・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

ちょいちがい:31 検索

2021年04月29日 | つぶやきの壺焼

何かを知りたいとき、たいがいのことはインターネットの検索でわかるようになっている。

問題は回答の迅速性と確実性だ。

概要を知りたいときは迅速性、行動計画のための情報を得たいときは確実性に重きが置かれる。

迅速性を求めるときは検索、これなら探し当てて見るだけで答えが得られる。
この検索も、広い範囲の検索と、相手を絞った検索ができる。
たとえば、言葉の意味を知りたいなら広い範囲の検索、決まっていることを確かめたいなら相手を絞った検索ということになる。

例えば、コロナ・ワクチンの申し込み期日などは、行政の電話窓口を見つけるのもよいが、こういう問い合わせはとかく集中して、いつまでも待たされることになる。

試みにわが住まいでは、「M市 ワクチン」で検索したら、「新型コロナウイルスワクチン接種について」というサイトに行きつき、すぐに答えが出た。

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ちょいちがい:30 環境

2021年04月27日 | つぶやきの壺焼

懸命に作ろうとすると壊れるものがある。
環境もその一つ。

人工の環境は自然の環境を破壊する。
わかっていても、破壊が次の期待を生むなどと、変な理屈が頭にこびりつくと、思考の環境も壊され、カーボン・フリーなどというわけのわからない産業振興策略にわれもわれもと参集する。

炭素をなくすと何がどうなるのかを考えているのか。

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ちょいちがい:29 記者の道

2021年04月25日 | つぶやきの壺焼

失言探し、それは現代記者にとって仕事の要領の一つになっているようだ。

探して見つからなければ、作り上げるしかない。

ぶら下がりの機会に、失言に仕立てられそうな、望みの言葉が出るまで食い下がる。

掴むのは言の端、片言隻句で十分なのだ。
言葉の意味には表裏があるから、切り貼りつなぎ方の腕次第でどうにでもなり、どんな記事でも書けるから。

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ちょいちがい:27 会の力

2021年04月21日 | つぶやきの壺焼

会と名がつくと、人の力は偉大になる。

専門家、有識者と呼ばれる人の発言力は、会の名によって支えられる。

その力は、求められる知見に有効な働きをする成分と、別の働きをする成分とが合成されたものになる。

別の働きとは、会の名による票田に水を湛える働きである。

専門家、有識者と呼ばれる人が、会の名の看板を掲げて、注文に応じた「別の働き」のほうに意力を注ぎ込めば、有効な知見はごくわずかになる。
ときには無に近い、そんなことさえある。

会の名というものは、なんとなく確からしいというだけで、信頼の素因にはなりにくいものなのだということが、世の中に目立って来ている。
「別の働き」が増えてきているからだ。
困ったものだ。

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ちょいちがい:25 所管

2021年04月17日 | つぶやきの壺焼

日本とEUとの共同研究による「高度バイオ燃料と代替再生可能燃料」における新規課題が決定された、という所管省のニュースメールが届いた。
両国の共通の関心事項である脱炭素社会の実現に貢献することを期待できるものとして、公募で集められた課題が3課題に絞られたと説明されている。
この3課題がどういうものなのか、リンクを辿りたどり探したが、内容が見つからず、途中で嫌気がさして諦めた。

意地悪な想像をすると、詳しく知りたければ、尋ねてくれば話せる範囲で教えてやるぞという構えのようで、このニュースは、MK省が「決めた」ということだけが主眼らしい。

ニュースの項目を見たとき、この課題がなぜMK省の所管なのか、不思議に思った。
研究と呼ぶものはみなMK省?そんなことはあるまい。
KS省はどうしているのだろうか。
課題を決めるだけなら、あちらにやらせておけという目前処理型の扱いのようにも見える。

こうしておけば、情報公開だけはしてあると言い張れるからか。

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ちょいちがい:24 操り人形

2021年04月15日 | つぶやきの壺焼

操り人形は、操られていることを観客に忘れさせれば、一流の演技と言える。
操り方の巧拙が気になるうちは、三流以下の学芸会級だろう。

庶民の政治感覚の低さを、「操られている人が意識していない」と表現した人がいる。
操り人形には、もともと意識はないのだから、それがあたりまえのような気もする。
多分その人は、時流に漂っている人が、操られるままの人形のようになってしまっていると言いたかったのだろう。

人形のようでは言い過ぎになるかとの気遣いが、歯に衣を被せる結果になったのかもしれない。
まっすぐものを言いにくい今の世で、聞きたくないことを聞かせる苦心の程が感じられる。

この数行の拙文でさえ、終わりまで読ませずに切り取ってしまえば、その論会に参加した発言者をなじるようなことにもなってしまう。
それと似たようなことをして、バカな議員に騒ぎのタネを提供するのがジャーナルの仕事であると仕込まれている記者たちこそ、操られ人形の見本ではないだろうか。

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ちょいちがい:23 演技外交

2021年04月13日 | つぶやきの壺焼

外交には演技が必要とされ、しばしば演技が用いられる。

この演技の功罪はさまざまで、外交交渉が演技中心になってくると、罪過を招く割合が増えてくる。

演技が度重なると、相手が交渉の対象ではなく観客に、しかも旦那芸を見せられる観衆のように思えてくるのではないか。

国と国との約束事も、脚本の一部分として、書き換えられたり削除されたり、善良の装いが狙い目とされることさえある。

演技外交、名演に酔ってはならず、迷演に依ってもならないものなのだろう。

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ちょいちがい:22 サポート

2021年04月11日 | つぶやきの壺焼

電話相談口にはいろいろな人が出てくる。

小型のモノの扱い方を尋ねているのに、モノを手元に置かずに、マニュアルを見ながら答えてくれることが多い。

わかりやすく書かれたマニュアルがあれば、電話でいちいち相談はしないのに。

マニュアルに載っていないことを尋ねると、そのたびに何分か待たされる。
窓口の人もわからないので、誰かに聞きに行っている様子。

相談窓口をOJTの場にしているところもあるのか。

相談窓口からは、答えがほしいのではない、応えて欲しいのだ。

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ちょいちがい:19 無刺激

2021年04月05日 | つぶやきの壺焼

化けものの手足が、いま動かなくても、いつかは動き出す。

動かないように見えるのは手足だけで、頭は化けものなりの行動規範に従って働いている。

手足が伸び切ってしまった化けものの行動規範は、わかりやすくできていて、それは記念日や国際イベントの節目で動き出す企みが芯になっている。

今は静か、だからと言って、化けものの活動が収まったなどと、暢気に構えてはいられないのだ。

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ちょいちがい:18 板挟み

2021年04月03日 | つぶやきの壺焼

政治と経済、どちらかを立てれば一方がうまくいかない。
なぜそんなことになるのか。

経済は政治とは別ものという、奇妙な不文律、いや分別律がはびこって、邪魔をしているからだ。

政治は国の運営の総括概念であるから、経済問題も政治に含まれた重要要素とされなければならない。

半世紀前に時の総理が演説に使い、そのときには都合がよかった政経分離という時事用語が、いつの間にか国の運営の原則であるかのように思い込まれてしまった。

経済人たちは金儲けのためにそれを利用し、巧く立ち回った。
一般人はそんなものかなあとあえて逆らわず、非常識をノリで固めて常識のようにしてしまったお守り札の文言、それが政経分離なのだ。

お守り札は、個人の役には立っても国の役には立つことがない。
お経をあげていれば安泰と思っているお題目政治には、都合のよいときもある。
これでは、ずるずるといつの間にか、海の向こうの化け物の気まま仕ままにやられしまう。
くわばらくわばら。

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ちょいちがい:17 梯子

2021年04月01日 | つぶやきの壺焼

梯子には二とおりの使い方がある。

主なのは作業用具、高いところに登るために使う。

もう一つは舞台装置、見せるために使う。

この舞台で見せるのは、技量の高さと誇り。
それを見せられるのは、梯子を支える人達への信頼。

外交、安全保障の場では、この支えを外される危険が、常に付きまとっている。

七十余年前の苦い経験を忘れてはならない。

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