・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

見えた見つけた:18 届かない抗議

2017年11月30日 | つぶやきの壺焼

抗議とは、久松国語辞典によれば、反対の意見を主張・通告することとされています。
通告は、相手にそれが伝わらなければ完了しません。

業務用ファクシミリは、発信の控があれば、相手が受け取りそこなっても、相手側の受信不備であるとされる世間の常識が働きます。
したがって、通常業務の場合は、ファクシミリで送れば、届けた受け取ってもらえたと思って事は済みます。

抗議という行為は通常業務ではないので、ファクシミリで行っても相手にはされません。
何でも反対、抗議が日常という暮らしをしている人から、ファクシミリで送られてきた抗議文などは、まともな文書として扱われることはないでしょう。

同じようなことを、国外に向かって行ったとき、それが外交文書として受け入れられるでしょうか。
ファクシミリで抗議文を送り「厳重に抗議を行った」ことにして、それを報道記事にさせるなどは、ずいぶん国民を愚弄したやり方としか思えません。
やらないよりはましとも言えないでしょう。
ファクシミリで言ってくるぐらいの軽さでしか考えていないと、相手がそう思うからです。

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見えた見つけた:17 チャンスを逃すな

2017年11月29日 | つぶやきの壺焼

相撲は立ち合い、野球は初球、大横綱と呼ばれる人がその座からずり落ちそうになる一番も、立ち会いの失敗からです。

飛んできてからでは撃ち落とすには超高難度のミサイルも、発射直後の加速上昇中なら狙いも定めやすいでしょう。

何ごとも初めのほうでチャンスを逃せば、成功率はぐんと下がります。
発端での間違いに、合うはずのない辻褄探し、見つからない傷を探りまわる無駄な食い下がり、しくじりを隠すために塗り固めた嘘の積み重ね、そんなことでまじめな振りを見せようと問答をしているうちに、ミサイルは頭の上にやってきてしまいます。
しっかりしてください、永田町のみなさん。

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見えた見つけた:16 仕事が急激に増えては困ること

2017年11月28日 | つぶやきの壺焼

景気が良くなるなら、どんどん良くなったほうがいいと思うかどうかという、それだけのアンケートをとったら、「いいえ」と答える人はどれくらいいるでしょうか。

ミンシュシュギのゲンソクにしたがって、俄然多いはずの「はい」の実現に向けて建設業の仕事を急に増やしたとします。
そこでは困ったことが必ず起きます。
ただ忙しいだけの割の合わない仕事には、だれも手を出さなくなるということです。
首都圏の公共工事なら引き受け手がないはずはないと思っても、そんな無計画なことは引き受けられませんと、ゼネコンがみなそっぽを向いたら、入札不調という発注者側にとって最悪の事態になります。
その事業が国際的な約束ごとにからんでいた場合には、発注者側の首長か社長が、やめてしまえばあとは野となれではすみません。

そんなバカなことが起きるはずはない、なんとかなるとみなが思えば、ミンシュシュギの効能があらたかになって、ことはまるくおさまると思うかどうか、アンケートをとったらどういうことになるでしょうか。
メディアの武器のようなアンケートが、どれくらい実効のない無力なものかに、ようやく気がつくことでしょう。

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見えた見つけた:15 法典と経典の区別がつかない人

2017年11月27日 | つぶやきの壺焼

法典は、人間が社会で守らなければならない約束ごとを体系的に記述したものです。
経典は、宗教を信ずる人が守らなければならない教えをまとめて記述したものです。

人として守らなければならないことがらは、人々が構成する社会によって異なりますから、どこの国にも共通でありどんな時代にも有効という法典はありません。

宗教を信ずる人が守らなければならない教えは、いつの世にもどこのだれにも共通なもので、経典を変えることは、作られたときから考えられていません。

ところが、ある種の法律が経典に入っているかのように区別がつかず、変えることなどとんでもないと思い込んでいる人がいます。
きっとその人たちの頭の中では、守ることと信ずることがごちゃごちゃになって、整理がつかなくなっているのでしょう。

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見えた見つけた:14 大新聞が消えていく日

2017年11月26日 | つぶやきの壺焼

虚報タイムスという新聞があります。
『このサイトに掲載されている記事はすべて「嘘」であり「架空」の「虚報」です』という断り書きが、わざわざ書かれています。
「虚報タイムス」という題字を見ておいて、ウソ記事だ、けしからんと怒る人は、お医者さんに診てもらったほうがよいでしょう。
このウソには全く罪はありません。

けれども、百何十年も前から発行している大新聞がウソ記事を書いたら、それは重罪です。
もし、こういう新聞が間違ってウソを書いてしまったら、はっきり謝罪と修正をしなければなりません。

ところが、困ったことがひとつあります。
事実の裏付けのないウソでも、何度も書かれているとホントらしく見えてくるということです。
それをうまく使ったつもりで、ウソを書き続けたり、伝えなければならないだいじなホントのことを、わざわざ書かずに済ませたりすれば、それは超重罪です。

おじいちゃんの代から購読され続けた新聞でも、超重罪を思い切って悔い改めることがなければ、購読者の子供が大人になった頃には、間違いなく廃業に追いやられます。
街に馬車が走らなくなるのと、新聞が消えていくのとは、趣が違います。
それは、寂しいだけのことではありません。

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見えた見つけた:13 読み上手

2017年11月25日 | つぶやきの壺焼

小学校の国語に「書き取り」という科目があったことを思い出しました。
内容は、教科書の文章を見て写し取る演習でした。
写し取るには読まなければならないので、音読の科目とあわせれば、繰り返し読むことになります。

写し取りだけでは、1文字ずつ書き取っても出来上がりますから、もし音読の演習がなければ読まずに終わってしまうことになり、声を出して読めない人のまま大人になってしまうでしょう。

文字を読めない病というのもあるそうですが、病気というよりも義務教育の失敗の犠牲者ではないかと思います。
いま、小学校では音読にどの程度力を注いでいるのでしょうか。

 

 

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見えた見つけた:12 メモ上手

2017年11月24日 | つぶやきの壺焼

メモの上手下手は、流せるか待たせるかにあるようです。
相手の話を聞きながら、聞き洩らさずにとるメモが上級、メモとりのおかげで聞き洩らしが出るのは中級、「メモをとりますから待ってください」などは、聞き洩らすまいとするだけ、下級でもまずまずのところでしょう。

話を止めてしまうのは、時間を止めるのと同時に話の流れを断ち切りますから、ひとの話に割って入るのと同じことになります。
「メモをとります」は自分に言い聞かせるぐらいがよさそうです。

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見えた見つけた:11 メモが記憶を壊す

2017年11月23日 | つぶやきの壺焼

歳をとって もの忘れが増えるのは、意識のつなげ方が下手になっていくからです。
雑事が増えてくると、すべてのことにまともに付き合ってはいられません。
適当に気を散らすことで、意識のつなげ方というより、意識の散らし方がうまくなっていきます。

意識のバラけ習慣がつくと、覚えて置きたいことにメモの助けを借りるようになります。
メモの多くは言葉にして書きとめられます。
ところが、この書きとめることは、記憶力を弱める要因になることもあります。

人間の活動は、瞬間とその連続がイメージになって記憶されます。
いったん言葉にしてしまうと、イメージ記憶は崩れていきます。
イメージ記憶を崩さないためには、パッとメモをとらなければなりません。
どう書こうかと考えながら書いたメモなどは、記憶の助けにはならないでしょう。
               ◆
他人の書いたメモをどこかから拾い出してきて、勝手な想像で話をでっち上げ、なにか思い出せとか、書かれたものならそれも文書などと、問答にもならないことを延々続けて見せるサル芝居がときどき演じられます。
これほど見る気もせず記憶にも残らないアホらしいことはありません。

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見えた見つけた:10 第一感で見破れ

2017年11月22日 | つぶやきの壺焼

緊急告知放送端末装置というものがあります。
「こちらは 防災XXです」で始まる市役所からの告知を聴き取れます。
街のあちこちに置かれたいくつものスピーカーから、こだまのように折り重なって聞こえてくる放送とは違って、はっきり聴きとることができます。

告知には、気象の悪化をしらせる情報が多いのですが、特殊詐欺の注意報もたびたび出されます。
詐欺の手口もさまざま、うそを見破られないように工夫がほどこされています。

うそが見破られることには、次のような関係式ができそうです。
1.うそが見破られる度合いは、経過時間の逆数に比例する。
2.うそが見破られる度合いは、接触回数の逆数に比例する。

接触回数が多くなれば、累積接触時間も増えるので 1.と 2.には相互の関係があります。
接触が度重なる場合、間隔のとりかたによって全体の経過時間も変わるので、話が少々ややこしくなります。

何はともあれ、第一感がだいじということに間違いはなさそうです。

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見えた見つけた:9 名前を変えて生き残る

2017年11月21日 | つぶやきの壺焼

会社、商店、政党には、分割・換名という生き残り策があります。
成功例は多いようですが、もちろん寿命短縮のもとになる失敗もあります。

部外の人々は、変わることに興味を持ち、変わったことを知らずに、新しくできたのかと注目することもあります。
電車の窓からこれまでなかった店の看板を見て、調べてみたらWをひっくり返してMにした名前だったというのもあります。

国の看板ともなれば、その掛け換えは一大事です。
わが国にも、分割自治を唱え、個人個人が生き残ればよいという説を唱える人もいますが、その場合全国民は部外者ではありませんから、興味や注目どころの話ではありません。
この提唱は、歴史を匂わせながら歴史を壊そうとする、売国の変形、あるいはたちの悪い売国話かもしれません。

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見えた見つけた:8 証言報道の限界

2017年11月20日 | つぶやきの壺焼

何か珍しいことが起きると、それを見ていたかのような報道が続きます。
報道される内容が少しずつ変わっていくこともあります。

変わっていく原因は、証言者と記者の言うこと聞くことが、広がったりひっくり返ったりするところにあります。
証言者が増えれば話の食い違いが出てくるのはあたりまえで、記者の書くことも報道機関の都合で変わる場合があるでしょう。

報道を受け取るほうは、そこで本当のことがわかるとは思っていません。
本当のことを知りたいような顔をして、話の食い違いを楽しんでいるかのようです。
話が変な具合になればなるほど、ニュースが売れ、報道機関は商売繁盛ということになります。
ニュースは、知る必要のないことほど喜ばれるからです。

話をやり取りするほうは喜んだり楽しんだりしていても、当事者と証言者には大いに迷惑です。
事情聴取も済まないうちから、記者会見や取材という公認の情報漏洩手段を通じて絞り出されたもの、あるいはそこを通ってきたかのような作り話の混じったものも、真実というレッテルをおでこに貼って走り回ります。

ニュースで人々が楽しむには、誰にも迷惑を及ぼさないという、けじめがなければなりません。

真実を知らせる義務や言論報道の自由を主張しても、迷惑をかける自由は認められないのです。
やがて受け取るほうが言いたくなるのは「えぇ加減にせい」のひとことです。

 

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見えた見つけた:7 観不在のお商売

2017年11月19日 | つぶやきの壺焼

観自在という仏語があります。
すべての事物を自由自在に見ることができるということばです。

国の元首たちが、こぞって観自在の世界観をもてば、地球の平和はたちまち実現するでしょう。
ツッパリ元首には観自在の世界観がもてません。
世界のもめごとは、ツッパリ性が元首の必須要件とされがちなところにありそうです。

ツッパリにも多様性があって、ハズレ・ツッパリは国難を招きますから、元首には不適合ということになります。
元首を目指す人のツッパリに適不適はあっても、ソコソコ議員はどんなツッパリでも自由自在です。
それが場合によってはあまり望ましくないこともあります。

いま、日本の国会議員は、得票の数が多ければ適格という、ゆるやかな選挙制度のもとで選ばれるので、残念ながら、世界観などまるでない観自在どころか観不在の政治商売人でも潜り込めるようになっています。

世界観のかわりに、アンチの種さがしという技をもっていれば、それで暮らして行けます。
議場では睡魔とむつまじく閑自在、どこかおかしいと思いませんか。

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見えた見つけた:6

2017年11月18日 | つぶやきの壺焼

好景気の実感を得る方法があります。
欲張りでケチな富者がいなくなればよいのです。

億の稼ぎに鼻を高くしているような若者には一律X拾%上乗せ課税
会社役員の報酬はX千万頭打ちにして記念旅行か食事会

働く若者が過貧乏では、元気を出せません。
しっかり働けば毎年X%増収、それなら頑張れます。

Xをどう決めるのか、そんな提案なら間抜けな野党にもできるでしょう。

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見えた見つけた:5 頂点にとどまりにくい有頂天

2017年11月17日 | つぶやきの壺焼

自然に触れる機会が少なくなると、人は気が荒くなります。
大自然の中で育ち、それから都会に出て、人間の営みのどこかで頂点に達する努力を重ねた人は、自制の苦悩を溜め込んでいます。
酒は溜まった苦悩を和らげてくれますが、脳の働きも和らげてしまうので、それがぐずぐずになったとき、溜まった苦悩の圧力を支えきれず一気に噴出します。
そうなれば、自分が何をしているのかわからなくなり、度を超えた行動に走ります。

たどり着いた頂点に長くとどまるには、技を磨き体を鍛え知識を取り入れるだけでなく、時には自然に触れる余裕をもたなければなりません。
酒を前にしたときの人との交わり方も会得しなければならないでしょう。
それはもう、人のせいにはできない自分自身のことでしかありません。

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見えた見つけた:4 縞模様

2017年11月16日 | つぶやきの壺焼

敵に直面したら立ち上がって脅そうというのか、おなかをトラ柄にした青蛙がいます。

棲んでいるのは、ビックリ冗談島だそうです。(ライわグループ報)

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