・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

変に聞こえるきれどころ

2013年08月31日 | つぶやきの壺焼

「きれいどころ」という言葉がありますが、そのことではなく「きれるところ」の話です。

俳句には「きれ」がなければならないといわれます。
「はなし替わって」とか「ところで」といった軽い飛躍をみせるところでしょうか。
「きれじ」という変な名がついた定形文字群もあるようです。

「きれじ」は、もちろんきれなければならないところに入れます。
きれを感じさせてはならないところに入れたのでは、句がはちゃめちゃになってしまいます。

日常の言葉でも、きれどころがずれるとおかしく聞こえます。
「おはようございます」はだいたい続けて言いますが、気持は「おはよう/ございます」でしょう。
前半分の「おはよう」だけでもあいさつになります。

これを「おは/ようございます」とは言わないでしょう。
「おは」の何がよいのかと返したくなります。
もっとも、無精な人が「おは」だけで済ませる場合もありますから、そこで切っても切れないというわけではありませんが。


「分け隔てなく」という言葉があります。
これも7音を続けて言うことばですが、分けることも隔てることもせずに、ということですから、気持は「分け隔て/なく」でしょう。

これを、「分け/隔てなく」と分けと隔ての間の切れ目に力を入れて言う人がいました。
それがラジオのアナウンサーなのです。

同じ人の放送にこういうのもありました。
「残暑お見舞い/申し上げます」と変なところに切れ目が入ります。
文語忌避の習慣で、「残暑(のみぎり、近況)お見舞い申し上げます」の短縮形を想像する感覚が飛んでなくなってしまったのでしょうか。
あるいは「○○見舞い」という贈る形へのこだわりの強さの顕れなのでしょうか。
スマップのお兄さんも、これを真似したのか、同じような言い方をしていて耳に障ります。

異常気象は、言葉の切れ目にも影響が及んでいるのでしょうか。

もう3週間の残暑/お見舞い申し上げます。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二つの名前で出ています

2013年08月30日 | つぶやきの壺焼

「朝な夕なの・・・・・」
こんな言葉もあまり聞かれなくなった。

「な」違いで、「昼名夜名」の商法がある。

下北沢に昼名ケンタッキー、夜の名は替わって Root25 になる店があるという。
24時間サイクルで名前が入れ替わる、その上を行くしゃれでもないと思うが。

タイムシェアリングというのがあるが、これはついでにネームシェアリングか。
一つの名前を分けるのではないから違うようだ。
それなら、メタモルネームとでも言うのか。

名前のことに、ことさらにまた名前をつけることもないだろう。


夜だけのパン屋というTVドラマがあった。
昼は手のかからないドリンク・ストアでもやればよいのに。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間らしく遊ぶこと

2013年08月29日 | つぶやきの壺焼

球を扱う競技は興行になりやすい。
人間らしいところがあるからか。

猫でもイルカでも、球にじゃれるのは人間がそうさせているので、猫やイルカが球を求めてのことではない。

競技には、人間らしさを競うものと、人間の能力を超えることを競うものがある。
大勢の参加者や観客を集める力は、人間らしさを競うものにある。
サッカーの人気は、巧みな技、長続きする力、論理もかけひきも含めた智恵、人間らしさというよりも、人間臭さを見て楽しめるところにありそうだ。


サッカーの基礎練習の第一は、人間らしく歩くことと言った人がいる。
球を追うのでなく、球の来る場所に先に行き、待ち構えていて次の行動に移る。
そのために人間らしく走るには、まず人間らしく歩けなければならないということなのか。

背が丸まったり、肩を振り回したりする、人間以前の動物の歩き方では、おどしにはなっても勝ちを得る効き目はないらしい。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

割り込みは保持能力不足のあかし

2013年08月28日 | つぶやきの壺焼

話の上手な人は、ひとの話に途中で割り込まない。
頭のメモリーがしっかりしているから、思ったらすぐ喋らなくてもすむ。
記憶能力が間に合わなければ、メモという補助手段がある。

自制力が普通の人は、行列に割り込むことはしない。
心のセオリーがしっかりしているから、何でも思ったとおりどうにでもなるとは考えない。
自律能力が間に合わなければ、我慢かあきらめという補助手段がある。

自我の強さは、自律能力不足のあかしとなって、それが国民性と見られるような現れ方をする。
訪れた外国人、行き先で会う外国人に、どう見られるかなどまったく意に介しない。
国民という意識がなければそうなるだろう。
誰かが強烈な権力だけを握っていて、そこには国という概念さえもないのかもしれない。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

委員会とは何ですか

2013年08月27日 | つぶやきの壺焼

「委員会とは何ですか」という奇問がFAQにあった。

「海に流れ出す前に地下水を汲み上げるよう指示した」と、現場の班長級の人が聞いても「なに言ってんだろ」つぶやきそうなことが、原子力委員会の仕事として報道された。
この委員会の仕事は指示するところまで、と強調したかったのかどうかはわからない。

他に何を言ったのかは、すぐにはわからない報道の仕方なので、これが全てではないにしても、こんなことが委員会指示に値するものと、委員の先生方は考えていらっしゃるのだろうか。

「委員会とは何ですか」というあの質問は、ことによるとこういう報道にかかわりがあったのかもしれない。

委員会とは、公正中立かつ合議制の形式を備えていて、ときには審議権、ときには執行権がもたされる人の集まりぐらいのことしかわからない。
委員会というのはいったい何なのだろう。

「委員会とは何ですか」という質問の意味だけは見当がついてきたが、答は見つからない。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大臣に発言の自由はない

2013年08月26日 | つぶやきの壺焼

大臣の記者会見でしばしば聞かれる「総理のご指示を踏まえ」という奇異な言葉がある。
「わたしの行動ではありません」というアリバイ作りにしか聞こえない。

「勧告書の内容を理解しているのか」というのもあった。
「書類の内容を理解さえすればよい」の言い換えに聞こえる。
「なぜ勧告書を出すのか、わかってくれてさえいればよいのに」とも聞こえる。
「勧告を真摯に受け止め、対処するつもりがあるのか」とは聞こえない。

いずれも、無力の中級管理職の言葉と酷似している。

要人の発言が問題になるのは、問題にしようと待ち構えていて記事にするから。
真意をまげてメディアが騒げば、些事が国辱的な問題発言に変質する。
無用の伝播は、メディアの存在自体が国辱ものになることは意に介されない。
購買者は国辱級の記事を好んで求め、メディアは購買者を逃がさないような報道をする。
それが低民度の証明となる。

言ったことを取り消すのは最低の愚行、言ったことの謝罪は中級の愚行、いずれにしても愚行である。
愚行に上級はない。

大臣ともなれば、愚行をあえてしてはならないのだ。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待機の姿さまざま

2013年08月25日 | つぶやきの壺焼

競技で準決勝まで勝ち抜き、決勝戦に望む待機中に、選手がとるかたちはふたとおりある。
仕上げのストレッチに励む人、もっぱら精神集中に努める人。
ストレッチをしながらの精神集中もあるから、この言い方が紛らわしければ、体を動かす人と動かさない人。

どちらに重きを置くかは、勝つには力か技か、という競技の種類にもよると思う。


和太鼓の名手が、叩く前には必ず走る、と言っていた。
会場によっては走れないところもあるので、「その場跳び1000回」という方法を考え出したという。

勝つために、あるいは感動を与えるために、最も肝心な瞬間に力を出し切れること、それを考え、そのときの自分に最適の方法を見つけて実践できたとき、成功の機会に恵まれるのだろう。

体重計測後の1日の間に10キロも体重が増えるほど食べてしまう選手は、競技以前に空腹に負けてしまっているので、勝てる見込みはまずなさそうである。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スローライフが責められる場所

2013年08月24日 | つぶやきの壺焼

ゴルフは、心をゆったりさせる遊びと、一瞬も気を抜けない競技との両極端の性格をもっている。

国内でゆったり遊びに慣れてしまっていると、国際競技のときにはリズムが合わなくなる。
自分に力がつけば勝てると思って競技に参加すれば、自分の力を出すことだけに集中する。
行動規制が性に合わない日本人が、自分にのめり込むと、前後の見境もつかなくなり、まして競技全体の進め方などは意に介しなくなる。

ゴルフ競技は一日中連続で、第1組から最終組まで、ひものようにつながって順に送られていく進め方をするので、どれかの組の進み方が遅ければ、たちまち渋滞が起こる。
高速道路の気ままなのろのろ運転が、渋滞の原因になるのと同じである。

ゴルフ競技の審判員は、ひもの端から端までには目が届かないから、オブザーバーという役目の人を配置する。
オブザーバーは「審判員を補佐し、反則があった場合に審判員に報告する」だけが本来業務なので、ひもに弛みが出ても直す役割は持っていない。

弛みに気付いて直すのはプレーヤー自身の競技参加マナーでしかない。
参加マナーに反すれば参加資格不足なので、失格でなければ打数加算という罰則を受けることになる。

自分にできることを精一杯やるだけなどと言っているうちは、勝利の道は程遠いのである。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さび付きは叩いてダメなら冷やして脅す

2013年08月23日 | つぶやきの壺焼

錆びたら油、しかし、わずかの隙間もなければ油は滲みていきません。
隙間を作る方法は、急に冷やしてびっくりさせ、縮みあがらせることです。
なまじの冷たさでは、相手は驚きませんが、マイナス40度なら驚くでしょう。

ヘンケルジャパンの「ロックタイト フリーズ&リリース」はそういうスプレー潤滑剤だそうです。
 ⇒ http://p.tl/HX7T

ただし、冷やしておいてうっかり触ると、手が凍り付いてしまうのでご用心。

にほんブログ村

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乗り物の事故の原因は操縦させないから

2013年08月22日 | つぶやきの壺焼

運転の自動化は事故を減らすでしょうか。

アルゼンチンで公開された交通機関の実態映像には、運行中の列車の運転席で、運転士がかばんから本を取り出し読書を始める様子が写っていたそうです。
前方を見ずに両手でスマートフォンの操作に熱中しているのもあり、運転用のレバーに手をかけたまま、完全に眠ってしまっているように見えるのもあったそうです。

座っているだけの運転士は、運転操作をさせなければ別のことをはじめるでしょう。
何もせずに見ている仕事ほど退屈なものはありません。
前方への注意のみへの集中など、長時間続けられるはずはないのです。

自動運転は、交替度数を減らして人件費を節減する目的以外に利点はありません。
何も起きなければ寝ていても大丈夫という環境に置かれた運転士は、異常事態が発生したときだけ神経を呼び覚ませと、難しい条件を要求されます。

操縦ができていれば、故障した飛行機も、森に降りて全員無傷という離れ業もできるのです。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

診断機能を整えよう

2013年08月21日 | つぶやきの壺焼

ドクターイエローと呼ばれる新幹線特別列車があります。
JR新幹線の線路、架線、信号などを、走りながら検査する診断列車です。

これを見ると幸せになれるというので、出会いの方法を「まとめ」にしようというサイトもあります。
開けては見ましたが、項目だけで、記事は何も出てきませんでした。
この「まとめ」を見るにも何か秘法があるのでしょうか。

ドクターイエローにどうすれば出会えるかなど、ネットで流せば、わいわい人が押しかけます。
そこでは、見たときの幸せ感などはどこかに行ってしまうでしょう。

ダイヤ予測オタクもいるそうで、それはそれでまた楽しいのでしょう。

新幹線に大事故が起きないのは、こうした広い裾野を持った診断機能が、うまく働いているからに違いありません。


人の集まるところで、命を奪われるような事故がしばしば起きます。
そのときに、器物の操作の仕方など枝葉の先のことを真っ先に考え、責任を取扱者個人に押し付けていたのでは、「気をつけなければ」のひとことで終わってしまい、何も改善されません。
システム全体で、裾野の広い診断機能が作られていくように頭を働かせなければ、同じ事故が、いつかどこかでまた繰り返されることになります。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キーの白黒は共通ではなかった

2013年08月20日 | つぶやきの壺焼

チェンバロのキーはピアノと白黒が逆だという話を聞いた。
昔の楽器にそういうのもあるというだけではないかと思ったが、やはりそうだった。
ときには変わったものを作りたいという人は必ず現れる。
フランスで白黒の逆転した鍵盤が流行した時期があったそうである。

おはぐろのところどころに白を散らしたようなチェンバロをどこかで見れば、チェンバロはみなそういうものかと思ってしまう。
昔の女性の歯は真っ黒だったというのと同じである。

一つが全てという見方が、平等均一指向の社会のもとでは偏った考えと思われなくなり、それがごく自然に電波に乗る。

チェンバロの響きのように、どこかもの悲しく、どこか恐ろしげである。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聞いて欲しいような欲しくないような

2013年08月19日 | つぶやきの壺焼

独り言は、自分の頭に他人が出てくる話だと言った人がいる。

他人には出てきて欲しくない、だが、半ば聞いて欲しい、いや、やはり聞いて欲しくない、そういう中途半端な、話し以前の声が独り言なのだろう。

耳の遠い人から、独り言に「え?」と聞き返されると、それがいちばん厄介である。
つぶやけば終わりだったことなのに、もう一度と催促される。
二度目で聞こえないと、もっとひどいことになる。
大きめの声で、ゆっくり、はっきり言わなければならない。
ときには別の言い方をしなければ理解されない。
聞いて欲しいわけではないのに、理解させることに腐心しなければならない。

聞き返されて、「独り言だ」と宣言するのも、お互いによい気分ではない。
「独り言だが」と前振りを加えては独り言の意味がなくなる。

独り言は、自分の話に他人が入り込んでくると価値のなくなるものであった。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男性専用ではなかった

2013年08月18日 | つぶやきの壺焼

ワコールで女子テコ、ユニクロでリラコと呼ぶ女子用ステテコが、猛暑をバックに好評と聞く。

作り方や型紙を名乗ったサイトがたくさんあっても、自分で書いたものは見つからない。
ハウ・ツウまでも既製、できる人と書ける人が一致しないのだろう。

折角自分で作るのなら、自染でやったらどうだろう。
自染セットを売り出す人はいないのか。
稼ぎ高の計算が先に立ってしまうから、出にくいとは思うが。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掻くからいっそう痒くなる

2013年08月17日 | つぶやきの壺焼

蚊に刺されたところがいつまでも痒いのは、いつまでも掻いているから。

痒い起因は、すでに過去のもの、掻きむしってもなくなることはありません。

どうすれば痒さが止まるのか。
アンモニア水でも、ただの水でも、瞬間冷やして意識をそこから離せばよいのです。

離した意識の行き先はと、何も思いつかなかったら、おでこでも叩いておきましょう。

にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする