・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

不立役

2011年10月31日 | つぶやきの壺焼

今は もう秋。
http://www.youtube.com/watch?v=vULSa7vJX1s&feature=related

役立たずの月日が八分どおり過ぎてしまった。

八分どおり役に立たないもの、それはいろいろある。
十年前の住所録、政権を手にしてからのマニフェスト。

不立役と書いてみると、立たない役、立て役でない、あるいは役に立たないとも読める。
立たない役をたくさん抱えたとき、立て役に仕立てて上手に使うことをしないと、その組織は役に立たなくなってくる。

役は厄と同音異語だ。役が厄になることもある。
無農薬と無能役、無能厄、これも同じ発音だった。


幼稚産業

2011年10月30日 | つぶやきの壺焼

カワイイ、と思わせることがモノを売る決め手のだいじな部分になっている。

季節モノ、土産モノなどはとくにその傾向が強い。

カワイイは成熟の対義であり、未熟、つまり幼稚と思うのだが、幼稚感覚は生活のあらゆる分野に横断的に行きわたっている。

産業の水平展開相とも言えそうである。

産業は、およそ縦割り分野で考えられるものと思っていたが、幼稚ビジネスが横に羽を伸ばしていくと幼稚産業という連鎖系が成り立つかもしれない。

幼稚などとばかにしてはならなかったのだ。
幼稚園にもお受験がある時代なのだから。


専門家

2011年10月29日 | つぶやきの壺焼

政治家は選挙の専門家であり、官僚は政策の専門家であるという説があった。

専門家は、自分の専門のことがらではなかなか考えを曲げない。

選挙の専門家は、選挙以外のことであれば、簡単に考えを変える自由を持っている。

選挙という制度には、強い拘束力がある。政治家はその拘束力には弱い。
官僚には選挙がないから、選挙の拘束力を受けない。受けるのは縦方向の区切りの拘束力である。
官僚が考えを曲げないのは、選挙の拘束を受けないからともいえる。

拘束力は、平衡性と相矛盾する。
専門家は平衡感覚を欠いた人と見られがちである。

それでは専門性と平衡性とは、相矛盾するのだろうか。


同音異語

2011年10月28日 | つぶやきの壺焼

「ゆうき」にはいろいろな文字が当てはまる。
有機、勇気、幽鬼。

「むのうやく」にもいろな文字が当てはまる。

無農薬、無能役。

 

最後の一語は、わが身が「つとめ」という場を持っていたときのことを思い出させてくれる。

その味は、なにか苦い。


流行語

2011年10月27日 | つぶやきの壺焼

流行語は、現れるもの早ければ廃れるのも早い。

エコという言葉も、欺瞞のにおいを隠しきれずにか、国家事業の破綻がもたらした環境とのちぐはぐが目立ちすぎてか、罹災者の神経を逆なでする危惧を嫌ってか、あまり使われなくなった。

ecosystem という言葉も、古い辞書には、【定冠詞をつけたときに「しばしば、生態系」】などと遠慮がちに書かれている。

エコ、エコと唱えながら、オーガニック・ブレッドが良いと言っては大型外車を繰り出して買いに走ってみたり、高速道路でCO2の撒き散らし競争を演じてみたりしていたのでは、自己矛盾もぬぐいきれないだろう。

「はじめにことばありき」とはどういう意味ですかという、珍問を見かけたことがあった。
考えてみると、あれは珍問どころではなく、言葉が最初に走り出しても、することなすことがついていかない有言爬行のぶざまさを指していたのかとも思えてくる。

大賞などとは無関係の優れた流行語が出てほしい。世の中も明るくなるだろう。


脳振動

2011年10月26日 | つぶやきの壺焼

脳に波動が起きるのはわかるが、脳が振動することはないだろうと思っていた。
ところが、「動きたいなら、動かしてやるか」という気になると脳振動が起きるという人がいた。
http://m-ken.blog.eonet.jp/weblog/2010/10/post-aaab.html

ノウシンドウ:脳振動、一音違いのノウシントウ:脳震盪のほうがなじみがある。

ノーシントウ:ノーシン党、これは昔からの薬がご贔屓の人たち。

脳震盪、見舞われたときことは当然覚えていない。

頭に衝撃を受けた直後、そのとき限りで症状が治まるものと、数日間から数週間にわたって、注意力散漫、しつこい頭痛やめまいなどが続く場合があるという。

これが数週間どころではなく、自分でわからない症状がずっと続くと困ったことになりそうだ。


読み

2011年10月25日 | つぶやきの壺焼

さんずいに呆を書いてなんと読むのでしょう、次の字は「町」で苗字らしいのですが、という質問が出ていた。

書いて眺めてみても、辞書を引いてみても、そんな字はない。

にんべんの間違いではないかとも思ったが、そうではないらしい。

しばらくしたら、ある方から明解が出された。
「深」という字が手書きの場合「さんずい+呆」のように見えるから、深町さんではないのか、とある。
まさにご明察である。

そう言われればそうとしか考えられない。
そんなことになぜ気づかないのかというのが、コロタマのコロタマである所以。

目の前のことを。見えたままにしか受け取れない、吾人にもどうやら発達障害症状が出てきたらしい、やれやれ。


青い船

2011年10月24日 | つぶやきの壺焼

「青べか物語」という小説があった。
森重久弥が足の爪を切っているところだけが印象に残っている映画もあった。

これはべかではないが、写真になって川面が暗く写ると船の色がこんなに青かったのかとあらためて思う。

現場百回というが、現場で気づかなかったことに写真で気づくこともある。
いや、そうではない。現場はまだ二、三回しか見ていない。
しかも色はどうかなどという見方をしていなかった。

どこに行っても、うつろな眼でぼんやり眺めているだけでは「見た」ことにはならないのだ。


2011年10月23日 | つぶやきの壺焼

ひどいどもりは演説をさせれば治るという。

大学教授になった人、労働組合全国本部の役員になった人など、確かな実例を知っている。

自分の子供のときのあんな癖、こんな癖も、知らぬ間に実際になおっている。

 

子供のときの癖は、それをあまり責めないほうがよさそうである。


円高

2011年10月22日 | つぶやきの壺焼

円高が続いている。

円と他の通貨を比較して、どちらが高い方向に向かっているか、安い方向に向かっているかということしか、われわれにはわからない。

円が高いときは輸入品を買うチャンスだとか、海外旅行に出かけるチャンスだとか言われるが、そのチャンスは、向こう側では、円を使う人にものを売るチャンス、さあさあお出でなさいと招き寄せるチャンスなのだ。

円高になると1円の価値が上がるのか、そんなことはない。
この1円玉は、どこで役に立っているのだろうか。
1円玉の役割は、どう考えてみても、つり銭に使われるときしかない。
1円玉のつり銭はなぜ世の中に必要なのだろうか。
ものの値段が1円単位だからか。では10円ごとの段階値段では何が困るのか。
消費税で端数が付くから、10円刻みで値段を決めても同じことにはなる。しかし、いま販売価格の表示は消費税込みなのだから、そこで端数処理をすればよいではないか。

スーパーのレジの人も、1円玉の処理がなくなれば、ずいぶん楽になると思うのだが、どうだろうか。


謀臭

2011年10月21日 | つぶやきの壺焼

保険は公認の陰謀だとTVで言った人がいる。

カネをかき集めておいて、パタンと倒れた振りをすれば、集めたカネはないことになってしまうかもしれない。保険会社の関係者が聞いたら髪を逆立てるだろう。
そんなことはないと思っている人、信用はできないが何かかけておかないと不安だという人、加入者の心理はさまざまである。

決して安くはないCM代を払って、毎日くどいように宣伝するのは、すればするだけ効果が上がるからだろう。
保険に限らず、CMの繰り返し回数の多さには、何か謀の臭いがただよう。
謀臭という言葉が頭に浮かんだ。
ボーシュー、防臭剤のボーシューと音は同じ。

まったく違うボーシューもある。近所に房州屋という薬屋さんがあるが、そこは店に入れば血圧、脈拍も測れ、薬と一緒に景品を何か袋に入れてくれる。
人間は、ちょっとしたこと、わずかなものでも、通常の交換価値以上のものが得られると悪い気はしない。

こういう連想を続けていると、いずれむかしのことにたどり着く。
保険に加入したらネクタイをプレゼントされ、自動車を買うなら紹介するとまで言われたことがある。
食事に誘われたがなんとなく気が差して断ったが、あの謀臭を嗅いでおけばどうだったのか。いまは確かめようがない。


ガとJの魅力

2011年10月20日 | つぶやきの壺焼

この甲板が、もしきれいに整理整頓されていたら、カメラは向かなかった。
置かれているものは、ごちゃごちゃではあるががらくたではない。Jumble 状態だが Junk ではない。
どちらもガ行で、Jから始まる。

文字には関係ないのだが、ありそうに思ってしまうのは、なぜだろうか。
もんじ病、聞いたことはないが、そういう人は確かにいる。

ことによると、自分も感染しかかっているか、まあ命に危険はないが。


盲導犬

2011年10月19日 | つぶやきの壺焼

盲導犬にも定年があるらしい。
定年を迎えるほどの盲導犬になると、本当に優しい顔をしている。

犬の言葉はわれわれにはわからないが、使用者にはわかるのかとも思ったが、行動や、身体の様子を見たり、フードの食べ具合、糞の状態などをチェックしながら管理しているのだそうである。

盲導犬のことは、公益財団人 日本盲導犬協会のホームページを見るとよくわかるように解説されている。
犬と付き合ったこともないものが、聞きかじったことを書くと誤解を招くこともありそうなので、そちらを見ていただくことにしよう。
http://www.moudouken.net/knowledge/article.php?id=31

○ 街で盲導犬に出会ったら  (HP記事より)
声をかけたり、じっと前から見たり、口笛をならしたりしない。
食べ物を見せたり、あげたりしない。
盲導犬をなでたり、ハーネスを触ったりしない。
自分のペットと挨拶させようと近づけたりしない。

盲導犬体験ができる「見学会」もあるそうなので、ご覧ください。


放連想

2011年10月19日 | つぶやきの壺焼

夏も過ぎたのにどじょうがどうしたこうしたとよく耳にする。
金魚になるとかならないとか。

土⇒金と遡るなら、どじょう⇒金魚⇒木魚⇒水ギョーザ⇒焼き魚⇒月餅⇒日向椎茸となりそうだ。
途中に食えないものが二つ入ったが、どじょうと椎茸は確かに美味い。

どじょうは何年か前、同窓会の旅行で鬼怒川の帰りに駒形へ寄った。うまかった。

椎茸は何十年も前に、日向の椎茸を土産に貰った。きのこでは、和歌山の農家応援で食べた松茸と、あの日向の椎茸の味が忘れられない。

勝手気ままな連想は、記憶から引っ張ってきたほうが早いから、新しい考えは生み出さない。
どうしても昔食べたものなどに偏って行く。

こういうのを食い意地というのだろうか。


仕掛け

2011年10月17日 | つぶやきの壺焼

マジックは、タネや仕掛けを知ってしまうと全然面白くなくなる。

ごく簡単な、ちょっと器用な人ならできそうなタネを、わざわざ披露して喜ばせる芸人もいる。

この世で仕掛けのいちばんわかりにくいのは、経済と称する人間のだまし合いだ。
どこかの会社がつぶれたと報じられる。小さな会社はその報道が事実になるが、大きな会社がつぶれたというのは、そのとき影を潜めているだけである。
形を変えていて、またもとどおりになったり、名前を変えて生まれ変わったふりをしたり、いつかはすまし顔で現れる。
GMも1年5ヶ月で再上場というグランドマジックをやってのけた。

つぶれては困る会社は、人がつぶさない仕掛けをあやつって、つぶさないからつぶれない。

つぶさない方法は、仕掛けをあやつる人が知っている。しかし、そんなことを説明する能天気はいない。

政治の世界では、説明責任がやたらに騒ぎ立てられるが、騒いでいるのも大仕掛けの一部分で、その人たちが知りたいわけではない。知られてしまうことは、その人たちのいちばん確かな失業材料になるのだから、望んでいるわけがない。

仕掛け作りも、腕か頭のどちらかが悪かったり狂ったりしていると、人の命にかかわるような、あるいは何十年か後に人間の姿でない生きものが現れるような、下手なことをやってしまう。

仕掛けの難しさは、その構造よりも、使い方受け継ぎ方にあるような気がする。