ミレーの名画「落穂拾い」には、働く力のない人、働く場に恵まれない人が、畑に残されている穀類を拾い集めている姿が見られます。
収穫時に、落穂をあえて掻き集めずに残しておく習慣、思いやりがにじみ出ているという見方もできます。
ばら撒いて拾わせるのではなく、あげます~いただきますでもなく、落ちているものを無駄にすまいと拾う人にも引け目を感じさせない、素知らぬ顔の穏やかさが、画面のどこかから伝わってきます。
門田隆将著「新聞という病」という本には、地道な積極取材をせずに、記者会見で失言を拾い集めて記事にする新聞界の症状が挙げられています。
拾い集めて糧にするところは似ていても、思いやりの落穂拾いと、愚だもの失言探しには、大きな違いがあるようです。
中国には、コンビニが無人という街があるそうです。
日本では、コンビニのレジに手が足りないからと、まだ日本語のよくわからない外国人を立たせている店があるそうです。
人手のたくさんありそうな国では無人、人手の足りない国では外国人の店員、さて、これはどちらが愚だもの屋さんなのでしょうか。
見えないの? はいメガネ、幼児の視力をすぐにメガネで補おうとするのは感心しません。
まず姿勢、遠くを見る訓練、ディスプレイでなく自然を見せる、親の根気と努力が子供の視力を支えます。
すぐ眼鏡屋さんへ駈け込むようでは、愚だもの好きのレッテルをはがすことはできません。
こうだこうだと、人より先に言う、駅の階段を素早く駆け降りて改札口を一番に出るような中学生なみの楽しみ方があります。
オリンピックの開会式は、こういう段取りでこんなことが行われると、得意げに伝えるラジオニュースがありました。
どうだわが社の取材力はと、ニュース記者の鼻の穴の広がりが目に見えるようですが、おかげで開会式の感動が薄められていることに気づいてないのでしょうか。
思ってもみなかったことが、目の前に繰り広げられるのと、わかっていることがどれほどうまくやれるかどうか見ているだけのこととでは、感動の質も濃淡もまったく違います。
ニュースの価値は、だいじなことを間違いなく伝えるところにあります。
知らせなくてもよいことを早くつかんで抜いたつもり、そんなことを続けているようでは、愚だもの売りの天秤を肩から下ろす日はなかなか来ないでしょう。
「東京2020オリンピック・パラリンピック大会本番並みの目標(首都高速道路の交通量最大30パーセント減)をかかげた交通対策の総合的なテスト」と称される大規模交通規制の体験訓練が行われました。
本番並みといっても、実際の大会での関係者と観客の動きは、このテストにはもちろん織り込まれていません。
テストは、1日おいてもう1回、さらに8月の開会式演習の日にも予定されているそうです。
これで役に立つのは、交通規制のための人員と車両配置の予備演習ができたということでしょう。
車両を運行する側にとっては、通れなくなる場所がわかるだけのことです。
最大の問題の、渋滞の実験にはなっていません。
できることをやってみただけでは、安心の材料にしかなりません。
テストが無事故で済めば、「対策は万全」などと知事の談話があるかもしれません。
自分の力であるかのような得意げな話を、そのまま記事にして済ませているようでは、愚だもの売りの天秤を肩から下ろす日はなかなか来ないでしょう。
若い芸人は、バイトをしても食べていけないという生活環境に置かれることがあります。
その環境が、修行の意図からつくられるか、抱え主の安楽希求からそうなるかによって、5年後10年後の芸の深みは変わります。
もちろん、修行もいろいろ、安楽の質も程度もさまざまですから、簡単な図式であらわすことはできません。
環境の作り方は、何か事が起きたときの伝え方によって変っていきます。
反社との交流は言語道断などと、問われてつい言い放った大先生のことばを、得意げにそのまま記事にして済ませているようでは、愚だもの売りの天秤を肩から下ろす日はなかなか来ないでしょう。
従業員を100人以上も抱えた会社なら、そこで仕事をする人の安全に配慮をめぐらす役目の人がいなければなりません。
その人は、その事業所の業務には直接かかわらずに、気配りと目利きができなければなりません。
ついでに気をつけているぐらいのことでは勤まらないのです。
専任でそういう人がいるかどうかで、黒か灰色かの見分けがつきそうです。
らせん階段は、昇り降りの一歩ごとに視線の向きが変わり、そこには不思議な魅力があります。
階段に立てば周りが見渡せ、周りからは階段にいる人が見えるので、視線の行き交いができます。
しかも、階段に必要な面積が最小になります。
ところが、あまり特徴のなさそうな建物の中で、ただ一つ魅力をもっていたであろうらせん階段が、火災のときには延焼を助ける始末の負えない場所になってしまいました。
非常時にはピタッと区切りをつけられる、そういう機能をもったとき、らせん階段は、ふだんの魅力のほかに安心できる装置という優れた属性を備えたものになるでしょう。
ビルの1階に入り込んでガソリン放火、頭のおかしくなった人が入れなければ大災禍にはならなかったでしょう。
店ではない制作の場に、人の出入りの多いとき、自由に紛れ込めたところに弱点があったようです。
出入りの厳正化、来訪者のチェックは失礼なことではありません。
その日が入りやすいことをどうして知ったのか、それが気になります。
どの人を選ぶか 選択のときが迫りました
誰を選ぶかがだいじ
どのグループにするかではありません
まっさきに グループ名を書いてくれというのは
ルールを違えてないというだけで
正常な解釈ではないでしょう
名前をしっかり書いて
余計なことは書かないように
どういう人を選ぶか 選択のときがきました
無所属という看板の掛け方があります
どこかの政党の党員でも
無所属と名乗ることはできます
党の評判が落ちているときは
党名を隠しておくほうが有利です
無所属は 中立の別名ではありません
ちょっと待て その無所属は XX党