・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

快特

2011年07月31日 | つぶやきの壺焼

ある時間帯には全部快特、それしか走らせないという路線がある。

快特、快い特別という珍妙な略称である。
それでも、そういう呼び名だと思ってしまえばみな不思議に思わなくなる。

速と急の文字を抜いたこの電車、普通車との違いは、止まる駅が少ないから途中の速さがいくらか増すぐらい。
2人掛け向い合せの席にしたおかげで通路の狭くなった車両もある。やや快特らしいがそれが全部ではない。

最近平日の昼間2時間ぐらいは、この快特ダイヤも1本おきになった。
節電という名のゴーリカ運転によるサービス削減である。

乗客が極端に少なければそれでもよいが、駅員が無精者ぞろいの駅では、時刻表の修正もしてない。秋になればまた元に戻ると思って手を着けないらしい。貼って剥がせるシールを使えば簡単にできることにも頭を使わない。

未徹底のゴーリカは、良い印象を与えないことに、本社のお偉いさんは気づかないらしい。


放置

2011年07月30日 | つぶやきの壺焼

何かがしばられて置かれている。
凡頭はダジャレに走りやすく「しかられて」の歌を思い出す。

ちょっと癖ありの山崎ハコの歌を見つけた。
http://www.youtube.com/watch?v=Gp4HYWCUcb8&feature=related


歩道の上の放置物は目につきやすいが、運び出すには便利な場所。
運ぶつもりは、とても感じ取れないけれども。
この極太ロープはどう使うつもりなのか。
こんな雨ざらし陽ざらしでは、ロープの役目も果たせなくなっているだろう。

いいや、これで立派に役をつとめているんだ、とロープがつぶやく。
滅多には動かせないぞ、中味も覗かせないぞという、看板兼用心棒だ。

この世に役目を持たないモノなど滅多にあるものではない。

妙なことに思いが走る。
これは放置状態なのか、束縛状態なのか。

Yahoo知恵袋に、対語の質問が多い。
○○の対語は何ですかなどと、聞いてどうするというのが多い。

「放置」の対語は何ですかと、愚問でも出してみようか。


添える

2011年07月29日 | つぶやきの壺焼

花を添える、という言葉があるが、逆のものもあった。

歩道の花壇も、真夏には花が減り、暑さに耐える強い花だけが残っている。
その花のわきに、風車が添えてあった。

白い小さな花が、寂しがらないようにと、夜店の帰りに買ってもらったばかりの風車を、花に添えて帰ったのか。

その子は、風車のいっぱい並んだ花畑の夢を見たかもしれない。


怠惰

2011年07月28日 | つぶやきの壺焼

緑の中に小さな赤。
行き過ぎて、また戻る。

そしてシャッター。ここでフラッシュ点灯は余計なお世話。
明るいところで露出を合わせて試したつもりが、またフラッシュ。

赤が赤く見えなくなるフラッシュ・ライトを、無効にする設定ができるはずだが、方法を究めてない。
炎天でゆっくり考える気にはならない。

これも怠惰か。


青い旗

2011年07月27日 | つぶやきの壺焼

青い空には青い旗が似合う。
これで、暑さもいくらか和らぐ。

異色とは、わざとらしく目立っていること。同色は穏やかだ。
しかし、同の代わりに別の文字を持って来ると、また目立ち過ぎになる。


アオハタ・マーマレードというのを母親が好きでいつも買っていたが、いまその会社はどうなったかと検索してみる。あった。

http://www.aohata.co.jp/

なかなか洒落たホ-ムページ、久しぶりに、敬服に値する感覚に出会った。


終わり方

2011年07月26日 | つぶやきの壺焼

ゴール前で頑張る。千秋楽に頑張る。引退前に頑張る。寿命末期に頑張る。

頑張りはときに珍妙な姿態を見せ、行動のベクトルを90度ずらせる。
権威をかなぐり捨てて権力保持に頑張る首相の早期退陣を目指して、与党が法案成立に頑張る。野党はそれをさせじと法案成立反対に頑張る。
すべては力率ゼロの皮相努力でしかない。


アジサイの花は、しぼむことをしない。
カラカラ、カサカサになるまで頑張る。
どう思われようと、どう見られようと、そんなことには頓着しない。

夏雲の下のアジサイ、乾いた花殻に落涙の兆しを見た。


2011年07月25日 | つぶやきの壺焼

壁は怠惰を擁護する。
ぐずぐずモタモタやっていて行き詰まると、壁にぶち当たったとつぶやく。
弱い人間の「せい」の置き場となる。

なければないほうが、見通しが良く気分もよい。
しかし、なければ締めくくりがつきにくいものでもある。

生物のうちで人間だけが壁を作る。
いや、ハチは人間よりも美しい壁を作る。

ハチのアタマというのは何のことなのだろうか。


路地

2011年07月24日 | つぶやきの壺焼

初めて通る路地は楽しい。
どこに抜けるかはっきりしていないから。

散歩道で、行き先がわかっていることは、歩く興味を半減させる。
先に何があるか、行き止まりでは癪だが、抜けさえすれば、それがどこであってもよい。

路地のかな書きを、なぜ「ろぢ」と書かないのか疑問だいう人がいた。
これはまっとうな疑問だと思う。


台風逸過

2011年07月23日 | つぶやきの壺焼

台風はくずしN字型の奇妙な進路をたどって行ってしまった。
嫌だいやだと思いながらも待ち構えていた人には拍子抜けだったか。

それでも、東日本の東海岸を総なめにされたのではたまらない。
九州の方には気の毒だったが、天の配剤を見た気がする。


オタク

2011年07月22日 | つぶやきの壺焼

秋葉原には何年も行っていないが、オタク系、サブカルチャー系の店舗が並んでいて、そういう店を主題にしたフリーペーパーも多く出ているという。

横浜にもその種の店が数あるのだが、みな東京に行ってしまう。客足を引き寄せる力が足りないからと言われる。

それではいかん、横浜オタクを何とか盛り上げようというので、「横オタ」という名前なのかキャッチフレーズなのかわからないが、そういう言葉を誰かが編み出したらしい。


何か珍しい名前や言葉を見つけると、いつから使われ始めたのかと、すぐ聞きたがる人がいるが、随分とヤボな質問である。
名前も言葉も、呼ばれたとき、使われたときが誕生のときなので、誰がどこでなどと特定できるものではない。たとえ名乗り出ても、そんなのはオレガ君の自慢話にしかならない。


横浜のオタク系マップ 「横浜オタウォーカー」 というのもあるらしいから、オタク探しオタクの人は、どうぞ覗いてごろうじろ。
http://unkar.org/r/news/1265204788


しゃくり

2011年07月21日 | つぶやきの壺焼

友人宅で、カラオケの話題に「しゃくり」が登場した。
「しゃくり」が採点の対象になるのだという。

歌の採点には興味がないが、「しゃくり」という言葉に引っかかった。

「しゃくりとは」と聞いても、返ってくるのはご迷答ばかり。
吹きこぼれるような笑顔や「音が変わるんだ」だけではさっぱりわからない。

「さぐり」なら、はずれた音からだんだん近づけていくあれかと見当はつくのだが。

帰ってから知恵袋を見たら、こう書いてあった。
「設定された音程よりも低い音をまず発声し、そこから本来の音程に近づけてゆく。このような歌唱法を機械が検知した場合、しゃくりとして判定される」
採点機ではしゃくりの判定にイエローランプが点き、合計回数が減点対象として表示されるという。

やはりそうか、言葉からの探りはそれほど外れていなかった。
しゃくりが巧み/嫌みのどちらに働くかが、歌の聴かせどころなのだろう。
しゃくるときは、気を入れてあごもしゃくるのだろうか。

今うろうろしている台風の経路も、大げさなしゃくりを見せているようだ。


毒草

2011年07月20日 | つぶやきの壺焼

校庭に咲いている花を切り取って生徒が毒にやられる。

毒草とは知らなかったでは、先生の智識としてお粗末だが、モノが増え過ぎれば追いつくのも大変だろう。

太平洋の南のかなたからも、これまで見たこともないような動植物がやってくる。

ローレンティアという名に、草木の別も忘れて、月桂樹の連想だけで付き合っていたら、これがとんでもない「猛毒」という花言葉を持った毒草「イソトマ」だったのだ。
キキョウに似て綺麗だからと気を許していると、目に入れば失明することもあるというから恐ろしい。

動物や昆虫にはなかなか手を出しにくいが、花にはつい手が伸びる。

見知らぬ花には気をつけよう。


ヨコミネ式

2011年07月19日 | つぶやきの壺焼

ヨコミネ式95音図という不思議な表がある。

日本の仮名文字を、読む音からでなく形から覚えさせようというものらしいと想像はつくのだが、あいうえお、あかさたなはまやらわという、母/子音のマトリクスを焼き付けられている頭では、目が回りそうな表にしか見えない。

表の紹介者からの案内によると、ヨコミネ式というのは、いま活躍中のゴルファー横峯さくらちゃんの伯父さんによる幼児教育法なのだった。

 

このサイトに動画も載っているので、どうぞご覧あれ。

  【横峯吉文氏の幼児教育サイト】
   http://yokomineryu.com/url/step/3/

小さな子供たちが、10段の跳び箱をひょいひょい飛び越えたり、逆立ちでひょこひょこ歩き回るのは驚きである。


割り込み

2011年07月18日 | つぶやきの壺焼

割り込みという行為は、ほとんどの場合好意をもっては迎えられない。
空気を掻き乱す、いま風の表現を使えばKKなのである。

行列に割って入る。座席に割って入る。話題に割って入る。
何となく許されるのは、行列がはっきり形成されていない場合や、座席の位置が決められていない場合だが、話題に割って入る場合は難しそうである。

行列や座席は、片手をちょっとかざしたり、頭をごくわずか下げただけで割り込みに成功する場合が多いが、話題の場合は、空間に飛び交っている言語情報という目に見えない場が相手だから、手や頭の動きだけでは、強引さが目だってうまくいかない。

割って入ったつもりでも、話題への飛び込みが場の分どりになることもある。
話題の要点が何であるかを確かめなかったり、思い違いをしてしまったり、腰の定まらないままに割り込むときにそうなる。
それまで話していた人が、こぞって謙譲の美徳にとらわれたとき、そこで話が変わってしまう。
ここで上手に転換できればよいが、シラケの因にもなる。


ジャズの演奏では、割り込みが巧みに行われる。
割り込み方と、割り込ませ方の意気が合って、その変化が聴く耳に抵抗を与えない。
そこでは、いま風のオレガオレガのがなり合いとは全く違う雰囲気が醸し出されている。

暑い夏のジリジリには、耳から入る風も涼しげなのがよい。


夏は暑いもの

2011年07月17日 | つぶやきの壺焼

暑い、夏だ。

繰り返しても涼しくはならない。

暑い!の連発は大人に多い。
子どものころは、そんなことを言わなかった。
繰り返しても涼しくならないことを、本能で感じとっていたからか。
大人は本能がボケてきているから、どうにもならないことを繰り返す。

何か話題を捕まえたときのメディアのから騒ぎも、本能ボケの現れだろう。

外は暑かった。家の中は、風の入り口出口をつくっておくだけで涼しい。