、昔から餅を喜びのときの食べものにしてきました。
ちぎって伸ばして、またそれをくるくる巻いて食べる、そんな食べ方も楽しんできました。

ことが起こりそうでもとりあえず見守る、そうすれば友好、平和、安全を保つことができるという思いをだいじにし、学校でも、競争を避けものごとを見守る習慣が身に着くような教育が続けられてきました。
ことを見守り伸ばすことを好む性格は、伸びる餅を好む文化と融けあうように定着しました。

法典の最高位にある憲法を、世界中のあわただしい動きのなかでも、これさえあればと、お仕着せを与えた側が驚くほどに、70年もの長い間手も加えず、そのままだいじにしてきました。
だいじなものは神棚に上げておけば、何があっても見守ってくれるという信奉が、餅が固まるように根づき、かびが生えても、ところどころ欠け落ちそうになっても、そのまま拝んでいようという人がまだ絶えません。

万一神様に見放されてこの国が他の民族に乗っ取られても、平和を愛する民族があったという歴史が残るからよいではないかなどと、程を考えない悪ほざけごとを、へらへらしゃべる輩さえいます。

憲法信奉70年、これも我が国の人々が目を覚ましきれない大錯覚のひとつです。

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錯覚時代:7 人口と成長

2018年11月23日 | つぶやきの壺焼

人口が増えすぎると、そこから別の国へ難民が押し寄せます。
難民を際限なく受け入れれば、経済成長は止まります。
人口が増えなくなったところでは、少子化が問題にされます。
少子化が激しくなれば、経済成長は止まります。

難民は困る、少子化も困る、移民ならどうかと、経済成長だけを望む人は考えます。
自国民を十分に働かせずに、移民で間に合わせれば、働く人の賃金を低いままに維持できます。
それで経済が成長していけば、その国が豊かになるのでしょうか。
自国民の働きによらない経済成長は、一方で民族の文化を衰退させていきます。

経済だけがとにかく成長すれば、みんなが右手では楽しみを掴み、左手で持つのはうちわだけ、これは大きな錯覚でしょう。

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錯覚時代:6 検索誘導

2018年11月22日 | つぶやきの壺焼

検索対象がずらっと並ぶあの画面の先頭に、こんな文面がありました。

全文表示 | 政権が「入管法改正」こだわる意外な理由 きっかけは9月の総裁 ...

入管法改正の内容を確かめたかったので、「全文表示」の文字を、法案全文が表示されているのかと錯覚し、それを見にいきました。

サイトの見出しは『政権が「入管法改正」こだわる意外な理由 きっかけは9月の総裁選だった?』となっていて、法案の文章はどこにも出ていません

ニュースをつくる側は、自分のサイトが真っ先に検索者の目につくように工夫します。
錯覚の利用までは許されるにしても、ダマシはよくないと思います。

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錯覚時代:5 私有無限

2018年11月21日 | つぶやきの壺焼

カリスマ経営者が逮捕されました。

経営破綻寸前の会社を救った人も、長年思いどおりの経営を続けていて、頂上にいる限り何でもありという錯覚を抱くようになったのでしょう。

周囲も、従わなければ自分の身が危ないという一人ひとりの思いが、集団錯覚のような結果を招いたのではないかと思います。

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錯覚時代:4 放埓自由

2018年11月20日 | つぶやきの壺焼

自由のありがたさは、束縛から解放されたときに味わえるものです。
束縛にもいろいろあって、解放が人々の幸福に結びつかないこともあります。

常識と言われることがらのなかにも、束縛感があってそれが成り立つ場合もあります。
世界の常識と呼ばれることには、習俗の束縛をゆるめなければ融合のできないこともあります。

大声で不満を訴えれば、それが多少無法なことであっても、カネが回ってきて、恵まれながら不満を抱えその不満がまた恵みをもたらすという状況が、長年続いている特異な地方があります。
その地方で、なかば担ぎ出され、なかば権威欲に浮かされて首長に選ばれてしまった中途半端な自由人が、自由バンザイとばかりに世界の常識という束縛を破ってみようと、外国に出かけて発信を試みたことがあります。

その地方では、住民の安全のために、国内で環境改善の方針が決まって、すでにプロジェクトが進められていました。
着手した工事でも、民意の看板を掲げて邪魔立てすれば、恵みはまた膨らむという計算なのでしょうか。
数が頼りのお邪魔ムシは、群れが広がるほど力を増します。
力の広がり場所を国外にまで求めれば、ムシの繁殖がいや増すということもあるでしょう。
ただ、ムシの餌が国内にしかないものを、海外でも集められるという錯覚が、あの常識破りに走らせたようです。

外国の政治中枢に地方の首長が乗り込むという放埓な行動は、やはり世界の常識の前に通用するはずもなく、支援者の力で開いてもらった小規模な会場での講演会で発信終了となったようです。

表現行動の自由ということが、地球上のどこでも無条件に受けいられれるという錯覚が、自分個人の恥はともかく、首長の行動ともなれば国の恥にもなっているということに気付こうとしないのでしょうか。
どうやらあのことは、錯覚が多重に錯綜したややこしいことになったまま、ムシも居どころを失ってしまっているようです。

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錯覚時代:3 善玉菌

2018年11月19日 | つぶやきの壺焼

飲むとXX菌が腸まで届くと宣伝される食べものや飲みものがいろいろあります。
飲み込んだところには、あまりよく噛まずに飲み込んだものでも溶かしてしまう、強酸性の胃液が待ち構えています。
それをすり抜けて、腸に行ってから溶け出したり混ざりあったりするという、そんな都合のよいものが作れるとは思えません。

「生きたXX菌」とか「XX菌XX株」などと呼びかける著名人の顔をTVで見ると、たしかにそのとおりになりそうな錯覚を起こします。

薬もサプリメントも、効くものだという錯覚の応援がなければ効果が激減するので、この種の錯覚は悪いとばかりは言えません。
善玉XX菌のお友達は、善玉錯覚くん、結構お役に立っているようです。

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錯覚時代:2 大構想

2018年11月18日 | つぶやきの壺焼

力のありそうに見える人が、大風呂敷を押し広げてみせると、それはそれは壮大な素晴らしい構想と錯覚されがちです。

国際会議に招かれれば、大構想への協力要請に見せかけながらの資金かき集め戦略とは気付かず、善人はつい口車に乗せられます。


大洋の島々をつなぐシルクロードなどと言われると、夢のような話が簡単に実現するものと錯覚を起こします。

集められた資金は、どこにどう消えていくのか、海が思ったより深すぎて沈んでしまったなどと、いい加減なことを言われても、おそらく見た夢の嬉しさからは、なかなか目覚めにくいでしょう。

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錯覚時代:1 真偽

2018年11月17日 | つぶやきの壺焼

奥様方が集まったところで、「テレビは半分ウソです」と言うと、みな目を丸くして、「ウソでしょう」と言いたげに顔を見合わせます。

たしかにテレビでは世界中のこと、ときには世界の外のことまで、いろいろ知識を与えてくれます。
ひとつ言えることは、テレビは見せるために作られたもの、これはウソではありません。
番組には、また見る気になるように、真偽とりまぜた工夫が凝らされます。
いったん上手に作られたものを見てしまうと、そうっだたのかという錯覚がそのまま記憶に残ります。
真実に見え、信じてしまったウソの皮はだんだん厚みを増し、剥がすことができなくなっていきます。

いちばん始末の悪い錯覚は、ウソのことでも何度も聞かされると、まともな本当のことのように思い込んでしまうので、それを狙って何かが仕掛けられると、大勢の人の思いがだんだんその方向に引き寄せられ、それが民意と名づけられた化け物に育っていくことです。

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呆れ民主主義 :31 人気集め

2018年11月16日 | つぶやきの壺焼

民主主義政治の国で政治家が政治を駆動させるには、実効のある活動の場に出なければ話になりません。
活動の場は国会や地方議会で、それ以外のところでは、どんな立派なことを説き、どれほど人の役に立っても、国や地方の行政の行動ベクトルに影響を与える駆動力にはなりません。

政治家は、公職選挙という制度によって選ばれれて活動の場に出ます。
選ばれた人は、だいじに扱われ通常の水準以上の生活が保障されますから、いったん選ばれると、次の機会にも選ばれたい、そのことだけに夢中になります。
懸命ではなく夢中になるのです。

選ばれる条件作りに、いちばん手っ取り早いのは人気集めです。
人は、辛いこと悲しいことよりも楽で嬉しいことを好みます。
楽で嬉しい空気作りがお得意なのは、芸能人、有名人です。

一時の人気に目をつけられ、数合わせに拾い集められ、うまく選ばれた人は、おそらく政治の場で何をしてよいかわからないでしょう。
そういう人たちが議場の空気をかき乱すことだけに使われれば、集められた人だけでなく、政治の本体さえ人気を失っていきます。
そんなことを民主主義と呼んでのんびりしていてよいのでしょうか。

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