・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

勲功

2011年09月30日 | つぶやきの壺焼

乗客を乗せて背面飛行、すごいことをやってくれる。
このパイロットは、咄嗟の出来事に鮮やかな対応したと表彰されるのだろうか。

東京大空襲を指揮した米人に、勲一等が授けられているという言い伝えがある。

福島の惨状に一役買ったに違いない Mr.K が「やるだけのことはやった」と得意顔になるのも仕方がないのかもしれない。

ものごとの結果は、もっと運が悪ければと、どこまでも予想することができる。
原因があって結果が出るその関係は、結果出現後の予想という奇妙な手続きによって、しくじりがとがめられず、褒められることにもなる。

失敗は成功の因とは、よく言ったものである。

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環境

2011年09月29日 | つぶやきの壺焼

環境という言葉は、最近幅が利かなくなった。
環境を唱えていた人類の仲間が、地球環境をぶち壊していることに気づいたからか。

人間は、自分の一皮外側だけの環境が自分に適していれば、それで気が済んでいる。

レストランで子供をぎゃあぎゃあ泣かせっ放しで友達との話に夢中になる。

街の雑音がうるさければ、電話ボックスに飛び込んで、その中でケータイを使う。

電車に乗ると、座席に座っている人の8割がケータイを開いて目の前にかざしている。
ここ20年何かの都合で電車に乗らなかった人が、あの風景に出遭えば、何事が始まったかと驚くだろう。

その椿事にも、たった一つよいことがある。
耳に押し込んだレシーバーから、チャンチャカチャンチャカと雑音を発信する人が、ケータイを見つめるようになったおかげで、グンと少なくなったことである。

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難解不可解

2011年09月28日 | つぶやきの壺焼

近頃のドラマの組み立ては、わざわざ不可解にしたものが多い。
すんなりわかっては面白くないという算段なのだろう。

難解はまあよいにしても、最後までわからずじまいは、なんとも後味が悪い。
すぐわかるものよりもっと悪い。

ラストシーンの先がどうなるのかは視聴者次第でもよいのだが、何を見せたかったのか、何を考えさせたかったのかさえ、わからないのがある。

ジャンプカットという編集技法がある。場面の連続性を無視して、カットを繋ぎ合わせることらしいのだが、それを使ってみたいから作ったのかと思うようなのもある。
画面が美しければ意味は不可解でもよいが、つまらない観光写真にヘボ台詞意味不可解では、またはずれかとがっかりする。
はずれのほうが多いのは、クジの世界だけではなさそうである。

ほかに諦めることはたくさんあるので、ドラマぐらいは諦めないで済むようにしてほしい。
安くない視聴料を払っているのだから。

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割に合わない

2011年09月27日 | つぶやきの壺焼

割に合う、合わないと人は言う。
カナ文字で言うと、コストパフォーマンスというあれか。
だが、ぴったりそのものでもない。割りは割りだから。
コストと言えば持ち出し、それに比べて得られるものを考えてみるとという、あれはあれなのだ。

言い換えはたいがいどこか違うもの。それで解かった気にさせ、解かった気になる。解かり合うというのは互いに解かったと言ってあげるだけのことか。

割りに合うと言わず、割のいいと言うこともある。割のいい仕事とはどういうのだろう。
その場合は、持ち出しよりも得られるものに考慮の重心が寄っているように思う。

割りと言うのは、寄席に出た芸人がもらう出演料のことだそうである。観客の数によって金額が変わる。だから割りなのだ。
売り上げの利益配分なら、割りでなく売りではないかなどと言いたがる人も出てくる。だが、定着してしまっている言葉に難癖をつけるほど割りの合わないことはない。
そこでわいわい言っても、得られるものは質量ゼロに近い。

割のよい仕事だけがよい仕事か、そうでもない。
よい仕事とは、している人が質量を感じられる仕事なのだ。

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2011年09月26日 | つぶやきの壺焼

食べながら「味がない」と言う人がいる。
一緒に食べていてそうは思わないのだが、そう言う。
そのとき、たいがい塩気が少ない場合が多い。
とにかく塩からくないと味を感じない、塩からさが味だとその人の舌は覚えこんでいるのだろう。たぶん血圧は高いと思う。

朗読も歌も、どう聞こえるかは味次第。

読み上げのような台詞回しをするI・Kという役者がいるが、味があるので読み上げに聞こえない。
風体のせいかと思ったが、ラジオで声だけ聞いても、やはり味がある。

朗々と歌い上げる歌手の声も、味のあるなしでまったく違う聞こえ方がする。
巧拙ではないように聞こえても、やはり巧拙なのか。
どこがどうなのか、耳の持ち主である自分に向かっても説明ができない。
そこがプロの味なのだろう。

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恐怖症/好奇症

2011年09月25日 | つぶやきの壺焼

高所恐怖症の人もいれば、閉所恐怖症の人もいる。

高所も閉所も、嫌う人ばかりではなく好む人もいる。

体操の選手、サーカスの人、鳶職、送電線工事技能者らは高所好奇症か。
高いところにいないと落ち着かない、生きた心地がしないか。

かまくらや押入れに入りたがる人もいる。こちらは閉所好奇症。

みな病気というわけではない。性格なのだ。
症と書くから普通でないと誤解されるので、恐怖性、好奇性と書けばよいのではないか。
それぞれに、普通の人の性格のばらつきに過ぎないのだから。

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個人情報

2011年09月24日 | つぶやきの壺焼

コンビニで住民票の写しを取れるようになったという、渋谷区での話。

渋谷区民は、全国のセブン-イレブンの店舗でキオスク端末に「住基カード」をかざすと「住民票の写し」や「印鑑登録証明書」を取得できるようになったそうである。

区民のライフスタイルの多様化に応えるという触れ込みだが、個人情報そのものが書かれているだいじな書類を、役所で取るのとは違って、チェックのまったくかからない仕組みで簡単に出してしまってよいものだろうかと少し気になる。
http://www.nec.co.jp/ml/?t=jirei_shib_2&p=e319t91600000989252

便利重宝万々歳で暮らしていると、どこかで酷いめに遭うのではないだろうか。

半年2万円払うと後は乗り放題というバスのパスを買って持っていたことがある。結構便利に使っていたが、ある日出かけようとしたらそれがない。
名前は書いておいたように覚えているが、拾えば使い放題という重宝なものが、届けられることは望めないないだろう。もう帰ってくるはずもなかろうと、有効期間半ばだったが諦めた。それからそのパスは買っていない。

住基カードなども、何かのときに身分証明に役立つだろうと常に持ち歩いていれば、役立つ機会よりも紛失する機会のほうが多そうなので、まだ持たないことにしている。

個人情報といえば、本名の発信メールとニックネームの発信メールを取り違えることがときどきある。
メール本文には○○ですとニックネームを名乗りながら、読み込み署名様式にはニックネームのものを作ってないのか、最後に本名が書いてあるご愛嬌メールが送られてくることもときどきある。

どこかでこんなやり取りを聞いた。
「佐藤さんの話なのだが、本名を書いては悪いからシュガーさんにしておこうか」
「いや、そんなのすぐばれるよ」
「それじゃあノンシュガーさんにするか」
「だめ、武藤さんが迷惑するぞ」

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夏雲

2011年09月23日 | つぶやきの壺焼

台風に山側を通られるとろくなことはないのだが、今回は思ったほどでもなかった。
南側の窓ガラスに最大径5ミリぐらいの塩の結晶らしいものが100平方センチあたり30個ほど着いた。
らしいと書いたのは、ことによると嫌なものが混ざっているかもしれないので、なめて見てないからである。
乱視眼には円く見えるが、めがねをかければギザギザ。

台風の去った翌日の東の空には夏雲。

雲のような豆腐があると聞いた。
大型でまるく仕上げてあるのか。
霧のような春雨と一緒に食べたら、仙人のような気分になるだろうか。

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縦長列島

2011年09月22日 | つぶやきの壺焼

南のほうでぐずぐずしていた台風が動き出したら列島縦断。

昨日の朝9時の進路予想では、本州の真上を北海道に抜け、北方4島からアリューシャンに向け一直線だった。中心気圧は945hPa、これは強烈らしいと、ベランダから飛びやすいものを室内に移動。立てかけてあるものは横に寝かせた。あとはなるようになれ。

北海道に旅行中のOさんにはお気の毒だったが、中心が東を通ったからそれほどひどいめには遭われなかったと思う。無事息災を祈る。

 

 


台風進路予想図(2011/09/22 9:00)
http://weather.jp.msn.com/typhoons.aspx

北海道では、宅地が1平方メートル1円というところがあると聞いた。
1農家で400ha 持てば大規模農業が可能、だからTPPはOKという一直線の論もある。
自分ひとりであちこち飛び回れる自由人は、見たまままっすぐなことを言っていれば済むが、台風が縦断して行ったそれぞれの土地には、それぞれの暮らしがある。
思いつき台風のように、まっすぐを絵に描いたようには、ことを進められるものではない。

今朝はベランダの掃除に2時間。ごみを集めて取ってから、普段放置してある細かい汚れまで拭き取るので時間のかかること。

それにしても、今年の雨量は並外れている。
各地に散らばった放射性物質による汚染を、早く洗い流してやろうという天の思し召しだろうか。

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無名島

2011年09月21日 | つぶやきの壺焼

日本には無名の島が2200あるという。(山谷えり子議員談)

名前がないということは、人も住んでいないのだろう。
しかし、名のない人が住んでいないとも限らない。
そこに住む名のない人は、戸籍もない、無論国籍もないが、やまと民族以外の人であることは考えにくい。

だが、そう思ってうかうかしていると、名のないはずの島に、よその国旗が立てられ、読めないような漢字の名前の人が、いつの間にか住み着いていたということにならない保証はない。
せめて名前ぐらいは付けて、はっきり宣言しておかないと、地球の極地まで手に入れようと狙う人のいる現代である。ゆったりのんびりはしていられない。

後の祭りは楽しむものではないのだから。

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花道

2011年09月20日 | つぶやきの壺焼

来月ご主人とお別れの決まっている盲導犬がいる。

下のサイトに新聞記事がまるごと載っているので、詳しくは書かない。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1109160040/


キャニー君という名、本当によく躾けられている。

これまでの仕事を終えて、丈夫なうちにゆっくりできるようにとの、ご主人の配慮。

これぞ男の花道、どうぞ元気で。

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帽子

2011年09月19日 | つぶやきの壺焼

木枯らしは音を立て、春一番は一日中、夏かぜは急に引き、秋風は突然吹く。

秋の日、今日は風がなさそうと、キャップでなくハットにする。

吹き抜け地形のところでは、しっかり押えていないと、フワッとコロコロ。
車道にころがり出て交通事故の引き金になっては一大事。

帽子は、かぶるだけのものではない。
押えるものでもあり、飛んでいくものでもあった。

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かくかくしかじか

2011年09月18日 | つぶやきの壺焼

電車内でも、道のすれ違いにでも、品格、風格という言葉を思い出すような人に出会うと幸せな気分になる。
逆の場合は、今日はツイてないなと階段の上がり降りにも気を遣う。

いま横綱と大関以下の関取とでは、まさに格の隔たりが大きい。
ろくでもないことが発覚して土俵を去った人は別にして、格のつく字を並べてみると、品格、風格、変格、本格とそれぞれの力士に当てはまるような感じがする。
土俵上で風格の見られるのは横綱ただひとり。

両国でなら、たとえ一人でも見られるからよいが、永田町に出たり入ったりしている人たちに、風格をそなえた人がいるだろうか。

これはツイてないどころの話ではない。

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世論

2011年09月17日 | つぶやきの壺焼

「世論とは、世論全体から自分の意見を差し引いたものである」という意味のオルテガの言葉がある。

また珍数式が見つかった。

[世論] = [世論]-[自分の意見]

であるならば、世論というものがある限り、

[自分の意見] = [世論] - [世論] = 0

おやおや。
メディア操作の原理はここにあったか。

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逆転と対義

2011年09月16日 | つぶやきの壺焼

不思議な質問投稿に出会った。

『「100人弱」とは?「101人」の事でしょうか?又は「99人」の事でしょうか?』とたずねている。

ともにはずれのこの考えが、なぜ出てきたかを考えてみた。

まず101人と書いてあるから、これが最初の考えと仮定する。そうかも知れずそうではないかも知れないことは仮定と断るより仕方がないのでそうしておく。

この人の頭は、構文の基本に忠実に、そして数理的に働いた。
100人弱=101人
という凡人では考え付かない名数式ができあがった。

構文の基本とは、文章には主語の存在が必須であること、そして主語は文章の先頭に配置すること。ガチガチの文法あたまはこう考えた。
この様式にとらわれて、「ワタクシは」とはじめに言いながら、何を考え、何をするのかをまったく言わない永田町劇場の台詞をたびたび耳にしている。

100人弱というのはひとつの熟語でしかないのに、文章と同様の構成を思い浮かべる。
そこに「100人は弱い」という意味ができあがる。
100人が弱ければそれは100人より強い数、人数は整数だから100人プラス1人となる。
そこで、「100人弱」とは?「101人」の事でしょうか?となる。

ものごとには必ず対義がある。これもガチのかけらなのだが、100とプラス1を比べたからには、マイナス1も考えに入れておかなければならない。
又は「99人」の事でしょうか?はこうして出てきた。

何ごともこんなふうに考える人がもし増えてきたら、人間の世界はどうなるのか。

おお神よ、としか言いようがない。

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